それから暫く経っただろうか。北条さんと2人でぼーっとしている時間が続いていた。
理由としては話すネタが無かったというのがあったけど、それ以上に何か気恥ずかしさがあったのだ。変に意識しすぎなのかもしれない。
そう思っていた僕だけど、北条さんがどう思っていたかまでは分からない。ずっとこちらにつむじを見せるかのように俯いていたからだ。表情も見えないし、何を考えているのかは分からないまま。
そんな状況は約5分くらい続いていたような気がする。時計の針、夜でも夏のセミがけたたましく鳴いているのをバックに流れゆく時間はゆったりとしていた。
そんな時間が消えたのは廊下から踏み荒らすような足音が響き渡った時。室内と廊下を繋ぐ扉が大きく開け放たれ、そこから迫真な顔でこちらに駆けよる姿がこれから騒がしくなることを確信させた。
「大丈夫か!? 隣街で暴力に合ったんだろ?」
肩を掴まれて強く揺さぶられる。こういうときこそ落ち着きが欲しいのに、彼には持ち合わせていなかったようだ。
脳がかき回される前に止めてもらおうと前原君の手を掴む。
「あの、う、うん。前原君とりあえず、落ち着いて……」
「そうだよ圭一君。孝介君が困ってるよ」
「あ、あぁ。悪い……」
良かった。前原君以外にも部活メンバー全員が出向いてくれたようだ。それに後ろには初めて見る男性が立っている。多分白衣を着ているし、医者だろう。この時間にいることも考えれば当然か。
……それにしても狭き村の噂はニュースよりも早いようで。まだ一日も経っていないというのに、みんな来てくれるとは。この情報の早さは村だからこそといえるものだろう。
「どう孝ちゃん。お身体の具合は?」
「え、あぁ……うん。まぁ大丈夫、かな?」
「本当か? 何か変に隠してないか?」
「何で隠す必要があるのさ……」
「それなら大丈夫だと考えて良さそうですね。孝介さん」
そのように言って笑う白衣の男性はこの病院の医者の方なのだろうか。
白衣の男性は部活メンバーに道を開けてもらうに言いながら、こちらまでやってきた。そのまま綺麗に腰を45度曲げたかと思うと、営業のような決まりきった口調で自らの説明をしてくれる。
「私は入江 京介と言います。この入江診療所の院長を、そしてあなたの怪我を診たものです。よろしくお願いしますね」
「はい。えっと、ありがとうございます……」
「ご両親には連絡をしておきました。母親の方がすぐにやってくると言っていましたよ」
「あ、そうですか」
そりゃあそうか。子供が暴力沙汰にあったとなれば飛んでくるに違いない。時間帯も夜だし、子供が帰ってこないと、不安にさせただろう。母親が荷物をひったくっている姿をイメージしていたら、先ほどの入江先生は違う人に話を振っていた。
「沙都子ちゃん。さっきもやりましたが、もう一度診察をさせてください」
「え、またですの?」
「はい。落ち着いてはいると思いますが、一応確認しておきたいことですので」
「わ、分かりましたわ……」
何かあったのだろうか。もしかして夕方の恐喝で何か外傷を受けたのだろうか。
不安な様子を感じ取ってくれたのか、北条さんは慌ててこちらに説明をしてくれた。
「気になさらないでくださいまし。これはいつもの定期検診なんですのよ?」
「……沙都子が元からやっていることなのです」
「元から?」
古手さんからの保証もある。
それだからといって安心していいのかが分からないけど、とりあえず待っていても問題はなさそうだ。
北条さんが軽く入江先生に会釈をしてから共に廊下へと消えていく。2人の背中を最後まで見守っていた僕たちだが、消えたとなると会話のネタは自分の方向へと向かう。
「……それで孝ちゃん。様態の方はどうなの?」
「この通り、まだ痛いところはあるけど、別に大きなけがじゃないから……」
「顔にあざが出来てるのに、そんなこと言っても説得力ないぞ……」
あざが出来てるのか、やっぱり強烈な一撃を喰らわされたことには違いないんだな。それに今までやられたことないから簡単にのびてしまった。そんな自分が情けなくなりそうである。
竜宮さんが自分の顔に触れながら、不安そうに覗いてきた。
「はぅ。本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ。そんなに痛いところは……」
「強がってないよね?」
「ま、まぁ多少は強がらせてよ……」
今は見えないかもしれないけど、もっと痛くなる箇所や、痣が出てくるかもしれない。
そんな不安をいった所でみんなにやってもらえることはないし、そもそも自分が望んでやったことなのだから。この怪我も仕方ないものだと思っていた。
「……篠原は強がりなのですよ」
古手さんがそう言って僕の頭を撫でてくれる。必死に腕を伸ばして撫でてくれるのは嬉しいけど、別に偉い偉いされるようなことしたっけ。
「そうだ。私たち花を持ってきたんだ!」
そう言って竜宮さんは一旦廊下に出て、すぐに花束を持ってきてくれた。花の名前は知らず、誰かが判断して選んでくれたのだろうか。赤や黄色といった暖色を用いた色とりどりの花ではある。
……とまぁ凄く考えてくれたのだろうけど、自分としては困惑しかない。
「別に入院するって言ってないけど……」
「まぁそうだよねー」
「ん?」
「いやなぁ。噂では暴力団グループにぬいぐるみで特攻した挙句、顔が破裂して、かなりの重傷を受けたってきいたからさ」
「……もはや尾ひれや背びれで増えた内容じゃないよね、それ」
情報を垂れ流すにしても限度があるだろう。というより垂れ流した人出てきて欲しい。これから常識という問題について議論するべきである。
村の情報網は伝達力はあるけど正確性は皆無のようだ。
「とにかく良かったぜ。大きなことじゃなくてさ」
「大きなものさ。痣は数日残るだろうから……」
「痛いのかな、かな?」
「そういう意味じゃないんだけど、流石にみんなに気を使わせそうだからさ」
みんなにことあるたびに「大丈夫」なんて声を掛けられることが想像できそうだ。噂のこと込みで。
学校に行くとしてもガーゼでもして隠す方がいいのかもしれない。
「いっつもみんなに気を使っている孝ちゃんがそれを言うのかねぇ」
「気なんて使ってないつもりなんだけど……。まぁそういうことだよ」
「とか何とか言って学校に行かないで済むようになることを望んでいたりしてな」
「そ、そんなことないよ!」
むしろ学校に行きたいくらいだ。こんなところでゆっくりするのも悲しいくらいなのに。
「ま、安心していいと思うよ! 監督がさっき聞いた話だと、入院までの重傷じゃないからさ」
「え? 監督?」
監督なんて人がどうして自分のことについて話しているのか、最初聞いたときはそう思っていた。
どういう意味か分からないでいると、園崎さんは思い出したかのように頷いていた。
「あぁ、そういえば説明してなかったね」
「監督はさっきの入江先生のことだよ」
「……雛見沢ファイターズ。野球の監督をしてるのですよ」
「へー」
あの温厚そうな人がそんな監督みたいなリーダーシップを取るなんて思っていなかった。……いや、逆にだからこそやってもおかしないのかもしれない。
しかし雛見沢ファイターズというのはまたありきたりというか、何も捻っていないような名前である。もう少し雛見沢を象徴するようなネーミングセンスでも良かったような気がする。
その雛見沢ファイターズについていくつか聞いてみると、どうやら村中の子供だけではなく、一部ではあるが興宮の子供も交じって参加している小さな野球チームのようだ。理由としては村の人数だけでは足りないとか何とか。
実際やっていることは練習試合ばかりで公式戦といった本格的な大会は行わない。簡単に言えば遊ぶために集まった集団のようだ。だから練習もほとんど行わずに週一とかその程度。まさに軽く運動するためにその機会をこういうことで解消しようという目的なのだろう。
「因みに私たちもやってるんだよ?」
「え、嘘!?」
そんな会話の中でのカミングアウト。まさかそんな、野球という種目で女の子がやるなんて。
いつもグラウンドで見てたのは男子ばかりだったから、そんな風に園崎さんたちみたいなのが参加していることに意外だと感じた。
「あー! そんな言い方してぇー!」
そして、そんな対応をしてしまった僕に少々ムカッとした園崎さんが口をへの字に曲げていた。
「いやぁ、その意外というか、驚きというか」
「あんまり変わってないよ。その言い方だと」
「というより酷くなってる気が……」
「いやいや。そんなつもりじゃあ」
「ぶーぶー! 一応これでも4番なんだぞー!」
「何だと!?」
その言葉を聞いて先ほどまでだんまりを決めていた前原君が喚く。
「流石にそれは男としてどうなんだ……。っていうか村の男どもは!?」
「あっはっは! 私より上手い人がいないからねぇ」
確かに園崎さんは運動神経は良いと思える。でもだからといって力があるであろう男子たちはそれに負けてしまうというのはいかがなものか。
前原君と偶然顔を合わせ、同時に互いに同じような感情を持っていることを感じていた。
「あ~……悲しい話だ。ってかお前が自分で言ってるだけじゃないのか?」
「え~! 流石にそれはあたしでも考えてなかったよ!?」
「それはひどすぎるかな……圭一くん」
「流石に男どもが黙ってないだろ? 4番は男のロマンなんだぜ? な?」
「いや、なって言われても」
そんな話聞いたことないです。
「ふーん。なら今度見に来てよ」
「は?」
「実は今週の土曜に隣町のグラウンドで練習試合があるんだー」
竜宮さんが足りない情報を補ってくれた。つまり見に来てくれということなのだろう。
確かに予定は今のところないし、どうせ昼間に行われるだろうから帰りが遅くなることもないだろう。自分としてせっかく誘ってくれた話ではあるし、行ってみたい気はしている。
……試合に出るなんてハプニングが無ければ、だけれど。
「……でも魅ぃ。大丈夫ですか? 次の試合で?」
「いいんだよ。今回の試合でおじさんの技術をみせてやるんだからさ」
古手さんは何か引っかかることでもあるのだろうか。細かい理由は教えてくれず、園崎さんと2人だけしか分からないような会話で口を紡いでしまった。
話が続かないと思っていたけれど、そこから前原君が気になることを口にする。
「それって隣街でやるんだよな?」
この雛見沢ではやらないことを前提とした質問だった。確かに、村にそこまで大きな野球グラウンドがあったとは思えない。雛見沢分校にあるグラウンドも広さはあってもラインとか整備されていないし、場所がないという意味合いで前原君は断定しているのだろう。
その答えは前原君の隣にいた竜宮さんが答えていた。
「うん。興宮の小学校近くのグラウンドで行われるんだよ」
「なるほどな……」
「何がなるほどなのかな?」
「まぁレナ。こっちの話ってやつだよ」
そう言ってこちらをチラッと見てくる。目配せなのか、それさえも分からず首を傾げてしまう。一体何を考えているのだろうか。
前原君は納得したように、何度か頷いたかと思うと、園崎さんの方に向き直る。
「分かったぜ、こっちも都合が良いからな。それに仲間の合戦となりゃ行かない訳にはいけないし」
「合戦ってそんな大げさな……」
「うーん。実際結構目立った試合になりそうなんだけどね~」
「へ?」
「まぁ、それは当日までのお楽しみってやつだよ」
園崎さんが卑しげな笑い。
ああいう笑みは悪い考えが浮かんだときにしかしてないし、何か変な計画でもあるのだろうか。とにかく部活のような野球は名前だけのドッジボールが行われるのは勘弁してほしいと願うばかりだ。
「……篠原は来られるのですか?」
「うーん。明後日となると用事は無かったと思うし」
「……みぃ、試合には出れないんですか?」
「いやそれは流石に無理だよ。元気だったとしても」
確実に足を引っ張る自信があります。っていうか足どころかみんなの身体全体引っ張ってそうだけど。
「それは残念だね~。実は孝ちゃんをピッチャーとして投げてもらおうなんて考えてたのに」
「うん。公開処刑、無理だよ」
「まず匙じゃなくてボールを投げようと考えろよ……」
「だってまず緊張で腕が振れなさそうだし……」
「でも観戦してくれると嬉しいな」
「まぁ……それは別に大丈夫だよ」
応援なら任せてほしい。昔から応援することには慣れているのだから。
園崎さんは多少不満げだ。僕が試合に出ないということを知って面白みがなくなったのかもしれない。でも、僕が試合に出ればそれこそ面白みが無くなると思うので訂正はしないでおく。
「なら今度は土曜日、一旦学校に自転車を持って集合! でいい?」
みんなはそれでよいとばかりに手を上げている……が、自分だけはその反応が出来ない。
「あぁ……僕自転車なくて」
「え!?」
引っ越してからというもの必要とせず買いに行くのを忘れていた。今までは親の車に便乗して移動していたこともあってあまり考えていなかったのだ。まさかここで使わないといけない場面が出るとは思わず、ため息しか出ない。
「孝ちゃん、因みに2人乗りは出来る?」
「うーん……確かに北条さんの時はやってたけど、あまりしたくないなぁ、慣れたことじゃないし」
どうしても慣れたものではない。北条さんの時だって自分が漕ぐことになったけど、ふらついてあぶなっかしいと北条さんに指摘されたぐらいだから。
「慣れてないのか……友達がいなかったのか?」
「酷!? 違う違う! えっと小学校の頃から自転車を持ってたんだけど、中学上がる前に自転車を壊してしまって……」
「それでそのままになってたと?」
「まぁ必要としてなかったから」
村のどこかに自転車屋さんなんて……あるわけないか。ゲーム屋さんでさえないのに、都合よくあるわけがない。やはり村という場所はこういうところで不憫になってしまう。
「こりゃあ困ったねぇ……孝ちゃんが持ってないとは」
「これからのために買った方がいいと思うよ?」
「うん。そうだね、今日の帰りにでも相談してみようと思う」
流石に自転車を買いたいといって渋ることはないと思う。これからだって使えるものだし、両親も忘れているだけだろうから。
それでもすぐにというわけにもいかない。何せ買っもらうからすぐお金頂戴……なんてことは出来ないだろうし。両親にも予定がある。
「あはは。気持ちだけにして、みんなは先に行って後から合流でも――――」
「なら、私の車に乗りますか?」
そう言って新たな可能性を見出してくれたのは先ほど噂していた入江先生だ。更に言うと後ろにはあ北条さんの姿もいる。どうやら検診を終わらせてここに来たときに話を聞いた、というところだろう。
その申し出に思わず身体を前のめりにしてしまう。
「いいんですか!?」
「私も試合に向かうので、それで良ければご一緒に」
「そりゃあありがたい話だね! 孝ちゃん、是非乗せてもらいなよ」
「すいません。それは嬉しいんですけど、その、大丈夫ですか?」
初めて見知った人と車で同席なんて、少し気を使わせてしまいそうだったからだ。
そんな失礼かもしれない質問に対しても、入江先生は「気になさらないでください」と言ってくれた。
「車に乗ってもらうぐらいどうってことありませんよ。それに、話し相手が出来ると考えるなら安いものです」
「じゃあお言葉に甘えて……」
「良かったな! 孝介」
「それじゃあ孝ちゃんは現地集合ということでいい?」
「うん」
思わぬ助け舟によって、僕も土曜日に楽しみが1つ増える事が確定したのだった。
はい、というわけでエイプリルなので更新前倒しという嘘を付くことにしました!(遅いけどw)