「……暇である。とても、暇である……」
ちょいちょい移動を繰り返し、校舎近くの草藪に隠れてからどれくらい経っていたのだろうか。時間を知りたくても、周りに時計が存在しない。それに今どうなっているんだろう。グラウンドの隅に位置するこの場所ではあまり時間確認も状況把握もできない。敵さんも茂みに入っているとは思っていないようだし、かき分けてくるということもない。それも時間の問題ではあるのだろうけど。
……未だに見つからない場所として隠れるべきだろうが、好奇心もあって動き出したいし……全く困ったものである。
隠れ始めた当初よりも周りのガヤは少なくなってきた気がする。警察側も、泥棒側も喚いていたのに、今はセミの鳴き声の方がよく聞こえるようになっているのだ。
それってつまり、状況としてみんな捕まったという事なのだろうか。となれば泥棒の人数が減っている分、マークされる数が増えてしまうのも道理。この場所を探していないと警察側も人海戦術で探し当ててくることだろう。となれば移動するのも策としてありか、いやむしろやるべきなのかもしれない。
周りに警察がいないことをちゃんと確認したのちに、草藪から出る。出来れば最初にみんなが探していて、なおかる状況を逐次確認できるような場所……グランドやグラウンド真ん中にある収容所が見渡せる場所を探す。そんな都合の良い場所が存在するか、非常に疑問なのだけれど。
あまり移動に時間もかけられない。辺りにある場所を探してみれば、校舎横に小さな倉庫が存在していることに気が付いた。
もしかしたら、あそこなら警察側もチェック済みとして探しに来ないかも。それに換気用に木製の格子がついた窓もある。グラウンドの様子も眺められそう。
そそくさと移動を開始する。幸いにして警察側はグラウンドの向こう……校門付近を重点的にチェックしているようで、反対側に位置するこちらには目が回っていないようだ。もしかしたらチェック済みだからということで、気にしていないのかもしれない。
こっそりと入ってそそくさと閉める。音をたてないようにするのも大変だ。
中は思っていたよりも閑散としているものだった。スコップにクワといった農具用品に、バケツやジョーロといった小物ばかりが至る所に置かれている。綺麗に並べられたものではなく、近くに置いたっということが分かるように扉そばに沢山物が置かれていた。間違えたら蹴ってしまって音をたてそうだ。
広さとしては人が20人くらいは収納できそうなほどのスペースがある。窓は1つしか存在しないし、とにかく近くの物をどかして泥棒側の捕縛状況を見てみたい。窓は自分より頭1つ分くらいあるし、170くらいの高さなのだろうか。
とりあえず足元にある物に注意しながら、爪先立ちで外の様子を眺めることにしてみた。そして見てから絶句する。
「……」
まさかの絶望的な状況だった。確か僕たち泥棒は集まった時に確認して7人ぐらいいたような気がする。それが今この場で視認できるだけでも5人。僕を除けば他に逃げているのはたったの1人ということになる。しほぼ捕まっている状況に驚きを隠せない。
そして何よりも驚いたのはその中に古手さんもいることだ。古手さん、始まる前に秘策があるのですよ、にぱーとか言っていたのに。これではやっちゃった、てへッとなってしまう状況ではないのか。
「大丈夫かなぁ……」
そして収容所の警備にあたっている人は2人だ。竜宮さんと北条さんという勝てる見込みのない相手である。たぶん人数が多くなったので、屈強な2人が残る事になったのだろう。その目には逃がしてたまるかという闘争心が見える。
因みに収容所の周りには地面の色が明らかに変わった箇所がいくつか存在していた。それはつまり、そういうこと。
「あれが落とし穴なのか、それともフェイクなのか……」
分かりやすいから見える親切設計なのだが、明らかに別の罠が仕掛けられていそうで怖い。それが北条さんの策略なのかは知らないし、どれだけ相手の先を読んでいるのかは知らないけど。
その時警察側に動きが見えた。竜宮さんが何か北条さんに耳打ちをしたのだ。何か作戦でも思いついたのだろうか。次の一手が気になる中、北条さんが取った行動は演説である。
「圭一さん! 私のトラップを恐れていらっしゃいますの?」
手をメガホンのようにして、彼女は見えない相手に言葉をぶつけていた。
「そうですわよね? このままだと私たちの負けですわ。でも他の皆様が助からない。罰ゲームを受けますのよ? 圭一さんはみんなを犠牲にして勝ちを望みますの? はぁ……私は失望しましたわ……」
……いつの間に捕まった人も罰ゲームを受けることになっているのだろうか。隠れていた時にこっそりか。ほんともう……誠に遺憾である。
そんな心のツッコミをよそに北条さんは嘆かわしいとばかりに両手で顔を覆っていた。
「圭一さんはそんな肝っ玉の小さい人間だなんて……。私の勝負から逃げるなんて」
よくもまぁ、あれだけのトラップを仕掛けておいて言えるよねぇ……。
明らかに前原君をおびき出そうとしているのが分かる。全くもう少しおびき寄せる言葉を考えるべきだ。釣りだって魚を釣るときには餌が必要だというのに。それさえも不十分なこの演説。前原君はきっと計算してくれるに違いない。きっと自分たちの勝利を計算して、
「へっ! 誰が逃げるかよ!」
逃げてほしかった。
前原君は僕とは反対側、グラウンドの奥の茂みに身を潜めていたようだ。そこから飛び出しての決め台詞。なんとまぁ……愚かしいことを。
収容所のみんなが騒然としている。なぜ来たのだ、逃げればいいのだとそんな言葉が羅列していたのだが、前原君はそれを一言で一蹴した。
「俺は仲間を裏切らねぇええぇええ!!」
一蹴と共にイノシシのように、一直線に駆け抜けようとする前原君。その姿に迷いは存在していない。
そして他の警察は前原君を追いかけようとしなかった。止めに入ろうとしたり、邪魔しようともしない。もしかしたらそのような手筈になっているのか、それともこの前原君の勇士を見たいと思ったのか。……まぁ単純に考えたら空気読んだだけか。
ただ猛然と進む前原君。そんな姿を仁王立ちで立つ北条さん。
みんなが注目するこの一勝負。一騎打ちはどちらに軍配が上がるのか。真っ直ぐ進む前原君の先には落とし穴が存在する。そこさえ抜ければ収容所のみんなを解放でき、時間的に泥棒側の勝利といえる。つまりこれが勝負の行方を左右することとなるのは明白だった。そう思えば、思わず生唾を飲んで見守ってしまう。
勢いを止めない前原君。そのままだと落とし穴にはまってしまって、捕まってしまうのか。
「残念ですわね圭一さん。この勝負私の勝ちですわー!」
「どうかな? どうせお前は俺がこの落とし穴を親身に受け止め、別の場所に移動すると考えているのだろう。そして実はそこに穴を仕掛けている」
「……」
「つまり! 俺はこのまま真っ直ぐいけばいいんだ!」
心理戦の押収。
今の説明通りだと目前に迫る変わった地面の色も進んでいくはずだ。だが、そこで驚くべき行動を彼は取る。色が変わった地面に対して、前原君はジャンプして飛び越えようとしたのだった。
「な、なんですってー!?」
「だがそれもフェイク!! どうせお前はこの俺の考えも読んでいる事だろう。つまりお前は二つに穴を用意している! ならばそこを超えていけばいいんだぁ!」
前原君と北条さんの裏の裏を読みあう戦いは時間が長く感じられた。そこだけ世界が止まってしまったかのよう。軍配が決するその瞬間、ジャンプしている彼の雄姿を目に焼き付けられそうだ。
「残念だったなぁぁああああああ!?」
……そして瞬間の感動は、前原君の姿と共に消えてしまった。
ズボッという音。前原君は落とし穴にはまってしまった。しかも足だけというわけではない。身体全体が消えてしまうという落とし穴という可愛いレベルを超えたものだ。悲鳴だけが聞えるのが空しさを強調させているように見える。
そして一瞬にして見えなくなってしまった前原君を、高笑いで今回の勝負に勝利したことを告げる少女がいた。
つまりは、そういうことである。
「をーほっほっほ! 圭一さんの考えなんてスプーン一杯の水くらいの浅さですわー! 私のトラップを潜り抜ける事なんて出来なくてよー!」
そして更に追い打ちをかけるためか、北条さんは前原君が先ほど落とし穴と予想していた場所に近づく。そこを足踏みして落とし穴がないことを証明した。
……前原君本人は見えないけど、まぁそこは愉悦というやつなのかもしれない。勝者は高らかに語る権利があるだろうし。つまり前原君は完璧に手のひらで遊ばれただけという事だ。
「これで後は孝介君一人だね!」
「さぁて! 孝介さんも圭一さんのようにトラップでからめ取って差し上げますわ―!」
捕まった圭一君を抑えながら大声でそう宣言する北条さん。どうやら僕だけしか残っていないようで、みんな僕の事を血眼になって探すことだろう。今更になって、この場所の危機感を覚えた。確かにこの倉庫はチェック済みで調べられることはないかもしれない。
でも、もしここをもう一度見ていこうというヤツが出ればどうだろうか。そうなればこの場所は袋小路になっているため、一発でアウトになる。逃げる場所の確保をすべきかもしれない。そう思えたのだ。
今は前原君の後処理にみんなが夢中になっている。確かに警察側と距離が近いのだけれど仕方ない。
「移動しないとな……」
爪先立ちを止めてゆっくりと足を動かす。目線は下にして、散らばった小道具に注意していく。
とりあえず扉を開けるときもゆっくり開けないといけないな……。
……そしてそう思っていて、周りに気を配れなかったのが原因なのかもしれない。扉近くにスコップが立てかけられていたのにそれを気にしていなかった。スライド式の扉、入るときとは違う扉で入ろうとしたのが間違いだった。開けようとしたとき、スコップが横に倒れる姿を視界に捉えてからようやくその間違いに気づく。
だけどもう遅かった。慌てて掴もうとした僕を嘲笑うかのようにスコップは音を立てて落ちてしまった。
『からーーーん!!』
「……」
『なんか音聞こえたよ!』
『孝介さんじゃない?』
『あそこの小屋だ!』
一斉に騒がしくなる警察側。そりゃあそうである。
さて、今外に出れば確実に警察と追いかけっこが始まることだろう。そうなれば体力のない自分が追いつかれて捕まって、泥棒側の負けとなる。
……となれば、ここでやるべき事は一つだけだと僕は扉に手を掛けた。そのまま誰かが開けようとするのを両手と体重を使って全力で押さえる。何度か力が加わるのだけれど、それもしばらくの間だけだった。
後に向こうから話声が聞こえてくる。
『あれ、ここって鍵かかっていたっけ?』
『倉庫だしね。もしかしたら鍵かけてるのかも』
もしかしたら、ここを訪れなかったのは倉庫だから鍵がかかっていると思っていたからなのだろうか。でも今はそんなことどうでもよい。みんなが勘違いをしてくれている。それが重要なことであって、このまま上手くいけばやり過ごすことが可能かもしれない。
そんな儚き希望を抱いていたのに、委員長の一括によって希望も潰えることとなった。
「みんな騙されないで! 孝ちゃんはここにいるから!」
『そうなんですか?』
「ここは確か農具が置かれていた場所だよ。ここは学校が始まる前に開けてもらう事は先生に聞いている。なのに今は開いていない」
『単純に開け忘れじゃないんでか?』
「その指摘はもっともだけど、あたしは今日知恵先生が開けている姿をちゃんと確認した! これはおかしい事だねぇ。つまり!」
いきなり強い力で引っ張られて惜しくも少し開いてしまった。その隙間から園崎さんの不敵に笑う顔が覗かせていた。
「孝ちゃん見っけぇ!」
「あぁ!?」
ばれてしまった。
こんな時のための隠し通路という出口がもう一つありますよ、なんて親切設計にはなっていないし、どうすればいいのだ。
全体重を使って扉を抑えながらも狼狽える間に、続々と集まってくる警察陣営。ドアを引っ張る力が強くなってきて、もはや非力である僕の力は負けかけていた。隙間は徐々に広がっていく。
「孝介さん! これで終わりですわー!」
更に北条さんの参戦。当然だ。これで園崎さんたちの勝利となりえるのだし、ここで加わってくることはおかしいことではないだろう。
徐々に開いていく扉からニョキっと出てくる魔の手からかわしていこうとすると余計に力を入れることが出来ない。
時間は一体何をしているのだ。早く鐘を鳴らしてくれー!
だがそんな思いは届くことはなく。
「もう……無理ぃ……!!」
遂に開け放たれた扉。そこから続々と入ってくる警察。防がれる逃走経路。
突破口なんて存在しない、まさに八方塞がりであった。
端っこまで追い詰められた僕は何とか身をよじりつつも最後の抵抗、説得を試みる。
「こ、こんな形でいいの!? もっと堂々とした戦いにしたくないの!?」
「ごめんねぇ、孝ちゃん。おじさんたちはただ純粋に勝利を得たいだけなんだからねぇ」
「会則二条。一位を取るためにはあらゆる努力をすること!」
説得、失敗。泥棒側終了のお知らせです、はい。
手をわなわなと動かして近づいてくる園崎さんを見つめながら、敗北を理解していた時だった。
『みんな逃げてぇ!』
そんな言葉と共に騒がしくなる外。その音は僕だけでなく北条さんたちを戸惑わせるものとしては十分だった。倉庫の中が一瞬静まり返る。それを打ち破ったのは偵察にいった警察グループの1人だった。
『収容所のみんなが逃げてる!』
「どうしてですの!? まさか! 収容所の中に生き残っていたモノが!?」
「そんなはずない! あたし達はちゃんと捕まえていたはずだよ!?」
突然の事態に付いていけない様子のみんな。僕もそのまま固まってしまっていた。
『竜宮さんだ! 竜宮さんがみんなにタッチして解放している!』
『何で!? 竜宮さんって警察だよ!?』
「確か今日のレナさんは牢屋の監視役を自分から――――まさか!」
その言葉にこの場にいるみんな気づいた。竜宮さんは警察側じゃなくて元から泥棒側のグループだという事に。今まで追いかける事をせず、牢屋の監視役をしていたのは泥棒にタッチ出来なかったから。今まで黙っていたのは唯一のチャンスを狙っていたという事か。そしてそれが今だったから、みんなを解放している。
今全員が解放されてしまっては警察側の敗北はほぼ決定的だろう。見事な策略としか思えない。そうか、これが古手さんの言っていた策略というやつなのか。
人数が奇数だからこそ出来たフェイクである。まさに敵を騙すならまず味方からというやつだ。
「み、見事に騙されてしまいましたわー!!」
北条さんが頭を抱えて悶絶していた。時間もないし、何より出し抜かれたのだ。彼女だからこそ、そのショックは計り知れないものだろう。寝耳に滝と言えるかもしれないものだ。
ショックを隠し切れず棒立ちになってしまっているみんなをよそに、外から前原君の言葉も聞こえてきた。
「レナ! 最後は俺だ。頼む!!」
どうやら残りは前原君だけ。竜宮さんもすぐにタッチしてその場を逃げる――――
「ごめんね圭一君」
何故か竜宮さんが謝っている。会話内容だけにその状況は更に理解が不能だった。
「……おい、なんで逃げるんだよ! おい!」
「……みぃ。かぁいそかぁいそなのです」
「な、なんだよ」
「私ね。圭一君のあんな姿や、こんな姿を見たいんだぁ!」
「い、いやどうして!? どうして俺だけが!」
「……圭一。今日の罰ゲームルールをよく思い出すのですよ」
「ま、まさか……」
「……ボクたちが勝っても収容所に残っているものは罰ゲームなのです。それに今回の罰ゲームはコスプレなのですよ、にぱ~☆」
「はぅう! 圭一君のかぁいい姿が見られるよう!」
「ちょっと待てえええええええ!?」
……とりあえず前原君は不憫で仕方がないという事だけは理解できる。竜宮さん、一歩間違えれば犯罪者として摘発されてもおかしくないようなことを言っているよ。……本当にもう、
「孝介さん。タッチですわ」
僕も同じことされるのかなぁ……。
へたり込んでいる僕をよそに、この戦いの終わりを告げるベルがこの学校中に鳴り響いた。