IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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一時の停戦

 

 

 

「―――っ!!?」

 

 

たった一言大和が呟くと同時にラウラへと向けられる強烈な威圧感と殺気。一人の人間が発する異様な雰囲気が、ラウラを硬直させる。AICを張られている訳でもないのに、体が動かない、動けない。

 

刀を振り下ろしながら、ラウラに一歩ずつ近寄ってくる大和に対して抱く明確なまでの恐怖。こっちはIS搭乗、相手は刀一本しか装備が無い上に生身だ。誰が見たってどっちが有利なのかは明白。何をどう足掻いたところで、生身の大和に勝ち目は無い。

 

その相手に対して自分は怖がっている。いくつもの戦場を潜り抜けてきた軍人の自分が。たかだか一個人に過ぎない人間に恐怖し、怯えている。

 

 

「……お前には言ったはずだよな? これ以上危害を加えるなら容赦はしないと……」

 

「っ……」

 

 

びくりと体を震わせるラウラを余所に、大和は言葉を続けていく。

 

 

「一夏やセシリア、鈴だけじゃ飽きたらず、全く無関係な人間まで巻き込んで……そこまでして戦いたいか、そこまでして千冬さん以外の存在を否定したいのか」

 

「き、貴様っ!」

 

 

 淡々と言葉を続ける大和の声のトーンは一切変わらない。この場にあまりにも不釣り合いな雰囲気に、不気味ささえ感じる。ラウラはたまらず声を荒らげるも、大和が止まることはなかった。ジリジリと歩み寄るのとは反対に、ラウラが一歩ずつ確実に後退していく。

 

何てことはない、相手は高々刀を持った生身の人間だ。何を怖がる必要があるのか、圧倒的優位に立っているのはラウラだというのに、前に進もうとする意思とは反対に足が前に進まずに、後ろへ下がっていく。

 

 

「や、大和! お前一体何して……」

 

「一夏、シャルル、一旦下がれ。ここは俺が受け持つ」

 

 

ラウラが反撃の意思が薄れていることを確認すると、すぐ後ろに待機している一夏と後を追うようにアリーナに入ってきたシャルルに向かって指示を出す。

 

 

 

「で、でも生身で挑むなんて……」

 

「無茶言うなよ! いくらお前の剣の腕が確かだとしても、あいつを相手に生身でやりあうなんて自滅もいいところだ!」

 

「自滅……確かにそうかもな。……それでもアイツには分かってもらわないと困る、自分のやっていることを」

 

「……」

 

「大和……」

 

 

大和がラウラに対して激しい怒りを覚えているのはシャルルもすぐに分かった。普段とは全く違った怒りの表情に、シャルルの声は震え、一夏はそれ以上何も言えなくなる。

 

既に鈴やセシリアだけではなく、他のクラスメートにまで危害が及んでいる。しかもその一人がよく大和といる仲の良い人物に危害を加えたのであれば、大和がラウラに怒るのは当然のこと。

 

シャルルがデータを盗もうと部屋に忍び込んだ時も全く怒らなかった人間が、人を傷つけられたことに怒っている。大和を止める理由が何一つ見当たらなかった。シャルルが大和を止めるすべはない。

 

そして一夏もだ。自分だって鈴やセシリアを傷つけられたことに憤りを覚えたからこそ、戦いに参戦した。理由としては一夏も大和も、全く変わらない。

 

 

大和はISを身に纏っている訳ではなく、打鉄用の刀を持っているだけ。どこから借りてきたというのか、身の丈ほどの長さを誇り、通常の日本刀よりも遥かに重たいものを、補助なしでいとも簡単に持ち上げている。

 

それでもISに生身で挑むのは、自殺行為に等しい。シールドどころか、絶対防御すら発動しないこの状況で、ラウラの一撃を食らえば致命傷になりかねない。下手をすれば命を落とす危険だってある。危険な行為だと思っているのに、大和の雰囲気が止めることを許さなかった。

 

 

大和に言われるがまま渋々後ろへと下がり、地面にISが解除されたまま倒れている鈴とセシリアの元へと向かう。既に二人はナギが介抱しており、特に目立った傷は見られない。ただ殴られたり蹴られたりしたことで、何ヵ所か内出血していた。

 

 

「う……一夏……」

 

「無様な姿を、お見せしましたわね……」

 

 

一夏とシャルルが近くに来たことで、申し訳なさそうに体を起こす二人だが、ダメージがまだ残っているせいで体中がズキズキと痛むのだろう。体を起こそうとするだけだというのに、二人とも顔をしかめる。

 

 

「あ、織斑くん……二人とも怪我自体はそこまで酷くないけど、あまり動かさない方が良いと思う……」

 

「そっか……よかった」

 

確認した限りは命に関わるような状態にはなっていない。二人が無事だったことに安堵の表情を浮かべる一夏。ひとまず二人の無事を確認することは出来た。後はこの争いを終わらせ、二人を保健室まで運べば良い。

 

 

「そ、そんなことより大和くんは……」

 

 

一体何を考えるのかと、ラウラと大和の光景に視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて。話の途中だったな、ラウラ・ボーデヴィッヒ。もうお前のペースに合わせるのも疲れたし、同情する余地もない」

 

 

一夏とシャルルが鈴とセシリアを無事に退避させたことを確認すると、再びラウラに向けて言葉を続ける。ラウラが何もしなければ大和が怒ることも無かった。

 

食堂で共に食事を取った時、一夏にはもう手を出すなと釘を刺されたのにも関わらず、手を出し、挙げ句の果てには輪とセシリアをデッドゾーンにまで追いつめ、大切なクラスメートまで傷付けた。

 

許せるわけがない、一個人の感情で人を傷付けることが許せたとしたら大和もここまで怒ることはない。

 

我儘で身勝手な行動がどれだけ人を傷付け、悲しませるのか。ラウラはまだそこを分かっていない。彼女にも様々な理由があるとしても、間違いは正さなければならない。

 

 

「何より俺の大切なものを傷付けて、平然といられるお前の態度が気に食わない」

 

 

大和は詰め寄るペースを徐々に早めていく。その迫力に気圧されるように、ラウラも後退していくが足が言うことを聞かない。敢えて名前を伏せ、大切なものと表現したのは大和なりに思う部分があったんだろう。ただし、言葉を続けていくにつれ感情のこもっていた瞳は、徐々に感情のない無機質なものへと変わっていく。

 

周りの誰もが知り得ない、仕事モードの顔つきへ。

 

そして……。

 

 

「口で言っても聞かないのなら……その身をもって分かってもらうだけだ」

 

 

その言葉を皮切りに、一気にラウラとの距離を詰めようと身を屈めた。

 

 

 

 

 

 

「―――霧夜、そこまでにしておけ。これ以上の戦闘は流石に黙認しかねる」

 

「……」

 

「き、教官!」

 

「何度言ったら分かる。ここでは織斑先生だ」

 

 

 不意にアリーナに響き渡る声と共に、誰よりも存在感のある人物が大和とラウラの間に割って入る。屈めた状態のまま顔だけを上げて千冬の顔を見つめる大和はしばらくの間屈んだままの状態を保つものの、千冬の介入で興が削がれたらしく刀を下げて直立の体勢に戻る。

 

が、大和本人としてはあくまで納得していないようだ。攻撃を止めたのは、これ以上やっても千冬に止められると思ったからで、このままラウラが何のお咎めも無いのはやはり納得は出来ない。

 

鈴とセシリアが挑発に乗っての模擬戦だったとしても、ナギはそこに全く無関係。幸い怪我一つ無かったものの、巻き込まれた事実は揺るがない。

 

しばし静観していた大和が、千冬に向かって文句をぶつける。

 

 

「……俺としては納得出来ないんですけどね。これだけの人間を被害に巻き込んでお咎め無しっていうのは」

 

「言い分は分かる。だが、お前が処分を下すものではない。……分かるな?」

 

 

いくら納得が出来ないとはいえ、ラウラの裁きを大和が出来るものではない。IS学園にいる以上、全ての権限は学園側に委ねられている。仮に大和が学園の幹部であればそれも可能だったが、あいにく一生徒に過ぎず、勝手な判断でラウラを裁くことは出来ない。

 

大和が手を出したい気持ちもわかるが、千冬の言い分は的を射ており、一つも間違っていない。これ以上言ったところで言い分がはずもないと判断し、息を吐いて気持ちを落ち着ける。心の蟠り、怒りがそれだけで収まるわけではないが可能な限り気持ちにリセットをかける。

 

気持ちを落ち着けた後、改めて口を開く。

 

 

「……分かりました、今回は引きます」

 

「もの分かりが良くて助かる。ボーデヴィッヒもそれでいいな?」

 

「教官がそう仰るのであれば……」

 

 

ラウラも渋々ながら千冬が言った事だからと了承をするも、すぐに大和の方を睨み返してくる。お前だけは絶対に許さない、その視線に気が付いた大和は既に興が削がれていることもあり、どこか涼しい表情でラウラへ返す。

 

 

「俺とて納得している訳じゃない。覚えておけ、もし仮にこれ以上、俺の管轄に踏み込んでくるなら手加減はしない」

 

「貴様っ……!」

 

「よせ、霧夜。あまり挑発をするな。……では、学年別トーナメントまで私闘の一切を禁止する。解散!」

 

 

千冬の声にISを解除し、反対側のピットへと戻っていく。流石に千冬の目の前で私闘を起こしたくはないというラウラなりに思う部分があるんだろう。手に握られた打鉄用の刀を肩に担ぎ、回れ右をして一夏のもとへと戻っていく。この刀は偶々訓練していた生徒に借りたもので、自分が用意したものではない。

 

まさか生身で振り回そうなんて、誰も想像しなかったことだろう。身の丈ほどある刀ともなれば、長さに比例して重さもかなり重い。それこそ補助なしで振り回すのは困難を窮める。大和が重さを感じなかったのも、怒りで忘れていたからだ。火事場の馬鹿力とは良く言ったもの。

 

大和が戻った先には驚きの表情を浮かべたままの一夏やシャルル、ボロボロの状態の鈴とセシリア、そしてナギと箒が出迎える。一夏とシャルルに至っては口をあんぐりとさせたまま、大和のことを見つめている。

 

そんな二人をチラリと見いやると、無言のまま二人の横を通りすぎる。人前でキレてしまったことに対する気まずさが大和の中には残っており、今は話せるような心理状態じゃない。

 

下を俯いたまま通りすぎる大和の後ろ姿が、一夏とシャルルには寂しく思えた。

 

 

「大和くん……」

 

「……」

 

 

アリーナを後にしようとした大和にふとナギの声が呼び止める。振り向く大和の瞳に映るのは心配そうな表情を浮かべたクラスメートの姿だった。

 

自分のやったことに後悔はない。なのに、この心の中のモヤモヤは何なのか。被害としては最小限に食い止められたはず、あの時もし自分が入らなかったらさらに被害が拡大していたかもしれない。結果として大和は皆を救った、それでも大和の中では納得出来ないことが多すぎた。

 

今はとにかく一人になりたい、そう思って足早にこの場を去ろうとしたのに何故か足が止まってしまう。何気無く映ったらナギの全身を確認する。ISの訓練をしていたんだろう、全身は学園指定のスーツに着替えられている。

 

露出する肌に特に怪我はないみたいだ。駆けつける前に静寐から聞いた話では巻き込まれたと説明されただけのため、大怪我をしたんじゃないかと内心気が気じゃないままアリーナまで来たものの、怪我がないことを確認出来てほっと胸を撫で下ろす。

 

ただ単純に良かったと。

 

 

「怪我はないか?」

 

 

たった一言、ナギへそう告げる。大和の質問の意図をすぐに汲み取ったナギは、素早く大和の質問に答えた。

 

 

「うん。私なら大丈夫」

 

「良かった。お前が無事で……」

 

 

答えを聞き取ると、どこか満足そうな、それでも消え入りそうな笑みを浮かべながらアリーナを後にする大和。今だけは一人にしてほしい。大和の意図が全員に伝わったのだろう。それ以上大和が何かを言うことは無かった。そして大和に誰かが声をかけることも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別に助けてくれなくて良かったのに」

 

「あのまま続けていれば勝ってましたわ」

 

 

会話が聞こえてくるのは保健室、アリーナの騒動からすでに一時間余り時間が経っている。怪我をした鈴とセシリアは治療を終え、ベッドの背もたれを立てながら互いに一夏と顔を会わせようとしない。体の隅々に包帯が巻かれ、腕には絆創膏が貼られている部分もある。大怪我まではいかなくとも、十分に痛々しく見えるのは否定出来ない。

 

保健室には三人の他に、ナギがいる。シャルルは飲み物を買ってくるとのことで、一旦保健室を留守にしているのだが、怪我人二人のぶすっとした態度のせいでどうにも保健室の空気が重い。

 

二人が助けてくれと助けを乞わなかったのは事実だが、感謝の言葉が出てくると思っていた一夏にとっては何とも言えない雰囲気だった。一夏も度が過ぎた模擬戦に苛立ちを覚えて飛び込んだ手前、自分には特に感謝されることも無いかと割り切ってはいた。

 

 

「お前らなぁ……俺はともかく鏡さんには感謝しろよな。怪我したお前らを介抱してくれてたんだから」

 

「うっ……そ、それはそうでしたわね……ありがとうございます」

 

「べ、別に感謝されることなんてしてないよ」

 

 

一夏にぐぅの音も出ないほどの正論を言われて、セシリアは先にナギへと感謝の言葉を述べる。ナギも謙遜しながら、お礼を言われるようなことはしていないと否定をしつつも、代表候補生にお礼を言われたことに満更でもなさそうに頬が紅潮する。

 

セシリアはクラスメート、鈴も良く教室にくるため、何度か顔を会わせたことはあるものの、こうして同じ空間にいるのは初めてのため、ナギはどうにも気分が落ち着かない。

 

すると鈴が一人だけ居づらくなっていることに気付き、声をかけた。

 

 

「確かあんた、よく大和と一緒にいるわよね? こうして話すのは初めてね」

 

「は、はい!」

 

 

話し掛けられただけだというのに、企業の面接会場にでもいるかのような反応ぶりだ。人見知りで一歩引き気味な性格もあって緊張した言葉の返しになってしまう。つまりタイプ的には鈴とは真逆になる。

 

 

「かしこまらなくていいわよ。私は凰鈴音、気軽に鈴で良いわ。さっきは助けてくれてありがと」

 

「あっ、はい。鈴さん」

 

「さん付けも良いわ。あたしたち歳も同じで、別に代表候補生だからって特別な訳じゃないし」

 

 

緊張の余り、同学年に対してさん付けをするナギを呼び捨てでもいいと許可をする。

 

代表候補生といえば、国から将来性を見込まれたエリートたちだ、故にプライドが高く、選ばれた人間だからという理由だけで、理不尽な行いをする人間もいる。

 

鈴とて代表候補生としてのプライドが無いわけではない。それこそ先の戦いのように、自分の候補生としての誇りを汚されれば怒ることだってある。それでも代表候補生だから特別扱いされたり、同学年から変に慕われたり敬語で呼ばれたりするのは鈴としてはあまり気分が良いものじゃないらしい。

 

彼女の本質は対等な立場であれば、年下であろうが呼び捨てを許す。逆にふざけた人間であれば、名前を呼ぶことさえ許さない。そこを徹底している、一夏が絡むと妙に短気になったり暴力的になったりするものの、普通の女友達にはサバサバとしている。

 

付き合いやすいといえば付き合いやすい。最も口は少しばかり悪いが。

 

一夏は二人の様子を見つめながら微笑むも、鈴は笑っている素振りが気になったらしい。

 

 

「……あんた、何ニヤついているのよ?」

 

「いや、別にニヤついてねーよ。怪我しているのに良く喋るなって思って」

 

「はぁ? 何言ってるのよ? こんなの怪我のうちに入らな――いたたたっ!?」

 

「そもそもこうやって横になっていること自体無意味――つううっ!」

 

 

要はこういうことだ。一夏に対しては決して弱みを見せてたまるかと、意地でも強がって見せる。二人をその様な行動に駆り立てるのは、好きな相手には無様な姿を見せたくないから。自分の良い部分を見せたいと思っている人間が、態々弱みを見せるはずがない。ただ無理やり怪我をした体を動かそうとすれば痛むに決まっている。二人揃って怪我をした部分を押さえながらその場にうずくまった。

 

完全な自爆っぷりにナギは心配そうな表情を、一夏は呆れた表情を浮かべる。

 

と。

 

 

「バカって何よバカって! バカ!」

 

「一夏さんこそ大馬鹿ですわ!」

 

「あ、あの。二人とも、あんまり大きな声を出すのは……」

 

一体何を考えていたというのか、声にこそ出してはいないものの表情から何を考えているのかが汲み取れたんだろう。二人は一夏に文句を言うが、声の大きさから相当体に力が入っている。

 

ナギが注意したところで既に後の祭り。

 

当然、力が入れば。

 

 

「って、いっつぅ!」

 

「くぅ! 声を出すだけで痛むなんて! あんまりですわ!」

 

 

案の定身体中に痛みが走り、再度うずくまる。下手に暴れたり大声をあげたりしても、待っているのは痛みだけだ。百害あって一理なしという言葉がそっくりそのまま当てはまる。怪我に八つ当たりをしたところで回復が早まるわけでもないし、大人しくしておいた方がいい。

 

二度の自爆でようやく認識したらしく、不貞腐れながらもベッドに寄り掛かる。

 

 

「二人とも無茶しちゃって。好きな人に格好悪いところを見られたから恥ずかしいんだよ」

 

「ま、俗に言うツンデレってやつだな」

 

「ん、シャルル……に大和!? お前何処行ってたんだよ!」

 

 

飲み物を買いに出てきたシャルルと同時に、アリーナを出ていった後どこかに消えた大和が共に保健室へと戻ってきた。予想だにしない訪問者に、シャルルを除いた全員から言葉が消える。

 

が、しばし時が止まったかと思うと、やがて鈴とセシリアは顔を真っ赤にして怒り始めた。

 

 

「なななな何を言ってるのか、全っ然っ分かんないわね! こここここれだから欧州人って困るのよねっ!」

 

「べべっ、別にわたくしはっ! そ、そういう邪推をされると些か気分を害しますわねっ!」

 

 

一夏にはシャルルの言っていることが理解できずに首を傾げる。逆に言葉の意味を理解している二人は図星を指されたこともあり、捲し立てながらそっぽを向く。その様子をクスクスと笑いながら見つめるシャルルは、二人に買ってきたであろうウーロン茶と紅茶を差し出す。

 

 

「はい、ウーロン茶と紅茶。とりあえず飲んで落ち着いて、ね?」

 

「ふ、ふんっ!」

 

「不本意ですがいただきましょうっ!」

 

 

シャルルから差し出された飲み物をひったくると口を開けて、早飲み競争でもしているかのように勢いよく飲んでいく。ペットボトルの中身がなくなるのが早いこと、わずか数秒で半分近くまで飲み干してしまっている。恥ずかしさから上がった体内温度を下げるためか、それとも顔の赤らみを取るためか、どちらにしても飲むペースが以上に早いのに変わりない。

 

飲み物を飲む二人に、大和は苦笑いを浮かべながら話し掛ける。

 

 

「しかしあれだけボコボコにされたのに元気そうで何よりだ。体へのダメージはどうだ?」

 

「あぁ、保健室の先生が言うには落ち着いたら戻って良いって……特に後遺症もないってさ」

 

「そうか」

 

 

 淡々と受け答えをする大和に、先程ラウラに対して向けたような怒りの感情は見られない。普段、誰かに対してあまり怒ることがない大和。少なからずこの学園にも大和の存在を快く思わない生徒や教師もいる。大和が廊下を通る際に、陰口をする生徒もいない訳じゃない。その生徒にさえ、今まで一度も大和は怒ったことが無かった。

 

大和がIS学園に来てから本気で怒ったのは二回。

 

一回目は入学早々に当時は高飛車で高圧的な態度だったセシリアから家族を馬鹿にされた時、あの時も周りに有無を言わせぬ雰囲気を纏い、クラスの生徒を震え上がらせた。それでも本人は当時のことを深く反省し、二度と同じことはしないと言ってはいたが、今回はケースがケースだ。怒るなという方が酷だろう。

 

先程のことが無かったことかのように振る舞う大和の対応に、誰もが疑問に思うも、大和に聞くことはなかった。

 

場に居合わせているナギも不思議に思いつつも、大和のことを見つめる。視線をしたに向けていくと、ポケットの中に右手を突っ込んでいた。気のせいか、大和の右手には包帯のような何かが巻かれているようにも見える。

 

……いや、見えるのではない。実際に包帯を巻いていた。右手は大和が一夏をラウラから守るために近接ブレードを握っていたはず。

 

まさか―――と、ナギの頭に不安がよぎる。

 

 

「大和くん」

 

「ん? おぉ、珍しいな一夏たちと一緒にいるなんて」

 

「うん……ってそんなことは今はどうでもいいの! 大和くん、もしかして右手を怪我してるんじゃないの?」

 

「―――っ!」

 

 

気付かれたとばかりに、少しだけ大和の表情が歪む。しかしそれも一瞬の出来事で、すぐに元の表情へと戻る。ただナギの一言は、保健室にいる全員に大和が怪我をしている事実を伝えるには十分だった。

 

 

「え? そうなのか?」

 

「右手って……あんたまさかアイツの攻撃を受け止めた時に!?」

 

「そ、それなら早く保険医に見せた方が!」

 

 

一夏が、鈴が、シャルルが、口々に言ってくる。一同の反応に面倒臭そうな表情をしながらも、観念したようにポケットに突っ込んでいた右手を出す。

 

右手にはナギの言うように白い包帯が巻かれている。怪我の程度がどれくらいなのかは見ただけでは漠然としか判断が出来ないが、少なくとも絆創膏を貼ったり、消毒をしたりするだけで治るような怪我には見えなかった。

 

 

「あー……出血した箇所が箇所だけに包帯の巻き方は大袈裟だけど、実際傷自体は大したこと無いから安心してくれ」

 

「はっ……そ、そうなのか?」

 

「あぁ。そもそも本当にヤバかったら自分で治療なんかせずに、保険医に見てもらうさ」

 

「た、確かにそうかもしれませんが……」

 

 

結局は大和に上手く丸め込まれる。重症の怪我であれば、我流での処置は危険だ。怪我をした本人がそれは一番分かっていること。皆の前で何度も拳を握って開く動作を繰り返すも、大和に痛がる素振りはない。

 

やはり自分たちの杞憂だったのかと、皆が思い始めて言及を止める中、どうしてもナギだけは納得出来ていなかった。

 

その傷は本当にラウラの攻撃を受け止めたことによる傷なのかと。常識的に考えてISの補助なしで身の丈ほどもある近接ブレードを振り回したり、ISからの攻撃を防ごうとすれば手に傷くらいは出来る。それが生身の人間なら尚更だ。

 

それでも以前に無人機相手に生身で渡り合ったことのある人物が 、包帯を巻くほどの怪我になった理由はまだ別にあるのではないかと思えた。

 

過去の記憶を掘り起こして大和の本質、性格を考える。今回と同じようなケースの時、セシリアにキレた時、怒り収まらない大和はどうしたか。

 

 

「あっ……」

 

「どうした?」

 

「な、何でもないっ!」

 

 

声が出てしまい、大和に声を掛けられたため慌てて口を押さえる。確か、怒りを抑えるために握りこぶしを作りながら歯を食い縛って我慢をしていたはずだ。その時、大和の右手が血で赤く染まっていたのを思い出す。

 

当然普通の考えであればラウラの攻撃を受け止めた際に、その衝撃で怪我をしたと考えるのが妥当。

 

もしかしたら口調こそ冷静でも、すぐにでも相手を叩き潰したいほどに怒っていたのではないか。それを抑えるために必死に拳を握り締めていたのではないか。

 

どちらにしても想像にすぎない。真実を知るのは本人だけだ。

 

 

「とにかく重症になってなくて良かったよ。さて、じゃあ俺は……何だこの音?」

 

「音? 音なんてどこから……聞こえるな。何だこの音?」

 

 

真っ先に気付いたのが大和、次に一夏も気付く。遠くからこの保健室に向けて走ってくる足音が聞こえてくる。それも一つや二つじゃない、かなりの大人数の足音だ。複数の足音が重なって、まるで地鳴りのようにも聞こえた。

 

徐々に足音が大きくなってくる。既に保健室にいるメンバーは全員迫り来る足音に気付き、入口へと視線を向けた。

 

刹那、轟音と共に保健室のドアが開かれる。保健室は病人もいるから静かにしましょう……なんて常識はどこに消えたのか。開くと同時に雪崩れ込んでくる人混みの数々、それらは全てIS学園指定の制服を着ており、全員が生徒だと確認できる。

 

ガラガラだった保健室はものの数秒で満員語例。誰も入れないほどに保健室のスペースが埋まる。何のためにこんな場所まで駆け付けてきたかは分からないが、突然の出来事に皆が言葉を失って呆気にとられている。

 

 

「織斑くん!」

 

「デュノアくん!」

 

「霧夜くん」

 

 

駆けつけた生徒が口々に目標の名前を叫ぶ。自分が何かをやらかしたのかと、一夏は何故か拳銃でも突き付けられたかのように両手を上げた。そして名前を呼ばれた人物の中で一人、居なくなった人物がいる。

 

ただし人数が人数なだけに、誰も居なくなった事に気付かない。それ以上に一夏とシャルルへと全員の目が向いているのも関係しているだろう。

 

 

「な、何だ急に!?」

 

「え、み、みんなどうしたの? と、とりあえず落ち着いて……」

 

「これっ!」

 

 

一夏とシャルルの周りを取り囲む生徒たちが揃って出してくるのは学内の緊急告知が書かれた申込書だった。四角で覆われた箇所が二ヶ所ある。おそらくはそこに自分の名前を入れるんだろう。目の前に出された幾多モノ申込書を前に、状況を飲み込めずに動きが固まる一夏とシャルル。

 

そもそもこの申込書が何なのか自体分かっていないのだから、反応の返しようがない。仕方なく目の前に差し出された申込書に書き記してある説明事項を読み上げていく。

 

書かれている内容は今月行われる学年別トーナメントについてだった。書いてある文を順を追って読むは良いものの、文面が多く、一夏の読むスピードが徐々に落ちていく。

 

要約すると実戦的な戦闘を行うから二人でのタッグでの参加を必須条件とし、ペアが出来なかった場合は抽選に選ばれたもの同士でペアを組むことになる。

 

締切の項目について読み上げようとすると、それより先に痺れを切らした生徒が待ったをかける。

 

 

「ああ、そこまでで良いからっ! と、とにかく!」

 

 

全員が某告白番組に出ているかのように、一斉に礼をしながら手を差し出してくる。ある一種のホラーにしか見えない。一夏の顔は既に異様な恐怖感からひきつっている。

 

 

「私と組もう、織斑くん!」

 

「私と組んで、デュノアくん!」

 

「私と組みましょう、霧夜くん! ……ってあれ? いない?」

 

「前世の頃から愛していましたっ!」

 

 

 何をどうして学年別のトーナメントがタッグでの参加が必須になったのかは分からないが、ここに押し寄せて来た生徒たちにとっては少しでも男子という異性とお近づきになれるチャンスでもあった。

 

これだけの人数が押し寄せた理由としては、我先にと思ったところが大きい。ただしその考えを持つのは一人や二人の生徒だけではなかったようで、保健室に大勢の人間が押し寄せる自体になっている。

 

出し抜こうと思ってもこれだけの人数が集まってしまったら、全く意味がない。もはやその状況で一夏やシャルル、そして大和から選ばれるのは難関校を受験して合格を貰うよりも困難をきわめる。

 

幸い学年別のタッグトーナメントということもあり、押し寄せてきているのは一年生のみなのか救いか。これが全学年合同だとしたら、保健室には混沌とした地獄絵図が広がっていたに違いない。

 

 

「えっと……」

 

 

一夏がシャルルの方を向くと、勢い良く迫ってくる生徒たちの手に、たじろいでいるシャルルの姿がある。彼女の性格上、お願いされると断り辛いんだろう。どう反応を返せば良いのか分からずに立ち尽くす。

 

加えてシャルルは女性であり、誰かとタッグを組むと特訓を行った際に正体がバレるとも限らない。シャルルの正体を知っているのは一夏と大和の二人。これ以上、変にシャルルの正体が学園中にバレるのは一夏としても防ぎたいところ。

 

どうしようかと考えていると、助けを込めて困り果てた顔で一夏を見つめる。視線が合った瞬間に再度顔を背けてしまうことから、あまり長く一夏のことを見つめていると助けを求めるのがバレてしまうと思ったらしい。

 

助けを求めることが生徒に知られれば、私たちとタッグを組みたくない理由があるのかと、怪しまれる可能性もある。もしシャルルの周囲を調べられたら、女性だとバレてしまうかもしれない。

 

彼女を助けるためかどうかは分からないが、相変わらずの喧騒に包まれる保健室中に響き渡るように、一夏は声を張り上げて宣言した。

 

 

「悪い! 俺はシャルルと組むから諦めてくれ!」

 

 

声高らかに宣言したは良いものの、言った後で一夏は気が付いた。先程まで喧騒に包まれていた保健室が、水を打ったように静まりかえっているのを。もしかして自分は言ってはならないことを言ったんじゃないだろうかと気まずくなる。

 

 

「まぁ、そういうことなら仕方ないか」

 

「確かに、他の女子と組まれるよりはいいし……」

 

「冷静に考えて見れば織斑×デュノアってのもありね! 今年の夏は織斑×霧夜で行こうと思ったけど、カップリングも中々……」

 

「あれ、そういえば霧夜くんは何処行ったの? ここに居なくない?」

 

「え?」

 

 

一夏とシャルルが組むことが決まり、納得しない面々も何人かいるも、強引に自らを納得させて保健室を去ろうとした時だった。

 

さっきまでいたはずの大和の姿がない。

 

一夏とシャルルをペアに組むということは出来なかったが、まだ可能性があるとしたら大和だけになる。既に男性が三人いるうちの一夏とシャルルは互いにペアを組むことが決定している。

 

たが、奇数ってことは一人が必然的に溢れることになる。残っているのは大和のみ、一年生どころか全学年を探しても男子生徒はもういない。

 

 

「織斑くんとデュノアくんはダメ……でも」

 

「まだ霧夜くんが残っている……ってことは」

 

「チャンスはある……?」

 

 

落ち込みかけていた生徒たちの目がギラリと光る。まるで獲物を見つけた獣のように。これはマズイと、一夏とシャルルは共に冷や汗を流し始める。シャルルを守ったはいいが、結局大和があぶれたことで次なる標的は大和に切り替わることに。

 

だがもう時は既に遅し。新たな標的を見つけた生徒たちは次々に駆け足で保健室を出ていく。

 

 

「急ぐわよ! 何としても霧夜くんを見付けるのよ!」

 

「抜け駆けなんてさせてなるものですか!」

 

 

一人、また一人と保健室を去っていく。賑やかな保健室は一瞬のうちに静まり返り、その喧騒は廊下に移動し、やがて聞こえなくなった。保健室に取り残されたのは、最初からいた五人と……。

 

「……一夏、お前後で覚えておけよ」

 

 

隠れていたベッドの下からひょっこりと出し、顔をヒクつかせながら一夏をジト目で睨む大和だけだった。

 


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