ひぐらしのなく頃に 決 【影差し編】   作:二流侍

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彼は彼女を救おうとした

だけどあなたは死ぬ

彼女は彼を救おうとした

だけどあなたは死ぬ

彼らはあなたを救おうとした

だからあなたは救えない



Frederica Bernkastel



■影差し編【Ⅰ-Ⅰ】

「うわああぁああぁあ!!」

 

 湧き上がる恐怖は狂気へと駆り立てていた。悲鳴を上げながら布団を蹴りとばしていたことも気にしない。ジッとはしていられない感覚に、身体を震わすことしか出来なかった。神経質になった五感は張りつめていて、環境音さえ聞き逃そうとしない。些細な違和感でも気づけそうだ。

 視線を素早く動かして部屋にいることを確認する。……誰もいない。自分の部屋。

 部屋の片隅には引っ越したばかりでダンボールが積まれている。窓の近くに置いた机の上には本が積まれている。それ以外には何もない。つまり誰も、隠れる場所なんてないと言うことだ。

 落ち着いて……そう自分に言い聞かせる。

 じりじりと焼けつくような日差しが差し込んできて、部屋の中は乾いた暑さが部屋全体を包む。

 だけど、それとは違う理由で背中が汗ばんでいることが分かっていた。まつげまで伸びた前髪も、べったりと張りついていて気持ちが悪い。

 

「なんで……ゆ、夢?」

 

 条件反射だった。

 咄嗟に胸を抑える。だが、不安とはよそに何も跡や穴のようなものはない。それでも不安は消えることはない。何度も何度も自分の身体を触って確かめる。頭に胸に腕に太もも……部位を全て調べては何もないことに軽い安堵を覚える。それでも不安を消し去るには不十分なのだが。

 そして思う。起きて早々何をしているのだろうか。

 何で僕はこんなことをしているのか、と。

 

「どうしたの!?」

 

 大きな音を立てて入ってきたのは母さんだった。それはそうだろう。僕が村中に響かせんばかりな悲鳴を上げていたのだから。

 どうやら母さんは朝ごはんを作っていたようだ。エプロンを身に着け、手には野菜を切っていたのであろう包丁がある。

 そう、包丁。

 それを理解したとき、得体のしれない何かが僕の中で暴れだした。それを気持ちにするのは難しく、喚きたい衝動だけが生まれている。

 駄目だ。目の前で叫ぶわけにはいかない。

 咄嗟に口元を手で抑える。抑止となったその手は、僕の中の物体が静まるまでずっと抑える事になっていた。もししてなかったら叫んでいたことだろう。肩で息をし、少し目に涙を溜めた状態で数秒。

 ようやく落ち着いた。そう思って手を放す。もう暴れだすことはなかった。

 母さんはそんな自分を見て、動揺している。

 

「孝介、どうしたの? 顔が真っ青よ……」

「え、いやその……」

「うん?」

 

 言葉がまとまらない。僕自身もよく分からないまま感情を押し殺していたのだから。

 

「……夢、夢を見たから」

「夢?」

「そう……」

「夢ってどんなの?」

「胸を撃たれて――――」

 

 そのあとが続かない。続きの言葉を言おうとして、口元を開いて、固まってしまった。

 記憶をもう一度確認してみる。確かに自分は逃げ回り、何かを見て、泣き喚きそして……死んだ。殺されたのだ、たった一発の銃弾で。あまりにもあっけなく。

 そう、そこまでは分かっていた。震えあがってしまうほど怖いという感情が、自分の中で渦巻いていたことも分かっている。

 だけど何故? 誰に? が分からない。

 先ほど見ていた鮮明な夢であったはずなのに、今起きてみた夢を思い返してみようと思うと靄がかかったように思い出すことが出来なかった。夢は過去の記憶の整理から生まれるごちゃまぜのもの。ならこの記憶も過去に起こった出来事であろうか。

 どちらにせよ本当なら喜ばしいことである。怖い思い出なんて記憶から消えればいいのだから。

 でも今回は違う。忘れてはいけないような気がしてならない。思い出さなければならないと考えてしまうのだ。それがあまりにも恐ろしい出来事だったとしても。

 

「それで……」

 

 何度も同じ台詞を吐いていた。……やはり、その先が思い出せない。

 悔しくて仕方がない。どうして忘れてしまったのか。

 

「孝介、少し落ち着きなさい」

 

 優しい声で呼びかけられる。今の自分は一体どんな顔をしていたことだろう。難しい顔をしていたことは分かるが。

 母さんは何も言えない自分のことを心配してくれたようで、包丁を机に置いてから手を頭の上に置いてくれた。唐突な出来事に、心臓が一瞬だけ飛び上がっている。

 母さんは面白おかしそうに笑いかけながら、僕の頭を撫でてくれた。

 

「悪い夢を見たのね。なら、無理に思い出すことはないわ」

 

 優しげに諭してくれるが、どうしてもそれだけでは納得がいかない。

 

「違う。悪い夢じゃないんだ」

「悪い夢じゃないなら、現実とでもいうの?」

「現実とはまた、違うんだけど……その……違和感というか……」

「孝介。違和感なんて一時の気の迷いよ。それに不安を覚えていたらあなたの精神が持たないわ」

「……そんなこと」

「本当に思い出したら、その時は相談しなさい。それまでは気にしないでいくこと」

「……」

 

 やはり僕の身を案じてこうやって説明されると、どうしても反発が出来ない。

 昔から泣いていた時や辛かった時によく起きた口喧嘩だ。その時も母さんにこうやって頭を撫でられながら、諭されるやり方に負けてしまっていた。

 本当ならもっと怒るべきなのかもしれないけど、どうやっても思い出せない以上、ぐぅの音も出せない。とにかく、今は母さんの言うとおり違和感が気の迷いであることを信じるしかない。

 早鐘のようにバクバクと心音を立てていたのだが、ゆっくりとリズムを刻むようになるまで、何も言わないようにしていた。

 言える頃には、朝の大切な5分間を消費していた。

 

「そう、だよね。悪い夢だと信じるよ」

 

 そう、夢。

 恐怖に怯えることはない。恐れることはないのだ。

 ……なのかもしれない。

 

「そう、孝介がそう言ってくれて良かったわ」

 

 母さんはようやく立ち上がると、包丁を持ち直して朝食を準備しに戻ろうとしていた。

 

「さてと……今日から学校よ。ちゃんと朝ごはんは食べて早く準備をしなさい」

「はは……そうだね。山口先生って、遅刻した人に厳しいから」

 

 先生の場合は廊下に立たされることだってあり得そうだし。

 

「山口先生って前の学校の先生でしょ? まだ寝ぼけてるの?」

「え?」

 

 母さんは困ったようにこちらを見つめてくる。

 寝ぼけていたつもりはなかった。前の学校と言っていたのだが、僕は何を勘違いしているのだだろうか。それさえ理解できていなかった。

 

「あれ? 僕って……」

「私たちは引っ越したのよ」

 

 引っ越し……?

 また考える時間が必要だった。確か、昨日は学校に行ったはず……いや、違う。確か転校の手続きをするために行ったんだ。そう、その時も思い返していた。学校が変わったことを一か月前に聞いていたことを。緑豊かでのどかな場所であると。

 引っ越し場所。それは看板で見た――――

 

「雛見沢……」

「そうよ。今日からは雛見沢分校で勉強するのよ」

 

 何故だろう。その言葉を聞いた時、これはありえない事ではないかと思ってしまった。

 


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