いや、むしろそこらへんのセンスも研ぎ澄ましたいなぁ、と思ってたりします。
くそ────くそ!くそ!くそ!!!
止められなかった!
トラップルームへと入って行った彼らは、トラップの存在を予見していなかった。つまりは、
中堅プレイヤーに、この層のモンスタートラップを全て捌き切れる技量などあろう筈もない。
恐らく、このまま放っておけば彼らは全滅するだろう。
「…………っ」
歯痒い。
自分の力の無さに虫酸が走る。
どうしてだ!どうして止められなかった!
畜生……畜生、畜生!!
このままみすみす見捨てるのか?
助けられたかもしれない命を散らせるのか?
そんなのは絶対に嫌だ!
何でた!
何でもう少し早く気づけなかった!
何でもっと鬼気迫る警告をしなかった!
何で更に疾く走れなかった!
考えれば考えるほど、自分を殴りたい衝動に駆られる。
せめて……せめて中に入れたなら!
トラップルームに転移することが出来たなら!
僕にも何か、出来ることが有るかもしれないのに!
「────うあぁぁあぁッッ!」
眼前の扉を、力いっぱいぶん殴る。
破壊不能オブジェクトだという警告表示が出るが、そんなもん知るか!
破壊不能だかなんだか知らないが、今すぐ僕をこの中に入れやがれ!
────もう一撃。
腕を思いっきり振りかぶる。
更なる打突を繰り出そうとした。
その瞬間。
視界が神居の雷光に包まれた──────
そして、入れた。
どうしてだとか、そんなのは今や些末事だろう。
入りたかったから入れた。今はそれで良い。考えている時間が勿体無い。
状況を確認する。
モンスターの数は、もう既に十や二十ではきかない程に膨れ上がっている。
だが不幸中の幸いか、まだ死亡者は出ていないようだった。
ふと、全てに動きが無いことに気がついた。
プレイヤー達は言うまでもなく、モンスターの一体に至るまで、何もかもが微動だにしていない。
そして、彼らの目線の須くが僕に集約されていた。
プレイヤー達の目に映るのは、驚愕と疑問。そして少しの不安だ。
モンスターは、恐らく新たに出現した攻撃対象に、思考ルーチンが追いついていないのだろう。
だが、静寂なのは好都合だ。
腹の底に力を込め、最大音量の指示を繰り出した。
「全員、出来るだけ攻撃に集中しろ!モンスターの攻撃は僕が防ぐ!絶対に君たちを殺させやしない!」
その一言で、プレイヤー達に目の色が宿った。
取り敢えずは、僕を味方と判じたのか、各々の得物を構え直す。
同時に、停滞していたモンスター達も動き出す。
骸骨じみた化物が握る玄翁が、茶髪の青年と剣戟を鳴らす。
甲高い打ち合いが、幾重にも重なった。
「せぇやぁッ!」
長槍を揮う黒髪の女の子が、鬨の声を上げた。
見れば、少女はその面を何かに堪えるようにきちりと強張らせている。
しかし、その槍捌きに狂いは無く、訥々と怪異を突き続けている。
そんな彼女に、背後から強襲せんとするゴブリンを、僕は封炎で迎撃した。
「あ、ありがとう……」
「お礼を言う暇があるなら、一度でも多く敵を突いて」
「う、うん」
短い遣り取りを交わし、二人同時に疾駆する。
間断無く続く金属音。
生と死の不協和音が、仮想の現実で繰り広げられる。
ガンガンと打ち付ける響音。それには、脳を溶かす甘ささえ感じる。
弾く。弾く。弾く。
僕の『今』は、ただそれだけの機械でしかない。
思考など不要だ。
煩悶など皆無だ。
ただ為すべき事を為すだけ。
私情を挟んだ事案だからこそ、僕は私情を挟まない。
だが、度し難いモノを見てしまった。
有象無象の化物共が、先程の女の子に多様な武器を向ける光景。
彼我の差は十数メートル。
命が刈り取られるまでは、残りコンマ一秒以下。
機械仕掛に算出された、余りに絶望的な、数字。
間に合わない。
いや、違う。
どうあれ届かぬ間合いなら、それを超越する速度で走ればいいだけのこと。
一度守ると決めたのだ。
この拳が、凶刃を穿たぬ道理は無い────!
瞬間。
この身は光を凌駕した。
それは、先刻の光景の焼き増しだった。
動き出そうとした時にはもう、僕の身体は少女の目前に移動していたのだ。
それは紛れもなく瞬間移動。
このアインクラッドでは、あり得ぬ筈の魔の
だが、それを不思議だとは思わない。そんな自分が不可思議だった。
眼前に迫るは、雨霰が如く押し寄せる鉄塊の
十重二十重のそれらを、一息の内に己が拳で打ち付ける。
伽藍に響く鉄の音。
砕け散ったそれらを流し見て、手ぶらになった怪物どもを一蹴する。
その時、僕の中のナニカが、音を立てて切れた。
そこからはもう鎧袖一触の有様だった。
目に入ったモノを殴り、蹴り、投げ、回し、千切り、砕き、打ち、締め、斬り、突き、抉り、刺し、穿ち、裂き、噛み、殺し、殺し、殺して殺して殺し尽くした。
理性無き者を獣と定義するのなら、アレは正しく獣だった。
────アァ……キモチヨカッタ
渇いた唇をペロリと嘗めた時、全てが終わったことを悟った。
腕を見る。
血に濡れたそれを幻視する。
それがあんまりにも気持ち悪くって、無性に擦った。
だけども、こびり付いた朱はいつ迄経っても取れやしない。
────トル意味ナド無イダロウ。此レカラ何度デモ、其ノ手ハ血色二染ルノダカラ。
ゴシゴシゴシゴシ。
いつも間にやら、体力ゲージが減少するほど摩擦は強くなっていた。
でも、そんなことは関係ない。
あるのは、腕全体にナメクジが這っているような不快感。
「────ゥ、アッァ……」
意味を持たぬ奇声を洩らす。
もはや引っ掻くようになった腕。
額から、玉のような汗が滴り落ちる。
────其レハ、汗デハナイ
いや、落ちるわけがない。ここはゲームの中だ。生理現象が起こるなんてあり得ない。
ポツリ。
零れた汗は、腕の紅と混ざるように。
そして、そして──────!
「あ、あの、ありがとうございました!」
柔らかな声が、僕の耳朶を打った。
それは、ランサーの女の子から発せられた物だった。
「ァ……ッ……………」
応えようと唇を動かす。だけども、言葉らしい言葉は出なかった。
「あの……あなたが来てくれなかったら、俺たち死んでました!本当にありがとうございました!」
そう言ったのは、癖っ毛のシミターだった。
彼に続き、他のメンバーたちもありがとう、と声を上げる。
だけども、僕の喉は空を震わそうとしない。
何か言わなければならない事は分かっているのに、脳に身体が追いつかない。
いや、脳が心に縛られているのか。
懐疑を顔に浮かべながら、リーダー格らしき男が僕に近寄ってきた。
だが、それより早く僕に近づく影があった。
その人物はカツカツと音を立てて歩み寄る。そして、僕の胸倉を力強く掴みーーー
「────あんた一体、何してんのよ!」
その一言と共に、僕の顔面を勢い良く殴り抜いた。
トラップルームの壁までぶっ飛ばされ、無防備な腰を強打した。
「え……あ、ご、ごめん……」
自然、口から謝罪が洩れる。
硬直が解けた第一声が“ごめん”であるという事実に、我ながら情けなくなった。
すると、優子は否定の意を表すように両手を身体の前で振って、慌てながら言った。
「あ、いや、アンタが謝ることなんて無いでしょ。アンタがしたコトは正しいんだから」
「えぇーっと……じゃあ何で僕殴られたの?」
「そんなの、殴りたくなったからに決まってんじゃない」
理不尽極まりなかった。
ホントに、何で僕殴られたんだ……。
と、思っていると、優子は何時ものツンと澄ました顔で言い放った。
「大体ね!アンタはいっつも突っ走り過ぎなのよ!確かにアンタのした事は正しいけれど、アンタの安否が計算の内に入ってないなら、その行動は人間として間違ってんの!」
「ご、ごめん……」
「だーかーら!謝んなって言ってんでしょ!」
速攻で発言を矛盾させる優子さん。
じゃあ僕はどうすりゃいいのか。
「まあ、アタシが言いたいのは、ちょっとは自分を省みなさいよってこと。理解できて?」
「……はい。理解できましたとも」
肯定の意を返すと、優子は満足そうに頷いた。
だが、言われっぱなしも癪なので、ちょっとだけ反撃を試みる。
「それはそうと、三層で僕を本気で殺しにかかったのは、何処の誰だったかなあ?」
「なぁっ!そ、それを引き合いに出すのは、何て言うか……フェアじゃないでしょ!」
「そんな人に、自分を大切にしろー、なんて説教されましても」
「うぅ……っ!」
凄まじい睨みをきかせて、優子はそのまま黙り込んでしまった。
ちょっとだけ罪悪感が湧く。さすがに言い過ぎただろうか。優子にとっては、あまり触れて欲しくない過去だろうし。
そもそも、あの事件は話題に出すような物でもないのだから。
クロムシルバーに光る鎧を想起する。
────グルルゥゥッ!!
スパークが奔る。
脳内を奔走する。
獣声が反響する。
強打された痛み。
干渉される自己。
染み入ってくる。
忍び込んでくる。
得体の知れない、ナニカ。
逃げないと!逃げないと!逃げないと!
眼前の灯火に走る。それに一縷の希望を持って。
相手は獣。
理性を取り戻して理解する。
ヤツは、純然たる──なのだと。
そして、気づいた時には────
────僕は、優子に抱きついていた。
「ちょっ!何してんのよ、アンタ!」
優子が驚声を上げる。
咄嗟に手を離そうとするも、僕は、一ビットたりとも動くことが出来なかった。
まるで、身体が鉄くれになってしまったようだ。
そんな、無骨な鉄塊は、優子を捉えて離れようとしない。
そこにどんなシステム的介入があるのか。いや、そんな物に責任を押し付けるのは無粋だろう。
これは、僕自身の意思なのだ。
優子と触れていたい。
一秒後には、足場が全て崩れてしまいそうな恐慌のただ中でも、優子と居れば大丈夫だと、そう思えたのだ。
すごく端的に言うなら、安心した。
いきなり抱きつかれたというのに、優子は文句一つ言わずにいてくれた。
気持ちが落ち着くと、空想の獣は雲散霧消と果てていた。
優子からゆっくりと腕を外す。
肌の温もりは、未だ消え去ろうとはしない。
「うん?もう大丈夫なの?」
優しい声音で優子が尋ねた。
「大丈夫って、何が?」
「何言ってんのよ。さっきまで顔青くしてガクガク震えてたクセに。まさか、自覚してなかったの?」
僕はそんな状態だったのか。
そう思うと、少し気恥ずかしくなって、俯きながら頭を掻いた。
「ごめんね。カッコ悪いとこ見せちゃったかな?」
「あのねぇ、命張って他人を助けられる人の、何がカッコ悪いもんですか」
優子は毅然と言い放った。
トンデモなくストレートな言葉に、ほんのりと顔が熱くなるのを感じる。
優子は、畳み掛けるように言葉を続けた。
「アンタが何を怖がってたのかは、敢えて訊かないでおく。
けどね、やっぱり自分を大切にしてほしいのよ。
アンタって、妙に危なっかしいところがあるし、近くで見てると、放っておけなくなるって言うか……」
最後は、交々として聞き取れなかったが、優子の言いたいことは分かった。
真摯に僕を気遣ってくれる。そんな実直な想いにうん、と安請け合いするのもばつが悪いだろう。
だからこそ、僕は、思った事をただありのまま口にした。
「心配してくれてありがとう、優子。
でもね、やっぱり僕は目の前に困ってる人がいるなら、手を差し伸べてあげたいんだ。
そりゃ、危ないと思ったら逃げるし、死ぬと思ったら必死でもがく。
けど、救える命を見捨てる事だけはしたくない。それをしたら、僕は自分の意味を見失ってしまうと思うんだ」
自分の考えをはっきりと告げた。
優子は、数度瞬きをして、咀嚼するように頷いた。
すっ、と息を吸う音がした。
優子の澄んだ瞳は僕を見据え、そして────
「バーカ!」
晴れた空のような微笑みと共に、そんな一言を響かせた。
☆
やっと分かった。
アタシがライトを好きな理由。好きになった理由。
そも、アタシは勘違いしていたのだ。
ライトは、アタシの命を救ってくれた。アタシだから救ってくれた。そう思っていた。
けれどそれは、勝手極まる思い込みだ。
コイツにとっては、誰もが大切で、守るべきものに違いないのだ。
そんなこと、分かっていた。
それでもアタシは、そう考えようとはしなかった。
いま思えば、何たる乙女思考だろう。
アタシは、ライトの『特別』でありたかった。
そして、無自覚に誤解した。
アタシは、ライトに命を救われたから、ライトを好きになったのだと。
しかし、どうした矛盾だろう。
アタシが好きになったライトは、誰彼構わず命を救う、そんな素敵な男の子なのだ。
ああ、好きだ。アタシはライトが大好きだ!
それでも今は言えやしない。
残念ながら、アタシはいまだ臆病風に吹かれている。
だからちょっとだけ待って欲しい。
いつか時が巡れば、アタシは想いを伝えよう。
故に、今日のこの時は、想いの代わりに、言葉と笑顔を伝えよう。
鈍感なコイツじゃ読み取れないような感情をいっぱいいっぱい詰め込んで、最高の笑顔をプレゼントしよう。
「バーカ!」
☆
「キリト、お誕生日おめでとう!」
二十数人分の歓声と、派手なクラッカーが間断無く響く。
キリトを祝うメンバーは、僕らサーヴァンツに風林火山、そして、月夜の黒猫団の三ギルドに加え、エギルも参加していた。
「ははっ……まさか、SAOの中で誕生日を祝われるとは思ってもみなかったな。ありがとう、皆」
照れ臭そうに頬を掻いてから、キリトはそんな謝辞を述べた。
いつもはぼんやりと見えるランプの灯りも、今日ばかりは爛々と輝いているように思える。
僕、アレックス、アスナの三人で、腕によりをかけた料理は、みるみるうちに食されていった。
そして、プレゼントやケーキというイベントを経て、雑談の時間が始まった。
ゆったりと時が流れる。
火照った体を冷ます為に、僕はベランダへと足を運んだ。
何と無く、システムウィンドウを開く。
ステータスからスキルを選択。そこに現れた拳術スキルをタップする。
拳術スキルには、現在、三つのスキルが存在している。
単発技『封炎』『疾波』そして、拳術スキル
『神耀』。
トラップルームでの闘いののち、スキル欄に突如として発現したこのスキルは、あまりに突飛な効果を保持していた。
『スキル熟練度×1cmまでの距離を、瞬間的に移動する事が出来る。
脳内で、移動地点を指定する事で、自動的に発動する。
このスキルは、移動距離(cm)×1秒間、再度使用する事が出来ない』
つまり、あの現象は正に瞬間移動だった訳だ。
きっと僕は、無意識にこのスキルを発動し、あの石扉を突破したのだ。
だが、明らかに不可解なことがある。
サチが殺されかけた時、僕とサチとの距離は、どう見ても十メートルは離れていた。
今の僕には、十メートルの瞬間移動は不可能だ。
ならば何故、僕はサチを救う事が出来たのだろう。
出し抜けに、背後の扉が開く音がして、反射的に振り返った。
「あ、ライト、ここにいたんだ」
「うん。どうしたの、サチ」
僕と同じく、サチも夜風に当たりに来たのだろうか。
ベランダの手摺にそっと腕を掛けると、黒髪のメイサーは、懐から何かを取り出した。
「それは……音声記録結晶?」
「うん」
コバルトブルーの正八面体を、サチは、器用に片手で弄ぶ。白く透き通った指で、嫋やかにボタンを押した。
そして、記録された音声は、完全に消去された。
「何の音声を消したの?」
「うぅーん……ナイショかな」
綿毛のような笑みを浮かべると、サチは、漆黒に染まった夜空を見つめた。
そして、ポツリと喋りだした。
「これはね。私なりの覚悟なの」
「覚悟?」
「そう。覚悟。ホントはね、私、自分はいつか、死んじゃうんだと思ってたんだ。
こんな理不尽で不安定な世界じゃ、弱っちい私は、遅かれ早かれ死ぬ運命なんだって。
モンスタートラップに引っかかった時、ああ、死ぬんだな、って思った」
「でも、サチは死ななかった」
「うん。そう。ライトが助けてくれたもんね。
あれほど絶対的だと思ってた死の運命は、君がたった一人で打ち砕いてくれた。
だからね、もう死ぬことなんて考えるのは辞めようって、そう覚悟したんだ。
皆と一緒なら、運命なんて幾らでも覆せる。そう思えた。信じれた。君のおかげでね。
本当に、ありがとう」
感謝の言葉は、満天の星に抱かれて、ふわりと舞った。
一際明るい満月が、僕らを永く永く、照らしていた。
月夜の黒猫団、完結です。
結局、扱いとしてはサーヴァンツと同盟関係ですね。
ところで、テスト期間にはいっちゃいます。
ちなみに、パソコンも携帯も、今から完全に封印します。
次回の投稿が遅れますので悪しからず。