IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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水色の思惑

「んで、お前は何やってんだ一夏」

 

「なっ!? ち、違う! これは不可抗力で!」

 

 

保健室を訪れた俺は目の前に広がる現状に頭を抱えていた。

 

写真であらかた状況を把握はしていたものの、俺が来ることが分かっていてなお続けている辺り、確信犯な部分が垣間見える。

 

恥ずかしさなど微塵も出さない余裕、片やの一夏はどう言い訳をしようかと慌てて弁明を述べる姿と対比させると、何枚も楯無の方が上手だと思ってしまう。それもそうだ、なんたって学園最強なんだから。

 

俺がIS戦闘で負けたのは二回、細かく言えば三回になる。

 

……思った以上に負けてるな。自分で言ってて恥ずかしくなってきたぞ。

 

 

一回目は言わずもがな、IS学園の入学試験の際に行われた千冬さんとの勝負。善戦なんてとんでもない、ひーひー言いながら近接ブレードを破壊することくらいしか出来なかった。その後は言わずもがな、俺のシールドエネルギーが尽きて試合は終了。

 

二回目、これは楯無との勝負になる。

 

これも途中までは善戦したのかと思いきや、いつの間にか楯無の術中にハマり、清き激情(クリア・パッション)でトドメを刺された。楯無の機体の特性を把握出来なかったとはいえ、最悪のリスクヘッジを考えて行動をするべき点ではあった。

 

勝機を見いだせなかったとしても、もう少し戦うことは出来たかもしれない。

 

 

三回目、臨海学校の際に戦うこととなったプライドだ。

最終的に勝つことは出来たが初戦は俺が負けた。ある意味一番想定出来ないワンオフ・アビリティだったかもしれない。

 

似たような能力で白式の零落白夜があるが、相手のエネルギー兵器による攻撃を無効化したり、シールドバリアーを無視して相手のシールドエネルギーに直接ダメージを与えることが出来るだけであり、まさかシールドバリアーと絶対防御を壊して肉体切り裂いてくるなんて考えもしなかった。

 

おまけに生体維持機能が発動しないために自然回復も無く、一時は生死の境を彷徨った。

 

とまぁ、三回の敗北を説明したわけだが、三回の中にも楯無との戦いが含まれている。少なくとも代表候補生になりたての一年生が太刀打ち出来るような相手ではない。それは単純な実力であったり、人の扱いであったり。あらゆる面で水準の遥か上に行く能力を持っている。

 

 

「なぁに、大和。もしかして妬いてるの?」

 

「……」

 

 

あぁ、出たよ得意分野。

 

人をおちょくる時の楯無らしい、どこか不敵な小悪魔的な笑みを浮かべていた。これは楯無の表面上の性格の一つであり、直そうと思ったところで直るようなものではない。ま、楽しいのなら別に止めることはしないが、下手な誤解を招く可能性がある発言は遠慮して欲しいところ。

 

それにこの場には一夏がいる。自分に向けられる好意に関してはてんでダメなのに、人のことになると一気に鋭くなる。

 

 

「え? 知り合い? ってまさか大和! お前鏡さんがいるのに!」

 

「ばっ、ちげーよ! 変に勘ぐるんじゃねぇ!」

 

 

お約束とでも言えば良いんだろうか。

 

楯無の妬いてる発言に早速一夏が反応した。一夏と楯無の距離感を見て、俺が嫉妬しているということは、俺が楯無に対して好意を抱いており、知り合いとはいえ第三者の男性が近寄るのを快く思っていないとの解釈になる。

 

楯無の事は好きだが、それとこれとは話は別。一夏に変な勘違いをされて、ナギに変な話をされても困る。

 

 

「じゃあ何で楯無さんのことを呼び捨てにしてるんだよ! 先輩なのに呼び捨てって、そこそこ気のしれた仲じゃないのか?」

 

「あら、一夏くん鋭いのね!」

 

「だーかーら、ちげーって! 確かに気のしれた仲なのは否定しないけど、単純に友達なだけだわ! それと楯無はそろそろお口をチャックしとこうか?」

 

「いやん、大和ったらこわーい」

 

 

私怖がってます! とわざとらしい演技を交えながら一夏の腕に捕まる楯無、同時に何かの温もりを肌で感じたようで、一夏は顔を赤らめた。

 

お前はお前で何してんだコラ。

 

このままでは混沌とした時間が続くだけで、一向に話が進まない。

 

 

「とにかく! 二人揃って何してたんだよ?」

 

「えー、聞きたい? 柔道場で仲睦まじい帯の取り合いをしてたら一夏くんが上着を「わー!? 楯無さん待って!」ふふっ、そんな必死な一夏くんも嫌いじゃないぞ♪」

 

 

ダメだこりゃ。

 

ただ今の一言でおおよその何が起こったのかの予想は立てられた。何かの理由で二人は戦うことになり、戦ったは良いが一夏がハプニングを起こして楯無に気絶させられて今に至る。

 

理由としては楯無に煽られた一夏がカッとして、反射的に勝負しよう的なことは言ったんじゃないかと思われる。

 

楯無から戦いを吹っ掛けるようなことはしないだろうし、楯無の考えているシチュエーションに誘導されたと考えるのが妥当かもしれない。

 

つまりは元々一夏と接触するつもりでいた。

 

このタイミングで一夏に近付いてくるというのは、周囲で楯無が動かなければならない事象が起きている可能性でもあるのかもしれない。何の脈略もなく、新学期が始まったこのタイミングで偶々でしたとは考えられない。

 

楯無のことだし近付いた真意は隠すだろうから、一夏に勘付かれることはないはず。問題なのは果たしてどこで何が起きているのかだけど、そこは後々楯無に聞いておく必要がありそうだ。

 

 

「ま、とりあえず皆には一夏が先輩と遊んでいたとでも伝えておくか」

 

「げっ!? それはちょっと待った! アイツらに言ったら俺死ぬわ!」

 

「じょ、冗談だって。そう慌てるなよ。んで、結局楯無と何があったんだよ?」

 

「あ、あぁ。実は……」

 

 

俺と別れたあとの経緯をポツポツと一夏は話し始めた。想定していた内容と概ね同じで、千冬さんに今回の学園祭の内容を報告し終わった後、職員室から出た際に朝遅刻の原因となった楯無に声を掛けれたらしい。

 

そこで楯無が一夏の教官役を買って出ると申し出るも、一夏は固辞。理由は既に周囲を取り巻く人間に教えて貰っているから。教える人間も、ほぼ全員が代表候補生と、環境としては非常に恵まれている。わざわざ後から出てきた得体のしれない人間から教えて貰う理由が分からないと思うのは当然。それに朝の遅刻の要因に楯無が絡んでいるとすれば良い気分にはならない。

 

一夏が断る理由もよくわかる。

 

で、断ったまでは良かった。どうやらその後一夏は自身のことを力不足だと言われたようで、カッとなって楯無との勝負を引き受けてしまった。少なくとも色々な実力者に揉まれ、力をつけていることに対して多少の自信は持ち合わせていたのだろう。それをたった一言で否定される。

 

一夏にとっては相当屈辱的な行為だったに違いない。

 

自分は男性、楯無は女性。体格には大きな違いがある。ISでの戦闘ならまだしも、肉体同士での格闘戦であれば自身にも勝機はある。

 

そんな淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。

 

絶望的なまでに立ちはだかる壁、それは想定を遥かに凌ぐレベルのものだったか。全くと言って良い程、手も足も出ずに投げ飛ばされ続ける。

 

結果惨敗。

 

気づいたら自身は気を失い、いつの間にか保健室で寝かされて今に至る。

 

 

負けるまでの過程でどうやら何かあったらしいが、あまり深く突っ込んでも意味がない。

 

ある意味生徒会長のレベルがどのレベルにあるのかを認識できたという意味では、貴重な経験になっているのかもしれない。この学園での生徒会長は別名学園最強。通常の高校の生徒会長のレベルと比較すると、歴然の壁が存在する。

 

少なくとも今の一夏では到底太刀打ちなど出来るはずもない。これからの鍛錬次第とはいえ、普通の鍛錬では到底追い付けないベクトルに位置する彼女に追いつき、追い越すためには並大抵の努力では追いつくことは出来ない。

 

 

「何となく事情は分かったけど、本当に一夏は女性事情に縁があるよなぁ」

 

「こ、これは不可抗力だ! 俺は無罪だぁ!」

 

「うーん。そりゃ分かっているけど、これだけ続くとある意味お祓いでもした方が良いんじゃないかって思っちまうよ」

 

 

男の俺が言うのもなんだが、一夏は非常に端正な顔立ちをしている。それに加えて歯の浮くような言葉を簡単に口にして、女心をときめかせることも多い。つまり女性の出会いに関して困ることは無いが、その分災難に巻き込まれることも多い。

 

下手な嫉妬を寄せられて理不尽な暴力や仕打ちを受けているようなことも多く、先日の臨海学校の時なんかはまさに良い例だろう。銀の福音の操縦者のナターシャさんがバスに来て不意打ち気味に頬にキスをした時、一部始終を見ていた一夏に行為を寄せる三人が、揃ってペットボトルを投げたのは記憶に新しい。

 

俺? いや、俺の記憶は忘れろ。

 

あの時のことを思い出すと変に恥ずかしくなってくるから。

 

幸い一夏に当たることはなかったけど、一歩間違えれば周囲の生徒にも被害が出る可能性だってあった。恋は盲目といえば聞こえは良いが、暴力であることに変わりはない。

 

そう思えば朝の一夏に対する実演もそれに値するのかもしれない。

 

と、何かと災難に会うことが多いのは事実。

 

そのような星の元に生まれているのなら仕方ないが、あまりにも気になるのであれば本気でお祓いを考えたほうが良いんじゃないかと心配になってくる。

 

いや、これはマジで。

 

 

「はは……しかし箒とかセシリアは何で俺のことであんな熱くなるのかなー、俺もしかして変なことしたか?」

 

「……いや、まぁうん。それは仕方ないと思うわ」

 

「え?」

 

 

最も、本人は嫉妬から強く当たられるとは全く思っていないし、気付いていない。何なら自分に好意を向けられていることにすら。そういう意味では全く異性として相手にされない一夏ラバーズがどこか可哀想にも思えてきた。

 

さて、そんなことより状況を整理しようか。

 

今部屋にいるのは三人。

 

入口側に俺、そしてベッド近辺に一夏と楯無がいる。一見何の変哲もない配置ではあるものの、一夏と楯無の距離は近く、端から見れば仲睦まじい関係に見えなくない。つまりこのタイミングで一夏のことをよく知る人間に入室されたら厄介なことになる。

 

少なくともあらぬ誤解を招くことは間違いないし、一夏が何らかの被害を被ることは間違いない。保健室に来る可能性は高くはないが、こんな時に限って何気なく来ることも考えられる。意外に誰かが一夏の居場所を言伝して、それを聞いた誰かが来る可能性もある。

 

ま、そんな偶然毎回毎回起こるわけが。

 

 

「おい、一夏。さっき千冬さんから聞いたんだが保健室で何を……」

 

「げっ!!」

 

「あら?」

 

 

ないと言い掛けた発言を撤回する。

 

どんな低い確率を手繰り寄せてんだ一夏は。まるで磁石に吸い寄せられる金属のように、親しい人間が近寄って来る。小学生の時に見せられた磁石に、砂鉄が群がってくる様子を思い出す。

 

まさにあれだ。

 

 

 

保健室に入ってきたのは箒だった。

 

一瞬何が起きてるのか、彼女も状況判断に迷ったに違いない。一夏にそんなつもりは無かったとしても、周囲からはそう見える。徐々に状況を把握しつつある箒の表情が驚きから、徐々に目が釣り上がっていく。おそらく……いや、間違いなく誤解して判断している。

 

肩をふるふると震わせて、怒りを堪えるような素振りを見せるも、キッと一夏のことを睨み付けるとヅカヅカと近寄っていく。

 

 

「全くお前と言う奴は! 自主練を放り出した挙句に、探しに来てみれば保健室で別の女子と交流か!」

 

「待て箒! 誤解だって!」

 

「どこが誤解だっ! デレデレしおって! 今日こそその性根叩き直してくれる!!」

 

 

そう言った刹那、箒の周辺がキラリと光ると右手に日本刀型のブレードが展開された。

 

竹刀やら木刀やら色々な武器は見てきたが、目の前で鉄製の刀を展開するとは予想外。てかこのままじゃ一夏どころか、保健室自体が破壊される。

 

そうこうしている間にも、箒は一夏との距離を縮めていく。一足一刀の間合いに入った時だった。

 

 

「ん〜、気持ちは分かるんだけど、ここで一夏くんを亡きものにされちゃうと、ちょっとおねーさん困っちゃうなぁ」

 

 

楯無が動く。

 

まさに一瞬だった。

 

手にセンスを持ったかと思うと振り下ろされる箒の攻撃をものともせずに受け止め、そのまま腕を振り上げた。金属音と共に箒の手に握られていた刀は手を放れ、矛先は天井に突き刺さる。

 

 

「えっ?」

 

 

箒の一撃は一夏に一切触れることなく、無力化された。しかも部分展開もせず、待機状態で無力化してみせた。本来であれば考えられないし、一年生の中でも同じことが出来る生徒はまずいない。前提として生身でISに相対すること自体、あまりに危険な行為だからだ。

 

ISで生身の人間を蹴散らすことなど赤子の手を捻るより容易いものであり、生身の人間がISに勝つなどまず不可能。そう考えられている中で、自身の攻撃をいとも容易く止められたことに箒は動揺を隠せず、刀の突き刺さった天井をただ見上げることしか出来なかった。

 

何より自分が何をされたのか理解できずに困惑しているようにも見える。

 

 

「ふふっ、気持ちは分かるけど熱くなったらダメよ? それに構内で無断のIS展開は禁止されているから、織斑先生に怒られちゃうわ」

 

「う……」

 

 

バツの悪そうに視線を外し、ISの部分展開を解除する。

 

とっさにカッとなって暴力を奮ってしまった自らの行為に対する気持ちもあるだろうし、目の前の楯無との圧倒的な実力差をまざまざと見せつけられたこともあるだろう。

 

が、どちらにしても一時的な感情に身を任せて暴力を振るうのはよろしくない。まだまだ箒も精神的に鍛えなければならないところが多々ある。

 

幸いまだ十代、よほどのことが無ければ取り返しはつけられる年齢であり、これから先の行動次第ではすぐに変わることが出来る。既に楯無が軽く釘をさしているし、この場で俺から変に何かを言うつもりはない。

 

後は本人に全て任せる。

 

 

「とりあえず一夏も回復したことだし、自主練にでも行ってきたらどうだ?」

 

「あ、あぁ。なんか悪いな気を遣わせる感じになっちまって」

 

「ん、特に気にはしてないさ。俺も俺でやることはあるんでね、先に帰らせて貰うとするよ」

 

「あら、大和帰るの?」

 

「おう。少しやっとかないといけないことがあってな。ま、そんな大したことじゃない。俺のプライベートタイムだと思って貰えれば」

 

 

とりあえず楯無が一夏に近付いた事実を確認することは出来た。

 

何となくの理由は分かるが、今の状況を再度整理する必要がある。近辺の変化から、外部の状態。最悪を想定したリスクヘッジ。

 

臨海学校が終わってから少し平穏が続いてはいたが、どことなく波乱の二学期になりそうな予感がする。

 

最低限、イレギュラーに対する準備はしておいた方が良さそうだ。

 

 

「そーいうわけだから、後は頼んだ。夜は合流するから、また部屋に戻ってきたら声を掛けて欲しい」

 

 

ひらひらと手を振りながら一人保健室を後にした。

 

平穏な生活。

 

それは誰もが望む生活だが、ほとんどの人間は望み通りの生活を送ることは出来ない。この学園にいる以上、というより男性としてISを動かしてしまった以上。

 

平穏な生活は送れないものと認識した方が良い。

 

だが、そこに介入する危険因子があるのであれば。

 

それは徹底的に正すだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『低気圧の影響で、今日の夜中から朝方に掛けて雷を伴い激しく降るでしょう。洗濯物を干す際は特に―――』

 

「……ホント、何の意図があることやら」

 

 

寮に戻り既に時は夕食後。

 

ベッドに寝転がり、テレビをつけながら束の間の安息を過ごしていた。ある意味この時間が個人的には一番くつろげる。睡眠時が最も疲れは取れるんだろうが、気持ち的にはこの時間が一番安らぐ。

 

風呂にも入ったし、後は寝るだけの状態ではあるが、すぐに寝てしまってはもったいない。時間は無限にあるわけではない、あまりに遅くなってしまうのは問題ではあるものの、多少夜遅くまで起きているくらいは良いだろう。

 

携帯の画面を開き、カチカチと最近のニュースをスクロールして見る。しかしまぁ、色々と疲れる一日だった。楯無に関しては突拍子も無く行動しているように見えても、実は緻密な計画の元行動していることが多いし、今回も今回で興味本位の行き当たりばったりの行動には見えなかった。

 

 

「……平和なのが一番なんだけど、そうも言ってられないってか」

 

 

動き出している勢力は多い。そしてその勢力すべてが必ずしも、自分たちの味方になりうる可能性は無い。表面上では何も起きていないように見えても、裏では目まぐるしく時が動いている。

 

数少ない男性操縦者である俺と一夏に加え、新世代機である箒の紅椿。今のIS学園には狙ってくださいと言わんばかりの標的が多数存在する。標的が増えれば増えるほど守ることは難しくなるわけで、一部の守りを強化すれば、一方の守りは弱体化する。

 

そこを叩かれてしまえばもう守りようがない。生まれるであろう歪みを埋めるべくして、俺や楯無のような存在がいるんだろうけど、それだとしても限度はある。俺たちが能力そのままに分身出来れば話は別だが、そんな人間離れした能力など持ち合わせているわけもない。

 

 

「んー……訳分からなくなってきたな」

 

 

話が纏まらない。

 

結局は楯無に話を聞けなかったし、心の中にあるモヤが解消されることはなかった。俺に話せない内容なのか、それとも単純に間が悪いだけなのか。

 

ただ最悪を想定して準備することに変わりはない。抜かりはなく、こちらはこちらで準備は進めさせて貰う。幸い何もデータが無いわけではない。多少なりとも、こちらで動き始めることくらいは出来る。

 

さて、何から取り掛かるべきか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んぁ?」

 

 

突如コンコンとノックされる部屋の扉。

 

いつの間にかウトウトとしていたようで、頭が少しボーッとする。完全に眠りこけていた訳ではないが、もう少しでブラックアウト出来るレベルで眠りそうだったらしい。

 

 

「はいはい、ちょっと待ってなー」

 

 

眠りかけていた頭を起こすために軽く頬を張ると、多少なりとも眠気が覚めていく。少なくとも人前に出れるレベルで目は覚めた。身体を起こして、ノック音の元である入口へと近づき、掛けていた鍵を外す。

 

 

「あ、こんばんは大和くん」

 

 

扉を開けた先に飛び込んで来たのはナギの姿だった。

 

だいたいこの時間に来る人物は限られてくるため、そう驚くことは無い。もしこれが知らない生徒であれば結構驚いているだろうけど、現状知らない人間が俺の部屋に来る可能性は限りなく低い。

 

既に風呂には入ったようで、ほのかにシャンプーの香りが漂って来る。

 

うん、もちろんそれはそれでそそるものがあるんだけど、着ているパジャマが凄く可愛い。寝間着に関してはあまり人に見せられるような服装じゃないと言っていたが、全くそんなことは無かった。

 

普段はかなりラフな服装で寝るみたいな話をしていたことを思い返すと、言わんとしていることはよく分かる。初めて出会った時に着ていた部屋着は中々にラフなものだった。

 

 

「おぉ、ナギだったか。こんな時間にどうした?」

 

「うん。ちょっとお話したいなって思って。忙しかった?」

 

「いや、丁度暇を持て余して寝そうになってたところだ。まぁ何も無い部屋だけどどうぞ」

 

 

断る理由もない。

 

むしろありがたい限り。

 

二つ返事で了承をすると、そのまま部屋へと招き入れる。

 

と、ここでふと気が付く。付き合い始めてから自分の部屋にナギを呼んだことがあったかどうかと。俺の記憶では最後に部屋に呼んだのはクラス代表戦の後に行われた夕食会以来。そこから先にも後にも、彼女を私室に招き入れた覚えは無かった。

 

一瞬部屋が汚れていないかどうか心配になるも、つい先日掃除をしたばかりであることを思い出し、俺の心配はただの杞憂で終わった。

 

あえて言うが、俺の部屋は至ってシンプルなレイアウトになっていて、無駄なものは一切置いていない。机の上に授業用の参考書や教科書が置いてあるだけで、洗濯物系も全て引き出しの中へ収納してある。後は普段着ていく制服の上着とズボンがハンガーに掛けてあるが、外に出ているものは精々それくらいだ。

 

本当の意味で生活をするためだけに作られた空間になる。つまりは見たところで何の面白みの無い部屋になるわけだ。他の生徒の部屋を覗いたことは無いが、少なからずこの部屋よりはおしゃれに装飾されていることだろう。

 

セシリアクラスはもはや自分の部屋のようにレイアウトを変えていそうだけど、あのレベルになると別の次元になってくるし、比較対象にはならない。

 

部屋の扉を閉め、ナギの後ろに続くように歩いていき、ベッドへと腰掛けた。ナギは腰掛けた俺を振り向きざまに見ると、クスリと微笑んで俺のすぐ横にゆっくりと腰を下ろした。

 

 

「こうして大和くんの部屋に来るのも久しぶりだよね」

 

「言われてみればそうだよな。実は丁度俺も思ってたんだわ」

 

「そうなんだ。ふふっ♪ 一緒にいることが多いのに、何だか不思議だね」

 

 

確かに意外かもしれない。

 

それに一緒にいることも多いが、二人きりでいる時間はそんなに多いわけではない。随所で二人きりになれているケースはあるものの、大体近くにはラウラがいる。

 

付き合い始めて互いの距離が近付いたとはいえ、人前でだらしなくベタベタとイチャついたり、時と場合を選ばずに抱きついたりはしないし、そこはしっかりと線引きをしてくれている。二人きりだったとしても学園外の人混みでは精々手を繋いだり腕を組む程度、学園内なら手を繋ぐこともない。

 

最も距離が近くなるのは、誰も来ないロケーション、かつ二人きりの時だけで、互いに節度は守るようにはしている。

 

だからこそ、臨海学校のバス内での一件はかなり衝撃的だった。悪い思い出では無いが、思い出したらそれはそれで恥ずかしいものがある。

 

 

「そういえば学園の出し物も決まったけど、ナギはどう思う?」

 

 

ふと、ここで今日のホームルームで決まった学園祭の出し物について、何気なくナギに訪ねてみる。よく分からない出し物が候補に上がった中での、ラウラが発案した唯一まともな出し物だ。

 

 

「わ、私としては大和くんとのポッキーゲームでも良かったんだけど……」

 

「……はい?」

 

「あ、な、何でもないよ! メイド喫茶だよね。私もメイド服なんて着たことが無いから、凄く楽しみなんだ! でも、まさかラウラさんの口から出るとは思わなかったかなぁ」

 

 

一瞬凄まじい発言が飛び出たような気がするけど、俺の思い違いだったか。

 

ただ思った通りの答えが帰って来て安心する。まぁラウラの意見が採用されたのは結構驚きだった。しかも予算や準備を加味しても十分に実行できるだけの建付けになっている。

 

後意外にも、メイド服を着てみたいと思う女性は多いらしい。ある一種の憧れでもあるのかもしれない。言われてみればナギのメイド服は一度お目に掛かりたいところではある。

 

うん、これは一男として見てみたい。そんな感じだ。

 

 

「それなー。俺も思わず間抜けな声が出て恥ずかしかったよ」

 

「えーっと、確か『ぁえ?』だよね?」

 

「げっ! 何で覚えてんだよ!」

 

「だって、あの状況であんな分かりやすい声で言ってたら……ね?」

 

 

小悪魔的に微笑むナギだが、覚えられていた方はたまったものではない。みるみる内に顔が紅潮していくのがよく分かる。思わず頭を抱えて顔を隠した。

 

言ってしまったのは事実であるが故に、言い訳のしようが無いのは事実。

 

冷静に考えて、あの場であの声量で言えば隣にいるナギには当然聞こえても何ら不思議ではなかった。盛大に間抜けな言葉な上に、声が半音ぐらい裏返っているのは見ていて本当にアホの極みにしか見えない。

 

別に天然の女の子が言うなら話は別だけど、男が『ぁえ?』なんて言ってたら普通に引く。むしろ笑って済ませてくれるナギが優しいだけだ。

 

 

「ぐぉおおおお……! あの時の自分を抹消したくなる……!」

 

「だ、大丈夫だよ! 声は裏返っていたけど、別に皆も気にしてないだろうし」

 

「気にしてないって、そりゃそんな細かい所まで気にしないだろうけど……あぁ、もう! 何か変に気になるな」

 

「あはは、何かごめんね。別にからかったつもりは無かったんだけど」

 

「い、いや大丈夫。人間誰にでも変なことを言う瞬間はあるだろうし、偶々口から出てしまったって考えれば納得は行く」

 

 

地味に申し訳ない気分でいっぱいになる。

 

ナギのことだ、これくらいなら笑って済ましてくれるだろうけど、変に気を遣わせてしまったのはいただけない。

 

 

「そ、そんなことよりもね。ちょっとお願いというかその……」

 

「ん?」

 

 

頭を抱えている間に、ナギが手をモジモジとさせながら恥ずかしそうに口ごもる。何か変なことを言ってしまったのかと、部屋に来てからの会話を振り返るも、特にナギが恥ずかしがるような言葉を発してはいない。

 

だったら何故恥ずかしがっているのか、イマイチ察知が出来ずモゴモゴと口ごもるナギを見つめることしか出来ない。俺が見つめている間、あーだのうーだの言いづらそうにしながらも、やがて意を決して言葉を続けた。

 

 

「あ、明日って休みでしょ? ルームメイトの子が友達の部屋に泊まりに行ってて、今日部屋に誰も居ない状態で」

 

「お、おう」

 

 

……なるほど。

 

とどのつまりナギが言いたいのは。

 

 

「あのっ! 今日大和くんの部屋……キャアッ!?」

 

「うおっ!?」

 

 

ナギが途中まで言い掛けた刹那、窓の外から轟く雷鳴が部屋を揺らす。ズシンという確かな衝撃音、それはあらゆる人間を恐怖へと陥れるには十分すぎるものだった。あまりの音に素直に驚きを隠せない。

 

どうやら近くに雷が落ちたらしい。

 

確か天気予報でも今日の夜中から雷に注意って言ってたような覚えがある。雨雲の影響もあるのか、ずっとこの状況が続くようには思えないし、しばらくすれば雷自体は落ち着くだろう。

 

が、問題なのは俺ではなくナギの方だった。

 

 

「……ッ!」

 

 

ギュッと俺の肩あたりを握ったまま、ふるふると身体を震わせている。よほど今の音が怖かったのか、口を真一文字に結んだままおびえていた。

 

雷が苦手な人は多い。

 

それは何も女性に限らず、男性にも言える。それでもナギの場合は完全に雷がダメなタイプの女の子だったことが今分かった。

 

 

「ナギ、大丈夫……うげ」

 

「ひぅっ!?」

 

 

続けざまに雷が落ちる。

 

人が折角慰めようとしている最中に、本当に空気の読めない雷様だ。いくら雷がなり続ける時間が限られているとはいえ、これだけ連続して落ちれば恐怖感はより増大する。

 

 

「うぅ……や、大和くん……」

 

 

現にこうして怖がっている。今はもう手を握るだけではなく、腕にベッタリと自身の身体を押し付けるようにしてくっつき、少しでも怖さが和らぐように努めている。

 

流石に怖がる女の子の姿を見続けて、何とも思わない人間ではない。

 

何か恐怖感を取り去ることは出来なくとも、彼女が落ち着けるような環境を作り上げることは出来ないかと、頭の中で幾多もの方法を考えていく。とはいえ早々思い付くようなものではない。

 

となるとその場しのぎとして、一旦落ち着ける方法があるとすればもう一つしか無い。急にされたらびっくりするかもしれないが、このまま怖がるのを放置するよりかはマシだ。

 

 

「ナギ、急にごめん。先に謝っておく」

 

「ふぇ……ふわぁあ!?」

 

 

おもむろに立ち上がると、ナギの膝裏と首元に手を回してお姫様抱っこのように持ち上げる。突然のことに判断が追いつかずに恐怖感など微塵も感じられないほどの何とも可愛らしい声をあげるも、お構いなしに作業を続けた。

 

持ち上げたまま、改めてベッドに座り直すと自分の両足の太ももを跨がせるようにナギを座らせる。当然この時の視線は俺と同じ方向ではなく、俺とナギが見つめ合うような形で座らせた。

 

しっかりと座らせたことが分かると、改めてナギの身体を自分の方へと引き寄せて、優しく抱きしめる。

 

 

「あ、あの大和くんこれは……」

 

「ごめん、これくらいしか思い付かなくて。嫌だったか?」

 

「……ううん、嫌じゃない。むしろ凄く嬉しい」

 

 

ニコリと微笑むと、ナギは気持ち良さそうに俺の胸元へ顔を埋める。ゴロゴロと断続的に雷が鳴り響くも、今の彼女を見る限りは一切怯えている様子は見受けられない。

 

とっさな判断だったが結果的に吉と出た訳だ。

 

が、問題なのはそこではなかった。

 

 

「……」

 

 

しばらく顔をうずめていたかと思うと、次の瞬間ふと俺の顔を見上げる。まるで何かをねだるかのように、物欲しそうにトロンとした目付きで俺のことを見つめてくる。

 

側に居たい、甘えたい。

 

そんな感情が強く伝わって来た。

 

しつこいほどに言わせてもらうが、ナギは人前でもキスをしてみせるほど肝っ玉の座った女の子ではあるが、普段から人前でベタベタとイチャついてくるわけではない。

精々人前でやったとしても手を繋いだり腕を組んだりするくらいであり、人前で自ら抱きついたり、キスをせがんだりすることは無い。

 

一線は越えないようにしているし、どちらかと言えば一歩下がった立ち位置で客観的に物事を判断し、人との距離感を保てる女の子だと思っている。

 

しかしそれは人前での話だ。

 

今は俺とナギの二人しかいない。ナギしか知らない俺の顔もあれば、俺しか知らないナギの顔もある。普段は平静を装いつつも、我慢をしている部分があるんだろう。今浮かべている彼女の表情を、第三者は決して見たことが無いと言い切れた。

 

 

「……♪」

 

 

頬に手を添えると子猫とじゃれるかのように、顔をなすりつけてくる。同時に俺との距離を近付けようと身体をより俺に密着させてきた。

 

いや、何この可愛い生き物。

 

ラウラなんかこ小動物的な可愛さとはまた違う、別ベクトルの可愛さ。なんて言い表せば良いのか。普段は恥ずかしがるようなその素振りはどこへ、女性が羨望するほどのわがままな身体を遠慮なく押し付けてくる。

 

あ、これはこれで別の意味でヤバイかもしれない。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

目と目めが合う。

 

互いの顔から視線を外せなくなる。

 

彼女が何を考え、そして何を希望しているのかはすぐに分かった。磁石のN極とS極同士が吸い寄せられるかのように互いに顔を近づけていく。

 

 

「んっ……」

 

 

距離がゼロになる。

 

伝わってくる想いそのものが俺の幸福感を満たしてくれる。今幸せなんだと、認識させてくれる。柔らかな口の感触から伝わってくる女性特有の良い匂いが、思考を鈍らせる。

 

ずっと、ずっとこのままで居たい。

 

ワガママとも言える感情が、より彼女を強く求めようとした。

 

 

「ん、んんっ……」

 

 

身体の酸素が減り始めたのか、ナギは苦しそうに身を捩る。それでも彼女が唇を離すことはなかった。

 

少しでもこの感触を味わっていたい。考えていること全てが分かるわけではないが、何となく同じことを思っているような気がする。

 

どれだけの時間そうしていただろう。

 

どこからともなく唇を離すと、ナギは身体を凭れかけてきた。呼吸をせずにずっと繋がっていた手前、若干苦しがっているように見える。

 

 

「あ、わ、悪い。大丈夫か?」

 

「ご、ごめんね。ちょっと苦しいのもあるんだけど……こ、腰が……」

 

 

どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 

力が入らず立つことが出来なくなっているみたいだ。

 

この一連のやり取りにデジャヴを感じる。俺の気のせいだろうか。

 

 

 

「……ははっ、まぁ無理して立たなくても大丈夫だ。どちらにしても部屋に今日は誰も居ないんだろ? 泊まって行けよ」

 

「え?」

 

「もうこんな時間だしな。戻るなら止めないけど、元々そのつもりだったんじゃなかったのか?」

 

「あぅ……そ、そうです」

 

 

ボンと効果音が出そうなほど顔を赤らめながら俯向いてしまった。まだ人の部屋に泊まりたいとはっきりと言う勇気は無いらしい。

 

相変わらず恥ずかしがる姿も可愛い。どことなく慣れていない雰囲気を醸し出す女の子の仕草はそそられるものがある。

 

別にこれは俺だけじゃないはず。他の人間だって俺と同じ考え方の人間がいるに違いない。もしこれで俺だけだったとしたら全力でどこかの穴を見つけて潜りたくなる。

 

さぁ、天気もあまり良くないみたいだし。時間が経つと第二波がくる可能性もある。幸いなことに雷は収まりつつあるが、外では滝の如く打ち付ける豪雨が断続的に降り注いでいた。

 

夏真っ最中ほどではないが、晩夏になりつつあるこの時期の気候も非常に変わりやすい。さっさと寝て明日に備えるのが吉に違いない。

 

この部屋には何故かベッドが二つある。

 

恐らく部屋の立て付け自体が二人部屋であり、それを無理矢理一人部屋に変更したせいだとは思っている。本当なら泊まりに来た人間は空いているベッドを使って貰うのが良いんだろうけど、今の状況で『じゃあ空いているベッドを使ってくれ』などとは口が裂けても言えなかった。

 

 

「ナギ、悪いんだけど俺に身を委ねて欲しい」

 

「え? う、うん……きゃっ」

 

 

彼女を抱えたままベッドに寝転がる。

 

俺の胸元にすっぽりと収まったまま、重力に身を委ねて一切の抵抗を見せなかったあたり、深い信頼寄せてくれているのかもしれない。いきなり『俺に身を委ねて欲しい』なんて言われたら、深い関係にあったとしても抵抗する人間はいる。

 

それを嫌がらなかったということはつまり……そういうことだ。

 

 

「これなら怖くないだろ?」

 

「……うん。ありがと、気を遣ってくれて」

 

「お安いごようで」

 

 

そこから俺たち二人が眠りにつくのはあっという間だった。外では相変わらずの豪雨が猛威を奮っている音が木霊している。本来なら落ち着いていられるものではないが、それでもナギが怖がることは一切無かった。

 

二人しか知らない時間。

 

何と響きの良い言葉だろうか。

 

訪れる眠気と共に目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

俺の目が開く頃には次の日の朝方になっていた。


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