「はっ、はっ、はっ……」
―――現在時刻、朝の六時になったところだ。寝る前には筋力トレーニング、そして朝早くにランニング。いつもと変わらない身体作りをしている。IS学園に来たからと言っても毎日やっていることを変えるつもりはない。
季節はもう四月だが、まだ朝は肌寒く、立ち止まっているとあっという間に身体は冷えてくる。さっき外に出た時も、とても春のような暖かさを感じることはできず、冬の名残である寒さがまだ身体に伝わってきただけだった。
とはいえ小一時間以上走って身体を動かしているわけだから、発汗によってもう来ている上着はびしょ濡れになっている。
絞れば雑巾のように汗が滴ってくるだろう。走るとは言ってもジョギングとか、軽いランニングとかのそんな生ぬるいものではない。ほぼ全力に近いスピードで走っているからその分、汗の量も尋常ではない量が出ている。
はっきり言えることは霧夜家の護衛は、肉弾戦でも格闘家程度には負けることはない。そんな甘っちょろい鍛え方はしていないからだ。
俺も俺で小さい頃から様々な格闘技を習って身体を鍛えていた。ただ学校を疎かにしていたわけでもなく、日常生活がかろうじて行えるレベルで加減はしてくれた。
そんな無茶なことばかりやっていたため、一人前になるまでは千尋姉に心配をかけっぱなしだった。
千尋姉は、俺に護衛を引き継がせる気は毛頭なく、一人の男の子として育ってほしかったらしい。ただ当主としての千尋姉は厳しく、一切妥協を許さなかった人だった。今は当主を俺に譲ったからそんなことはなく、普通の優しい姉だ。
ただ一線を引いてからはやたら甘えるようになった気はする。……何故だろうか。
学校前の並木道を抜け、寮の前に差し掛かった時に、前方を走る人影が見えた。長い黒髪を後ろで束ね、白のジャージを着てかなりのハイペースでランニングしている。
こんな朝から物好きな人もいるんだなと思いつつも、後ろから近づき横を向いてその人物が誰なのかを確認。するとその人物は自分達がよく知る人物だったと気がつく。
「あれ……織斑先生?」
「ん、誰かと思ったら霧夜か。こんな朝にどうした?」
「俺は日課のランニングですよ。織斑先生も学校関係で忙しいのに、こんな朝早くからランニングですか?」
「私の場合はこの時間しか身体を動かせる時間がないからな。にしてもお前もお前で凄い汗だ、一体どれだけの時間走っているんだ?」
「小一時間は走ってますかね。もう上がりますけど」
千冬さんに並走しながら、互いに会話を交わし合うが、千冬さんは涼しい顔で息を全く切らすことなく走っている。
速さ的には俺とほぼ同じくらい。多少スピードは落としているものの、女性だと考えればその身体能力は相当なものだ。
というか、達人クラスだ。一体どんな修行を積んだのか、是非聞かせてもらいたい。
「小一時間か、その割には全然息が上がっていないようだが?」
「普段から鍛えていますから。生半可な体力じゃ護衛なんか務めれないですし」
「ふん、言うじゃないか……」
実際、ケースによっては生身で戦うこともある。連戦にも耐えれるような強靭な体力と肉体が必要だった。それから臆することのない精神力、相手の動きを見切れるくらいの動体視力、周囲を見渡す危険察知能力。あげていけばキリがないが、どれか一つかけても護衛としては務まらないし、信用もされない。
他の人間が思っている以上に、護衛業を営んでいる人間はタフだってわけだ。もちろん千冬さんもそれを承知の上なんだろうけど、自分の手一つで弟である一夏を守れないのをふがいなく思っているんだろう。
IS学園教師という肩書がなければ、間違いなく自分で一夏を守っていたはず。だからこそ渋々、別の人間に依頼するしかなかった。
「受けた仕事は最後までやり遂げます。ただ、俺は一夏を仕事をする上で守り切らなければならない人間とは思ってないです」
「………」
「一友人として、あいつを見守ってやれればいいなって思ってます。もちろん、あいつが裏切ってくれたら、話は別ですけどね」
「食えないやつだ……」
「よく言われます」
一夏の事を一人の友人として助けてやりたいっていうのはお世辞じゃない。そもそも、世辞はうまくないし、無理に言おうとも思わない。しかも俺の目の前にいるのが千冬さんだというのに、嘘をつくなんて出来たものじゃない。
一夏の話を切り出した途端に、千冬さんが少し顔を赤らめたのは俺の中で思い出として保存しておこう。いつもは一夏に対しても厳しい凛とした表情でも、弟のことはやっぱり心配なわけだ。
全く、心配なら心配って素直になれば……
「うわっ!?」
横からくる危険を察知して、その場に素早くしゃがみこんだ。頭上を凄まじいスピードの何かが通り抜けていく。
言い回し的には空気を切り裂くとでも言えばいいのか、それほどにまで鋭い一撃で、まともに食らっていたらただでは済まなかった。
達人クラスの一撃を避けた俺は、しゃがんで下に向いた視線を上に向ける。そこにあったのは白いジャージを纏った足だった。
こんな朝っぱらから、そして俺の近くにいて、これほどの一撃を繰り出せる人間は一人しか思いつかない。
――――人物を断定、一撃は千冬さんのものだった。
そしてその振り切った足を、今度はそのまま垂直に落下させてきた。俗にいう踵落とし、この体勢では避けることは難しい。思った時には既に身体は反応してくれていた。
素早く両腕をクロスさせると踵の落下地点に腕を合わせる。
刹那、ズシンという重みが身体を襲った。ミシミシとガードした腕が軋みを上げながら、千冬さんの踵落としを防いでいる。少しでも力を抜けば、腕ごと持って行かれそうだ。
あと一歩遅かったら俺は地面と熱烈なキスすることになっていたに違いない。
何でこんなことに、と一瞬考えたが、思い当たる原因はある。俺が心の中で思っていたことが顔に出て、それに千冬さんが気がついたってことだ。
「霧夜、貴様今失礼なことを考えていただろう?」
「ナチュラルに人の心を読まないでください! 一般人なら病院送りですよ!?」
「ふん。これ位の攻撃を防げんようでは、お前に護衛は任せてない。素直にお褒めの言葉だと思って受け止めろ」
「そ、そりゃどうも……」
ギギギ、と腕は軋みをあげながらも、十分だと判断したのか、千冬さんは足をどけてくれた。踵落としを受けた腕が地味にしびれている。動かす分には全く支障は出ないものの、鍛えていない人間が食らったら間違いなく病院送りものだ。
この人の実力はIS戦闘のみに発揮されているものではなく、生身の戦闘であっても十分に力を発揮できるものだということが、疑問から確信に変わった。世界レベルで見てもかなり高い実力も持ち主って言っても過言ではないはず。
「……一夏を大切に思う気持ちは誰にも負けん。だがここがIS学園である以上、あいつだけを贔屓するわけにも行かん」
姉としての千冬さんと、教師としての千冬さん。正直複雑な心境だと思う。ところどころではあるが、千冬さんの姉としての気持ちを見れる俺はラッキーなのかもしれない。
次に走り出す瞬間には表情は元の表情に戻っていた。これ以上下手に突っ込んだり、考えたりすると、また同じような攻撃を食らいそうだからもうやめておこう。
少しの時間、千冬さんと並走しながらランニングをしていたが、頃合いを見計らって俺は先に寮へと引き返した。これ以上走っていると生徒が起き始める時間に差し掛かってしまう。
今の姿を生徒達に見られるのはまずいからだ。何より、少し部屋でゆっくりもしたいしシャワーも浴びたい。
とりあえず、一回シャワーでも浴びて頭の中もリセットして授業に備えるとしよう。
「お願いしまーす」
――――食堂の開放時間。朝食をとるために食堂へやってきた俺は券売機で食券を購入してスタッフの人達に渡す。
ランニングを終えて寮に戻った後、汗のしみついた身体を洗い流すためにシャワーを浴び、食堂開放時間まで、部屋に備え付けられたテレビでニュースを見ていた。
しかしまぁ、犯罪っていうものは一向に減らないものだ。自分がこうして生活を送っている中、犠牲になっている人間がいる。そう考えると自分が幸せな生活を送れているということを改めて認識する。
ニュースで取り上げられる事件も多種多様で、痴漢に恐喝に殺人。女性優位のこの世の中じゃ、冤罪なんて日常茶飯事だが、そんな女性を逆恨みした犯罪なんかも増えている。俺一人が行動を起こしたところで減るわけでもなく、誰かが何かしたところで何とかなる問題でもない。
この世の中っていうのが大きく世間体ってものを変えてしまったというのは事実。ISが開発されたことを恨むわけじゃないが、どうにもそれ以来、人間の心が寂しくなった感じはある。
待つことしばし、トレーには頼んだ朝食が乗せられていた。ちなみに今日はアジの開き朝食。朝食の時間限定のメニューで、新鮮なアジの開きの塩焼きにおしんこ、味噌汁とご飯が付いている。
ご飯は当然大盛り、だって普通じゃ物足りないし。
アジ朝食が乗ったトレーを持ちながら、どの席にしようかとあたりを見渡しつつ、座る場所を探す。あたりを見渡していると、どこかで見たことのある組み合わせを発見した。
「なぁ……なあって! いつまで怒っているんだよ?」
「……怒ってなどいない」
「顔が不機嫌そうじゃん……」
「生まれつきだ」
……聞こえてくる会話の内容がよろしくない。
どうにも壁というものを感じてしまう。二人は隣同士で座ってはいるものの、二人の間には見えない壁らしきものが存在しているみたいだ。まだ昨日のわだかまりを解決できていないのかもしれない。
昨日は二人を食堂で見ることはなかったし、結局部屋で二人で夕飯は済ませたのか。
部屋にはキッチンが備え付けられているし、考えられないこともない。だとしたら篠ノ之の性格を考えたとしても、少しくらいは二人のわだかまりはある程度解消されていると考えても良いはずなんだけど……
とりあえず、ここまで来ちまったんだから、椅子に座るとしよう。
「よう、お二人さん。おはよう」
「あっ、おう! 大和」
「………おはよう」
「さて、いただきます」
とりあえず机にトレーを置いて、挨拶を交わしながら座ったまでは良かったが、返ってきた返事はそれぞれちょっとばかし違っていた。
一夏はいつも通りというか、自然な感じで返してくれたものの、篠ノ之は挨拶こそ返したものの、その言葉には明確なまでの不機嫌オーラが含まれていた。
やっぱり何かやらかしたのか。別に聞きたいと思うほどのものではないだろうし、ここはスルーしておこう。ただ、話の内容以前にこの空気感は何とかならないものか。
朝食を口の中に運びながら、二人の会話に耳を傾ける。
「箒! これ美味いな!」
「……」
篠ノ之、一夏の振った話にも完全にスルー。……もう少し、二人の様子を観察してみよう。
「あの子達が例の?」
「織斑くんって、あの千冬様の弟さんらしいけど、強いのかな?」
「霧夜くんの情報って全然分かってないらしいけど、どうなのかしら?」
「うーん……見た目は強そうだけど、断定は出来ないかなー」
俺達の後ろでは女生徒達が口々に俺や一夏の事について話している。一夏の事については特に、千冬さんとの関係についてだ。二人が同じ苗字であり、兄弟だというのは昨日のうちに知れ渡っている。血がつながっているってことは、千冬さんのように強い人間だという認識が生まれる。
俺は、一夏が実際にISを動かしているところも、身体を動かしているところも見たことはないから強いかどうかなんてのは分からない。
噂をしていると、その様子に気づいた一夏が篠ノ之の方を向く。
「なあ、箒―――」
ダンッ!
「名前で呼ぶな!」
机を叩きつけ、篠ノ之は厳しい眼差しで一夏を睨みつける。トレーがガタンと揺れたために、俺のトレーの味噌汁が零れかけるが、お椀自体を上げることで回避。
「え……篠ノ之さん」
眉間にしわをよせ、明らかに怒っていますオーラを醸し出す篠ノ之。どうすればいいのか全く分からない一夏は渋々折れ、ガックリと首を垂れながら篠ノ之のことを名字で呼ぶ。
……取りつく島もないなこれ。一体昨日何があったんだ一夏。アジ朝食は朝食メニューの中でも自慢の一品らしいが、普通だったらおいしいはずのものも、この雰囲気では味わっている余裕もなかった。
とにかく、この空気は俺には合わないってことははっきりとした。状況を打開するべく、俺は一夏にそっと耳打ちして情報を聞き出す。
「昨日解決しなかったのか?」
「それについては解決したんだけど……」
したんだけどってどういうことだ?
謝ったのに篠ノ之には許してもらえなかったのか。部屋にも入らなかったし、こっちがとやかく言うことじゃないんだろうけど、キチンと話しあえば大丈夫だと思ったんだけどな。
俺が単に勘違いしていたのか、それとももしかして昨日俺のところに駆け込んできた原因となった騒動は解決したものの、また別のことで一夏がやらかしたのか。
何だろう、会って間もないっていうのにこいつやらかしてもあすオーラが尋常じゃなく漂ってくる。……とにかく聞いてみれば分かることだ。
続けて俺は一夏に聞く。
「まさかまだ何かあるんじゃ……」
「え? いや……その、まぁ……」
どうにも一夏の話す言葉も歯切れが悪い。あろうことか、どんどん気分が落ち込んで頭が垂れていく。つまりやらかしたっていうのを肯定していた。もし何かをやらかして自覚していなかったらドラゴンスープレックスものだが、自分がやってしまったことに罪悪感を感じて、反省自体はしているみたいだ。
やらかし体質の持ち主なのかどうかは不明だけど、常にハプニングが絶えない人間らしい。
ただ反省はしてもちゃんと謝ったかどうかが問題。それを含めてさらに一夏に聞いてみる。
「謝ったん……だよな?」
「謝ったさ! デリカシーのないこと言って悪かったって!」
デリカシーってことはよほど失礼なことをいったんだな。特に意中の男性からは言われてほしくないことを。
判決から言い渡すのなら、全面的に一夏が悪いで終わるけど流石にそれだけじゃ可哀想か。
「原因が分かっているなら謝るしか無いな、やっぱり」
「う……やっぱそうだよなぁ」
何となく一夏も察してはいたみたいで、改めてそれしか方法がないと言われると、強制的に納得せざるおえない。自分がどう思ったのか、どうしたいのかを判断するのは一夏自身であって、俺ではない。
一夏がしなきゃならないと思ったならすればいいし、する必要がないと思ったのなら、しなくてもいい。
結局何が言いたいのかっていうとだな……
「でもそこを判断するのは一夏だ。……ごちそうさん」
「あ、あぁ……って食うの早くないか!?」
「そうか? むしろ一夏が遅いんじゃないのか」
「いや、それを差し引いてもはえーよ。ちゃんと三十回噛んでるのか?」
「俺は小学生か!」
今さら小学生でも言わないぞ、その言い回し。別にかきこんでいる訳じゃないし、常に手を動かしていれば食べるのが遅くなるなんてことはないはず。後は慣れだ。
「……」
食べ方について語ることで気を紛らわそうと考えていたら、さっきから篠ノ之が俺の方をジッと睨んでいることに気がついた。
あれ? 俺は別に何も聞いていないし、言ってもいないんだけど。もしかして今一夏と話していたことが気に障ったのか?
とりあえず、食後のコーヒーを取りに行くために一回席を開けよう。
「俺は食器片づけてくる。また戻ってくるから」
「あ、あぁ」
トレーを持ち上げ、そそくさと逃げるように席を離れる。実際、篠ノ之が本当に昨日一夏がやらかしたことについて怒っているのかどうかも謎だし、これ以上のことを言えないっていうのが本音だ。
しかもやった後で気がついたけど、これってとんだお節介じゃないか。またキングオブお節介って称号がつくのは勘弁願いたい。長所でもあって短所でもあるってよく言われることだし、突き放す時は突き放せっていうけど、俺には出来ない。出来るのなら当の昔にやっている。
特にわけ隔てのない女性だったら絶対に無理だ。
洗い場の前に立って食器を分別し、トレーを重ねたのちに今度はそのまま調理場に向かってコーヒーを頼む。
「ブラックコーヒーホットで一つ」
「あいよー!」
普段時は有料なコーヒーも、朝限定で一杯はタダで飲める。俺にとってはかなり嬉しい特典だ。そのままコーヒーを受け取ってきた道を戻る。
コーヒーをブラックで飲むようになったのは結構前から。そもそもコーヒーを初めて飲んだ時からブラックで、ミルクやシロップを入れることを知らなかった。そんな訳があるかって言われるかもしれないが、事実でブラック以外はココアという認識をしていた。
今でこそ分別はつくものの、昔の常識のなさは相当やばかったなと思うと、今でも苦笑いが出てきてしまう。
周りにはブラックコーヒーを飲む人間がいないから、喫茶店で一人だけコーヒーをブラックを飲んで周りに少し妙な目で見られていたのは今ではいい思い出、一緒にいたのは男子だけだけどな。
そういえば先ほどと比べると食堂にいる人間が増えている。もうそんなにゆっくりしている時間もないし、さっさとコーヒーを飲んで教室に向かうとしよう。出席簿の餌食になるのだけは勘弁だ。
「ん……あれって」
自分達の座っていた席を見ると、座っている人間が増えていることに気がつく。一夏の隣は開いている、俺がすぐにまた戻ってくるっていったから確保してくれたんだろう。その空いている場所の隣に三人、見知った人物が座っていた。
見知ったというより、昨日知り合って仲良くなったって言った方が適切かもしれない。その三人が誰なのかを確認したのち、俺は席に戻って声をかけた。
「おはよう、三人とも」
後ろから手が伸びてきたことと、急に声を掛けられたことに、少し驚きを感じながら三人は俺の方を振り向く。でもその人物が自分の知っている人物だと気がつくと、三者三様の笑顔を見せてくれた。
「あ~。おはよーきりやん」
「おはよう! 霧夜くん!」
「お、おはよう! 霧夜くん」
三人の挨拶を見届けると、俺はゆっくりと椅子に腰をおろす。三人っていうのは布仏本音、谷本癒子、鏡ナギの三人のことで、昨日アドレスを交換し合った仲だ。仲と呼ぶには程遠いかもしれないけど、自分の携帯に女の子の連絡先が追加されるのは嬉しいものがある。
気になっていたことだからあえて言わせてもらうけど、鏡と谷本の二人は学園指定の制服だというのに、布仏は例のパジャマのままだった。学校来るまでには着替えるんだろうけど、すげー目立っている。ただでさえ制服の生徒が多くて、パジャマの時点で目立つというのに、個性的なパジャマだから更に目立つ。
パジャマの話はさておき、三人の朝食を見ているとやはり量は少なめだった。鏡はトーストに目玉焼き、そしてミルク。
……おい、今変な想像したやつ。後で米俵抱えて全力ダッシュのフルマラソンしてこい。
話を戻そう。谷本はクロワッサン二つにサラダ、後はホットココア。布仏はトーストにサラダ、そしてオレンジジュース。
朝は食欲もないだろうし少食になるのは仕方ない。本当は朝食って一番とるべき食事なんだぜ? みんな知ってたか?
三人の朝食に目を向けていると、隣から一夏が口を挟んできた。
「大和は三人と知り合いだったのか?」
「昨日食堂でたまたまな。どっかの誰かさんは、後で来るとか言っといて来なかったけど」
「う……そこを突っ込まれると耳が痛い」
からかいの意味をこめて、笑いながら一夏に話してやる。耳を押さえながらその話はやめてくれと言わんばかりに、俯く一夏。よし、これで一夏は当分からかってやろう。
一夏のからかいについて考えていると、ガタリと席を立つ音が聞こえる。一夏の左隣に座っている篠ノ之が立ち上がった音だった、どうやら自分の朝食を終えたらしい。
「私は先に行くぞ」
「え? あぁ、また後でな」
一言残すと、篠ノ之は我関せずとばかりにスタスタと先に行ってしまった。一夏と俺以外にも三人いるんだから、もう少し愛想が良くてもいいんじゃないかとは思う。
別に誰かに危害を加えようとしたわけじゃないから、特にとやかく言う必要もない。これで誰かに強烈な不快感を当てたら話は別だけど、その辺りは篠ノ之もちゃんと分かっている。
篠ノ之の後ろ姿を見守った後、再び視線を机に戻した。
さっき貰ってきたコーヒーカップの取っ手に手をかけ、口の中に運んで行く。程よい熱さとブラック独特の苦みと香りがたまらない。コーヒーを飲みたいって思ったらやっぱりブラックコーヒーに限る。
味も有名なコーヒーショップ顔負けの味で、癖になりそうだ。二度三度口に運び、皿の上に戻す。
「上手いな、ここのコーヒー」
「へぇ~そうなのか。あれ、大和ってブラック派なのか」
「ああ、むしろそれ以外は飲まないな」
「でも周りに飲む人間て少なくないか? 俺の周りもいなかったし」
「まぁ確かに、周りには誰もブラック派がいないんだよな」
知り合いにもブラック派はいなかったし、もちろん千尋姉も飲まない。というより飲めない。千尋姉の近くで、ブラックがうまいと言った時に、ブラックなんて人間が飲むもんじゃないって言われた時は素でショックだった。
あれは間違いなく全世界のブラック好きを敵に回したな。
「でもよく飲めるよねー。私コーヒーってすごく甘くしないと飲めなくて……」
「わ、私もちょっと厳しいかな……?」
「私も無理~。甘いのしか飲めないもん~」
「……俺も好んでは飲まないかな。アハハ」
結論、ここにも俺の味方はいませんでした。チクショウ……
ブラックコーヒー自体、好きな人間が少ないのはよく分かる。でもブラックっていうのはコーヒーの素材そのものを味わうことができる。人として素材の味をそのまま楽しめるなんて幸せじゃないか?
っていう自論を中学のクラスメイトの前でも言ってみたけど、その理屈はよく分らんって形で一蹴された。良く考えてみれば人間は十人十色、誰もが自分と同じ思考を持っているわけではない。
人に好き嫌いってものはあるもの。食べ物然り、行事然り、人間関係然り。そもそも人に物を勧めるような性格ではないものの、人に物事を勧める時には極力注意したい。
とはいえ同士を見つけられなかったって考えると、少しへこむなぁ。
「ま、まぁ元気出せよ! いずれ仲間は見つかるさ」
「そうだよ~、だから大丈夫だよ」
「頑張ってね、霧夜くん!」
「わ、私も応援するね!」
一体何が大丈夫で、何を頑張ればいいのか。どこに向かえばいいのかもうなんか良く分からなくなってきたな。決勝試合の前に応援をされているみたいだ。まさかコーヒーの話題一つでここまで話がこじれるとは。
「って、もうあまり時間ないな。少し急ぐか」
「ん? あっ、確かに」
コーヒーのことばかり考えていたから時間を忘れていたことに気がつく。もう結構時間を潰してしまったわけだし、もうそんなにゆっくりしている時間がないのは確か。俺は残っているコーヒーを飲みほし、席を立ちあがった。
―――と
パンパンッ!
「いつまで食べている。食事は迅速に効率よく取れ」
手を叩く乾いた音が食堂に鳴り響き、その音源に生徒たちが一斉に注目する。そこにいたのは朝と同じ白ジャージに身を包んだ千冬さんだった。
会話に夢中で騒がしかった食堂は一瞬の静寂の後、早く朝食を取れという千冬さんの催促に、残っている学生はカチャカチャと音を立てながら慌てて口に食べ物を詰め込み始める。
隣にいる鏡、谷本、布仏の三人もそれは同様で、ワタワタと慌てながら食事に取り掛かり始めた。幸い量があるものではないため、そこまで食事に時間がかかることはないと思う。
って一夏は篠ノ之と一緒に食べ始めたはずなのに、まだ食っていたのか。早くしないと千冬さん直伝の出席簿の嵐が降り注ぐぞ。
「私は一年の寮長だ。遅刻したらグラウンド十周させるぞ」
あれだ。千冬さんの担当である俺達の場合、遅刻したら出席簿だけじゃなくて、グラウンド十周という地獄の愛のムチまで待っているわけだ。
ただの十周だったら、なんのそので終わるかもしれないが、IS学園のグラウンドは一周約五キロ。つまり十周したら約五十キロでフルマラソン以上の距離を走らされることになる。
一体どこの軍隊だろうか。肉体改造するなら持ってこいかもしれないが、進んでやりたいものではない。だから素直に遅刻せずに教室に向かうとしよう。
右隣に目を向けると、三人とも何とか食事を終えたみたいだ。時間的にはまだ普通に間に合うし、走って行く必要はなくなった。むしろ千冬さんが来なかったらここにいる全員走って学校に行くことになっていただろう。
で、三人に少し遅れて一夏も食事を終えた。さっさと部屋に戻って身支度を整えて、学校に繰り出すとするか。
「じゃ、また後でな」
「ああ、俺もすぐ行く」
「了解」
一足先に俺は食堂を後にし、自室へと戻って身支度を整えた。部屋に戻る途中でも何人かの学生に出会い、挨拶を交わしながら戻ってきたため、少しばかり時間がかかってしまったが、時間的にはまだ余裕があった。
今一度鏡の前に立ち、自分の姿におかしな部分がないかを確認する。服に汚れもシワもないし、授業に関する忘れ物もない。
ああ、後参考書が必要だったな。
机の上に置いてあった参考書を鞄につめて、俺は部屋を出る。すると、ほぼ一緒のタイミングで身支度を整えた一夏が部屋から出てきた。
「お、大和! 一緒に行こうぜ!」
「あぁ、いいぜ。後これ参考書な」
「サンキュー!」
一夏が古い電話帳と間違えて参考書を捨ててしまったため、新しい参考書を発注したのだがまだ届いておらず、俺と一夏で共有するように使いまわしている。とはいえ、前半部分は大体理解をしたため、学校にいる間は前半部分をまだ理解しきっていない一夏に渡している。
もちろん後半部分は俺も理解し切っていないが、それまでには一夏の参考書も届くことだろう。届けば参考書を一夏に貸す必要もなくなるわけだから、問題は万事解決。
一夏が俺の参考書をなくしたり、破ったりしたら話は別だが、そんなことをする奴じゃないのはよく分かっている。
じゃ、改めて学校に向かうとしよう。
「そういえば、今日って何かあったっけか?」
「いや、放課後に復習をやる以外は何も無い筈だぞ?」
「うぐ……き、今日もやるのか?」
「昨日ほどじゃないけど、進んだ分は埋め合わせしないと不味いだろう」
「た、確かに」
「俺もまだちゃんとISについて理解しているわけじゃないし、こうでもしないと置いてけぼりにされるしな」
昨日やった長時間に及ぶ復習。俺もかなり疲れたが、一夏はそれ以上に疲れたようで、今日もそれをやることが分かると、顔を引きつらせながら嫌そうな表情を浮かべる。
ここに入った宿命といえばそれまでだが、正直逃げ出したいのは俺とて同じ、一夏の気持はよく分かる。
「ま、今から放課後のことを気にしても仕方ない。さっさと行こうぜ」
「そうだな」
―――いったん放課後のことは忘れ、俺達は学校に向かうことにした。
この後に、些細な一言が俺の逆鱗に触れるとも知らずに。