IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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臨海学校の夜-勘違いから始まる恋話?-

 

 

 

「ふんふんふーん♪」

 

 

セシリア・オルコットは上機嫌だった。

 

何故これほどまでに上機嫌なのか、自分でも分からないほどに足取りは軽い。今にでもスキップして飛び立ってしまいそうにも見える。

 

 

(まさか一夏さんのお部屋に呼んで頂けるなんて♪)

 

 

理由は単純だった。

 

その理由は夕食の時に遡る。

 

食べさせてくれると言ったにも関わらず、千冬の介入により、出来なくなってしまった。セシリアはずっとむくれ面を続けていたが、食事を終えた後、一夏から個別に呼び出されてある誘いを受ける。

 

一夏としては謝罪の意味合いも込めての誘いだったんだろうが、気になる異性からの誘いにセシリアのテンションは一気にハイに。

 

内容までは聞きはしなかったが、部屋に呼ばれただけだというのに変な括りをしてしまったようで、着用する下着諸々は、とても一端の高校生が着けるようなものに変わっている。

 

それだけのために部屋で付け替えてきた。個別の部屋であれば考えられた可能性だが、セシリアが忘れているのは、一夏が一人部屋ではないこと。そしてペアが誰も歯向かえないレベルの人物だということ。

 

だが部屋に呼んでもらったことが、セシリアにとってはたまらなく嬉しい出来事だったんだろう。今ならどんな困難があろうが、立ち向かえそうな気がした。

 

ルンルン気分のまま角を曲がると、セシリアの目に異様な光景が飛び込んできた。

 

 

「……?」

 

 

一室の前に立膝を付きながら、ドアへと耳を当てて中の様子を伺う四人の姿が。何をしているのだろう、部屋に入りたいのなら普通に入れば良いのに、どうしてドアに張り付いているのか。

 

スパイ映画や探偵映画じゃあるまいし、と頭の中で考えつつも、もしかしたら部屋には入れない理由があるのではないか、という結論に行き着く。

 

部屋の前にいるのは、箒、鈴、シャルロット、ラウラの四人。いずれも自身に関係するメンバーだ。となると四人の前の部屋が一夏の部屋……もとい一夏と千冬の部屋になる。

 

職務中ではないとはいえ、"あの"千冬の部屋だし、入ることに抵抗感があるのは分かる。だが、このケースは明らかに抵抗感があるわけではなく、中で起きている事象に興味を持ち、息を潜めて聞き耳をたてていると解釈するのが妥当だろう。

 

一体自分の知らないところで何が起きているのか、興味に駆られたセシリアは足音を消しながら、静かに四人の元へと詰め寄って声を掛けた。

 

 

「何をしていますの?」

 

「シッ!」

 

 

小さな声だったにも関わらず、声を出すなと鈴はセシリアの口を両手で塞ぐ。一体急に何を……と文句の一つでも言おうとした瞬間、部屋の中から聞こえてきた会話にセシリアの表情が一気変わった。

 

 

「じゃあ大和、ここに寝そべって力を抜いて」

 

「あぁ……っ!」

 

「悪い、力入れすぎたか?」

 

「いや、大丈夫だ。これくらいなら全然……くっ! ちょっ、そこはっ!」

 

「くっくっくっ、さすがのお前も、一夏のテクの前では形無しだな」

 

 

一体、何が起きているのか。

 

部屋の中に三人の人間がいるのは分かるが、問題なのはそこではなくて聞こえてくる会話の内容。

 

誰がどう見てもコンビニに売られている薄い本の某描写や、一定の年齢からしか視聴が出来ないメディア媒体で垂れ流すような内容の会話が聞こえてくる。しかもその相手が男×男。このケースに当てはめるのであれば、一夏×大和のシチュエーションにあたる。

 

 

「こ、これは一体何の冗談ですの?」

 

 

顔をヒクつかせながら、ギギギッと壊れたロボットのように四人の方へと顔を向けるセシリア。既に会話を聞いたことで箒、鈴、シャルロットの三名は死んだ魚のような目をしていた。

 

自分の好きな男が別の相手、それも女性ではなく同性に興味があったとすれば、そもそもの選択肢から除外されることになるし、何より一夏の好意の対象がまさかの大和だったことを考えたら、絶望の底へ叩き落とされても無理はない。

 

挙げ句の果てには、二人の様子を面白がって観察する千冬がいることを考えると、何も言えなくなってしまう。

 

 

「一夏とお兄ちゃんは何をしているんだ?」

 

 

ラウラに関しては事態が飲み込めておらず、中で何をしているのだろうと興味津々な様子だ。ラウラは一夏に好意を持っている訳ではなく、大和と遊びたい、一緒に居たいとの思いが強いだけであって、大和の好きな相手が仮に一夏であろうともぶれないだろう。

 

 

「いっつつ! お前もう少し加減を……」

 

「まぁまぁ。でも良い感じにほぐれてきただろ?」

 

「そりゃあな。しかし、一夏にもこんな特技があったなんて、結構意外だったぞ」

 

「こいつはこう見えて割と何でも出来るからな。そこら辺の男には到底真似できないテクを持っている」

 

「へぇ、そうなんです……あいたたっ!」

 

 

引き続き行われる行為に、廊下にいる面々の顔は死んだ顔をしつつも、あまりの生々しさに真っ赤にしている。相変わらず首をかしげるのはラウラだけで、周囲の変化にもはてなマークを浮かべるだけだった。

 

更に中の様子を探ろうと耳を近付ける。

 

この時、中の行為を観察することに夢中で、扉に掛かった圧力が強まったことを誰一人気付けなかった。ミシミシとほんの小さな音が部屋の中に響き渡る。

 

普通なら気付かない人間の方が多いが、中にいるのは世界最強と、護衛のエキスパート。些細な音を判別できないほど耳は腐っていない。

 

 

「……一夏、ちょっとそこで待ってろ」

 

「どうやら、子ウサギたちが群がっているみたいだな」

 

 

布団に寝そべっていた大和が立ち上がり、ほぼ同時に千冬も腰掛けていた椅子から立ち上がる。そして二人揃って入り口へと近付いてくる。

 

 

「あれ、なんか静かになった?」

 

「よく聞こえんぞ、もう少しドアに寄ってくれ」

 

「ほ、箒さん。これ以上は危ないですわ」

 

 

一方で部屋のドアに張り付いている面々は、二人の接近に全く気付いていない。

 

急に部屋の音が聞こえなくなったことで、よりドアとの密着度をあげていく。当然密着すればするほど、ドアの軋みは大きくなり、音は小さいものから大きなものへと変わっていく。

 

いつもなら聞き耳をたてる上で、大きな音をたてるのはタブーであり、尾行や監視をする際には細心の注意を払って行動する。それでも現実としてあり得ないミスをしているのは、本人たちが目の前のことしか考えられていないから。

 

今彼女たちにとって重要なのは、ドアに接近してくる二人の存在から逃げることよりも、中で行われているであろう如何わしい行為を観察することらしい。

 

が、ラウラだけは不穏な空気を悟ったらしい。

 

 

「シャルロット、少しドアから離れていた方がいいだろう」

 

「え、ちょっ、ラウラ?」

 

 

ドアの側にいたシャルロットの手を引き、半ば強引にドアから遠ざける。二人の接近に直接気付いた訳ではなく、ラウラの直感があまり長く聞き耳をたてるものではないと判断したから。

 

嫌な予感がする。それなら一人でも部屋の前から遠ざけておいた方が良い。いきなり手を引かれたシャルロットは意味が分からないまま、後ろへと後退させられた。

 

 

―――刹那

 

 

「へぶぅっ!?」

 

 

勢い良く開かれたドアに、密着していた三人が殴られる。盛大に、物凄く痛そうだ。現にドアがぶつかった頭の部分を押さえながら涙目になっている。

 

 

「何をしている。この馬鹿者が」

 

「なーにしてんだお前ら。揃いも揃って聞き耳なんかたてて……」

 

 

逃れられない現状に、苦笑いを浮かべながら後ずさりを始める箒、セシリア、鈴の三人。シャルロットとラウラに関しては、ご愁傷さまですと手を合わせながら三人を見つめている。

 

 

「あ、あははは……こんばんは、織斑先生」

 

「こ、これはその! た、偶々ここを通りかかりまして!」

 

「さ、さようなら!」

 

 

言い訳を考える前にたった一人だけ身を翻し、その場から逃走を図ろうとする鈴。だがこの場面での逃走を易々と許してくれるほど、千冬は甘くない。大和は比較的甘い方だが、千冬に指示されれば、それに対して全力で応えようとする。

 

 

「霧夜」

 

「はい。よっ……と!」

 

「にゃっ!?」

 

 

スタート自体は悪くなかった、誰よりも早く離れられたし逃げ切れる可能性は高い……などと淡い期待を一瞬でも考えた自分が甘かった。

 

一人だけ先に脱兎のごとく逃走しようとしたところを大和に捕まれて、素っ頓狂な声を上げる。まさか自分の行動が全て読まれていたとでも言うのか、それほどにまで的確な捕縛に目を丸くするしながら驚くしかなかった。

 

じたばたと抵抗しながら逃げようとするが、体格差もあるせいで大和の手から逃れられない。

 

 

「や、大和! 離しなさいってばー!」

 

「はいはい、脱走猫はそのまま部屋に収監で。それで良いですよね、織斑先生?」

 

「あぁ、それで構わん」

 

「うぅ、大和の裏切り者……」

 

「どこが裏切り者だ。ったく、人の部屋の前に張り付いて聞き耳たてている方がよっぽどタチが悪いっての」

 

 

捕まえられたのが運の尽きだと観念し、渋々部屋の中へと連れていかれる。ここから先の未来を想像したのか、箒とセシリアは共にガタガタと体を震わせる。

 

ラウラとシャルロットは何とも言えない表情を浮かべながら、鈴の後ろ姿を見つめる。千冬は鈴が部屋に入ったことを確認すると、今度は四人の方をジロリと見つめる。見つめられたことで今度は全員の背筋がピンと伸び、まるで軍隊にでも入れられたかのように姿勢を正す。

 

 

「ふん、ついでだ。お前たちも入っていけ」

 

「は、はい!」

 

 

千冬の命令を断るわけにもいかず、言われるがまま部屋へと入る四人。この後どうされるのか、各々が未来を想像しながら奥へと進んでいく。

 

人の部屋の前で、こっそりと聞き耳を立てていたのだからその罪は重い。それも男性同士の危ない会話を聞いていたともなると、口封じのために何をされるのか考えただけでいてもたっても居られなくなる。

 

 

「人の部屋で盗み聞きとは感心しないが、まぁいいだろう。お前らが何を想像していたのかなど、すぐに分かる」

 

 

場に正座した五人の前にあぐらをかいて、腕を組みながら座り、堂々たる存在感を放ちながら会話を進めていく千冬。話の内容に顔を真っ赤にしながら下を俯く四人。

 

ラウラは相変わらずそっち系の話に疎いのか、よく分からずに首を傾げるのみ。

 

 

「どーせ、俺の出してた声が卑猥に聞こえたとかそんな感じじゃないですかね。あのマッサージなら多少声が漏れても仕方ないと想いますけど」

 

「「ま、マッサージ?」」

 

 

大和の口から出てくる単語に、目を丸くしながら見つめる。

 

 

「あぁ。男同士で抱き合うわけないだろう。それともお前らはそっちの方が良かったか?」

 

「「結構です!」」

 

 

座っている椅子に肘をつきながら、ケラケラと笑い声を上げる大和に、そっち系の趣味があるんじゃないかと指摘されて全力で否定をした。

 

と、同時に安堵のため息をつく。一夏が男性に興味がある性癖じゃなくて良かったと。

 

 

「コイツはこー見えてマッサージが上手い。お前らもやってもらうと良いだろう」

 

「ああ、そうだった。元々セシリアを呼んだ理由がそれだったんだ!」

 

「は、はい?」

 

 

一夏の発言に、首を傾げるセシリア。そう言えば自分はなんで呼ばれたのだろうかと。一夏の性格上、特に用がないのに呼びつけることはないし、部屋に呼ばれた時に理由を聞いていなかった。

 

否、呼ばれたことが嬉しくて、他のことが頭の中から一切吹っ飛んでしまったというのが正しい。

 

一夏が自分を部屋に呼んだ理由が分かり、一気に落ち込むセシリア。どうせそんなことだろうと思っていた反面、期待を大きく裏切られたことによる落胆が大きかった。個別での声かけにもしかしたらと期待を込める部分は、今まで以上にあった。

 

少なからず個別に誘ってくれたのだと。だが現実はこれだ。箒や鈴がいるのは本当に偶然だったが、呼び出された内容がマッサージだと聞かされると、自身の中での想像とのギャップが激しく、従来のテンションを維持することは出来なかった。

 

 

「うぅ、とんだ勘違いですわ……」

 

「勘違い? 何かあったのか?」

 

「な、何でもありません! 全部一夏さんのせいですわよ!」

 

「お、俺!? 俺が一体何を!」

 

「あーあー、騒ぐなガキ共。耳が痛くて仕方ない。ラブコメは別の部屋でやってくれ」

 

 

鬱陶しそうに呟く千冬の一声に再び静まり返る。むくれ面をしながらハムスターのように一夏を見つめるセシリアを、一夏は苦笑いで誤魔化す。

 

 

「でも流石に二人連続でやると汗をかくな」

 

 

千冬、大和と二人連続でマッサージをしたことで、一夏の額にはジワリと透明な汗が滲み出ていた。加えてこの夏の温度ともなれば、動かなくても汗をかくし無理もない。

 

 

「手を抜かないからだ、少しくらい加減を考えろ……まぁ、お前は霧夜と一緒に風呂にでも行ってこい。部屋を汗臭くされたら敵わん」

 

「ん、そうする。じゃあ大和、行こうぜ」

 

「おう」

 

 

千冬の言葉に小さく頷いた一夏は、タオルと着替えを持って大和と共に部屋を出ていく。部屋に残された五人は正座したは良いものの、どうすればいいのか分からずにただ呆然と座るだけ。

 

スーツ姿の千冬となら何度か話したことはあれど、浴衣を纏ったプライベートが若干入り混じった千冬と話すのは初めての経験で、教師としての姿しか見てこなかった五人にはどう切り出して良いものか分からなかった。他の人間に比べれば千冬のことを知っている箒、鈴であっても緊張からか言葉が出てこない。

 

ラウラもセシリアやシャルロットに比べれば千冬のことを知っていたとしても、教官としての顔がほとんどであってプライベートまで知っているわけではない。

 

いつものバカ騒ぎは何処へやら、一向に話し出そうとしない五人に呆れたように千冬が切り出した。

 

 

「おいおい、いつもの騒がしさはどうした。別に葬式をやっているわけではないぞ」

 

「あ、その……」

 

「織斑先生とこのように話すのは初めてといいますか……」

 

「いきなり話せと言われても……」

 

 

全員思うことは同じらしい。箒、セシリア、鈴が思ったことを素直に伝える。偽りのない本心にやれやれ感を拭えない千冬はこれでは一向に話が進まないと、話題を切り替えに掛かる。

 

 

「ったく仕方ないな。私が飲み物を奢ってやろう、篠ノ之、何が良い?」

 

 

いきなりの名指しでびくりと肩を震わせる箒、どう返せばいいのか分からずに柄にもなく、四方八方に視線を這わせる。

 

箒が戸惑っている間にも、千冬は備え付けの小さな冷蔵庫の中から飲み物を人数分取り出した。

 

 

「ほら、人数分の飲み物だ。どれがいいかはそれぞれで決めるがいい」

 

 

手当たり次第に渡したものの、それぞれに受け取った飲み物が偶々本人の納得のいくものであったため、特に交換をすることなく落ち着いた。

 

 

「い、いただきます」

 

 

手に取った飲み物を恐る恐る口へと運ぶ。液体が喉を通ることを確認した千冬の顔がニヤリとほほ笑む。顔だけでも『飲んだな?』とでも言わんばかりに。

 

 

「飲んだな?」

 

 

と言ったところで、想像と同じような言葉が投げ掛けられる。

 

飲み込んだ五人は飲み込んだ後、キョトンとした表情のまま千冬を見つめる。

 

 

「の、飲みましたけど……」

 

「な、何か入っていましたの?」

 

「失礼な奴だな。なーに、ちょっとした口封じだ」

 

 

セシリアの発言に一言物申すと、再び冷蔵庫を開けて何かを取り出す。キンキンに冷やされたスチール缶は、表面に星印が描かれた大人の飲み物。

 

ビールだ。

 

 

プシュッと良い音を立てながら蓋を開けると、中から真っ白な泡が噴き出てくる。こぼれないように口を付けて泡だけを先に飲み込む。そしてそのまま、中身のビールをごくごくと飲みほしていく。

 

ビールを飲む時は一期のみをしてはいけません。そんな常識などかなぐり捨てるかのように500mm缶を一気に飲み干していく。飲んでいるのは若干安目の発泡酒ではなく、高めのビール。それをおいしそうに飲み切るとぷはぁと息を漏らしながら満足そうな笑みを浮かべる。

 

 

「くぅ! ……どうした? 私の顔に何かついているのか?」

 

 

いつもなら校則、規則、規律などと決まり事には誰よりも人一倍厳しいはずの千冬が、仕事帰りのサラリーマンと同じようにグビグビとビールを飲む姿が全く想像つかない。少なくとも仕事の千冬を見ている生徒からすれば一致せず、ポカンとしたまま千冬を見つめていた。

 

教官としての千冬、教師としての千冬といずれも厳しい表情しか見てこなかったラウラは、他の四人に比べて驚きも多く、何度も何度も瞬きを繰り返す。信じられない、これがあの教官なのかと。

 

 

「私とて人間だ。酒くらいは飲むさ。それとも私が作業用のオイルでも飲んでいるように見えるか?」

 

「い、いえ。そうではないんですが……」

 

「今は職務中ではないんですか?」

 

 

箒が、シャルロットが口をそろえて言葉を伝える。

 

が、あっけらかんとした表情で二人に返す。

 

 

「堅いことを言うな。それにもう口止め料は払ったぞ?」

 

「口止め……あっ!」

 

 

千冬の見つめた先にある蓋が開けられたジュースの数々、視線の移動に気付いた五人はほぼ同時に手元を見る。既に自分たちは蓋を開けている缶を握りしめている。それも飲み物を口に付けている。

 

飲み物を手渡された意味をようやく悟り、声を上げた。

 

 

「さて、前座はこれくらいにして肝心の話をするか」

 

 

本題にうつる前に二本目のビールを取り出して、蓋を開ける。

 

 

「一人は別として……一夏の、あいつのどこが良いんだ?」

 

 

集められたメンバーからして”あいつ”が誰を指し示しているのかはすぐに理解出来た。

 

 

「わ、私は今の一夏の実力に納得が行かないからですので」

 

「わたくしはもう少しクラス代表としてしっかりしてほしいだけです」

 

「あたしはただの腐れ縁なだけだし……」

 

 

自身の感情を素直に吐き出せないのは色々と不憫だ。彼女たちも本心から思っているわけではないが、どうしても誰かに本心を言いたくないと思ってしまう部分がある。箒、鈴、セシリアの三人は揃ってツンツンとした回答を返す。

 

 

「ふむ、ではそれをそのまま一夏に伝えておくとしよう」

 

 

回答に対して、一夏に伝えるとしれっと言う千冬に、三人は目をギョッとしながら千冬の元へと迫る。

 

 

「「い、言わなくていいです!」」

 

 

言われたくないに決まっている。

 

言われた時点で自分たちが何の感情も向けていないことを知られてて、ますます状況が不利になる。それも一夏と最も距離感が近いのはほかでもない千冬であり、クラスでも最大のライバルはクラスメートではなく千冬じゃないかと密かに噂されているくらいなのだ。

 

更に千冬が言うと冗談に思えない。

 

 

「それで、デュノアはどうなんだ?」

 

「わ、私は……優しいところ、です」

 

 

先ほどの三人とは違い、小さな声でぽつりと言うシャルロットだが、その一言には一夏に対する想いが詰まっていた。

 

 

「ほう? だがあいつは誰にでも優しいぞ?」

 

「あはは。そうですね……でもいつかは私の方に振り向かせたい、とは思っています」

 

 

熱くなった頬を冷ますためにパタパタと扇ぐシャルロット。彼女の紛れもない真っすぐな一言に、箒、鈴、セシリアといった三人の視線が釘付けになる。

 

本心を言っておけばよかったと後悔をしているようにも見えるが、今更気が付いても遅い。真っすぐ感情を伝えられるところが、シャルロットが一夏との抜け駆けが上手くいく理由の一つかもしれない。なるべく自分の本心に嘘をつかないようにしようと改めて決心する三人だった。

 

 

「それでお前はどうなんだ。特に二人を異性としては見ていないんだろう?」

 

「わ、私ですか?」

 

「お前以外に誰がいる。ここに来た頃と比べると随分丸くなったんじゃないか? それに結構霧夜にも懐いているみたいだしな」

 

 

ラウラがここに編入した時と、今を比べてみると違いは歴然。昔を知る人間からすると、何があればこうも変わるのかと疑問を抱かざるを得ないだろう。その一人の中に千冬も含まれている。

 

ドイツ軍の教官だった頃に、ラウラを自身に陶酔させてしまった負い目もある。大きく変われた理由を本人からも、大和からも聞いたわけではない。

 

だが自身が出来ないことを大和はやってのけ、ラウラも応えて見せた。そのようになるまでの過程を知りたいのではなく、結果としてどこが変わったのかを千冬は知りたかった。

 

それは教官、教師としてではなく、一個人織斑千冬として。

 

 

「……正直、以前の私は”強さ”こそが全てだと思っていました。力無き者は無力であり、また信ずるに値すらしないと。だから私は教……織斑先生に依存し、貴方さえいれば良いとそう思っていました」

 

 

事実だった。

 

頼れる人間は千冬しかいない、千冬の言うことさえ聞いていれば良い、他人など信用する必要もない。私にとって千冬は絶対だ。

 

何度頭の中で唱えたか分からない。

 

暗い殻の中に閉じこもっていた自分に手を差し出し、外の世界に出してくれたのは大和だった。

 

 

「”強さ”とは力ではない、ましてや理不尽な暴力でもない。本当に大切なのは”心の強さ”だとそう教えてくれたのはお兄ちゃんでした」

 

 

どれだけ自分が反発しようとも、拒否をしようとも。

 

自分勝手の都合で、逆恨みで、我儘で自身がISに取り込まれた時にも、命がけで助けに来てくれた。

 

遺伝子強化試験体、人間兵器としてではなく、一人の人間として。

 

 

『ラウラ・ボーデヴィッヒ』として受け入れてくれた。

 

かつては自身と同じ境遇でありながら、誰よりも前向きで、強い信念を持った真っすぐな生き方が眩しかった。眩しすぎて、自分なんかがとても近付くことが出来ない存在だと思い知らされた。

 

だからこそ自身を導く彼の後ろ姿は大きく、頼もしく見えた。

 

 

千冬以外誰も歩み寄ってくれなかった私に、共に生きて行こうと歩み寄ってくれたことは忘れない。

 

だからこそもっと強くなりたい。

 

今度は道を踏み外さないように、力と言う名のパンドラの箱の鍵が開くことの無いように。

 

 

 

「私はもう、お兄ちゃんを異性としては見れません。ただ、私にとって大切な人だと言い切れます」

 

 

ラウラにとって、大和はかけがえのない大切な人間である。

 

人生の目標として千冬の背中ばかりを追い掛けてきた自分が、今は大和の背中を追い掛けている。決して千冬が劣っているわけではなく、大和の生き方にラウラ自身が共感したから。

 

人それぞれに生き方の違いがある。どの生き方をすれば良いのか分からないからこそ、色んな人と出会い、触れ合う必要があった。

 

助けられてばかりだからいつかこの恩を返したい。そう切に思う気持ちが変わることはない。

 

それからもう一つ、大和が教えてくれたことがある。

 

 

「ここ最近の生活はどうだ?」

 

「凄く楽しいです。どうしてこんな単純なことにすぐ気付けなかったのかと、自分でも不思議なくらいに」

 

「そうか」

 

 

千冬の質問への答えは即答だった。ラウラの回答に、千冬は何一つ突っ込まないでいる。

 

そう、大和が教えてくれたのは『強さの意味』と『日常生活を楽しむこと』の二つだ。

 

大和と関わること以外にもここ一ヶ月の間に様々なことがあった。

 

ナギと知り合い、シャルロットと同室になり、またクラスメートとも少しずつ打ち解けきている。毎日同じことを繰り返してきたドイツの頃と比べると、かつてないほど目まぐるしく、充実した日々を送っていた。

 

人を信頼すること、自分から人に歩み寄る行為がこれほどまでに素晴らしいことなど、想定していなかっただろう。未だ嘗てない経験の連続に勝手に頬が緩み、笑顔が増えた。

 

皆、自身のことを可愛い可愛いと言う。女性らしい仕草もなければ、服も何を着れば良いのか分からない。ましてや化粧なんか当然で、身嗜みの部分でも、髪も洗ったらそのまま自然乾燥させ、最後に軽く整えて終わりだし、女性らしさの欠片もない。

 

そんな私をどうして皆は可愛いと言うのか。今でも理由は分かっていないが、理由など考える必要も無かった。

 

理由を考えるくらいなら、今を出来る範囲で全力で楽しみたい。

 

色々なことを教えてもらい、吸収していきたいと毎日のように思っている。

 

 

「……」

 

 

皆、口を閉じたまま話に見入っていた。ラウラがどれだけ変わったのかは、彼女の反応を見れば分かる。

 

そして誰がここまでラウラを変えたのか。

 

その中心には大和がいるということも。

 

 

「霧夜か。あいつもなかなか食えない男だ」

 

「あの、織斑先生! 大和って何者なんですか? とてもただの一般人とは思えないんですけど……」

 

 

誰しもが一度は思ったことだろう。シャルロットが先陣を切って聞いてくる。同時にうんうんと大きく頷く他三人。だがラウラだけはそうではなかった。

 

この中で大和の細かい事情を知っているのは千冬とラウラの二人だけ。だが二人とも同じ内容を知っているわけではなく、千冬は仕事としての大和の一面を、ラウラはどちらかといえばプライベートとしての大和の一面を知っている。

 

しかし、どちらにしても彼女たちから話せる内容ではない。仕事もプライベートも、大和にとってはおいそれと言えることじゃないし、本人もここにいない以上許可がとれない。許可を取ろうとしたところで、本人は決して言いたがらないだろう。

 

だからこそその事実を伝える訳にはいかなかった。

 

 

「私もあいつの全てを把握している訳ではない。私が知っているのはお前たちよりも、身体能力に優れるところと、一般人に比べると頭が切れるところくらいだ」

 

「そ、そうですか……」

 

 

千冬なら何か知っているかもしれないと期待を込めて聞いたが、返ってきた回答は満足行くものではなく、どこか腑に落ちない様子。

 

 

「……まぁ、どちらにしても、だ。あいつらと付き合えるのは得だな。二人とも容姿は悪くないし、家事も出来る。どうだ、ほしいか?」

 

「「く、くれるんですか?」」

 

 

キラキラと目を輝かせて期待する恋する乙女に対し。

 

 

「やるか馬鹿」

 

 

容赦ない一言が伝えられた。千冬からの返答に、「え~」と避難の声が上がる。

 

 

「後、霧夜のことは私の口からは言えん。あいつの家内に直接聞け。だが私以上に説得が大変とは言っておこう」

 

 

千冬は大和の肉親である千尋と知り合い関係にある。かつてドイツに単身渡っていた時、千尋は格闘指導の教官としてドイツ軍にいた。

 

人よりは家内のことを知ってはいるが、千冬が大変だと言い切るくらいだし、事実なんだろうと全員が頷く。

 

 

「それに女ならな、奪うくらいの気持ちで行かなくてどうする。自分を磨けよ、ガキども」

 

 

部屋が大きなため息に包まれる中、ただ一人千冬だけは満足そうな笑みを浮かべながら、三本目のビールの蓋を開けるのだった。


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