「ふぅ……結構緊張したぜ」
前原君をしんがりとして、一列に出て行った僕らは前原君の働きを労いつつ退出した。出て行ってから背中にもたれてくつろごうとしている限り、前原君も相当頭を働かせていたようである。
「今日は俺にとって色んな意味で勉強になったよ……」
「ははは、お疲れさま」
「圭一君、今日はいっぱい喋ったもんね」
「ていうより圭ちゃん。おにぎりで戦おうなんてよく思ったねぇ」
「純粋な勝負だったからな。俺が出来るモノがあれしか無かったんだよ。……でもこれからはもう少し料理について学ばないといけないなぁ」
「……ファイト、オーなのですよ、圭一」
これからの前原君の料理に変化があればいいなと思うけど、そんなに作る機会もないだろうしなー……。
「とにかく疲れた! 暫くは作れそうにない」
「早速諦めているし……」
「うるさい! 俺にもタイミングって奴があるんだよ」
「圭ちゃんの場合、そのままやめてそうだけどねー」
「何をー」
みんなが雑談モードに入っている中、1人だけ未だ喋っていない者がいた。
その者は先ほどの部活のことについて異議を申したいのだろう。口をへの字に曲げ、眉を歪めているのがこの喉かな雰囲気に似合わない。
それはみんなも感じていたこと。前原君はみんなが笑っている中、1人仏頂面になっている彼女に声を掛けていた。
「沙都子? 何さっきから黙っているんだ?」
前原君が何気ない調子で聞いてみると、当の本人は少し慌てるように彼から目線を逸らしていた。
手を後ろに回して、躊躇いつつ。それはまるでやましいことがあって母親に打ち明けられない子供のようだ。聞かれた後も、しばらく彼女の口が開くことはなかった。
何か言い淀んでいる姿に、竜宮さんが助けてあげることにする。
「もしかして、さっきの圭一君のことについてかな? かな?」
「えっと、それは……」
「別に責めるわけじゃないから、言ってみたらどうかな?」
「そうだぜ。沙都子がだんまりなんて、明日台風でも来てしまいそうだ」
「じゃあ……どうしてですの?」
前原君は何を言っているのかを察しているようで、少し口角を上げながら沙都子の想いを代弁していた。
「俺が勝手に演説したことについて不満があったのか?」
「そうですわ。部活ではあるまじきことでしてよ」
確かに部活において、あのような状況下での前原君の行動はよろしくない。
『会則第二条 一位を取るためにはあらゆる努力を行う』
理念に基づけば、確かに前原君が行ったことは部活の意に反していることだろう。その意味を含み、北条さんは疑問に感じているのだ。それは至極当たり前のことだし、前原君は指摘されることを予想していたはずだ。
さて、前原君はどう答えてくるのか……
「なんだ、そんなことか」
「そんな事ですって?」
「答えは簡単だぜ」
そう言った北条さんの目が驚愕と言わんばかりに開かれる。
「お前は勘違いしてる」
「な、何が違いますの!? 会則二条では一位をとるためにあらゆる努力を、」
「そこだ。沙都子はそこから間違っているぜ」
「ど、どういう意味でして……」
前原君は立ち上がり、沙都子に言い聞かせるようにゆっくりめで語りかけてくれた。
「沙都子は一位になるためにあらゆる努力をしなくてはならないと思っているだろう? 確かに俺たち部活メンバーは時に卑怯な手を使ってでも一位をとることを目的としていた」
「そ、そうですわよ、だからこそ!」
「でもそれはやるべきこと……そう、条件を満たした時のみ適用されることなんだぜ」
見ればみんなもにっこりと笑って北条さんを見つめている。みんなの気持ちも同じ、だから前原君の行動を止めなかったのだ。当然自分も同じ気持ちである。
でも北条さんだけは理解出来ていない。それは彼女が一番純粋と言える所以かもしれなかった。
「条件……?」
「あぁ。今回の料理対決においては……例えばの話だが、卑怯な手を使うとするなら魅音の料理に塩を大量投入とかだな」
「圭ちゃん。考えることが甘いね。あたしなら砂糖にするよ。味の変わり方が違うから」
「ははは、そうだな!」
話が逸れてしまいそうなので、僕が咳払いをさせてもらう。
「あぁ悪いな。それでも俺たちは味を変えることはあっても、味そのものを無くすということはしないってことがいいたいんだよ」
「今回は味を変えられるなんて手は出なかったけどね」
正直そんなことされてもいいように警戒していたんだけど徒労に終わったというわけである。
「味そのものを無くさない……」
「みんなのために作ったんだもん。やっぱり無くしちゃうなんてことはしたくないから」
「その通りだ。……だから俺たちはみんなに食べてもらいたかったんだ。それは部活でも一緒。楽しんだ上で勝つために努力をする。そしてみんなが勝利出来る対等な条件だからこそお前の言う愉悦を感じる事が出来るんだぜ? どんな状況でも、どんな場面でも、な」
その言葉を受けて、北条さんは俯いてしまった。それでも前原君の言葉は止まらない。
「それにこの料理対決には見た目ではなく、味で勝負したいものだっているんだぜ。そいつらと比べられない、なんて事になりたくはないからな」
「……僕のお袋の味は誰にも負けない自信があるのです」
確かにあれは異常ともいえる反応でした……というよりやっぱり一服盛っているとしか思えない。
扉を開けたあと、古手さんの元にゾンビのように這い寄るクラスメートの姿が目に浮かびそうだ。
……妄想はとりあえず保留で、それよりも前原君が北条さんの肩に手を置いていた。
「だから気にする事なんて無い。むしろ、これで勝利した方が沙都子を打ち負かしたって勝利に浸れるからな!」
「……」
「あれぇ? 圭ちゃん。何勝手に1人で勝利宣言してるのかねぇ?」
「そうだよ、握っただけの前原君が」
「……そうなのです。みんなはボクに投票しているのですよ」
「梨花ちゃんだけじゃないよ~! 私はみんなに負けない自信があるよー!」
僕含め、みんなが勝利は我だと騒ぎ始める。誰もが一歩も引かずに自分の勝利を明言している中、ようやく北条さんが重い口を開けてくれた。
「……そんなことさせんませんわ」
「ん? 何か言ったか、沙都子?」
前原君が聞き返したと思うと、間髪入れる事なく北条さんはキッと顔を上げて断言した。
「圭一さんのおにぎり如きで、私の料理を負かそうなんて、そんな事させませんわー!」
「その意気込みはよし! だが、料理が終わっているこの時点でもはや勝敗は決しているも同然。俺の勝利は揺るがねぇぜ!」
「をーほっほっほ! なら圭一さんの敗北は決定ですわね!」
「何をー!」
北条さんの瞳に輝きが増したような気がする。前原君との会話で調子を取り戻してくれたようだ。こういうところは北条さんも気持ち的な部分で助かっていることだろう。
北条さんと前原君の2人の言い争う姿を眺めていると、隣から肩を叩かれ、そっと耳打ちをされた。
「はぅ~、沙都子ちゃんがもとに戻って良かったかな、かな」
「うん、そうだね。やっぱり前原君はみんなを元気づけるのが上手だよ」
「良い意味でも悪い意味でもねー」
「園崎さん」
園崎さんは苦笑で2人の様子を眺めながら僕たちの会話を傍聴していたようだ。
「沙都子ちゃんはああじゃないと」
「だね。あれぐらいの元気があった方が僕も嬉しいよ」
「まぁそうだね。あのこともあるからさ、元気があってくれた方が嬉しいんだよ」
「あのことって……」
もしかして北条さんが村人で疎外を受けていることの話なのだろうか。
そう思っていたのだけど、園崎さんの口から漏れた言葉はまた別の問題だと思った。
「沙都子ちゃんは多分、今も想っているんだろうね、きっと」
「え?」
「魅ぃちゃん」
竜宮さんが不快感を表情に出していた。ここで言うべきものでもないと言いたげなその表情に、園崎さん自身も失言であることに気づく。
「あ、あはは! 孝ちゃんもその時になったら分かるさ」
「何かはぐらかされた気がする……」
「そんなことないって。ほら、圭ちゃんがこっちに向かって何か聞いてきてるよ」
前原君のもとへ駆け寄る園崎さんはどことなく駆け足に見えた。