「なぜですか?」
唐突な質問だったけど、何となくそう聞かれるような気がしていた。
前原君たちと別れる前、ただ一人「一緒に帰ろう」と提案してきた。それ以上何も言わないけど、それが自分に対して言われていることは分かっていた。察してほしい、それが詩音さんから感じ取れた気持ちだ。
振り返って、周りのみんなと目で会話をしていた。どうすればいいか、どうしようか。もう見慣れたメンバーでは表情から言葉が読み取れるようになっていた。ただ全員に言えることは否定的ではなく、いるべきかどうかということだ。
みんなで互いの気持ちを確認し、そして一言、「また明日」という言葉を添えて離れていく。そう、僕と詩音さんで話し合った方がいい。そう判断してくれたのだろう。そして最後まで居残ろうかと迷っていた前原君も「よろしくな」と声を掛けてくれた。それが今までのやり取り。
そして二人きりになって暫く経った今になってようやく彼女の方から声を掛けてくれた。既に夕日も沈もうとしている夏真っ盛り。暑さが少し和らぐ中で、詩音さんもそれに沿うかのように口調から怒気が抜けていた。あるのは後悔による伏し目と噛み締めた唇だけだ。
さて、どうしようか……。
答えることに躊躇いはない。ただその前に確認したいことがあった。
「何が……って聞くのは違うかな。北条さんのこと?」
「いいえ。私のことです」
「詩音さんのこと?」
「なぜ私のことが分かったんですか? あの時の私は魅音として接していたはずです」
詩音さんにとっては意外だったようだ。確かにみんなも気づいていなかった様子だったし、彼女にはまずばれないだろうと自信があったのかもしれない。
「うーん。やっぱり、似てないって思ってた。あの時かな? おかしいなって思っていたし」
「あの時?」
「ほら、北条さんの助けようとした時に、僕を指名したじゃない?」
「孝介さんに指名した時、ですか?」
「そうそう。本当の魅音さんは僕たちを信じてくれるから。その……何というか、あの時なら黙って託してくれそうなんだよ。何ならみんなで助けようとか言い出そうとするし……」
どうしてかと聞かれれば、具体的な言葉は思いつかない。だけど、もっと周りにも気を配り、もっと心を開いて、周りに説明しようとしてくれると思うのだ。そんな彼女にみんなは喋りたいことが喋れて、聞いてくれると安心が出来ていた。一緒に頑張ろうとなれる安心感。それこそ、園崎魅音さんの良いところ。
別に詩音さんが悪いといってる訳ではない。詩音さんは同じようにリーダー的素質があっても、前原くんのように前を突き進み、頼りになる。任せたくなるような意味合いが大きい。
いくら双子だからとはいえ、環境によって変わる本質的な部分を真似は出来るはずがない。人の良い所は違うから良いのだから。
「それで気付けるのですか?」
「なんとなく、だけどね」
流石に説得力に欠ける説明だったのかもしれない。詩音さんは悩ましげに何度も頷いては、僕の言葉を聞き入れようとしてくれた。
「そうですか……。それなら孝介さんは目ざといですね」
「え、それって良い意味で言ってるの。皮肉にも聞こえるんだけど?」
「さぁ、どうでしょう」
彼女はそれで許してくれたのか分からないが、しばらく見なかった意地悪な笑みをそこで見せてくれた。首を振って、周りの景色を眺めていたのだった。少しだけ心の余裕が出来たのだろう。
そしてそれが僕にとって嬉しい。先ほどのような張りつめた空気は部活中だけでいいのだ。詩音さんは余裕のある表情で僕を弄ってくれればいい。……まぁ別に弄られることが嬉しいとは思わないけど。
「やっぱり孝介さんは聡史くんに似てないですね。聡史くんの方が気を利かせてくれます」
「あはは……北条さんを助けるときに、お願いするだけじゃないって言いたいの?」
「もちろんです。悟史くんならああいう時はしっかりと立ち向かってくれます」
説明するように人差し指を立てた。自信ありげなその説明にくすっと笑ってしまうも、すぐに指摘の内容を思い出して萎縮してしまう。
「僕が思いついたのはあれしかなくて。まぁもうちょっとやりようがあったのかもしれないけど」
あの時は必死だったのだ。本当なら詩音さんみたいに、相手に力で教えなければならなかったのかもしれない。昔でいう鉄拳制裁のやり方が正しかったのかもしれない。
でも、それをよしと思わない自分がいた。傷つくなんて、傷つけるなんて、もう嫌だと考えている。誰かが傷つかないなんて都合の良いことばかり考えて、結局は自分の都合で考えていた。
それがこの結果だということがどれほどの幸せか。たまたまが重なった偶然。もしかしたらいまここで立っていることさえ出来ていなかったかもしれない。今になって、自分の中でそんな反省会が開かれる。
「それなら、次はしっかりと頼みますね」
「あはは……。同じ手は何度も通じないだろうし、相手も納得させないといけないとダメだろうから」
「やっぱり、孝介さんは駄目ですね」
「え?」
「まぁいいです。そういう鈍いことに関しては慣れていますから」
真面目に返したつもりだったけど、何かダメだったのだろうか。彼女が悟史さんに対して苦労していたのは慣れているという発言から分かるけど、それだと僕も鈍いみたいに聞こえる。まぁ確かに、彼女の言葉の真意について気づいているかといわれるとわかってないから、なんとも言えないのだけど。
「ごめん。何のことか分かってなくて……」
「それじゃあ謝ってないのようなものです、孝介さん。謝るならこうですよ」
続けて彼女は頭を下げる。そしてその一連が洗練されていることに、美しささえ感じてしまう。彼女がこの村一の権力者の娘であったことを思い出し、そして次になってようやく謝られているのだと理解したのだった。
「え、ちょっと?」
「私の方こそ、すみませんでした。あのままだと私はここにいなかった。感情的で何をするか、自分でも分かってなかったです。それほどまでに……自分を見失っていました」
「頭を上げてよ。僕だって感情的な部分で話していたこともあったし」
「それでも、やり方が違います」
そう言われて気休めの否定ができない自分がいた。彼女の言う通り、僕はあの時どんな行動をするかわからない彼女に危機感を覚えていた。もしかしたら、北条さんにトラウマを植え付けてしまうかもしれないとさえ、その時は思ったのだ。そこまでの冷酷さと憤怒を、僕は知っていた。それを否定することなんて、自分には出来ない。
それに先ほどの忠言もある。安易なフォローは必要ないのなら、彼女が納得し、顔をあげられるように促すことだけが自分に出来ることなのだろう。
「まぁ……スタンガン持っていたからね。もしかして前から計画してたの?」
「いえ、あれは護身用でいつも携帯しています」
「あぁ……はは。な、なるほどね」
「正直、あんな形で解決できるなんて、思っていなかったんです。お願いするなんて、あんな奴に絶対に出来ませんでした。それに、それだけじゃ沙都子は救えないって、思ってたんです」
「後のことを考えるとね。僕がやったことも所詮事態を遅らせただけかも」
「私もそう思っていますね」
「はは……そこはフォローして欲しかったなぁ……」
「でも、その時間こそ必要なのかもしれないってあの子の一言で気づきました」
「それって負けないって言葉?」
そこで彼女は顔を上げてくれた。だが、その表情は少しだけ暗い。
「はい。沙都子はまだ挫けていない、立ち向かう意志があった。それを無下にしてはいけないって、そう思えたんです」
僕が負けないと言う言葉を信じようとしたように、彼女もその言葉を信じようとしてくれていた。
そう知った時に、あの時はあれで正しかったのかもしれないと、ほんの少しだけそう思えた。
「悟史くんは沙都子を頼むと言いました。もしかしたら、今がその時なのかもしれないですね」
「まだみんなと話し合えることが出来るし、まだ北条さんを支えることが出来る」
「そう、ですね。……そう思います」
まだ、その言葉がどれだけ素晴らしいことか。北条さんも来てくれるなら、話を聞きながら対策を取ればいい。もし頑なに彼女が拒んだのなら、無理に聞き出そうとせず、普段通りにしたらいい。彼女が辛くなって相談してきたときに相手になればいいのだから。彼女の心を開く時間だって必要なはず。
北条さんだって、いつまでも耐えているだけじゃない。彼女だって僕たちと一緒に学び、遊び、そして楽しみたいのだ。そう、一緒にいたい。
兄がいない彼女にとって、僕らが友達であり、家族なのだ。そんな僕らに出来ることは彼女の居場所を作ること。それだけのこと。
「これからは、詩音さんも一緒に考えてよ?」
「え?」
「悟史君から頼まれてるんだよね。だったらもっと近くで接していくべきだよ」
言っておいてなんだけど、最初は彼女が断るかもしれないと思った。よく考えれば彼女にだって学校があるし、それに僕たちのグループに加わる必要もない。そう、決めるのは彼女なのだ。あの時の僕のように。
一瞬ぽかんとした顔はそのまま困り顔へと変わり、そして仕方ないと微笑みかけてくれたのだった。
「……全くあなたって人は」
「あれだけ北条さんのことを知ったように言ったんだもん。僕らには思いつかないような期待してるよ」
「もちろんそのつもりです。むしろ皆さんでは頼りないのでちゃんと私がリードしていきますよ」
「そ、そうだね。よろしく……」
やばい、このまま詩音さんが部活を牛耳るまである。とりあえず現リーダーでもあり、部長でもあり、何より姉である園崎さんに舵取りをお願いするしかない。
……でも、本当に出来るのだろうか。逆に舵とられている姿しか思い浮かばない。
「色々と吹っ切れました。ありがとうございます」
「まだ感謝するには早いよ。とりあえず明日だね、重要なのは」
「そうですね。沙都子が来るかどうか。本当にあの人が約束を守ってくれるのかどうか」
「うん」
そう、明日。こんなことがあったからこそ、明日はみんなで普段通りに挨拶や勉強や部活をしたい。
そのためにも、今日はもう帰ろう。北条さんに元気な姿を見せるために必要なことだ。
「じゃあ明日。学校で」
「うん、またね」
明日もきっとうまくいく。そう互いに信じ、力強く帰り道を歩み始めたのだった。