艦物語 ― 君も知らない物語 ―   作:きさらぎむつみ

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艦物語 駆逐艦陽炎型二番艦 OPテーマ

「stampede torpedo」

♪「今ならまだ間に合います 撤退した方がいいわ」
 「もっと砲雷撃 してしまう前に」
 「司令に向けた魚雷群を いつの間にか」
 「船体に 喰らってしまってた …痛い 司令のせいです」
 「来ないで そんなそんな近距離に 見ないで こんなこんな弾薬庫(ところ)を」
 「指示しないで あんなこんな任務を どんな艦娘(だれ)にも」
 「何処まででもつづく この海のような 限りない安らぎを願って」
 「いじわるに揺らめく この波のような 心に沈んだら引き上げて」
 「電信じゃ送れない こんな想い」
 「提督にだけ 伝えるから」


第二話 しらぬいバス

      001

 

 僕の提督としての一日はまず大本営、通称“赤レンガ”から毎日到着する任務指令書を秘書艦と一緒に大淀さんから受け取ることから始まる。

 一部では任務娘、なんて呼ばれているらしいこの大淀さん。僕個人としては是非とも“さん付け”したいお姉さんだ。あと、長い黒髪に眼鏡がとても似合っていて素敵です今度一緒にお茶でもいかがでしょうか。

 

「あと、あのミニスカのような袴の脇から見える肌色は、どうしてこんなにも僕の知的好奇心を刺激してやまないのだろうか」

 

「間違っても本人の前でその痴的発言を駄々漏れにしないでくださいね。ああ、間違っているからの死霊の今の発言なのでしょうけど」

 

 おっと、生まれたままの感情を隠しきれず声に出してしまっていたようだ。いけないいけない。

 

「そうだな。秘めた想いは大事に心のかばんの隠し事にするものだからな。あと、僕を呼ぶときの悪意が駄々漏れな変換ミスはいただけないな」

 

「何のことですか提督さん。きっと木の精ですよ」

 

「そこは気のせいだからな。それじゃドライアドだ」

 

 漣は一度、脳内の単語変換辞書をインストールし直す必要がありそうだった。

 

「うーん……それではまず、デイリー建造からこなしますかねえ」

 

「デイリーとか言うな。まるで日課みたいじゃないか」

 

 秘書艦である漣が大淀さんから受け取った指令書の束をめくりめくり呟いた言葉へ、僕はツッコミを入れる。

 実際、日課なんだけど! 毎日するんだけど!

 でも雰囲気って大事ダヨネ!

 

「本日女学校から来て下さった御嬢さんには、どの“艦艇の魂(たましい)”が降りてきますかねえ」

 

「そこが自由にならないのって理不尽な気もするんだけどなあ」

 

「いえいえ、そこが自由になったらこのゲームの楽しみの大半は消失しますよ」

 

「ゲームとか言うな。これが、僕たちのリアルなんだ」

 

 見つめるのは30秒先の未来なんだ。でも、どれだけ見つめても開発・建造の結果は分からない。

 

「まあでも、今は一人でも戦力になってくれる艦娘が必要だからな」

 

 漣との無駄口を現状の認識で締めた頃、僕たちは艦娘建造工廠に到着した。

 工廠内の建造妖精主任さんに建造へ投入する資材数値を申請して、僕たちは一旦工廠の外へ出る。

 

「そういえば漣、どうして建造の最中は工廠へ入れないんだ?」

 

「はあ、御存じないのですか。性毒さんにはあまり教えたくない情報なんですが」

 

「さりげに僕を妙な病気のような呼び方をするな。僕は提督だ」

 

「失礼。噛みました」

 

「違う、わざとだ……」

 

「噛みまみた」

 

「わざとじゃないっ!?」

 

「仕方がありません。誰だって言い間違いをすることくらいありますよ。それとも提督さんは生まれてこのかた一度も噛んだことがないというのですか」

 

「ないとは言わないが、少なくとも人の名前を噛んだりはしないが」

 

「では、さざまみさざもめさざなめもと三回言ってください」

 

「いまのそれ、自分の名前を含まなくていいのか言い忘れてないか」

 

「さざもめとかさざなめなんて、いやらしいですっ!」

 

「言ったのはお前だからな」

 

「さざマミだなんて、不吉すぎますっ!

 

「その不吉さは、確かに僕にもわかるが……」

 

 首から上がもぐもぐされそうな一言だった。

 

「ていうか、意図的に言おうと思えば、却って言いにくい言葉だろう、さざなめも……」

 

「ざざまめもーっ!」

 

「…………」

 

 そんな品種の豆はない、はずだ。

 

「で。そのご質問の回答ですが。提督さんは艦娘の“建造”に関してどこまでご存知でしょうか?」

 

「確か、『“艦娘”となるために選ばれた女性に“艦艇の魂(たましい)”を降ろす』ことを“建造”と呼ぶんだっけ」

 

「その通りです。女学校で基礎教育を終えた美少女たちが、着任した鎮守府や泊地の工廠で“艦艇の魂(たましい)”を降ろす儀式、“建造”を行います。その間、わたしたちは裸になります」

 

「ちょっと待てなぜそれを早く教えない」

 

「そういう反応をするから童貞督さんには教えられてないんだと思います――ってだから、早速工廠内への不法侵入に向かおうとしないでください」

 

 僕が身体を翻すその前に漣が提督服を掴んでいた。さすがは駆逐艦といえども艦娘、僕の力などでは一歩たりともその場より先に進めない、どころか漣の歩調でしっかりと引きずられていく有り様だ。

 僕は諦め、漣と同じ方向へと向き直る。提督服を未だに掴んでいる漣の手が、提督としては誠に遺憾である。

 

「そういやさらっと“美”少女と言ったな」

 

「おや、提督さんはわたしや不知火さんが美少女ではないと仰いますか」

 

「いや……不知火は確かに美少女だとは思うけれど」

 

 口さえ開かなければ、結構いいとこのお嬢様と言えるくらいの気品がある。

 

「お前は美少女と言うよりは――“微”少女だろ」

 

「調子に乗るとぶっとばしますよ♪ 軽率?」

 

 12.7cm連装砲を向けられた。確かに軽率だった。

 

「というわけで、建造妖精さん以外いない無人の工廠内でわたしたちは艦娘となるわけです」

 

「そうなのか。設定説明ご苦労さん」

 

「設定とか言わないでください。しっかり考えたそれっぽいこじつけなんですからケチ付けないでください」

 

「こじつけなのは認めるのか。せめて独自解釈と言って差し上げてくれ」

 

 色々残念な会話だった。

 

「降りてくる“艦艇の魂(たましい)”によって“建造”儀式の時間に差があります。一般的に、大型艦になるほど時間がかかりますし、どの“艦艇の魂(たましい)”が降りてくるかは対象の女学生によって変わります。儀式に投入する資材バランス、通称“レシピ”によってある程度の方向性を決められますが、それも確定的ではありません」

 

「なるほどな。それで“空母レシピ”とか“戦艦レシピ”があっても、想定外の艦娘が建造されるってわけか」

 

 というか、そういうことで納得していただきたいわけか。

 ん? 今の発言は誰に対しての言葉なんだ?

 

「結構オカルトなんだな、艦娘って」

 

「深海棲艦なんてオカルトの塊に立ち向かう存在ですから、そこは多少許容していただかないと」

 

 確かに、漣の言葉はもっともだった。

 

「おや、提督。そうこうお喋りしている間に建造終了みたいですよ」

 

 どうやら漣との面白トークの間に随分と時間が経っていたようだった。

 ちなみに、今回の建造時間は20分だったのだが。

 

「さて、では早速鎮守府に着任してもらいましょうか」

 

 工廠の扉を開けた漣が、中にいるはずの新造艦娘を呼びに行く。この扉、思い返せば先ほども漣が開けていたが実は普通の人には開けられないような重さがあるのではないだろうか?

 もしそうなら確かに関係者立ち入り厳禁なのだろう。特に男性。

 

「さて、提督さん。ご紹介いたしましょう。本日着任したのは駆逐艦綾波型二番艦さんです」

 

 漣と共に現れたのは、シックな雰囲気のセーラー服に身を包んだ少女だった。

 

「あたしの名は敷波。以後よろしく」

 

 ずいぶんと気迫のこもっていないのっぺりとした口調で自己紹介をされた。

 

      002

 

「ともあれ、これで駆逐艦娘が三人になったわけだが」

 

 十分後。

 横須賀鎮守府内提督執務室。

 僕は漣、不知火、敷波の三人を前にして偉そうに言葉を吐き出していた。

 いや、実際偉い立場にいるはずなんだけど、着任以来そう思えたことが未だに無い。

 前任の提督が使っていたままの少し古びた壁紙にくすんだ床板。着任したてで未だ片付けられない積まれたままの段ボール。窓には両サイドに鎮守府備え付けのどこの部屋も同じデザインの赤いカーテンが下げられ括られている。

 執務用として置いてある周囲にそぐわない立派な机と椅子だけが、かろうじてこの部屋を執務室たらしめている状態の至って殺風景な内装だった。

 

「初めて入りましたが、とても貧相な執務室ですね。とても司令に相応しいわ」

 

 不愉快そうな表情を不知火は隠していなかった。隠してくれなかった。

 

「それじゃあ今度、片付けと掃除を手伝ってくれ」

 

「嫌ですよ。出撃中に自分でやってください。秘書仕事しやすくしといてください」

「え、何それ。何かの罰ゲーム? というか罰? ……不知火に落ち度でも?」

「なんだよー。あたしも忙しいんだけど」

 

「…………」

 

 室内がまともに片付くのはしばらく先になりそうだった。

 

「とにかく、今日は近海警備をしてもらう。全員で、だ」

 

 初日に単艦で漣を出撃させ、運悪く駆逐イ級と遭遇。幸い被害は無かったものの更に海域を奥へと進んでもらった際、“羅針盤”の悪意によって軽巡ホ級と駆逐ロ級二隻の敵艦隊に遭遇して中破で帰投した漣に『進撃させんな!』と12.7cm連装砲で殴られた。

 『“羅針盤”の悪意、以前の問題です、このくそ提督』と詰られもした。いや、それお前の台詞じゃないだろ、とはとても言えなかった。

 

「そうそう出撃のたびに毎回、敵艦隊に遭遇するとは思えないけど偵察艦の目撃報告は頻出している。要警戒で頼むぞ」

 

 編成は旗艦が既に出撃経験のある漣、その僚艦に不知火と敷波とした。まだ単縦陣一択だった。

 

「ではヒトマルマルマルより、鎮守府正面海域へ近海警備に出撃します」

 

 漣がそれっぽい言葉で海軍式敬礼をしながら応じた。

 

「ああ、旗艦は任せたぞ」

 

「ちなみに、マルマルマルは伏字です」

 

「時刻発言じゃなかったの?」

 

「伏せた言葉は、人畜無害です。もちろん提督さんのことではありませんよ」

 

 なら、ヒトまで変換されていたことには目を瞑っておこう。

 

「提督さんは鬼畜有害ですから」

 

「評価がもっと酷かった!」

 

「あら、司令は18禁指定だったのね」

 

「僕、都条例に引っ掛かるの?」

 

 不知火まで乗っかってきた。

 

「えー、司令官ってそうなのー? まあどうでもいいんだけどさあ……」

 

 敷波がダウナー系で良かった。更なる追い打ちはなかった。

 

「そうね、どうでもいい存在よね、司令って」

 

 ちゃんと不知火がダウン追い打ち攻撃を撃ちこんできた……。

 

「ではでは、艤装と主機の装着に向かいますよ、提督さん。ほいさっさ~♪」

 

 漣を先頭に不知火と敷波も続いて執務室を後にした。

 まあ、無事に――小破程度の被害は仕方のないことだとして、揃って帰ってきてくれさえすればこの鎮守府を預かる僕としては全く構わないのだ。

 けれどこの後、本日の警備任務出撃が失敗に終わることを僕は知ることとなる。

 そもそも、三人は目標海域に到達することなく、浦賀水道を抜けて外洋に出ることすらできずに帰投したのだ。

 原因は、不知火の転覆だった。

 

      003

 

「観音崎沖を抜けた辺りからだったと思います。

「不知火さんが船体をふらつかせていたのです。その上、通常の吃水より随分と深く船体を沈めておいででした。

「履いた主機関部の調子が悪いのか、そもそも不知火さんの体調が悪いのかと疑問に思いましたので、僭越ながら旗艦として一時接岸の判断を取らせて頂きました」

 

 漣は艦隊を預かる旗艦として、至極まっとうな判断を下していた。

 

「浦賀沖を抜けたところでしたのでまさしく渡りに船と、久里浜港の埠頭をお借りしました。

「わたしと敷波さんは投錨、不知火さんには接岸の上で埠頭に腰掛けて頂き脱いでもらった両舷主機をわたしが確認しましたが、見る限りで異常不調の類は見受けられませんでした。

「ですのでとりあえず、再抜錨して沖へ出ようとした時です。再び不知火さんが船体を大きく傾け、というより何かに足を取られたような挙動をなさって、海岸に着底――尻餅をついてしまいました。

「そのご様子から、わたしは不知火さんの体調不良を疑い、鑑み、艦隊行動不能と判断し帰投した次第です」

 

「ああ、よく慎重な判断をしてくれた。ありがとう漣」

 

「いえいえ、旗艦の役目として当たり前のことです」

 

 漣は謙遜したが、常に艦隊の僚艦全員に気を配っていたことで行うことのできた決断、といえるだろう。

 

「報告は以上ですが……どうしますか提督。やはり、不知火さんにも事情を伺いますか?」

 

「ああ……そうだな、そうしよう」

 

 確かにその必要がありそうだった。

 

「もし構わないようでしたら、私は席を外しますが」

 

「ん? どうしてだ? 漣は秘書艦だろう」

 

「だからですよ、提督。わたしは本日の秘書艦ですが、同時に艦隊旗艦だったのですよ? もしも不知火さんが本日の出撃失敗に責任をお感じになっているようでしたら――」

 

 ああ、なるほど。そういうことか。

 

「旗艦のわたしがいては報告しづらいこともあるのではないかと思いましたので」

 

 漣はよく気の回る出来た艦娘()だった。

 僕は漣の進言を採用し、不知火に一人で執務室に来てくれるように申し渡した。

 

      004

 

「失礼いたします、司令。不知火、参りました」

 

「ああ、楽にして構わないぞ。今日は出撃お疲れ様だった」

 

「いえ……作戦海域まで向かっておりませんから――失礼しました、司令のお言葉に反論するような発言をいたしました」

 

「あ、いや、全然気にしてない。むしろ、今日は災難だったな」

 

「それはどのような意味ですか」

 

「不知火の具合に気付けなくて悪かったな。……あれ、それとも(ボイラー)の出力不足か主機の回転不良だったのか?」

 

「整備妖精さんに非は全くありません。100%、完全に、一から兆まで全ては不知火の落ち度です」

 

「兆って……」

 

 桁が十一も違った。

 

「不知火の体調管理の不手際に他なりません」

 

「そうなのか……それなら、まあ、お前の責任だな」

 

 そういうことにするしかなかった。

 

「はい。なので不知火は、亀甲縛りであろうと蝋燭攻めであろうとどのような懲罰も受け入れる所存です」

 

「鎮守府の懲罰にどっちもないからな!」

 

幼気(いたいけ)な美少女を地下牢に押し込めてすることといえば、あとは三角木馬やスパンキングといったところでしょうか」

 

「営倉ってそういう場所じゃないからね!?」

 

「司令は高速回転三所攻めなどがお好みのようにお見受けいたしますが」

 

「その懲罰って僕が受ける話だったの?」

 

「え、不知火が嫌々そうしたプレイを司令に対して行なうことを強制させられるのではないのですか?」

 

 予想の斜め上過ぎだった。

 それって、不知火に対する懲罰というより僕に対する懲罰だろう、順当に考えて……。

 

「不知火の体調不良を看過してしまった司令が懲罰を受けるという話ではなかったのですね」

 

「なんでそれを僕が不知火に相談すると考えたんだ?」

 

 そうか、その点においては僕も責を負わなければならないのか。

 目から鱗だった。不意に剥がされた鱗だった。

 

「遺憾ながら、今は不知火に対する処罰の話だ。では、申し付ける」

 

「はい……」

 

 さすがに自覚はしていたのか、不知火は申し訳なさげに(こうべ)を垂れた。

 

「入渠して傷を治して、体調を万全にしろ。以上だ」

 

「え……?」

 

「次の出撃に備えろ、と言ってるんだ。それが今回の処罰だ」

 

 今回の不知火が厳罰に値するのなら、比例して僕だって厳罰ものである。

 それでなくても、今回の事がそれほど不知火を厳罰に処さなければならない事態であるとは僕には思えなかった。

 不知火は昨日着任したばかりなのだから。

 提督である僕に言い出し辛いことだったのだとも考えられる。

 他者との距離を掴むのが苦手なタイプなのかもしれない。

 事が艦娘の話である。リアルな距離感も把握できない性格であったら、航行中に味方艦と衝突することだってあり得ないとも限らない。

 一日でも早く、着任直後の緊張を解いてもらわなければならないのだ。

 

「了解いたしました。不知火は今回の処罰を重く受け止め、今後十分に留意いたします」

 

「ああ、そうしてもらえると助かる」

 

「では司令、これより不知火は入渠します」

 

「うん、ゆっくり修復に専念してくれ」

 

 僕は一息吐いて、どっかと執務椅子に腰を下ろした。

 

「何をしてるんですか。司令も来てください」

 

 不知火が僕のその行動に少々立腹した様子で言った。

 

「…………はあ?」

 

「というか――来なさい」

 

 しかも選択権をくれなかった。

 

「艦隊司令官が部下である艦娘の、その船体(からだ)の状態を知らないでどうしますか」

 

 その言葉はもっともだったが、いや、何かがおかしかった。

 

「不知火だけに――知らないでどうしますか?」

 

 言い直してきた。可笑しくなかった。

 

船渠(ドック)まで付いてきてください」

 

「……あ、もしかして場所が分からなかったのか?」

 

 何しろ昨日の着任である。無理もない話だ。

 要は案内してほしかったのか。照れ隠しもここまでくると可愛いを通り越してややこしい。

 

「そして、脱衣場で万遍なく不知火の船体(ボディ)を確認してください」

 

「なぜそうなる!?」

 

 更にややこしかった。通り越して意味が分からなかった。

 

「え、嬉しくないのですか? 男子禁制の女湯に、その脱衣場までとはいえおおっぴらに入れるチャンスですよ?」

 

 艦娘のお風呂場というべき船渠(ドック)内には修復妖精さん以外立ち入りが禁止されているが、それは脱衣場だって同じだろう。

 というか、そこは現実の男女別の入浴施設と同じ扱いだろう。

 

「もし不知火の申し出を拒否されるというならば、不知火には次善案を進言する用意がありますが」

 

「……一応、そちらも聞いておこうか」

 

「司令を担いで船渠(ドック)に向かいます。亀甲に縛り上げた上で」

 

「………………」

 

 もうそれ、ただ単に僕を亀甲縛りしたいだけなんじゃないだろうか。

 

「……わかったよ、付いていけばいいんだな」

 

「最初からそのような判断を下して頂ければいいのですよ」

 

 どうしてそこまでいわれなければならないのだろうか。提督が、駆逐艦娘に。

 ともあれ、僕は荒縄による恥ずかしい拘束を回避するために、椅子から立ち上がり、不知火の後を付いて船渠(ドック)へ向かうことになった。

 

      005

 

 二十分後。

 艦娘専用のお風呂場である船渠(ドック)。その脱衣場。

 僕はその部屋の中でしゃがみこみ、不知火の入渠が終わるのを待っていた。

 例え相手が艦娘とはいえ、僕は今、昨日知り合ったばかりの女の子が入浴を終えるのを脱衣場で待っているわけである。

 至って間抜けな光景である。滑稽ですらある。

 それ以上に。

 不知火の真意が分からない。

 普通の女性は――それが艦娘であっても、知り合ったばかりの男性に入浴直後の自分の姿を見せようとするのだろうか。

 不知火の考えていること、行っている行動の意味を量りかねている僕がそこにいた。

 僕には、わからない。

 僕にわかるような艦娘(かのじょ)じゃ――ないのだ。

 

「入渠、終了いたしました」

 

 不知火が船渠(ドック)から出てきた。

 

 すっぽんぽんだった。

 

「ぐあああっ!」

 

「そこをどいてください。服が取り出せません」

 

 平然と、不知火が、濡れた髪を鬱陶しそうにしながら、僕が背にしていた脱衣場の籠を指さす。

 

「服を着ろ服を!」

 

「だから今から着るんです」

 

「なんで今から着るんだ!」

 

「着るなと言うのですか?」

 

「着てろって言ってんだ!」

 

「司令は風呂桶に服を持って入るのですか?」

 

「だったらタオルで隠すとかしてくれ!」

 

「嫌ですね、そんな面倒臭い真似は」

 

 済ました顔で、堂々としたものだった。

 議論が無駄なことは(ボイラー)を見るよりも明らかだったので、僕は這いずるように籠の前から離れ、脱衣所備え付けの棚の前へと移動し、棚に置かれた籠の網目でも眺めていようと、そこに視点と思考を集中させた。

 ううううう。

 女性の全裸を――たとえ艦娘といえども――初めてみてしまった……。

 だ、だけれどなんかが違う。思っていたのとは違う。幻想なんか持っていたつもりは全くないけれど、僕が望んでいたのとは、僕が夢見ていたのとは、こんな、裸ん坊万歳のような、あけっぴろげな感じではなかったはずなのに……。

 

「司令はショーツとブラ、色を合わせた方がお好みですか?」

 

「知らねえよ……」

 

「といっても、今持ってきているのはセットものだから色も柄も一緒のものですけど」

 

「教えるなよ!」

 

「報告しているだけなのに、どうして大声でわめいたりするのですか。訳が分かりません。司令は更年期障害なのですか?」

 

 籠を引き摺る音。

 衣擦れの音。

 ああ、ダメだ。

 脳裏に焼き付いてしまって離れない。

 

「司令。まさか、不知火のヌードを見て欲情したのですか」

 

「仮にそうだったとしても僕の責任じゃない!」

 

「不知火に指一本でも触れてはなりませんよ。弾薬庫を爆発させてしまいますからね」

 

「あーあー、身持ちの堅い駆逐艦だな!」

 

「火元に居るのは司令ですよ?」

 

「マジでおっかねえ!」

 

 なんていうか。

 土台、艦娘を僕の視点で理解しようという方が、無理があるのかもしれなかった。

 人間が艦娘を理解できるわけがない。

 人間が人間を理解することすらできないというのに。

 そんなのは、当たり前のことなのに。

 

「もういいですよ。こちらを向いても」

 

「そうか、ったく……」

 

 僕は棚の籠から、不知火の方へと振り向いた。

 まだ下着姿だった。

 なのに、やたら戦場……扇情的なポーズを取っていた。

 

「何が目的なんだお前は!」

 

「昨日頂いた四連装魚雷発射管のお礼のつもりで大サービスをしているのですから、少しは喜んでください」

 

「………………」

 

 お礼のつもりだったとは。

 意味が分からないよ。

 どちらかといえば、お礼よりお詫び、謝罪と賠償を求めたい。

 

「少しは喜んでくださいよ!」

 

「逆切れされたっ!?」

 

「感想くらい言うのが礼儀ではありませんか?」

 

「か、感想って……っ!

 

 礼儀なのか?

 なんて言えばいいんだ?

 えーっと……。

 

「い、いい船体(からだ)してるね、とか……?」

 

「……つまらないわね。もっと程度の高い言葉を思いつかないの」

 

 不法投棄の廃鋼材を見るように唾棄された。

 いや、むしろ憐憫の入り混じった可哀そうなものを見る感じ。

 

「そんなことだから司令は未来永劫童貞なのだわ」

 

「未来永劫!? お前は未来から来た人なのか!?」

 

「唾を飛ばさないでください。童貞がうつりますから」

 

「艦娘に童貞がうつるか!」

 

 人間にだってうつってたまるものか。

 

「ていうかちょっと待て、さっきから僕が童貞であることを前提に話が進んでいるぞ!」

 

「だってそうではないのですか。司令の指定した水着を着て魚雷に跨らされた上、その身体を許す潜水艦娘なんて着任しないはずです」

 

「その発言に対する異議が二つあるっ! 僕はスクール水着フェチじゃないというのが一つ、そして資材を注ぎ込めばもしくはイベント海域突破のボーナスでいつか着任してくれる潜水艦娘だっているはずというのが二つ目だ!」

 

「一つ目があれば二つ目はいらないと不知火は進言します」

 

「…………」

 

 いらなかった。

 

「ですが、確かに偏見でものを言いました。訂正します」

 

「わかってくれればいいんだ」

 

「唾を飛ばさないでください。素人童貞がうつりますから」

 

「認めましょう、僕は素人も玄人も童貞です!」

 

 恥辱に満ちた告白をさせられた。

 しかもいつの間にか、潜水艦娘がとてもエロっ()扱いされていた。何だ? 潜水艦娘に何か恨みでもあるのか?

 不知火は満足そうに頷いた。

 

「最初から素直にそう言っておけばいいのです。こんなこと、喰らった砲弾や機雷が悉く不発で様々な海戦から帰還したことに匹敵する幸運なのですから、余計な口を叩くべきではありません」

 

「お前、雪風だったのか……?」

 

 ある意味で死神だった。

 

「それはそれとして」

 

 言いながら、籠から取り出した、白いシャツを、薄緑色のブラジャーの上から羽織る不知火。もう一度棚へ向いて籠の網目を眺めるのも馬鹿馬鹿しいので、僕はそんな不知火を、ただ、眺めるようにする。

 

「司令は不知火に失望したのではありませんか」

 

「え? 何故そうなるんだ?」

 

「不知火のスレンダー船体(ボディ)に対して、ではありませんよ?」

 

「それに関しちゃあえて何も考えないようにさせてくれよ!」

 

「本日の出撃結果に関して、です」

 

「…………」

 

 不知火の思わぬ問いに、僕は途惑う。

 そんな僕に構うことなく、不知火は着替えを続けている。不知火の言動と行動に不一致を感じずにはいられない。

 

「処女航海の出撃でまともな航行もできずに帰投した艦娘など、艦隊にとって役立たずでしょう」

 

 不知火は言葉を続けながら、シャツのボタンを最後まで留めると、それからベストを着るようだった。どうやら、下半身より先に上半身のコーディネイトを済ませてしまうつもりらしい。なるほど、服には一人一人、様々な着衣順があるものだがそれは艦娘も同じらしい。

 不知火は僕の視線など全く身にする様子も無く、むしろ僕に船体(からだ)の正面を向けて着衣を続けていた。

 

「言うなれば、初ベッドインで男性の“ナニ”を見て怯んでしまったのと同様です。動揺したのです」

 

「何でそこ、赤裸々な体験談のように言い直した! あと、何でちょっと掛け言葉を付け加えた!」

 

「航行の出来ない艦娘など、資材確保に解体されるくらいしか役に立ちません」

 

 言って――

 不知火は、ベストを脱ぎ始めた。

 

「折角着たのに、なんで脱ぐんだよ」

 

「髪を乾かすのを忘れていました」

 

「お前ひょっとしてただの馬鹿なんじゃないのか?」

 

「失礼なことを言わないでください。傷心の不知火をこれ以上傷付けて、その心の隙に付け入る気ですか?」

 

 僕が不知火の弱みに付け込み何か失礼を働くことが前提だった。

 不知火が鏡に向かって、ドライヤーで髪を乾かし始めた。念の入ったその様子から、身だしなみには気を遣う方のようだ。

 そういう目で見れば、なるほど、今不知火が着用している下着も相当にお洒落なそれであるようだった。

 しかしなぜだろう。今朝まではあれほど魅惑的に僕の趣味趣向の大半を占めていたその憧憬の対象が、今となってはもうただの布きれにしか思えない。

 なんだかものすごい勢いで、多大な心の傷を現在進行形で刻まれている気がする。

 

「もし生まれ変われるなら」

 

 そう言葉を呟いて、髪を乾かし終え、ドライヤーを置いて、不知火は再び、着衣を開始した。

 

「私は、艦娘になんてなりたくないです」

 

「…………」

 

「失礼――」

 

 不知火は、白いシャツに黒いベスト、赤いリボンタイ、そして、スパッツと二本のラインが入った黒のミニスカートを穿き、ようやく着衣を終えたところで、言った。

 

「――余計なことを口にしました」

 

      006

 

「はっはー、なるほどなるほどね。つまりは新米くんはそのお嬢ちゃんのことが気になって気になって仕方がないというわけだね。いや、こいつは全くの予想外だったよ。想定外だったよ。まさか、新米くんに惚気話を聞かされるとは思わなかったなあ」

 

「いや、だからそういう話じゃないんだって」

 

 夕方。西の空が輝きを増す頃。僕はある人物と携帯電話で会話をしていた。

 鎮守府内でも携帯電話やスマートフォンの利用は許可されている。だが、使用の制限はされている。

 そもそも、無線型の通信機器は傍受される危険性が高いため、使用できるのは憲兵の監視下にある一部施設内と決められている。赤レンガとの連絡など公式の通信には何重にも盗聴防止措置のされた有線電話が主に使われているくらいだ。

 だが、いま僕が持っているこの携帯電話は例外らしい。話し相手の人物はそう言っていた。

 だから、それが本当かどうかは定かではない。

 しかし、この携帯電話だけが今、現在通話中の相手である人物との連絡が出来る唯一の手段だった。

 なのでしかたなく、この携帯電話を使用している。話し相手も、しかたなく、携帯電話なんてものを使っている、と言っていた。

 

「まあ、そんなつもりはないだろうね、新米くんの場合。新米くんがどんな奴かは、僕はもう、それなりには理解をしているつもりだよ。ただ、もう少しばかり、新米くんは周りに気を配った方がいいだろうってこと。調子コイてるんじゃないんだったら、新米くん、余裕なくしちゃってるんじゃない? もしかして、テンパっちゃってるんじゃないのかい?」

 

「…………」

 

 この話し相手は、いつもこうやって僕に対して適当に思える言い回しを多用するので、僕は毎度その内容を咀嚼するのに時間がかかってしまう。

 

「しかし……そうだね、どっちかって言うと僕は人間とあちら側との橋渡しが役割であって、人間と艦娘との橋渡しは専門じゃないんだよなあ……はっはー。参ったな。どうしたもんか」

 

「……まあ、いきなりこんな話をした僕も安易だったと思うよ」

 

 しかし、こうした話を、相談を、聞いてもらう相手が僕にはいない。僕には提督友達が少ないのだ。やはり僕の提督ラブコメはまちがっているのかもしれない。いや、全くラブコメってないけど。

 

「けどまあ、今の話を聞かせてもらったわけだけれど、そいつは結構大変な事態になっちゃってるみたいじゃないのかい」

 

「え」

 

「ん? どうしたんだい、反応が悪いね――新米くん、きみはお嬢ちゃんのことが心配なんだろう? 違ったっけ?」

 

「いや、そうだけど――」

 

「時に新米くん、もしかしてお嬢ちゃんは、その駆逐艦娘は、通常の吃水線より沈んで航行していたりしてたんじゃないだろうね?」

 

「ああ、そういえば漣が――旗艦の艦娘がそんな報告をしていたけれど――」

 

 僕は漣の言葉にそうした内容が含まれていたことを思い返した。

 

「おいおいおい、新米くん。そいつは極めて重要な、それこそ一番先に言うべき内容じゃないのかい。そういうところがきみの、新米くんの気が回らないところだって言ってるんじゃないか」

 

 話し相手は、明らかに、呆れるように、厳しい言葉を言った。

 

「まあいいや。聞いてよかった。聞かせてもらってよかった。ある意味、僥倖とさえいえるタイミングだよ。いやいや、こいつは本当に幸運なんだよ、新米くん。きみにとっても、そのお嬢ちゃんにとっても、ね。むしろ、きみはそれを感じて僕に連絡を入れたとさえ思えるよ。違うかい?」

 

 見透かしたようなことを言う。

 僕にその心当たりはなかったのだけれど、確かに僕が相談を持ちかけたのは何かを感じていたのかもしれない。

 

「よしよし、良く分かった。必要なことには僕から手を回しておこう。何しろこいつは、緊急事態ともいえる状況だからね――非常事態ともいえるしね」

 

 だから、と話し相手は言葉を続けて。

 それから。

 

「今夜、きみはお嬢ちゃんを僕のところに連れてくるんだ」

 

 と、言った。

 




 反響に舞い上がり、調子に乗って続きを書きました。まさか、前回に続いて脳内の一晩でやってくれる人が頑張ってくれるとは。だらだらと三日くらいかけましたけど。
 しらぬいシリーズ、更に続きます。


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