「……」
「ふ、二人とも大丈夫?」
無事にIS実習を終えて更衣室に戻ってきた大和、一夏、シャルルの三人。だがたった一人を除いて他の二人は先程までの訓練が相当応えたようで、ぐったりと疲れ切っていた。大和に至っては完全に無言のまま、もはや話す気力すら無く、肉体的に疲れたというよりは精神的に疲れたといった表情だ。一夏も一夏で、ぐったりとしたまま話す元気すら湧かないのか、シャルルの言葉に返すことが出来ずにいた。
二人の様子を心配そうに見つめるシャルルだが、ここでようやくある程度気力が戻った大和がシャルルの言葉に返答する。
「全然大丈夫じゃない。それよりもシャルルは全然平気なんだな」
「え……? う、うん」
「へぇ、あれだけお姫様抱っこをしてたのに、何ともないって凄いな。手つきとかも手馴れてたし、フランスではよくあることなのか?」
「そ、そんなことないよ。た、偶々耐性があっただけじゃないかな?」
ISの実習訓練に何をどうすればお姫様抱っこという単語が出てくるのか、そして大和と一夏が何故疲れているのか、その原因は実戦の後のISを使った歩行訓練にあった。
「―――じゃあ俺たちは俺たちで始めようか、あまりゆっくりしていると織斑先生に怒られるし。ISの希望はあるか?」
「霧夜くんにお任せします!」
「そうだね、あまり選んでも私たちじゃまだ分からないし!」
「ん、了解。じゃ、適当に一番近くにあるやつにしようか」
時間は再びIS実習に戻る。
セシリアと鈴、真耶による戦闘実演を終え、今度はグループごとの実習に差し掛かっていた。
グループ分けは初め、男子三人組に両クラスの生徒たちが押し寄せるという極めて予想できた事態が起きた。単純にお近づきになりたい男子に集まったわけだが、あまりにも収拾がつかなかったため、千冬さんが一喝のもと出席番号順に並ばせて強制的に振り分けることで収拾を付けた。
運よく男子チームに振り分けられこの世に生まれてよかったと喜ぶ者がいる反面、セシリアや鈴、ラウラのチームに振り分けられた者の中には、やはりどこか納得がいかない子もいるらしく、羨ましそうに男子チームの方を見つめていた。
振り分けられたチームごと、用意されたISを取りに向かう。大和の班も同じグループの生徒たちとISを取りに向かう。幸い特にどのISが良いなどの希望もなかったため、一番近くにあった打鉄に決めた。一組と二組と互いに別々のクラスだというのにグループの行動は早かった。
千冬が大和をグループのリーダーにしたのは、その方が一人に掛ける少なく効率よく実習が行えると考えたからだろう。それと専用機を持っていなくても、いつぞやのクラス代表決定戦での身のこなしを見て、十分に出来ると判断したのも理由の一つだ。
(しかしあれだな。こうして改めて見ると、中々に男にはきつい光景だなこれ)
大和がいかに凄腕の護衛とはいえ、年齢的には思春期の男子と何ら変わらない。あくまで仕事と私生活は完全に別物だ。
周りは見渡す限り、スクール水着と何ら変わらない服装……むしろ変にソックスを履いているあたり、更にラフさが際立つものになっている。加えてIS学園の生徒は美少女、スタイルがいい子が多い。
女性特有の膨らみがスーツ越しにもはっきりと分かってしまう上に、下手に視線を下に向けようものなら露出している太ももが目に入ってしまい、返って危険にさらされるのを大和は知っている。
よく面と向かって女性と話すのが恥ずかしいという男子がいるが、IS実習中は逆で、面と向かって話さないと更に恥ずかしい思いをしてしまう。
準備が終えて、いよいよ本格的なIS実習へと入っていく。
「よし、最初は誰にする? なるべく積極的に「はいはーい!」……早いな。って相川か」
「ぶー! 何その興味なさそうみたいな反応は!」
大和からの返しがお気に召さなかったのか、頬をやや膨らませながらブー垂れる清香の姿が。学食でもたまに一緒に食事をする仲のため、二人の距離感は比較的近いものがある。
大和は仲良くなった相手には気軽に接するが、たまに返事が雑になることがある。本人としては悪気は無いが、清香の反応を見てちょっと婉曲して伝わってしまったことを悟り、微笑みを浮かべながら弁明する。
「違うっての。興味ない訳じゃなくて、気軽に話せる相手だからだよ」
「そ、そうなの?」
「あぁ。ま、俺の言い方もちょっと悪かったな、ごめん。時間も押していることだし、パパっと進めていくか。相川は今まで何度かISに乗ったことあるよな?」
「あ、うん。授業では何回か」
「だよな。じゃあとりあえず装着を終えたら起動して、歩行までやってみようか」
「うん、分かった!」
そこからの行動は早く、外部コンソールを開いてステータスを見て異常が無いことを確認し、素早くISの装着を終えて一歩ずつ、丁寧に歩き始める。足が動く度に一定の機械音が聞こえてきた。
もし上手く動かすことが出来なければ、機械音はまちまちな上に、金属同士が変に擦れ合う耳障りな音も入ってくる。それが一切無いってことは、動かし方が上達している証拠だ。
何度か動かしたこともあり、動きに若干のぎこちなさは残るものの、十数メートルを難なく往復し、ISから飛び降りて次の生徒にバトンタッチをした。
「ふぅ……緊張した」
「歩行に関してはほぼ完璧だな。後はもう少しスムーズに出来たらってところか」
「だね。今度はもっとちゃんと歩けるように頑張るよ!」
「あぁ! その意気だ!」
誉められたことに笑顔を浮かべながら戻っていく。大和としてはこれって指導になっているのかと疑問を抱きながらも、次の生徒を呼び寄せる。
「霧夜くん、よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしく。早速―――」
ISを起動してみようかと声を掛けようとしたところで、大和の口が止まる。起動するためには当然、座席に座らないといけないのだが、その座席が大和の身長よりも高いところにあることに気付いたからだ。
本来、打鉄は屈んでから止めないといけない。なぜなら、そのままの状態では座席に届かず、乗ることが出来ないから。大和も一言添えるのを忘れていたらしく、目の前の打鉄はものの見事に立ったまま待機状態になっていた。
もちろん上れないこともないが、お世辞にも安全とは言えない。どうしたものかと、その場で腕を組み首をかしげる。
「あー……さすがにこれじゃ乗れないよな。うーん、どうするか」
「どうしたんですか霧夜くん?」
悩む大和に鶴の一声が。声のする方を振り向くと、ISスーツを身に纏った真耶の姿があった。凛としたクールな雰囲気の千冬に比べると、どちらかと言えば童顔な真耶は生徒だと勘違いされても何ら不自然はない。
ただ一ヶ所を除いては、だが。
その一ヶ所、強烈な存在感を発する一部分から目をそらしながら、今起きている現状を説明し始める。
「ちょっと操作ミスで、ISが立ったままで待機状態になったんですけど、どうすればいいですか?」
「うーん……でも代替え機は無いので、何とかしないといけないですね」
「ですよね……もし残っていればそれで代用出来たんですけど」
あわよくば替えの機体が残っていればと淡い期待をするも、それは一瞬にして砕かれることとなった。替えられないってことは、この機体を使うしかないことになる。うーんと頭を悩ませながらこの後どうしようかと考える。
幸い高さがそこまで高いわけではないので、大和が下で土台になれば何とか座席に着くことは出来るだろう。あくまで届くだけで結局は登らなければならないし、土台は良くないのでもし滑ったらという話になる。
「何、最悪霧夜が抱えてやれば良いだろう」
「はい?」
真耶の後ろから声が聞こえてくる。その内容に思わず大和は上擦った声で聞き返す。一体何を言っているのかと。
「あの、ちふ……織斑先生。抱えてって言うのは?」
「言葉通りの意味だ。普通だったら絶対にやらせないが……まぁ、お前なら出来るだろう」
「いや、あの……この際出来る出来ないの問題ではなくて―――」
からかいの意味を込めてニヤリと笑う千冬の姿が、大和には一種の悪魔のように思えた。助けを求めるように真耶に視線を向けるが、苦笑いを浮かべるだけで事態は何も変わらない。
いくら状況が状況とはいえ、色々な意味合いで危なすぎる。年頃の女の子を年頃の男が抱える。ようはお姫様抱っこをして、機体に乗せろという意味だ。
そもそもお姫様抱っこをしてISに乗せる行為自体が危険なもののため、普通はやることがないし、やらせない。
もっと他の方法があるだろうと反抗する大和だが、時間は限られている。新しい機体を用意しようにも、わざわざ取りに行っていたら時間がなくなる上に、学園にある機体は限られている。
他のクラスも実習で使うわけで、必ず代わりの機体を用意できる訳ではない。
「ふむ。このままでは埒があかんな。霧夜、グループの全員にどうしたいか聞いてみろ。今の話はしっかりと聞いているみたいだからな」
「え、話って……げっ!?」
後ろを振り向いた先には、結局この後どうすれば良いのか分からずにいた生徒たちが押し寄せていた。少し頬を赤らめる者、恥ずかしさから俯く者などなど彼女たちの表情は様々だ。しかしこの反応から、話を聞かれていたのは分かる。
完全に話を聞かれていた大和は思わず声を上げて、事態の収拾させようと口を開こうとする。
が。
「ち、ちょっと恥ずかしいけど……ねぇ?」
「うん。それしか方法が無いなら仕方ないよね」
「霧夜くんが変なことをするとは思えないし」
すでに、彼女たちはお姫様抱っこに賛成する方向で話を進めていた。どうして誰も反対派がいないのか、年頃の女の子であればと淡い期待を込めたのに、むしろグループは千冬の意見に賛成だったらしい。
その後、周りからの視線や抱えた時の地肌の密着度のせいで、大和一人が異常なまでに気疲れしたのは言うまでもない。
「改めて思い返しても、あれは地獄だろ。公開処刑にもほどがあるわ。しかも決め手になったのがよりにもよって……」
「タイミングよく、一夏が篠ノ之さんをお姫様抱っこで運んでいたから、だっけ?」
「あ、あれはたまたまだって! あんなの狙って出来るわけないだろ?」
じろりと一夏のことを見つめる。大和のお姫様抱っこを決定してしまったのは、たまたま同じタイミングで、ISを立ったまま待機させてしまったのが引き金だったりする。当然、一夏に悪気は一切ないので、大和もそれを責めるようなことはしなかった。
一夏のグループの光景を目の当たりにしたことで、大和のグループの認識は織斑くんもやっていることだし的な考えになってしまい、もう後にも引けなくなってしまった。このまま実習を中断させる訳にも行かず、渋々大和は次の子を抱えてISの操縦席に座らせることにした。
ところが、あれほど屈んでISを待機状態にしてくれと言ったにも関わらず、乗る生徒乗る生徒全員が立たせて待機状態にする始末。途中からは大和もこれが定めだと腹を括り、一人一人を丁重に抱えながら実習を進めた。
女性特有の香りと十人十色の体の柔らかさと戦いながら、午前中の実習を終えたわけだが、もう二度とやるかと決心したことだろう。
別に一夏のせいではないと言いながらも、変に思い返すと先程の光景が鮮明に戻ってくるらしく、苦虫を噛んだような表情を浮かべる大和。
「知ってるって。でもあれはもう勘弁だな、いくらなんでも精神的にきつい……っと」
「……っ!」
ISスーツの上着を脱ぎ、ペーパータオルを片手に軽く身体を拭いていく。その様子を苦笑いを浮かべる一夏と、顔を赤らめながら大和の着替え風景から目をそらしているシャルル。
平静を装いながらも、大和の頭の中にはいくつかの疑問が浮かんできていた。横目でシャルルの様子を伺いつつ、ほんの少し目を細めながらシャルルから視線を外す。
明らかに反応が不自然過ぎる。それが大和の率直な意見だった。
高校生ともなれば、更衣室で上半身裸になることくらいはいくらでもある。水泳の授業なんかでは基本上半身裸のため、教室で突拍子もなく服を脱ぎ出す……なんて奇行がなければ特になんとも思わない。
シャルルが多少、男性の体を見ることに抵抗があるとしても、ここまで反応が如実だと大和としても疑わざるを得なくなってくる。
シャルル・デュノアが何者なのかと。
シャツを素早く着ると、だらんと垂れたワイシャツの端をズボンの中にしまい、首もとだけボタンをはだけさせる。
「にしてもISスーツって便利だよな。吸水性良いから汗をかいてもすぐに吸ってくれるし」
「あー確かに。IS実習の時は汗だくだけど、更衣室戻ってくると乾いてるしな。実習の後、ベタベタの状態で授業受けなくて済むし……ところでシャルルってどこのスーツ使っているんだ?」
「僕? 僕はデュノア社製のオリジナルだよ」
「へぇ~。……あれ、デュノアってもしかして」
「うん。父が社長をしてるんだ。……一応フランスでは一番大きなISの会社だと思う」
引っかかった疑問を一夏が何気なく口にすると、シャルルが思っている通りだと顔を縦に振る。大和に関しては先程のIS実習の時に気付いていたため、特に何かを聞こうともせずに淡々と二人の話を聞くだけだ。
話の内容を整理するとシャルルは一大企業の社長の息子にあたる。自分の会社のことを話すのは苦手なのか、話をするシャルルの表情は浮かない。浮かないというよりも暗い、苦手ではなく明らかにあまり話したくないようにも見えた。
しかし暗い表情もほんの一瞬で、すぐに元のにこやかな表情に戻っており、一夏は変化に気付かず話を続けていく。
「そっか。なんつーか、シャルルの立ち振舞いって気品があるっていうか、良いとこ育ちって感じがするとは思ってたけど、納得したぜ」
女性の前で自己紹介した時の落ち着きや、物腰の柔らかさはとても同年代の男子とは思えないところがあり、どんなところで育っていたのかと気になっていたようだ。腕を組みながら深く頷く。
「良いとこ育ち……か」
小さな声でぼそりと呟くその言葉は、吐き捨てるようにも見えた。二人の目に入ったのは誉められたことによる照れ臭い表情ではなく、どこが良いとこなのかと、悲しげな表情で遠くを見つめるシャルルの姿だった。
表情の移り変わりに、何があったのか分からずに一夏と大和は顔を見合わせる。
まだ知り合って間も無いため、互いに考えていることが読め合える訳ではない。妙な雰囲気が流れつつある状況を変えようと、大和が口を開く。
「……まぁそれはいいとしてだ。今日の昼なんだけど、いつも通り食堂でいいよな?」
話題を強引に逸らし、今日の昼食はどうするのかと二人に問いかける。シャルルは転校初日なわけだし、これを機会に同じ男性として仲を深めるのも良いだろう。千冬さんからも面倒は任せたと頼まれていることだし、何より数少ない男性として踏み込んだ会話もしたい。
プライベートな話も勿論だが、大和としてはISに関することも聞いてみたいと思っている。
というのも、先の実習で分かったことで、シャルルも一夏と同じ専用機持ちで、稼働時間は一夏よりもかなり長い。具体的な数字は分からないものの、それでも経験者目線の話から学べることも多いはずだ。
シャルルに対する疑問が解けたわけではないが、それでも一人の男性として仲良くしたい。そこにやましい気持ちや、疑いの気持ちは微塵もなかった。
が、一夏から返ってきたのは予想しない返答だった。
「あー、悪い大和。今日はちょっと先約があって屋上なんだよ」
「屋上? 何でまたそんなところで……いつも学食なのに珍しい」
「箒が今日は弁当を作ってくれたらしいんだよ。いつも学食の定食だったから、たまにはってなってさ」
「なるほど。それなら仕方ないな」
内心大和としては驚いたが、すぐにその表情は明るいものになっていた。一夏を取り巻く関係、箒、セシリア、鈴の三人は一夏に好意を持っている。大和としては、この三人が恋愛事で絡むことに関してあまり手出しをするつもりはなく、遠くから父親感覚で見守っていた。
この時点でシャルルを一夏と共に屋上に向かわせて一人で済ますか、シャルルと二人で昼食にするか、選択肢は二つに一つになる。自分の独断で決めるわけにも行かず、念のために隣にいるシャルルにどうしたいかを聞く。
「んー、シャルルはどうする?」
「僕はどっちでも。ただ僕も今日はお弁当だから……」
「今日に限って皆弁当かよ!? そうなると俺だけ学食で定食を頼むのもなんかなぁ……」
シャルルの返答の前半は大和の予想通りだったものの、後半に関しては完全に予想外だったらしく、目を見開いて驚きと残念さが入り交じった表情を見せる。
屋上についていかないのは言わずもがな、そこまで野暮なことはしない。折角の機会だし、一夏と親密になるチャンスでもある。
大和自身は特に一人でも全く問題ないが、逆にシャルルはどうしようかとなる。二人きりなのはちょっと寂しいだろうし、かといって別々にしたらそれもそれで可哀想だ。大和はもう慣れているので特に問題は無いだろうが、シャルルはまだ転校初日で、分からないことも多い。
良い案はないかと考えてみるものの、特に思い付かずにうーんと唸ることしか出来ないでいると。
「ん? 別に大和とシャルルも来ればいいだろ? 飯は皆で食った方が上手いし!」
一夏が皆で行こうと提案する。それが一番だと最初から分かっているが、どうにも邪魔をしたくない一心が一夏の誘いを断らせる。
「そうしたいのは山々だけど、そうも行かないんだって」
断りを入れた理由が分からずに、頭にハテナを思い浮かべながら大和を見つめる。しかし断られたなら仕方がないと割り切り、今度はシャルルの方を向く。
「よく分かんないけど、大和は来れないのか。それならシャルルだけでも行くか?」
「え、僕?」
「あぁ。転校初日だし、一緒に飯食おうぜ!」
「う、うーん」
「ん?」
一夏が誘ってくれてるのはありがたいが、大和の方を振り向いたシャルルの顔は複雑そうなものだった。恐らく自分が一夏についていくと、大和が一人になってしまうのを気にしているんだろう。一夏と大和を交互に見ながら、どっちに行こうかとオロオロする仕草が小動物みたいで可愛らしい。
しばらくの間静観していた大和だが、やがてニヤリと微笑むと。
「流石に俺と二人きりなのはあれだし、篠ノ之も分かってくれるだろうから、それが一番良いんじゃないか」
シャルルの背中を後押しするように、一言伝える。大和の言葉に若干の戸惑いを見せながらも、どこか納得したようにコクりと頷く。自分に気を遣ってくれたことに感謝しつつも、同時に込み上げてくるのは申し訳なさだった。
「分かったよ。ごめんね大和、気を遣わせちゃって」
「気にするなって。……正直、本音を言うと俺もたまには違う空気で食事したいってのもあるんだけどな。ま、男同士の積もる話は後でも出来るからゆっくり話そうぜ」
「うん、ありがとう」
「よし、じゃあまた午後の授業でな。俺も今度からは弁当でも作ってくるよ」
今だ着替えている一夏とシャルルを更衣室に残し、足早に食堂へと向かうのだった。
「さて、今日は久しぶりに一人で飯か……」
二人と別れた大和は一人で学食に来ていた。相変わらず多くの生徒でにぎわいを見せる中、たった一人で男子が現れたことで、周りの視線が一気に集中する。思えばここ最近、一人で昼食をとった覚えがない。
着替えを終えて教室に戻った時には、既に教室の中はもぬけの殻。大和たちはわざわざ第二グラウンドから遠く離れた更衣室を使い、女性陣は教室を着替えの場所に選んでいるのだから、どちらが早く着替え終わるかなど、用意に想像がつく。
誰を誘うこともなく一人で食堂へと向かったわけだが、いつもはここに一夏を筆頭に誰かしらと昼食をとっていたわけだから、変な感覚になるのも無理はない。むしろナギなどの女の子と毎回食事を一緒にとれているのだから、それだけでも普通の男子高校生と比べて羨ましい環境にある。
それを何とも思わなくなったのは、大和の感覚がIS学園に来たことで変わったからだろう。一通り奥のあるテーブルを確認するものの、どこも人で溢れていて、座るスペースはほとんど見当たらなかった。
ただ折角食堂に来たのだからと、長蛇の列を作る券売機の列に並ぶ。すると大和が並んだことに気付いた前の生徒たちが、大和の方を振り向く。
「霧夜くんが一人きりなんて珍しいね。今日は織斑くんとは別なの?」
「あぁ、今日は偶々別行動でさ。初めてなんだよな、ここに来てから一人で飯食うのって」
そうなんだ、と返しながら再び券売機の方へと向き直る。別の生徒に言われて改めて自分が常に一緒に誰かと食事をとっていたことを再認識させられる。同時に誰もいない物足りなさを覚えつつ、徐々に減っていく列を前へと進んでいく。
やがて券売機の前に来ると、素早く食券を購入し、それを隣にある受付のカウンターに渡す。すると中で働いている従業員の一人が、いつも大和の周りを取り巻く生徒がいないことに気付き、首を傾げながら大和へと視線を向ける。
その表情の変化に大和も気付き、苦笑いを浮かべながら返す。
「あら、珍しいわね。あんたが一人だなんて。いつもの子達はどうしたんだい?」
「どもっす。今日は訳あってぼっちになりました」
「そうかいそうかい、フラれたのかい! じゃあ、いつもより多めにサービスしとくよ!」
「ありがとうございます!」
日常会話のごとく出てくるジョークを、いとも容易くスルーをしながらいつもより量が多く盛られた定食をお盆の上に乗せる。
今日の定食は麻婆茄子定食で、挽き肉の餡が絶妙な感じでマッチングした茄子から湯気が上がり、少し辛口の香りが鼻腔を刺激する。
お盆を手に取り、どこかで空いている席はないかと辺りを見渡しながら空席を探す。が、時間帯的に丁度ピークの時間のせいで空席が全く見当たらない。この際とりあえず座れれば良いと思いながら探すも、席という席は全く空いてなかった。
「参ったな、流石に立ち食いするわけにもいかねーし。一ヶ所でも良いから空いてくれていると助かるんだけど……」
一人の時に限ってついてない。
内心そうぼやきながらも、お盆を持ったまま食堂内を歩き始める。入学者の人数に合わせて作られているはずの食堂が、どうして定員オーバーになるのか。頭の中では疑問を抱きつつも、今はそんな疑問よりどこか空席を見つける方が先決だ。
諦めずに空席を探していると、ふと窓際の一点に視線を止める。目の錯覚でなければ座っている生徒の対面が空席になっているように見えた。その生徒はこちらに背中を向けているため、空いているのは窓際の席。
大和以外にも席を探している生徒がいるのに、そこだけ何かの障壁でも守られているかのように、誰一人として近付く生徒はいなかった。生徒が座っている隣の席の生徒も、不自然に反対側に寄っていて近付こうとしない。
近付いていくにつれ、何気なく周りとは違う雰囲気がそこ充満しているのが分かった。それは明確なまでの拒絶、誰一人として近付けようとしない雰囲気に、どこか見覚えがある後ろ姿。
無造作に、なのに毎日手入れをされているかのように、真っ直ぐと下に伸びた銀髪。座っていても分かる小柄な体躯。
少しの間生徒のことを眺め、やがて意を決したようにその席へと近付く。窓際まで移動すると、机の上にお盆を乗せる。
「前、座って良いよな?」
大和の声に気付き、口に運びかけていたフォークを皿の上に置く。ゆっくりと顔をあげ、顔を確認した刹那。
「……なっ!? 貴様は!」
表情が一瞬のうちに鬼の形相に変わり、大和のことを睨み付けるラウラ・ボーデヴィッヒの姿がそこにはあった。今朝教室で自分が何をされたのか思い出したのだろう、今にでも飛び掛かりそうな鋭い剣幕だ。握り締めたフォークが力を込めたことで、小刻みに震え始める。
教室での出来事とは、出会い頭に私怨で一夏を叩こうとして、それを大和に止められたというもの。
邪魔をされた挙げ句に散々手玉に取られたのだから、ラウラの軍人としてのプライドを傷付けた形にもなる。ただどんな理由があれど、人をいきなり殴るのはとても誉められた行為ではない。実際大和も、殴られるのを黙って見過ごせというのかと反論した。
ギスギスとした今朝の一件もあり、二人の周りには誰が見ても分かるくらいの不穏な空気が流れている。近くに座っている生徒に関しては、一切二人の席には顔を向けようとしない。遠くに座っている生徒も、チラチラとこちらを見るだけで、近寄ってくることはなかった。
いきり立つラウラをよそに、淡々と席について何事もないかのように話を進めていく。
「そうツンケンするなよ。同じクラスなんだから、仲良くしようぜ」
「ふん。貴様らと仲良くする気なんて毛頭無い。これからは私の邪魔をするな」
「……そうかい」
なるべくフランクな感じで話し掛けたつもりだったが、今朝のことと元々のラウラの性格もあり、言葉少なに拒絶される。ラウラの反応は予想通りと、短い言葉を淡々と返しながら、食事を取り始める。
二人が言葉無しに黙々と食事をとる姿を、興味深げに周囲の生徒たちは見つめる。誰も近づかせないオーラを放っていたところに、この学園で二人しかいない男性のうちの一人が共に食事をしていれば、二人の関係に興味を持つのは当然。
実際、当人たちは別段顔見知りな訳ではない。関係値に関してはゼロに近い状態だ。現に二人と会話は大和が返事を返して以降、ピタリと止まってる。大和は箸を、ラウラはフォークを。共に音一つ立てずに口の中へと運んでいく。
「ちょっと聞いて良いか?」
いつもは誰かしら会話する相手がいるため、あまり食事のスピードも速くはないのだが、今日は誰も話す相手がおらず、一足先に昼食を終えた大和がラウラに声を掛ける。誰かに声を掛けられる行為が耳障りなのか、面倒くさそうに、しかし語気を強めて大和に返す。
「……何だ? 下らない質問なら切り捨てるぞ」
「物騒だな、もう少し物腰柔らかくても良いだろうに……まぁ良いや」
さらりと息を吐くように物騒な言葉を吐くラウラに対し、表情がひきつりそうになるのをぐっと堪え、言葉を続けていく。
「どうして一夏にきつく当たるんだ? お前に何かをした訳じゃ無いだろう」
過去に事情があれど、出会い頭に人を叩こうとするのは度が過ぎている。普通の学校であれば謹慎処分を食らってもおかしくない。過去に自分が何かをされていたとしても、公衆の面前で一夏を叩く行為自体が間違っている。
少なくとも先程の一件でラウラが一夏に対し恨みを抱いているのは分かった。ただその根本的な原因は分からない、それこそ些細なものもあれば、心の底に強く根付くほどのものかもしれない。
一夏の友達としての感情なのか、護衛の仕事としての感情なのか。どちらにしても野放しにするわけにはいかなかった。
「……」
大和の質問に沈黙を貫くラウラだが、握るフォークが微かに揺れている。よく見ると、フォークを握る手は小刻みに震え、かなりの力を込めていることが分かった。前髪に隠れて表情は見えないが、明らかに負の感情に染まっているのが確認できる。手に持っていた箸を置き、更に言及を続けていく。
「それとも、お前がドイツにいた時に織斑先生関係で何かあったとか?」
ラウラの恨みの核心であろう単語を単刀直入にぶつけると、こちらをじろりと睨み付けるラウラの姿が。その瞳はお前に何が分かる、私の何をお前が知っているとでも訴えるかのように真っ直ぐと大和のことを見つめていた。
やがて暫く黙りを決め込んでいたラウラの口から、彼女がどうして一夏を敵視するのか告げられる。
「……お前には分かるまい。織斑一夏が誘拐されなければ、教官のモンド・グロッソ二連覇は確実だった! 奴は、教官の顔に泥を塗った!」
「……」
理由を彼女が一夏を一方的に恨み、敵視する理由。それは千冬が一夏が誘拐されたことで、モンド・グロッソの二連覇を逃したからだった。一夏が誘拐された経緯は、大和も千冬の口から少しだけ聞かされており、大まかには把握している。
一夏がどこの誰に誘拐されたのかは不明。ただ誘拐された情報を提供したのはドイツで、一夏が未だにその時のことを負い目に感じていることまでは知っている。
ラウラの言い分は一夏の誘拐で、千冬の顔に泥を塗ったことが許せないとのことらしい。だがそれは完全なる逆恨み、小さな子供のワガママに過ぎない。家族の問題であって、ラウラがそこに介入するものでもない。
ましてやそれを恨むのは筋違いだ。
あまりにも単純で幼稚すぎる理由に、大きなため息を吐きながらラウラを見返す。一方のラウラはもう話すことはないと、再びフォークを使って食事を始める。
「なぁ、ボーデヴィッヒ。お前勘違いしてないか?」
「何?」
改めて声をかけた大和に怒気の籠った視線を向ける。
私の言うことを否定するのか、ラウラの表情は無言でそう伝えていた。もし楯突くようならお前も容赦はしない、軍人特有のさっきは見るものを震え上がらせるだろう。しかし常人であれば震え上がってもおかしくないラウラの視線を物ともせずに、淡々と話し始める。
「一夏が拐われて、織斑先生が二連覇を逃したのは事実だとしても、それをお前が逆恨みするのはおかしいだろ。一夏だって拐われたくて拐われた訳じゃない。許す許さない、認める認めないはお前の一方的な感情だ」
「ふん! 貴様も大概甘い。弱いから拐われたのだろう? 結局は織斑一夏の弱さが、教官の顔に泥を塗ることになった事実は変わるまい」
「お前なぁ……」
何を言っても会話のキャッチボールが成り立たない。頭が人よりも少し固いだけならまだしも、たちの悪い依存にも近い思考がここまで酷いものだとは大和自身も思わなかったことだろう。話しているうちに一つ分かったことは、ラウラの思考は良くも悪くも千冬基準になっていること。
良い意味で、ラウラは千冬のことを心の底から尊敬している。逆に悪く言えば依存していて、自分が尊敬している人間が誰にも話せないような汚点を抱えていることが許せない。
汚点の原因が一夏にあると判断すれば当然、怒りの矛先は一夏へと向く。それは一夏が何をしていなくてもだ。
ここまで来ると、ラウラの歪んだ思想を矯正するのは難しい。そう判断した大和は。
「―――それで人生楽しいのか?」
「何だとっ!?」
一言投げ掛けると、ラウラは語気を荒げ、身を乗り出しながら、空いている左手で大和の襟元を掴もうと手を伸ばす。が、左手が大和の襟元を掴むことは無かった。鬱陶しそうな表情を浮かべながら、寸前まで迫った左手の手首を大和は掴んでいた。
捕まれたことに目を見開きながら、引き抜こうとするも痛みがない程度に強く握られており、中々引き抜くことができない。
「……だから落ち着けって」
「ッ!? チッ!」
忌々しげに舌打ちをしながら、自分の席に座り直す。それと同時に大和も掴んでいた手を離して姿勢を正す。
「確かにお前にとって、織斑先生は強くて尊敬する人物かもしれない。でもお前が思っているほど、人は強くない。織斑先生も全てが完璧じゃないんだよ」
「貴様は教官を侮辱しているのか! 私にとって教官はっ!」
「ならどうしてお前は織斑先生の気持ちを考えない? お前の一夏への行為を見て織斑先生は喜ぶのか?」
「……」
大和の言葉に何も言い返せずに押し黙るラウラ。大和の言っていることは誰がどう考えても正論で、一夏がラウラに危害を加えられれば千冬とて黙ってはいない。見捨てているのならまだしも、最高栄誉を捨ててまで助けた千冬が、到底一夏を見捨てているようには見えない。
ラウラもそんなことは重々承知しているはずだ。それでも一度染み付いてしまった負の感情は簡単に拭い去れなかった。ラウラにとって千冬は理想とする人間であり、理想とする人間に弱味があると思いたくはないから。
大和から視線を外すラウラを見て、間を置くと付け加えるように一言添える。
「……どう思うかはボーデヴィッヒの勝手だ。だが、どんな理由があるにせよ、一夏に手を出して良い理由にはならない。もしもこれ以上危害を加えるようなら、容赦はしない」
「……っ」
淡々と話しているだけなのに、ラウラには大和からあふれ出てくる並々ならぬ威圧感を感じることが出来た。周りの生徒が何とも思わないところから、それはラウラ個人だけに向けられているものであることが分かる。自身に敵対の意識を向けられているわけでもない、無意識のうちに身体が動かない、視線が大和から反らせなくなる。
「じゃあな」
何も言い返せず居座るラウラをよそに、大和は席を立つ。最後にラウラが何かを言いかけるものの、その言葉が大和の耳に届くことは無かった。食堂を出た大和は教室までの廊下を歩きながら物思いにふける。
(……昔の俺とどこか似てるんだよな)
ラウラと話してみて一番最初に思ったことはそれだった。誰かとつるむこともせず、ましてや誰かを信頼することもせず。ただ孤独に生きようとするラウラの生き方に昔の自分と照らし合わせる。
昔の大和の周りは、信頼しようとしてもすぐに裏切られ、そしていらなくなったらすぐに見捨てようとする人間ばかり。親もいない大和に与えられたのは、虐待にも取れるような生活だった。
人間は都合の良い生き物として認識され、大和は誰一人信用しなくなった。信じられるのは自分だけ、尊敬する人物が誰もいない意味では、ラウラよりも重症だったのかもしれない。
今でこそある程度のコミュニケーションを取れるようになったものの、昔の大和しか知らない人間にとっては、同姓同名の全くの別人に思われても何ら不思議ではない。
大和を変えたのは今から約十年前に、大和のことを引き取った千尋だった。彼女も大和に一人前の生活をさせるために、相当な苦労をしたことだろう。
ふとマグネット同士がくっついたように、大和は廊下に立ち止まって考え込む。
「ドイツ……ドイツだよな。もしかしたら……」
何かに気付いたらしく、歩いている途中で人目につかないように教室から完全に離れた場所に向かって歩き始める。ある程度
教室から離れると、ポケットから携帯電話を取りだしある人物へと掛ける。教室を離れた理由としては、会話の内容を誰かに聞かれたく無いからだろう。
耳に当てたスピーカーからコール音が流れ、それが二度、三度繰り返される。
「あっ、もしもし千尋姉? 今ちょっと時間良い?」
電話を掛けた相手は他でもない千尋だった。電話先では大和からこの時間帯に電話が掛かってくるのが以外だったのだろう、驚きの感情が入り交じった千尋の声が聞こえてくる。
『大和? 今なら時間は大丈夫だけど……どうしたのこんな時に。お昼時に電話してくるなんて珍しいわね』
「ごめん、ちょっと気になることがあって。千尋姉って昔ドイツに仕事で行ってたことあったよな?」
『えぇ、ドイツ軍で総合格闘の教官としてね。それがどうかしたの?』
「どうかってわけじゃないんだけど、聞きたいことがあるんだ」
『聞きたいこと?』
わざわざこの時間に電話を掛けて聞きたいことは何なのか。話の意図が分からずに、大和の言うことに返事を返すことしか出来ない千尋に、一つの単語を投げ掛けた。
「―――ラウラ・ボーデヴィッヒって名前聞いたことある?」