アブ・マーシュ視点
ゼンが席を立ち、扉から出て行く。
その背中を見守る最中、マーシュはとある事を考えていた。そしてゼンの姿が完全に見えなくなったのを確認するとエドガーに向かって質問を飛ばす。
「エドガー君。君達と話をしていた時に、ゼン君は何か重要な事を言ってたみたいだけど」
「……」
「もしよければ、僕にもそれが何だったのかを教えて貰えないかい?」
「…それは」
しかし、何やら話すのを渋っている様子だ。
何せマーシュの所属はあくまでもアスピナ機関。つまりは立場上ラインアークと仇なす企業側に位置している訳だ。今日初めて会った人間…しかも『外部の人間』に対し、そう簡単に警戒心を解くはずも無いか。
だが
「心配は要りません。彼は信用に値する人物です」
「お、フィオナちゃんが僕の肩を持つなんて珍しいねぇ」
「…事実を述べただけです。普段の行動からは想像が付きづらいでしょうが」
「フフフ…」
『上司』直々の指示なら話は別。しかも自分は中々に高評価を頂いている模様だ…個人的には、普段から信用を得られるような行動を心掛けているつもりなのだが。
「それで、ゼン君は一体何と?」
「…それが―――」
『上』の人物にそう言われてしまっては仕方がないと判断したのか、エドガーはゼンから聞いた話をマーシュへと伝える。
そうして話をすべて聞き終えたマーシュは一人ポツリと呟いた。
「これはまた…とんでもない事だねぇ」
まさかゼンに『元々AMS適性が無かった』とは…これは少しばかり予測出来なかった。
エドガー曰く「ゼンが嘘をついている様には見えなかった」との事だが…まあ、こんな非現実的な話だ。嘘をつくにしてももう少しマシな嘘をつくはず。
(それにこの話はゼン君から切り出してきたらしいし…)
ゼンの立場上、普通なら自身の出自に関わる話題はなるべく避けたいと思うはず。状況を整理するにどうやらその可能性は低そうだ。
「フィオナちゃんはそう言う話を聞いたことがあるかい?」
「…いえ、その様な話は一切。初耳です」
(…だろうねぇ)
AMS技術の最先端を担うとされているアスピナ機関にすらそんな情報は入ってきていない。適性の付与…マーシュ個人としては非常に興味深くはあるのだが、かなり危険な技術だ。もし流出しようものなら企業間の争いは更に加速、地上の汚染もそれに比例する様にさらに深刻化するであろう。
「でも…そう簡単にいくかな?」
「…と言うと?」
マーシュは茶色の箱の中に納まっている立体パズルのうち一つを手に取る。
「これ、良くできてるよねぇ。フィオナちゃん、君がゼン君に『以前からこのような物を?』と聞いたのを覚えているかい?」
「ええ」
「その際ゼン君はこう答えたんだよ『子供の頃からこれと似たものを使用していた』って。つまりは―――」
「…AMS適性を付与する為には、何らかの〝土台作り〟が必要だと言う事ですか」
「おお、エドガー君。君も中々に察しが良いねぇ。さすがはゼン君にオペレータとして指定されるだけはある!」
エドガーの言う通り、恐らくはAMS適性の付与を可能にするためには『其れなりの労力』を費やさなければ為らないはずだ。ゼンが子供の頃からこの様な物を使用させられてたのは、その〝土台作り〟に密接にかかわっているからだろう。
それにゼンの他に「もう一人」しか居ないと言うのもおかしい。もうゼンと言う成功例が居るのだから、リンクスを作りたいのならその方法をなぞれば良いだけのはず…
「ま、僕らの様な『既に大人になっている』人間への付与は難しいんじゃないかな。恐らくは『子供の頃』からそれに向けての開発をしなければ為らないんだと思うよ」
「成る程…それは分かりましたが。マーシュさん? 私はエドガー・アルベルトが『ゼンのオペレータ』だと言った覚えは有りませんが?」
「…後、もう少し気になる事もあるよね!」
フィオナの指摘をスルーしつつ話題を進めるマーシュ。AMS適性云々の話は興味深くはあるが、それ以外にも気になる事がある。それが何なのかと言うと
「エンブレムを見たゼン君の反応」
ゼンのエンブレムを見た直後の反応。あれは明らかに普通では無かった。こちらの呼びかけ…それこそ〝大声〟であったにも関わらずそれには一切反応せず、自分の世界へと入り込んでいた。
加えてはあの―――
「ゼンさん…人が変わった様な感じでしたね」
「そうだねぇ…君、アイラちゃんだっけ? ゼン君の事を良く見ているね。関心するよ」
「…え!? よよ、良く見てるだなんてそ、そんな事…」
「『黒い鉄格子のなかで私は生まれてきた』」
「…隊長?」
「ゼンの呟いたあの言葉だ。確かに『一人称』が違う。ゼンの一人称は〝私〟では無く〝俺〟だ」
あの時ゼン本人はその事に気が付いていただろうか? 「人が変わった様に」とは良く言うが、一人称まで変わると言うのはあまり聞かない。
昔、つまりはラインアークを訪れる前の呼称が「私」だったのか…
「それにあの突発的な頭痛。あれも気になるねぇ…あれはもしやすると以前の事を思い出したくは無いという―――所謂、『防衛反応』なのかもしれない」
「ゼンさん…でも、どうして。リンクスって皆大切に扱われるものじゃないんですか?」
「彼の場合は色々と特殊すぎてねぇ。何せ『適性の付与』なんて不可能と言われていた計画の被験者だ。それが成功するまでにどんな扱いを受けてきたか…もしやすると、実験動物の様に扱われていたとしても不思議では無いよ」
「そ、そんな…」
アイラは悲痛な表情を浮かべた。マーシュはそんなアイラの事を慰めるかの様に、肩に手を置くと、机の上に広げられたエンブレムへと視線を移す。
…やはり、一番目を引くのは檻の中にうずくまっている異形な生物だ。
「『Name Less』ねぇ…ゼン君が言った『名前の無い怪物』。これがゼン君自身の事を表している事は分かるんだけど…。となると他は一体何を表しているのか」
あの反応を見るに、エンブレムがここに来る以前の事を連想させたのは確実だろう。
檻は…ここに来る以前の〝組織〟の事か? それともその境遇? ゼンは『檻の中』の様なえらく閉鎖的な環境下に置かれていたのだろうか。
となると鎖の方は何を示しているのか。「記憶」か…わざわざゼンに荷物を届けたのは、そこでの出来事を忘れさせない様にする為の―――
―――無意味です。
マーシュがゼンの背景を推測する最中、一つの男の声が挙がった。その男の名は
「…エドガー君」
ラインアーク第一MT部隊隊長。〝エドガー・アルベルト〟
「ゼンに対し『檻』や『鎖』など…何の意味も為しません。確かに、多少の動きは制限出来るやもしれませんが…断言します」
「あの男が本気になれば―――鎖を千切り、檻を抜け出すなど容易い」
エドガーは言いきった。何のためらいも無く、『ゼンにはそんな物は無意味だ』と。
それを聞いたマーシュは自身がある思い違いをしていた事に気が付く。何時の間にやら、考えの対象がゼンから〝一般人〟にすり替わっていたのだ。
普通の人間なら、その組織の『影』に縛られてしまうかもしれない。だがあの男の場合は…
「…ふふふ。まあ、確かに。彼ならそれ位やってのけそうだねぇ」
そしてマーシュがそう言ったのとほぼ同時、昼休憩の終わりを告げる鐘が鳴った。
「そう言う事です。…では、我々は自分の持ち場に戻りますので」
「ああ、頑張ってね」
「お前達、さっさと片付けてすぐ行くぞ」
「「「了解です」」」
「あっ…途中から食べるの忘れてた…」
「アイラ…何をやっているんだお前は」
皆はトレイを片付け、それぞれの部隊の仲間同士で集まりだす。ゼンの時と同様に、一人、また一人と扉から出て行くのを見守る。
そして食堂内の残されたのがフィオナと二人だけになったのを確認すると何気なく会話を始めた。
『笑顔で』
「ねぇ。一つ良いかな?」
「…何でしょう」
露骨に嫌そうな顔をするフィオナ。
「僕、ここにしばらく滞在する予定なんだけど」
「…アスピナ機関への連絡は?」
マーシュは即座に白衣のポケットから携帯端末を取り出し電話をかけた。フィオナの目じりがピクピクと動いている事から残された時間は残り僅かである事が分かる。しかし焦ってはいけない…焦りは行動から洗練さを遠ざける。
電話はワンコールで通じた。
それが通じるやいなや向こう側から何やら小言を言われたりもしたが、それを無視して用件だけを素早く告げると強制的に電話を切る―――一切の無駄が省かれ、もはや『完成』された動作。この間実に10秒程の出来事である。
「…良いって!」
「……」
答えは沈黙。
フィオナは沈黙を貫き通していた。マズイ、このままでは『お説教』が飛んでくる。そう判断したマーシュはその天才的な頭脳を駆使し、どうすればこの状況を突破できるのかを考えた。当然「アスピナに帰る」と言う解は無しで。
そして最もその可能性の高い解答にたどり着く。まあ、それでも導き出された成功確率は10%以下だったが…
しかしマーシュは諦めない。諦めずに行動を起こせば大抵の事は何とかなる事もまた、マーシュは知っていたから。そう、諦めずに行動を起こせば
「フィオナちゃんは怒った顔もかわいいn」
「マーシュさん! 貴方はどうして毎回そう、事前に連絡を取ると言う事を怠るんですか!! 大体今回の突然の来訪も―――」
が……駄目っ……!!