次の日、予定通り雛見沢最大の祭りである綿流しは始まった。この日になると村だけではなく、隣の町や近くの県からも綿流しのイベントのために訪れると聞いてはいた。が、実際目にすれば人の密度に驚かされる。この村に来てから人込みを気にするなんて思いもしなかった。父さんが早めに退勤すると言っていたのも頷ける。これは一見の価値ありだ。
とはいえ、僕らが集まったのは校舎前。昨日魅音さんが署名活動の結果発表を行うためだ。
ここに集まったのは僕を五人。竜宮さん、園崎魅音さん、詩音さん、そして前原君のメンバー。因みに古手さんは大切な奉納演舞のために準備中だ。巫女服姿を拝めると、燃えていた前原君が懐かしい。
北条さんはここにはいない。分かっていたことだけど、やはり辛い。きっと今頃、叔父さんに……。
『少しだけ、このままに……してください』
あの時何も言わずに撫でた行動は正しかったのだろうか。あの後は無言で手を繋ぎ、帰っただけで何かしたわけでもない。きっと、前原君ならもっと気の利いたことが出来たのだろうなと色んなことを考えてしまう。
「孝介君。大丈夫かな、かな?」
「え、あ、うん」
「それは大丈夫そうな返事じゃないぞ、孝介」
「あはは……自分でもそう思うよ」
「一桁しか集められず、今回の勝負に自信がない、こんなところですかね?」
「そんなのではないよ」
「……それで魅音。結果はどうだったんだ」
みんなを騙せるほどの口が回ることはない。前原君や竜宮さん辺りはきっと何かあったのだろうと感付いているはずだ。それでも深く聞いてこないのは気を使ってのことだろう。
前原君の催促を受けて、魅音さんも結果をまとめた紙を広げる。なぜだろうか、少しばかりご機嫌斜めに見える。
「結果発表! 一位はなんと詩音でしたー」
「お姉、なんとは余計です」
「魅ぃちゃん。かなりショックなんだね」
「そりゃあねえ……ってか詩音、あんた興宮まで行って票集めたでしょ!? この人たちの名前、エンジェルモートのブラックリストで見たことあるんだけど!」
「もちろんです。手段は問わない。村の中で競い合うより別の場所、アウェイよりホームを選ぶのは当然ですから」
アウェイの雛見沢よりもホームの興宮。それを言われて納得してしまう。
恐らく隣町の人たちは署名活動の中身について深く考えることはなかっただろう。悲しい子が家庭内で虐待を受けている。その話を聞けば、誰でも署名しようするからだ。
だけど、雛見沢ではあの事件を気にしている人も多い。悲しいことだけど、署名に消極的な人がいるのは事実だ。
本人は意図していないと思うけど、この村にとって北条さんはアウェイだと言えそうだ。
「因みに詩音はいくつなんだ?」
「うーん。正確に数えていないですが、恐らく五十行くか行かないかですかね」
「げッ! まじかよ……。流石は隣街だぜ」
「があー! 初参加のあんたに負けるなんて~」
なるほど、それでご機嫌な斜めだったわけか。きっと部長としてのプライドもあったのだろうし、特に実妹に負けるとなると尚更なのかもしれない。勝負ごとだということを忘れれば、喜ぶべきことなのは間違いないのだろうけど。
悶える園崎さんに対して「魅ぃちゃん、次は誰なのかな?」と次の発表をお願いしていた。
「はい、次いこいこ! 二位は私、差は言わないよ。僅差だったけどね!」
「強がってるな、魅音のやつ……」
「あはは。結果の紙を見せないのもばれたくないからだろうね」
「……三位は圭ちゃん。四位はレナだね。それぞれ十四票と十一票っと」
「あら、これは少ないですわね」
「おい! なんで俺たちの時は言うんだよ!?」
二人とも意外に票を集めることが出来ていなかったようだ。やはり雛見沢で集めるとなると、一日だけでは量も限られているようだ。
「で、三票の孝ちゃん。覚悟は出来ているんだろうねー?」
「……覚悟は出来ています」
ここにいる人で呼ばれていない人はただ一人、まあ負けると思っていた。北条さんと別れてから頑張ったけど、自分と親含めて三票だし。
「三票ですか。思ったより多いことに驚きました」
「褒められている気がしない……」
「しっかしほんと弱いねぇ。孝ちゃんがいつか上位に来るときはあるのかな?」
「努力をしてはいるんだけどね。一応綿流祭四凶爆闘の対策はしてきたつもりなんだけど……」
「ほほぅ。そこまで言うからには一位を取る自信があると見えるね」
「それはそれとしてだ。魅音、罰ゲームには何を考えているんだ?」
先ほどまでとは違って楽しそうな園崎さんに苦笑しつつ、遠くで賑わっているであろう祭りの方角へと目を向ける。今日はとびきりと言っていたが、祭りもあるし楽なものだろう。そんな楽観的に見ているのもあるかもしれない。
まだ昼と言える時間。とりあえず身を焦がすような暑さと僕のスペックを考えてくれた罰ゲームにしてくれると助かるんだけど……。
「あらあらこんな所で出会うなんて奇遇ね。祭りを抜け出して、怪しいことでもしているのかしら」
笑い声で気づいた。眼鏡を掛けた真面目で温厚そうな男性と金髪ロングの女性の二人。女性の方は確か鷹野さんだ。以前お世話になった医療所で見たことがある。今はナース服ではなくて普段着っぽい。あとは綺麗な人だってことと、母さんと同じ職場だってぐらいしか知らないけど。
男性の方はカメラを構えて一枚撮ったあとに笑いかけてきた。筋肉質な身体だし、アウトドアな写真家なのかな。この狭い村で見たことがないということは別の街から訪れた人だと思われる。
「この人は富竹さん。孝介くんは初めてだったよね?」
「みんなは知っているの?」
「うん。時々こうやって雛見沢に訪れて写真を撮っているんだ」
「今日は昼の間に人の少ない風景写真を撮ろうとしていたけど、まさかそこで君たちに会えるとはね。あれ、だけど北条さんは?」
「沙都子はいま別件でいないよ。今日は梨花ちゃんのお手伝いがあるからって」
魅音さんは迷うことなく嘘をついていた。
「それで、ここで何しているのかしら? 罰ゲームと言っていたけど」
「部活ですね。ちょっとしたゲームをしていて、最下位の人に罰を与えているところです」
「罰なんて、物騒な話ね」
鷹野さんは満面の笑顔よりは妖艶な笑みでクスッと笑った。やっぱりナースで見ていた時もそうだったけど、美しいというより怪しい雰囲気が印象的だ。隣の男性は不愉快なのか、その彼女を見て口元を小さくゆがめている。
「そういう鷹野さんたちは何しているのかな、かな?」
「ちょっとレナ! この二人を見れば何してるかなんてわかるでしょ!?」
「ぼ、僕らは別にそういうつもりで……」
「あら? ジロウさんは違ったんですか?」
「いや、そんなこと……」
さっきから何を話しているのか。具体的な単語が出てこないと分からない。
とにかく富竹さんは焦っていて、園崎さんはニヤニヤとしていて、鷹野さんは楽しそう。他のメンバーも何か分かったと言うように黙ってその三人を見守っていたのだった。
「ふふ。まあ本当のことを言えば、ちょっと約束をね」
「約束、ですか?」
「あなたの母親と会う約束。篠原さんは詳しくは聞いてないようね」
昨日はあまり話す機会がなかったのもあったし、聞いていない。それより午前中は仕事だと嘆いていた。
「僕は誘われてないけど、そのあとに雛見沢祭りに行くからね。君たちは?」
「私たちも罰ゲーム執行してから向かいますね」
「そりゃあ良かった。やっぱり綿流し祭りには子供たちの笑顔だと相場が決まっているからね」
「……それと事件も。そうでしょ? ジロウさん」
「鷹野さん、いまここでその話をする必要は……!」
富竹さんが慌てて制したのだが、鷹野さんは黙っていても仕方ないと自分の弁解を述べている。それにもう、僕らには聞こえてしまった。
綿流し祭で起こる事件。なぜかその意味を考えた時、急に胸騒ぎを覚えた。何より、僕はその話をなぜか知っている。どこかで知った覚えがある。
頭の隅、もやもやとした中にある一つの言葉。それは事件というキーワードから連想されて出てきたものだ。
「誰かがいなくなって、誰かが死ぬ……」
「へえ、篠原さんは知っているようね」
「なんだよ、それ。何かの伝承か?」
前原君は知らないようで周りに説明を求めている。僕も頭の中で出てきた言葉を言っただけで、具体的な中身について説明出来ない。
他のメンバーを見る限り、どうやら三人は知っているようだ。そして互いの顔色を窺い、諦めたように竜宮さんが話し始める。
「……圭一くんは知らないよね? 綿流し祭の当日に起こる事件」
「もしかして、沙都子にまつわる事件に関係があることか?」
前原君の質問に竜宮さんは頷いた。恐らく北条さんの両親の死と兄の失踪のことだ。まさか今日がその日を示していたなんて。
「この村では奇妙な事件が起こるようになったのよ。毎年一人死亡・一人失踪する奇妙な出来事。それが雛見沢連続怪死事件と言われているわ」
「毎年……」
「過去四年連続で起きているから今年も間違いないでしょうね。一部ではオヤシロさまの祟りと言われているわ」
「……それは一体、どういう意味ですか?」
「被害者のほとんどが村に敵対した人物なのよ。北条家が何をしてきたか、あなた達なら分かるでしょう?」
「嫌な言い方ですね」
北条さんのことについて良く思っている詩音さんが真っ先に毒づいた。
「そんな睨まれても困るわ。事実であることには変わりない」
「……」
「私はむしろいまここに沙都子ちゃんがいないことを危惧しているのよ?」
「……それは、事件に沙都子ちゃんが関わるかもしれないって言いたいのかな、かな?」
「両親に兄と叔母。ここまで連続して何かあれば、独り身の彼女に何かあると考えるのは当然でしょう?」
明らかに雰囲気が一変した。不快な気持ちを露わにするものや眉を潜めるもの、睨んでいるものととにかく悪い意味で表情が変わっているのだった。僕もきっと、同じような顔になっていることだろう。
そしてそうした張本人であるにも関わらず、鷹野さんは涼しい顔のまま腕を組んでいた。
「いい加減にしないか。いまここに居るのは沙都子ちゃんの友達だぞ」
流石に度が過ぎたのだろう。そこで富竹さんが鷹野さんの肩を掴んで止めた。
「そうね。ふふ、ごめんなさい。でも私はこういう言い伝えが好きだから、つい気になってしまうのよ」
「あ、あの……」
「さて、私たちも時間だからそろそろ行くわ。じゃあまた綿流し祭で」
僕の言葉を聞こえなかったのか、それとも聞こえなかったふりなのか。どちらか分からないが、彼女は踵を返して祭りとは反対方向へと向かっていく。
「沙都子ちゃん。一体どっちになるでしょうね」
鷹野さんが最後に言い残した言葉が耳に残る。聞こえないふりをするべきなのか、それとも聞き入れるべきなのか。それをすぐに判断することが、僕には出来なかった。