「――――ここだね」
園崎さんが立ち止まって、ぽつんと孤立して置かれた一軒家を見上げた。それに合わせて自分も見上げて確認してみる。
二階建ての木造建築。部屋は多くもなさそうで、決して大きくはない。本当に今まで見てきた村の家々と同じ、一般的な家庭であったことは分かった。
「北条さんが……ここに?」
名前のプレートを見ると、確かに『北条』と書かれていた。中の様子は見えないが、騒がしい様子はなく静かすぎるのが、逆に不穏感を掻き立てていた。今までのようにひぐらしが鳴いてくれればいいのだけど、今は何故か鳴いてくれていない。
もしかしたら僕らの緊迫した状況に空気を読んでくれているのか、なんて変な想像さえしてしまいそうである。
その時、園崎さんが両手を合わせて、気合を入れ直した。
パァンと乾いた音が鳴り響いたと思うと、
「さて、どうしようかね。孝ちゃんがインターホンを鳴らす?」
「……」
正直、どちらでも良いとは思った。インターホンを押すよりも、その後の事で問題が発生しそうだからである。
北条さんの安否を知ろうと先生が聞いても無理だったのだ。僕らが話しても「知らない」の一点張りで突き通されるかもしれないからだ。
だからこそ、今回の目的は簡単で状況の把握。それ以上の結果……北条さんを取り戻すといった好転は望まない。
とりあえず、相手が相手だから怪我だけはしたくない……。
言葉を待っている園崎さんに挙手をすることにした。
「……分かったよ、僕がやる……」
出来れば北条さんが出てくるのを願うばかりだ。それも元気な姿で。それが一番穏便に済みそうな話で、一番可能性の低い話であった。
園崎さんが僕から距離を置くようにして、2、3歩離れていく。それをしっかりと確認してから、インターホンを鳴らすことに。ピンポーン、今まで聞き慣れた音は屋内で鳴り響いている。
後は、相手を待つだけ。
「……ふぅ」
ここに来て、少しだけ恐怖心が。
気持ちを落ち着かせないと、そう思ってとにかく深く深呼吸をすることにした。
近くの溝に流れる川の匂いを微かに感じつつ、扉の先に注目しておく。いつ相手が出てくるか分からないからだ。
そのためにもいつでも準備万端の状態で待つ。
……が、何も反応はない。
「あれ?」
念のために、もう一度インターホンを鳴らしてみる。先ほどと同じように屋内でなっているのは確認できた。ちゃんと中の人には伝わっているはずだ。
それなのに状況は変わらなかった。
まさか、居留守でも使われているのだろうか。そう思って、真っ先に園崎さんへと振り返る。
園崎さんも悩ましい顔になっていたのだが、首を横に振った。どうしようも出来ない、そう言いたいのはよく分かった。
「誰もいないのかな?」
「分からないね。ただ人はいそうなんだけど……」
「だよね。僕もそう思う」
もう時間にして夕方だ。この時間にお出かけというのもおかしな話な気もする。
音は確かに聞こえないのだが、家の電気も窓から見た限り、付いているし。
やはり、面倒だと思って居留守を使っているのだろうか。
「すいませーん!」
「ちょッ!?」
園崎さんの突発的な行動にこちらが反応してしまった。まさか叫ぶとは思ってなかったから。
インターホンから応答しないからといって、いきなりすぎる。
これではただの借金取りのような押し入り方である。
「園崎さん! いくら相手が出ないからって失礼だよ……」
「孝ちゃん。これぐらいしないと相手は出てこないよ」
「全く……」
自信ありありの顔で断言されては、何も言えない。というよりはもう叫んでしまったんだし、時すでに遅し、だ。
全く、この人らしいというか、何と言うか……。
「……魅音さん?」
「……あ」
扉ではない。僕たちが先ほどまで歩いてきた道。
そこに驚いたのは買い物袋を手にし、その場で突っ立っている北条さんの姿があった。
僕らもその声を聞いて、首を回す。北条さんの目線は園崎さんに向けられていたのだが、スッとこちらに向けられて更に目を大きく見開いたのだった。
「それに、孝介さんまで……!」
「や、やぁ……」
ありきたりすぎるような言葉に自嘲したくなった。
その後の言葉をどう掛けたらいいか分からず、とりあえず笑って誤魔化すことに。作っている笑みだろうことは多分相手に伝わってしまっただろう。
それよりも、だ。
北条さんの様子を見てみて、軽く吐息が出てしまう。
「元気……そうでもなさそうだね」
北条さんの様子を見てそう判断する。見た限りでは、外見上の怪我は無いように見える。
いつものように短パン、シャツといった軽装の上だから分からないけど、少なくとも目に見える箇所はそうだ。見て痛々しい、ということが無かったのは唯一の救いなのかもしれない。
しかし……彼女にはいつも見せていたあの余裕の笑み。そして目に力が無かったことは、何よりショックであった。あの元気さが嘘のようだ。
疲れ切っている、と言えばいいのかもしれない。そんな単純な言葉では片付かないかもしれないけど、今はその言葉しか思い浮かばなかった。
不安にさせられる彼女は唇を噛み締めつつ、買い物袋を両手で強く握りしめるのだった。
「沙都子、久しぶり」
「お、お久しぶりですわね」
声にも覇気を感じさせてくれない。それに戸惑いも見られる。関わりたくない意思表示なのか、それともただの驚きなのか。どちらにせよ。やはり親子の関係はよろしくない。先生、そしてみんなと話し合っていた内容で間違いはないのだろう。
園崎さんが僕より一歩前に出て、北条さんに尋ねる。
「ねぇ、今何してたの?」
「今は……買い物ですわ」
「買い物……晩御飯?」
「はい……」
チラッと北条さんは自分の家を確認していたのを見逃さなかった。
「ごめん。もしかして、おじさんは今家にいるの?」
「…………」
「……いるんだね」
分かり易い反応だとは思った。やはり養父であるべき人は居留守を決め込んでいるようだ。面倒だと感じられているのだろう。
園崎さんは露骨な舌打ちをして、忌々しいような面持ちで家の方を見つめるのだった。
「その……せっかく来てもらったのですけど……」
「大丈夫だよ。僕たちは家の中に入りたくて来た訳じゃないからさ」
「そ、そうなんですの?」
安心感を持たせようとしても、目が泳いでいる。変なところで遭遇したために、不安を感じているのか。
……いや、違う。北条さんは何かを知られたくないと思っているんだ。だからこうやって隠そうとしているし、気丈に振る舞おうとしている。
分かる。だってそれは以前の僕だから。
自分がどうしていきたいかさえも隠し、周りに合わせて自分のやり方を押し殺す。そんな自分で鎖を巻きつけ、鍵を掛けた状態。
それが分かるからこそ、こちらは笑顔で対応しないといけない。鍵は彼女しか持っていない。スペアも存在しない。やるのは彼女の意思でしかないのだから。
そう思っていたのに、園崎さんは彼女を縛り上げる質問をしてしまっていた。
「沙都子。あんた、おじさんと上手くいっているの?」
「……ッ!」
彼女の身体が強張る。強く握りしめていた買い物袋が一瞬離れそうになっていた。
北条さんは口角だけを上げて、対応してみせる。
「あ、当たり前ですわ。仲良くさせてもらっていますわよ」
「本当に?」
「本当ですわよ。だって、今もこうやって――――」
「じゃあ、何で学校に来ないの?」
「え?」
「最近全然来てない。風邪じゃないんだよね? それに今日の昼に電話した内容も聞いてたけど……」
「そ、そうなんですの……」
「……あたしだって疑いたくないけど。でも、みんな不安に感じてるんだよ」
「……それは、申し訳ないと思いますわ……」
「別にあんたが謝る事じゃない。何で隠そうとしてるの?」
「園崎さん。それ以上言わないで、お願いだから……」
今の園崎さんのやり方だと、北条さんは自分を見失ってしまう。
みんなとか、仲間とか。そういうのは、自分が見えてこない間は苦しめるだけの材料でしかない。仲間とかでも、多数ではなく一対一で対応しないといけない。
「孝ちゃんはいつも甘いんだよ。沙都子は苦しんでいるのは目に見えて分かってるでしょ!?」
強く当たられて、一瞬だけ怖気づいてしまいそうな自分がいる。
でも……それでも違うと言わないといけない。
「分かってるからこそ、追い詰めたら駄目なんだよ……!」
「追い詰めてる、どこが?」
「孝介さんも、魅音さんも。私のことで喧嘩しないでくださいまし。私のことならこの通り大丈夫ですから……」
「なら、正直に言って、沙都子。あんた、暴力を受けてるんだよね? そうだよね?」
「それは……ありませんわ」
「駄目だよ……」
「……やっぱり、脅されてるんだね」
「詩音さん!!」
北条さんが目を大きく見開いて「……え?」と僕の方を見てくる。当然だろう、今まで話していた彼女が魅音ではなく、詩音だと言われたのだから。
そして園崎さんはというと、こちらを向いて睨みつけている。驚かずに、怒りをこちらにぶつけている。
やっぱり、彼女も分かっていたんだ……。
「やかましぃんじゃ!!」
それは突然だった。
一軒家の二階の窓からガラガラという音を立てた後の、叫喚。
それは以前に道案内をした人その人であり、北条さんのおじさんであった。前と変わらず、短い金髪にピアス、そして派手なアロハシャツを着ているのが分かる。
ヤクザにしか見えないその男は、青筋を浮かび上がらせ、また喚いた。
「沙都子! なに、そこで油売っとるんじゃ! はよ家帰って飯作らんか、このダラズ!」
「ご、ごめんなさいですわ……」
「んで、2人も何騒がしくしてんねん! 近所迷惑だという事を分からんか!?」
近所はないはずだし、先ほどはインターホン鳴らしたにも関わらず無視してきた。明らかに相手にも言及すべき点が存在する。
なのに、怒鳴り散らされた。やはりこの人はこういう部分が短絡的なのかもしれない。
ただ、確かに相手の言い分も分かるので、ここは穏便に済ませるためにも謝る事にする。
「その……すいません」
「あん? おどれ……興宮でおぉたやつか! 何でこんなところにいるんや!?」
まずい。あの時騙していたことがばれそう。
相手のことだからやたらと突っかかってきそう、そう思っていたのだが。
「北条鉄平さんですね」
「あん……誰やね?」
「沙都子の友達です」
彼は眉間を寄せていた顔を更に目を細める。
明らかに友達を歓迎するようなムードではない。
「何じゃ、何でこんなところにいるんじゃ」
「お願いがあります。沙都子を登校させてやってください」
「え……」
鉄平さんは鼻で笑うだけだった。
「こっちにも事情あるんや。何でそんなことせんとあかんねん!」
「沙都子はいつも通り登校しているのに、今は登校していないんですよ」
「だから何やね」
「……え?」
園崎さんが驚いたように目を見開いている。
あり得ないものを見るかのように、彼女は相手を見つめていたのだった。
そして相手はその事を深く考えずに、当たり前だと主張する。
「沙都子が行くかどうか決めるんは親のワシやねん」
「……何……言ってるんですか……」
「ワシらにはワシらの家庭があるんやから、口挟むなや」
「……」
「…………まずい……」
「あんたが、親だって? 笑わせんな」
冷酷となった彼女の目が鉄平さんを突き刺す。それは雰囲気さえ、凍りつかせるもので。
彼女の雰囲気を察して、北条さんは1、2歩後ずさっていた。
「……何やねん。その目は……!?」
「あんたが……あんたのせいでこうなっているのに……!」
「あぁん!? なに訳わかんないこと喚いてんねん!」
「……はは。そうですよね、こんな奴のために、邪魔されるんですね」
彼女は後ろに手を回し、何かを漁っている。
「……何してんねん?」
「沙都子、家の鍵を開けて」
「落ち着いてくださいまし……!」
「落ち着いてるから。だから、“こうする他ない”ってことが分かるんですよ」
園崎さんが相手から視線を外さない。
まるで人を殺すような、そんな冷たい目に、鉄平さんも二階という隔たりがあるにも関わらず狼狽えているのだった。
「な、おどれ……! やるってんかい!?」
「なら下に降りてきてくださいよ。それなら助かるんですが」
「……」
「じゃあ、私が行きますよ」
そう言って彼女は進み……数歩歩いたところで足を止めるのだった。
そして、無表情で首を傾げてくる。
「……邪魔なんですが、孝介さん?」