IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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プライベートな彼女

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「えっ、えーと……」

 

「ふ、二人ともどうしたの?」

 

 

一日の活力となる大切な食事、朝食。食堂には多くの学生が押し掛け、それぞれに談笑しながら食事をしており、食堂は賑やかな雰囲気で満ち溢れている。

 

一番大事な食事とはいえ、朝はなかなか食欲が湧かないもの。加えて低血圧の人間なんかはテンションが低く、ほとんど喋らないまま、惰性で目の前にある料理を口に運んでいく。そんな学生もちらほら見られる。

 

俺たちが今座っているこのテーブルでも、いつもの雰囲気とは似ても似つかない状況になっていた。

 

目の前にある白米を口に運んだ後、焼き鮭を交互に口へ運ぶ作業をひたすら繰り返す簡単なもの。会話という会話もなく、ひたすらに沈黙が続いている。

 

 

たまたま同席した鷹月と相川は、この状況にどうしたら良いのか分からず、交互に俺とナギの顔を見つめるだけだ。何とか場を盛り上げようとするも、雰囲気に飲まれたのか、今一歩踏み出せないでいた。

 

 

さて、この気まずい雰囲気は言わずもがな、先ほどの楯無さんとの一件があったからだ。

 

それから一度も会話を交わしてはいない。どう会話を交わせば良いのか分からず、例のごとく気まずくなっている。

 

 

「まぁ、その……色々あってな?」

 

「うん、色々あったのは分かるけど……」

 

 

その色々の内容が言えずに言葉を濁す。まさか楯無さんと一緒に夜を過ごしたなんて言えるわけがない。名前を言ったところで『誰それ?』状態にはなるものの、この学園は女性しか居ない。よってすぐにことの次第がバレる。実際ナギにはバレている。

 

怒ってはいないようだが、どうも頭の中で整理がいっていない部分があるのか。先ほどあらかたのことはちゃんと話したが、それをナギがどう捉えたのか……。

 

 

「ねぇ、ナギ。一体どーしたの?」

 

「え? あ、ううん。何でもないよ? ちょっとボーッとしてただけ。ね、大和くん?」

 

「あ、あぁ」

 

「二人がそう言うのなら……」

 

「うーん……」

 

 

鷹月も相川も何もないのならと、そのまま引き下がるがふと見せたナギの微笑みに、やや顔がひきつる。

 

……正直に言おう、黒い。

 

そして怖い、なにこれ?

 

笑顔の裏に隠された黒い何かが全面に伝わってくる。さっき怒ってはいないと言ったが、俺の目は節穴か、普通に不機嫌だった。

 

いつもより少し黒いナギに怯えつつ、俺は朝食を終えた。この後、ナギの誤解を解くのに少し時間がかかるのは別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――刺客が現れてから数日が経ったものの、これといって何かが変わったわけではない。更識家の調査によって彼女たちは何者かに依頼されて今回の事を起こしたとのこと。

当然だが、依頼されたからといって人の命を狙うことが許される訳ではないし、ましてや彼女たちはそれを実行してしまった。この時点で後戻りすることは出来ない。

 

刺客たちの件について、女性権利団体にも問い詰めたものの、依頼した覚えはないとの一点張りだった。予想通りと言えば予想通りの解答だが、ここまで開き直られると怒るを通り越して呆れる。

 

とはいえ、今回のことは間違いなく牽制にはなったはずだ。これでおいそれと手を出して来ないと願いたい。

 

 

 

 そして二つ目、一夏と鈴の関係についても進展しないままに、時間だけが過ぎ去っていた。鈴は鈴で、一夏が謝るまで何も口を利かないと言い切っているし、一夏も一夏で怒った理由が分からないのなら謝りたくないと、どちらも譲らない状況だ。

 

互いに変に頑固な部分があるようで、上手く歯車が噛み合わない状態になっている。こんな時一夏が、無神経なこと言ってゴメンくらいに言えば、丸く収まる気がしないでもないが、何もしていないのだから何も起こるはずがない。

 

その影響からか、鈴は俺にこそ挨拶をかわす一方で、一夏に対しては完全な黙りを決め込んでいる。今日も一夏と昼飯を食べに食堂に行った時も、話し掛けたら噛みつくとばかりの表情で一夏を威圧していた。

 

ただこの状況下でも、一夏だから最終的に何とかしてしまうのではないか。そう思ってしまう自分が不思議でならなかった。

 

 

最後にもう一つ、今日学校に来た時に玄関前に貼り出されていた大きな紙。そこにはでかでかとクラス対抗戦日程表と書かれており、当日の日程が事細かに書き記されていた。

 

一通り目を通していくと既に抽選で決めたのか、誰と誰が戦うのかをトーナメント形式で記してあり、左下には一組のクラス代表である一夏の名前も刻まれている。

 

そしてその一夏の隣に刻まれている名前。

 

 

対戦者は凰鈴音。

 

 

……因縁とでもいうのか、偶然にしては出来すぎな感も否めない。ご存じの通り、この二人は現在進行形で気まずい関係だ。正直何が起こるのかも分からないし、想像もつかない。

 

俺が一夏に言えるのも『頑張れ』の一言だけで、それ以上は何も言えない。とにかく対戦相手がこうして決まったわけだし、一夏には腹をくくって頑張ってもらいたいところだ。

 

 

 

さて、本題に戻ろう。俺は今どこにいるかというと、資料室にいる。たまたま授業で使った参考資料を返しに来ただけで、特に勉強がしたいわけではない。

 

全ての内容を各自に配布したテキストや参考資料で補うことが出来ないため、時々資料室の資料を使って授業を進めることもある。一部だけならさほど気にはならないものの、クラス全員が使うともなれば重量は増えていく。そして授業が終わった後で資料を返すのは、その日の日直だ。

 

いつぞやの階段での一件以来、荷物の片付けはなるべく引き受けるようにはしている。段ボールを二段重ねると小柄な子なら視界は完全に塞がれてしまい、目の前を見ることが出来ない。

 

足元の視界も大半が段ボールの影に隠れてしまい、少し軸をずらさないと確認することが出来ない。

 

その結果が転倒や転落に繋がる。階段での一件を千冬さんにも進言したところ、申し訳なさそうな表情をしていた。やはり、自分の生徒を危険な目に遭わせてしまったことに、引け目を感じているのだろう。

 

千冬さんも自分のことで忙しく、なかなか他の事に時間を割くことが出来ないため、重い荷物がある時は俺が責任をもって片付けるということを千冬さんに申告した。

 

この時ばかりは、いつも冷静な千冬さんの表情が大きく崩れた。一夏の事に学園の事、さらに些細なことから何から何まで俺に押し付けてしまった罪悪感、後は千冬さん自身が持ち合わせている正義感がそれを許さなかったのかもしれない。

 

俺からすれば荷物を片付けることくらい、別に取って付けたようなもので、特に気にするようなものではなかった。むしろそれだけ千冬さんにも心配してもらえているということで、それこそ男冥利に尽きるというもの。

 

 

「これをここにおいて……よし、終わりだな」

 

 

 自分が抱えている資料を、資料室に置いてある机に置いて片付けを終えた。片付け終えたところで、資料室内のどこに何があるのかを確認しながら見回る。

 

授業の資料が収納されているだけあってかなり広い。小さな子供がいたならかくれんぼにも使えそうな場所でもある。図書室とは違い、一般的に生徒が趣味で読むような小説とかは置いてないものの、授業で使う参考書や資料などで部屋中が溢れ返っていた。

 

そんなこんなで見回ってはいるが、資料室に長く居たいとは思わない。一通り見終わると、そのまま入口に向けて歩き始めた。

 

 

「みんなもう帰ったし、俺もさっさと帰るか」

 

 

今日は学校内での部活動も全面的に行われていない。つまり用のない生徒はさっさと帰ってしまい、学校に残っている生徒はほんのわずか。教室も施錠されているため、教室に残ることも出来ないから大半の生徒は皆寮に戻っている。

 

俺が思い付く範囲で残っている人間がいるとするなら、楯無さんくらいか。一応生徒会長としての仕事もあるらしいし、生徒会室で書類とにらめっこしているはずだ。もうお役御免なわけだし、俺は俺で今日は自分の趣味にでも時間を当てるとしよう。

 

入口に置いた鞄を手に取り、そのまま資料室を出る。

 

 

クラス対抗戦までもう時間はなく、一夏の訓練は激しさを増すばかり。今日もアリーナを借りて箒とセシリアによる特訓が行われている。

 

二人に教えて貰う以外には、千冬さんからも教えて貰っているらしい。仮にも世界の頂点に立った人からの教授だし、一夏のためになるだろう。ただ俺は特訓を見に行っている訳ではないので、何を教えられているのかは分からない。

 

特訓を見に行かないのは、公の場で一夏の成長を見たときに成長している姿を見るのが楽しいから。ISに関しては俺も言えたものじゃないけど、少なくとも人間の成長というのは見ていて楽しいものだ。

 

そしてその成長を見ることで、自分もやる気になる。つまり自分としては一石二鳥だったりする。

 

 

これからどうなるのかと想像を膨らませながら、調理室の前を通る。

そういえばここって料理部の活動場所だったなと思いつつ、本当に何気なく窓越しに部屋の中を覗いた。

 

 

「……ん?」

 

 

……気のせいだろうか、今絶対にお目にかかれないような人物を見た気がする。

 

そもそも今日は学校全体で部活動を行ってはおらず、ほとんどの生徒は寮に戻っている。残っていたとしても図書室に篭って勉強するくらいか。

部活動以外で調理室を利用するといったら家庭科の授業くらいだし、部活動でもないのに何故人がいるのかということになる。

 

とはいうものの、そこまでだったら俺もそこまで気にすることはない。何度も言うように、そこにいた人物が普段なら絶対にお目にかかれないような人物だったからだ。

 

 

「……」

 

「ここはどうしたら……いや、まずどれがどの調味料なんだ……?」

 

 

 調味料は砂糖と塩のように、見た目だけでは判断が難しいものもある。二つの見分け方は自分で味見をすること、砂糖は甘くて塩はしょっぱい。内申焦っているのだろう、単純な見分け方にも関わらず気付いてない。

 

塩と砂糖を交互に見比べた後、諦めたかのように入れ物を置き、今度は胡椒を挽くためのミルを手に取った。使ったことがないのは、上下に振っている時点で分かる。ミルは振るものではなく、回して中の胡椒を擂り潰して使うもの。

 

いかにその人物が家事をしたことが無いか、その僅かな行動を見るだけでも理解できた。

 

 

何気なくその様子を窓越しに見ていた俺だが、その様子に中にいるその人物がふと顔を上げる。

 

 

「!?」

 

 

驚きと焦り、様々な感情が混ざりあった何とも言えない表情を見せるその人物。凛々しいという雰囲気が非常によく似合うはずなのに、今目の前にいる人物にはその欠片も見当たらない。

 

黒いビジネススーツとストッキングに身をつつむその姿は大人の女性を連想させるが、それを打ち消すかのように可愛らしいピンク色のひよこのマークがついたエプロンをつけている。

 

 

「なっ……いつからそこにいた!!?」

 

「えっと……ついさっきからです。織斑先生」

 

 

 調理室に居たのは千冬さんだった。容姿的には全く変わらないというのに、目の前にいる人物がまるで別人のようにも見える。千冬さんに家庭的というイメージは合わない、そんな千冬さんがエプロンをつけて悩んでいる姿など、一度たりとも想像したことは無かった。

 

千冬さんは千冬さんで、見られたことにこの場をどう乗りきろうかと考えているのか、目が右に左に泳いでいる。

 

意外だったけど、エプロン姿も似合うと思う。ギャップ萌えとでも言えば良いのか。俺のついさっきからいた発言により、一部始終を見られたことに気付き、顔を赤らめてプイと横に反らす。

 

 

「わ、悪かったな。似合わなくて。どーせ私は戦っている方が似合うような女さ」

 

「そんなことないです。凄く似合ってますよ」

 

「……」

 

 

褒めたつもりが何故か睨まれた。似たようなやり取りを鈴の時にもやったな、おしとやかさが似合う似合わないとかって。

千冬さんにとって、今回の場合はどうしても知られたく無いことだったらしい。しかも学校全体で部活動は行われていないとくれば、誰も来ないだろうと油断する。

 

自分のことを初めからつけていたのかと探るように、千冬さんの視線が俺を射抜く。

何を思っているのかは分からないけど、ハッキリ言って偶々だ。むしろこっちがまさかの展開に俺が驚くくらいだったりする。

 

 

「大体何でお前がここにいる? 答え方次第では……」

 

「ちょっと資料を片付けていたんですよ。その帰り際に偶々調理室を見たら、織斑先生がいたって話です。別に初めからつけていた訳じゃ無いですよ」

 

「その話は本当だな?」

 

「本当です」

 

「……」

 

「……」

 

 

暫し沈黙が流れ、警戒心を緩めないままじっと見つめられる。

別に何か悪いことをした訳でもないのに、容疑者として警官に問い詰められているような気分だ。俺が嘘を言っているなら自分としても思うところはあるものの、今回は本当のことを言っている。

そもそも嘘をついたところで、千冬さんには直ぐに見破られるし、嘘をつくメリットがない。

 

 

「……まぁお前のことだ。私に嘘をつくような人間では無いことくらい分かるさ」

 

 

どうやら嘘ではないのを信じてもらえたらしい。

 

一つ落ち着いたところで問題なのは、何で千冬さんがここにいるのか。調理室に来ている時点で、料理を作るって根本的な理由があることくらいは分かるが、それを何のために作るのか。

 

 

「ところで、何を作ろうとしてたんですか?」

 

「料理を作る前に、ここに書いてある材料があるかどうかを調べていたんだが……」

 

 

手に持っていたレシピ本を反転させて、俺の方へと向けてくる。

文字を見なくても、そこに描かれているイラストを見るだけでどの料理を作るのか、すぐに判断することが出来た。

 

 

『料理の腕が上がったら、毎日私の作った味噌汁を食べてほしい』

 

 

日本古来……とはいってもどれくらい前からある言い回しなのかは分からないが、千冬さんが作る予定の料理は味噌汁だった。

 

難易度的にはさほど難しくないものの、日本の食卓にほぼ毎日のようについてくる料理だ。だから味も分かりやすいし、間違った調理法をすればすぐに味が変わる。

 

ただ長年飲んでいるうちに、最も愛着が湧きやすい料理にもなりうる。俗にいうお袋の味がそれに当たる。

 

 

「私とて一人の女だ。簡単な料理くらいは作れるようになりたい」

 

「あれ、織斑先生って家では料理を作らないんですか?」

 

「家計を支えるために働いていたからな、家事の大半は一夏に任せていた。それでもほんの偶に作ろうとすることはあったんだが……」

 

「じゃあ作れないわけでは無いんですね?」

 

「……炭くずを作って以来、一度も台所には立たせてもらってない」

 

「……」

 

 

弱々しい口調でシュンと落ち込んでしまう。確かに料理を作れないのは、女性にとってかなりの痛手だ。

 

アニメや漫画の表現でよく料理を炭くずにする表現があるが、あれはあくまで料理が出来ないことをハッキリさせるための例だ。火にかけたままそのまま放置しない限り、炭くずが出来上がることはない。

 

千冬さんのことだから、料理中に目を離すことはないはず。よって何かしらの方法で炭くずを生産してしまったことになる。

 

俺も肉じゃがを作るはずが、炭くずになったことはある。あれは単純に、火を弱めることもせずに強火で作っていたからだ。火さえかけとけばとりあえず食材に火は通るんじゃね? 的な考え方だった過去が、今では懐かしい。

 

まぁ今更炭くずを作ってしまった過去は変えられないし、立たせてもらってないってことは一夏が止めているんだろう。

 

 

……それはいいとして、さっきから俺の中で千冬さんのイメージの崩壊が凄まじい。クールで美人な凛々しい出来るキャリアウーマンといった文字が当てはまる面影はどこへやら。イメージに当てはめるのなら、今の千冬さんは綺麗ではなく、可愛いといった方がしっくりときた。

 

 

「……んんっ。とにかく、家事に関して一夏におんぶにだっこでは、女としてのプライドが許さん」

 

「だから簡単なものくらいは、作れるようになりたいってことですか」

 

「あぁ、これからどうなるかも分からないからな。いずれにしても、作れて損なことはない」

 

 

ようは将来どうなるか分からない。千冬さんもいずれ相手を見つけて結婚をすることもあるだろう。選ばなければ相手くらいはすぐ見つかる、ただせっかく女性として生まれて来たのだから女性らしいことをしてみたい。それが千冬さんの思いなのかもしれない。

 

身近な目標は一夏に自分の手料理を食べさせたいことなんだろうけど、今は言わないでおこう。

 

 

「だがいざ立つと、何をどう使えば良いのかさっぱり分からん」

 

「……なら、俺でよければ教えましょうか?」

 

「お前がか?」

 

「はい。一応家でも結構作っていましたし、味噌汁の作り方なら教えれますよ」

 

「……」

 

 

 腕を胸下で組み、何かを考え始める千冬さん。その思考は何を考えているのか、身の回りの男性が料理が出来るのに自分は出来ないことに対して、劣等感のようなものを感じているのかもしれない。

 

それはいいとして、改めて見ると千冬さんのスタイルは凄まじく良い。組んだ腕の上には双丘が窮屈そうに乗っかっている。

 

着ているビジネススーツの胸元もやや捩れており、自身のスタイルを抑えきれないのがよく分かる。誰もが振り向くかのような美人でプロポーションも完璧、仕事も出来て強い女性とか漫画の世界みたいだ。

 

料理を作るのが苦手というチャームポイントは、俺としては地味に惹かれる要素の一つだったりもする。当たり前のことだけど、面と向かって言えるわけがない。言ったら絶対に埋められるだろうし。

 

 

「……改めて、私の周りの男は、嫁に出しても大丈夫な者ばかりだな」

 

「いや、織斑先生。それ洒落になってないです」

 

 

感心したかのように、満足そうな笑みを浮かべて俺に語りかけてくるが、その言葉の意味を直球で捉えると背筋が凍る思いがする。

千冬さんが言っているのは多分そういうこと。あまり深く想像すると今夜寝られなくなるのは間違いないので、想像しないようにこらえて言葉を続けた。

 

 

「ふん、まぁいい。それと今はもうプライベートな時間だ。その言い方は慣れていないのだろう、大和」

 

「……そうですね。じゃあ普通に呼ばせていただきます」

 

 

公私はきっちり分ける、何とも千冬さんらしい考え方だ。公の場で名前を呼ぼうものなら、出席簿のプレゼントが与えられる。特に一夏に対して限定で。

指導の方法が過激だとは思うが、照れ隠しの一つなのかもしれない。

 

 

「しかし年下に指導されるのは不思議なものだ。それも料理の作り方を」

 

「あー……確かに年下に指導されるって実感は無いですね」

 

「私は女だ。料理が出来ない女なんてそういないだろう」

 

「どうでしょう、人はそれぞれ十人十色ですから」

 

「相変わらず、言葉の選び方がうまい奴だ」

 

「恐縮です」

 

 

 実際全てが完璧な人間はいないし、全てが駄目な人間もいない。必ず良いところ、悪いところを持ち合わせている。料理を作ることが苦手だというのも、人間らしい証拠だと思う。本当の意味で全てに対して完璧な人間がいるとしたら、あの篠ノ之博士を越えるレベルでの大ニュースになる。

 

俺だって苦手なことはあるし、少しでも解消しようと努力する。結局、何かが出来る、出来ないだけで優劣を比べるものではない。

 

 

「じゃ、早速始めましょうか。俺は最低限しか言わないので、どんどん進めていって下さい」

 

 

制服の上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲って千冬さんの隣に立ち、料理の指導を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「―――味を付けてから煮立たせるものだとばかり思っていたが、違うのか?」

 

「味噌汁は先に味噌を溶かしたら、沸騰したときに吹き零れるんですよ。そうすると具材によっては火も通りにくいですし、味もしょっぱくなるんです」

 

「そうか」

 

「今回は出汁に味の素を使ってますけど、昆布とか別のものを使ってみるのもいいですね」

 

「なるほど。場合によって使い分けるか」

 

「はい。ただ慣れるまでは、無難に味の素を使った方が良いと思います。土台を作ってそこから幅を広げていく感じで」

 

「詳しいな、それは全部我流で身に付けたのか?」

 

「いえ、千尋姉からです。今は俺が作ることが多いですけど、昔は毎日作って貰ってましたから」

 

「ほう。何でも出来るんだな、千尋さんは」

 

「千尋姉も昔は下手くそだったみたいなので、努力したんだと思います。俺もはじめて作った料理は炭くずでしたし」

 

 

 一通り具材を切り終えて、今は鍋に火をかけて具材から出てくる灰汁を取りつつ、沸騰するのを待っている状態だ。とはいっても、今回はそこまで灰汁が出るような食材を使っている訳ではないので、灰汁はあまり出てこない。

 

豆腐とワカメの味噌汁ということで、沸騰する前にワカメを投入し、沸騰したら豆腐を切りながら入れて、最後に味噌で味を整えて完成といった具合になる。

 

口頭での指示のみだったので、ここまで作業を行っているのは千冬さんだけ、俺は一切手を出してはいない。もちろん妙なことをしないように、常に千冬さんの行動を見守っていた。

 

 

「努力、か。それは料理だけに限らず、全てに言えることだな」

 

 

IS乗りとして世界一になった千冬さんが言うから、より言葉に重みがある。周りからは天才だの、才能だの好き放題言われていたものの、影では血の滲むような努力をしたに違いない。

 

料理が上手くなるかどうかもその人次第、スタートラインはみな一緒なのだから。

 

鍋を見つめてしばらく待っていると、鍋底から泡が浮かび上がってくる。やがて大きな泡へと変わり、ボコボコと音をたてながら沸騰したことを知らせてくる。

 

 

「じゃあ千冬さん、火を弱めて豆腐を切って入れてください」

 

「分かった」

 

 

覚束ない手つきで豆腐のふたを半分まで開けて、豆腐も包丁で半分に切る。多分今回の行程の中で最も難しいものになる。

 

先に教えたように恐る恐る手のひらの上に豆腐を乗せ、横に包丁で切れ目をいれていく。豆腐を切ることに集中してはいるものの、その手つきは見ていて危なっかしい。でもここで俺が変わってやったとしたも、それは千冬さんの作った料理にはならない。

 

折角だからどんなにぎこちなくても、一人で作ってもらいたいという見守る父親のような感情が沸き上がってくる。

 

……見守る父親がどんな感情なのかは分からないけど。

 

ガタガタと手が震えているせいか、包丁の向きが斜めにずれて豆腐の形が不格好なものとなる。

 

形がずれても千冬さんの集中力は切れず、次々に包丁を入れていく。その表情はいつもと変わらないようにも見えたが、間違いなく真剣そのものだった。

 

 

「……」

 

 

 横に包丁を入れ終え、次はいよいよ縦に包丁を入れて、豆腐をお湯の中に落としていく。初めのうちは熱いお湯に手を近づけることを嫌がり、その過程で豆腐の原型を崩してしまうことも多々ある。

 

しかし千冬さんは教えた通り、ギリギリの位置まで手を近づけ、一つ一つ確実にやっていく。

 

そしてついに手の上の豆腐は無くなり、それと同時に肩の荷が下りたように、千冬さんは一つ大きくため息をついた。よほど緊張していたのか、その額にはうっすらだが汗をかいた跡がある。

 

 

「じゃあ後は味噌を溶かすだけですね。それで完成です」

 

「そうか。しかし何から何まで見てもらって悪いな」

 

「いえ、大丈夫ですよ。千冬さんも料理が出来ないって言ってた割に、全然しっかりしていたので、何かを言う必要も無かったです」

 

「……年下に褒められると変な感じがするな。特にお前みたいな読めないやつに褒められると」

 

 

 薄笑いを浮かべながら俺の方を見つめてくる千冬さん。面と向かって褒められることに耐性がないのか、その頬はほんのりと明るみがあった。

 

俺としては千冬さんみたいな綺麗な人に喜んでもらえる方が光栄だ。それだけでも教えてよかったって感じになる。

 

 

「何もないですよ。ただ千冬さんのいつもと違った一面が見れただけで……うわぁ!!?」

 

 

 ヤバイと思った時にはすでに遅く、千冬さんはすでにお玉を投げていた。ノンモーションから飛んできたお玉を、顔を横にずらしてかわす。本音を言ったのが間違いだったか、飛んできたお玉に手加減は微塵も見受けられない。

 

千冬さんの表情こそ変わっていないものの、目は笑っていない。完全に獲物を狩る目付きだ。千冬さんを蛇と例えるのなら、俺は蛙とでもいうのか。

 

もう蛇は蛇でもアナコンダとかキングコブラじゃ……

 

 

「でぇ!?」

 

 

有無を言わさず今度はしゃもじが飛んでくる。何で人の心の内を読めるのか、不思議でならない。

 

 

「ちょっ……何するんですか!?」

 

「私はからかわれるのが嫌いだ」

 

「別にからかった訳じゃないですよ! 珍しいなと思っただけです!」

 

「ほう? この期に及んでまだしらを切るか」

 

「誤解があらぬ方向に!?」

 

 

千冬さんの背後に凄まじいまでのオーラが見える。見えないものなのに、何故か見える。

 

ふざけたことを考える人間には物理的な指導をってことか、嬉しい人間には嬉しいかもしれないが、生憎俺にはそんな趣味はない。

 

 

「ほ、ほら千冬さん! まだ料理中ですよ、さすがに火元から目を離すのは不味いんじゃないですか!?」

 

「……後で覚えておけ」

 

 

背後から伝わる殺気に恐怖を覚えつつ、俺は引き続き味噌汁が完成するまでの行程を見守っていった。

 

 

 

 

 

 

 

(やれやれ、本当に不思議な奴だ)

 

 

 誰もいなくなった調理室の中で一人、織斑千冬は椅子に腰掛けながら自分が作った味噌汁を眺めていた。自分で切った豆腐は不格好でサイズはバラバラ、中には完全に崩れてしまっているものもある。

 

しかし一つの料理として最後まできっちりと作ることが出来たのは、今回が初めてだった。最後に作ったのはいつだったかと、何気なく脳内に眠る記憶の中から思い出そうとするが、なかなか出てこない。

 

唯一覚えているのは、カレーを作ろうとして炭くずを作ったこと。何をどうしてこうなったのかは分からないが、我に返ったときに目の前にあったのは、カレーとは似ても似つかない炭くずだった。

 

中学生の頃、周りが好きな男子のために手料理を学び始める中、千冬はただひたすらに剣を振っていた。料理に興味が無かったわけではなく、自分には剣の道しかないと思っていたからだ。

 

そして一夏を養うために、バイトをしながら家計を支えていたため、家事は全て一夏に任せていた。

 

炭くずを作ってしまったのは自分に才能が無いわけではなく、単に作り慣れていないことを今日、ある男から教えてもらった。

 

 

「初めて会った時はどんな奴かと思っていたが……こうして見ると中々男らしい男だ」

 

 

その名を霧夜大和。もう一人の男性操縦者で、護衛のエキスパート集団、霧夜家の当主だ。

 

これほどにまで若く当主の座に上り詰めたのだから、どんな癖のある人間なのかと思っていたが、実際に会って話してみると人当たりのいい青年だったことが分かった。

 

何よりも人心把握に人一倍優れ、今までどれだけの経験を積めばこうなるのかと、疑問に思うほどだった。

 

 

さすがに大和の過去に探りを入れるほど、千冬は人間として出来ていない訳ではない。ただやはり気にはなる、今までどのように生きてきたのかと。

 

千冬が知っているのは、大和が霧夜家と一切血が繋がっていないことだけで、それ以外のことは全く知らない。というよりも大和からも聞かされていない。大和が千冬に話したのは、幼い頃に霧夜家に拾われて、千尋に面倒を見てもらったことだけだ。

 

だからそれ以前の経歴は一切話されていない。大和の過去を詳しく知っている人間は、共に生活をしてきた千尋くらいなのかもしれない。

 

 

"男らしい男"

 

今現時点での千冬の大和に対する評価だ。女尊男卑の時代でも自分の信念を曲げることなく突き通す姿、そして入学前の実技訓練では終盤にかけて力を発揮し、自分の武器を破壊。そして、クラス代表決定戦ではセシリアをダメージらしいダメージも受けずに圧倒。

 

千冬自身が思い描く、理想の男性のイメージに多くの部分が当てはまっていた。

 

 

「……霧夜大和、か」

 

 

ポツリとその名を呟く。会ってわずか一ヶ月足らずだが、初めて年下の男性に対して男らしいという感情を抱いた。

 

 

「もう少し、個人として気にかけても良いかもしれんな」

 

 

満足そうな笑みを浮かべながら、味噌汁が入っているお椀に手をかけた。

結構な時間が経っているため、味噌汁自体も冷えてきている。その冷えた味噌汁をそのまま口へと運んだ。

 

そして―――

 

 

「……温かいな」

 

 

そう、呟くのだった。


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