長年の積み重ねの末、ようやく辿り着いたIS学園、その教室。
己は感慨に耽ることもなく、妙な脱力感に襲われていた。
(……これほどとはな……)
前の席に座る、幼なじみの背中を見る。教室中から集まる視線のせいか、かなり居心地が悪そうだ。
かくいう己も、一夏の背中に視線を送っている一人である。視線に込める想いは、他とは大分違うだろうが。
(……阿呆が……)
――さて。女性にしか動かせない兵器であるIS、主にその操縦を学ぶ為のIS学園に、何故男である一夏がいるのか。
二ヶ月ほど前、己と一夏は互いの合格を約束し合い、高校の入学試験に臨んだ。二人とも合格だったので、一応、約束は果たしたと言えるが――
(……まさか、会場を間違えるとは……)
一夏はあの巨大な試験会場で散々迷った挙げ句、入る部屋を間違えた。そこに在った待機状態のISに、興味本位で触れたところ――動いてしまったのだ。
女にしか動かせないISを動かした男。今のところ、世界でただ一人の例外。そんな希少種に対し世界が取る行動など、一つしかない。
しかし、まさかISを動かせる男がいるなどと真面目に考える者はこの世界にはいまい。故に不用意にISに触れたことに関する落ち度は、一夏にはない。
……問題は、それより遥かに単純な一点。馬鹿だと知ってはいたが、認識を改める必要がある。
――こいつは、大馬鹿だ。
「皆さーん、席に着いてますかー?最初の
壇上に立つ、眼鏡を掛けた副担任が明るい声で話している。己の入学試験の試験官だった女性だ。あの時は歳不相応に幼い外見からは想像も付かないほどの覇気を発していたが、今はそれもなく、己たちと同年代と言われれば信じるだろう。胸だけは不釣り合いに大きいが。
名前は、山田真耶と言ったか。
「それでは皆さん、今日から一年間、よろしくお願いしますね」
はにかみながらの、元気な挨拶。それには好感がもてるが、返事はない。
残念なことに、現在この教室内の興味は、己の前の大馬鹿者が独占していた。
「……あ、あの~……皆さ~ん……?」
「「「「「「……………………」」」」」」
「……ええっと……あの、それでは自己紹介をお願いしますっ!出席番号順で!」
本日教え子になったばかりの生徒達から完全に無視されるという惨劇もめげず、なんとか流れを作り出そうとする山田先生。流石に今回は無視されず、生徒達は自己紹介を始めていった。
「あ」から順番にいけば、「いのうえ」の番はすぐに来る。妙な雰囲気に冷や汗を流す山田先生に促された己は覚悟を決めて立ち上がり、教室をぐるりと見回してから言った。
「……井上真改……」
着席。
うむ、どうやら最初の関門は突破したか。
「「「「「「………………………………」」」」」」
「………………」
「……え……ええっと、じゃ、じゃあ、次の人お願いしますっ!!」
全方位から突き刺さる「なんだそれは」という視線をものともせず沈黙し続ける己に恐れを成したのか、山田先生は次の生徒を指名した。
そして一夏の番になったが、なにやら考え事をしているのか、反応がない。
……ほう、教師からの指示を無視か。己ですら名前(だけ)を名乗ったというのに、随分と良い度胸だな。
「うひぃ!?」
思わず漏れ出た殺気にあてられ、一夏が悲鳴を上げる。その奇行に、教室のあちこちからくすくすという笑い声が聞こえた。
「お、織斑君?ど、どうしたんですか?あっ、も、もしかして、具合が悪いとか……?大変、それじゃあ保健室に!保健委員さん……て、ああっ!まだ決めてませんっ!?」
「いや、あの……えっと、山田先生?大丈夫ですから、体調は悪くないですから、落ち着いてください」
「ほ、本当ですか?大丈夫ですか?無理して我慢してるんじゃないですか?」
山田先生はオロオロしながら、一夏の額に手を伸ばした。その手が前髪に触れる直前に、一夏は慌ててのけぞった。
「うおっ!?」
「…………」
ゴキュッ!
「ぐえっ!?」
その勢いが強過ぎて、後ろの席に座る己の目の前まで後頭部が来た。童顔とはいえ大人の女性に触れられそうになれば、この反応はそれほどおかしなことではない……と思う。少なくとも予想は出来る範囲だ。
なので素早く反応しその頭を支えてやったが、逆効果だったらしい。首から少々嫌な音が鳴った。
……まあ大丈夫だろう、頑丈な奴だからな。
「ぐぬぅおおお……」
「ああっ、織斑君!?だ、大丈夫ですか!?」
「ぐ……え、ええ、大丈夫です……」
「けど、首が……」
「大丈夫ですから!平気ですから!」
山田先生が今度は首に手を伸ばして来たので、同じ轍を踏まないようにか手を振って拒否した。その剣幕に圧され、山田先生はようやく手を引っ込める。
「で、でしたら……あの、自己紹介をお願いします。男の子は織斑君だけですが、あまり緊張しなくていいですよ?」
「………………はい」
……そんなことを言われたら、余計に気にするだけだと思うが。
とにかく一夏は立ち上がり、その場で振り向いた。教室の中央最前列の席に座る一夏は、後ろを向けば教室内の生徒全員を見渡せる。それはつまり、自分に集まる視線を真っ向から受け止めるということであり、その数に僅かに息を飲むのが見て取れた。
「えー……えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる一夏に、続きを期待する視線の十字砲火が浴びせられる。物理的な圧力すら感じさせる視線に気圧されて口を開いた一夏に、皆の期待が一瞬高まった。
――彼女達は知らない。この織斑一夏という男は、己の眼力を持ってしても計りきれない、大馬鹿者であるということを。
「――以上です」
がたたっ、とずっこける音がする。それに、教室の入口を開ける音が混じっていることに気付いた。
見れば、クラスメイトの反応が意外なのか不本意なのか微妙な顔をしている一夏の後ろに、出席簿を振り上げた見慣れた長身の美女の姿が。
――ドグォッ!!
一夏の頭から、凄まじい音がした。その衝撃に覚えがあるのだろう、驚愕と困惑が入り混じった顔でゆっくり振り向いた一夏は――
「りょ、りょ、りょ、呂布だァーーーッ!?」
「誰が飛将か、馬鹿者」
ドパアァァァァンッッ!!
さっきにも増して凄まじい轟音が響き、一夏が悶絶する。よく割れなかったな。
「まったく、こんなことだろうと思ってはいたが。……山田先生、あなた一人に任せてしまい、すみませんでした」
「あ、いえ、そんな……」
そんな一夏に構わず山田先生と言葉を交わし、壇上に移動したスーツ姿の美女――一夏の姉、織斑千冬は、項の後ろで結んだ長い黒髪を翻し、切れ長の眼に力を込め、威風堂々と話し始めた。
「諸君、私が織斑千冬だ。お前たち新人をこれから三年で使い物になる操縦者に育てる為の基礎を、徹底的に叩き込むのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。分からないことがあれば遠慮なく質問しろ、分からないのに黙っていれば力ずくで聞き出す。
私の役目は弱冠十五才を十六才までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、それ相応の理由と実力、そして覚悟が要ることを理解しておけ。いいな」
まるで暴君のようなその言葉に対する返事は――
「キャァァァァッ!!千冬様、本物の千冬様よ!」
「ずっと前からファンなんですっ!」
「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです!北九州から!」
「あの千冬様にご指導いただけるなんて幸せです!」
「お姉様のためなら死ねます!むしろお姉様のために死にたいっ!」
――どういうわけか、黄色い悲鳴だった。
……千冬さんの人気は知っていたつもりだが、これほどとはな。一夏の真後ろ、つまり教室中央二列目に座る己の背中に、津波のように声が押し寄せる。千冬さんのうんざりした顔も無理からぬと言える。
「……どいつもこいつも。何故私のクラスには馬鹿者ばかりが集まるんだ。ようやく解放されたと思えば、またこれか」
本心から言っているのだろう、千冬さんの顔はかなり嫌そうだった。しかしこれだけ眉間に皺を寄せていながらそれが刻まれることはないというのは、もしかしたら凄いことなのではないか?
「きゃあああああっ!お姉様、もっと叱って!罵って!」
「でも時には優しくして!」
「そしてつけあがらないように躾をして〜!」
「…………」
……耳が痛い。
千冬さん相手に怯みもせずに盛り上がり続けるクラスメイトに戦慄していると、千冬さんは一夏に視線を向けた。
……うむ、怖い。
「で?挨拶も満足に出来んのか、お前は」
……己の自己紹介の時に居なくて良かった。一夏よりも酷かったからな。
「いや、千冬姉、俺は――」
ズドォ!
ただの出席簿によるものとは思えぬ一撃。流石千冬さん、腕は衰えていないようだ。
「織斑先生と呼べ、馬鹿者」
「……はい、織斑先生」
その遣り取りで、二人の関係に気付いたのだろう。教室がにわかにざわついた。
「え……?織斑君ってもしかして、千冬様の弟……?」
「まさか世界で唯一男でISを使えるっていうのも、それが関係してるの……?」
「羨ましいなあ、代わってほしいなぁっ」
そうか、己は遠慮したい。何せ千冬さんの私生活を知っているからな。
と、そこでチャイムが鳴り響いた。一時間目の授業が始まる直前、己は一夏を見る、もう一人の幼なじみの様子に気付いた。
――随分と、固い気配を放っている。
(……素直になればいいものを……)
どうやら訓練以外にも、やらねばならんことは山積みのようである。
――――――――――
「……ちょっといいか」
一時間目の授業が終わり、休み時間になった。私は去年、剣道の全国大会で約五年半ぶりに再会した幼なじみに、声を掛けた。
「……箒?」
「…………」
呆けた顔で私の名前を呼ぶ幼なじみ――一夏に、自分でもよく分からない苛立ちを感じて睨みつける。
「……出るぞ。人が多い」
その苛立ちを振り払うように歩き出すが、一夏はまだ席で呆けたままだ。
――ふと、一夏のすぐ後ろの席に座る、もう一人の幼なじみと目が合った。
「…………」
「……っ」
彼女は六年前と同じ無表情で、私を促すように、こくりと頷く。
その様子は、私の知る彼女と、まるで変わらないのに。
――たった、一つだけ。
私の
「……早くしろっ」
「お、おう」
もう一度一夏に声を掛け、再び歩き出す。私の前にいた女子たちがざあっと左右に分かれる様子にちょっと怯むが、今更後には退けない。唇を噛んで気合いを入れ、再び歩き出す。
しかし連れ出したはいいものの、どうにも切り出せない。訊きたいことがあるのに、言葉にする勇気が出ない。
そうして私が逡巡していると、一夏の方から話し掛けて来た。
「全国大会ぶりだな。元気してたか?箒」
「……ああ、まあな」
去年の全国大会、私と一夏は五年以上の空白を経て再会した。だがその時、私は一夏とまともに向き合うことが出来なかった。
決勝に勝った興奮が冷め始めたころ、私は気付いてしまったのだ。
剣を振るっている間に私が感じていた高揚は、剣士として強敵と戦える喜びでも、部活動に励む少女として仲間の声援に応えたいという願いでもなく――
――ただ、暴力に酔っていたのだと。
愕然とした。なんて、浅ましい。
それは人として、最も恥ずべき行為だと思っていたのに。
自分のあまりにも醜い本性に気付き呆然としていた時、男子の部の決勝開始のアナウンスが聞こえ、決勝に進出した二人の内の一方が、懐かしい名前であることに気付いた。
白熱する声援に誘われるように、ふらふらと決勝戦の試合場が見える観客席に行く。
五年以上会っていなくても、面を着けていても分かった。
――あそこにいるのは、一夏だ。
昔と変わらず、強く在り続けていてくれたことを嬉しく思った。しかしそれも束の間、一夏の戦いぶりを見て、すぐに気付いてしまった。
――一夏の剣は、綺麗だ。
技術の問題ではない。真っ直ぐで、とても強い信念を感じさせる、私が理想とする剣士の姿が、そこには在った。私の剣など、一夏の剣とは比べるべくもない。
一夏は見事勝利を収め、対戦相手と健闘を称え合う握手を交わし、表彰台に立った。そんな一夏と並んで立つことに強い罪悪感を感じ、私は一夏をまともに見ることが出来なかった。表彰式が終わるまでじっと立っていることさえ、その時の私には拷問のような苦痛だった。
結局、ろくな会話もせずに一夏と別れた。
あの日のことは、私の心に、深い傷として残った。
あれから半年、とある理由から政府によりIS学園に強制的に入学させられ、再び一夏と出会ったことは、まるで自分の罪を突き付けられているような気持ちを私に与えた。
本当なら、こうして向かい合っていることも辛いくらいなのだ。それでも一夏を連れ出したのは、どうしても訊きたいことがあったから。
深呼吸を一つ。意を決して、その問いを口にする。
「……真改の、ことなんだが――」
――キーンコーンカーンコーン――
休み時間終了のチャイム。ようやく訊けたのに、という思いよりも、安堵のほうが強かった。
――なぜならば。
私の言葉を聞いた一夏が、ひどく、辛そうな顔をしたから――
――――――――――
休み時間が終わり、二人の幼なじみが帰ってきた。どちらも、なにやら顔色が優れない。
(……ふむ……?)
廊下でどんな会話があったのかは分からないが、あまり良い内容ではなかったようだ。
(……ままならん、な……)
どうやら行く道は前途多難なようだが、あの二人に関して己の出来ることなど高が知れている。己は、己にやれることをやるだけだ。
今はとにかく、二時間目である。予習は綿密に行っているが、己の頭はあまりよろしくない。授業を聞き逃すわけには行かないのだ。
前を見れば、一夏も必死に授業内容をノートに取っている。ISについての基礎理論を記した、膨大な量の参考書。その内容をIS学園入学が決まってからたったの一週間で理解するのは流石に無理だったようだが、それでも食らいついている一夏の様子に感心する。
この調子ならば、大丈夫だろう。
「織斑君、何か分からないところがありますか?」
そんな一夏のやる気を見て取ったのか、山田先生からの質問。
「あ、えっと……」
それを受け、書き込んだばかりのノートを見直す一夏。頭の中を整理するためだろう。
数秒して、
「……大丈夫、です、多分。分からなくなったら、後で改めて訊きます」
「……分かりました、その時は遠慮なく訊いてくださいね!私は先生ですからっ!!」
嬉しそうに胸を張る山田先生。一夏の予想以上に真面目な様子に、感心しつつ喜んでいるようである。
「それでは、次は――」
――そして、休み時間。ノートのまとめと復習に一生懸命な一夏の席に、鮮やかな金髪縦ロールの少女が近付いていく。
「……あなた。ちょっとよろしくて?」
「……うん?」
突然声を掛けられて呆けた声と顔の一夏に対し、金髪縦ロールは高飛車に話し続ける。
「聞いてます?お返事は?」
「聞いてるけど……何か用か?」
「まあ!?なんですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるんではないかしら?」
「…………」
唖然とする一夏。己も呆然としている。
ISが開発されてから、その絶大な性能と女性にしか動かせないという特殊性から、女性の立場は異常なほど急激に向上した。
IS操縦者が世界の軍事バランスの要であることは確かだが、だからと言ってすべての女性が偉いわけではない。ないのだが、そういう考えが今の世では常識になっており、女というだけで男を奴隷のように扱う者も多い。
その歪みを一夏は嫌っており、まさにその典型とも言える態度の少女に対し、良い感情を持たないのは当然と言える。
……しかしどうも、この少女の様子は、それとは少々違っているようにも感じる。気のせいかもしれんが。
「そんなこと言われてもな。俺、君のこと知らないし」
「まあ!わたくしを知らない?このセシリア・オルコットを?イギリスの代表候補生にして入試主席の、このわたくしを!?」
「おう、知らん。あんまり他人に構う余裕がなくってな」
代表候補生とは、国家を代表するIS操縦者、その候補として選出される、所謂エリートである。だが所詮は候補であり、実際に国家代表になれるかはまた別の話だ。そんな候補生、しかも他国の者の名前までいちいち覚えろというのは、些か無理がある。
それに一夏自身も言った通り、先の集中は余裕の無さの現れでもある。他人を知るよりも、自らを高めることに必死なのだ。
……しかし、それにしても――
(……国家、か……)
――その国家の悉くを解体し尽くした二十六人の一人である「彼女」が聞いたら、なんと言うだろうか。
鼻で笑う――ことは、しないだろう。むしろ心から喜びそうだ。それに見合う実力があれば、の話ではあるが。
「ふん、IS開発者の国だから期待していましたが……それはただの例外、他は所詮、極東の島国ですわね。このわたくしのことさえ知らないだなんて。本来ならわたくしのような選ばれた人間とは、クラスを同じくすることだけでも奇跡……幸運なのです。その現実を、少しは理解していただけません?」
「へえ、それはミラクル……ラッキーだな」
「……馬鹿にしていますの?」
一夏はまともに相手をする気はほとんどないようだ。セシリアという少女も、言いたい事だけ言っている。
平行線と言うか噛み合わないと言うか、互いに会話をしようという気がないのだ。
「ISのことで分からないことがあれば、まあ……礼を尽くすのでしたら、教えて差し上げてもよくってよ。何せわたくし、入試で唯一教官を倒した、エリート中のエリートなのですから」
……ほう、倒したのか。相手が山田先生、若しくはそれと同等の遣い手だとしたら、この少女も相当な実力者だということになる。国家代表候補生の名は伊達ではない、か。
「入試って、あれか?ISを動かして戦う?」
「それ以外にありまして?まあ確かに、ペーパーテストもそれを作った者との戦いと言えるでしょうが」
「……ん?唯一?おかしいな、俺も倒したぞ、教官」
「「……は?」」
セシリアと己の驚きの声が重なる。幸い、己の声は誰にも聞こえた様子はないが……しかしこいつ、勝ったのか。
………………むう………………。
「か、勝ったと言うの?あなたが?」
「少なくとも、最後に立ってたのは俺の方だった」
「そんな……確かに、わたくしだけと聞いていたのに……!」
「まあ、俺は正式に試験受けたわけじゃないし、カウントされてなかったんじゃないか?」
「くううぅ……!!」
「……何をそんなに睨んでるんだよ」
少女の奥歯を噛み締める音がここまで聞こえて来る。自分が唯一の勝者でないことがよほど悔しいらしい。
「えーと、落ち着けよ。な?」
「な、なんなんですの、その余裕の態度――」キーンコーンカーンコーン「くうっ……」
三時間目開始の鐘が鳴り響いた。三時間目は千冬さんの授業だ、彼女が入って来た時に席に着いていなかったらどうなるか、火を見るより明らかである。たとえ納得出来ていなくとも、今は引き下がるしかあるまい。
「あなたっ!覚えてらっしゃい、後で詳しく聞かせていただきますからね!」
セシリアはまるで三下が逃げる時のような台詞を残して席に戻って行った。しかしその動作や歩き方は優雅なもので、なんともちぐはぐだ。
そしてセシリアの着席から数秒して、千冬さんが教室に入って来た。
「全員、席に着いているな。それではこの時間は、実戦で使用する各種装備の特性について説明する」
いきなり授業に入る千冬さん。山田先生はノートを持ち、メモを取る態勢だ。豊富な知識と経験がありながら勉強を怠らないその姿勢は素晴らしい。
「だがその前に、クラス代表者を決めなければならん。立候補する者、あるいは推薦する者は挙手しろ」
クラス代表者とは、分かり易く言えばクラス長である。生徒会の会議や委員会への出席などが主な仕事だ。
それと、来月行われるクラス対抗戦。これは各クラス代表者たちがISで戦うというものだが、己たちはまだ初心者だ。大したレベルの試合は出来まい。
そもそも優劣を付ける為のものではなく、今後の指標とするため新入生の才能や資質を計る為のものだ。実戦経験は積めるだろうが、それ以外に得るものはあるまい。そして己が会議に参加するのは無理があるので、他の者に押し付けるとしよう。
そんなことを思っていると、
「はい、織斑くんを推薦します!」
「私もそれが良いと思います~」
「では候補者は織斑一夏……他にはいないか?自薦他薦は問わないぞ」
「……へ?」
一瞬呆けた声を出し、それから数秒して、一夏が立ち上がった。
「お、俺!?え、なんで!?」
「織斑。席に着け、邪魔だ。……さて、他にはいないのか?いないなら無投票当選だぞ」
「ちょっ、ちょっと待った!なんなんだ、一体何がどうなってるんだ!?」
「お前は推薦された。それは期待されているということだ。期待には応える義務がある、よってお前に拒否権はない。選ばれた以上は覚悟をしろ」
「それってかなり無茶苦茶じゃないか……ですよね!?」
「ああそうだ。期待するということは、相手にその重みを背負わせるということだ。期待する側にもそれ相応の責任があるということを、当然理解したうえでの推薦だろう」
「「「………………え?」」」
「当然、理解、している、だろう?」
「「「は、はいっ!!」」」
なるほど、これから先も男だからというだけで面白がって、色々と押し付けさせない為か。一夏の為にも、他のクラスメイトの為にもならないからな。
千冬さんは教室を見渡し、もう気軽に他者を推薦する者がいないことを確認した。
「……さて、どうやらこれ以上手が挙がることはなさそうだな。では――」
「待ってください!納得がいきませんわ!」
バンッ!と机を叩く音。振り向くと、そこにはセシリア・オルコットの姿が。
「そのような選出は認められません!一人だけの男だからというただの興味本位で、こんな素人がクラス代表ですって!?そんなことが許される筈はありません!クラス代表とはクラスで最も優れた者が成るべきですっ!!」
自己顕示欲の強そうなこの娘が今まで黙っていたのを、少なからず疑問に思っていたが。口振りからすると、自薦によりクラス代表者に成るのではなく、他薦により認められた結果としてのクラス代表者に成りたかったらしい。
しかしセシリアが思っていた以上に、世界で唯一ISを動かせる男というのは興味を惹くようだ。
「わたくしはイギリスの国家代表候補生。クラス代表になるのは当然ですわ!エリートだけが入学を許されるこのIS学園において、ただの物珍しさだけでクラス代表が選ばれるだなんてあってはなりません!能力から考えれば、クラス代表はこのセシリア・オルコットを置いて他にありませんわ!」
それなりに筋の通った理屈ではあるが、それにしても随分と自信がある。エリートであることは確かだろうが、まだ誰も、セシリアの実力を目にしてはいないのだ。些か説得力に欠けると言わざるを得まい。
「わたくしはISの技術を磨くために、こんな極東の島国まで来たのです!あなた方のように遊ぶためではありません!」
そして自信とは、それに見合う実力がなければマイナスにしかならない。それは実力を知らぬ者から見た場合の印象も同じだ。
分かりやすい例としては、己の目の前で肩を震わせている少年か。
「男がクラス代表など、それではサーカスと同じですわ!見せ掛けだけの代表になんの価値があると言うのです!?何より、そんなハリボテに劣ると思われるだなんて辱めを――」
「――能書きばっかだな、さっきから。実は大したことないんじゃないのか?」
「なっ……!?」
そしていよいよ、我慢の限界を超えたらしい。存外柔な忍耐だったな。
「百聞は一見に如かず。そんなに自信があるなら、実際に見せるのが手っ取り早いだろ」
「……何が言いたいのですか?」
「クラス代表ってのには興味ないけどさ。知らない奴にそうやってデカイ顔されるのは、なんか癪だ」
「癪?癪ですって?それはわたくしのセリフですわ、まさかこのわたくしに向かって、「顔が大きい」だなんてっ!!」
「「「「「「…………………………」」」」」」
教室が沈黙する。このクラスの心は早くも一つになった。
即ち、「そこかよ」と。
「……まあとにかく、俺が言いたいのは、さ。口でいくら言ったって分からないんだから、お前の実力ってのを見せてみろよ。そうすりゃ全員納得するだろ」
「ええ、良いでしょうとも。あなた如きに見せるのは、少々もったいないですが――上下関係はハッキリさせておいた方が、後々のためですからね」
つまりは二人とも、戦う理由は同じというわけだ。
――気に入らない。なんとも子供じみた理由ではあるが、だからこそ純粋だと言える。
ああ、そうだ。何も命の取り合いをしようと言うのではない。「喧嘩」の理由など、くだらないくらいが丁度良い。
「ではこうしよう。織斑とオルコットで勝負をし、勝った方をこの一年一組の代表とする。時間は来週の月曜の放課後、場所は第三アリーナだ。各々、準備しておけよ」
千冬さんのまとめに、二人は同時に頷いた。既に戦意は十分らしい。
「それで、イギリス代表候補生のこのわたくし、セシリア・オルコットに無謀にも挑む無知な極東のお猿さんには、どれくらいのハンデを差し上げればいいのかしら?」
「そんなもんいるか。お互い全力でやってこそ、勝つってことは意味があるんだ」
嘲笑を浮かべるセシリアを、一夏は真っ直ぐに睨み付ける。そんな二人の様子を眺めていた千冬さんは、ふと何かを考えるような仕草を見せた。
「ふむ、ならば丁度良いかもしれんな。井上」
「……?」
突然名前を呼ばれた。今の話の流れに、己の名が出てくるような所はなかったように思うが。
「先ほど連絡があったんだが、お前の入試を見た如月重工の社長が、お前に興味を持ったそうだ」
「え?如月重工って、あの如月重工ですか!?」
「お前の言う如月重工がどの如月重工かは知らんが、おそらくその如月重工だ」
「…………」
驚愕の表情で問を発した生徒に、顔をしかめながら答える千冬さん。
如月重工とは、元技術者の人物が社長を務める、日本では倉持技研と双璧をなすIS開発企業だ。極めて高い技術力を誇り、如月重工製のパーツはどれも高い性能を誇るが、クセが強すぎてまともに扱えないようなイロモノが多い。
勤務する技術者は、社長を筆頭にマッドと頭に付く連中ばかりで、所謂変態企業として世界にその(悪)名を轟かせている。
……なにやら少々、嫌な予感がする。
「現在如月重工で開発中の第三世代型ISを、データ収集のためにお前に使って欲しいそうだ。つまりはテストパイロットだな」
「…………」
――テストパイロット、か。妙な縁だ。
「そこで、お前用に機体を調整するために、お前の戦闘データが要る。打鉄で構わないから、一度戦って欲しい、というのが先方からの要求だ。テストパイロットを引き受けてくれるのならば、交換条件として、その間その新型ISをお前の専用機として使っていいと言って来ている。どうする?」
「…………」
正直、それは願ってもない条件だ。専用機と量産機では性能がまるで違うし、機体を量子化することで常に身に付け、いつでも起動できる。無論法律や規則による制約はあるが、有事の際に即応できるのは極めて大きい。先方が如月重工ということに多少の不安がないでもないが、それでも己は躊躇うことなく頷いた。
「決まりだな。先方には私から伝えておく。データ収集のための戦闘は三日後の木曜、時間と場所はさっきと同じだ。相手は……オルコット、それもついでにお前がやれ」
「えぇ!?しかし織斑先生、わたくしは――」
「…………」
「出来ないか?相手はISの操縦は初心者だぞ。インターバルも三日間ある。それくらいのこともこなせないで、国家代表を名乗るつもりか?」
「う……分かりましたわ」
「…………」
「ふん!ならそのお猿さんとの決闘の前哨戦ですわね。せいぜい逃げないで――」
「…………」
「ええと……あなた、聞いてます?」
「…………」
こくりと頷いて、右手を出す。
「……井上真改……」
己の名前くらいは知っているだろうが、改めて名乗った。こちらの事情に付き合ってもらうのだ、礼は尽くさねばなるまい。
「……感謝する……」
「ふ、ふん!そんなことをしても、当日は容赦しませんわよ!」
「…………」
なにやらそっぽを向いて言うセシリアに、黙って右手を差し出し続ける。
「…………」
「う……セ、セシリア・オルコットですわ」
「…………」
根負けしたのか、己の右手をとり、握手をするセシリア。その手は小さく指は細く、少女らしい柔らかさがある。
……不思議なものだな、身のこなしには確かに、戦う者特有の鋭さがあるというのに。
「…………」
「や、やりづらいですわね……」
かくして、一夏の前に己がセシリアと戦うことになった。いきなり波乱の幕開けだが、この好機を物にしない手はない。
セシリアの実力と機体がどれほどのものかは分からないが、己はただ、寄って斬るだけだ。
精々一週間後の一夏の初戦のため、参考くらいにはなれるような戦いをしなくてはな。
Q:なんでよりによってキサラギなの?
A:生体兵器とか好きだから!