「よっしゃー!」
前原君の叫び声がグラウンド中にこだまする。試合は中盤、スコアはこちらが0点に対して相手は1点。まさに投手戦と言える内容だといえる試合運びだ。
前原君は土を軽く足で払いながら相手に向かって、バットを向けた。失礼な行動そのままに、相手ピッチャーに向かって喚く。
「ばっちこーい!」
構えなおしながら叫ぶ前原君に、園崎さん含めベンチ一同ため息である。北条さんがツッコミというよりも、馬鹿に仕方なく教えるといった様子で前原君に教えてあげる。
「圭一さん。それは守備をするときに掛ける言葉でしてよ?」
「何!? そうなのか!?」
「圭ちゃーん。とにかく打ってねー」
「任せろー!」『ストライーク!』
そうやってガッツポーズしている間にワンストライクを取られているんだけどね。前原君、せめて相手投手を見ないと……。
「卑怯だぞ!?」
「審判がプレイを宣言しているんだし、こっちが悪いよ」
そうしている間にも相手投手は近くにあるロージンバックを手にしてニヤリとしている。余裕そうな表情で、まるで敵になっていないとでも言いたげな含み笑いである。
それだけ見れば非常に腹立つ行為ではあるけど、相手もそれだけの自信と実力があるので何も言えない。今の今まで相手を空振りにとってきて、しかも力半分といった様子。そんな状況で僕たちの方からがみがみ言っても負け犬の遠吠えにしかならないからだ。
「相手の投手が凄いよね……あれ何? どう見てもリトルで見れる球じゃないよ……」
相手は確かにストレートだけを投げてくれている。しかし、そのストレートにみんな対応出来ない。稲妻のようなスピードで走る球に誰もバットに当てる事が出来ないのだ。
そうこうしている間にも前原君はツーストライクと追い込まれている。
「あっちには助っ人として甲子園経験者の投手がいるんだよ」
「えー。何でそんな人が……」
「何かねー。ライバルチームに負け続けているという話を聞きつけて元出身者としていても経ってもいられなくなったようでさ」
それが本当なら、確かにあの球と自信は納得できる。それに周りにもカメラを構えている人がいるくらいだし、かなりの大物であることは間違いないのだろう。
前原君はそんな相手にも臆する事なく、短く持ったバットを振り抜く。それでもボールよりも下を振ってしまったバットはむなしく空を切っていた。
『三振、バッターアウト! チェンジ!』
「えーっと……三振……と」
因みに僕はマネージャーとしてスコア表を書いていた。入江先生に誘われて始めたのだけれど、ほとんど三球三振。数本だけフライやゴロといった感じ。目新しい内容を書き込めないことに今回の試合の絶望さを物語っていた。
『監督……もう6回裏です。このままだと……』
ライトを守っていたチームメイトが監督もとい入江先生に策を願っている。先生も先ほどから何もしていない訳でもない。相手の癖や球筋といったヒントを得ようとじっと観察していたことを自分は知っている。それでも今まで何も助言出来なかったということはそういうことなのだろう。
「そうですね。このまま何も出来ないのはまずいですね……」
この回も何も得られない。そんな感じでため息を付いていた。
「何がまずいんですか? 相手は甲子園出場校なんですから、打てた方がおかしいというか……」
「篠原さん、スコアを見てるのなら分かると思いますが、ヒットの数は何本か分かりますか?」
「えーっと。0、ですね」
「それを完全試合と言いましてね。フォアボールもないですし、誰も一塁を踏めていないんですよ」
確かにいくら相手が相手だとしても悔しいものである。でも、数本のまぐれで当たっていることだってあるし、相手も流石に変化球といったこともしてこない。もしかしたら一本が出るかもしれないと自分は考えていた。
でも野球をよく知る先生はそう思っていないようだ。苦笑をし、困ったように手を組んで考えていた。
「どうしたものか……。スタミナもありそうですし、何より制球力があるのが厄介です」
個人的には野球を細かく知っているわけではないので、先生が何を言っているのかさっぱりだ。制球力というのは、やはりあると厄介なのだろうか。
とにかく厳しい相手である、ということだけが自分の中で分かること。
どうにかしてチームのためにアドバイスをしてあげたいところなのだけれど、余計なひと言は更に場を混乱させてしまうだけだ。鼓舞も出来ないだろうし、黙っておくのが正しい選択であろう。
『ファイターズのみなさん。早く守備についてください』
審判から催促されてしまい、またも策が練られぬまま試合は続きそうだ。園崎さんがマウンドで軽くため息をついているのを見ながら、ポジションであるセカンドにつこうと隣でグローブをはめている前原君に尋ねた。
「やっぱりバットに当てるのは難しいの?」
「実際に立てば分かるぜ。あれは160キロ出てる」
「そこまで飛躍した嘘つかなくても……」
「体感的な意味でだ。全く、容赦がないぜ。まさか甲子園級の投手を出してくるなんてな。全く球を飛ばせる気がしねぇ」
飛ばせる気がしない……か。やはり球に当てるとなると力が必要だろうし、この回で前原君が倒れたのは何気に痛いことだったのかもしれない。
「うーん。だけど球が飛ばせないとなると……」
部活でなら相手チームに……例えば投手へ揺らがせる言葉攻めをするとか。精神的に追い詰めれば何か変わる……とかなんとか言って。でも相手が相手だし、流石に自重しないといけないだろうなぁ。
「何だ孝介? 何か策があるとか言うのか?」
「え、あぁううん。流石にやってはいけないことだなぁって思ったからさ」
「……そうか」
瞬間前原君が残念そうな顔をしていたような気がした。もしかしたら僕が考えていたことを言ってほしかったのかもしれない。
言い直すということも考えてもいいが、どうせ言っても
「圭一さん。少し時間いいですか?」
北条さんが僕らの会話に割り込む形で話を振ってきた。
「どうした?」
「とりあえず向こうまで歩きながらでも話せる内容ですから」
「了解。じゃあ孝介、俺たちは言ってくるから、華麗な守備を期待しろよ」
「さっき悪送球して1点献上した人が言うセリフなのかな?」
「それは言うなって!」
「あはは。当然応援してるよ、頑張ってね二人とも」
そう言って送り出す。二人はそれぞれポジションへ向かいつつもグローブを使ってひそひそと話していた。一体何を北条さんは狙っているのだろうか。
じっと見つめていると、それはやがてニヤニヤに変わっていた。何か良くない企みが考えられたのではないかと思わせる表情だ。部活を一緒にしているからこそ分かる表情。
「よっしゃー! それで行くから、しまっていくぞみんなー!」
何がそれで行くのかみんなは分からないまま、とりあえず前原君の掛け声に合わせて手を上げる。とにかくこの回を凌がなければ意味がないのだ。ここでもう一点入れられることがあれば負け確定である。
「園崎さん、頼みましたよ」
隣に座る先生がそう言って、状況を冷静に見続けている。信頼の証なのだろうか、言葉とは裏腹に表情は柔らかく、温かい。
そんな園崎さんの投げる第一投。甲子園級と比べれば遅い球かもしれないのだが、気持ちが入った良いボールだと思えた。三振を取ることはない打たせて取るピッチングで今まで抑えてきたのは今回も出来そうである。
「ここまできっちり抑えてますから大丈夫だと思いますよ。でも園崎さんって運動神経いいんですね」
「えぇ。園崎さんは雛見沢ファイターズの大黒柱的存在ですから」
「やっぱり打撃でもいつも打てているんですか?」
今日は流石に厳しいだろうけど、他の日では当てられているんだろうか。
「えぇ。園崎さんに北条さん、それに竜宮さん。みなさんしっかりと打ってくれます」
「竜宮さんは今日は久しぶりと言っていたんですけどね」
彼女はやるより見る方が楽しいと言っている。今回は人数の都合上出てもらっているけど。
「孝介さんも次に試合があるなら出てはどうですか?」
「え? それはちょっと……」
みんなのように綺麗にスイングできると思えないし、チームの勝敗が掛かっているというプレッシャーにも耐えられそうにない。
守備だってエラーするのが当たり前だろう。
『よっしゃ、まずは1アウト!』
前原君が自分の方向にふわりと浮いたボールをキャッチして叫んだ。みんなもそれを見て腕を天に突き上げて
この回も無事に終わりそうだと安堵していると、
「悟史君も最初はそんな風に言ってました」
「え?」
「自分は出来ないだろうからといって遠慮していたのです」
入江先生は僕が何も言わないことを確認してからそのまま続ける。
「でも彼はやってくれました。するとどうでしょうか、練習では三割を打てるコンパクトなバッターになれました」
「三割って……練習のときだけですか?」
「試合になると緊張で打ててなかったですね」
「それは駄目なんじゃ……」
思わず突っ込んでしまったことに対して、入江先生は2アウトを取る園崎さんのガッツポーズを見ながら首を振った。
「そういう意味じゃありません。それでも、悟史君はやってくれた、ということです。嫌になる事なく、楽しそうにのびのびと」
「……」
「何事もチャレンジですよ? やってみないと分からないことばかりですから」
「そう……ですね」
納得するべきなのだろう。やるべきなのだろう。そう思うのは本当の話だ。
……でも、以前それをやってしまって取り返しのつかないことがあったような気がする。遠くもない思い出にそんなことをしてしまって、そして後悔をした。もうあんな想いはしたくない、そんな気さえしてしまうのだ。何かと言われれば、あやふやで言葉に出来ないのだけれど……。
園崎さんが最終回を迎えるための全力投球を見ながら、僕が言えたことは一言だけだった。
「考えておきます」
その一言が今の言えること全てだった。