艦物語 ― 君も知らない物語 ―   作:きさらぎむつみ

9 / 15
第九話 おおよどルーム(肆)

      005

 

「昨日、不愉快なことを思われた気がしました」

 

 本日の秘書艦不知火は突然そんなことを呟いた。

 本当にいきなりで、しかも何の脈絡もなかったために、びっくりして、書類に走らせていたペンの動きが止まってしまった。

 しかしどうやらその呟きは完全に独り言だったらしく、不知火はすぐに「それにしても」と話題を切り替えて、

 

「他人に知識を勉強させるのって、難しいものなのですね」

 

 と言った。

 朝に(主にちっちゃいほうの妹との)一悶着があり、続けて(主にでっかいほうの妹との)一騒動があって。

 それでもひとまず、文句を垂れる妹たちを遠征へと向かわせたりさせて、ようやく落ち着いた司令部執務室。

 自力で段ボールを開け片付けを行なって、少しは見られるようになった執務室の一角に敷かれた畳とその上の卓袱台。家具コイン様様である。

 座布団を向かい合わせに敷いて、雑多に書類を広げれば、それでもう卓袱台の上はいっぱいになってしまうような状況である。

 とはいえ。

 不知火の側には艦隊の指揮や任務に関する書類が広がっているというのに、僕の側には海戦史や艦艇に関する資料が広がっているのである。

 

「……どうして僕は勉強をしているんだろう?」

 

「え? 司令が馬鹿だからじゃないのですか?」

 

「嫌な言い方をするよなあ!」

 

 その通りなんだけど。

 もうちょっと言い方に気を使ってくれてもいいんじゃないのかな。

 不知火は書類に走らせるペンの動きを止めることもなく、秘書艦仕事をこなしてゆく。

 

「勉強という言葉が含まれる物事で苦労することなんて、不知火のこれまでの人生には全く無かったものですから、司令が何に悩んでいるのか、何に行き詰っているのかが、ちっともわからないのです……司令が何がわからないのかがわからないのですよ」

 

「そうなのか……」

 

 凹むことを言う……。

 不知火の学力と僕の学力との間には、一体どれほどの差があるというのだろう。そこが見通せないくらいの、深い谷みたいな感じだろうか。

 

「わからない振りをしてウケを狙ってるんじゃないかとすら思いますね」

 

「どんな捨身だよ……。でも、不知火、お前だって生まれた時から頭がよかったわけじゃないだろう? 努力の末に女学校を卒業したんじゃないのか」

 

「努力している人間がそれを意識すると思うのですか?」

 

「……さいですか」

 

「あ、でも誤解しないでくださいね。努力が全く実を結ばない、どころか努力する術さえも知らない司令のような人間のこと、ちゃんと哀れんではいるのですよ」

 

「哀れまないでくれ!」

 

「ちゃんと儚んではいるのですよ」

 

「ぐ、ううっ! ツッコミを入れると形容がよりひどくなるルールなのか……!? これでは迂闊に泣きを入れることもできない!」

 

 一体何のゲームなんだか。

 いや、“艦これ”のはずだ。

 

「しかし、まぁ、今度の期間限定出撃で司令が相応の戦果を挙げることに成功すれば、不知火は艦娘として更にもう一歩、先へと進むことができるんだと思うと、やる気が出ますね」

 

「僕の司令としての評価まで自分の試練みたいに捉えてんじゃねえ……それに、不知火が艦娘として先へと進むべきところは、もっと別にあるだろうよ」

 

「うるさいですね。雷撃処分したわよ」

 

「過去形!? 僕はすでに死んでいるのか!?」

 

 不知火も秘書艦として十分に優秀なのだけれど、会話の相手としてはミステイクだったかもしれない……うーん、しかしあのことを聞きたかったわけだし。

 ちらりと、ノートから、不知火に眼を移す。

 不知火は、相変わらずのお澄まし顔。

 表情がほとんど動かない。

 態度も全く変わらない。

 うーん。

 

「どうしたの? 司令。手元がお留守になっていますよ」

 

「いや……難易度高いなあと思って」

 

「この程度の近代史で? 困ったものですね」

 

 僕の内情には全く我関せずと言った様子でただ単に、心底呆れ果てたような顔付きをする不知火。それは人を見下すことに慣れているものの眼だった。

 

「葛藤するところですよね。頑張ってできない追撃戦後A勝利よりも頑張らずにできない追撃戦無しA勝利の方が、まだしもプライドは守れるものですから」

 

「……見捨てないでください……」

 

「まあ、そこまで言うのなら、見捨てないのですけれど」

 

「そうしてくれれば救われるよ」

 

「いえいえ、来る者拒まず去る者逃がさず死なば諸共ですよ」

 

「怖い考え方だな!」

 

「大丈夫。殺るとなれば、死力を尽くします」

 

「死力までは尽くさなくていい! 全力くらいでいいって! 僕にどれほどのことを強いる予定なんだよ、不知火は!」

 

「……でも、司令。そういえば、司令は、確か数学だけはできるんでしょう?」

 

「え? ああ、うん」

 

 何故知っているのだろう。

 その疑問を口にする前に、不知火は、

 

「大淀さんから聞いたのですよ」

 

 と言った。

 そうか、大淀なら、僕の個人情報にも詳しい。

 

「ふうん……でも、大淀さんが僕の個人情報とか、吹聴するとは思えないけれど」

 

「ああ。この間、司令と大淀さんが話しているのを、横からこっそり聞いたという意味ですよ」

 

 ただの盗み聞きだった。

 しかし全く気にした風の無い不知火。

 困った奴である。

 

「数学は暗記科目じゃないから、なんとなくできるんだよ。公式とか方程式とかって、なんかこう必殺技めいてて、いいじゃん? 近代史や戦史にもそういうのがあればいいんだけれどなあ」

 

「そんな都合のいいものがあれば誰も苦労はしません」

 

 ばっさりと斬り捨てられた。

 

「まあ、まだしばらくは司令に微塵も期待なんてしていないのですけれど。でも、司令。今度の期間限定出撃では、艦隊の全体的な練度さえ見誤らなければ、各艦種の艦娘を揃えたり資材を十分に備蓄すれば、まあ恐らくは最初の海域くらいはクリアできるでしょうけれど、そういった具体的な戦果の挙げ方について、一体、どういう風に考えているのですか?」

 

「戦果の挙げ方?」

 

「それも含めて、これからのこと」

 

 ……司令よりもしっかりとした考えを、先の先まで考えている艦娘だった。

 嘆息。

 これは、そんなことにまで言われるまで全く考えの至らなかった自分自身に対してである。

 

「ため息ですか、司令。ねえ、御存知ですか? ため息一回につき、幸せが一つ、逃げていくそうですよ。司令がいくら幸せを逃がそうと興味はないのですけれど、不知火の前でため息なんてつかないで欲しいものですね。煩わしいですから」

 

「本当に酷いことを言うな、不知火は」

 

「煩わしいといっても恋煩いですよ」

 

「……ん、反応が難しい振りだな、それ」

 

 微妙に嬉しい気もするし。

 ツッコみトラップだった。

 

「ところで、知っていますか? 司令」

 

 不知火は言った。

 

「不知火は、男と別れたことがないのですよ」

 

「………………」

 

 いや、それ、ものは言いようだろ?

 

「だから」

 

 しかし続ける。

 

「司令とも、別れるつもりはありませんよ」

 

 お澄まし顔は、変わらない。表情一つ、眉一つ動かない。こいつには感情というべきものが皆無なのかもしれないと思わせる。しかし――そんなことはないはずなのだ。

 結局、アピールの仕方がわからないのは、お互い様ってことなのか。

 

「……なあ、不知火」

 

「何でしょう」

 

「昨日着任した島風の“女学校”時代を知ってるって?」

 

「………………」

 

 沈黙が返ってくる。

 いや、何も返ってこない。

 しかし。

 

「そうですね」

 

 と、充分たっぷり間を置いた後、不知火は言った。

 

「あの子だったのですよね。懐かしいです」

 

「……そっか」

 

 やっぱり旧知か。

 

「けれど何故、そんなことを知っているのですか」

 

「え、いや、大淀さんに聞いたんだけど」

 

「どこで盗み聞いたのですか、いやらしいですね」

 

「いや、普通に聞いただけだよ?」

 

 不知火のような情報の仕入れ方とは断じて違う。

 

「それで、司令は何を訊きたいのですか? 私の、ではなくあの子の女学校時代のことを知りたいのでしょうか? ええ、あの子は女学校時代の不知火と同級ですよ」

 

「今は後輩だろ。不知火が先に着任したんだから。ああ、そういえば島風はかなりの有名人だったらしいじゃないか」

 

「ええ、あの子は女学校時代から随分と目立つ子だったですから。……島風? えらく親しげに呼ぶじゃない」

 

 瞬間で、不知火の目つきが剣呑なものへと変化した。普段、全く感情のこもらない不知火の瞳が、やにわ物騒な光を放つ。僕が何か釈明の言葉を口にするのをわずかにも待つことなく、右手の万年筆の先端が、僕の左眼を正確に目掛けて、ものすごいスピードで伸びてきた。

 反射神経で咄嗟にかわそうとしたが、右手の動きと全く同時に、その上に広がるノートやら本をかき散らすことを一切構わずに卓袱台を膝立ちで乗り越える形で、反対側の左手で僕の後頭部を抱えるようにした不知火によって、その動きは封じられた。

 万年筆の先端は――眼球ギリギリの、寸止めということすらも非常におこがましい、瞬きも許さないほど、垂れたインクがそのまま僕の涙滴になるんじゃないかと思うようなギリギリのところで、動きを止めていた。

 こうなると、後頭部を抱える形の左手は、僕が余計な動きを見せて自分の手元が狂わないようにという不知火なりの配慮なのかもしれないと思わせるほどの、手際の良さだった。

 ……し、不知火。

 お前、連装砲や魚雷を持ってないってくらいじゃ、ちっとも怖さが変わらないんだなあ!

 

「あの子がどうかしたの、死ねぇ官」

 

「…………!」

 

 おいおい……!

 僕、こんな目に合うことを言ったのか?!

 

「……宇宙戦艦のキャプテンなんかって隻眼の方が多いですよね。箔をつけるためにも、目玉の一つくらいなら、いいでしょうか?」

 

「やめろやめろ! そんな箔はいらない! それに指揮下に加わった艦娘を呼び捨てにしただけで、やましいところは何もない、まだ親しくもなってない!」

 

「あらそうですか。少し熱くなってしまったかもしれませんね。(ボイラー)の調子が良すぎるようです」

 

 すっと――万年筆を引く。それをくるりと手の内で二回ほど回転させて、卓袱台の上に置き、散らかってしまったノートや海戦史資料を整え直す。僕はばくばくしたまま静まることのない心臓を抑えながら、不知火のそんな様子を見守った。

 

「びっくりさせてしまいましたか、司令」

 

「……お前、絶対その内、人を殺すぞ」

 

「いやですね、司令。不知火が相手にするのは深海棲艦だけですよ。……それに、もしそんな時があるとするならば、初めての相手は司令にしますね。司令以外は、選ばない。約束しますよ」

 

「そんな物騒なことをいい台詞みたいにいってんじゃねえよ! 僕、不知火のことは好きだけど、殺されていいとまでは思わないよ!」

 

「殺したいくらいに愛されて、愛する人に殺される。最高の死に方ではありませんか」

 

「…………え? 不知火って――殺したいくらいに僕のことを好きなの?」

 

「好きですよ」

 

 ノータイムで返された。

 何だろう。そのストレートさは、とても面映い。

 

「だとしても、そんな歪んだ愛情は嫌だ!」

 

「そうですか? 残念ですね。そして心外ですね。私は司令にだったら――」

 

「自沈命令を下されてもいいっていうのか?」

 

「……ん? え、あ、うんまあ」

 

「曖昧な返事だーっ!」

 

「うんまあ、それは、そうですね、よくないのですけれども」

 

「そして曖昧なまま断ったーっ!」

 

「いいじゃないですか、納得してください。不知火が司令を殺すということは、つまり司令の臨終の際、一番そばにいるのがこの不知火ということになるのですよ? ロマンチックではありませんか」

 

「嫌だ、僕は誰に殺されるとしても、不知火に殺されるのだけは嫌だ、誰にどんな殺され方をされても不知火に殺されるよりはマシな気がする」

 

「何ですか、そんなの、不知火が嫌ですよ。司令が不知火以外の誰かに殺されたなら、不知火はその犯人を殺します。約束なんか、守りませんよ」

 

「…………」

 

 こいつの愛情は、すでに相当、歪んでいる。

 愛されていることは、実感できたけど……。

 

「ともあれ、島風になったあの子の話だったわね――その前に、どうして司令が、あの子へ興味を示したのか教えてくれませんか。やましいところがないのなら、ちゃんと説明してくれますよね」

 

「あ、ああ」

 

「勿論、やましいところがあってもちゃんと説明してもらいますよ」

 

「………………」

 

 下手に隠し立てをすると本当に殺されるかもしれなかったので、というよりも、隠し立てをするような理由もなく、ただ単に指揮下になって間もない“レア”とされる艦娘の、知っておかなくてはならないことを知っておこうと思っただけだった、というようなことを説明した。

 説明しながら、僕は思う。

 親しげに呼ぶ――というのなら、僕よりむしろ、不知火の方ではないか、と。女学校時代の同級とはいえ、不知火が島風のことを、『あの子』なんて言い方をするのは、そう、ニュアンスとしてあまりにも――いや、それは単なる言葉の綾なのかもしれないけれど。

 感情が表情に出ないのと同様、不知火は、感情が声音に全く現れない。どんなことを言うのにも、ほとんど平坦な口調と言っていい。どれだけの頑なな意志で自分を律しているのだろうと考えると、猿島の時からさして変わらずにいるのかもしれない。

 けれど――あの子、か。

 

「そう」

 

 おおよその説明を聞いたところで、不知火は、やがて、そう頷いた。やはり、表情一つ変わらないし、平坦な口調だった。

 

「ねえ、司令」

 

「なんだよ」

 

「上は洪水下は大火事、これはなんでしょう」

 

「……? そりゃまあ、風呂釜……と思わせて、艦娘的にはボイラー、だろ?」

 

「ぶっぶー。答えは」

 

 平坦なままで言う不知火。

 

「……島風の部屋よ」

 

「お前、せっかく着任した艦娘の部屋に何をするつもりだ!?」

 

 マジ怖いって!

 眼が据わってるって!

 しかもそれ、不知火たちが暮らす艦娘の寮が燃えてるんじゃねえか!

 

「まあ、冗談はともかく」

 

「お前の冗談は洒落になってないんだよ……実行しかねないんだもん、不知火は」

 

「そうでしょうか。でも、司令がそこまで言うのでしたら、冗談は口だけにしておいてあげてもいいですよ」

 

「いや、それが普通なんだけどな……」

 

「ともかく」

 

 不知火はそう重ねて、続ける。

 

「不知火が信じてその身を任せた司令は、提督は、いくら着任率の低さと多少の性能の良さでありがたがられている艦娘が着任したとしても、その扱いを、露骨に変えるような情の薄い人物ではなかったと記憶しておりますが」

 

「ん? ああ、僕は別にどの艦娘も贔屓するつもりはないよ。みんな等しく、大事な、僕の指揮する艦隊の一艦(いちいん)だよ」

 

「等しく、大事な、ですか」

 

 あれ? 今ちょっと声のトーンが変わったような――

 

「それではなおのこと、海戦史と艦艇資料を頭に叩き込んでください。どんな片手落ちも不知火は許しません」

 

 気がしたけれど、不知火の口調はいつもの平坦なものと全く変わりなかった。

 

「ああ、わかってる。まだ遠征に行った艦隊が帰ってくるまで時間があるしな」

 

「それと――司令」

 

「なんだよ」

 

「I love you」

 

「………………」

 

 変わらぬ口調で、指さして言われた。

 ………………、と。

 更に数秒間考えて、どうやら僕は、指揮する艦隊に所属する陽炎型駆逐艦から英語で告白された、鎮守府初の男になってしまったようだということを、理解した。

 ……これが金剛型巡洋戦艦一番艦の艦娘が相手なら、数多く事例がありそうなんだけれど。

 

「提督、おめでとうございます」

 

 気が付けば、執務室の扉を開けて戸口に立っていた漣に、そんなことを言われた。

 

 

 




謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。

憑物語一挙放送、面白かったですね。
次は暦物語、なのかな?
しかしいったい、傷物語はいつになるのか……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。