先ほどから前原君がスプーンでカレーライスを差したり、抜いたりを繰り返している。行儀が悪いと指摘したいのだけど、前原君の不満顔はそれ以上に指摘するべきところだろう。
「前原君。さっきの件についてはもう気にしたら負けだよ」
「……いや、気にするだろ!」
おでこに付けられた冷えたピタッとするものを指差しながら、自分のけがについての問題点を挙げていた。
「そもそもだ! タイヤなんてあぶねぇだろ!? 俺だから良かったものの……」
「あ、そこは良かったんだ」
「家族に当たるよりましだっていう事だ!」
仕掛けたであろう隣の少女は、嬉しそうにカレーライスに喰らいついている。その姿は愛らしいというか、苛立たしいというか……とりあえず前原君の不満を募らせるだけの笑顔はそこにあった。
古手さんも対岸の山火事みたいに遠巻きで見ているし、本当に気楽だよなぁ……。
前原君は至極真っ当な不満ごとを口にしていた。
「……たく、なんで俺の家までトラップが仕掛けられているんだよ……」
「をーっほっほっほ! 私のトラップは辺境の山だって川にだって存在しますことよ! 今後お気をつけなさいませー!」
「安心して眠る事が出来ないじゃねぇか!」
「大丈夫ですわ。流石にトイレまでは仕掛けていませんことよ? トイレには」
「精神が削れそうだぜ」
「大変だね前原君も」
僕の家はまだ出来立てだし、きっと何もないと信じたいなぁ。いや、すでに引っ越す前から仕掛けられていた可能性もある。そもそも立地した土地自体にトラップがしかけられたりなんてことも。
……今後の対策方法について模索しないといけなくなった。
軽いため息をついていると、前原君が僕の後ろにある掛け時計を見やりながら尋ねてくる。
「そういえば孝介? 家族には晩飯の事はちゃんと説明しているのかよ?」
「うん。電話で簡単に説明しといたから、大丈夫だよ」
母親からは「あっそう」との一言。そんな素っ気ないと何か悲しい。忙しそうだったし、何かしていたのだろうか。
「なんか悪いな」
「へ?」
「ほら、わざわざおにぎりの作り方教えてもらった上に、寂しい食事に同席してくれてさ」
「悪いですわね。寂しい食事で」
「ははは……いいよ、別に。おにぎりはすぐに教えられるし、家族のことなら心配もない。昔から外食とかで1人の時もあったぐらいだし」
それに独り身の寂しさはよく分かっているつもりだ。どうしても夜ひとりで食べることは味気が無いというもの。それにレストランといった雰囲気で誤魔化すことも出来ないし。
逆にこういったみんなで晩御飯を食べる機会が少ない。だからこそこのような機会はもっと増やしていきたいなと思っていた。
「何か礼をしないとな。世話になりっぱなしだし」
「そんな、悪いよ……」
「そうだ! 孝介、今度一緒に隣町に行かないか?」
前原君の提案に少し驚いていた。確かに行きたいとは思っていたけど。
「思い立ったが吉ってやつだ! 俺のお気に入りの場所があるんだよ。そこで一緒にデザートを食べようぜ!」
前原君は言い出したら止まらない節がありそうだ。でもデザートは好きだし、断る必要もない。
「うん。ならみんなで行こうよ」
みんなで隣町まで遊びに行く。これは楽しいことになりそうだ。近所迷惑にならないように、みんなを制御する自信ないけど。
「い、いや。俺たち二人で行く……」
「え、何で?」
「そりゃあ…………な?」
急に言い淀んだかと思えば、遠慮がち苦笑いをする前原君。察するに僕と2人きりで行きたいよりも、他のメンバーと一緒にしたくないようだ。
でも何でだろう。何かまずいことでもあるのだろうか。
「圭一さん。いかがわしいお店に孝介さんを誘おうというのなら、止めてくださいまし」
「え、そうなの?」
「私たちを誘えない理由なんて、簡単に推測できますわ。全く、何を考えていますの?」
先ほどまで聞き手だった北条さんが呆れ、ジトッとした目で前原君の今後に忠告をしていた。
どうやら北条さんには前原君が何をしたいのかおおよその予測が出来ているようで。
それを聞いた前原君がスプーンを置いて反論する。
「そんな訳ないだろ!? 俺はちゃんと孝介の事を考えて行動しているだけだ!」
「……圭一は孝介を悪の道へ誘惑しようとしている悪い猫さんなのですよ」
「違うな! 俺はただ漢(おとこ)としてのあるべき姿を孝介に教えようとしているだけなんだぁ!! いいか孝介、漢を知るにはこの俺、前原圭一を差し置いて誰がいると思う? 否! 俺以外いない! 孝介は少しばかり内気すぎるし、このままでは世界と渡り歩く事なんて不可能! だから誘おうという俺の優しさがお前らには見えないのかぁ!?」
ヒートアップした前原君が食事中に立ち上がってそう熱弁していた。というよりみんなの事を指して己の何たるが不足しているかなんて言っている。お行儀が悪い事この上ないと言いたいところだけど、今回は僕の性格などを考えた上での発言なのだろう。とりあえず話を合わせておくのが無難に済みそうな解決策だと判断した。
「あはは……。それはありがとうね」
「孝介さん。正直に迷惑なら迷惑と言っていいのですわ」
「いやまぁ世界を渡り歩くまでは考えていないけれど、とりあえず僕のためを思っての行動だって言うのは分かったから」
「そうだ! だから一緒に行こうぜ、孝介」
「はいはい」
「はいは一回だ!」
「別にそれぐらいいいじゃない。行くことに変わりないんだし」
「……ま、お前がそう思うならオーケーかな」
前原君は満足したように座りなおすと、自分の前に置かれた料理にがっついていた。
落ち着いてくれて何よりで、とりあえずいつ行くかなんて話はまた今度にしておこう。今のままだと今からなんて言いそうだし。
「……そういえば、篠原は今回の料理対決、なにを考えているのですか?」
古手さんが先ほどの話は収束したと思って別の話題に触れてきた。
「うーん。まぁサバの味噌煮とか考えていたんだよねぇ。前簡単だけど作ったことあるし」
……ん? 何かそのことで忘れているような……。
「圭一さんはどうでもいいですけど、孝介さんは未知数ですからね。警戒するにこしたことはありませんわー!」
「おい! 俺はどうでもいいのかよ!?」
「当たり前ですわ。何故私たちが圭一さんの心配をしなくてはならないのですか?」
「ふ。今日おにぎりを握れるようになった俺様のスキルさえあればこんな勝負」
「梨花、福神漬けありませんか?」
「……みぃ、冷蔵庫にあると思います。取ってくるのですよ」
「話聞けよ!?」
「圭一さん。カレーというのは煮込めば煮込むほどおいしくなりますわ」
「……だから何だよ」
「圭一さんは逆で煮込めば煮込むほど……いえ、なんでもありませんわ」
「おい今何言おうとした目線逸らすな耳を塞ぐなー!!」
相変わらず黙るという言葉を知らないようだ。食事時ぐらいは古手さんみたいに落ち着いて食べて欲しいものだ。しかし、先ほどの会話に出てきた福神漬けだがあるのだろうか。どう考えても冷蔵庫にあるとは思えないし、そもそも食材が冷蔵庫に保存されているかも怪しい。
…………ショクザイ?
「お前には絶対まけねぇからな!?」
「取ってきてくれてありがとう、ですわ」
「だから話を!」
「あああぁぁあ!?」
思い出した。今、思い出してしまった。
「……忘れていた」
「な、何がだよ……」
「食材……」
「は?」
前原君は意味が分からないようで、そう聞き返してきた。
でもそんなの関係ない。まさか、まさかである。こんな失態をしてしまうとは。
「な、何ですの? 孝介さん。食材って?」
「食材を買い忘れたぁ……!!」
すっかり忘れていた。本当何呑気に食卓を囲んでいるのだろう。明日試合だと言うのに食材のしょの部分でさえ買えていないではないか。……この表現どうなのかよく分からないけど。
と、とにかくだ。北条さんの出来事があったとはいえ、重要な勝負の下準備を怠ってしまうとは……。これはまずい、非常にまずいことになった。
僕の呟きを受けて、北条さんが対策はないのかと救済の道を一緒になって考えてくれる。
「た、対策と言っても……もう店閉まってる」
時計を見れば8時を超え、8時半を迎えようとしていた。ここらへんのお店事情を考えると、閉まっている可能性は高いだろうし、スーパーまで買いに行こうものならお隣の町まで出かけないといけない。買い足しは出来ない。
「家には食材がありません事?」
「あるとは思うけど、確か今日の朝、母さんが『残り物フェアする』って言ってたからね……」
母さんは3人暮らしに対して、作りすぎてしまう時がある。
良く食べる3人ならいいのだけれど、残念ながら食べれるどころか小食で残してしまうメンバーなのだ。余る事は当然として母さんも考慮してくれる。
だからこそ週に一度くらいの頻度でそのように作りすぎてしまった料理を処理するという日がある。それが『残り物フェア』だった。
――――そして行われる時の冷蔵庫の中身は空っぽであることが多い。
結論として僕には作れるものが限られてくるのだ。いくら慣れているからとはいえ、食材の限定された中でアイデアを講じられるほど、僕のスキルは上達していない。
「どうしよう……」
そうなればやはり家の中にある食材で勝ちに行くしかないのだろうか。でも残り物フェアしている時に、冷蔵庫の中に残っている食材なんて……しかも気にしていた鮮度も捨てないといけない。
この勝負に勝ちたいと願っていたのに、本当発狂しそうになりそうだ。
「ずいぶん悩んでいるようだが、大丈夫か?」
「前原君」
「食材がない……か。まぁ大丈夫だ孝介! お前ならこんな逆境、きっと乗り越えられる!」
「あははは……。そう……だね」
「圭一さん。軽率な発言は控えたよろしいですわー!」
「あ、そうなのか?」
前原君は楽観的さを見ると、きっと食材に対しての重要性も理解出来ていないんだろうな……
自分でもわかるひきつった笑いで誤魔化していると、ふいに頭の上に何かが乗るような感覚があった。
「…………古手さん?」
「みぃ。かぁいそ、かぁいそなのですよ」
手で頭を撫でられながらそう言ってくる古手さんに複雑な思いで見つめ返すしか、今の僕は出来なかった。
……本当、どうしましょう。