春の麗らかな陽気は、無差別に人の眠気を誘う魔力を持っている。
この魔力に抵抗出来る人類はごく僅かで、しかも高校生という人種はこの力への抵抗力が極端に少ない種族なのだ。
よって、午後の授業から参加している俺にとって正午過ぎのこの時間は、日当たりが良く瞼が重く目を開けていられないんだ。
第一、こんな良い天気の下、大嫌いな勉強をした所で意味は無いと思う。こういう日は、桜の下でうまい飯(杏の手料理だとなお良い)でも食いながら睡魔に逆らわず微睡んでいた方が良い。
周りのクラスメイトを見れば、一応町一番の進学校という事もあって皆真面目に授業を聴いている。
例外なのは岡崎と春原ぐらいだ。この二人はもう既に腹が膨れたせいで眠気に勝てず、机の上で腕を交差させて枕代わりにして寝ている。
(俺も律儀に起きてないで、本当は寝てしまいたい…………んだが、そうもいかないんだよなぁ……)
憂鬱から溜息が漏れる。
原因は俺が愛する藤林杏のクソありがたいお言葉のおかげである。
杏にコブラツイストをくらって胸の感触を堪能していた後、椋は俺の遅刻について注意をしてきた。思えば……いや、考えるまでも無くそれが原因となって杏は俺に、椋と一緒になって注意をしてきた。
『あのね、あんたが遅刻すると椋にも迷惑がかかるんだからちゃんと来なさい! それと、授業もちゃんと受けるのよ!? どうせ、いつも寝てるんでしょ? 陽平の馬鹿と朋也だけでも椋が大変なのに、幸希まで一緒になって負担増やすような事すんじゃないわよ!?』
『……任せろ杏。俺はやるときはやる男だぜ!(だから岡崎から俺に乗り換え乗車を……)』
俺の中では女神の杏がこう言って来たんだ、妹である椋を心配させないよう俺はしっかり眠気と格闘をしていなくてはならない。
真の男というのは、惚れた女の為なら海を割り天を裂く事だって出来なくては務まらない。要はどんな事だって出来るって事だ。……程度によるけどな。
中途半端に従順だから、杏の奴もしかしたら俺の事、何でも言う事を聞く便利屋と思い始めてないか?
いや、そんなわけないか。雑な性格だが、なんだかんだと面倒見がいい杏だからこそ俺は好きになったんだしな。もう、当初の理由を凌駕して杏という存在が好きになってるけど。
てなわけで、真面目に授業は聞かずに起きているだけで体裁を保っているのも暇だ。
暇つぶしに椋が何をしているか視線をやると、なんか知らんがコッチを見ていた。というか目が合った。
「っ……!?」
何やってんだあの未来の俺の妹君は。俺を見たって授業内容は分からないぞ。
目が合って一秒程、俺に気が付いた瞬間驚いた顔をして前を向いてしまった椋は、一心不乱にノートとにらめっこをしている。……新しい遊びか?
特別これといってする事がないから、今度は春原で遊ぶことにしよう。出来れば音が立たない遊びが良い。下らない事で怒られるのも面倒だ。ただでさえ教師には目を付けられているから、細心の注意をはらって。
(……さて、何で春原をどうにかして面白い事にしたいが……どれを使おう)
服の中に収納してある小道具を取り出して考える。
花火や爆竹、煙玉なんかは当然駄目だ。音が出るし煙も出るから、そんなの怒ってくださいって言ってるようなもんだ。俺はそこまで馬鹿じゃない。
となると、選択肢は大幅に狭まる。花火関連でライターも当然だし、マグネシウムテープとかもう論外だ。基本喧嘩用のラインナップを揃えてるから、悪戯には向かないんだよなぁ。風子の時だって結局面白くはならないで、好感度が上がっただけだったし。俺が上げたい人は一向に変動しないのに。世の中おかしいだろ。
春原は俺の悩みなど知らないままに幸せそうな寝顔を浮かべている。
(……そうだ、コレでいこう)
俺は懐から瞬間接着剤を取り出し、春原の机の上に置いてる右の肘に付け、そのまま机とドッキングさせた。
これでこいつは目が覚めた後、さあトイレにでも行こうと思い立って席を立つと、机と一緒に連れションをすることになる。地味だがやられると最高にじれったい。
そういえば、似たような事を過去の春原にやったな。
あの時は上履きの裏だったから、そのあと靴下じゃみっともないとか言って学生寮に帰っちゃったな。勿論、上履きは剥離剤を付けて元に戻しておいた。
あれ……という事はもしかして、二番煎じじゃないのかコレ。
いかん、やっぱり爆竹を春原の鼻に詰めて点火の方が面白……でもそのあとが面倒だ。
そうこう思っている内に終業のチャイムが鳴ってしまった。
これはこれで暇つぶしになったけど、イマイチ納得がいかない。ま、それより今は岡崎を起こさなくては。
「おい、起きろ岡崎」
「……ん? 榊原……もう放課後か」
「そうだよ、だから早く行くぞ」
「どこにだよ?」
眠たそうに目を擦る岡崎が大きく欠伸をし、軽く伸びをした。
「古河の所。ちょっとあの子に訊きたい事があってな、俺知らないんだよあの子のクラス」
「……B組だ」
ポツリとそう言い残して再び眠りの態勢に戻った岡崎。
「寝るな、起きろ、お前も一緒に行くんだよ」
「……なんで俺が」
「俺はあの古河って子とは顔を合わせた程度だ。いきなり訪ねて困惑されるのも面倒だ、だから友達のお前に同行してもらいたいんだよ」
「別に俺はあいつと友達ってわけじゃ……」
「いいから行くぞ。ほらっ……」
「あ、ちょ、お前っ……」
古河と仲良くなってもらう為にも岡崎は必要不可欠だ。今は知り合い程度でも、顔を合わせる回数を増やせばそれなりに女子は意識をする……と俺愛読の最近の雑誌には書いてあった。なんでも女性とは大抵の異性の行動に理由を求めるらしい。真偽の程は分からないが、だからといって無碍にする理由もない。
だから俺は渋る岡崎の腕を掴んで、古河が居るであろうB組の教室まで向かった。
放課後を迎えた学校の廊下は、帰宅しようとする生徒や、それに紛れて部活動に勤しむために部室へ向かう生徒で賑わっていた。
町の中でも一番の進学校である此処の生徒は、やはり勉学を重要視しており、受験を控えた三年生は特にその重要性を理解しているのか部活動に専念する生徒が少ない。大体が先に待ち構えるテストの為に自習をしたりする生徒が大半で、それ以外の時間を無駄と切り捨てる、俺からしたら奇特な人種ばかりだった。
でも、古河渚という生徒は違った。
彼女は一度留年して二度目の三年生なのに、今更部活をやろうとしていた。結局、その部活も廃部になっていて諦めざるをえなかったのだが、だとしてもこの学校内では彼女は“まとも”だ。
不良と蔑まれ、やっかみが多い俺から見たら、優秀な成績を得て有名な大学に進学する事こそ至高なのだと人生の全てを費やすクラスメイト達の方が“まともじゃない”。奴らはどうしてそれ以外の物に目を向けようとしないのか。もしかしたら、勉強が嫌いな自分には分からない快楽の類なのだろうかと邪推してしまう。
理解が及ばない人を、人間は意識的にしろ、無意識的にしろ忌避したがる。知らないというのはある種の恐怖材料だ。人は未知を恐れて既知に安らぎを得る。故に、B組にいた生徒らが未知の象徴である俺達を見て厭な顔をするのもしょうがない。
「…………」
数多の視線が俺達に集中した。
部屋の隅で蠢くムカデを見つけた時のような嫌悪感が籠った視線。自分よりも劣る生物を見るようにもそれは感じられた。
が、そんな無言の批難を浴びる事に慣れた俺と岡崎は素知らぬ顔をして目的の少女の姿を探した。……見つからない。
「おかしいな、なぁ岡崎。本当に古河はB組なのか? 聞き違えたか?」
「間違いない。あいつは確かにB組だって言ってた。普通に帰っちまったんだろ多分」
一理ある。
岡崎が言うように、もしかしたら授業が終わって早々に帰ってしまったのかもしれない。見渡しても、彼女の姿は見えないし、箒を持って談笑する男子生徒と、その集団から外れた鞄を持った女生徒達ぐらいしかもう教室には居ない。
……風子には事情を説明して、また今度にでもしてもらおう。
諦めて踵をかえした時……偶然なのか、女生徒の会話が聞こえた。
「それにしても、あんたも結構悪ね。あの子一人に掃除を押し付けるなんて」
「ナオだって共犯じゃん。良いでしょ別に。お人好しっぽいから、きっと今も中庭で一人律儀にやってるでしょ。なんの疑いもしないで」
「ま、拒否しない方が悪いよね。私らもやってくれるから頼ったにすぎないし」
「持つべきものは便利なクラスメイトよね」
心の泉から湧き上がった不純物は……なんなのだろうか。
ごぽりと大きな気泡を産みながら浮上していくソレは、確かに俺を突き動かすには最適の燃料だった。
ふと岡崎を見れば同じように面白くない、不機嫌そうな表情で推測の人物を嘲笑する女生徒達を睨んでいた。
つくづく世の中というのは不平等なのでは、とセカイ系主人公のような何の易にもならない思考を即座にシャットアウトした。世の中に限らず、家の外に一歩出れば、そこはもう不条理の領域なのだ。なんてことはない、当たり前の事を当たり前に行っているだけなんだこの女子達は。
息の揃った脚は俺と岡崎の。進行方向は自覚無き悪意を持った女子。握った拳は―――腰の後ろで組んで隠した。
「ちょっといいかそこのサゲマン共」
「訊きたい事があるんだ」
「は? いきなり何よあんた達。誰がサゲマンよ……!」
生来の口の悪さは、俺の歯に衣を着せず、刃となって相手を切りつけた。こんな言葉一つで激情するなんて、もしかしたらこの女は相当自分に自信があったのか。それは側に置く取り巻きを見れば明らかだ。
開幕から喧嘩腰の俺とは違って、逆に岡崎は冷静だった。しかし、その瞳には明確な炎が灯っていた。
こいつらも運が悪い、俺達の癇に障ったんだ。楽しい談笑は終わりにしてもらおう。
―――外は不条理の領域なんだから。
※
何処かで一つの不条理が降りかかった時、中庭では一人竹箒を手に持った少女が佇んでいた。
彼女の他に竹箒を持っている人が居ないことから、ここの掃除を一人でやっているというのは誰にだって推測出来る。きっとクラスメイトに押し付けられたのか、それともじゃんけんなどで敗北した結果なんだろうか。どちらだっていい、と衆目は語り見て見ぬふりをして少女の傍を通りすぎる。居ないものを見過ごすように―――。
「…………」
少女の手は先ほどから止まっていた。
小さな両手で持った竹箒は足元に根を生やしたように動かない。
作業が終わったのか、それとも一人な事を嘆いているのか、俯き加減な態勢からではその表情は窺えない。
けれど、いつまでもこの調子では何も変わらない。それとも、この少女は変わる事を恐れているのか、時折漏れる溜息が何度目かに達した時、一つの影が少女の眼前に差した。
「一人で何やってんだ古河……?」
透明感のある他人事のような声は、少女の知っている声だった。
問われた少女―――古河渚は顔を上げた。
「あ……岡崎さん?」
「よう、掃除か? 見たとこ一人のようだが」
右に左に視線をやりながら朋也は話しかけてきた。
物事を察する、というのは言い過ぎかもしれないが、渚にとってこの質問は言いずらい部類に入る話題だった。
気がつけば居なくなっていたクラスメイトに、良いようにされた事を恥じているのではない。ましてや、憎む事もない。人が良い渚は人を恨んだり憎むという事をしないのだ。
ならば、どうして。何故言いずらいのか、それは朋也が事実を知った時もしかしたら気を使うかもしれないと思ったから。
どうしてだか自分に話しかけてくれる彼に、余計な心配をしてほしくなかったから。だから―――。
「すぐに終わらせますので、部室で待っててください」
「……古河…………」
誤魔化すのは、それはそれで罪悪感が生まれた。
悲しそうな、そんな揺らいだ朋也の瞳が渚の顔を撫でる。
“なんでそこで何も言わない。お前がクラスメイトに見捨てられた事ならもう知っている。一言相談してくれれば、その悩みを解消出来るかもしれないのに。”
基本的に我関せずを自分なりに貫いていた朋也だが、現場を目の当たりにして無視できる程図太くは無かった。心を痛めているかもしれない少女を前に、それを拭うことが出来るかもしれないのに……無力感とまではいかない、疎外感に似た性質の疼きが胸に走った。
柄にもなく手助けなどをしようとしている対象を見ると、止まっていた竹箒を動かしてせっせと掃除を終わらせようとしていた。
待てと人に言った以上、長い時間待たせてしまうのを彼女は嫌う性質なのだろうと朋也は推測する。
ここで見守っていても良かったが、それでは渚の邪魔になるだろうと思い、背を向けて言われた通りに部室へと向かって行った。
中庭を繋ぐ校舎の入口に差し掛かると、人影が一つ。見慣れた人影だ。
朋也は思わず足の運びが雑になる。自分を待つ怠け癖のある卑怯者に対する、せめてもの抗議だと意思表示するように。
「話は終わったか?」
「部室で待っててくれ、だとさ。……なぁ、なんで俺だけに行かせたんだ? わざわざこんな所で変人気取って待つお前のやりたい事が、俺にはいまいち分からないんだが」
口を尖らせて言う朋也。
入口で待っていた幸希はそれを聴いて恍けたように笑うだけだった。
幸希と知り合って一年が経とうとしているが、未だこの男の言動には理解が及ばない。
わざとらしい高笑いをあげながら旧演劇部室に歩いている幸希の背を見て、朋也は思わず頭痛に悩んだように手を当てる。
渚のクラスでの己の浅慮が仇となって招いた事件の後、中庭に居る事がわかった二人は、向かう途中で「俺はここで待ってる」と言って立ち止まった幸希。どうしてか問うてもまともな答えなど帰ってくるわけもなく、仕方なく一人で行った朋也。
自分にとって面白い事なら進んでするというはた迷惑な趣向を持っている幸希を、朋也は嫌いではないが、気疲れはしていた。どこまでも好き勝手に場を荒らす彼は、周りからしたら台風の被害に遭うのと違わない。中心に居る彼にだけ、その被害は無い。
文句の一つでも今度言ってやる、と密かに思いながら朋也も幸希の背を追い部室へと向かった。
「それでは、風子ちゃんという子に会えば良いのですか?」
「ああ、会えば分かる……かもしれない。詳しくはそこにいってからだ、岡崎も勿論付いてきてくれよ」
「ここまで来たら最後まで付き合うさ」
三者三様、様々な足音を立てながらリノリウムの廊下を歩く。
落ち着いた静かな足音の渚が、堂々とした足音の幸希に問いかけ、気だるそうな足音の朋也が諦めたように口を漏らした。
部室で待つこと数分。掃除を終えた渚が部室に入って、幸希は開口一番に「会わせたい人が居るから、岡崎と一緒に空き教室まで来てくれ」と言い放った。
状況がうまく把握出来なかった渚は、あっけに取られたが、そこは朋也の助勢もあって何とか納得が出来た。
要するに、一年留年している渚にしか知りえない事を求める女子が居るから、会って欲しいとの事だった。
演劇部の復帰の為に色々やる事があったが、朋也の友人である幸希の頼みを断れる度胸も、思考もしなかった渚は二つ返事でそれを了承した。
連れられて十分程が経過して、幸希は目的の教室の前で立ち止まった。
「ここだ、おーい風子、居るか?」
扉を開けて声をかけると、昼ごろに会った時と同じ場所で同じように彫り物をしている風子が顔をあげた。
机の上には、幸希が研いだおかげで作業効率が上がったのか、けっこうな数の木の彫刻が出来上がっていた。正確にこの彫刻がなんであるかを理解できる幸希からすれば、それはまるで海辺のようにも見えなくなかった。……思って、流石にそれはないなと脳内で却下した。
「榊原さん、風子待ちくたびれてしまいました遅いです」
「そりゃ悪かったな。だけど、お前が望んでた人はちゃんと連れてきたぞ。ほら……」
「初めまして、古河渚です。あの、榊原さんに聞いたんですけど、わたしに何か御用ですか?」
渚の肩を軽く叩いて先を促し、丁寧な口調が旋律のように奏でられたのを見て、満足したように幸希はこの場を後にした。
渚と風子を見ていた朋也は、それを見逃してしまった。
やることはやった。あとはもう、自分が出るまでもなくお人好しな二人は風子に首を突っ込むだろう、と幸希は思う。
中庭でのやり取りを見ていた幸希は、二人が満更でもない感じになっているのを見て、嬉しくなった。
これは少しつついて背中を押せば、恋人関係になるのも時間の問題だと思ったからだ。風子の事のついでになればいいと思ってのものだったが、思わぬ収穫である。
ヒトデを愛する少女は、きっと渚に懐くだろう。彼女に、興味こそあったが、だからといって入れ込んでもしょうがないと思い、幸希はあの場を後にした。
「発端を担う者が投げだしたら、事態はどこに向かうんだろうな……」
自覚するように、訥々と言い放った。
数十秒もすれば、一人居なくなっている事に気が付いてしまう前に去ろうと、幸希は足を速めて学生寮に向かった。
※
「あんたのせいで僕の服破けちゃったじゃんかっ」
部屋に入って早々の先制口撃は、なかなかのスピードだった。春原にしてはやるな、という印象だ。
風子の事を岡崎と古河に押し付けて逃げるように立ち去った俺は、今日も今日とて怠ける為に春原の部屋に立ち寄ったんだが、家主はご立腹だった。
「何をいきなり。言いがかりにも程があるぞ、どこに俺が接着剤を使ったって証拠があるんだよ」
「もう白状したようなもんじゃんそれ! あんたほど薄情な人間は会ったことないよっ」
「それがジョークのつもりなら、お前今すぐに首を吊った方が良いぞ」
「白状と薄情をかけたつもりはないですからっ」
説明するのがまた怪しい。
本当は笑って欲しかったんだろうか。
「まぁ落ち着けよ相棒」
「な、なんだよ急に」
学校での悪戯に腹を立てている春原の肩に手を乗せ、フレンドリーに接してみる。
目線を下げて春原と合わせると、背後の壁にかかっている制服の肘辺りが破けていた。きっと机から離れなくて無理やり破いたんだろう。
「俺は何も嫌がらせの為にあんな事をしたわけじゃないぞ」
「じゃあ、何だってのさ」
「お前の寝姿があまりに芸術的だったから、クラスのみんなに見てもらおうと思って固定したんだ。春原の寝る姿は、歴史的価値のあるものだったぞ」
「マジで!? いやー、自分でもちょっとは思ってたけど、まさかそこまでだったなんて。そういう事なら仕方ないな」
照れたように後頭部をかく仕草をする
調子に乗った馬鹿は、止まらない。というのが、今夜得た俺の知識だった。……実に役に立たない物だ。
※
翌日。
春の陽気は未だ健在で、朗らかな陽光が差す通学路を、欠伸を噛み殺しながら歩いていると気になる人物が先に立っていた。
学校前にある桜並木の坂道で、一人の少女が思案顔で桜を見上げていた。
感慨深そうな瞳と朝日に照らされて輝く銀髪が、この場では異質な感じがして、それが俺の歩をとどめた。
「あれは……」
そう、たしか以前にも見た事がある。
コスプレをして校庭に出た時に一度。俺に話しかけてきた女子。
名前は確か……坂上智代と言ったはず。杏から聴き、春原から恨み言のように聞かされた人物だ。
坂上は通学する生徒共には目もくれず、立ち止まりずっと桜を見上げている。それは雛鳥が刷り込みをするように、決して忘れないように、網膜に焼き付けるように。何かの決意の表れのようにも見える。
桜並木の景観から浮いているせいで目に留まったけど、これといって興味が無いので俺は坂上の視界に入らないように離れた距離をとって坂道を上った。
妄執なのだろうか、ただひたすらに桜を見続けるあの姿は、どこか危うげにも見えた。
「榊原、ちょっと付き合ってよ」
「俺はホモじゃない」
「そういう付き合うじゃないよっ」
教室に入ると、珍しくまともな時間に教室に居る春原に話しかけられた。
「じゃあなんだよ」
「これから坂上智代にリゾンベするんだけど、見届ける奴が居ないと僕がやったって証明できないだろ? だからついてきて欲しいんだよね」
そういうことか。まぁ、多分考えるまでも無く返り討ちにあうんだろうな。こいつの場合。
どうしてそこまでして坂上に固執するのか、きっとそんなのは些細な事なんだろけど。
まだ杏も登校してきてないし、することもないから別にいいか。
「ついて行くのは良いけど、俺は手を出さないからな」
「当然。榊原は指を咥えて見てるだけでいいから」
「ならいいんだ」
というわけで俺は春原について行くことにした。
教室を出る際、席に座っていた椋がこちらを見て何か言いたげな顔をしていたが、それが何なのか知ることは無かった。
不良は敵の下駄箱に果たし状を入れたりしているのを漫画や映画で見た事があるが、春原はそういったものを踏襲せず直接クラスに乗り込んで呼び出す方法を選んだ。この思い切りの良さは俺も見習うものがある。
桜の鑑賞が終わったのか、二年生のクラスにはちょうど坂上が鞄を下ろしている姿があった。春原を見るなり「またか」って顔をしていたが、呼び出しには案外すんなり応じてくれた。
その後、人が少ない校舎の廊下まで移動し、今に至る。
「またか……いい加減諦めてくれないか」
「今日はちょっと違うんだよ……今日は、なぁっ!!」
言い切った瞬間春原が坂上に向かって飛びついた。どうせ先手必勝とか思ってるんだろ。間違っちゃいないが、意表が突けないんじゃ意味が無い。
右手を振りかぶり、あからさまなテレフォンパンチの春原に相対する坂上は、流れるようにその場で半回転し……閃光のような蹴り技を繰り出した。
格ゲーに出てくるチャイナ服を着たキャラクターみたいな、連続蹴り。一つ一つが残像のようで、無数に足があるような錯覚。
雨のような足技は、残らず春原の体中に命中した。……曲芸みたいだな。
「ごふっっっ……!!」
「だ、大丈夫か!? 反射的に、つい本気で蹴ってしまったじゃないか」
「あー、そいつ鋼鉄○ークより頑丈だから大丈夫。あれだ、コマが変わると元通りなギャグ漫画のキャラみたいなやつだから、すぐ直る」
「そうなのか? そういえば、ダストシュートの時も……」
なんだそのダストシュートの時って。物騒だな。もしかして、この前春原がごみ臭かった日の事なのか?
坂上にやられて駄目な感じになってる春原を放置して、坂上は考えるような素振りを見せた。が、すぐに俺の方へ向き直った。
「お前は、初めて見るがこの男の知り合いなのか?」
「すんごく遺憾だが、一応知り合い……みたいなもんだ」
「そうか、お前も私になにか用があるのか?」
「俺はただの見届け人だ。別にお前なんぞ女子相手に喧嘩するつもりもないし、文句もない。物置だと思ってくれればいい」
誤解される前に、歪んでしまう前に正しておかないと後々面倒事に発展しかねないからな。それに、正攻法じゃこの坂上には敵いそうがない。する気もないが。女を殴ったなんて杏に知られたら、俺はきっと幻滅されてしまう。そこまでの自殺願望が俺にあるはずがない。
だというのに、坂上は俺を訝しげな目線でじろじろ観察してきた。俺ってそんなに疑り深いんだろうか。ちょっとショック。
「そうか、それなら良いんだが……それにしても、お前は傷だらけだな。もしかして喧嘩で出来た傷か? だとしたら、あまり見過ごすことは出来ないんだが」
「お前には関係ないし、他人の便器を覗くような行為はあまりしない方が良い。糞を見る羽目になるぞ」
「随分口が悪いんだな、なんだか懐かしい気分…………ん?」
坂上の首が十度程傾いたまま停止した。何か思う事でもあるんだろうか。
瞳は依然として俺を捕らえて離さない。
杏以外の女と見つめあう趣味じゃない俺は、目線を春原の方にやった。見れば再生を終えて顔が元に戻っていた。なんか化け物みたいだ。
「榊原……だったよな確か」
「それがどうかしたか? もしかして、苗字が気に入らないって理由で俺を討伐する気か?」
「違う、私は自分からそういう言いがかりのようなことはしない。それより、榊原は昔…………」
「これで終わったと思うなよぉ!」
問いかけは、しかし春原の乱入で遮断された。
復活を遂げたタフな春原は立ち上がり、指を突き出して宣誓している。不敵な笑みを浮かべながら。
「次は……この助っ人が相手だっ!」
「はぁ? お前は何を突然―――」
「さっき言ってた通り、相手に味方して油断させる作戦ならもう良いからっ」
「……それは、本当なのか榊原?」
クソ、春原のくせにいっちょまえに頭使いやがって。お陰で坂上が信じてるじゃんか。
ゆらりと、幽鬼のように俺に敵意を向けてくる坂上は、地獄の死者のようだ。純粋に戦闘力の塊みたいな奴に、俺が叶うわけがない。
「良い奴だと思っていたんだが……残念だ」
「お前、実はすんごい馬鹿なんじゃないのか?」
「なんだとっ!?」
いかん。火に油を注いでしまった。
仕方ない、騒ぎになるかもしれないからあまり使いたくないんだが―――。
「俺はお前に敵対するつもりはないから、ここらでお暇させてもらうよ」
懐から出した三つの物を瞬時にしようする。……ついでに、春原にもプレゼントをやる。
「じゃあな坂上―――」
「―――っ、まて……」
サングラスを付け、ある物に火を点けた。
閃光が、文字通りの光が廊下を埋め尽くした。
マグネシウムテープ。火を点けると、激しく光を放ち燃焼するのが特徴で、俺が良く使う道具の一つだった。これを使えば相手の目は一時的に見えなくなる。当然俺はサングラスを付けたので大丈夫。
ついでに、春原の目にタバスコを振りかけておく。
「ぎゃあああぁぁぁーーー!!!!」
「っ~~……! 待て榊原っ!」
灼熱のような痛みに悲鳴を上げる春原の断末魔を聞きながら、俺を制止しようとする声を振り切ってその場から逃げだした。
嫌な事は、出来るなら逃げた方が得策に決まっている。ネガティブ万歳。開き直りってのは精神を安定させるのに必要なものだ。
数年前、というほど昔じゃない頃。
嫌な事から逃避するように町の不良を狩っていた坂上と、そう違わないだろう。あいつは気づきそうになっていたが、それはお互い忘れていた方がいい出来事だ。誰も得しない、墓を掘り返すような行為に他ならない。
お互い、あの頃の自分とは向き合いたくない筈だ。
こんな時は杏と会って癒されるに限る。またコブラツイストをかけて、あのパラダイスを味わいたいものだ。
「そうと決まれば、エロは……いや善は急げだ!」
男なんて馬より単純だ。目先に人参をぶら下げなくとも追いかけに言ってしまう、悲しいくらいに馬鹿な生き物なんだから―――。
これ以降、少し先の展開を考えるのに時間がかかりそうなので、結構更新が遅れるかもしれません。
読んで下さる皆様には申し訳ないのですが、お待ちいただけると幸いです。
それにしても、藤林姉妹の出番が……。