男は、生まれながらの兵士であった。
そうであるよう造られた、試験管ベイビーではない。そう成るよう、何かしらの施術を受けたわけでもない。ただ、彼の家は代々、兵士だったのだ。
先祖は祖国の独立戦争に参加し、命を賭して戦い、死んだ。
その子が、孫が、曾孫が、祖国の兵士として数々の戦争で様々な成果を挙げ。
彼らの血を受け継ぐ男もまた、当然のように祖国に尽くし、英雄となった。
特別な能力があったわけではない。優れた才能があったわけでもない。
ただ男は、先祖代々続く教えを、忠実に守っていただけであった。
――曰く。「危ないモノには近づくな」
『ポーンからキングへ。ポイントガンマに到着。これより潜入する』
『キング了解。ポーンへ、
『……ポーン了解。ポイントオメガまでおよそ五分。……何事もなければ、だが』
(さて。これは妥当なのか、それともナイトが貧乏くじを引いてくれたのか……判断に迷うところだ)
ISという、規格外の兵器が開発されてから十年。世の中が女尊男卑となり、国軍の女性が男性よりも多くなっても、ポーンはその勤務態度を微塵も変えなかった。ポーンにとっては、他人の評価などどうでもいいからだ。彼はただ、与えられた命令をどう遂行するかを考えるだけ。その邪魔になるような感情を任務に持ち込むことはない。
そんな彼にとって、敵の戦力は二種類しかない。手持ちの戦力でどうにか出来るか、どうにも出来ないかだ。
(ブリュンヒルデ……世界最強、か。奴は限定条件下であれば、生身でもISと対等に渡り合うと聞く。そんなバケモノは、俺たちの手には負えん)
ISは、世界最強の兵器だ。既存のあらゆる兵器を上回る、圧倒的な性能を持つ。だがそれは、ポーンにとっては関係ない。
(ほんの数分に限ってのことではあるが……現在、この場所で活動し得るIS学園の機体は、僅かに一機。そしてブリュンヒルデを失うことは、何があっても避けたい筈……ISは、その援護に付くだろう)
繰り返すが、ポーンにとっての敵とは、現状戦力で対処可能か否かの二種類だけだ。
そんな彼と、彼が現在率いる部隊の装備は、室内戦を想定した
一応、全員が高性能爆薬を持ってはいるので、それで破壊することは不可能ではないが――こんな逃げ場のない場所では、視界に入った次の瞬間には挽肉にされるのは目に見えている。
(ならば、俺たちの相手はIS以外の戦力……その中に、この狭い空間に持ち込める兵器はない。生身の人間、恐らくは戦闘訓練を担当する教師。人手が足りなければ、代表候補生が出てくる可能性もあるか……)
そして生身の人間は、言うまでもなく「どうにか出来る敵」だ。ISに乗れば鬼神の如き戦闘力を発揮するとしても、ISがなければただの人。ましてや、体力や筋力で男に劣る女だ。殺害は極力控えなければならないが、決して制圧不可能な相手ではない。ブリュンヒルデは例外中の例外であり、ポーンは彼女のことを、戦力的には人間とみなしていない。
(つまり、やることは同じ。いつも通り、ということだ)
だが、ポーンは油断しない。なぜなら彼の長い戦歴は、ひたすら歩兵として、前線で戦い続けるというモノだからだ。
ISが開発される以前、戦車や航空戦力が極度に発達した戦場でも、歩兵は必要な存在だった。それは今でも変わらない。ISは、数があまりにも限られているのだから。
だから、ポーンは決して油断しない。彼は人の命がどれほどの重さかは知らないが、それがほんの数グラムの銃弾一発で容易く奪われることは知っているからだ。
『行くぞ、兵隊ども。英雄になんぞなろうと思うな、塵芥のような功績でも、積み上げ続けていればそのうち嫌でもそう呼ばれるようになる。そのためには、生き残ることが大前提だ』
『『『了解』』』
今日も彼は、歩兵として戦場に赴く。作戦の評価は上が決めることであり、彼が考えることではない。彼はただ、命令通りに任務をこなし、生きて帰ればいい。
そして生きて帰るためには、対抗出来ない戦力、即ち。
「危ないモノ」に、近付いてはならない。
ポーンは長年の戦闘で身に付けた、彼をよく知る者たちが「嗅覚」と呼ぶ能力で、危険の有無を確認しながら通路を進み。
次の瞬間、自身の首がズルリと滑り落ちたことに気付いた。
「――――」
驚きの声を発する間もない。通路に転がった彼の頭部は、直前の命令を律儀に遂行しようとした身体が数歩進んでから崩れ落ちるのを呆然と見た。
その後ろでは、彼の部下が彼と同じように、何が起きたかも分からぬまま死んでいくところであった。
ある部下は、両手両足を切断され、通路の床と壁と天井を鮮血で赤く染め上げ絶命した。
ある部下は、脳天から股下までを両断され、右目で左半身の、左目で右半身の断面を見ながら絶命した。
ある部下は、五臓六腑の全てを刺し貫かれ、自らが死んだことにも気付かぬ内に絶命した。
ある部下は、全身のありとあらゆる場所を切り裂かれ、元が人とは思えぬ姿となって絶命した。
ある部下は、胴を上下に分断され、倒れ込んだ頭が床に触れる前に脳を串刺しにされ絶命した。
こうして、ポーンの率いる分隊は、あっけなく全滅した。
「……………………はっ」
数瞬後、ポーンは自分の意識がまだ残っていることに気付く。慌てて首に触れ、先ほど失った筈の頭部がまだ繋がっていることを確認した。
それどころか、身体には傷一つない。彼の部下たちも同様であった。
「な、ん……だ。今、のは……」
問うまでもなく、答えは出ている。アレは圧倒的な「死」の予感に、走馬灯すら放棄した脳が見せた幻覚だ。
同じようなことを、無数の死線を潜り抜けてきたポーンは何度か体験していた。だがそれまでのモノと明らかに違う。
まず、あれはもはや予感というよりも確信だ。それほどまでに濃密な、絶対的なまでの「死」だった。
そしてなにより。
ポーンはまだ、自身が危機に陥っているとは、微塵も認識していなかった――
「た、隊長っ!」
「!」
部下が一人、言いながら通路の先を指差す。精鋭である彼らが、敵地で迂闊に肉声を発するなど通常は有り得ない。それだけ動揺しているのだ。
それを咎める余裕がポーンにある筈もなく、部下が指差した方向へ目を向ける。
――そこに、居た。
隠れるでもなく、武器を構えるでもなく。
ただ静かに両目を瞑り、佇んでいた。
(あれは――)
ポーンたちは、事前にIS学園の全職員と全生徒のデータを把握している。その中に、眼前の「敵」と合致する人物はただ一人。特徴的なその人物は、特に記憶を探るまでもなく思い出せる。
全職員、全生徒の中で唯一、隻腕の人物。
井上真改。
『ポーンからキングへ! 敵と接触、至急
『こちらキング、映像をこちらでも確認。その生徒は代表候補生でもない一般生徒だ。専用機持ちではあるが、今は装備していない。現状の戦力で――』
『無茶なことを言うなっ!! コイツは――コイツは、ヤバい!!』
ポーンにも、キングの言うことは分かる。常識的に判断すれば、ポーンの応援要請こそどうかしている。
だが、直接対峙したポーンたちだけは理解出来た。
目の前の、白い制服の少女は。
ISどころか、床に突き立てたブレード以外、銃器すら持たぬ少女は。
自分たちに――人間に、太刀打ち出来る存在ではない。
「…………」
すぅっ、と、真改が目を開く。その視線が、寸分の狂いもなく、ポーンの視線と交わった。
(ふざけやがって、こちらは全員が最新の光学迷彩を装備しているんだぞ! センサーもなしになぜ正確な位置がわかる!?)
『隊長、来ます!』
「!」
見れば、真改が床から刀を抜くところであった。それが真改にとって戦闘開始の合図であることは、ポーンたちにも明白だ。
ろくに戦いもせず撤退するなど許されない。だがまともに戦えば、即座に全滅することは目に見えている。
数の利を活かした絶え間ない攻撃で牽制、増援到着までの時間を稼ぐ。
それしか方法はないと部隊の全員が即断し、躊躇うことなく、引き金を引いた。
――――――――――
(……六……全員、か……)
誰も居ない通路の中央で、目を閉じ、ブレードの柄尻に乗せた手で振動を感じ取り、全神経を研ぎ澄ませて敵を探る。
敵が肉眼では視認出来ないことは既に聞いている。最新の光学迷彩とやらで、硝子よりもよほど透過率が高いらしい。
が、見えない程度で完全に姿を隠せると考えられては困る。人間ほど大きな物体であれば、味覚以外の全てで存在を感知出来る。
己に接近を知られたくないのなら、匂いを消し、呼吸をせず、心臓を止め、地に足を着けず、空気を一切動かさずに近付くことだ。
「…………」
取り敢えず、殺気を叩き付ける。相手は動揺して声を漏らし、それで正確な位置が分かった。これで逃げてくれれば、追うつもりはないが。
……流石に、そう都合良く事は進まないようだ。
「…………」
目を開く。敵の姿は見えないが、確かにそこに居ることが感じ取れる。こちらに銃を向け、戦闘態勢を取っている。それを確認し、ブレードを引き抜いた。
ほぼ同時に、発砲される。
「……っ!」
マズルフラッシュはなく、銃声も最小限。サイレンサーは当然装着済み。だがいくら音と光を消せても、射撃の反動までは消せまい。上手く殺しているが、踵が小刻みに床を叩くのを感じられる。せっかく姿を隠しているのに、それでは居場所を知らせているのと同じだ。
ブレードを左肩に担ぎ、身を沈める。銃弾が頭上を通り過ぎて行く。すぐさま狙いが補正されるが、それよりも早く左へ駆ける。床に刻まれた弾痕が己を追うように伸びる。薙払うような銃撃。跳躍して回避。空中では身動きが取れないためこのままでは蜂の巣にされるだろうが、しかし既に間合いに入った。
「……疾っ!」
右手に居る兵を目掛け、ブレードを振るう。全体重を乗せた唐竹割り。敵兵は半歩下がりつつSMGを掲げる。刃が強化プラスチックを切断、切っ先は鼻先を掠めたが、不用意に動いたため隊列が崩れた。生まれた空間に飛び込む。囲まれた形だが、銃を持つ相手にはこれでいい。真っ当な神経をしていれば同士討ちを恐れ、迂闊には撃てなくなるだろう。
「っ!」
着地した己の首へ、滑るようにナイフが振るわれる。艶消しを施した黒塗りの刃。光学迷彩を解除したのか? 首を傾けて避けながら、男を見る。己が跳んだ瞬間には銃を手放し、ナイフを抜いていたようだ。判断が一際早い。隊長か。
「シィッ!」
鋭い呼気と共に、二撃目。ブレードの柄で受け、反撃に蹴りつける。隊長は身を捻り肩からベルトで吊り下げられたSMGで受け止めながら、ベルトの留め具を外した。近距離戦用のSMGとは言え、ここまで近付けば流石に邪魔になる。そも今の蹴りで機関部が歪み、もう動くまい。身を軽くし、近距離戦のさらに内側、接近戦に備えたのだ。
次いで隊長は、顔の上半分を隠していたゴーグルを乱暴に外した。目深に被ったフードの奥で、青い瞳がギラリと光る。積み重ねた戦いの歴史を感じさせる、深い輝き。
――想定を遥かに上回る手練れ。面白い。
「……っ」
隊長が目配せをすると、ヴゥゥゥン……と鈍い音を立て、残る五人も姿を現す。己にステルスは無意味と考えたのか。全く効果がないわけではないが、乱戦の様相を呈する今となっては同士討ちを避けることを優先したか。
抜き放たれるナイフと拳銃。六振り六挺、いずれも同じ、「規格品」。統一された性能。個ではなく群としての戦闘力。「己たち」を山猫とするなら、彼らは狼だ。
(……持久戦は不利……)
もとより長引かせるつもりはない。一斉に火を噴く銃口の先から逃れながら、手近な一人へと跳びかかる。
己を守る銀の装甲も今はない。一撃でも避け損なえば能力が低下し、たちまち押し潰されるだろう。鋼鉄の兵器を身に纏ってのそれとは違う、懐かしい緊張感。遥か昔に叩き込まれた戦闘技能、己の礎が、手にした得物の先端にまで意志を宿らせる。
「――オオオオォォッ!!」
拍動により血流が迸り、全身に力を漲らせる。この身体に収まり切らぬほどの滾り。溢れ出た熱が咆哮となって吐き出され、それがまた己を猛らせる。
互いの目的に妥協は不可能、ならば力ずくでねじ伏せ、押し通すまで。
もっとだ、もっと。
もっと速く、もっと強く、もっと熱く。
戦おうじゃあないか、
――――――――――
「しかし以外だな。真耶、お前が打鉄を使うとは。いつ以来だ?」
『状況が状況ですから。私一人意地を通して、生徒さんたちを危険にさらすわけにはいきませんよ』
「ほう……ならもしかすると、いまや伝説とまで呼ばれるあの技を、また見られるのか」
『や、やめてくださいよ、伝説だなんて……それにアレは、今のISには通用しませんし』
「かもな。だが、ここならば」
千冬は目の前の、長く続く通路を見る。通路としてはそこそこ広い。IS同士でも、すれ違う程度なら難なく可能だろう。しかし戦闘機動、それも回避となれば、十分な広さとはとても言えまい。
千冬は子どものような、悪戯っぽい笑みを浮かべる。他に見ている者が居れば絶対にしない表情だ。だが彼女とて、歩んできた過酷かつ特殊な人生さえなければ、本来ならまだ遊びたい盛りの年齢なのだ。普段から自分を律している分、それはこういった時に発散されることになる。
「……楽しみだな」
かつて千冬と真耶が、国家代表の座を争っていた時のこと。当時最新鋭機であった打鉄に、徹底的なチューンナップを施した真耶専用機。そしてその機体と真耶のみが使うことの出来た、当時「回避不可能」とまで評された、必殺の戦術。今真耶は、それを可能な限り再現するべく突貫工事の真っ最中だ。千冬の役目は、それが終わるまで敵を食い止めること。
「さて。現役時代の真耶を知らんだろう小娘は、一体どんな顔を見せてくれるのか」
真耶自身が言った通り、その戦術は、当時に比べ遥かに優れた性能を持つ今のISには通用せず、世界中が常に注目しているISの話題は流行の移ろいが速い。故に、かつては世を大いに騒がせたにも関わらず、瞬く間に忘れ去られた。それでも、いやだからこそ。それを間近に見、そして身を以って味わった者たちには、まさに「伝説」として刻まれているのだ。
「ああ――楽しみだ」
千冬は腰に差した六本のブレードの内、二本を抜く。真改に渡した物と同じ、それに少々の細工を加えた物。
ブレードを持った両手をだらりと下げ、通路の先、現れたISを見据える。凄まじいプレッシャー。身体の芯が恐怖に震える。これが生身で、最強の兵器に挑むということ。
――それを、真改はやってのけたのだ。未成熟な身体で、ろくな武器もなく、背には無力な少年を庇い、助けが来るかどうかも分からない、絶望的な状況で。見事に、やり遂げたのだ。
「真改。お前には絶対に言ってやらんが、私はお前を、心から尊敬するよ」
ブレードを構える。相手もとうに千冬には気づいている、間合いに入る直前で止まり、油断なく戦闘態勢を取った。
「……ブリュンヒルデ。世界最強。そこをどいてくれ。私とて、できれば貴女を傷つけたくはない」
こちらを気遣うような言葉と裏腹に、語る女の顔と声には一片の迷いもない。必要とあらば殺害すらも厭わないだろうことは明白だった。対する千冬は歯を食いしばって恐怖を噛み殺し、挑発的な笑みを浮かべる。
「随分な自信だな。まさか勝てるとでも思っているのか、お前如きが」
「……自惚れるなよ。所詮貴様は過去の英雄だ、廃れた栄光は武器にはならんぞ。そんなものを支えにISに立ち向かうなど、ただの狂人だ」
千冬は内心でほくそ笑む。そうだ、それでいい。ステルスモードで作業中とはいえ、真耶の存在に感づかれる可能性は決して低くない。それを少しでも下げるためには、自分が単独で、生身でもISに勝てると本気で思っているから戦うのだと、相手に思わせなければならない。
「狂人だと? 私が? ……何を今更、当たり前のことを。伊達でも酔狂でもなしに、世界最強など、名乗るものか――!」
踏み込みと同時に吠えた千冬の言葉は、紛れもない本心であった。
……そう。千冬は
ならばその名を、掲げなくてなんとする。
(分からんだろうさ、お前には)
振るわれる鋼鉄の拳。紙一重で避け、千冬は渾身の斬撃を見舞う。確かな手応え。しかし相手にダメージはない。刃はあっけなくはじかれる。
(姉というのはな。弟や、妹のためには)
そのまま走り抜け、身を捻りながらブレードを振るう。全体重を乗せた唐竹割り。分厚い鉄板をも断ち切る斬撃。高度な複合装甲の前には無意味。反撃の裏拳。避ける。だが風圧だけで肌が裂け、頬に一筋の血が流れる。戦力差は絶対的。それでも。
(たとえ、命を懸けてでも)
繰り出された蹴りを足場に跳び、顔面に向け突きを放つ。相手は避けず、防ぐこともない。直撃。しかし剥き出しに見える顔には、強固極まる
(格好つけなきゃ、ならないんだよ――!)
床に叩きつけられるように着地した千冬に、文字通りの鉄拳が迫る。襲い掛かる圧倒的な硬度、質量、速度。
僅かなミスが即死に繋がる猛攻に、千冬は敢然と立ち向かう。
ただひとつの、ちっぽけな想いを胸に秘めて。
山田先生ってラファールじゃないの?
みたいな感想がありましたが、山田先生はもともと日本代表候補性だったので、現役時代は少なくとも日本産の機体を使ってたと思ってたのです。ただその後なんかあって、国産機を使わないようになったんじゃないかなー、と。
まあただの妄想ですが。そも山田先生の魅力は別のところにあると思うので私はあまり気にしてません。胸部装甲の方がもっとずっと気になります。