IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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進展する関係

 

 

 

「私の勝ちね、大和くん」

 

「……」

 

 

地面に倒れ込み、動くことが出来ないまま空を見上げる。視線の先には上下が反転した楯無さんが、笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込んでいた。反転しているのは俺の頭側から覗き混んでいるからだ。

 

どうしてこんな状況になっているのか、すぐに察しはつくだろう。さっきの模擬戦で俺は負けた。

 

それも完膚なきまでに。俺の考えた作戦など楯無さんにとっては読むに容易いものだったんだろう、実行する前に叩き潰された。

 

想定していた現実とはいえ、あまりにも一方的すぎる負け方にショックを隠しきれない。いくら前向きとはいえ、ここまで実力差がはっきりと出てしまえば何も言い返すことが出来なくなる。

 

 

いくら機体の特性を読み取れなかったとはいえ、それは完全なる言い訳に過ぎない。俺と楯無さんの間にある実力差が何よりの敗因だ。

 

近接戦闘に持ち込めばこちらにも可能性がある、その近接戦闘にも持ち込めず、相手の特性も把握することが出来ずに無様に負けた事実だけは変わらない。

 

何も出来なかった、それだけがただひたすらに悔しい。千冬さんとはタイプが同じで、相性が良かったからこそ善戦できたのかもしれない。

 

だが、現実はこれだ。まともにシールドエネルギーを削ることも出来ず、相手にこれといったインパクトを与えることも出来ずに負けた。

 

 

それでも泣きたくても泣けないほどに悔しいのに、何故か悪い気はしなかった。気分も落ち着き、ようやく体を動かす気になって、ゆっくりと上体だけを腹筋の要領で起こす。

 

 

「楯無さん」

 

「ん、何かしら?」

 

「付き合ってくれてありがとうございます。おかげで俺が今どの位置にいるのか、自分がどれだけ弱いのかが実感出来ました」

 

 

口から出てくるのは感謝の言葉。悔しいことには変わりないが、俺のワガママのためだけに場所と時間、そして訓練機まで確保してくれたことに感謝しなければならない。

 

その場で出来るだけ深く頭を下げる。

 

身近な人間に敗北することを知れただけでも俺にとっては大きなプラスだ。相手は国家代表の楯無さん、元々分が悪かったとはいえ、これだけコテンパンに負けると返って清々しい気持ちになれた。

 

自分のISの実力ではまだ到底、誰かを守ることなんて出来やしない。だからこそ、もっと強くなりたい。少なくとも、一人の大切な人間を守るくらいの力が欲しい。

 

 

「お礼なんていらないわ……さて、大和くん。私が最初に言ったことを覚えているかしら?」

 

「負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く、ですよね。もちろん覚えてますよ。そこはもう楯無さんに任せます、好きにしてください」

 

 

話は変わり、模擬戦の前に二人で決めた取り決めについて再度確認する。

 

敗者に口無し。負けた俺に言い返せることなんて一つもない。その場に座りながら、楯無さんが口を開くのを待つ。顎に手を当ててしばらくの間考え込んでいる。

 

……全然話は変わるが、楯無さんのISスーツ姿も目のやり場に困る。あまり直視しすぎると色々な意味でやばい。全体のボディラインもそうだが、発育のいい双丘や下半身とか色々とそそられるものがある。

 

視線を少しだけ外してはいるものの、完全に外してしまうと返って怪しまれるため、どう頑張っても視界の中に入ってきてしまう。こればかりは仕方ないし、女性だからと言えばそれまで。

 

発育の差に違いはあれど、ISスーツ姿の女性は正直破壊力が高すぎる。

 

 

「潔いわね。まぁ元々これに関しては決めてたことなんだけど……その前にまずは少し別の話をしましょう。大和くん、今の私と大和くんの関係ってどんな関係になっていると思う?」

 

 

また返答に困るような質問だ。

 

関係ね。通常通りの返答なら同じ学園の先輩後輩だって答えるんだけど、望んでいるものはどうもその返答では無さそうだし、どうしたものか。とりあえず無難なところから攻めてみよう、下手なこと言うとそれはそれで怖い。

 

 

「どんな関係って言われても先輩後輩としか答えられない気が……」

 

「あぁ、違う違う。私と大和くんの立場を踏まえてってこと」

 

 

案の定、楯無さんの希望する答えじゃ無いらしく、ノーの解答が返ってくる。立場を踏まえてと言われたら、もはや返す解答は一つしかない。

 

 

「当主同士で、かつ協定を結んだ間柄……ってことですか?」

 

「ほぼ正解ね。物わかりが良くておねーさん助かるわ」

 

 

冷静に考えればそこに結び付く。敢えて触れはしなかったものの、立場は違えど同じ一家の当主を務めており、互いの利害が一致したことにより協定を結んだ状態にある。

 

あくまで仕事としての関係で、普段は特に気にせずに接してはいるものの、ここでその話を持ち出すのだから、楯無さんの欲求にそれが絡んでいるのかもしれない。

 

まさか霧夜家の当主をやめて更識家に入れなんて言わないよな。言うことは何でも聞くとは言ったけど、常識を逸している物までは想定していない。そう考えると改めてとんでもない条件で勝負をしたのだと、認識させられる。

 

結論を言うなら、仮に楯無さんが先の要求をしたところで、俺に拒否する権限は一切ない。

 

 

「ようは、私と大和くんの立場がほぼ同じにあるのは分かるわよね?」

 

「はい。……はい?」

 

 

一旦納得したところで、再度思わず聞き返す。協定を結んでいる状態……ようはあくまで同じ立場として互いをサポートし合いましょうというのは分かる。そもそも協定を組んだ理由が、霧夜家の弱点である情報網を、更識家の弱点である人材不足を補うためだからだ。

 

ただしあくまでそれは協力関係と言われれば分かるが、立場が同じ状態かと言われると疑問を抱かざるを得ない。認識の違いだろうが、俺としては別に楯無さんよりも上の立場にいるとは思わないし、逆に下の立場だと思っている。

 

むしろうちの弱点を補って貰っているのだから。

 

……あれ、言ってることが矛盾してるな。更識家の人手不足な面を俺が補っているって考えると、持ちつ持たれつの関係といえば立場的には同じかもしれない。

 

 

「つまりね。同じ立場にいるってことは、年齢差とか先輩後輩なんて関係ないの」

 

「……へ?」

 

 

何か話が拗れてきたぞ、楯無さんは一体何が言いたいんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからこれは命令です。これからは私のことを"呼び捨て"で呼ぶこと。いい? もしさん付けしたり敬語で話し掛けてきたら返事もしないから」

 

「は……はぁ!?」

 

 

予想より遥か上をいく楯無さんの返答に、普段出さないような大声を出して場に立ち上がる。楯無さんの要求っていうのは、自分のことを敬語で呼ぶなってことだよな。

 

いきなり無理難題をぶつけてきてくれる。今の今まで敬語で話していた相手に対して、どうタメ口で話しかけろと言うのか。

 

 

「いや、あの……」

 

「あっ、これ決定事項だからね? 負けた方は勝った方の言うことを一つ聞くって念を押したんだから♪」

 

「ぐぐっ……」

 

 

私の言うことは黙って聞きなさいと楽しそうに満面の笑みで伝えてくる異様な雰囲気と、正論過ぎる意見にぐぅの音も出なくなる。負けた方が勝った方の言うことを一つ聞くと、先に約束していたのだから俺が拒否することは出来ない。ニヤニヤとしてやったり感満載の表情がたまらなく眩しい。

 

とはいっても、いきなり呼び捨てで呼べと言われてもやり辛いものがある。

 

いくら言い訳したところで、口を利いてくれないのはマズイ。仕事上、年上にもタメ口で話すことは多々あるけど、学校の先輩後輩の関係でタメ口を使うのは初めてだ。

 

割り切って慣れていくしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、分かったよ。これからこの口調で良いんだよな、"楯無"」

 

「っ! い、良いんじゃないかしら?」

 

 

試しに呼び捨てで呼んでみると、顔を少し紅潮させながら俺から視線を外す。もしかしてだけと呼び捨てで呼ばれることに慣れていないのか。口では余裕でもいざ行動に移されると弱い、ようは人をからかうのは好きでも自分がからかわれるのは弱いタイプ。

 

それも異性からであれば、なおのこと意識するだろう。仮に俺が同じ性格だったら絶対に意識する。今までさん付け、君付けで呼ばれていたのに、ある時急に呼び捨てになれば意識しない方がおかしい。

 

 

「……もしかして照れてる?」

 

半分図星だと分かりつつも、あえて突っ込んで反応を見てみる。

 

 

「そ、そんなことないわよ! ただその……そう! 太陽の光が暑くて……」

 

 

返ってきたのはいつものような余裕綽々の切り返しではなく、その場を何事もなくやり過ごそうと苦し紛れについた言い訳だった。確かに暑いっちゃ暑いけど、顔か真っ赤になるほどの炎天下にいるわけではない。

 

いつもとは違った女性らしい反応が、妙に可愛らしく思えてくる。元々綺麗な人だとは思っていたけど、今の楯無さん……楯無は綺麗というよりかは可愛らしく見えた。

 

言っていることが苦し紛れに思い付いた言い訳なのはすぐに分かったため、あえて楯無の顔を無言のままじっと見つめ返す。

 

「……」

 

「……うぅ」

 

「何で言った本人が恥ずかしがるんだよ。呼び捨てじゃなきゃ返事しないって言ったのはそっちだろ?」

 

「だ、だって……」

 

 

仕方ないじゃないと抗議の視線を送ってくるものの、照れた顔で凄まれても俺としては怖くもなんともない。反応を見る限り、ある程度親しい間柄の異性に呼び捨てで呼ばれたことが無いんだろう。

 

今まで完全に楯無のペースだったけど、俺がペースを握るのも悪くないかもしれない。ただISスーツ姿でもじもじと照れられると、俺も直視出来ないっていうのが辛い。

 

女性の体に飽きたら終わりなんてよく言われるけど、毎日別の女性の際どい姿を見ているこっちのメンタルはボロボロだ。

 

ところで何で急にまた呼び捨てで呼ばせようなんて思ったのか、そこが疑問として残る。思い切って理由を聞いてみようかどうか考え込むも、気になる疑問は早々に解消しておきたいから念のために聞いておく。

 

 

「で、また何で急に呼び捨てにしようと思ったんだ?」

 

「それはさっき言った通り……」

 

「いや、理由のこじつけにしては流石に無理があるって。立場が同じでも呼び捨てにさせる理由にはならないし」

 

「……」

 

 

知られたくない、話したくないのならそれでもいい。単純に俺が気になるだけで、楯無が話したくなければ理由を話さなかったとしても咎めることはしない。

 

 

「……隔たりがある感じがして嫌だったのよ。何か置いてきぼりを食らっているみたいで」

 

「え?」

 

「こう見えても、年が近い男の子と話すことなんてほとんど無かったから……少しでも大和とも仲良くなりたいって思って……」

 

「?」

 

 

ポツポツと話し始めるが、最後の方は完全に聞こえず、更に疑問が深まるばかり。一つだけ分かるのは深く詮索しない方が身のためだということ。

 

楯無が言うことを総括すると、さん付けで呼ばれることにどこか隔たりを感じていた。俺としては全くその気はないが、本人の気持ちまで汲み取れる訳ではない。

 

何故隔たりがあると感じてしまったかまでは俺にも分からないし、変に聞くべきものではないと思った。

 

ただそれ以上に……。

 

 

「も、もういいでしょ?」

 

「あぁ。焦る顔を見ることが出来たから十分だ」

 

「―――っ! バカっ!」

 

 

少しからかいすぎたせいか、プイと顔を横に逸らしてしまう。如実な変化に口元が思わずにやける。楯無の焦る姿をまじまじと見るのは初めてだから。どちらかといえばいつもの会話の主導権を握るのは楯無で、俺がメインで話を進めることはない。

 

だからこそたまに立場が逆転して、いつもとは違う一面を見れたのは貴重だろう。多分、楯無の中では俺が中々呼び捨てに出来ずに悶々とする姿をからかうのを想像していたに違いない。

 

……そういえば、確か楯無って本名じゃないんだよな。更識家の当主に就いた人物が楯無を襲名するみたいだし。毎回本名じゃない名前を呼んでいることを考えると、違和感しか感じれなくなる。

 

それでもこの学園では楯無の名を使っているわけだし、本名を進んで聞くのは失礼かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず、これで俺は楯無の言うことを聞いたってことでいいか?」

 

「えぇ……何か疲れちゃった」

 

「疲れたも何も、自分が言ったことじゃ……」

 

 

 

 

 突っ込みを入れたところで、何気なく振り返ると額に手を当てて、フラフラと歩く楯無の姿が目に入った。千鳥足までは行かなくても、見るからに歩きずらそうにしている。怪我をしているわけではなく、明らかに体調の良し悪しに変化が現れたのを物語っていた。

 

すぐに楯無の元へと駆け寄り、身の安否を確認する。

 

 

「おい、本当に大丈夫か? 体調が悪いなら先にいってくれれば……」

 

「違うの。朝から体が重いとは思っていたけど、何か急に……」

 

 

 

普段の仕事で無意識の内に体に疲れがたまっているのだろう。

 

IS学園の生徒としてはもちろん、生徒会長としての仕事、そして更識家当主としての仕事。俺が思う以上に楯無にかかる負担は計り知れない。今まで一日ゆっくりと休める日が何日あったのか。

 

普通の家庭ならどこにでもいる女子高生のような、普通の学園生活を送ることも出来たはず。それでもこの年で一家の当主を務め、周囲を取り仕切っている。周りが素直に言うことを聞くばかりの人間だけではなく、衝突だってあるはずだ。

 

周囲には決してさらけ出すことが無い彼女だけの、楯無だけの秘密。更識家の枷をとれば、楯無だって普通の女の子と何ら変わらない。

 

 

「ここからなら保健室の方が近いか……」

 

 

このまま学生寮に戻るよりかは、そのまま保健室に直行した方が近い。下手に寮まで連れて帰って体調を崩すよりかは、一旦保健室で休んだ方が良いだろう。幸いまだ遅い時間じゃないし、千冬さんにでも一本連絡を入れておけば最悪夜遅くになったとしても、特に何かを言われることはないはず。

 

俺に関しては保証出来ないけど、そこはもう致し方がない。この状態を放っていくことを考えたら、断然前者を選択する。

 

 

「……悪い。俺が無理に付き合わせなければ」

 

「ううん、大和のせいじゃない。私の体だもの、私が歯止めをかけなきゃいけなかっただけ」

 

 

互いに謝罪の言葉を述べるも、今はいちいち気にしている余裕はない。ここで反省するより楯無を運ぶ方が先決。とはいえ体に出た普段の疲れは想像以上に大きいもので、歩くのも辛そうだ。正直、この状態で歩いて向かわせるのは痛々しくて見てられない。

 

 

「保健室まで歩くのは……難しいよな。……先に言っておく、嫌だったら後で殴っても構わない」

 

「え……」

 

 

意を決して楯無の側に歩みより、体を屈めて肩と足に手を掛ける。そして足を払うように楯無の体を浮かせると、両手でしっかりと全体重を支える。重みと言うほど重みは感じず、むしろ毎日食事をとっているのだろうかと思うほどに軽い。

 

楯無のことだ、このままでは世間体を気にして、無理矢理にでも笑顔を作ったまま何事もなかったように寮へと戻るだろう。

 

突如俺にされたお姫様だっこに、何度もまばたきをらながら、目を見開いて俺の方を見つめてくる。自分が何をされているのか、未だに把握できて居ないらしい。

 

キョトンとしたまま数秒、事態を把握した楯無の顔がみるみる内に赤く染まっていく。

 

 

「や、大和!? な、ななな何してるの!?」

 

「こうでもしなきゃ、危なっかしくて見てられないって。保健室までこのまま運ぶから大人しくしていてくれよ?」

 

「だ、だからってこんな格好……誰かに見られたら恥ずかしいじゃない!」

 

「なるべく人目につかないルートを通る。放課後だし、あまり人も多くないから見付からないようにやり過ごすのは可能だ。……さっきも言ったようにもしも嫌だったら運び終わった後に思いっきり殴って貰って良い」

 

 

もしこれが本気で嫌がっていたら抱き抱えようとした段階でぶん殴られている。とにかく殴られることを承知で俺は抱えているわけだし、運び終えた後であればいくら殴ってくれてもいい。

 

半分無理矢理抱き抱えているわけだし、人の感じ方によってはセクハラで十分訴えることが出来る。そうなればいくら男性操縦者とはいえ、下手すれば監獄行き。一生出られない可能性もある。

 

ただ、今はうだうだやっている時間がないのも事実。あまり衝撃を与えないように、早歩きでアリーナの出口へと向かう。

 

 

「……で、でも」

 

「あーもう! 大丈夫だって! お前だって一人の人間なんだから体調崩すことだってあるだろ! それは決して負い目に思うようなことじゃないし、ましてや悪いことでもない!」

 

 

俺にまで迷惑をかけていることを負い目を感じ、更に何かを言おうとする楯無を強引に黙らせる。むしろ俺の方こそ体調が悪いところを無理させたのに、何で楯無が謝る必要があるのか。本来なら無理をさせた俺が楯無に謝らないといけない立場なのに。

 

人を頼ることはほとんど無く、大体の問題を一人で解決してきた楯無にとって、人を頼ることは大きな抵抗があるんだろう。それでも人を頼ることは悪いことじゃない、むしろここは人を頼らないといけない部分だ。

 

罪悪感に包まれた表情を浮かべる楯無を納得させるために俺は一言伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからさ―――頼れる時くらい、人を頼れって」

 

「……はい」

 

 

ようやく大人しくなり、腕を俺の首に巻き付けてくる。

さっさと運ぶとしよう、俺もあまりこの体勢で楯無を抱えているのは理性的に危ない。

 

足早にアリーナを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日頃の疲れだって。今日はゆっくりと休んだ方がいい」

 

「……うん」

 

 

ベッドに楯無を寝かせたまま、すぐ近くにある椅子に腰掛けて腕を組ながら楯無の顔を見つめる。布団を深々と被り、顔だけをこちらに見せながら申し訳なさそうに見つめてくる。熱自体はそこまで高くないし、一日休めば元通りになるだろうとのこと。

 

少し落ち着くまで保健室で休んだら帰っても良いと言われたため、症状的には軽いものらしい。

 

俺と楯無を残し、保険医はさっさと帰ってしまった。いつも思うけど、あの人も大概適当なんだよな。処置とか診断は的確なんだけど、生徒が来ても姿をくらませていることが多いみたいだし、今日みたいに居たとしてもすぐにどこかに消えてしまう。

 

職務放棄も良いところだが、逆に堅苦しくなくてフランクなところが生徒たちには人気らしい。

 

現在保健室内にいるのは俺と楯無の二人だけ。視線の先に見える窓からはオレンジ掛かった夕日が差し込み、保健室を照らす。二人きりで保健室にいるのも、どこか変な感じがする。更に話す話題が見当たらないせいで沈黙しかない。状況を打開できるほどのトーク力があれば一番良いけど、生憎話す内容も無いし、会話が行き詰まっている。

 

ただ楯無の体調を踏まえても、下手に話しかけるよりかは黙っていた方が気分は楽かもしれない。

 

背もたれに全体重を預けながら、外の方を見つめる。そういえば更衣室に荷物を全部置いてきたけどどうしようか。流石にそのまま置きっぱなしは不味いし、課題や予習が何も出来なくなる。

 

もし知り合いの誰かがアリーナで練習をしていのなら回収してもらえるように頼むものの、タイミングが悪いことに先日の一件のせいでアリーナで練習をする生徒が激減。今日一つのアリーナを貸しきり状態に出来たのもそのためだ。

 

本来なら貸し切ることは出来ない。一夏も今日はアリーナで練習をしないみたいなことを言ってたから、回収できる人間が俺以外誰一人いない。

 

最悪、事が落ち着いてから取りに行けば良い。

 

 

「……ちょっと飲み物買ってくる」

 

 

流石に黙りのままでは何も変わらないし、一旦間を挟む意味でも飲み物を買いに行こうと立ち上がる。

 

が。

 

 

「……え?」

 

「……かないで」

 

 

歩き出そうとした瞬間、俺の左手が強く握られる。この保健室で俺の手を握れるのはただ一人しかいない。手を握った人物が誰か分かるも、振り向くことが出来ずにその場で立ち尽くす。すると、聞こえるか聞こえないかのギリギリのか細い声で何かを呟く。

 

よく聞こえない。

 

何かを言ったのは事実でも、根本的な内容までは俺の耳までは届かなかった。相変わらず、楯無は俺の手を握ったまま離そうとはしない。飲み物を買いに行くことも出来ずに、その場に立ち止まったまま再度後ろを振り向く。

 

 

「あの……楯無?」

 

「行かないで……ごめんなさい。もう少しだけここにいて」

 

 

か細い声なのは変わらないが、今度ははっきりと聞こえた。捨てられた子犬のように懇願してくる姿が、俺の体を硬直させる。一人にしないでと訴えかけるように呟く姿が、どこか儚く見えた。そこまで言われると俺も出ていけない、座っていた椅子へと座り直すも、未だ楯無は手を繋いだまま離そうとはしない。

 

孤独を感じたことはない……昨日確かに楯無はそう言った。でもそれは楯無なりの強がりだったのかもしれない。本当は誰かにすがりたかった、誰かを頼りたかった。

 

普段の楯無を知っている人間がここまで弱々しい姿を、誰が想像できるだろう。

 

 

「分かった。俺はここにいるからゆっくり休め」

 

「本当? どこかに行ったりしない?」

 

「あぁ、大丈夫」

 

 

初めて見る楯無の別の一面に戸惑いを隠せないながらも、冷静を装いながら伝える。

 

しばらくはここに居よう、少なくとも楯無が落ち着くまでは。

 

 

「……ありがとう」

 

 

俺の言葉に安心したのか、感謝の言葉を述べた後に楯無は目を閉じる。それでも握った手を離すことはなかった。

 

 

「……」

 

「楯無?」

 

「……すぅ」

 

 

反応がないと思えば、可愛らしい寝息を立てて寝始めた。よほど疲れがたまっていたのだろう、見る誰もが驚くほどの寝付きのよさだ。どこか子供らしい仕草に思わずくすりと笑みが出てきてしまう。安心したかのように寝息を立てる姿を永久保存するために写真を撮りたくなる衝動をぐっと堪え、平常心を保つ。

 

さて、寝てくれたのは良いことだけど手を離してないから、俺が身動きを取れないんだなこれが。更に言うなら二人だけの保健室でもう片方が寝てしまえば、もう一人は取り残されることになる。つまり俺は今は話せる相手もいなければ、どこかに行くことも出来ない。

 

楯無が起きるまではずっとこのままということになる。

 

 

「……携帯電話くらい持ってくるべきだったな」

 

 

連絡手段がないから、誰かを呼ぶことが出来ない。総括すると、俺は完全に今ボッチの状態になっている。美少女に手を握られて嬉しくないわけがないが、話す相手が誰もいないのは時間潰しに骨がおれる。

 

 

「……」

 

「寝顔だけ見ると、本当にただの女の子にしか見えないよなぁ」

 

 

ここ最近、楯無がゆっくり休めることなんてほとんどなかっただろう。仕事の時ならまだしも、普段時であれば俺も比較的長い時間、睡眠は取っている。体に異変が現れるほどに疲れたことはない。

 

しかしまぁ、こうしているとあれだな。妹を看病する兄になった気分だ。年齢的には俺が下でも、シチュエーション的にはそう見えなくもない。

 

 

「……」

 

 

楯無が起きるまでの時間をどう潰そうか考えていたけど、どうやら楯無の寝顔を鑑賞するだけでも、ある程度の時間は潰せそうだ。


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