■影差し編【Ⅵ-Ⅰ】
「……え、なんで詩音さんがここにいるの?」
次の日となった登校日の初め、学校で最初に発した言葉は挨拶ではなく確認だった。別に詩音さんが来てくれるのは気にしていない。それは僕がお願いしていたからだ。
だけどまさか放課後ではなく登校時間にもいるとは思わなかった。机もいつの間にか用意されているし、今日から一緒に勉強もしていこうとしているのか。
「できるだけ沙都子の傍にと思いましたから。これが一番ですよ」
にっこりと笑う彼女。どうやら彼女の中で学校は乗り物感覚で乗り換えることができるようだ。
「いやいや、え、ちょっと!? 無理でしょ!」
「何がですか?」
「気軽に転校できるわけないよ!! ねぇ!?」
今日一緒に登校した前原君たちに意見を求めようとした。反応は三者三様。感心している、笑っている、はたまた頭を抱えている者がいた。ただ、別にそれは僕を支持しようとした反応ではない。
「さすが村一番の権力を握ってるだけはある。やることが違うぜ」
「魅ぃちゃんも、このことについては聞いてなかったんだね……」
「はぁ……。詩音、あんたねぇ……」
全員この状況を受け入れた上での反応だった。流石我が部のメンバー、ちょっとやそっとの状況では平常心を失わないようだ。この人たちに同意を求めるのは難しいだろう。
だけど、他に同意を得られそうな人物がいない。まだ古手さんや北条さんは登校していないようだし、クラスメートもなぜかもう受け入れた雰囲気を醸し出している。まるでいつもと変わらない日常であるかのように。
「……あれ? これって僕がおかしいのかな?」
どうしてだろう。なぜか負けた気がする。
「大丈夫です。私だって昨日今日で学校を変えることは出来ません」
「あ、だよね。僕の時だって手続きとか、いろいろ必要だったし…………え、じゃあ学校は?」
「有休です」
「それ僕らが使う言葉じゃないよね!?」
正しくはサボり。
「大丈夫、かな。詩ぃちゃんもきっと用が済めば帰ると思うし」
「ま、魅音の姉なんだから、多少の不祥事でも驚かないぜ」
「詩音は私の妹だから」
「いや突っ込むところはそっちじゃないと思うんだけど……」
しかしみんなは詩音さんがサボっていることに対しても特に騒がない。みんなはサボっていることに対して特に問題と思っていないようだ。それよりも別のことに関して、前原君が園崎さんに質問をする。
「魅音、お前たちっていつから入れ替わっていたんだ?」
「あはは……まぁ、気づくよね。あんなことあっちゃ」
それは朝のことで、僕が初めに竜宮さんや前原君に出会ったときに「孝介、お前いつから気づいていたんだ!?」と肩を掴まれた。すでに二人の中で園崎姉妹入れ替え説が濃厚で、それは日常でも入れ替わっていたのではないかと勘繰っていたのだった。そして二人が今いるこの状況で、前原君は園崎さんに真実について聞こうとしている。
「どうなんだ?」
「時たま。私の代わりをしたいとか言うから、それで変わってる」
「じゃあ時々私たちは魅ぃちゃんの姿をした詩ぃちゃんに話しかけてたってこと?」
「そう。今まで黙っててごめんね」
当事者である二人は互いに顔を見合わせる。別に何とも思っていない様子で怒りの感情は見受けられなかった。
「だが、何で入れ替わったりしたんだ?」
「暇なんですよ。あっちだと何もないですから」
「まるで俺たちだと何かあるみたいに聞こえるが……」
「そのつもりで言ったのですが?」
「俺たちは見世物だと言うのかよ!?」
「つまりそういうことになります」
にっこりと笑う詩音さんに前原君の悶絶していた。そしてそれを見て、竜宮さんも園崎さんも楽しそうにしていた。よくありふれた日常、昨日望んでいた日常である中で、僕だけは少し違うことを考えていた。
だって、詩音さんが話していた内容には隠している彼女の真意があったから。それは北条さんのためであるということと、そして聡史君との約束を果たすためであるということ。
きっと彼女はこっそりと北条さんを伺いたかったのだろう。元気にしているか、そしてみんなと仲良く出来ているかを確かめに、彼女は姉にお願いをして、入れ替わった。
みんなと一緒にいることはあくまでついでで本命は北条さんなのだろう。それがわかると、ちょっとだけこのやり取りが面白く見えた。
「孝介君、何か楽しそうかな、かな?」
「うん。こうやっていろんなことが分かると、楽しいなぁって」
「孝介は見世物だと知って喜ぶマゾヒズトなのかよ!?」
「いや別にそういう意味じゃないんだけどね……」
「それよりも、気になることがあるのですが」
詩音さんはそこで話を切り替える。みんなの注目を浴びる彼女は誰の目にも向けることはない。
視線は入口近くの机二つ。そこに割り当てられた生徒はまだ来ておらず、空席になっているのだった。
「北条さんたちはまだ来てないようだね」
「そう、ですね」
「ったく。最近はトラップが無くて寂しいな。早く来て元気な顔を見たいぜ」
「圭ちゃん、別にトラップ受ける必要はないんだよ?」
「そうは言うが、刺激がないからな……」
確かに刺激がないというのはわかる気がする。遊園地でいえばジェットコースターのように、僕らの中で北条さんの行動はちょっとしたスリルを楽しめる要因となっていたのだ。それがないと、少しだけ物足りないというのはわかる気がする。そしてそれは他のメンバーも同じような気持ちだった。
「はいはい! 暗くなっては沙都子に合わせる顔がありませんから」
詩音さんは手を叩いてみんなの陰鬱になりそうな気持ちを切り替えてくれた。昨日言っていた自分がリード
するという言葉が思い浮かぶ。確かにこういう状況下で頼りになるのは気丈にふるまうことが出来る人物だけだ。
そう、気丈に振る舞うことが出来るといえば、もう一人いる。
「そうだな。悪ぃ、俺が変なことを口走ったせいで雰囲気を悪くしてしまった」
「反省しているのはいいことです。なら圭一さんはこれから沙都子の気が済むまでトラップ地獄に合ってもらいましょう」
「げッ。いくらなんでも身体が持たないぞ、それは!?」
前原君がいち早く調子を取り戻して詩音さんに合わせていた。僕らも二人のやり取りを見て、少しだけ明るさを取り戻す。いつもなら時間がかかってしまうというのに、仲間というのは一人増えるだけでこうも変わるのか。そう感じることが出来た。
――――ガラガラ
和やかになったところで、滑りの悪そうな引き戸の音が響き渡った。それが教室入口の戸が開いた合図であり、来たのかと期待と不安の雰囲気を作り出した。それはクラスにも伝播し、がやがやしていた場も静まり返る。
「……みぃ。おはようなのです」
そんな中でスッと入ってきたのは古手さんだ。ランドセルをしょい込み、いつものように登校してきた彼女は俺たちの姿を確認するとにっこりと笑いかけてきた。その表情に僕らも少しだけ期待が高まる。古手さんの笑顔もきっと北条さんと一緒に登校できるからだろうと。
でも、どうしてだろうか。古手さんはその場から動こうとしない。動こうとせず、入口付近で立ち止まったままだ。耐え切れない様子の前原君が先に声をかけることにした。
「おう。おはよう」
「梨花ちゃん、おはよう」
「……おはようなのです」
「なぁ、梨花ちゃん。そこで立ってるってことはあいつも連れてきてるってことだよな?」
前原君の質問に対して、何も答えようとしない。それが不穏な状況であるということは明らかだった。
今度は僕から聞いてみることにした。しかも今度ははっきりと聞くことにする。
「おはよう。ねぇ、古手さん。今日は北条さんと一緒じゃないの? 確か、北条さんの伯父さんから今日は登校させるって言っていたからね?」
「……」
だけど、古手さんは何も答えてくれない。それに入口の方を見つめるだけで、何か話しかけるようなそぶりも見せない。誰かいるのか、それとも誰かいるはずだった場所を見つめているのか。僕の中で考えたくない選択肢が増えていることに気づいた。
「……沙都子は、約束の場所にはいなかったのです」
その言葉は弱弱しく、セミの騒音にかき消されそうな声量だった。古手さんにとって、もしかしたら消えてほしかった言葉だったのかもしれない。ただ無感情に、落ち着いてその事実を伝えてくれた。
「そんな……」
詩音さんの絶望の声、そして竜宮さんたちの息を呑む音さえ、僕には遠い出来事のように感じてしまった。
「……今日は、沙都子は休みなのです」
そう。僕らはこの時になってようやく、あの口約束は何の進展のない口約束でしかなかったということに気づいてしまったのだった。