IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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〇男は胃袋からつかめ

「んー、結構遊んだな!」

 

 

一旦ゲームに区切りがつき、座り疲れた一夏はぐっと背筋をのばす。どれだけゲームだけで楽しめるかと何とも言えなかったが、意外に楽しむことが出来て個人的にはかなり満足している。

 

今やっていたのは何でもカラー粘土を使って自身のお題であるものを作り、それを別の回答者が何なのかを当てるというゲーム。回答者は製作者が質問の内容に対して『イエス』や『ノー』で答え、『ノー』と言うまで質問が出来る為、質問内容によっては限りなく正解に近付けることが出来る。

 

マニアックなものや、固形名称があるものに関しては分かるはずもなく、ラウラが一番最初に作ったものは、先端があり得ないほど尖った何かだった。答えは山らしく、エベレストを参考にしたそうな。

 

もちろんだが正解者はゼロ。俺も当然の如く間違え、やっとお兄ちゃんを出し抜いたぞ! と胸を張りながらドヤ顔をされた。ラウラがすると、ただ可愛いだけで、ドヤ顔っぽくなかったのはまた別の話。

 

 

その前にはトランプでババ抜きやら大富豪やらを楽しんだが、大富豪に関してはお嬢様補正やら運やらが働き、完全にセシリアの独壇場。一回目を除いて最後まで大富豪を守り抜くという無双っぷり。強いカードはことごとくセシリアの手元に行き、時にはセシリアが出している間、誰もカードを出せずに終わることも多々あった。

 

ババ抜きに関しては駆け引きの問題から、表情に出やすいメンバーが最後まで残ることが多かったとだけ、言っておこう。

 

そんなこんなで数時間、ゲームで楽しんだ俺たちは一夏の作り置きしていたコーヒーゼリーの残りをかき込んでいた。口の中にほんのりと広がる苦み、甘すぎず苦すぎず、絶妙なバランスを保っている。デザートを作ることは多くない故に、様々な料理を自由自在に作れる一夏が時々羨ましく思う時があった。

 

 

「お、夏だねぇ」

 

 

コーヒーゼリーを食べながら何気なく窓の外を見ると、夏の厳しい日差しは幾分落ち着き、紅に染まった夕日が顔を覗かせている。五時過ぎだが、初夏の夏ということもあってかなり明るかった。

 

 

「じゃあ夕飯はどうする? そろそろ買いに行かないと食べるのが遅くなるぞ」

 

 

一夏が夕飯の準備はどうするのかと、全員に尋ねる。今いるメンバーで食べに行くことは毛頭考えてはいないし、皆で作って食べるのが一番考えられる可能性か。

 

 

「だったら皆で買いに行こうぜ。それぞれ一品ずつ何か作れば、そこそこ豪華な夕食になるんじゃないか」

 

「それならあたしが作ってあげる。一夏と大和は大人しく待ってなさいよ」

 

「あ、それなら僕も作るよ。一夏と大和が料理作ったら凄いのはもう知ってるから、たまには僕たちの料理も食べてみて欲しいかな」

 

 

鈴とセシリアが発言したのを皮切りに、私も私もと手を上げ始める。その中にセシリアの手もあったのは見なかったことにしよう、うん、見なかったことにしたい。

 

意見がまとまったところで、食材を集めるべく近くのスーパーへと歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーもう! このジャガイモ切りにくいったらありゃしないわ!」

 

 

エプロンを付け、台所に立つ鈴は率直な感想を隠すこともなく口に出す。いびつな形をしたジャガイモの皮をむき、切るといった行程があまりにも手間であり、イライラを隠せないでいた。手に握られたジャガイモのくぼみやシミが、あざ笑っているようにも見える。

 

悪戦苦闘する鈴の隣ではラウラとナギが一緒に下拵えをしていた。ラウラは大根を持ちながらむぅとうなり、その様子を微笑ましく見守っている。ラウラの場合は長い髪が料理するには邪魔になるのか、後ろに纏めてポニーテールにしていた。ラウラが髪の毛をポニーテールにすることは珍しく、見方によっては幼妻に見えないことも無い。

 

 

「大根か、相手にとって不足はないな」

 

「ら、ラウラさん。サバイバルナイフで大根は切っちゃダメだよ」

 

「そ、そうなのか? 軍の食事を作る時はいつも使っていたのだが」

 

 

見た目に反して、取り出したのがこれまた大型なサバイバルナイフとあり、ナギはぎょっとしながら、慌てて大きく振りかぶるラウラの動きを止めた。

 

研ぎ澄まされた刀身が室内灯の光を反射し、キラりと光る様子がより一層切れ味を演出。ラウラの力で刀身を振り下ろそうものなら、大根どころかまな板までをもぶった切ってしまう。

 

最初はどうして止められたのか分からずにいるラウラだったが、ここは軍の食事ではなく、一般家庭で作る食事であることを悟り、納得したかのようにサバイバルナイフをしまった。ホッと胸を撫で下ろしたナギは、包丁の使い方をラウラにレクチャーしていく。

 

ラウラの発言からも分かるように、包丁を使うのは今回が初めてだ。軍の食事を作ったことがあるらしく、刃物系の使い方に関しては誰よりも慣れているようだし、使い方に問題がなければ特に心配する要素は無さそうだ。

 

 

「あ、ラウラさん。包丁は振り上げちゃダメだよ。少し体重をかけるように力を入れれば切れるから」

 

「む、むぅ……中々に難しいな」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

今まで切り方など特に気にも止めなかったが、いざ言われたことを実行しようとすると、中々難しいものがある。ナイフにもよく切れる角度や場所があるものの、如何せん包丁を使うのは初めて。素直に力を込めて振り下ろそうものなら、結局サバイバルナイフを使って切るのも大した違いはない。

 

めでたく真っ二つになったまな板が作り上げられることだ。とはいっても包丁を凝視するラウラの目つきは真剣そのものであり、何とかものにしようと必死になっている様子が伺えた。ナギに言われるように手を猫のようにしたところに包丁の側面を当て、前に押し出すように大根を切っていく。

 

見た目こそぎこちない動きだが、切れた大根は均一の大きさに揃えて切られていた。紛れもなく彼女の持ち合わせている技術によるものだろう。

 

刃物の扱いにはやはり慣れていて、最初こそぎこちない動きを連発していたが、切っていくにつれて様になっていく。物覚えの早さに安心したナギは、自身の料理に取り掛かった。

 

 

(大和くん……何が好きなのかな?)

 

 

脳裏にふと過ぎる大和の好物。

 

今まで何度か大和にお弁当を作ることはあったが、こうして一品物として料理を作ることは初めて。感想としてはどれもこれも美味しいとしか答えられていないために、大和の好物が何なのかは聞き出せないでいた。

 

話す口ぶりから嫌いなものは少ないように見えるが、万が一苦手な食べ物を作ってしまったらと思うと些か不安に思えてくる。ちなみにナギが今日作ろうとしているのは豚汁であり、嫌いな人はほとんど居ない汁物だ。とはいえ、中に入れる具に苦手なものが混じっている可能性も否定できない。

 

それとなく聞いておけば良かったと若干の後悔をするナギだが、ここまで来て引き下がるわけにもいかない。

 

 

「ナギ、どうしたの固まって?」

 

 

考え事をしていると、左隣でジャガイモの皮むきをしている鈴が覗き込んでくる。人の感情の変化に対しては人一倍敏感なようで、ラウラに教えていた時とは違った雰囲気に変わったナギが心配になったのかもしれない。

 

 

「え、あ、ううん。何でもないよ」

 

「そう? 何か下を向いていたから元気ないのかなって思って。それとも誰かさんのことでも考えていたのかしらね」

 

「そ、そういうわけじゃ……」

 

 

もうここまでくると鋭すぎる部類ではないのか。名言まではしていないものの、ナギに関連する気にしそうな人物というと、一人しか考えられない。ニヤニヤと意地の悪そうな表情を浮かべながら、本当のところはどうなのかと詮索してくる鈴。ラウラは目の前の大根を切ることに夢中であり、こちらに気付く気配はない。

 

自分と大和のその後の関係を知りたいような感じだが、ここで話してしまったらリビングにいる大和にまで聞かれてしまうかもしれない。耳が良い大和のことだ、気付く可能性は人に比べてかなり高いはず。

 

……おそらくこの中で、大和のことに一番詳しいのはナギかラウラだ。が、大和のプライベートや今の立場を知っているという意味では、ラウラよりも詳しいかもしれない。今、鈴の誘いに乗って話してしまえば、余分なことまでぽろっと話してしまうかもしれない。

 

平静を装い、何事も無いように歯切れの悪い言葉を返す。

 

 

「ふぅん?」

 

 

どこか疑い深い視線を向ける鈴だったが、それもほんの一瞬だった。次の瞬間にはニコリと笑みを見せると。

 

 

「ま、そういうことにしておくわ。……今度ちゃんと聞かせてよね」

 

 

一言呟くと、ポンポンと肩をたたいて自分の作業に戻ってしまった。再びジャガイモを手に持つとあーでもないこーでもないと愚痴を垂れながら、自身の作業を進めていく。僅かな間の出来事にポカンとするナギだったが、考えていたところで状況が好転するわけでもないことを察し、豚汁作りへと励む。

 

豚汁で使う予定だった大根はラウラが頑張って切ってくれたはず、もうそろそろ切り終えた頃かと視線をラウラの方へと向けると、既に切り終えたラウラが達成感満載で胸を張ってナギの方を見つめていた。

 

 

「ふふん、どうだお姉ちゃん! 私だって本気になればこんなもんだ!」

 

 

まな板の上には均一の大きさに切りそろえられた大根がある。初めて包丁を使ったのにも関わらず、ここまで綺麗に同じ大きさに切りそろえられるのは純粋に凄いことだった。皮こそまだ剥かれていなかったが、それは自分が全部やってしまえばいいだけのこと。

 

切り終えたところで、ナギは感謝を伝えると同時に何の料理を作るかを聞く。お会計の時には様々な食材が購入されていたことで、誰が何を作るかが分からなかった。他のメンバーに関しては買い物の後にそれとなく自身の料理と重複が無いことを確認したが、ラウラだけは確認が済んでいなかった。

 

 

 

「ありがとうラウラさん。ところで何を作る予定なの?」

 

「うむ。私は初めておでんを作ろうかと思っている」

 

「そうなんだ。作り方とかは大丈夫?」

 

 

重複していなかったことに安堵すると共に、念のために作り方が問題無いかを確認する。

 

 

「前に本で見たから問題無いはずだ」

 

「……」

 

 

予想の斜め上の回答が返って来たことで、思わずナギは苦笑いを浮かべた。まず前提として、見た本が何なのかが問題である。仮に某漫画に出てくるような、串に刺した三点セットがおでんだと言い張るのであれば、それはあくまで漫画おでんの認識になる。

 

作れないことも無いが、初めておでんを作るのであれば少し難易度は高いかもしれない。もし串に具材を適当に刺して出汁で煮ようものなら、ゆで時間がバラバラで場合によっては火が通り切らない具材も出てくるかもしれない。故に串にさす具材は選ばなければならなかった。

 

流石に具材の判断まではラウラも分からないだろうし、今後料理を作っていくのなら少しずつ教えていくべきだ。

 

 

「まさかラウラさん。串にささった三点セットがおでんだと思ってたりするのかな?」

 

「ち、違うのか!?」

 

 

自分の認識が間違っているのかと両手を頭に当ててオロオロと慌てる。その様子が小動物のようで非常に可愛らしく、ふと抱きしめたいといった感情が沸き上がるも、胸の奥底に自身の欲をしまい、改めてラウラをサポートしていくことに決めた。

 

ナギもラウラが自分の作った料理を大和に食べて貰いたいと思っていることは分かっており、ラウラも初めて作るとは言っても、作るからには変な食べ物は出せないと思っていた。そこに三点セットの串は一般家庭で出すおでんでは無いことを知らされたために、慌ててしまっただけに過ぎない。

 

包丁の使い方を一発で理解したところから、決してラウラの料理センスは悪くない。練習を積めばいつかちゃんとした料理が一人で作れるようになるだろう。

 

 

「じゃあラウラさん私もサポートするから一緒に美味しいおでんを作ろうよ」

 

「ほ、ホントか!? ありがとうお姉ちゃん!」

 

「ははっ、もうラウラさんたら」

 

 

満面の笑みを浮かべながらナギへと飛びついてくる。不思議と嫌な感じでは無かったナギは、小さな体躯のラウラを優しく受け止めた。大和だけではなく、ナギも本当の姉のように接するラウラ。

 

一時のじゃれ合いを終えて、二人は其々の目標に向けてまな板へと向かう。ナギのレクチャーを真摯に聞きながら、不器用ながらも食材を切り、言われた通りの配分で調味料を混ぜていく。

 

 

"男は胃袋からつかめ"

 

 

その言葉を元に、一同は料理を進めていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏、この洗い物どこおけばいい?」

 

「あー、手伝って貰って悪いな大和。洗い物は水切りにかけといてくれれば後は俺がやっとくよ」

 

「りょうかい、っと」

 

 

最後の皿についた洗剤を洗い流し、食器立てに立て掛ける。結論から言って食事会は大成功に終わった。それぞれが持つ料理の腕を存分にふるったおかげで、いつになく豪華な夕食に。

 

危惧していたセシリアに関しては料理以前の問題で、早く加熱したいからとの理由で、ブルー・ティアーズのビットで鍋を真っ黒焦げにするといった何とも言えない結末を迎えてしまったわけだが、それ以外は順当に料理を作れたといっても過言ではない。ラウラもおでんを初めて作ったようで、真っ先に俺の元へ持ってきた時は不安で自身のなさそうな眼差しだったものの、食べた後の俺の表情を見て安心したらしく、俺に飛びついてきた。

 

微笑ましい風景の中、皆でワイワイと楽しんでいる内に時間はあっという間に過ぎ、既に外は真っ暗。食事会で使った鍋や皿などを洗いながら、何気なくリビングの様子を眺めた。

 

一夏を除いたメンバーが談笑している。入学した時には到底考えられないようなシーンが、目の前に映し出されていた。何事も起きない平和な一時に、自然と頬が緩む。それに出会った頃の関係で言えば、セシリアとラウラはどん底の関係からスタートしている。片や身内を馬鹿にされ、片や大切な存在を傷つけられ……様々な紆余曲折を経て、今に至っている。

 

それ以外の箒や鈴、シャルロットやナギも。皆それぞれに出会いと、エピソードがある。本当の意味で濃い一学期を過ごせたといっても過言ではなかった。が、正直な話命の駆け引きだけはそう何度も起きて欲しいと願うばかり。

 

一学期だけで数回と、頻度としては中々に多く起きているが、幸い自身の大怪我以外、大事に至っていないのは不幸中の幸いかもしれない。

 

今後どうなるか分からない学園生活だが、最後までやりきるつもりだ。

 

 

一旦全ての洗い物終え、備え付けのタオルで水に濡れた手を拭く。人数分以上の皿やら調理器具があったために、そこそこ時間が掛かってしまった。というかむしろこの人数で料理が出来るほどの調理器具と、人数分以上のエプロンを揃えていた織斑家に脱帽するしかない。まさか今日の出来事を読んでいたのか、だとしたら恐ろしい予知能力だ。

 

……なーんて、馬鹿なことを考えることが出来るくらい、臨海学校が終わってからは気の抜けた毎日を過ごしている。うちの家系の人間が今の俺を見たら、下手をすれば卒倒するかもしれない。

 

 

「結構な量だったし、大和が手伝ってくれてマジで助かった。サンキュー!」

 

「いやいや。折角家に呼んでくれたんだから、これくらいはやらないと罰が当たる。ところで千冬さんまだ戻ってこないけど大丈夫なのか?」

 

 

皆と遊ぶことに夢中になっていたせいですっかり忘れていたが、千冬さんが戻ってきていなかった。昼間に仕事だと出て行ったっきりで、よほど仕事が忙しいのか。それとも仕事は終えていて、誰かと飲んでいるのか。どちらの可能性も十分考えられるが故に、何ともいえないところだ。

 

 

「あぁ、さっき連絡があって帰りは日を跨ぐんだと。ってあれ、大和って千冬姉のことさん付けで呼ぶのな」

 

 

と、言ったところですかさず既に連絡が入っていたらしく、本人に代弁して一夏が答えると同時に、俺が千冬さんのことを『織斑先生』ではなく、名前かつさん付けで呼ぶことに気付いた。

 

意外に思っているらしく、目を丸くしながら驚いている。普段は学校で話すことしかなく、便宜上は織斑先生と敬称は付けるが、外に出れば一対一の個人。いくら仕事を任されているからといえども、学園外での先生呼ばわりは恥ずかしいから止めてほしいとの申し出が本人からあった。

 

加えて『織斑さん』だと他人行儀過ぎると言われ、今の『千冬さん』呼びに落ち着いた感じだ。一夏の周囲で千冬さんと呼ぶのは箒と鈴くらいしか印象にないようで、それもまた当然だった。

 

 

「学園外で先生呼ばわりもあれだし、かといって織斑さんってのは何か違うだろう?」

 

「確かに……くくっ、大和がマジメな顔して織斑さんとか! そ、想像出来ねー!」

 

 

……なーぜか、俺が千冬さんを織斑さん呼ばわりするシーンを思い浮かべてツボにハマったらしく一人で腹を抱えてゲラゲラと笑う一夏。そんなに俺が織斑さん呼ばわりする絵面が面白いのか、いくら思い浮かべても何一つ理解できない面白さに、ただ首を傾げるしか無いわけだが、一夏にとっては面白いらしい。

 

 

「大和、一夏は何を笑ってるの?」

 

 

偶々様子を見に来たシャルロットが、一夏の笑っている様子を見て思わず顔をひきつらせた。そりゃいきなり笑い出す姿を見て引かない人間はいないだろう。

 

 

「知らん。俺が織斑さんって呼んでる姿が面白いらしい」

 

「ど、どういうこと? 意味がよく分からないんだけど……」

 

「俺だって分かんねーよ。本人に聞いてくれ」

 

 

いくら俺に聞かれても、第三者のツボを理解することは出来なかった。くだらないジョークを思い付いて、周りからダメ出しされる一夏の姿は割と想像が付くが、ツボばかりは分からない。何が面白いのか、そればかりは本人に確認する以外にない。

 

しばらくしてようやく一夏も落ち着きを取り戻す訳だが、イメージをするとまた笑いそうとのこと。思い出されたところで俺が出来ることは何一つ無いわけだが、授業中の暇なタイミングに、ふと思い出して笑わないことを願うばかり。もしそれが千冬さんの授業だったとしたら、間違いなく出席簿の餌食となるに違いない。

 

 

「というよりもそろそろ帰らないと終電が無くなるな……」

 

「あっ、本当だ」

 

 

時刻は十時をとうに過ぎ、十一時近い。目の前の楽しむことに夢中になりすぎてしまったせいか全員時間を忘れていたようだ。都内のような比較的終電が遅くまであるならまだしも、地方の路線にもなると終電は早い。それも都内に向かう方面の本数は、かなり少なくなる。

 

織斑家から駅まで走る訳にも行かず、十数分掛けて歩くことを考えるとそろそろお暇しないと、本格的に野宿で夜を過ごす羽目になりかねない。

 

リビングに戻ると談笑を楽しむ中、一人テレビの方を見ながら何度も目を擦り、定期的にあくびをするラウラの姿があった。普段はあまり遅くまで起きておらず、規則正しい生活を送っているラウラだが、流石に普段と違う生活をしているとこの時間には眠くなるみたいだ。

 

眠そうにしているラウラに近付き、軽くゆさゆさと身体を揺する。

 

 

「ラウラ、大丈夫か?」

 

「うん……」

 

「もう帰るぞ、帰る準備は出来てるか」

 

「んー……」

 

 

返事もうつろうつろであり、いつ寝てしまってもおかしくない。寝かけているラウラに確認をとる姿を、一同は微笑ましい様子で見つめてくる。

 

ふふん、皆には分かるまい。最初はどうなることやらと思っていたが、いざポジションに当てはまると、妹は良いものだぞ。

 

 

今日来ている中で実家が最も近いのは箒か。夏休みが始まると同時に帰省したようだし、特に終電を気にする素振りもない。俺とナギを除いたメンバーは全員IS学園の寮に戻ることを考えると、ラウラはそちら側に任せた方が良いか。

 

念のために背後にいるシャルロットに確認を取る。

 

 

「シャルロット、ラウラを任せても大丈夫か?」

 

「うん、任せて! 大和と鏡さんは逆方向だもんね」

 

 

IS学園と俺の家は真逆の場所に立地しており、乗る電車も全く反対方向になる。つまりIS学園にラウラを送り届けることは瞬間移動でも出来ない限り不可能。ISを展開しようものなら、すぐにバレてしょっぴかれる未来が容易に想像出来た。

 

俺の心中を察してか、気を遣ってしっかりとラウラを送り届けることを約束するシャルロットだが、ラウラがそうはならなかった。

 

 

「うー……お兄ちゃんと一緒に帰る」

 

 

力のない口調で俺と一緒に帰りたいと伝えると、背後に回り込んで服の袖をギュッと握りしめて離そうとしない。

 

「ラウラ、気持ちは分かるけどワガママは良くない。シャルロットにだって迷惑を掛けてるんだし、今日は一回寮に帰るんだ」

 

「うぅ……」

 

 

こちらが申し訳なるくらいに悲しい顔を浮かべるラウラ。一緒に帰れないことがそこまで嫌なのか、だが甘やかしてばかりが常ではない。確かにラウラは知らないことばかりで育ってきた。一時は千冬さん以外全てを拒絶するといった常識を逸した行動を取るも、今は俺やナギを本当の家族のように接してくれる。

 

ラウラには身内が居ない。だからこそ同じ過去を持つ俺や、真っ先に歩み寄ってくれたナギには多大なる感謝と尊敬、そして愛情を持ってくれているのは行動を見ればすぐに分かった。

 

いつも後ろを金魚のふんのようについて歩き、経験する事象それぞれに驚き、喜び、怒り、そして悲しむ。一般的な常識としていくら妹とはいえ、わがままを許してはならないケースも存在する。

 

血は繋がっていないとはいえ、ラウラは可愛い妹だ。それだけははっきりと断言できる。知らないことだらけだからこそ物事の吸収は早い。故に甘やかせ過ぎたり、ワガママを好き放題許してしまうと、それが常識だとラウラに非常識を上塗りする結果にもなりかねない。

 

万が一、一人になってから損をしてしまうのは俺ではなく、ラウラになってしまう。これから数十年以上ある未来でつらい思いをさせたくない。大切な存在だからこそ、最低限の分別はつけなければならなかった。

 

 

「……」

 

 

怒られてしまったと、不安そうな眼差しでこちらを見つめてくる。こうしてみると俺が一方的にいじめているようにも見えなくはないが、断じてそうではない。俺自身もよほどズレた斜め上のことをしない限りは、あまり注意する事がなかったものの、一回くらいはっきりと伝えなければならない。それが俺が兄として、ラウラを正しい方向へと導けるのであれば尚更。

 

凹み方があまりにも如実すぎるので、ラウラの目線に合わせてしゃがみ込み、頭を優しくぽんぽんと撫でる。『んっ』と声を漏らしながら、ラウラは目を細めた。こうなる時はある程度落ち着いている証拠だ。

 

多少冷静さを取り戻したタイミングを見計らって、なるべく優しくラウラに問いかけた。

 

 

「俺だって寂しくない訳じゃない。少しでもラウラと一緒に居たいって思ってる。でもここでワガママを言ったら俺だけじゃなくて、他の人にも迷惑を掛ける可能性だってある。それは分かるよな?」

 

「……うん」

 

「今生の別れでもあるまいし、そんな暗い顔するなよ。折角の可愛い顔が台無しだぞ? それに夏休みはまだ始まったばかりだし、また一緒に遊びに行こう。夏休みが終われば、またIS学園でも会えるしな」

 

 

二度と会えなくなるわけでは無いことをラウラに伝えていく。時間は有限とはいえ、いくらでも遊ぶだけの時間は残っているし、また別の日にでも遊びに行くことは出来る。

 

今の時間だけを大切にするのは良いことだが、これからの時間はより大切にすべきだ。だからラウラには今だけを見て欲しくない。

 

 

「分かった……今日はシャルロットたちと一緒に帰るから、また今度遊びに連れて行って欲しい!」

 

「ははっ、それくらいお安い御用だ」

 

なっ? と近くにいるナギに向けて小さくウインクをした。それに気付いたナギも無言のまま優しく微笑む。すると先ほどまで暗かった表情は、一瞬の内にパァッと満面の笑みへと変わった。良かった、これで大丈夫だろう。今後我慢することも多いとは思うけど、少しずつラウラも強くなっていってくれればと思うばかり。

 

俺の言葉に納得し、パタパタとシャルロットの方へと近付いていく。説得が終わったところで、何とも言えない表情を浮かべた鈴が疑問を投げ掛けてきた。

 

 

「ねぇ、大和。アンタとラウラって本当に実の兄妹じゃないのよねぇ?」

 

「あぁ、そりゃそうだろ。国籍も何から何まで違うんだから」

 

 

何を今更と言い掛けるも、隣にいる面々の様子を見ると一概にもそうは言えないことが分かり口を塞いだ。

 

 

「いや、そうは言われても……ねぇ?」

 

「えぇ、わたくしたちの知る実の兄妹よりも遙かに仲が良いような気がしまして」

 

「むしろ何故兄妹じゃないのかと思うくらいだ」

 

 

鈴から始まり、セシリア、箒へとバトンが渡って、口々に思っていることを述べる。第三者目線から見ると、実の兄妹よりもそれらしく見えるらしい。

 

俺とラウラのやり取りが周囲にどう見えているのかは、俯瞰視点でもない限りは分からないが、三人の意見が一致する以上は、そう見えているのだろう。

 

話に区切りがついたところで、一夏に礼を言うと俺たちは織斑家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ皆、ラウラをよろしく頼んだ」

 

「えぇ、アンタは安心して帰りなさい。道中二人揃って道草食わないようにね」

 

「はっ、そりゃどういう意味だよ」

 

「……」

 

 

駅に到着し、俺たちは互いの進行方向に向けての電車へ乗る。帰り際に鈴に冷やかされ、赤面するナギと否定する俺。

 

そもそも初めても……いや、何でもない。

 

互いに手を振り合い別れを告げると、時を同じくして自動ドアが閉まった。終電前の電車に無事に乗ることが出来たため、後は自分の最寄り駅を待つだけで良い。これだけ遅くなると心配なのが両親への連絡だが、ナギに親への連絡は済んでいるのかと尋ねると、とっくの前に連絡は済ませているそうだ。

 

終電が近いこともあり、電車はほぼ満員。座る席など見あたるはずもなく、隙間がある部分を縫うように移動し、空いているスペースの壁際にナギを立たせ、また彼女の前に俺が立つことで、壁を作るようにした。時間帯が時間帯だけにそれこそ万が一に巻き込まれる可能性はゼロではない。

 

降車するのは俺の方が先だが、ナギの乗り換え駅も俺の駅からそこまで離れている訳ではないことが分かり、やや一安心するが油断は禁物。俺の最寄り駅での降車数が多いこともあり、この満員電車も幾分落ち着きが見込まれるものの、そこに人が居ないわけじゃない。

 

 

「窮屈じゃないか?」

 

「うん、大丈夫。この時間だから仕方ないよね」

 

 

ナギも混雑する時間帯を知っているようで、割り切っていた。ほんの僅かに空いたスペースに、半ば強引に身体を入れたせいで互いの身体はほぼ密着状態にある。背後にも人がいるせいで身動きは取れず、壁に手を突いてかろうじてナギが苦しくないスペースを確保するのがやっとだった。

 

が、問題なのはそこではない。電車も乗り物であるために、ガタガタと小刻みに揺れているせいで、都度ナギに自分の身体が押し付けられた。つまりナギの豊満かつ凶悪な部分がクッションとなり、何とも言えない柔らかな感触が腹部に何度も伝わってくる。

 

形を変えながら、時にはぐにゃりと潰れると俺との距離はより一層近くなる。何でこう一緒に出掛けている時の服装はラフな服装が多いのか。胸元にはオシャレな穴が空いていて、そこから覗かせる白い肌がたまらなく男心をくすぶる。

 

挙げ句の果てには、互いの吐息が触れ合うくらいの距離に顔があるせいで、迂闊に顔の方向転換も出来なかった。

 

 

「……っ!」

 

 

体重がかかる度に、甘い声を漏らしながら上目遣いで俺のことを見つめるナギの顔を直視出来ずに視線だけを別方向へと向ける。マジで可愛くてこのまま君だけを奪い去りたくなってくる。

 

彼女の仕草の問題なんだろうが、赤面した時の行動の一つ一つがツボにハマってしまい、誰も居なければ本気で襲いかかるんじゃないかと思うほどだ。電車の中というロケーションが不幸中の幸いか。こんな男性が羨むシーンに当てはめて良い言葉かどうかは知らん、そんな余裕は無い。

 

 

「ご、ごめんね大和くん。大和くんの方こそその……窮屈じゃない?」

 

「い、いや俺は全然大丈夫だから……」

 

 

全然大丈夫なわけがない、ただこの場だけは他の奴には絶対に譲りたくない。真実を捻じ曲げて出まかせをいうものの、彼女からすれば嘘をついていることくらいお見通しなんだろう。俺の視線がほのかに胸元に向けられていることを見逃さなかった。

 

ナギ自身の視線が一旦胸元に移り、やがて俺の顔へと向く。どこに俺の意識が向いていたのかを確認すると顔を赤らめた後、僅かに微笑んだ。

 

もぞもぞと身体を動かすと両手を俺の胴に回し、ぎゅっと自分との距離を縮めていく。近付けられる限界まで抱き寄せているため、当たり前のように胸は完全に潰れ、服越しに伝わる感触はよりリアルなものとなった。

 

 

「これで少しは紛れたかな?」

 

「あの紛れたっていうか、よりリアルになったというか……」

 

 

ナギとしては、満員電車を窮屈に思う感情が紛れたのかと言いたいんだろうが、こっちからすると限界まで抱き締められているが故に別のところがよりダイレクトに伝わってしまっている。全然悪い気はしないというのに、別の意味で悪いことをしているような気がしてならない。二人だけの空間ではなく、公共交通機関の中で満員電車を良いことに抱き合うのはいただけない。

 

周囲の乗客も俺とナギの空間には無関心、もしくは気付いておらず、全くと言って良いほど反応はなかった。

 

 

「大和くんのエッチ」

 

「んなっ!? こればかりは不可抗力だろ! こんな狭い空間でどうしろと!」

 

「ほーら、そんな大きな声出すと周りに気付かれちゃうよ?」

 

「ぐっ……」

 

 

随分と言うようになったものだ。言い返せない俺を見てクスクスと楽しそうにナギは笑う。

 

今までは恥じらいからか行動は積極的ではなく、手を繋いだり肩を寄せたりするのも人前では消極的だったが、臨海学校での一件を経て変化が見られるようになる。

 

もちろん二人きりの時以外は、必要以上のスキンシップは避けるものの、人前でも手を繋いだり、腕を組んだりする事に抵抗が無くなった。腕を組む際にも恥ずかしげもなく身体を密着させて、俺の腕を自身の胸元に埋めるといったように随分と積極的になっている。

 

そのせいで、ここ最近は今のように主導権を握られてしまうこともしばしばあった。

 

 

「もしかして……嫌だった?」

 

「……嫌じゃないです」

 

「ふふっ♪ 良かった。からかってゴメンね?」

 

 

小悪魔のように笑うナギの笑顔が頭から離れない。

 

あぁ、本当にゾッコンなんだなぁと思うと共に、主導権を握らせないような対策を練らねばと、俺は頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして三十分近い電車旅を終え、最寄り駅へ到着する。

 

最寄り駅を知らせる音声と共に、ゆっくりと電車は速度を落としていく。そろそろ降りる準備をしようと顔を上げると、既に周囲の数多くの乗客は荷物置き場から自分の荷物を下ろし、いつでも降りられる状況だった。

 

やがて移動する大きな箱は止まり、自動ドアが開くと同時に大勢の乗客が一斉に降車を始める。その様子はまるで雪崩のようであり、次から次へと雪が押し寄せるかのように、どんどん人が押し寄せてきた。

 

 

「きゃっ……」

 

「ナギ!」

 

 

別段俺は何とも思わなかったものの、抱きついたままのナギはバランスを取れずに、人混みに流されるように一緒に電車を降りてしまう。下手に動くと転ぶ可能性を踏まえ、バランスを崩しているナギの身体を全身で受け止めながら、人混みに逆らわずにプラットホームの空いている場所まで移動した。

 

移動している間に降車した電車の自動ドアは閉まり、発車してしまうが、怪我をするより何倍もマシだ。落ち着いて次の電車が来るまでナギを見守ろうとするも、何気なくホームの電光掲示板を見上げた彼女の口から発せられたのは衝撃的な一言だった。

 

 

 

 

 

「や、大和くん! じ、実は私今のが最終電車だったみたいで!」

 

「……え?」


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