IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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本当の強さ

 

 

 

 

 

「どうしたこんな遅くに。もう消灯時間は過ぎてるぞ?」

 

「すまない。少しだけ時間が欲しい」

 

 

 ボーデヴィッヒに促されるまま、部屋を出た後に向かったのは、学生寮の屋上だった。

 

夜とはいっても初夏ということもあり肌寒さはなく、若干湿った感じの弱風が前髪をゆらゆらと靡かせる。

 

閑散とした屋上には俺とボーデヴィッヒの二人だけ。他に人の気配は一切無い、屋上から見える建物の窓はすべて漆黒の闇に染まっており、部屋には誰もいないか、もしくは寝静まったことを証明していた。消灯時間を過ぎているのだから当たり前なのかもしれない。

 

 

最も、本当に就寝したかどうかは怪しいところだ。カーテンさえ閉めれば部屋はある程度暗くなるし、明かりを最小限にすれば外からは中の様子がほとんど確認できず、部屋の明かりを切ったかのように暗くなる。

 

一年の寮長が千冬さん故に、騒ぎ立てる生徒は誰一人いない。存在だけで生徒を統制出来るのも、それはそれで千冬さんの凄いところだ。普通の教師なら、年頃の学生にからかわれて終わりだろうし。

 

俺も久しぶりにこの人は敵に回したらヤバイと思えるくらいだから、一般人としては間違いなく最強の部類……もはや一般人扱いして良いのかも分からなくなってきた。

 

 

 

 

さて、問題はどうして俺がこんなところに連れてこられたのか。

 

俺に背を向け、手すりに両腕を掛けて学園中を一望する姿からは、ボーデヴィッヒが何を考えているのか判断することが出来ない。

 

わざわざ屋上に連れてきたところを見ると、誰にも聞かれたくない話なんだろうが、それなら俺の自室でも十分に出来たこと。部屋に盗聴器がされていることは無いし、聞き耳を立てられたとしても、普通の声であれば隣に聞こえることはまず無い。

 

屋上に来たことで四方八方から話は聞かれるし、姿も目立つから、話す場所としてはナンセンスだ。そこまでボーデヴィッヒが見越して屋上に連れてきたとなれば、話以外にも目的がある可能性も否定できない。

 

とりあえず理由だけ聞いてみるとしよう。

 

 

「時間が欲しいなら尚更、ここじゃなくても俺の自室とかで良かったんじゃないか?」

 

「……」

 

「どうしても屋上で話をしたいのなら拒否はしないけど……せめてここまで連れてきた理由くらいは教えてくれ」

 

「……あれから自分なりに考えてみた。本当の強さとは何なのか、私には何が無くて、お前には何があるのか。無い頭を使って自分なりに考えてみたが―――結局、何一つ分からなかった」

 

 

 ポツポツと話し始めるボーデヴィッヒ、本人なりに先ほどの戦いから学ぶことがあったんだろう。ただすぐに結論を導き出そうとしたところで、答えが分かるものでもない。特に『強さ』に関する考え方なんて人それぞれで、必ずしも全員の『強さ』に関する答えが一致するとは限らない。

 

自分にとっての『強さ』の定義はすぐに見つかるものではなく、長い時間をかけて初めて見つかるものだ。俺の見つけた自分なりの『強さ』の定義は人と触れ合うことで見つけられたが、果たして全員が同じ探し方で見つかるかどうかと言われれば、それは違う。

 

何一つ分からないのは必然であり、当然の結果だった。分かるわけが無いのだから。しかし、ボーデヴィッヒが元々の考えから新しい考え方をしてみようと一歩踏み出したのは、今の発言から重々伝わってきた。

 

一昔前の彼女なら決して考えないようなことだった訳だし、そこに関しては大きな変化だと思う。

 

 

 

なるほど、俺をここに呼び出した理由の一つは少しでも早く答えを見つけ出そうとする焦りからか。

 

 

「そりゃそうだ。数時間、頭を捻ったくらいで答えが見付かるなら、誰も苦労はしない。人によって辿り着く期間は違うし、ましてや一日、二日で答えに辿り着けるようなものでもない。難しいものなんだよ、強さの定義ってやつは」

 

「あぁ、そこに関しては私も分かった。だが私には立ち止まっている時間が惜しい……少しでも早く、私は答えに近付きたい」

 

「必死なのは良いけど、あまり無茶はするなよ? さっき言ったように、すぐに見付けられるほど簡単なものでもない」

 

 

 どうにもボーデヴィッヒ自身、どこかで焦っている部分があるらしい。今までの自分を変えようと必死なのは伝わってくるが、無茶をして悪い方向に傾いてしまったら意味がない。

 

俺も自分なりに答えを見つけろと言った手前、ボーデヴィッヒの行動を止めることは出来ない。

 

もしかしたら、彼女にとって強さを求めることは生き甲斐を見つけていく上で、書かせないものなのかもしれない。だったら、少しでもボーデヴィッヒにとって納得できるような答えを一つ提示するのもありか。

 

頭の中で思考を張り巡らせるも、これといった具体案が見付からずに時間だけが過ぎていく。

 

 

「……分かっている。それで、だ。私がここに呼び出したのは他でもない」

 

「ん?」

 

 

 背を向けたボーデヴィッヒがこちらを振り向くと、何かが手に握られているのが見えた。俺が握られているものに視線を向けると、待っていましたとばかりにそれをソフトボールを投げるように下から上へと手を振り、俺の方へ握られているものを投げる。

 

投げた瞬間に月日に当たって僅かに反射する光が、投げた物体の正体を明確に判断させる。くるくると円を描くように回転するそれを、刃の部分を触らないように、束の部分を掴んだ。

 

二十センチほどのサバイバルナイフ……なのだが、本物と比べると質量も軽いし、刃の部分を曲げようとすると自由自在に傾くから、強度はかなり低い。刃の部分は表面こそ光を反射させるものの、硬質ゴムの上に塗料なものを吹き掛けてテカりをつけているだけみたいだ。

 

つまり本物のサバイバルナイフではないただのレプリカ……対人格闘の訓練の際に使うようなものだろうか。実際に軍隊の訓練まで見たことは無いから何とも言えないけど、まともに直撃すれば痛いだろうし、当たりどころが悪ければ怪我をすることだってある。

 

相手を突いた時に大ケガにならないよう、取っ手の部分に刃が引っ込むような細工はしてあるみたいだが、こんなものをわざわざ渡して、何を目論んでいることやら。

 

まぁ、その答えも今にボーデヴィッヒの口から語られるはず。

 

 

 

「霧夜大和、一つ頼みがある。私と生身での手合わせをして欲しい」

 

 

 予想通り、ボーデヴィッヒの望みは俺と戦うことだった。サバイバルナイフのレプリカを渡された時点で、大体の見当はついていたが、俺と戦うことで納得をするのであれば良いかもしれない。

 

俺の目を見つめたまま、自分の思いを伝えてくる。編入してから現在までの行動を振り返ると、自身の感情だけで攻撃的に動く行動が目立ったが、目の前にいるボーデヴィッヒからは負の感情は一切感じられない。

 

ただ単に、純粋に俺と戦ってみたいという武人であるが故の率直な感情が伝わってきた。

 

 

「……心構えは立派だが、本当に良いのか。今日のトーナメントで怪我をしているんだろ?」

 

 

 気になるのはボーデヴィッヒの状態だ。VTシステムに取り込まれた際の、操縦者に掛かる負担は並大抵のものではないはず。保健室に見舞いに行った時、体を起こそうとして顔をしかめていたのを覚えている。

 

怪我が酷くなるくらいなら、今日戦わなくてもと思う俺に対し、少しだけ得意気な笑みを浮かべながら返してきた。

 

 

「打撲程度で音を上げるほど、柔な鍛え方はしていない。これくらいの怪我など、大した問題ではない」

 

「そうかい」

 

 

何とも、軍人らしい答えの返し方だ。

 

リアルの戦場では打撲や切り傷、擦り傷などの軽傷は怪我とは言わない。いくつもの戦場を駆け巡ってきたボーデヴィッヒにとって、多少の打撲ではハンデにすらならないらしい。

 

もしも痛がるような素振りを見せるようなら、力付くでも手合わせを断っていたが、そこまで言い切るのなら俺も断る理由はない。

 

 

 

渡されたサバイバルナイフをくるくると回しながら、順手に持ち変える。普段握る刀が小太刀ではないため、逆手持ちはどうにも慣れない。いつも使っている長モノであれば戦いやすいが、慣れないものを握ると違和感だらけだ。

 

 

「この手の武器は使い慣れていないんだが……ま、無いものねだりしたところで仕方ないか」

 

 

そうは言っても、この場にある武器はサバイバルナイフのレプリカくらいしかないし、ワガママを言ったところで刀が使えるようになるわけでもない。

 

刀が使えないから勝てなかったなんて言い訳にもならないし、ここはあえてボーデヴィッヒの土俵で戦ってみることにしよう。

 

こうして生身で手合わせするのは、入学してから間もない頃にやった篠ノ之との剣道以来か。あの時は俺が一切ダメージを受けずに篠ノ之を完封したが、今回はどうだろう。

 

篠ノ之と比べると本物の戦場を味わっている分、戦い慣れているのは間違いないし、単純な近接格闘戦の実力に関しても篠ノ之を軽く凌いでる。同学年で生身の格闘戦において、ボーデヴィッヒの横に並び出れる者は居ないだろう。

 

実力に関しては未知数だが、この年で精鋭が集うドイツ軍の少佐を任されているくらいだし、一般人と比べたら天と地ほどの差がある。それも数人が纏まって挑んでも勝てないほどに。

 

 

「で、ルールはどうするんだ。……まさか時間制限なしのエンドレスとか言わないよな?」

 

「ふむ。お前が許すのなら、それもありだろう」

 

「んな長いこと出来るかっつーの。長くやってたら誰かに見られるかもしれないし、織斑先生に見付かったらそれこそ不味いだろ」

 

「それもそうだな。だが安心しろ、初めからエンドレスでやる気は無い」

 

 

エンドレスにしたら誰かに見られるリスクは高まる上に、千冬さんに見付かったら一環の終わり。深夜帯の無断外出は完全に校則を無視しているわけだから、弁護のしようがない。あくまで千冬さんが黙認してくれるのは、非常時の仕事の時だけであり、私用丸出しの外出は許可してはいない。

 

とはいっても、見付かった時の言い訳を考えたところで無罪放免になるわけでもないし、ここまで来たら腹を括ろう。

 

もしかしたら今回の一件は既に千冬さんにバレているかもしれないし。

 

 

「ルールは一本勝負。相手の急所部分にサバイバルナイフを突き付けた方が勝ちだ」

 

「了解、ならさっさと始めようぜ。時間をかけても意味はないだろうし」

 

 

 目を細めながらボーデヴィッヒを見つめ、相手の出方を伺う。腕を前に突きだし、ファイティングポーズを取りながら体勢を屈め、円を描くように相手との間合いを取る。

 

注意する点はいつもと間合いが違うことと、ボーデヴィッヒが使い慣れているナイフを使っているところ。使い慣れている部分のみで判断するのであれば、間違いなく有利なのはボーデヴィッヒだ。

 

使うことはあれど、頻繁に使うことの無い俺に対し、戦場で常に携帯し、近接戦の要として使いこなしていたボーデヴィッヒとは明らかに土台の技能レベルが違う。

 

 

……が、そのくらいのハンデなら俺としては特に問題ない。相手がナイフの達人だったとしても、当たらなければどうということはない。

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

 

 一歩下がった瞬間、先に動いたのはボーデヴィッヒだ。素早い立ち回りで、一気に俺との距離を詰めると俺の首筋目掛けてサバイバルナイフを一突き。構えていたナイフを、突き出されたナイフに対して垂直にし、背の部分でナイフ軌道をずらす。

 

刀と違って小回りがきくサバイバルナイフは、次の行動へと移りやすい。もし普通に避けていただけなら、そのまま返し刃で次撃を受けていた。軌道を変えたことで次の反撃に移ることが出来ず、悔しげな表情を浮かべながら距離を取る。

 

 

―――ヒットアンドアウェイ。ダメだと判断したら無理をせず即座に後退し、攻撃を仕掛けるチャンスを見出だす戦法で、一撃当てたら離れる、一撃当てたら離れるを繰り返すことで、確実に相手を弱らせ、弱らせたところを一気に仕留める。

 

時間は掛かるが、相手を弱らせて仕留める意味では、効果的な戦法の一つとも言える。だが、如何せん効率が悪い。結局は相手が弱るまで基本動作を繰り返さなければならないし、相手が動きを変えてきたら自分もそれに合わせて基本動作を変える必要がある。

 

 

何より一撃急所に当てたら終わりの戦いで、ヒットアンドアウェイ戦法を繰り返す意味がない。時間をかけて人の体力を削ろうとする作戦なら、間違いなく失敗すると断言できる。

 

多少の攻防で尽きる柔な体力はしてないし、それしきの揺さぶりで乱れるような精神力でもない。

 

 

それでも今の一撃の鋭さは見事、無駄な動きは一つもなかった。視線を切ったら本気でこちらがやられる。

 

 

「なるほど、伊達に訓練は積んでないってことか」

 

 

馬鹿正直な攻撃ではない分やりにくい。これまでどれだけの人間と戦ってきたのか。俺はあくまで一人の対象を守るために刀を振るうが、ボーデヴィッヒの場合は向かってくる不特定多数の敵を相手にする。

 

相手をして来た数だけなら俺よりも多い。戦場に立ってきた経験、技量、そこだけを見れば確実に俺よりも実力があるのは明らか。

 

……どうしたもんか。

 

ナイフの間合いは踏み込んだとしても精々二メートルくらいだから、刀を使う時よりも相手に近づく必要がある。ナイフでの実戦経験は少ないものの、丸っきり無い訳じゃないし、戦えないわけでもない。

 

じっくりとボーデヴィッヒの動きを見極めつつ、仕留めるのが最善策だ。いくら経験で勝るとはいえ隙はある。

 

それに先制攻撃を完全に防ぎきったことで、多少の動揺が生まれていることだろう。手の内を明かしすぎると、太刀筋に慣れて対応されるから、ボーデヴィッヒとしても素早く仕留めたいはず。

 

焦れば焦るほどに正確な攻撃に歪みができてくる。初めは小さくても、その歪みは一旦出来てしまえば後は大きくなるだけだ。

 

 

「ハァッ!」

 

 

諦めず、再度俺へと接近してナイフを振りかぶり、縦横斜めと縦横無尽に突き付けてくる。正面からの攻撃ならいくら緩急をつけたとしてもかわしやすい。

 

俺を少しでも焦らせるのであれば、死角からの攻撃の一つでもなければ焦ることはない。だが使っている武器はナイフ一本、一本のナイフで死角から攻撃を行うのは、相手がよそ見をしない限りは不可能。

 

 

「ふっ!」

 

 

 ボーデヴィッヒの攻撃をギリギリまで引き付け、小刻みに左右にかわしていく。かわす際に風圧が横を突き抜けていくが、こればかりは我慢するしかない。

 

あくまでかわすのはギリギリでかわすこと、もし余裕もってかわしてしまうと相手に考える隙を与えてしまうことになる。更に自分の動作も大きくなってしまうため、致命的な隙になる。僅かコンマ何秒のことではあるが、その時間が自分の勝敗を大きく分けることにも繋がる。

 

 

「くっ……まだ余裕があるのか!」

 

「馬鹿言え、本当に余裕があるなら既に仕留めているさ」

 

 

本来ならさっさと仕留めているところだが、ボーデヴィッヒのナイフの扱いがそれをさせてくれない。むしろ自分の力を出せないと言った方が正しいか。

 

いくら遺伝子強化試験体とは言っても、才能だけでは決してたどり着くことが出来ない領域だってある。従来の人間と比べて強化されている部分は、聴力、視力、筋力と言った肉体的な部分に関係する場所のみ。

 

技術の部分に関しては、埋め合わせをすることが出来ない。もちろん人よりも飲み込みは早いものの、怠けていれば技術はついてこない。相手の動きを察知し、避けにくいギリギリの部分を的確につけるだけで、どれほど努力してきたのかが分かる。

 

これほどに努力してきた人間を嘲笑えるほど、研究者(アイツら)は人を見てきたとも思えない。強さだけでも認めてほしいと必死に努力をしてきた人間に、出来損ないの烙印を押すことが出来るほど、研究者(アイツら)がスゴい人間と思ったこともない、認めようとも思えない。平気で人を捨てるような奴らを、許し認めようなんて思えるはずもない。

 

罵倒され、嘲笑され、蔑まれ、苦しんで苦しんで……それでも何かにすがって前を向こうとする姿勢を評価しないなんて、そんなあり得ないことがあるだろうか。

 

 

少なくとも戦ってるボーデヴィッヒからは、必死さが伝わってくる。もう一回自分を見つめ直そうと、至らない今までの自分を少しでも変えようと。

 

 

だからこそ、俺も全力で迎え撃つことにする。

 

 

「なにっ!?」

 

 

目の前で起きたことが信じられないらしく、目を丸くしたまま俺を見つめる。ナイフの大きさは決して大きくはない。それでも動いている物体を正確に掴もうとすると、多大なる集中力と正確な位置を掴む動体視力が必要になる。

 

ナイフを扱っていた年数、戦場経験はボーデヴィッヒの方が上かもしれないが……。

 

 

「その太刀筋はさっきも見たぜ?」

 

 

身体能力と動体視力に関して、負けるつもりはない。突き出してきたナイフをかわさずに、人差し指と中指で挟んで進行を止める。二本の指で挟んだことで通常より挟む力は落ちるが、ナイフの攻撃を止めるくらいの力はある。指から逃れようと必死にナイフを引っ張るものの、俺も全力で力を込めているからそうそう簡単には抜けない。

 

必死になる理由は言わずもがな、攻撃手段を失えばイコール負けを意味するのだから。ボーデヴィッヒの無防備な部分にナイフを突き当てるのは容易い。それでこの戦いは終わる。

 

 

「ていっ!」

 

「うわぁっ!?」

 

 

空いている方の手で、軽くボーデヴィッヒの肩の部分を押しながら、挟んでいるナイフを手放すと、引っ張っていた勢いそのままに後ろへと後退していく。

 

意外そうな顔をしているところから、今の攻防で自分の負けを悟ったことだろう。それなのに自分を仕留めることをせずに、ただ肩を押して間合いを離しただけ。

 

温情も良いところだ。何故仕留めようとしないのか、それにはちゃんとした理由がある。

 

 

「な、何故止めを刺さない!? そのまま攻撃していれば、お前の勝ちだっただろう!?」

 

「答えっていうのはそう簡単に見付かるもんじゃない。それでも探さなければ見付からない。今回の戦いで少しでもお前が答えに近付けるのなら……俺は徹底的に付き合う」

 

「……っ!」

 

 

 俺の投げ掛ける言葉にボーデヴィッヒの顔が強張る。仕留めることは造作もないことだが、そもそもこの戦いの主旨は何だったのかと考えると、俺がボーデヴィッヒを一方的に叩きのめすものでもなければ、ボーデヴィッヒの実力を俺が見極めるためのものでもない。

 

全力を出さなければ相手に失礼だとは思うが、今回の戦いの目的はボーデヴィッヒにとって足りないものを見付けるための戦いだ。

 

さっさと終わらせるのも手の一つとはいえ、それでは単に自信の実力を誇示しただけに過ぎない。彼女の反応から察するに、まだ答えを導き出すためのきっかけが、何一つ見付かってないことくらいは分かる。

 

何度も言うように簡単に見付かるなら苦労はしない。この戦いでボーデヴィッヒがきっかけを見付けることが出来るかと問われれば、微妙なところだろう。

 

ただ見付けることが容易ではないと、彼女自身が分かるだけでも一歩前進したことになる。

 

 

変わろうとしない人間には手を差し伸べないが、自ら変わろうとする人間には全力で手を差し伸べる。

 

同じ遺伝子強化試験体としてではない、ましてや護衛一家の当主としてでもない、霧夜大和一個人としてだ。

 

 

「―――来いよ、()()()。お前が満足するまで、相手になってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分からない。自分が何をしたいのか、何が生き甲斐なのか、何が足りないのか。

 

どうしてこいつの目はこんなに輝いているのか、とても同じ境遇にいた人間とは思えなかった。相対するだけでも全身からひしひしと伝わってくる胸の内に秘めた強い信念。

 

目標が、目的が、誰にも譲れない何かがあるのかと思わせるほどの信念がこもった強い眼差し、それはまるで私が尊敬するあの人と似た目をしていた。

 

答えに近付こうと、私は霧夜大和との戦いを希望した。今度はISではなく、一個人の生身の戦いで。幸い、特に嫌がることもなく、快く了承をしてくれた。私の意図を汲み取ってくれたのかもしれない。

 

私の中で、こいつならもしかしたら答えに導いてくれるのではないかと、僅かばかりの希望を頭の中で思い描いていた。

 

 

 

そしていざ戦ってみて分かる。霧夜大和の強さは今まで相手をして来た相手の中で、もっとも強く、異次元レベルの強さだと。

 

ナイフの扱いだけなら、一般人に後れを取ることなどないし、歴戦の相手だとしても差し違えることくらいは出来る。少なくとも全く歯が立たないなんてことはない。

 

 

……しかし現実はこれだ、もう小一時間ほど経つだろうか。片や涼しい顔で、汗一つかいていないというのに、私は身体中汗だくで、何時間もランニングさせられたかのように呼吸が荒い。膝に手を当てながら呼吸を整えようとするも、すぐに回復するほど人体はハイスペックではない。

 

こちらが緩急を付けた攻撃も、まるで数秒先が見えているかのように的確にかわされる。それも何とか回避できたのではなく、わざとギリギリまで接近させてかわすといった、動体視力が優れている人間にしか出来ない芸当だ。

 

それをあたも簡単にやり遂げる辺り、こちらの攻撃が完全に見切られていて、かつ相手に余裕があるんだろう。

 

 

 

「まだやるか?」

 

 

 

疲労困憊状態の私に、これ以上続けるかどうかの確認をしてくる霧夜。当然だ、まだ私は負けたわけではない、滴る汗をぬぐいながら顔を上げ、再度ナイフを前に突き出す。

 

 

「……あぁ!」

 

 

一方的な攻防だが、致命的な一撃は貰っていない。体力は今にも底を尽きそうだが、ここで立ち止まっている訳にはいかない。絶対に一矢報いて見せる。いくら相手が圧倒的な強さを誇っているとはいえ同じ人間だ。

 

疲労は少ないとしても、さすがに小一時間攻撃に対応し続けていればいずれ集中力の限界は来る。人間の平均が約五十分、既に戦い始めてから五十分は超えているし、どこかでミスが起きても何ら不自然はない。

 

隙は一瞬だが、私にも十分勝機はある。

 

 

「はっ!」

 

「馬鹿正直な攻撃じゃ、俺には届かないぞ!」

 

 

再度霧夜との距離を詰めながら、相手の避けにくい箇所を狙って攻撃を加えていくも、目の前からの攻撃は霧夜にとってかわすに容易い攻撃なんだろう。

 

涼しい顔をしながら左右に顔を揺らして避ける。手持ちのナイフはほとんど使っていない。それだけ余裕がある状態なのだから、このまま同じ攻撃を続けていても活路は見出だせない。

 

ならこちらから意図的にペースを崩す必要がある。

 

ナイフを握りなおし、今度は霧夜の顔をめがけて突きを入れる。正面からの攻撃はほとんど通用しないが、今回の意図はこの一撃で霧夜を仕留めることではない。ナイフの間合いが数センチまで近づいた瞬間、私の予想通り顔を右側へとずらした。

 

 

かかった! と反射的に心の中で思った。

 

 

確かに加減無しの突きを急に止めるのは難しい。だが、相手が回避することを分かっているなら、攻撃を加減するのは簡単だ。

 

 

「げっ……!」

 

 

霧夜の顔の前で制止させたナイフを順手から逆手に持ち直し、避けた方の霧夜の首筋めがけて振り下ろす。自分の罠に引っ掛かったのを悟ったのだろう、明確な焦りが霧夜の顔には現れていた。

 

今度こそ、獲ったと勝ちを確信した瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なーんてな」

 

 

してやったりの表情を浮かべた霧夜の顔が、何故か反転して映った。

 

 

そして不意に背中から身体中に衝撃が走ったかと思うと、肺から一気に酸素が出ていく。背中から地面に叩きつけられると、衝撃のあまり呼吸が一瞬出来なくなり、体を動かすことも出来なくなる。地面に倒されたことは分かっても、どのような過程で倒されたのかは全く分からない。

 

つまり私自身が相手の動きを把握できなかった、着いていけなかっただけの話だ。疲れているのは言い訳にすらならない。私は良いように手のひらの上で転がされていただけであり、そもそも同じ土台にすら立てていなかった。

 

その場に倒されたことがどういう意味か分からないほど、物分かりの悪い人間ではない。

 

私たちの間には埋めることが出来ないほどの大きな壁があった。

 

……実力という名の壁が。

 

 

圧倒的な実力差の前に手も足も出ず、成すがままに負けた。対人格闘戦でも負け知らずだった私が、初めて味わう『完敗』の二文字。

 

大の字になって倒れ込むなんていつ以来だろうか。生身での戦闘ではほとんど経験してこなかったことに、自分の中でも戸惑いが隠せない。

 

気が付くと喉元にはサバイバルナイフの矛先が当てられている。私が一番最初に伝えたように、これで完全に私の負けが決定した。

 

……いや、実際はもっと早く私の敗北は決定していた。仮に霧夜が初めから本気を出していたとしたら、温情をかけずに完膚なきまでに私を叩きのめしていたとしたら。

 

この小一時間で何度葬り去られたことだろう、もはや数え切れない。

 

 

「はぁ、はぁ……わたし、は……負けたの、か?」

 

「最初に決めたルールで判断するのなら、そういうことになるな」

 

 

 息も絶え絶えの状態で、負けたかどうかを再度確認する。信じられなかった、こうもあっさり負けてしまったことが。相変わらず息一つ乱さずに、霧夜は淡々とした口調で私に語りかけてくる。

 

その一言で改めて負けたことを認識する。

 

自然と自身の敗北を認めたくないと言った、どす黒い感情は沸き上がってこなかった。

 

しかしそれとは別に私の心の奥底から沸き上がって来るのは、とてつもないほどの悔しさ。ましてや同年代の異性に、自信を持っていた土台で戦って負けたのだから、経験したことのない、言い表せない悔しさが沸々と込み上げてきた。

 

感情を押し殺すように力一杯歯を食い締め、強く手を握る。

 

 

霧夜が視線を顔、手の順で向けたかと思うと、不意に笑みを浮かべながら話を続けてきた。

 

 

「悔しいだろ? この世界には千冬さんだけじゃない。お前が知らない実力者たちがいくらでもいるんだ」

 

「……私は、また負けた。トーナメントではお前と織斑に救われ、今度は手も足も出ずにお前に負けた」

 

「………」

 

「強いのだな、お前は」

 

 

ここまで実力差を見せられたら認めざるを得ない。私とは比べ物にならないレベルの強さであると。

 

取っ掛かりが取れたように、思っていたことが率直に言葉として出てくる。認めたくないといった負の感情が沸き上がることはなく、素直に相手を認めることが出来た。

 

 

「実際、俺は実力があるだとか、自分が強いだとか豪語出来るような人間じゃない。それでもたった一つ、お前よりもほんの少しだけ強いと認識出来る部分がある」

 

「強い、部分……?」

 

「あぁ、そうだ。どこだと思う?」

 

 

 突然の質問に少しの間頭の中で考えを張り巡らせる。身体能力を含めた戦闘能力は私より確実に霧夜の方が上だ。だが霧夜はそれを真っ向から否定した。

強いと豪語出来ないということは、確実な勝利なんてものはないということを暗に伝えたいのかもしれない。

 

どれだけ強い人間でも負け知らずの人間なんかはいない。どこかしらで負けたこともあれば、挫折を味わったこともある。

 

私は教官が何でも出来て、悩みなんて一つもない、負け知らずの人間だと、あらぬ理想を持っていた。だが、冷静になって考えてみればそれはあり得ない話だと断言できる。

 

あくまで私の前では強い人間だと振る舞っていたとしても、実際内面はどうだったのか。全てを見ようとしなかった、表面だけを見て、教官の内面を何一つ考えようとしなかった。

 

 

こいつにとって何が私より強いのか、今なら何となく分かる気がする。今まで私が決して目を向けず、考えようともしなかった部分。

 

それでも人間にとって、最も重要な部分。

 

 

一つ間をあけて右手で握りこぶしを作ると、そのまま左胸……ちょうど心臓の真上辺りを二、三回叩き。

 

 

 

 

 

 

「――― (ここ)の強さだ」

 

「心の強さ……」

 

 

口に出して復唱し、何度も頭の中で言葉を思い浮かべる。

 

何があっても決して揺るがない己の根幹。

 

全てを拒絶し、逃げてきた私にとって心の強さなど縁も所縁も無いような存在だ。もし仮に強い心を持っていたとしたら己の欲望に飲まれ、VTシステムになど取り込まれなどはしない。私の心が弱かったから飲み込まれた、ただそれだけのことだ。

 

勝てばいい、負けなければいい、仮定はどうでもいい。だからこそ、紛い物の最強の力に手を出した。

 

恥ずかしい。軍人としてだけではなく、一個人として恥ずかしく、みっともない心構えだ。今の私があの時の私の前にいたのなら、絶対に許しはしないだろう。

 

 

「ま、そうは言っても、俺も偉そうに説教出来る立場じゃないけどな」

 

 

頬を軽くかきながら、恥ずかしそうに顔を逸らす。

 

 

 

霧夜とて、幼少期は私よりも酷い境遇にあったはず。

 

研究者や軍の仲間たちには嘲笑や侮蔑を含ん視線、罵声や中傷を浴びせられることもあったが、食事まで抜かれたり、暴力を振るわれたりすることは経験にない。ましてや軍から無理矢理にでも追放されて、路頭に迷うなんて想像したこともないし、想像したくもない。

 

人より強いから、危険だからという理由で小さな子供を捨てる神経すら疑う。人を信じられなくなって当然だというのに、目の前にいる男は違った。

 

 

「どうしてお前はそこまで前を向ける、強くあれる。私以上の仕打ちを受けていたというのに、どうして……」

 

「仕打ち? あぁ、昔の話か」

 

 

私の中での大きな疑問はそこだった。与えられた仕打ちを考えれば人を信じられなくなるどころか、心がいつ崩壊してもおかしくないのだから。

 

 

「……人なんか信じられるわけがないし、強くあろうとも思わなかったよ。同じ人間に捨てられて、人を信じろって方が無理な話だ」

 

「……」

 

「……でも、あの人(千尋姉)に全ての人間がそうじゃないってことを教えてもらった」

 

 

私と同じように、霧夜も一人の人間が救ってくれた。

 

決定的に違うのは、私の場合は他人に依存して自分の足で前に進んでいこうとしなかった。一方の霧夜は救ってもらった後、自分自身の足で前へ進み、未来への道を切り開いていこうとしている。

 

 

 

他人に依存していた事実は二人とも変わらない。だが依存したまま殻に閉じ籠り、拒絶し続けていた私と、自分で殻を破り、自ら一歩を歩み始めた結果は全く違う。

 

肉体も精神も大きく成長した霧夜大和に対し、肉体だけは年月と共に成長したが、精神(こころ)に関しては数年前からそのままの私。

 

初めは同じ道を歩んでいた身なのにいつの間にか、私と霧夜の差は実力以外の部分でも大きく差がついてしまっていた。

 

自らの肉体だけを鍛え、内面を改善しなかったのは誰のせいでもなく、ただの自己責任だ。十数年生きているのに私は何をして来たのだろうと、自責の念にかられる。

 

 

 

 私のことを見捨てようと思えば、いつでも見捨てることができただろう。私がしてきた行為は決して許されるものではない。

 

編入時に織斑一夏に暴力を加えようとしたこと、二人の代表候補生を一方的に攻撃して怪我を負わせたこと、そしてその戦いに全く関係ない人間を巻き込んでしまったこと。

 

どれも悔いても悔いきれない野蛮な行動であり、人として絶対にやってはいけないことだった。

 

なのに、最後まで私のことを見捨てなかった。私が拒絶しようとも、必ず側には霧夜大和という存在がいた。

 

 

人を惹き付けるだけの魅力、そして統率するだけのカリスマ性。分け隔てなく接する社交性の高さに、過ちを犯した人を許せるだけの底知れない寛容性。大切な人を守るためには自己犠牲を厭わない正義感。

 

 

羨ましいと思った。

 

何て眩しい存在なんだろうと思った。

 

今のままでは絶対に敵わないと思った。

 

霧夜みたいな人間に、私もなりたいと思った。

 

私のことを認めてくれるのだろうか、私と親しくしてくれるのだろうか、私の友達になってくれるのだろうか。

 

怖くて聞けなかった、拒絶されるのが怖くて。

 

 

「切っ掛けなんて些細なことだったし、今でも俺自身が特別なことをしているとは思っていない。俺にとっての当たり前を毎日実行しているだけさ」

 

 

当たり前のことを当たり前に出来るような人間が、この世界に何人いるのか。恐らくは数えるほどしか居ないだろう。

 

 

「ま、強いて言うなら俺の強さの定義は、大切な誰かのために戦うこと……かな」

 

 

照れ臭そうに告げる霧夜の顔が、今の私にはとてつもなく眩しく輝いて見える。どうしてこれほどの人間を私は見誤っていたのか、今となっては理解に苦しむ。

 

あぁ、この男には当分勝つことは出来ないと、私の直感が悟っていた。

 

 

「さて、と。立てるか、ラウラ?」

 

 

私の本当の名前を呼びながら、私を立ち上がらせようと何気なく手を伸ばしてくる。少し前までの私だったら、この手を遠慮なく叩き落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――霧夜大和。

 

私と同類でありながら誰よりも強い信念を持つ男。

 

私のことを遺伝子強化試験体という実験体としてではなく、一人の人間『ラウラ・ボーデヴィッヒ』として見てくれた数少ない人間。

 

少し遠回りになってしまったが、この男と一緒にいれば、私に足りないものを見付けられるかもしれない。

 

これからどうやって生きていこうか、皆とどのように接していけば良いのか。どれもこれもゆっくりと考えていけば良い。完敗したというのに、今までにないくらい私の気分は晴れやかなものだった。

 

 

 

「―――あぁ、すまない。助かる」

 

 

ゆっくりと手を伸ばし、差し出された手を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強く、握りしめた。


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