「くそ! 思った以上に時間かかっちまった!」
寮で服を着替えること十数分。俺はアリーナに向けて全力疾走していた。何故全力疾走しているのかといえば、理由は二つ。
まず一つ目は先生、大和くんがいません状態を回避するためだ。観戦中にいなくなったのは事実で、いつまでも戻ってこないと何かあったのかと思われても不思議ではない。そもそもだったら何で黙って抜けたのかと突っ込まれそうだが、ケースがケースだ、今回ばかりは許してほしい。
二つ目、これは完全に個人的なことで、外のベンチにナギを一人放置したままだからだ。もう脅威事態は去ったため、特にナギ自身に危害が加わることはない。ただ無人機の攻撃に恐怖心を植えつけられてしまったせいで、足がすくんでしまい自力で立ち上がることが出来ないままだった。
あれから多少の時間は経つものの、まだ立つことが出来ないまま座っているかもしれない。本当ならすぐにでも現場に駆け付けたいところだが、それをしてしまうと俺が生身で戦っていた張本人だとバレかねない。バレても口外されない保証がない、それが一夏の耳に届いてしまえば今以上に護衛をしにくくなってしまう。
特に千冬さんにも隠密に頼むと言われていることだし、それは何としても防ぎたい。
今は急ぎたい、その一心でアリーナへと向かっていく。
「……」
―――アリーナの入口がはっきりと見えてくる。一筋の風が吹き、汗に濡れた前髪がフサフサと揺れるとともに、前方に今までなかった何かが目に入った。
前髪が目にかかるまではそこには何も無かった。たった一瞬目を閉じかけた時に急に現れたとでもいうのか。俺の目が節穴というわけではない、間違いなく目の前に誰かがいる。そしてその人物は俺のよく知っている人物であり……。
「待っていたぞ。霧夜」
「千冬さん、どうしてここに?」
俺の担任でもあり、俺に一夏の護衛を依頼してきた張本人……千冬さんだった。
何でここにいるのか、目的は何なのか、千冬さんのいつもより厳しい眼差しを見れば、おおよその想像くらいはつく。急ぐ足を止め、ゆっくりと近づいていく。千冬さんのことだ、別に取って食おうなんて考えてはいないだろう。
とはいえ、この場をハイそうですかと見逃してくれる気がないのも事実。話せることはすべて話せ、そう言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。
「私がここに来た理由くらい、お前なら分かるだろう?」
「さっきのことについて、ですか」
「そうだ。先に聞いておこう、お前はあの無人機が侵入してくることを知っていたか?」
「いえ、知らないです。そもそも俺が外に出ていたのは別件で用があっただけなので」
「別件? ……あぁ、更識か」
初めに聞かれたのは今回、アリーナに侵入してきた無人機に知っているかどうか。信じたくはないが念には念を、一個人としてではなく、生徒たちを守る学園の教師としての尋問だった。千冬さんが本心でどう思っているのかは知らないが、自分の生徒をおいそれと疑いたい訳がない。
当然だが、俺があの無人機について知っていることは何一つない。そもそも俺が外出した理由は、別の侵入者が学園に侵入したからで、無人機が現れるなど想像すらしていなかった。別にノストラダムスの大予言が出来るわけでもなければ、先を見通せる頭脳を持っているわけでもない。
別件で外に出ていたことを伝えると、少し考え込み、数秒も経たずして楯無さんの名前が出てくる。俺から千冬さんに手を組んでいることを話したわけではないが、何らかの情報が千冬さんの耳に入っているんだろう。
俺の言っていることが嘘偽りがないと判断し、千冬さんの警戒が幾分弱まる。表情も初めのものと比べれば、大分柔らかな表情へと戻る。
「つまり別件で外に出ただけで、無人機のことについては一切知らないということだな?」
「はい。俺はあの無人機について心当たりも無いですし、何一つ知りません」
「ふむ……まぁ安心しろ。更識と侵入者を撃退したことについては更識家の者から聞いている。そもそも私の質問はお前が嘘をつく人間でないかを試しただけだ、特に気にする必要はない」
「……随分と回りくどいことをするんですね、織斑先生って」
「何、お前だからだ。他の人間には試す真似などしないさ」
千冬さんのドSの雰囲気が混じった笑みが、いつぞやの意趣返しのような気がしてならない。心当たりがあるとすれば例の調理室での一件か。俺をいじめて楽しんでいるような感じもするが、今はそこを気にしている暇はない。
「あの、織斑先生。俺は……」
「ああ、すまんな。何、鏡なら私たちが保健室まで運んでおいたから、心配はいらん。心配なのだろう? 鏡のことが」
まだやり残したことがあると言い切る前に、半ば強引に言葉を遮断された。未来予知とはこのようなことを言うのか、正直もう慣れてきた。俺の周りの女性は皆、俺の考えている思考などお見通しのようです。
しかしまぁ、ここまで機転を利かしてくれたのはありがたいもの。どうナギの前に姿を現そうかと考える必要はなくなった。保健室にいるみたいだし、後で顔を見せるとしよう。今回は危険に巻き込んじまったわけだし、本当になんともないのか一回会って確認したい。
「ええ、まぁ。さすがに今回ばかりは俺も肝が冷えました。でも何とか助けれて良かったです。後お気遣い、感謝します」
「……私たちもすぐに動いていれば危険な目に合わせることはなかった。お前たちに任せてしまった自分が情けない」
「気にしないでください。大事にならずに済んで良かったです」
表情が暗くなる千冬さんを見て、思わず先ほどの自分と照らし合わせてしまう。千冬さんも普段は凛とした出来る大人の女性のイメージだが、全てのことを完璧にこなせるわけではない。ミスもするし、出来ないことや苦手なことだってある。
普段から表情に表さない人だからこそ、人一倍責任感が強い。千冬さんに多くの人が抱くイメージは、何でも出来る人、天才、努力などしなくても生まれもった才能があるといったもの。
でもその期待に応えようと、千冬さんは努力を続けている。モンド・グロッソでの輝かしい実績をはじめ、現役を引退した今でも全世界の憧れの的としてあり続けようとしている。
深く背負いすぎるな、それは今回俺が学んだこと。俺と千冬さんはどこか似ているかもしれない。失礼かもしれないけど、千冬さんの反応を見て何となくそう思った。
「んんっ! ……話が逸れたな。ひとまず、私からもお前に感謝したい。お前のお陰で最小の損害で食い止めることが出来た。それから一夏のことも、危険を省みずに守ってくれた。……ありがとう」
「織斑先生……」
「ただもう無茶をしてくれるな。生身で無人機に飛び込まれるのは、心臓に悪い。お前も私の大切な生徒だ、さすがに死なれては気分も悪い」
「あはは……分かりました」
最後は半分ジョークのつもりで言ったのか。はじめのうちは心の籠った感謝だったが、最後はうまく言葉を濁された気がした。
それよりも自分の担任に、大切な生徒と言って貰えることが俺にとって何よりも嬉しい。
無茶をしてくれるなとはいえ、どうしようも無いときだってある。出来ることなら俺もISに乗ってアリーナに乗り込みたかった。しかし、学園中のISが全て起動しなかったのだから、とれる行動としたら一つしかない。
……大半の人間には黙って見守れよとか言われそうだけど。
とにかく、大事にならなくて良かった。
一つどうしても許せないとするなら、何にも関係ないナギを狙ったこと。無人機だから判断する能力が乏しく、ナギのことを敵だと認識してしまったのだと思ったが、本当にそうなのかと。
そもそもどこが無人機を送り込んできたのかも気になる。ISが勝手に起動して、偶々IS学園に侵入したと考えれば納得できるかと言われても、納得出来るはずがない。偶然にしては出来すぎている。
無人機だった事実は変えられないものの、それがどのような過程で送り込まれたのか。調べていけばどこの誰が送り込んだのか分かるかもしれない。
ま、無人機自体は学園に回収されるだろうし、調べることはほぼ無理、素直に諦めるしかなさそうだ。
どうすれば良いか考えていると、再び千冬さんが口を開く。
「で、だ。今ISの回収をしている。その後すぐに解析を始めるが、結果は変わらんだろう。今回のことについては現場にいた全員、口外することを禁止する」
「分かりました」
「お前は口が固いだろうからこれ以上は言わん。とにかく、今回の件についてはこれで終わりだ。それと……」
「はい?」
「……」
「……織斑先生?」
「いや、何でもない。これを聞くのは無粋だったな」
「?」
千冬さんにしては珍しい行動だった。途中まで何かを言いかけて、思いとどまるように口をふさぐ。そして俺から視線を逸らして、やや俯き気味に下へと向けた。
何を言おうとしていたのか、寸でのところで止められると地味に気になるのが人間の性というもの。
無粋ってことは聞こうとしていた内容が野暮なものだったってことなのか、俺は千冬さんじゃないし何を考えているのかまでは分からない。
それともわざわざ俺に言うようなことでもなかったと気づいたのか。
……結局何か分からず、頭の中にモヤモヤが広がるか否かといったところで考えるのをやめた。深く気にしたところで何かが変わるわけでもない。その一言で俺が地獄の底へ叩き落とされるのなら話は別だが、常識的に考えてあり得ない。
「話を戻そう。とりあえず他の生徒はアリーナで待機してもらっている。今なら戻ってもさほど怪しまれんだろう。あれだけの騒ぎだ、隣に誰が居たかなんて覚えていないさ」
「そうかもしれませんね……たった一人を除いて、ですけど」
「そこに関しては私たちはどうにも出来ん。お前の方でうまくやってくれ」
「ですよね。うーん」
隣に誰が居たかなんて覚えてないと言われても、席を立つ時に完全に顔を見られていたら話は別。顔を見られるだけじゃなくて、声までかけられているのだからバレていてもおかしくはない。
ナギには申し訳ないけど、本当だったら声を掛けてあげたかった。それだけ心配だったから。でも出来なかった、ここで正体をバラす訳にはいかなかったからだ。
左肘についた擦り傷がほんの少しだけ痛む。
走った勢いそのままに飛び込んだため、出血自体は普通の擦り傷よりも多かった。傷自体はそこまで深くはなく、絆創膏さえ貼っておけば十分に止血は出来る。
ただあの状況でそんなものを持っているわけもなく、止血をしている場合でもない。そのままアローナへ戻ろうとした矢先に、呼び止められた。
左肘に貼られた絆創膏が血が外に流れ出すのを塞き止めてくれている。丁寧に貼られたそれは、そう簡単に剥がれることはないだろう。その時の光景ははっきりと脳裏に焼き付いている。
治療をするナギの表情からは申し訳無さしか伝わって来なかった。
何を反省することがあるのか、むしろ巻き込んでしまった俺が謝るべきだというのに。
……これ以上考えても埒があかない。一旦別のことに頭を切り替えよう。
「……とりあえず、何とかします。さすがにバレるわけにはいかないんで。千冬さんもこの事は内密にお願いします」
「分かった」
「……」
「……」
切り替えようと思った途端、嫌な静寂が俺と千冬さんの周りを包み込む。千冬さんの視線が、何かを探ろうとする視線へと変わり、俺の両目を射抜く。
何を探ろうとしているか分からないものの、あまり気持ちのいいものではない。周りの空気も決して悪いものではないのに、今の空気はすこぶる悪い……いや、厳密には悪くなったと言えばいいか。
「やはり駄目だな。私は隠し事が苦手だ。霧夜……いや、大和。お前にはどうしても聞きたいことがある」
「はい」
「いいか、正直に答えろよ?」
「……はい」
脅しにも捉えられないこともない言葉の連続に、思わず一瞬怯んでしまう。どうしても聞きたいことは、多分ついさっき言いかけて、思い止まった内容のことだろう。
千冬さんは絶対に内緒にしてくれと言われたことに関しては、絶対に口を滑らせることはない。
ただその反面、言うことが嘘偽り無いストレートな物言いだ。自分の欲求に素直な人、気になることはどうしても解消しておきたい人らしい。
欲求に素直とはいえ、ワガママな訳ではない。自分のどうしても知りたいことについては、回りくどい言い方をせずに、ストレートに聞いてくるタイプ。
人によっては嫌がるかもしれないが、俺はむしろ遠回しに言われるより、ストレートに聞いてくれた方が嬉しい。それなら俺も答えやすいからだ。
―――次に続く千冬さんの言葉を、固唾を飲んで待つ。飲み込んだ唾が、渇いた喉に引っ掛かりうまく飲み込めない。僅かな時間しか経っていないというのに、俺の喉はどれだけ渇いているのかと、思わず苦笑いが出てくる。
額から溢れ出した冷や汗が頬を伝って地面に落ちる。端から見たら涙を流しているようにも見える。割と焦っているらしく、気付いたら右手を強く握りしめていた。
そして、千冬さんの口からその言葉が伝えられる。
「霧夜大和。お前は……」
「……」
伝えられたことは想定外でもあり、想定内でもあった。やはり聞いてくるのかと。
「―――お前は一体、何者なんだ?」
千冬さんの発した言葉が、一字一句正確に俺の頭の中に刻まれていく。その言葉は思った以上に重たいもので、一瞬時が止まったような不思議な感覚に襲われる。
お前は何者なのか、生まれてからほとんど言われたことがない台詞だ。そもそも普通に考えて聞くようなことかどうかと言われれば、聞くようなことではないのは明らか。
千冬さんにとって俺がどのような人間に映ったのかは知らないが、聞かれたなら俺も返すしかない。
「……千冬さんがどう捉えるかは分からないですけど、俺は普通の人間ですよ」
「……無人機との戦闘中に見せた身のこなしと、スピードは普通の人間であれば出来ないような動きなのだがな。それをお前は鍛練で身に付けたと?」
「そう捉えて頂いて結構です。俺としても他に言い様がないので」
「ほう?」
諦めたような口調で一度言葉を遮るが、目は笑っていない。まだ俺のことについて、少しでも情報を聞き出そうと何かを考えているのか。
数秒ほど間をおいて再び口を開く。
「……どうしても言えないんだな?」
「言えないも何も、今言ったことが事実です。それ以外に説明のしようが無いですから。まぁ、敢えて言うなら……」
どうしても聞かれたくないこと、知られたくないこと、それは誰しもが持っているもの。少なくとも今は、どうしても話さないといけない状況ではない。
千冬さんのことを軽蔑している訳でもなければ、信用していない訳でもない。そもそも信用しているから話すものではない。
繰り返しになるが、人にはどうしても知られたくないことや聞かれたくないことある。『お前は何者だ』と聞かれれば、いい気分はしない。
答えられないものは答えられない。あくまで俺は人間だからだ。
ただ一つ、言い方を濁すとするのなら……。
「―――ここから先は俺の管轄なので。……いくら千冬さんといえど、踏み込ませるつもりは無いです」
語気は決して強めず、静かに、ただやや強めの威圧感を込めて、千冬さんに言葉を続ける。ここから先はもう完全なプライベートの管轄になる。プライベートに踏み込ませるつもりはない。余程のことがない限り、これからも話すつもりは微塵もない。
千冬さんがこんな質問を投げ掛けて来たのも、俺が無人機に対して互角以上の戦いを見せたから。一夏の零落白夜が、相手のシールドバリアーを破壊してくれたため、こちら側の斬撃が通ってくれた。
千冬さんとしてはいくらバリアーが破壊されている状態とはいえ、生身の人間が平然とISに立ち向かえるのはおかしいと思ったんだろう。
……確かに一般常識で考えてみれば、おかしいかもしれないな。
「……すいません。ちょっと強い言い方になっちゃいましたけど。俺はあくまで普通の人間です」
「……そうか。私の方こそ、失礼な質問をして悪かったな」
俺の言ったことに何かを感じ取ってくれたらしく、軽く頭を下げて謝罪をしてくれた。物言いはストレートだが、この人の言うことは信用出来る。あまり表情には出さないが、言葉の節々に謝罪の念を感じることが出来た。
ならもう俺も堅苦しくする必要はない。硬くなっていた表情と、張りつめていた気が和らいでいく。
「まっ、そう思うのは無理もないです。俺だって目の前で鬼神染みた戦い方されれば、思わず言いそうですから」
「ふっ、やはりお前は食えないやつだ。……とにかく、今回聞いたことは忘れてくれ」
「分かりました。……ところで話は変わるんですけど、アリーナで戦っていた三人はどうなりました?」
「ん? あぁ、一夏を除いた凰とオルコットには事後処理を手伝って貰っている。一夏はお前が去った後すぐに気絶してな、今は保健室で寝てる。……全く、どいつもこいつも心配させてくれる」
話を切り替えて、アリーナであの後どうなったのかを千冬さんに問いただす。アリーナにいた人間は一夏、鈴、セシリアの三人。
甲龍の最大出力の衝撃砲を受けて、あれだけ戦えること自体が凄いこと。火事場の馬鹿力なんてよく言うけど、今回のことはまさにそれ。
白式は外からのエネルギーを吸収することが出来るようで、吸収するエネルギーは攻撃に使われるようなものでも構わないらしい。ただ攻撃のエネルギーを直で身体に受けるため、一夏の身体に掛かるダメージは大きい。
俺の言葉に悪態をつくように答える千冬さんだが、言葉の一つ一つから棘は感じられない。そして最後には心配させてくれると、はっきりと言いきった。
その言葉こそ、心の底では一夏をはじめとした、自分の受け持つ生徒のことを大切に思っている証拠。
照れ隠しのようなもので、素直に褒めたり心配したりすることに関して不器用らしい。
「……何だその顔は?」
何てちょっと千冬さんの性格について考えていたら、案の定睨まれた。もはや何も言うまい。
「え? あぁ、いや。特に何でもないですよ?」
本当は思いっきり不器用だの、ツンデレだの想像していたけど、内容こそバレないものの、このやりとりはもはや完全なデフォになっている感じがする。
あまりやり過ぎると物が飛んできそうだし、このくらいにしておく。相変わらず千冬さんの疑ったような眼差しは変わらないが、特にこれ以上何かを考えない限りは何かをされることはなさそうだ。
「……とにかくお前はアリーナに戻れ。落ち着くまで少しの間、待機していろ」
「了解です」
「ふん。ではな」
それだけ言い残すと、千冬さんは俺が進む方向とは反対に向かって歩き出す。何を考えているのか、何を探ろうとしているのか、話した限りではわからない。
「……ま、いいか!」
今深く気にしたところで何かが変わるわけでも無いし、何かをされるわけでもない。気にするだけ野暮だ。
アリーナに向かう前に、顔を上げて何気なく近くの時計を見る。時間を気にすることもなかったから、どれだけ時間が経っているのかと、時計の短針を眺めると、もうクラス対抗戦が始まってから二時間近く経っている。
よく考えれば一試合に二時間は長い。しかもこの現状を考えればクラス対抗戦は中止決定は必須……学校の恒例行事らしいけど、大丈夫なのかと心配になる。
とにかく、今は一旦アリーナに戻るとしよう。
俺は止まった足を再び動かし始め、アリーナに向けて走り始めた。
「やっぱり中止だよなぁー……」
太陽は沈む準備を始め、建物の窓枠からは茜色の夕日か差し込み、黒い影を廊下に映す。かれこれ数時間、アリーナではあーでもないこーでもないと生徒たちの安全確認が行われ、生徒たちは真実を全く知らされないまま教室へと帰された。
事情が事情だ、千冬さんも言っていたように今回のことは外部に漏らすのは禁止。アリーナに残っていた生徒の中では俺しか事情を知っている人間はおらず、他の生徒には緊急で行われた訓練だと説明があった。
中にはそれが嘘だと意見する生徒も何人かいたが、教師の実際のケースを想定したものだと言われると、何も言い返せず、真実は闇に葬り去られた。
で、俺はというと、特にアリーナに戻っても何かを言及されることもなく、そのまま教室へと帰された。隣に座っていた谷本や相川も、騒ぎのことで頭が一杯で、俺がどこにいたのかなど完全に忘れていたらしい。
再会した時に『結局さっきのは何だったのかな?』という言葉を投げ掛けられて、俺が居なかったことは完全に忘れていると確信した。
ただ、俺が居なくなっていたのに気付いた生徒が一人だけいた。
布仏本音、正直のほほんとした動作からは想像出来ないような、洞察力を持ち合わせている。俺が戻ってきた時に『きりやんどこいってたのー?』と聞かれた時には目を疑った。あの状況下で居なくなった人間のことを覚えているのかと。
布仏の座っていた場所は、俺から右に三人分の席がある。それも俺が席を立った時に気付いたのは隣にいたナギだけで、ナギの隣に座っている相川と谷本は全く気付いてない。
なのに更に二人の右隣に座っていた布仏が知っていたとなると、どれだけ周りの空気が読める子なんだろうと、感心してしまう。
もしばれていたらどうしようかとも思ったものの、布仏ならまぁみたいな考えで片付いてしまい、それ以上気にすることもなかった。
「でもあの状況下じゃ出来ないよな。アリーナに無茶苦茶になってるし」
地面は穴まみれ、天井のガラスは無惨にも粉々に破壊されて、壁には核兵器でも撃ち込んだような大穴が空いてしまえばもうどうしようもない。
などと、くだらないことを考えながら一人、校舎の廊下を歩く。
周りに誰かがいる登校中とは違い、皆が帰って静まり返った放課後の廊下は、一つ一つの足音が壁に反響し、コツコツと小刻みなリズムで跳ね返ってくる。
あまり放課後に一人で誰もいない場所を歩くことはない。今日は部活自体も中止になり、残っている生徒は完全にゼロ。残っているとすれば教師たちくらいだが、今日侵入した無人機の解析のために別室に籠って会議中。更に一部の教師たちは詳しい解析を行うために、地下に眠る秘密の空間に行っているそうだ。
つまり学校に俺だけか……と言われれば違う。
俺が向かっているのは保健室で、そこにはまだ残っている生徒が数人。本当なら二人と言い切りたいが、十中八九それ以上いる。
歩を進めること数分、ようやく目的である保健室とかかれた表札が十数メートル先に見えた。さっきよりも少しだけ歩く速度を上げて、保健室の前に着く。
と―――
「だから! それが抜け駆けだと言うのだ!」
「二人とも下がっててよ! 今はアタシと一夏が話してるんだから!」
「幼馴染みなんて関係ありませんわ! そもそも、貴方は今何をしようとしてましたの!?」
本当なら外れてほしかった予想。でもやっぱり嫌な予感は当たるもの、ここにもし千冬さんが居たとしたら、今聞こえた声の主全員が出席簿の餌食になっていたに違いない。
そもそも保健室ってこんなに騒がし居場所だったっけと、教育委員会辺りに尋ねそうになる。聞いたら聞いたところで、何言ってるのこの子? 的な反応をされるのがオチだろうしこの際考えるのはやめにする。
千冬さんが居ないのならラッキーくらいに思おう。
「……」
戦地に赴く戦士のように何故か意を決して、扉の取っ手に手を掛ける。
そして勢いよく引いた。
「あ、大和!」
「よっ、大丈夫か一夏? ……で、お前らは何やってんの?」
真っ先に俺の入室に気付いたのは一夏だった。上半身だけを起こし、ベッドの柵部分に身体を預け、顔だけをこちらに向けている。特に見た感じでは目立った外傷もなく、大怪我はしているわけでは無さそうだ。
そして一夏のベッドの横では案の定、三人組が火花を散らせながら言い争っていた。
……が、俺の入室に気付き、とっさの判断で大声を出すのだけはやめたらしく、一夏と同じように顔だけを俺の方へと向けていた。
数秒ほど一言も発さずに一夏を除いた三人のことを眺めていると、徐々に三人の顔が青ざめていく。自分たちのしていた会話を全部聞かれたとでも思ったのか。
少なくとも後半部分は完全に聞こえていたよねって話、それだけでもどれだけ一夏と二人っきりになりたかったのか、させたくなかったのかは分かった。
俺の視線を受けて、真っ先に口を開いたのは篠ノ之だった。
「き、霧夜! いつから居たんだ!?」
「え? いや。今来たばかりだぞ」
「あ、あああアンタいつから聞いてたのよ!!?」
「いつからって言われても、マジでついさっき来たばかりだしな」
「く、来るなら連絡してくださいませ!」
「え、何その理不尽」
篠ノ之に続いて、鈴、セシリアと慌てて俺の元へと詰め寄ってくる。余程話していた内容を聞かれたくないのか、だったらあんな大きな声で言うこともないだろうにと突っ込みたいところ。
そしてセシリア、面会謝絶レベルの重症ならまだしも、千冬さんから大した怪我ではないと伝えられて、来たのにワザワザ連絡する必要も無いんじゃないか?
とりあえず今の三人の反応を見て確信に変わったものがあるとすれば……。
「一夏のことが気になるのはよーく分かったから、頑張ってくれ!」
「「なっ!!?」」
一夏にホの字だということを、敢えて遠回しに伝えると、三人は一瞬のうちに顔を赤らめる。そして次に出てくるのは、事実を仄めかすような言い訳の数々だった。
「ふ、ふん! 何を言っているのか分からないな!?」
「な、何のことか全然分からないわね!!」
「い、言い掛かりもほどほどにしてほしいですわ!」
と、三人とも語呂は違えども、意味合い的にはほとんど同じような返し方をしてくる。本人の前だから素直になりきれないのもあるだろう。しかしそれ以上に本人たちはそれ以上に隠し通せていると思っているらしい。
予想通りの反応、期待通りのツンデレ、ご馳走さまです。
三人を軽くからかったところで、俺は一夏のベッドに歩み寄る。
「怪我は大丈夫なのか?」
「ああ! 身体の節々は痛いけど、特に問題はないみたいだ」
「全く、何をやればそんなことになる。正直こっちは何も見えていないし、何も聞けないから分からないけど、今のお前の状況を見れば大概無茶したことくらいは分かるぞ」
「ははっ、まぁあの時はあれしか策が思い付かなくてよ。今思えば結構ギャンブルだったよな、あれ」
「問題がなくて当たり前よ! 全く、あんな馬鹿な真似なんて二度と御免だわ! ほんと、馬鹿もここまで来るともう呆れるしかないわね」
「お前馬鹿馬鹿言い過ぎじゃねーか!?」
「何よ! 事実じゃない!」
「あー、ハイハイ。保健室だから、あんま騒がないようにな」
特に怪我は大きなものじゃなくて安心した。一夏が背中で鈴の衝撃砲を受けたのは俺も見ている。ホンライは見えてはいけないものだが、現場にいたから嫌でも目に飛び込んできた。
受けたエネルギーを取り込み、それを瞬時加速を使うためのエネルギーに転換した。そんなこともISは出来るのかと感心すると共に、なんて無茶するんだと心配の念も沸き上がってくる。
ただ何度も言うように、惨事に至らなかっただけ何より。スルーしているが、鈴と一夏の仲が良いのはご愛敬だ。
さて、俺がここに来たのは一夏の見舞いと、もう二つほどやることがあるから。まず二つのうちの一つを一夏に問い掛けていく。
「そう言えば、ナギも巻き込まれたって本当か?」
「……ああ。ついさっきまで隣のベッドで寝てたんだけど、気付いたら居なくなっててさ。そう言えば、大和は観客席に取り残されてたから知らないよな……」
「アリーナの中はシャッター越しに見えないしな。怪我とかしてなかったか?」
「特に見た限りはなかったな。怪我がないのも、多分乗り込んできたアイツのお陰だと思うけど」
「そうね。急に飛び込んできたと思えば人を助けるだけじゃなくて、ISまで倒しちゃうし。お礼を言おうと思ったら既に居なくなってるし。……何かよく分からない奴だったわ」
口外するなと千冬さんに言われているはずなのだが、俺の質問に対してボンヤリと濁しつつも、ハッキリと二人は答えてくれた。
帰れたってことは足のすくみが治ったのか。あの時は自力で立ち上がることすら出来なかったし、そう考えると幾分症状は回復したみたいだ。
本当ならこの場で会って、一度話したかった。それが出来なかったのが残念だが、ここで悔やんでも仕方ない。寮に戻り次第会って聞こう。
「そっか……良かった」
「……あの時決まったと思って油断しなければ、鏡さんを危険にさらさずに済んだかもしれないな」
「自分を責めるなよ一夏。結果論になるけど、最悪の事態にならなくて良かった。お前は十分やってくれたと思う」
一夏が言うのは、無人機の腕が一夏の雪片で切り落とされた直後のこと。あの時ISは殴り飛ばした一夏に止めを刺そうと、ゆっくりと一夏へ近寄っていった。むしろ殴られたのは想定内で、相手が油断して自分の元へ近付いてきてくれさえすれば良かった。
相手のビームはチャージするのに時間が掛かる。エネルギーをチャージしている時に、完全な視覚外から想定していない相手に攻撃をされれば、いくら素早い動きが出来たとしても、かわすことは不可能に近いと。
その為に最後の切り札としてセシリアを使った。
この策は一部を除いて成功している。ナギがアリーナに顔を見せるイレギュラーがなければ。
そして無人機はその存在に気付いてしまい、一夏に向けて撃つつもりだったビームをナギに向けて撃った。
確かに一夏の不注意と油断があったかと言われれば、俺としても否定しきれない部分もある。だが、無防備な相手を何の躊躇いもなく、攻撃出来る腐ったプログラムに俺は無性に腹が立った。
一夏は学園の生徒を守るため、よくやってくれたと俺は素直に評価してやりたい。一夏がいなかったら間違いなく大惨事になっていただろうから。
「誰かを守るためにも、もっと強くならないとな」
「その意気込みは大切だが、力に溺れるなよ一夏。力を過信した奴は、結局肝心な時に身を滅ぼす」
「あぁ、そうだな。気を付ける」
「よし。とにかく、怪我無く済んで良かったよ。知り合いに死なれたら、後味悪いからな」
「そういやその台詞、さっき同じように千冬姉にも言われたな」
「あ、そうなの? ま、生きている以上、同じ言葉を聞くこともあるさ。……で、だ。急に話は飛ぶんだけどな」
「ん、何だ?」
話の転換に何の話かと目を見開いて、興味深げに見詰めてくる一夏。他の三人も何のことかと揃って耳を傾けてくる。一つ目の話が一段落したところで、二つ目の話。
二つ目の話は以前食堂で、ここにいる三人がいがみ合っている間に、俺と何人かで決めたイベントだ。話を切り出す前に一区切り置き、時計を今一度確認する。
時計の短針は四と五の間を指している。時間的にもそろそろ買い出しに向かった方が良い。
勘の良い人間ならもう気付いているだろう。俺が食堂中に企画したことといったら一つしかない。
「こんなことになったけど、この後食事会やろうと思ってな。お前らも来るよな? あくまで強制ではないから、任意になるけど」
「おっ! そういえばそんなこと言ってたよな! 行く行く!」
「お、おい一夏! 身体の方は大丈夫なのか!?」
「大丈夫だって箒、さすがにそこまで俺も弱くはねーよ。自分の身体くらい自分で管理するさ!」
「相変わらず、回復だけは早いのよね」
「わたくしでしたら、到底考えられませんわ」
地味に一命褒めているようで、全然褒めていないのがいるけど、特に一夏も気にしてないようだし、まぁ良いだろう。
「で、後ろの三人はどうする? もう人数に入っているから、元々その分の食材は買うつもりだったけど」
後はここの三人が来るかどうか。一夏が来るのは分かっていたため、後決まってないのは篠ノ之、セシリア、鈴の三人。多分三人のことだ、一夏が行くって言ってるから、間違いなく……。
「私は行かせて貰おう。一度霧夜の料理を食べてみたいものだ」
「あ、アタシも行くわ。お腹も空いたしね」
「それならわたくしも。男性の料理は一度食べてみたかったんです」
「ん、ならここの全員は参加で決定だな。食材費は全部俺が持つから、安心してくれ」
予想通りの全員参加。まぁ最初から分かっていたけど。そうと決まれば後は食材をするだけ。これはメニューを考える俺がしてくれば良い。なるべく全員の口に合うようなものを考えるとしよう。
「あ、大和。俺も手伝うから早めに部屋に行くわ」
「そうしてくれると助かる。じゃ、俺は先に戻っているから、また後でな!」
「おう!」
全員に言伝てをすると、俺は一人保健室を出た。
やることはまだ沢山あるが、とりあえず買い物に行く前に寄る場所がある。
その目的の場所へと急ぐのだった。