エドガー視点
ネームレスのオペレータを担当する男。エドガー・アルベルト。
「……」
その男は今現在、ガラス越しに映る『漆黒の巨人』を目の前にして深く沈黙していた。
彼が今いるこの施設。そこは高さ約50m×50mほどの巨大な球体状の施設の内部であり……そこに立ち入る際は、コジマ対策である黄色い防護服の着用が義務付けられている。何故ならこの場所は先の巨人を収容するための施設であり、ある意味でコジマタンクの内部とも言える場所に他ならないからだ。
まぁそんなところに生身で来る馬鹿など居るはずもないのだが。つまり簡単に言えば、ここは。
「う~ん……ガレージで見ると、尚更ヤな雰囲気出してくるねぇ。この子は」
ネクスト機専用のガレージに他ならない。
エドガーの隣では同じく防護服に身を包んだ天才アーキテクト、アブ・マーシュがうんうんと頷きながらその巨人……搬入されたばかりのプロトタイプネクスト―――アレサを観察していた。
両名が立っているのは大体機体の頭部の高さに位置する外周沿いの一室であり、現状、そのアレサとまるで見つめ合うかの様な形で対面している状況である。
「不安かい?」
「……正直に言えば」
マーシュが問いかけにエドガーはそう答えた。
この怪物がラインアークに運ばれてきてから、誰よりも早く上層部……正確には、アブ・マーシュに呼ばれたのがこの男であった。エドガー自身プロトタイプネクストの存在は噂に聞いていたが、その機体を実際目の前にすると何と言うのか……迫力以前に、何とも言えない薄気味悪さを感じてならない。パッと見のイメージとしては何時かの不明ネクスト機『エイリアン』と似通っており、現行のネクストに比べて余りにも歪で、全体的に整っていないと言わざるを得なく……
この機体を前にすると、無性に心がざわついて仕方が無かった。
「僕もだよ」
「……」
「僕も不安さ。
「……ええ、そうですね」
確かに、それはそうだ。エドガーとしては今回の調節云々に関しては出る幕がないであろうことは自覚しているし、恐れている暇があるのなら自分にできる何か他の仕事を探し出した方が有意義であろう。ともすれば自身の低まりが周囲に伝染する可能性もある訳であるし。
「……ねぇ。エドガー君は、ゼン君についてどう思う?」
「どう思う、とは」
「彼について、君が知っていることを話してみて欲しいんだ」
「……」
マーシュからの突然の質問に、エドガーは困惑した。何故今このタイミングでこの質問をしたのか彼には理解出来なかったが……マーシュの目を見れば分かる。この質問にはきっと何か、重要な意味が込められているに違いなかった。故に、エドガーはゼンについて思いつくままの、正直な言葉を口に出そうとしたのだが。
「……」
出てこなかった。
いや、知っているはずだ。オペレータ職とは言え、輸送機に揺られ共に戦場へと向かった仲だ……エドガーはゼンの強さや優しさ、賢さを知っているはずだった。
だが、ここで。この質問をされたことで。逆に言えばそれ以外について殆ど何も知らない事に気が付いてしまったのだ。本名や出身、生い立ち。趣味、嗜好に至るまで。考えてみればこれまで、ゼンと言う男について詳しく知ることは無かった。エドガー自身、それらの情報はゼンが話してくれるまで待つ算段ではあったのだが……
今日日ここに来るまで、あの男は自分自身についての情報をほとんど喋ることは――――――
「ゼン君はさ。良い奴だよねぇ」
「……ええ」
「彼がリンクスじゃなければ、きっと」
「存外、普通に暮らしていたやも知れません。まぁ、日常をどう過ごしていたのかに関しては、想像するのがやや難しくありますが」
ふふふ。とマーシュは小さく笑う。
「でも、生き辛くはあるだろうねぇ。口調だったり、身体の動かし方だったり……彼の立ち振舞いには強さを感じさせるものがある。本人の性格はさておき、大多数の人間は彼を見てまず勘違いするだろう。あの人は、怖い人だとね」
「戦いが身近にある我々ですら、ゼンに最初会った時はそう感じました。今でこそ多少はゼンの性格を理解しているつもりですが……クレイドルの中、それこそスクールなんぞに通っていたら爪弾きにされていたやも」
「弾いた爪の方が割れちゃいそうだけどねぇ。ふふふ」
「ふっ……確かに」
先の通りこんな話は想像に過ぎないが、ゼンのことである。どんな困難が待ち構えていても、あの男は諦めたりしないであろうし、勝ちはともかく負けはしないように動くはずだ。実際これまでの戦いでも……いや、まぁ、何度かしてやられたことはあったにしろ、少なくともエドガーの中ではゼンが負けたことにはなってない。
「しかし……だとした場合、有り得るのか」
「何がだい?」
「あれほどの男が、日常の中に存在するなど」
「うーん成る程。中々興味深い話だねぇ」
エドガーの呟きに、マーシュは腕を組みつつ答える。
「つまりエドガー君は、『戦闘時における優位性を瞬時に獲得出来る人間を造り上げれるのか』を考えている訳だ。それこそ、争いとは……殺し合いとは無縁な生活をしている人間に」
「その通りです」
ゼンのあの立ち振舞い。隠しきれない威圧感や窮地に立たされてもパニックにならず、どうにか生を繋ぎ止めることの出来る……メンタルや知能を含めた『生存技術』とでも言おうか。それらはエドガー等戦闘員からすれば、どう見ても争いを前提として育まれた、あるいは教育されてきたものにしか見えなかった。例えば、本当の争いを知らぬクレイドルの住人の中にその様な人間が生まれる、作ることは果たして可能なのか。
エドガーには、それがふと気になったのだ。
「無理では、ないんじゃあないかな」
「それは……」
「まぁ、ただ。君の思っている通りそれは不可能に近いだろうね。彼らの、クレイドルの住人の『日常』は僕らのそれとはかけ離れている。とてもとても、残酷なまでに優しい世界なんだよ。それこそ、全てを忘れ去ることが出来るくらいに」
「……」
マーシュは続ける。
「優しさはあるいは、どこからか入り込む。彼らの世界で普通に近ければ近い程にね」
「……」
「判るかい?彼らの世界で、『ゼン君のような何か』を造り上げると言うことは、ある種の狂気じみた出来事に他ならない。殺し合いとは無縁なのに、殺し合いへの体勢は万全なんて……仮に誰かがそう教育し、挙げ句の果てに育成に成功するなんて」
「……異常、ですね。確かに」
マーシュの言わんとしていることは最もだ。
平和な日常の中で殺し合いに対しての訓練を行うなんて、ほぼ100%が無駄な労力に終わるに違いない。そんな力や覚悟、精神力を養う意味が無いし、第一それを完璧なまでに育もうとすればするほどに、心は壊れていく。それこそ、彼らの『日常』から溢れ出る優しさを知っていればいる程に、それにすがり付きたくなるはずだ。
つまり『日常』が近いほどに、ゼンは遠くなる。
「だからさ。ゼン君を造るなら最初から『そう言った環境』が必要なはずなんだよ。普通ならねぇ」
「では……仮に平和な日常を享受しつつ、それでも尚あの強靭な精神力、力を手に入れることが出来たのなら」
それは……と、エドガーは一呼吸置き。
「怪物だよ」
マーシュは言い切った。
「教育者もさることながら、当の本人は計り知れない、理解不能の何かさ」
「……」
「ふむ……そうだねぇ。エドガー君はコミック漫画なんかは読むかい?」
「いえ、あまり」
あらら。と言う風に首をすくめるマーシュ。
「とにかく。彼ら漫画の主人公の典型的な例に、『平和な世界から、いきなり殺し合いじみた争いに巻き込まれる』と言うものがあるんだけど」
「所謂、王道……ともとれる話、ですか?」
「そうだねぇ。その主人公達は、争いと共に成長し、やがてその力を持ってして悪を討ち滅ぼしたりする訳さ」
「……」
エドガーには分かる。この話は、つまり……
「彼らも、怪物だと?」
「に、見えないかい?平和な世界から一転、突如殺し合いの螺旋に巻き込まれて、それにもめげずひたすら戦いに身を投じる……いやいやぁ。いろんな意味で一般人には大分厳しいと思うけど、どうかな?」
訓練を積んだ軍人でさえ、戦場に一度でも行けば『心的外傷後ストレス障害(PTSD)』を発症する可能性は大いにある。それが平和な日常から巻き込まれた一般人なら……果たしてその恐怖に立ち向かえるだろうか。心が弱って、すり減って……何もかもが暗闇に閉ざされてしまわないだろうか。もはや、神にすら救いを求めてもおかしくはないのではないのか。
そう。
「だからこそ、主人公たり得るのかも知れないけどね」
「……希望の象徴こそが本物の怪物だった。なんて笑い話にもなりませんよ」
「はっは。いやまぁ、あくまでも僕の意見だからねぇ。参考までにしておくれよ」
「ふぅ……」
全く、嫌な話を聞いてしまったとエドガーは思う。
日常から怪物が生まれるのか、と言う題材からまさか漫画の王道主人公こそが怪物と言う意見を聞くとは。コミック雑誌はあまり読まないエドガーではあるが、これからは彼ら主人公のことを色眼鏡で見てしまいそうで多少の自己嫌悪に陥ってしまうところである。
「ま、とにもかくにも話を戻して。ゼン君みたいな存在が平和な日常から出てくる可能性は極めて低いんじゃないかな」
やはりそうなるか。そうエドガーは納得した。
まぁ、ゼンの場合はあの男の組織が予め環境を設定、意図的に怪物として造り上げたに違いない訳であるし……日常からの発生(イレギュラー)に比べては薄気味悪さと言うものをエドガー自身ほとんど感じていない。と、言うよりゼンの優しさに触れている者なら、それを考えることすら忘れてしまうのではないだろうかと思ってしまう。
「エドガー君」
「なんでしょうか」
「後でさ、改めて二人でゼン君に聞いてみないかい?『貴方のことを教えてほしい』って」
「……我々には。自分には、それが許されるのか……」
エドガーには分からない。自らがあの男の情報を知るに値するのかどうかが、分からないのだ。
むしろ、自分には荷が重すぎると判断し、今までゼン自身の情報を知ることは意図的に避けてすらきた次第である……それはある意味でゼンから逃げているのと同義とも言えるだろう。
恐らくラインアーク内にて、『ゼンに親しい側の人間』であることをエドガーは自覚している。しかし、だからと言ってあの男のオペレーターとして、頼れる相棒として存在出来ているのか……エドガー・アルベルトと言う人間が、必ずしもゼンの近くに居る必要性があるとはとても思えなかった。別段、自らが存在しなくともあの怪物は上手くやるであろうことは予測に難くなかった。
「君はゼン君に好かれているよ」
浮かない顔をするエドガーに、マーシュは優しく言葉を紡ぐ。
「何かを心配している様子だけれど。ま、君の身に何かあったらゼン君は大激怒するレベルだろうねぇ」
「……くく。それ程ではないでしょうに」
エドガーは笑いながら答える。例え好かれているとしても、まさか自分がケガした程度で取り乱すような男とは到底思えなかったからだ。と言うか、適当な場所でのたれ死んだとしても……まぁ、ゼンと言う男は中々どうして優しい男だ。悲しむくらいはしてくれそうではあるが。
「ふむ。君は自らの価値をもっとよく自覚するべきだねぇ」
「自分はただの一兵士に他なりません。ここ最近はめっきりではありますが、ついこの間まで毎日MTに乗って……」
「今は違う。君は今や、一枚の切り札と言える存在さ」
「……自分が?」
マーシュには悪いが、エドガー自身にはどうしてもそう思えない。一体、自分の何が。
「君はきっと、この世界で最も特別な人間の一人だよ」
それは、とても澄んだ声だった。何かを確信している様な……未来を見据えているような……
「君の価値はもはや、空の『老人』達ですら比にならない」
何かを恐れているような。そんな、声だった。
「……貴方が、何を言っているのか自分には」
「じき分かるさ。ここだけの話、僕は君こそが……おっと」
何かを言いかけたマーシュは、思い出した様に自身の左腕を見やった。この動作は。
「時間が迫っているねぇ。『調整』の」
「行きます、か」
「うん。ゼン君を迎えに……そして手始めに自己紹介から始めるとしよう」
「……クックッ」
成る程。まずは自分のことから話さないと、相手の情報を得るのは難しい。
マーシュは踵を返すようにして目の前のガラス窓から体を反転、てくてくと室内の出口へと向かっていく。そんな姿を見つつエドガーは苦笑すると、マーシュに続くようにして出口に歩みを進めるが……そのドアをくぐる直前、再度振り向くようにしてガラス窓に、『漆黒の巨人』に一瞥をくれた。
そしてふと思う。
「一体……」
この世界は、何を中心にして動いているのだろうと。