IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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楯無の想い

 

 

 

「……あ、あれ? 大和?」

 

「おう、起きたか。思ったよりも早かったな」

 

 

楯無が寝付いてから数時間、もう既に日もどっぷりと暮れて、保健室は真っ暗な漆黒の世界に包まれていた。せめてもの救いとばかりに月の光が差し込むも、精々人の顔が少し確認できる程度。暗いことに変わりはない。

 

時刻は既に夜七時を過ぎており、この時間にまでなると流石に校舎に人は残っていなかった。夕方に聞こえた人の声も、今は全くといって良いほど聞こえてこない。つまりこの学園に残っているのは俺と楯無のみ。

 

てっきり見回りの教師が来ると思っていたのに来ず、そのまま楯無が起きるまで待つことに。それでも楯無がゆっくりと休めた訳だし、結果的には良かった。

 

 

「な、何で大和がここに? 帰ってなかったの?」

 

「……自分の握っているもの見てみ?」

 

「え……あっ!」

 

 

どうやら先ほどの甘えは無意識にやっていたことらしい。現状を認識すると慌てて握っている手を離す。寝てから起きるまでの数時間、ずっと手を繋いでいたものだから、俺も動くに動けずに体勢的にかなり疲れるものがあった。ようやく片手が動かせるようになり、椅子から立ち上がってぐっと天井に向かって手を伸ばす。

 

手を握り続けていたことが恥ずかしかったのか、少しばかり頬を赤らめながら上目遣いで見つめてくる。いや、握ったのは俺からじゃないから俺のせいじゃないよなこれ?

 

何勝手に握ってんだとか言われたら俺マジで泣くよ?

 

 

「流石に手を握られたら帰れないしな。無理矢理にほどくのもあれだし」

 

「べ、別に手ぐらいほどいたって……」

 

「行かないでって言ったのは誰だよ?」

 

「……うぅ」

 

 

思い出して赤面する楯無が年上とは思えないレベルで可愛らしい。会話の主導権を握れるだけで、ここまで楯無が変わるのを見るとS心を燻られるものがある。いや、相手を痛め付けて快感を覚えるような性癖ではないけど。

 

 

「何か大和、急に意地悪になってない? 今までそんなこと言わなかったのに……」

 

「なってないよ。今まで敬語で話していたから違和感感じるかもしれないけど、むしろこっちが俺の地だし」

 

 

今の会話の立場的としては有利に立っていると思うけど、楯無に対して意地悪をしているとは思わない。多少からかいの意は込めているとしても、対応をがらりと変えたつもりはない。

 

まだ納得が行かないらしく、うーうーと唸りながら恨めしそうに俺の方を睨んでくるが全く怖くない。むしろここ最近で一番怖かったのは、無茶な約束を取り付けた時のナギだろう。

 

平静を装っていたけど、全く言い返すことが出来なかったし、言い返させなかった。あの時のオーラはどこか怒った時の千尋姉に通ずるものがあった。俺もまさかあそこまで怒られるとは思ってなかったし、何よりも怖い。滅茶苦茶怖い。

 

言い返したら一生口を聞いてくれないような気がした。

 

 

「ところで体調の方はどうだ? さっきより体が楽になっていれば良いけど……」

 

「えぇ、体調ならもう大丈夫。結構寝れたから、立ちくらみを起こすことは無いと思うわ」

 

「立ちくらみを起こすほど寝てなかったのか? 確かに忙しいのは分かるけど、体を壊したら元も子もないぞ?」

 

「それくらいは分かってるけど。私がサボる訳にも行かないし、片付けないといけない仕事が多いから……」

 

 

正直かなり難しいところだ。休んだら休んだだけ仕事が上積みになる状況らしい。仕方ないと楯無は言うものの、同じことを続けていたらまた体を壊すかもしれない。

 

何とか手助けが出来ないだろうか。仕事内容にもよるが、更識家の仕事に関しては俺は一切触れることが出来ない。理由は言わずもがな、俺は更識家の人間ではないから。

 

 

「……まぁ、ほどほどにしてくれよ。また倒れたなんて言ったら洒落にならないから」

 

 

俺から出来るのは注意喚起を促すことくらいだ。

 

 

「あら、心配してくれるの?」

 

「心配しない方がおかしいって」

 

「ふふっ♪ ありがと。さっきは迷惑かけちゃったわね」

 

 

ニコニコと感謝の言葉を返してくる楯無の表情に、疲れというものは見えない。保健室に連れてきた時と比べれば顔色は格段によくなり、いつもの生気が戻っている。口調も弱々しいものではなく、ハキハキと喋れるようになっているしあらかた回復したように見える。

 

楯無も元気になったところで、俺も動くことにする。今の俺の格好はISスーツだから、とりあえず着替えたい。寒さ的なものは感じないものの、それでもこのまま帰ることを想像するといろんな意味でゾッとする。

 

よく考えてみてほしい、女性しかいない学生寮にほぼ水着同然のISスーツを着た男が帰ったらどうなるか。

 

制服を含め、カバンも全て更衣室に置きっぱなしになっている。取りに行かないと何も出来ないし、まずは着替えも含めて持ち物を取りに行くことにしよう。

 

 

「更衣室に服置きっぱなしだから取りに行くか。流石にこの姿で帰る勇気は俺にはないし」

 

「そうね、それじゃあ出ましょうか。あっ、マスターキー持っているから、万が一鍵が掛かってても安心して」

 

「ん、了解」

 

 

どこから取り出したのか、一枚のカードキーを見せてくる。恐らくはカードキー式のロックが掛かっているところでは、このカードキー一つでいくらでも開けられるんだろう。もはや普通の教師に比べても権限を持っているんじゃないか、流石IS学園生徒会長。

 

楯無が立ち上がったところで、足早に保健室を出る。俺の後をついてくる足取りを見ても特に体調の悪さは見られない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アリーナの更衣室まで一直線へと向かう。足取りが大丈夫とはいえ、やはり階段に差し掛かると足を引っ掛けないか心配になる。段差に差し掛かる度にチラチラと楯無の方を振り向く俺がどう映っているのだろうか。

 

なるべく後ろのことを気に掛けながら歩を進めると、割と早く更衣室までつく。ただここは男性専用の更衣室になるため、女性用の更衣室はまた別に設置されている。

 

一旦楯無と別れた後に更衣室へと入り、そのまま使っているロッカーの扉を開く。中には着替えた時と全く同じ状況で、制服とカバンが置いてあった。

 

カバンを開き、中にはいっているものが無くなっていないかの確認だけ素早く済ませ、そのまま素早く制服へと着替え始める。

 

ISスーツを脱ぎ、下着、ワイシャツ、ズボンの順に着替えていく。そこまで急ぐ必要があるかと言われればないけど、モタモタ着替えるくらいならさっさと着替えて楯無を待った方がいい。

 

素早く着替えを済ませると、鏡を見ながら髪型を軽く確認し、制服のヨレを直す。異常がないことを確認すると、カバンを持って更衣室を出た。

 

 

「あら、大和。もう少しゆっくりでも良かったのに」

 

 

更衣室を出ると、既に着替えを終え、廊下の壁に凭れながら扇子を片手に佇む楯無の姿があった。

 

 

「え……早くないか?」

 

 

思っていたことが言葉に出てくる。これでもかなり早く着替えたというのに、それを上回る速度で楯無は着替え終えていた。着替えの早さなんて人それぞれだけど、着替えるまでに一分も掛かっていないことになる。女性の着替えは結構時間がかかるイメージがあったんだけど、実際は違うのか。

 

 

「そう? 後は帰るだけだし、着るものだけさっさと着ただけよ?」

 

「ふぅん。結構女性って着替えに時間かかるイメージがあったんだけどな」

 

「そんなことないわ。別に着けなきゃいけない訳じゃないから、外してたって別に良いわけだし」

 

「へぇ……ん?」

 

 

また流れで頷きそうになったけど、さらっととんでもないことを言ったような。着けなきゃいけない訳じゃない……ってまさか、まさかな。

 

 

「もしかして想像した?」

 

「お前なぁ、冗談でも言って良いことと悪いことが……」

 

「あら、本当に着けてないわよ? 下はあれだけど、上に関しては別に「言わせねぇよ!?」……あん、良いじゃない別に」

 

 

 てっきり冗談だと思っていたら、言っていることは事実で、本当に着けていないらしい。着けてる着けてないは別問題にしても、それを年頃の男子の前で言うかってところだ。相手が俺だから言うのか、それとも誰が相手でも言うのかは分からないけど、堂々と公表されたところで、俺はどう反応したらいいのかが分からない。

 

着替える手間を省いたならそれでいいけど、俺に公表されてもだから何だよってなる。仮に誘っているならそれはそれでいい、俺は乗るつもりはないし。

 

 

……ふと、自分の右腕に何かの感触がある。よく見たら今まで目の前の壁に寄り掛かっていたはずの楯無の姿がなくなっている。

 

どこに行ったのかととぼけたところで、現実が変わるわけでもない。常識的に考えて俺の右側に楯無が来て、引っ付いていると考えるのが妥当だ。

ただ問題はそこではなく。

 

 

「……なぜ俺の隣に来る、そしてどうして体を密着させる?」

 

「え? ダメ?」

 

「ダメじゃないけど……腕に何か当たっているんだが」

 

「当ててるのよ♪」

 

「……さようですか」

 

 

人の腕に自分の胸を当てて恥ずかしく無いのだろうか。

 

楯無のプロポーションは抜群なまでに良いため、右腕には嫌でも豊満な感触が伝わってくる。制服の上からでも分かるその感触と、腕に当たって潰れている双丘を意識するなといわれても、こればかりは意識しない方が無理だ。

 

ただ悲しきことに更に上を知っているせいか、思いの外耐性が出来ていることに自分自身が一番驚いている。意識はしても、抱き付かれたことに対する理性の決壊はなかった。

 

 

「むぅ……」

 

 

表情をあまり変えない俺の反応が面白くないらしく、ハムスターのように頬を膨らませながら抗議をして来る。急な密着にあわてふためく俺の姿を想像していたんだろうが、からかうことが前提であれば耐えることくらいは出来る。これが完全な裸体の状態でやられたら無理だけど。

 

 

「あまり遅くなるとマズイし、とりあえず帰るぞ」

 

「……え? うん、そうね」

 

 

むくれる楯無をよそに校舎から出る。通学路の人通りは殆ど無いとはいえ、寮の窓から外を眺めることは出来る。つまり楯無が俺にくっついている光景を見ることは可能だ。

 

……それでも寮に着くまで楯無が離れることは一度もなく、楯無の様子がいつもと違うのは明らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 

 寮へと戻って楯無と別れた後、自室に戻りシャワーを浴びながら髪の毛をわしゃわしゃと泡立てる。やや暑く設定したシャワーの水温が疲れた体に心地よく浸透する。食堂の閉館時刻が近いこともあり、本当なら先に食堂へと駆け込んだ方が良かったものの、汗だくの体で食事はとりたくない。

 

先にシャワーを浴びてしまったせいで、既に食堂の閉館時間を過ぎてしまった。今から行っても何も置いてないだろうし、残っている食材を使って何を作ろうかなどと考えながら、泡立った石鹸を洗い流す。

 

今日の一件を経て、俺にはまだまだ経験と実力が足りないのはよく分かった。それに最高峰のレベルがどれくらいなのかも分かった。一方的にやられて悔しいかわりに、得たものは大きい。

 

いつかは絶対に楯無に勝つ。新しい目標も出来たことだし、やる気は嫌でも上がってくる。

 

 

「ふぅ」

 

 

髪の毛についた石鹸を全て洗い流した後、洗面所から大きめのバスタオルを取り、体全体を拭いていく。濡れた髪の毛から水滴が落ち、体を濡らしていく悪循環を防ぐため、髪の毛だけを先に拭いてから上半身へと移っていく。

 

本来なら湯船にお湯を張れるような設備があれば良いけど、残念ながら男子は湯船に浸かれる設備が整っていないから、それは叶わぬ願いだ。大浴場を使えるのは女性陣のみ、そろそろ整備されても良いと思うんだが、いつになったら使えるようになるのか。

 

使えるようになる時が待ち遠しい。

 

 

体の水滴を拭き取り、下着とジャージのズボンだけを先に履き、その後上から黒のタンクトップを着る。最近は半袖のTシャツを止めてずっとタンクトップでいるが、中々にこれが快適だったりする。

 

外に出る時はジャージを羽織るけど、まかり間違ってもタンクトップ一枚で出ることはない。自分の肌をじろじろ見られても嫌だし。ISスーツはそれしかないから着ているだけで、着なくても良いのなら好き好んで着たいとは思わない。

 

 

全てを着終えた後、まだ湿り気が強い髪の毛を小さなタオルで拭き取りながら洗面所から出る。ある程度まで乾いたら、ドライヤーを使って乾かせば良い。水分が残りすぎていると乾かした時に中途半端な生乾きになるし、起きた時にかなり強い寝癖がつく。

 

そうすると結局手間が掛かるだけだし、乾かす時はなるべく水分を拭き取った後、軽く乾かすために少しだけ放置している。

 

 

乾かしている時は顔を下に向けるため、前の様子がうまく見えない。区切りの良いところでタオルを取り、顔を前に向けると……。

 

 

「お帰りなさい。遅かったわね」

 

 

椅子に座った楯無が本を読みながらこちらを眺めていた。不法侵入に関してはもう気にしないことにする。常識が通用しないのなら、常識で物事を話しても意味がないだろうし。

 

いつものこと、くらいの認識で立ち回る。

 

 

「いや、そりゃシャワー浴びてたから仕方ないだろ。で、どうしたんだ? 何か話でもあるのか?」

 

「話……そうね。ちょっと大和にお礼を言おうと思って」

 

「お礼?」

 

 

お礼ならさっき言われたし、これ以上何をお礼として差し出すというのか。お金を渡されても俺としては困るものがある。

 

心当たりがあるお礼されるような出来事と言えば、先ほどの保健室の件くらいで、他に心当たりがある物はなかった。とはいっても別にお礼をされるほど大それたことをしたつもりはないし、見返りを求めようとして行動してもない。

 

ちょいちょいと手招きをする楯無に若干の不安を感じながらも、タオルを首にかけて近付いていく。

 

 

「別にお礼されるようなことをしたつもりは無いんだけどな」

 

「あなたがそう思っても、こちらは感謝の気持ちとして返したいの」

 

「うーん……」

 

 

そんなものかと思っていると、不意に俺との距離を楯無の方から詰めてくる。心なしか、手をモジモジとさせているような気がするんだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから―――」

 

「え……?」

 

 

 次の瞬間、俺の視線の先に飛び込んできたのは部屋の天井に設置されたライトだった。なぜ楯無の姿が前から消え、天井に設置されたライトが目に入るのかが分からない。俺も相当に疲れているのか、いつもより判断力が鈍い。やがてその光景が続いたと思えば、背中にクッションのような柔らかい反発が来る。

 

背中の感触で初めて気付く、俺は何をどうされたかベッドに倒れ込んでいると。何が起きたにしても倒れ込んでいる事実が覆せるわけではない。問題はどうして俺がベッドに倒れたのかだ。

 

別に何かに躓いた訳でもなければ、バナナの皮で滑ったわけでもない。大体自分の部屋なのだから普段何処に何を置いているのかは把握している。今いる場所には転ぶ要素も物もない。俺の内心を代弁するとしたら、転ける意味が分からない。

 

でも現に、俺はベッドに倒れ込んでいる。

 

 

ふと冷静になって、数秒前の出来事を思い返す。シャワー浴びた後に部屋に戻るとメイド服に着替えた楯無がいた。そして俺との距離を詰めてきた楯無が俺の足を……。

 

 

「た、楯無! 急に何を……お、おい!」

 

 

足を払われて俺は脳天からまっ逆さま。幸い後ろがベッドだから良かったけど、これが普通の床だったら悶絶していたことだろう。そうはならないように受け身はとっても、事態を把握出来ないまま倒されると反応が遅れる。

 

いきなり何をするのかと抗議しようと立ち上がろうとするも、再度それを阻止される。倒れている俺の両腕を手で押さえつけ、起き上がれないように体重をかけてくる。腹筋の要領で起き上がろうとするも、力が上手く込められずに起き上がることが出来ない。

 

端から見れば俺が完全に楯無に押し倒されている状況だ。それでも俺の部屋だから周囲に人は居ない。見られる心配はないものの、この状況は非常にマズイ。

 

どうして俺が楯無に押し倒されているのか見当もつかないせいで、俺自身の頭が混乱して判断力を鈍らせる。人に足をかけて転ばせた挙げ句に、立ち上がろうとするのを無理矢理押さえ付ける。これが悪ふざけだったとしたら本気でタチが悪いどころか、悪すぎる。

 

歯止めをかけようと語気を強め、楯無に注意の言葉を送った。

 

 

「おい! あまり悪ふざけが過ぎると―――っ!」

 

 

楯無の顔を見た瞬間に完全に言葉を失う。

 

楯無の顔は何を物語っているのだろう。顔は熱でも出したかのように紅潮し、吐息も激しい運動をした後のように荒い。密着度が高いせいで女性特有の香りが鼻腔を刺激し、頭の中が酔いが回ったかのようにクラクラする。トロンとした目付きがいつもの楯無の精神状態じゃないことを物語っていた。

 

今の楯無は普段の楯無ではない。目の前にいる楯無は意識した……いや、好意を寄せた相手に迫る女性のような顔をしている。

 

そんな顔をされたら、俺は何も言えなくなる。楯無を"生徒会長"もしくは"更識家当主"として認識したことはあれど、"一人の女性"として意識したことが何回あっただろう。

 

恐らく殆ど無かったはず。

 

目の前にいる楯無はどのしがらみにもとらわれない、ただ一人の女性、更識楯無だった。

 

甘えるように、物欲しそうに見つめる視線は俺へと向いている。

 

互いの顔を見つめ合いながら時間だけが過ぎ去っていく。

 

 

「楯無、これがお前の言っていたお礼なのかよ?」

 

 

沈黙を破るように俺から楯無に声を掛ける。俺の声に体をびくりと震わせながら顔を背ける楯無に、更に言葉を続けていく。

 

もし本当に楯無の言う本心のお礼がこれなら、俺は楯無を人としてどうなのかと認識する。常識的に考えてあり得ない、楯無が良かれと思っても俺にとっては全く良いものではない。それでも楯無がいつもの精神状態ではないと考えれば、深く問い詰めるのも酷かもしれない。

 

 

可愛い子に押し倒されるなら本望。

 

そう思う男性もいるだろう。だがそれはあくまで他の人間のパターンであって俺は違う。

 

どれだけ可愛い子だったとしても、絶世の美女だったとしても。

 

俺は拒絶する。それは俺の信念に反することだから。

 

いくほどの時間がたっただろうか。今まで押さえつけられていた両腕の力が緩んだ。それと同時に添えられていた手が退けられ、楯無自身も俺から離れる。

 

解放された俺は腹筋の要領で起き上がり、楯無と向き合った。

 

 

「ごめんなさい。本当なら口頭で伝えようと思ったんだけど……」

 

「え?」

 

 

自分のしたことに対して申し訳なさそうな雰囲気を醸し出しながら謝罪の言葉を告げてくる。最後の方が聞き取れずに再度聞き直そうとするも、何でもないと言葉を濁される。

 

 

「大和、貴方って誰かから好意を寄せられたことってあるかしら?」

 

「好意? いや、特には……」

 

 

ないと言い切ろうとした段階で言葉が出てこなくなる。本当に自分は好意を寄せられたことが無いのか。

 

……いや、そんなことない。向けられたことは何回かある、でなければ告白なんてされたりしない。そしてその告白も断り続けている。どれだけ人の好意を無下にする人間だろうと、自分の人間性にヘドが出てくる。

 

それでも中途半端な関係で付き合いたくない。そこだけは曲げくないし、譲れない部分だ。

 

楯無の質問に対しての言葉が出てこない、はっきりと断言して言い切ることが出来ない。言い切ることが出来ないということは、好意を向けられていることがあったと肯定していることになる。

 

……現に今だって向けられているわけだ。気持ちに気付きつつも、一歩を踏み出すことが出来ない。

 

 

俺が弱いから、覚悟がないから、"本当の"自分と向き合って貰える自信がないから。情けないくらいに弱くてどうしようもない人間だ。

 

 

「……私だって女だから異性を好きになることだってあるわ。行動の一つ一つが女心をときめかせるの」

 

 

楯無の言葉の一つ一つが俺の脳内に、そして心の奥底へと響いてくる。無意識のうちにどんどん心拍数が増え、胸の高鳴りが大きくなる。

 

 

「近くにいるだけで意識するなんてこと無かったもの。いつの間にか引き込まれて、気付けば姿を追っていた。気付けば好きになっていた」

 

 

楯無の言葉が、誰かのことについて指し示しているのはすぐ分かった。一言一言が重くのし掛かり、意識せざるを得なくなる。どうして俺が楯無の言うことを自分のことのように捉えているのだろう。どこの誰に言っているのかも分からないようなことを自分に置き換えて……。

 

そこでようやくことを悟る。

 

楯無の視線を追うと、その視線は紛れもなく俺の視線を射ぬいていた。

 

 

「楯、無……?」

 

 

これじゃあまるで……告白、みたいじゃないか?

 

声が出せない、楯無から目を離せなくなる。

 

分からない。俺はこれにどう応えれば良いのか。

 

 

 

「だから……」

 

 

ギュッと手を握りしめて、意を決したように見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 

「―――私も大和のことを好きになっても良いよね?」

 

 

一言そう呟く。

 

呟かれた瞬間に頭の中が真っ白になる。言われたことが理解出来ずに呆然とするしかなかった。

 

告白なのか、そうでないのか。楯無の言葉を聞いただけでは判断できない。聞いたニュアンスだけで判断するのであれば、お願いのようにも見える。しかし言葉の真意を理解する程の頭の回転は無く、どう行動すれば良いのかすら分からない。

 

一つだけ分かること、それは楯無が俺のことを好きだってこと。面と向かって、ここまではっきりと言われたのは初めてかもしれない。

 

 

「付き合ってくれって訳じゃないの。ただ私の中では答えを出したかったから……大和にどうしても伝えたかった」

 

 

震えながらも勇気を振り絞って伝えようとする姿に、体が完全に硬直する。相手に素直に感情を伝えることがどれだけ難しいことなのかはすぐに分かる。

 

自分が相手のことを好きだ、嫌いだと思っていても、それを面と向かっては中々伝えることが出来ない。むしろ言わずに自分の心の中にしまっておくケースの方が多い。

 

言葉を一言も発することが出来ないまま、楯無から視線に吸い込まれる。楯無がこれだけ話し掛けてきてくれるわけだ、何か返さなければならない。

 

 

「その……楯無。お前の言いたいことは分かったけど……」

 

「えぇ、分かってる。だから返事は返さなくていいわ。今回のことは私の胸の中にしまっておくから」

 

「あ、あぁ……」

 

「意識した?」

 

「……意識するに決まってんだろ。まだ胸の高鳴りが止まらないよ」

 

 

テンパる俺とは反対に、ほんの少し照れ臭そうにしながらも淡々とした表情で返してくる楯無。

 

思わぬ楯無の告白に俺の胸の高鳴りが止まることはなかった。これだけ言われて意識しない訳がない。大袈裟にいうなら、今までの任務よりもこの瞬間が一番テンパったと置き換えることが出来るほど。

 

話してくる楯無にはもう先ほどまでの面影はなく、いつも通りの姿へと戻っていた。

 

 

「それと……はい、これ」

 

 

どこからかおもむろに取り出し、俺の前に差し出されたのは薄い青色の包みだった。意図が分からず何気なく手渡されたものを受け取る。中に何が入っているのだろうか、厚さ的には国語辞典や英和辞典ぐらいで、大きさも辞典と同じように長方形の形をしている。

 

雑誌なんかを風呂敷に包むことはないだろうし、風呂敷で包むってことは、渡す時には必ず包んで渡すものだと容易に推測できる。もしかしたら包まないかもしれないけど、包むことが一般的なんだろう。

 

渡されたはいいけどこれを一体どうすれば良いのかと考えているうちに楯無から話が続けられる。

 

 

「これは?」

 

「私からの正式なお礼よ。中は開けてのお楽しみね。変なものを入れてる訳じゃないから、そこは安心して欲しいな♪」

 

「……」

 

「あ、開けるのは私が出てってからでお願い。感想はまた後で聞かせて? 」

 

「まぁ、そう言うなら……」

 

 

もう何が何だか訳が分からない。

 

答えを出さず無くてもいいと言われても、そのせいで逆にモヤモヤは晴れないままだ。答え自体が出てこないのは俺の中でどこか思うことがあるんだと思う。

 

でも楯無のことを異性の一友人として見ているのか、それとも一人の女性として好意があるのか。少なくとも分かることがあるとすれば、楯無にとって俺は好意の対象の男性であるということ。

 

面と向かってはっきりと言われるなんて、考えもしなかった。それでも楯無に好意を向けられている事実だけは変わらない。

 

部屋から出ていこうとベッドから立ち上がる楯無を見送ろうと、後を追うように立ち上がる。背を向けたまま楯無はこちらを振り向こうとしない。気のせいか、後ろから見える耳たぶが気持ち赤くなっているような気がする。

 

それでもさほど気にすることではないだろうと割り切り、部屋の入り口まで着いていく。そして楯無が入り口扉のドアノブに手を掛けようとした瞬間、手を掛けたまま静止し、思い付いたかのように声を掛けてる。

 

 

「それと……」

 

 

言い忘れたことでもあるのだろうか、入り口の前に立つ後ろ姿を眺めながら言葉を掛け返す。

 

 

「まだ何かあるの―――」

 

 

言葉を掛けた矢先の出来事だった。

 

後ろ姿が急に翻ったかと思うと、俺から見て右の頬に温かな感触が触れる。変化に気付くのはそう難しいことではなかった。

 

目の前に居たはずの楯無が移動している。一体どこに、視線を目の前からやや右側にずらすと、楯無の癖のついた水色の髪が見えた。シャワーを浴びた後なのか、シャンプー独特の香りが鼻腔を燻る。

 

事を終えて、一歩後ろへと楯無は下がる。何をされたのか理解したのは、楯無が離れてから数秒後のことだった。

 

照れ臭そうに顔を赤らめながらも、小悪魔のように微笑む姿がたまらなく男心を揺さぶる。

 

 

「また明日、ね?」

 

「え? あ、ちょっ、楯無!」

 

 

一言だけ俺に伝えると、そのまま部屋を出ていく。引き留めようと声を掛けるも、すでに楯無は部屋を出た後でどうしようもない。手を扉に伸ばしたまま立ち尽くす。

 

まだ頬には温もりが残ったままだった。

 

そっと右手を頬に添えると改めて認識する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そういうことなんだ……と。


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