すると当然、ケータイの電波は通じなくなります。けど駅に着いた時、それまで圏外って表示されてたケータイのアンテナが、一本立ったんです。
酔ってたもんですから、私は歓喜して叫びました。ええ、酔ってましたから。
酔ってたからなんです。私が、電車の中で、
「電波キターーー(゚∀゚)ーーー!!」
と叫んだのは。
……周りの乗客の目が、ものすごく冷たかったです。
「いやあ、サイレント・ゼフィルスは強敵だったね」
「…………」
「…………」
部屋に入ると、先に来ていた如月社長が開口一番そう言った。
なんだろう、なんかものすっごいイラッと来た。なので無視して、用意されていた椅子に座る。
「っ、つぅ……」
「セシリア、大丈夫か?」
「っ、はい……本音さんのおかげで、だいぶ楽になりましたわ」
セシリアが辛そうに顔を歪めて、左腕を押さえる。そこは襲撃者に刺されたところだ。包帯で覆われた左腕の下には、しかし目に見える傷はないことを知っている。
「いやいや、本音君には驚かされるよ。〔十六夜〕は機械用に造ったのに、まさか人間の体でも同じことをやって見せるとはねえ」
「ええ……見る見るうちに傷が塞がっていく様は、活性化再生治療でも見られないでしょうね」
一体のほほんさんが何をしたのかと言うと、ボロボロになって帰還したセシリアに駆け寄って、十六夜を起動したのだ。そして十六夜がセシリアの傷を調べると、球体の中から針を伸ばして傷口をなぞり始めた。するとなぞった箇所から、傷が塞がっていったのだ。
『細胞単位で縫い合わせてるんだよ~。食堂のおばちゃんから捨てるお肉を分けてもらって、練習してたんだ~。骨とか神経とかは、難しくてできないんだけど~』
とのことであった。その姿を、みんな感動した面持ちで見ていた。
『まあ~、生きてる人でやるのは、初めてなんだけどね~』
と続いた時には、セシリアの顔が盛大に歪んだのは言うまでもない。
けど結果的に、なんの問題もなく成功したわけで。ただあくまで縫い合わせただけで、完全にくっついたわけではないから、無理するとまた傷が開くと念を押されはしたが。
「……ところで如月社長。よろしいのですか?」
「うん? 何が?」
「ブルー・ティアーズが、月船を取り込んでしまいましたでしょう? 勝手なことをして……」
「ああ、気にしなくていいよ。武器なら
「……ありがとうございます」
「……ブルー・ティアーズ……昴、か」
昴とは、無数の恒星から成る、プレアデス星団の和名だ。その中でも、特に強い輝きを放つ六個の星を指すことから、
あの巨大な、翼みたいな六基のビットからそう名づけたのだろう。プレアデスじゃなく和名にしたのは、二次移行の際に取り込んだ月船のことがあるからか。
「まあ、僕らの唯一の信条は、造った物は必ず使い切るというだけだからねえ。その点君は、十分に使いきれると思うよ。……安心して託せるよ、オルコット君。精々、こき使ってやってくれたまえ」
「……はい。お任せを」
――そんなことを話しながら、千冬姉が来るのを待っている。
俺とセシリア、そして如月社長が今居るのは、キャノンボール・ファストの舞台である競技場の一室。比較的セキュリティの高いそこに色々とプログラムを詰め込んで、即席の取調室にしたらしい。正式な場所へと移動する時間とリスクすら惜しむんだから、相当に重大な事態だということは、流石の俺でも想像が付く。
「……なんだったんだよ、アイツ」
「うん? アイツって?」
「今日襲って来た奴以外に、誰がいるんだよ」
「
「「…………」」
そんなことは、訊かなくたってわかってる。だから俺が聞きたいことは、そんなことじゃない。
「……織斑君、オルコット君。君たちが僕に求めていることは、わかっているつもりだよ。けれど、僕は人間だ。全知全能の神様なんかじゃあない。なんでもかんでも知ってて、訊けば答えてくれると思ったら大間違いだよ」
「……悪かったよ」
「謝る必要なんかないさ。君たちはまだまだ子供なんだ、大人を頼りたくなるのはしょうがないよ」
「そういう理由でアンタに訊いたって思われるのはかなり嫌だから、さっきの質問はただの気の迷いってことにしてくれないかな」
「おおっと、これは失敬」
少し前に見た光景が頭から離れず、如月社長に訊いてしまった。アレは一体、どういうことなんだ、と。
俺はまだかなり混乱してて、それは多分セシリアも同じだ。だけどどう考えたって、この問題の答えは他人に求めるべきじゃない。少なくとも、まずは千冬姉と話さなくちゃいけない。
「……一夏さん」
「……ああ。わかってる」
セシリアが、気遣うように声を掛けてくる。俺はそれに、心ここに有らずという感じの返事しかできなかった。
……あの後。俺とセシリアが襲撃者の顔を見て呆然としている隙に、奴は去ってしまった。追わなくちゃ、とは思ったが……体が、動かなかった。
それくらい、衝撃的なことだったんだ。
なんだったんだ、アレは。
誰なんだ、アイツは。
あの、千冬姉と瓜二つの――
「遅くなった」
「っ!」
思考に沈み込んでいたら、千冬姉の声で現実に引き戻された。はっ、と顔を上げると、千冬姉は如月社長に一礼しているところだった。
「如月社長も、お忙しいところ申し訳ありません」
「いやいや、僕が自分で首を突っ込んだんだから、当然だよ」
「分かっていただけているのでしたら結構です」
一応相手が外部の人間で、しかも社長という立場に居るからか、千冬姉は如月社長に対して敬語を使う。けど言葉の端々に険がある。如月社長の無茶苦茶ぶりには、俺たち以上に振り回されてるんだろう。
「織斑、オルコット。今回の事について、お前たちは取り調べを受けるだろう。如月社長、あなたもです」
「おお、取調べ。カツ丼は出るのかな?」
「出ません」
「そりゃ残念」
こんな時でも、如月社長はペースを崩さない。千冬姉は右手で頭を押さえ、指先でこめかみをトントンと叩いている。
「……命令も許可もなしでの市街地での戦闘だ、その判断が適切であったかが焦点になるだろうな」
「適切か、どうか……?」
「オルコットはイギリスの代表候補生、織斑は日本人ではあるが、IS乗りとしての所属は決まっていない。そんなお前たちの行動が適切ではなかったと判断されれば、日本政府はイギリス政府に対し、一つ交渉材料を得ることになる。上手く運べば貸しに出来る。それが狙いだ」
「……ふざけやがって、大事件だぞ。それを、そんなことにっ……」
「だがっ」
俺が激昂しかけたところで、千冬姉が鋭い声を発した。頭に上りかけてた血が引いていき、熱が冷めていく。
「……だが、そんなことにはならん。代表候補生とは言え、軍属ではない。政府が管理・保護・援助しているというだけで、飽くまでも民間人だ」
「……ええと……つまり?」
「そもそも、所属不明ISの侵入を許したのは誰の責任だ? 狙撃されるまで気づかなかったのはお前たちだけか? しばらく街にとどまっていた侵入者を、みすみす逃がしたのは?」
「「…………」」
「そう、落ち度で言えば、日本政府の方が遥かに大きい。そのせいで四人の代表候補生が、危うく大怪我をするところだった。連中は貸しを作りたいのではなく、むしろ借りにならないようにしたいのだろうな」
「なるほど……」
「……どっちにしろ、汚いやり口には変わりないじゃないか」
ぎゅうぅ……と、拳を握り締める。千冬姉はそんな俺をちらと見て、次いでセシリアを見た。
「オルコット。お前は奴を捕らえるための時間を十分に稼いだ。街の被害を最小限に抑えた。それでも奴を取り逃がしたのは、政府の対応がのろまだったからだ。お前の責任ではない」
「あ……」
「オルコット。お前は良くやった。最善を尽くしたと言ってもいい。だから安心しろ、それでも彼らが、お前の責任を問うと言うのなら――私も、それ相応の態度を取るだけだ」
「……ありがとうございます」
セシリアは感動して、頭を下げる。何せ世界最強、ブリュンヒルデの言葉だ。これほど心強い味方もないだろう。
「織斑も。倒し損ねたとは言え、イギリスから預かった大事な生徒を良く守った。上出来だ」
「……ああ」
「ところで、僕はなんで呼ばれたのかな?」
「あなたは裏で何かやっていたのではないかと警戒されているだけです。まあ、かと言って何を訊いても無駄だとは、連中も分かっているでしょう。ただ形式的に呼ばれただけです」
「あらま、それじゃすぐに終わっちゃうのか、僕の取調べは。カツ丼食べたかったのに」
「出ないと言ったでしょう」
また頭を抱える千冬姉。ホントに頭痛そうだ。
「……そろそろ、取調官が到着する頃だろう。安心しろ、訊かれたことには素直に答えれば、何も問題はない」
「「わかりました」」
「では、私は戻る。まだやることが山積みなんだ。……如月社長、これで失礼します」
「うん。お大事に」
「…………」
誰のせいで頭痛がすると思っているのか――そう言いたげな眼で如月社長を見てから、千冬姉は部屋を出て行く。
その、前に。
一つだけ、訊かなきゃいけないことが、ある。
「ち……千冬姉」
「なんだ?」
何でもないように、千冬姉は振り向いて。
よほど深刻な顔をしていたのだろう、俺を見て、少しだけ目を見開いた。
「あ……あのさ」
「……どうした」
「俺、千冬姉の他に……姉か妹は、いないよな?」
そう訊くと。
千冬姉の、顔から。
表情が、消えた。
「……何?」
「え、いや、だから……」
温かさもなければ、冷たさもない。温度という概念が突如として消失したかのような、そんな、空っぽの表情。
そんな顔は、今まで見たことがない。千冬姉に限らず、他のどの人でも。普段から無表情な、シンですらも。
「俺に、他にも姉か、妹が――」
「いない」
「……え?」
発されたのは、否定の言葉。その声にもやっぱり、温度はなくて。
「それだけか? なら、もう行くぞ」
「あ……うん」
だから、それ以上訊けなかった。
……とても、訊く気にはなれなかった。
訊いてはいけないと、感じたから。
――――――――――
「ハッピー・バースデイ! おっりぃぃぃぃぃむらくぅぅぅぅぅンッッッ!!」
「……………………」
取調べは、千冬姉の言う通り問題なく終わった。……正直に言うべきだったのかもしれないけど、襲撃者の顔を見たか、という質問にだけはごまかして答えたが、怪しまれることはなかった。
「なんで……居やがる」
「いやなに、僕も呼ばれてねえ、唐沢さんに」
「唐沢さん……なんてことをしてくれたんだ……」
というわけで今俺は、唐沢さんの孤児院で誕生日パーティーを開いてもらってる。そしてその会場であるリビングの扉を開くと、如月社長がものすっげえハイテンションで出迎えたのだ。最悪の気分である。
なので人生で初めて、唐沢さんに恨みがましい目を向けてしまった。
「あはは、確かに変わった人だけど、悪い人ではなさそうだし。真改もお世話になってるしね」
「ぐぬぅ……」
確かにシンは、如月社長に少なからず世話になってる。リビングの中を見渡せば、先に集まっていた学園のみんなはともかく、孤児院のみんなや俺の中学時代の友達たちは如月社長に対してそんなに悪い印象を持っていないようだった。
……みんな、騙されてるぞ。コイツはそんじょそこらの悪人より、よっぽど質が悪いってのに。
「織斑君にはいつも迷惑をかけているからねえ。今日はそのお詫びも兼ねて、君に誕生日プレゼントを持ってきたんだ」
「持って帰れ」
「ままそう言わずに。ジャジャーン!」
そんな効果音を自分で言って、懐から取り出したのは。
「……眼鏡?」
そう、眼鏡だった。黒くて細いフレームの、なかなかにセンスを感じる眼鏡。
「……俺、目は悪くないんだけど」
「そんなことはわかっているさ、度は入ってないよ。織斑君、君はもう少し、自分の立場を知るべきだよ」
「なんだって?」
そこで如月社長は、真剣な顔になる。
「織斑君。君は今、世界一有名な少年だ。世界で他に例のない、ただ一人の男性IS操縦者。それが素顔で街を歩くなんてのは、あまり褒められたものじゃない」
「む……確かに……」
如月社長の言う通り、街を歩いてて声をかけられることは何度かあった。老若男女を問わず、応援の言葉だったり罵声だったり恨み言だったり、わけのわからないスカウトだったり。うっとうしいと感じたことは少なくない。
「そこで、この眼鏡さ。変装としては初歩だけど、見慣れない顔じゃあ眼鏡や帽子だけでも結構効果があるものだよ」
「へえ……」
なんとなく納得して、手渡された眼鏡をかけてみる。
「もちろん、ただの眼鏡じゃないよ。紫外線や赤外線も見えるし、暗視装置、それに音波の反射を視覚化する機能も備わっているのさ!」
「お……おおっ!?」
如月社長が何か操作しているのだろう、視界が何度も切り替わり、その度に新しい光景が見える。
むぅ……これはなかなか面白いな。
「へえ、すごいな……これはスグレモ「さぁらぁにぃ!! 全世界の男子垂涎、対象の衣服が透けて見える透視機能も」ぃぃいらねえええぇぇぇぇぇぇっ!!!」
その瞬間、俺はゴリラ並みの握力を発揮し、その眼鏡を握りつぶした。
……あっぶねえ、たまたま視線の先に居たシンの服が透けて肌色が見え始めた時は心臓が止まるかと思ったぞ!
「なんてモンを作ってんだよてめえはああああああああ!!」
「おや、お気に召さなかったかね?」
「あったりまえだ!! ふざけるのも大概にしろっ!!」
如月社長の胸倉を掴んでガクガクと揺さぶっていると、背後から地鳴りのように低い声が聞こえた。
「いぃ~ちぃ~かぁ~……」
「いやおい待て、今のはどう考えても俺のせいじゃないだろ!?」
「アンタ今、シンの方向いてたわよねえ?」
「見たか? おい一夏、見たのか?」
「見てない! ヤバイところは見てないって!」
「ヤバくねえところは見たってことかああああああああああ!!!」
突然、怒号と共に締め上げられる。額に盛大に青筋を浮かべた宗太の仕業であった。
「おいイチ兄、どうなんだ!? ええおいゴルァァァァッ!!」
「ちょ、宗太……お、おちつ……いき、できな……」
次第に薄れゆく意識の中、伸ばした手の先では。
シンが、呑気にお茶をすすっていた。
……おかしい。これは俺の誕生日パーティーのはずなのに、なんで俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ。
そんなことを思いながら、クラッカーが破裂する音を聞いた。次いで、「誕生日おめでとう」の言葉も。
……こんな状態から、パーティー始めるのか……。
なんか色々、納得いかねえ――ガクッ。
――――――――――
ドイツの某所。極々一部の者以外、国の指導者にすら知らされていないほどの、極秘研究所。
そこを、ISを展開した女が一人、歩いていた。
「……ったく、楽な仕事だぜ。極秘にするために、サンプル用以外のISすら配備されていないってんだから、しょうがねえっちゃしょうがねえが……」
女は、
「文句はねえよな? 殺してるんだ、殺されもする……だろう?」
返事など、当然ある筈もない。オータムは舌打ちを一つして、床に転がっていた電子レポートを読み込む。
『レポート№1
今日、新しいサンプルが送られてきた。なんでもこのサンプルの主は、ISと生身で戦闘して生き残った、12歳の少女だと言う。にわかには信じがたいが、付属されたデータを見る限り、それは正しい。
なんというポテンシャルだろう。天賦の才能か、あるいは特別な肉体の持ち主か。どちらにせよ、このサンプルを使えば、究極の兵器を造れるかもしれない』
最初の1ページを読んで、オータムは顔をしかめる。レポートに記された日付などに、覚えがあったからだ。
『レポート№4
サンプルの培養に成功した。腕一本分も細胞があるのだ、髪の毛一本、血の一滴からもクローンを作り出す我々には容易いことだ。これで十分な量を確保した、明日から実験に移る』
「ちっ……クソッタレ共が。ぶち殺して正解だったな」
『レポート№9
クローンの第1号が完成した。まだ赤子の段階だが、適性を調べることは出来る。その適性は、決して優秀ではなかったが、それは他で補える。むしろ重要なのは、適性ではない。生身での戦闘能力が低い者は、いくら適性があろうと無駄にするだけだ。成長を促進させ、様々なデータを収集する必要がある』
周りを見渡す。研究所には、多種多様な機器と、無数のシリンダーがあった。ここと同じ光景を、これまでの道程で何度となく見てきた。
『レポート№18
どういうことだ。学習プログラムを使用しても効果が薄い。10歳程度まで成長させたクローンたちに演習をさせても、まるで素人だ。才能の欠片も感じない。傭兵に相手をさせたが、結果は見事に惨敗。一人も殺せず全滅した。なんたる様だ、傭兵を始末する手間がかかっただけではないか』
シリンダーの中を覗き込む。そこには、人体の――
『レポート№32
何度適性を検査しても、望む結果は得られない。それどころか、才能もなければ肉体も平凡そのもの。これなら、街の小娘を適当に選んだ方がまだ良い結果を得られただろう。少なくとも、今まで送られてきたサンプルの中では最低の部類だ。こんなモノが、本当に、生身でISと戦ったのか? データは嘘を吐かないという私の信条が、揺らぎ始めるほどの事態だ』
そのパーツは、多種多様。腕もあれば脚もある。中でも脳が最も多い。脳に目玉だけが付いた物もあった。その目玉がぎょろりと動いてオータムを見た時は、流石のオータムも怯んだものだ。
『レポート№56
今日、全てのサンプルの廃棄が決定した。これ以上このサンプルを研究しても成果は得られないという、上層部の判断だ。
悔しいが、その判断は正しいと私も思う。サンプルのオリジナルがISと生身で戦ったというデータは、何かの間違いだったのだ。私たちが収集してきたデータが、それを物語っている』
「……はんっ。なぁにがデータだ。そんなモンで何もかもわかるってんなら、苦労しないっての」
不機嫌極まる様子でそう言いながら、オータムはさらに、歩みを進める。
『レポート№81
廃棄が決まったサンプルに、使い潰すつもりで反応高速化施術をした。すると驚いたことに、施術終了後、75時間も精神の均衡を保っていた。他のサンプルでは精々1時間……どんなに長くても7時間が限度だった。世界が遅くなり自分が速くなる、その感覚に付いて行けず、精神が崩壊するのだ。だがこのサンプルは、他の10倍以上もの時間に耐えた。
これは驚くべきことだ。これこそが、このサンプルの秘密であると確信する。上層部に掛け合い、新たな方向性からアプローチすることを提案する。その決意をした』
このパーツの持ち主たちは、被検体なのだろう。この、非人道的という言葉がこの上なく当てはまる、研究の。
『レポート№113
交渉は成功した。今残っているサンプルを全て使い切る間だけとの制限は付いたが、それまでは、私たちは自由に研究を続けられる。精神力という、データにしがたいモノ。その限界を、私たちが追求するのだ。
心が躍る。今まで精神力など、誤差の範囲で片付けられるモノでしかなかった。それが誤差を遥かに超える形で、私たちの前に現れた。研究者であれば、それに惹かれるのは仕方のないことであると分かるだろう』
オータムは歩く。ISの脚部装甲が、硬い床を踏みしめる音を、奏でながら。
『レポート№157
クローン6853号。筋力増強施術を実施。282時間後、精神崩壊。廃棄。
クローン7131号。骨格強化施術を実施。301時間後、精神崩壊。廃棄。
クローン7344号。思考高速化施術を実施。344時間後、精神崩壊。廃棄』
オータムは歩き続ける。大量のシリンダー、それこそ無限にあるのではないかと思わせるほどに大量の、それを無視して。
『クローン12013号。……廃棄。
クローン14288号。……廃棄。
クローン17114号。……廃棄』
歩いて、歩き続けて……そして、見つけた。
一際巨大なシリンダー、そこに浮かぶ、一人の少女を。
『廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄。廃棄――』
少女は、パーツに分けられることなく、一つの完全な形を保っていた。
いつか、どこかで見た。決して多い回数ではないが、それでも、絶対に忘れない。
そんなカタチを。
『レポート№774
ついに、ついに完成した。我々の知るあらゆる強化施術を行い、それでもなお正気を失うことなく保ち続け。ISにある程度適合し、我々の指示を受け付ける。演習で得た結果はどれも十分以上、素晴しい出来映えだ。たった一つで、数百人から成る部隊を殲滅出来た。それは生身からISになったとしても同じだろう。
私は確信した。今我々は、ブリュンヒルデをも上回る、最強の存在を手にしたのだと』
その少女が浮かぶシリンダーを見上げる。忌々しげに顔を歪め、レポートの最後の一文を読み、投げ捨てた。
『レポート№825
完璧だ。全ての検査で、求める以上の結果を出した。完全で、完璧な兵器。今こそ、このプロジェクトに名を付けるべきだ。プロジェクトの名を、コレに与えるべきだ。
コレのオリジナルは、昔有名な剣を作った
面白い偶然だ。同じ作る者同士、それにちなんだ名を付けさせてもらおう。
その名は――』
無数のコードに繋がれた少女は、意識があるのか、目を開きオータムを見た。その目を見て、オータムが口を開く。
「……ダメだな。確かに顔はそっくりだが、アイツとはまるで違う」
その声は、誰が聞いても不機嫌と分かるもので。
大事な物を、無遠慮に踏みにじられた――そんな声色だった。
「……眼が違う。アイツはてめえみてえに、純真無垢な子供みてえな眼はしちゃいなかった。
この世の地獄、人間の汚さや醜さ、クソみてえなモンを何もかも見てきて、それでもまだ前を向いてる。眼を逸らしてるんじゃねえ、その程度じゃ、アイツを揺るがすことはできねえんだ。
……だからこそ、アイツは強い。普通なら色んなことに邪魔されるが、アイツはアイツの、本当の力を発揮できる。……だから、強い」
少女は、瞬きをした。何を言っているのか分からないとでも言うように。
声など、聞こえない筈なのに。
「……気に食わねえな。ああ気に食わねえ! てめえみてえな出来損ないが、アイツのコピーを名乗るなんてよおっ!!」
だが、仕事は仕事だ。どれだけ気に食わないとしても、オータムはこの少女を連れ帰らなければならない。
「……ああ、気に食わねえよ。だがてめえは、それでもアイツのコピーだ。もしかしたら、アイツがいる場所まで、辿り着けるかもしれねえ」
シリンダーの下にある、コンソールを操作する。保護液が抜けていく途中で、待ちきれないとでも言うように、シリンダーを破壊した。
硝子が割れ、撒き散らされた保護液の上に、少女が倒れる。
少女はゆるゆると顔を上げ、オータムの顔を見る。そんな少女に、オータムは吐き捨てるように、言葉を投げかけた。
「もしてめえに、意思ってモンがあるのなら。生き残りたいって思うのなら。
……ついて来い。お前に、居場所をくれてやる」
差し伸べた、手を。
少女は、掴んだ。
――しっかりと。
「ようこそ、
――
ドイツ語で、「影」は「シャッテン」と言うそうです。なんとなく女の子っぽい響きだったので、「シャッテ」と名付けました。