IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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いつか必ず

 

 

 

 

 

 

 

部屋に戻り、扉を閉めてそのままベッドへと倒れ込む。ルームメイトは部屋を空けており、部屋にいるのはナギのみ。大きめの抱き枕をギュッと抱き寄せると、顔を埋めながら思い返す。

 

 

(私、大和くんと……)

 

 

口元を指で触りながら、未だに残る感触を忘れられずに赤面する。いざ思い返すと自分がどれだけ大胆なことをしたのか、恥ずかしくて堪らなくなってくる。たまたま人が居なかったから良いものの、あんな光景見られたり撮られたりしたら全校生徒の格好の的。

 

高まる気持ち、胸の奥底に仕舞い込んだ彼女の想いは抑えることが出来なかった。イケメンだから、優しいから、二人しかいない男性操縦者の一人だから、そんな上部だけの中途半端な想いで好きになったのではない。

 

内面も外面も含めた大和の全てが好きだからこそ、想いを伝えた。

 

出かけた際トイレに行ったきり戻らなかった時間があった。

 

戻ってきたのは三十分後。大和の性格だから本当に体調が悪い時は、前もって連絡をするはず。それがないのは連絡も出来ないほどの状況に追い込まれていることになる。

 

分かったから聞かなかった。

 

皆が知らないところで、戦っているのだと。本音を言えば、危険な目に合って欲しくない。それは散々言っているし、大和だって知っている。

 

ナギに心配を掛けるようなことはしたくないといっても、どうしようもない事情が彼にはある。彼の本職は護衛であって、対象の人物を守ること。

 

一夏に危害を加える脅威を排除し、命に換えても守りきることが、彼に与えられた任務になる。最優先事項を履き違えるほど、情に流されやすいわけではない。それでも彼にとっての"護りたいモノ"は一人や二人だけではない。

 

 

彼に携わる人物、仲良くなった人物全てが彼にとっての"護りたいモノ"になる。当然だが何度も言うように最優先事項を履き違えることはしない。

 

だが彼の場合、優先事項そのままに()()()()()()()()()()()()

 

最大の長所でもあり、時には致命的な欠点ともなる。

 

 

彼女も薄々ながら大和の立ち位置を理解しつつある。だからこそ思いを汲んで、平静を装ったまま追求をしなかった。

 

現実と向き合わなければならない。常に危険に晒される立ち位置にいると知ったことで、内心穏やかではないだろう。

 

ただ、そんなことで傾くほど、彼女の想いは柔なものでもなければ、薄っぺらいものでもない。

 

 

(私のことが好きって言ってくれるなんて思わなかったな……)

 

 

 

彼の口から直接言ってくれたことが、彼女にとって一番の驚きだった。

 

観覧車に誘ってくれた時点で何か話があるんだろうとは思っていたが、自身から伝えようとした想いを先に伝えられて一瞬頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなった。

 

遅かれ早かれ、自身の想いをはっきりと伝えるつもりだった。それがたまたま誘ってくれたあの観覧車内での出来事になる。

 

 

(ど、どうしよう。明日からどんな顔して合えば)

 

 

思い切った行動に踏み込んだは良いものの、気持ちが高ぶった興奮状態にあった先ほどの行動を思い返してしまうと、次に会った時どのような顔をすればいいのか分からなくなってしまう。

 

少し考えるだけでその時に伝わってきた彼の驚いた顔、体温、唇の感触までもが鮮明に蘇ってくる。すぐに切り替えることが出来るほど彼女は恋愛に慣れているわけではないし、取り繕うのが上手いわけでもない。今のまま学校に行ったらすぐに何があったと悟られてしまう。

 

だが今から明日のこと、彼と会うことを考えても仕方ない。一旦お風呂にでも入って、気持ちを切り替えれば多少は落ち着くだろう。

 

おもむろにベッドから起き上がり、クローゼットの引き出しの中からタオルや寝間着として利用する部屋着を取り出し、洗面道具や洗顔石鹸、ボディーソープにコンディショナーを洗面器に入れると部屋を出る。

 

いつもより気持ち早歩きで大浴場へと向かう。幸いなことに通り道の廊下には誰もおらず、壁には光に反射した自分の影が映し出されるだけだった。

 

ひとりぼっちで大浴場へ行くのは珍しい。大体は誰かしらと一緒に行ってたし、そもそも夕食も食堂で取らないことなんて誰かの部屋で作ったり、実家に帰ったりした時以外は無かった。

 

普段とは違った妙な感覚を覚えながらも、一人先を急ぐ。階段を一階まで降り、入口のロビーに差し掛かった途端、ピタリと足を止めた。

 

 

「楯無さん……」

 

「こんばんはナギちゃん。奇遇ね、こんなところで会うなんて」

 

 

そこにはまだ制服姿を纏ったままの楯無の姿が。だが、どこか雰囲気が違う。いち早く違和感を感じ取ったナギは、何が違うのかを考える。

 

その違和感の正体が分かるのに、数秒と掛からなかった。いつもなら掴み所がなく、ミステリアスな雰囲気があるというのに、今日に限ってない。もちろん、表情や仕草はいつものままだが、人の纏う雰囲気は感情や体調によって大きく左右する。

 

体調でも悪いのかと楯無の身を案じようとするナギだが、彼女の考えていることも楯無にはお見通しだった。首を横に振りながら苦笑いを浮かべ、大丈夫だとジェスチャーをする。

 

 

「いつもと雰囲気が違ったかしら」

 

「え? えぇ、まぁ。私の気のせいかもしれないですけど……」

 

「まぁ、そうねぇ。若干いつもよりローテンションかな?」

 

 

クスクスと冗談めいた言い方で、ナギへと話を続ける。ただその言い方が儚くて、今にも消えそうなジョークのようにも見えた。

 

まるで失恋したかのような……。

 

 

「ね、少しだけ時間良いかしら。十分くらいで話は終わるから」

 

「は、はい。それくらいなら全然……」

 

「ありがと。ここで話すのもなんだし、私の部屋に行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

楯無に促されるまま、後ろを着いていく。個別で話をするのだから、相応の話なんだろうと予想を立てつつも、内容を知るのは楯無だけだからと黙ったまま歩く。

 

心当たりがあるとするなら大和の話題について。今日起こったことを既に悟っているのではないかと。

 

絶対にバレないだろうと思っていたことが、いつの間にか知られているなんてことは一度や二度ではない。学園全生徒の情報を一人で把握しているなんて噂もあるくらいだし、情報網が異常なまでに広いのは誰もが知っている。

 

 

 

本当なら大和に告白されたことなど、誰にも知らせたく無いようなことだが、楯無になら知られても良いと思っていた。

 

タッグトーナメントが始まる少し前、彼女は楯無と偶然会った時に言われた言葉を一言一句、完璧に覚えている。同時に楯無も大和に想いを寄せている人間の一人であることを把握した。

 

好きな人が出来れば人間の性で自分だけを見ていてほしい、自分だけのモノにしたいと思うのは当然。しかしナギだけは違った。

 

 

「さて、と。どこから話しましょうか」

 

「……」

 

「そんな硬い顔をしなくても良いのよナギちゃん。あなたを責めようとしてる訳じゃないし、久しぶりにちゃんとお話ししたかったの」

 

「は、はい」

 

 

緊張しないでと楯無は言うが、たった一人部屋に呼び出されて緊張しないはずがない。それも学園最強の生徒会長の部屋に呼ばれて、一対一の面接のように座って相対するのは中々に勇気がいる。

 

二人は顔見知りではあるが、所詮はそこまで。楯無はナギのことをよく知っていても、ナギが持ちうる楯無の情報は圧倒的に少ない。IS学園が年齢に関係ない実力の世界だったとしても、目の前にいる存在がそもそもその頂点に君臨するのだから、緊張していないとすれば相当肝っ玉の据わった人間だと証明することになる。

 

 

座りながら部屋を一望すると、無駄なものが全く置いてなかった。ベッドの周りもシンプルそのもので、人形や可愛らしい抱き枕は一切無い。持っていないというよりかはキチンと片付けられている印象を受ける。ただ女性らしい部屋かと言われれば違うし、かといって男性らしい部屋かと言われても違う。

 

 

「ふふっ、ごめんなさい。いつでも人を呼べるように常に部屋は片付けてあるの。もっとも、掃除しているのは私の同居人なんだけどね」

 

 

部屋を見回すナギに、からからと笑いながら伝える。

 

楯無と一緒に暮らしている人はどんな人なんだろうと想像を膨らますナギだが、楯無は若干苦笑いを浮かべたまま話し始めた。

 

 

「それよりも今日は楽しかった?」

 

「え、あ、はい! おかげさまで……」

 

「そう、良かった。元々話は知ってたから、大丈夫かなって思ってたんだけど……そっか」

 

 

濁した回答に、変わらないトーンで話続けようとする楯無だが、後半に行くにつれてそのトーンは明らかに落ちていく。些細な変化だが見逃すほど鈍感ではない。

 

大和のことが気になっている様子は隠せておらず、表情は変わらなくてもどこか不安げな気持ちを抱えているようしか見えなかった。

 

楯無が事実を知っているかどうかなど、聞いてみなければ分からない。だが現状を隠し通せるほど、ナギも嘘をつくのが上手くは無かった。楯無の表情を見れば見るほどに、心が痛む。

 

事実を伝えるべきか否か、ナギにとっては難しい選択でもあった。そうは言っても一緒の学校に通っている以上、いずれは分かる。大和の口から先に楯無に伝わるのが先か、口コミで伝わるのが先か、今この場で伝えるのが先か。どちらにしても最終的な結論は同じこと。

 

 

 

「ねぇ、ナギちゃん」

 

「は、はい。どうしました?」

 

「……大和に告白されたのかな?」

 

 

ドがつくほどのストレートな質問に言葉を失い、楯無の目から視線を離せなくなる。事実を知らずに質問を投げ掛けたのか、それとも既に事実を知った状態であえてナギに質問を投げ掛けたのかは、楯無本人しか分からない。

 

何度も言うようにナギは人に嘘をつくのが苦手だ。この期に及んで告白なんかされてませんと言い返すことは出来ない。一体楯無は何を考えているのか、意図も分からずに真実を伝えていく。

 

 

「……はい。今日、大和くんの口から直接……」

 

「そう、なんだ……」

 

 

視線を逸らし、俯いたまま小さく返答をする楯無。ナギも伝えてしまった手前、バツが悪そうに楯無から視線を外す。無理もない、直接言われたわけでは無いにしても、楯無の質問に対する肯定は、間接的に楯無が振られたこととイコールになる。

 

大和が想いを伝えた理由はただ一つ。楯無への想いよりも、ナギへの想いの方が強かったから。最終的にはどちらか一人を選ばなければならない現状に、相当悩んだ上での結論だったのは分かる。

 

大和の中で二人が護りたい人であることは変わらない。だが彼が選択したのは楯無ではなくナギだった。

 

 

「ロビーに居たのは本当に偶々だったんだけど、その時のナギちゃんの顔がいつもと全然違ってたからもしかしてって思って……。やっぱりそうだったのね」

 

「……」

 

 

全てを見透かされているような気分だ、もう何もかもお見通しと言わんばかりに。

 

楯無がそう判断したのは単純にいつもと顔つきが、表情が違ったからとの理由だけではない。

 

デート中に大和が害虫退治で外に出ている時、楯無へ電話連絡を入れている。後処理を頼まれただけだったが、楯無から今どこにいるのかと問い掛けたところ、本島の方にいるとのことだった。

 

長期休暇ならまだしも、ただの連休で本島にいく理由は限られてくる。デートに行っているのかとカマをかけたところ、返ってきた答えは、『あのなぁ……』といった濁したものだった。

 

その一言が疑問から確信へと変わる瞬間でもあった。

 

 

事実を言われてしまい、何を楯無に言えば良いのか分からずに下を俯く。不思議と怒られている、詰められている口調ではないのに、人に知られることがこんなにも変な気持ちになるだなんて思いもしなかった。

 

切り出すことが出来ずにいるナギに向かって、再度楯無が声を掛ける。だがその内容はナギの予想を大きく越えるものだった。

 

 

 

「おめでとう、ようやく想いが伝わったんだ」

 

 

思いもよらない称賛の言葉に顔をあげて目を見開く。ナギの中では祝福された喜びよりも、驚きの方が勝っていた。

 

どうして自分が祝福されたのか。もちろん本来であれば祝福されるケースなのは間違いないが、文句の一つや二つも言われるのではないかと内心びくびくしていたからこそ、よりそう思ってしまう。

 

楯無にとって未練が全く無いのかと。

 

 

「あ、あの……」

 

「もしかして文句の一つでも言われると思ってたかしら?」

 

 

淡々と連ねられる言葉の数々には未練が感じられない。決して遠回しに嫌みを言っているわけでも無ければ、直接言っているわけでもなかった。

 

やはりただの気のせいだったのかと、徐々にナギの中で疑問が解消されていく。

 

 

「だとしたらちょーっと心外だなぁ」

 

 

そう、本当に楯無に未練がないと判断が出来れば気のせいで片付けることも出来た。楯無の顔を見つめていたナギの顔が強ばっていく。

 

楯無の表情に如実なまでの変化を感じ取ったナギだが、話している手前、切り出すことが出来ない。

 

 

「前からお似合いだと思ってたけど……そっかぁ」

 

「楯無さん!」

 

 

楯無の無理をしている感に堪えきれなくなったナギが勢いよく切り出す。会話の途中に、それもこれほどまでに感情を露にするナギを楯無も見たことはないだろう。

 

どうして無理をして取り繕うとするのか。

 

仮に本心から祝ってくれているとしたら、ナギもここまで言うことはない。だが、楯無の言葉の一つ一つ、表情から汲み取れるのは明確なまでの未練、悲しみ、後悔。いくら平静を装ったとしても、溢れ出る負の感情を隠すことは出来なかった。

 

 

「ど、どうしたの? 急に大きな声だして……」

 

「楯無さんは本当にそれで良いんですか!? 本当にそれで諦めが付くんですか!」

 

「―――ッ!」

 

「言ってたじゃないですか! どれだけアドバンテージがあっても負けないって、そう言ってたじゃないですか! なのにこんな簡単に……」

 

 

言葉が続かない。

 

言いたいことは分かっているのに、上手く言葉に出来ない。楯無の未練にナギは怒っているわけではない。

 

どんなアドバンテージがあったとしても、負けないと宣戦布告をしておいて、あっさりと大和への想いを断ち切ろうとしている楯無の姿に無性に腹が立った。啖呵を切って伝えてきたのに、その程度の安っぽい想いだったのかと。

 

初めて会った時から、ナギにとって楯無は理想の女性だった。大和の部屋で鉢合わせた時に一目で悟ってしまった、この人には絶対に敵わないと。女性が憧れる女性など、何人もいるわけではない。

 

場にいるだけで周囲の雰囲気を変えてしまうほどの存在感、一声掛ければ全員が後ろを着いていくほどの圧倒的なカリスマ性。嫉妬すると同時に芽生えたのは、尊敬の念だった。

 

いつかこの人のようになりたい。一緒になれなかったとしても、少しでも近づくことが出来れば……そう思って毎日努力してきた。

 

自分としては到底越えることなど出来ないと思っていた"目標"がこうもアッサリと白旗を上げてしまったことが悲しく思えた。

 

 

「た、確かに私を選んで貰えなかったのは残念だったけど、相手を選ぶのは大和の自由だし、もう別に未練なんて……」

 

「だったら……だったら何で楯無さんは泣いてるんですか!」

 

「……え?」

 

 

泣いてなんかいないと思いつつも、ナギに言われるがまま頬を触る。

 

手に触れる湿った感触、それはゆっくりと頬を伝い、やがてポタポタと滴のように床へとこぼれ落ちた。嘘だ、これは嘘なんだ、夢なんだと思いつつ何度もまぶたを擦るも、一旦溢れ出した滴の流れを止める術はなく、頬を伝ってくる。

 

止まらない、止めようと思えば思うほどに涙が溢れでてくる。

 

大和に未練がない。

 

どうしてすぐに分かるような嘘を付いたのだろうと、楯無は内心後悔していた。これでは自分がまだ未練があると伝えているようなものだ。せめて笑顔で祝福しようと取り繕ったのに、端から見れば自分が想いを捨てきれないまま、しがみついているようにしか見えない。

 

汚く、醜い自分を見せたくない。

 

私は学園の生徒会長、更識楯無なんだ。何度も何度も自分に言い聞かせる。今までなら言い聞かせることで、"皆の知る楯無"を保つことが出来た。

 

でも。

 

 

「う……そ。な、何で……」

 

 

保てない。

 

皆の知る私が、更識楯無としての私が、今鏡ナギという生徒の前で崩れていく。人前で泣いてる姿を見せたことなど当の昔に置いてきた。

 

影で隠れて何度も涙を流したし、泥水も啜った。止まれ、止まれ、止まれと繰り返し念じても効果は一つとして得られないまま。その間にも自分自身をナギに見られている現状から、すぐにでも逃げ出したいと思った。

 

 

「本当はっ! まだ大和くんのことを!」

 

 

好きだ。

 

今でもはっきりと断言できる。例え誰かに笑われようとも、彼のことを愛している。

 

彼を別の誰かに取られたことが悔しかった。

 

先に行動をしなかった自分が惨めだった。

 

相手に嫉妬する自分が、酷く醜く見えた。

 

だから全てを隠して、自分の心の奥底に仕舞い込もうとした。

 

それでも無理だった。どうしても自分の頭の中には常に大和の存在がちらついてしまい、気が付けば彼のことを考えてしまっていた。彼に想いを伝えたあの日から、楯無には分かっていた。

 

大和の想いは既に……それでも彼女は負けたくなかった。負けたとしても何とかして彼に振り向いてもらおうと最後の最後まであがくつもりだった。だがいざ現実になってみればこの有様だ。

 

余りにも情けなく、自身の弱みをナギに見せるだけになってしまった。

 

なのにどうしてナギはここまで、自分のことを気に掛けようとするのか分からない。

 

気に掛けたところで彼女になんのメリットもない。

 

それとも何をどうやっても大和を奪わせない程の自信があるのだろうか。いや、ナギの性格に限って悪どいことを考えるような人間ではない。

 

じゃあどうして……。

 

 

「……だって」

 

「え?」

 

「私だって……私だって諦めたくないわよ! でも、どれだけこの想いを伝えても! 大和の瞳には私の姿は映ってなかった!」

 

 

内に秘めた彼女の本心を全てぶちまける。

 

下手をすれば周囲の部屋に聞こえるほどの大音量で、ただどれだけ周りに音が聞こえようが、今の楯無には関係なかった。

 

悔しい……目の前の子に負けたのだと思うと、実戦で負けたことよりも悔しかった。頬を伝う涙が、楯無の全てを物語る。体を震わせ、口を真一文字に結び、心の奥底から沸き上がってくる感情を堪えた。

 

 

「ずっと……ずぅっと、大和のことが好きだった! でもっ、私には振り向いてくれなかった……!!」

 

 

諦めたくないに決まっている。自分の初めての男友達、今まで異性関係とは無縁の生活を送っていた彼女にとって、大和との出会いは様々な経験をさせてくれた。

 

自分一人では対処しきれない時には快く手を貸し、体にムチを入れて無茶をして倒れ掛けた時には、目を覚ますまで一緒に居てくれた。彼の一つ一つの行動が、楯無にとって初めての体験であり、新鮮なものだった。

 

そして彼に対する興味は、いつの間にか好意へ。どうして好きになったのかは楯無自身にも全く分からない。気が付くとずっと後ろ姿を追っていた。片時も彼を忘れたことなどない。

 

たかがそれしきのことでと、鼻で笑う人間もいるだろう。笑われようが馬鹿にされようが、本能が惹かれたのだから好きになったのは事実だ。

 

 

「楯無、さん……」

 

「諦めたくないっ! だって私が初めて好きになった人なんだもの! 初恋の人をそう易々と諦めたくなんかないっ!」

 

 

 

言葉の羅列もままならないまま、ひたすらに想いをぶちまけた。柄にも無く大声を出したことで、楯無の息遣いがほんのりと荒くなる。

 

感情を露にしてしまったことで、皆の知らない一面を知られてしまった。しかし全てを吐き出したことで、楯無の中に溜まっていたわだかまりが消える。

 

はぁはぁと呼吸を整える楯無を見つめたまま、どこか微笑むような表情を浮かべると言葉を続けた。

 

 

「良かった。大和くんのことを完全に諦めた訳じゃなかったんですね」

 

「……?」

 

 

言っている意味が分からない。

 

確かに完全に諦めたわけではない、心の奥底では万に一つの可能性でもあればと思っているのも事実だ。だからといってそれとナギがどう関係あるのか。私的な感情に第三者は関係ない。

 

 

「確かに私、大和くんのことが好きです。大好きです。一人で独占したいほどに」

 

「……」

 

「でも、一人が幸せになって皆が不幸になるなら、私は嫌です」

 

「ち、ちょっと待って! ナギちゃん、一体なにを?」

 

 

 

 

「―――私のワガママになっちゃいますけど、恋人が二人、三人いても良いのかなって思ってます」

 

 

ナギの放つ衝撃的な一言に、楯無は完全に言葉を失う。

 

正直、にわかには信じられない。

 

簡略化すると、一人と結ばれることで他の想いを寄せた女性が傷つくのであれば、全員恋人になれば良いといった考え方になる。

 

彼女の言っていることは、今までのカップルの常識を覆している。ただここまではっきり言い切れるのは、彼女がそれでも良いと納得をしているから。

 

 

「ほ、本気で言ってるの? あなたに何のメリットが……」

 

「メリットっていうと違うかもしれません。でも私は、今後大和くんが色々な女性と出会って想いを寄せられて悩む姿を、逆に選ばれなかった人が悲しむ姿を見たくないんです」

 

 

理想論であり、現実的なものではない。

 

出来るんだったらすでに何人もの人間がチャレンジしていることだろう。

 

少なくともすぐに納得できるようなものではないし、大和や相手の合意があってこそ初めて成り立つものになる。だが現状は大和の合意は得られていない。性格上、一途なのが一番の理由だろう。

 

それに何人も引き連れてしまった場合に全員に平等に愛情を捧げられない上に、大和が楯無に向ける感情がまだ一人の女性としての好意になっていない。

 

中途半端な気持ちで付き合ったところで、最終的に別れるのなら意味がない。それこそ全員が傷ついてしまう。

 

 

「少なくとも、私はそう思ってます。もちろんどうなるかは分からないですけど、それで良いって」

 

 

あくまでナギの個人的な考え方であって、誰しもが考えていることではない。無理に押し通すつもりもないし、強制するつもりもない。

 

ただ、楯無には伝えたかった。それだけの話だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……変わってるわね、ナギちゃんも。そんなこと考える人は初めて見たわ」

 

 

俯いたまま大きくため息をついた後、話し始める。

 

やれやれ感を醸し出す雰囲気とは裏腹に、言葉に覇気が戻ってきている。些細な変化だが、ナギも楯無の変化に気付いた。

 

 

「私も何で大和を好きになったんだろ。格好いいとは思ったけど、最初はそれくらいにしか思わなかったし」

 

 

整った顔立ち。

 

持って生まれた顔立ちは一種の才能とは言われるが、大和の場合も一般男性と比べていい男の部類に入る。楯無の最初の認識は精々それくらい、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

顔立ちが整った男性と出会うのは一度や二度ではない。内面を見ない顔だけの出会いなら今まで何度かあった。

 

その中で大和だけが好きになったのには、それ相応の理由があるはずだが。

 

 

「……まぁ、いいか。理由なんて。好きなものは好きなんだから仕方がないわ」

 

 

あっけらかんと言ってみせる。人を好きになることに理由なんかは要らないと。

 

 

「好きな男を取られたくらいで、勝手に次はないと思い込んで……ホント、馬鹿みたい。はぁ、まさかナギちゃんの前で大泣きするなんて。これは弱味握られちゃったかなー?」

 

「そ、そんなことないです。別に弱味なんて……」

 

「いいのよ。私の弱い部分なのは事実だし。でもこのまま負けっぱなしじゃ面白くないもの。まだ少しくらいあがいてもいいわよね?」

 

「は、はい?」

 

 

ニヤリと得意気に微笑む楯無の顔に涙はなかった。どこか清々しく、吹っ切れたような、いつも通りの楯無へと戻っていた。終始ペースを握られ続けてしまったが、それは今回だけ。

 

キョトンとした表情を浮かべながら首を傾げるナギをよそに、おもむろに椅子から立ち上がり、鏡の前に立つ。

 

目元が酷く腫れている。目は赤く充血しており、誰が見ても泣いた後だと分かる顔だ。ここまで泣いたのはいつ以来だろう。誰かに怒られた時でもこんなに泣いたことはない。

 

だが泣いたことで自身の中に溜まったものを吐き出すことは出来た。そして吐き出させてくれたのは他でもなく、ナギだ。

 

彼女が何も言ってくれなかったら、いつまでもずるずると引き摺っていたことだろう。彼女には感謝しなければならない。胸の内に感謝の気持ちを秘め、振り向き様にそっと微笑んで見せる。

 

 

「一回戦は負けちゃったけど、次は絶対に負けないからね?」

 

「の、望むところです!」

 

 

大和がナギに想いを伝え、両想いになったのは事実。

 

一足遅れてしまったが、ライバルに負けない為にも追い付かなければならない。今の大和の眼中にはナギしか映っていない、だからこそ燃えるし、意地でも振り向かせようと思える。もちろん彼にとっての一番は変わらなくてもいい。

 

もし万に一つの可能性があるのなら。

 

更識"楯無"としての自分ではなく、更識"刀奈"としての自分を見てほしい。

 

彼に本当の名前を教えてはいない。いずれ自身がもう一度告白することが、彼が告白してくることがあれば。

 

その時に伝えようと、固く心に決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、ちょっといい?」

 

「なんでしょう?」

 

「ごめんなさい、先に謝っておくわ。確かお風呂に向かう途中だったでしょ? すぐ終わるって言ってたけど結構な時間話してたから……」

 

「……あ」

 

 


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