CLANNAD~終わりなき坂道~   作:琥珀兎

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第四回:妥協できない想いと打球の行方

 あの後の事はよく覚えていない。

 忘れたくても忘れられない、聞きたくなかった、知りたくなかった真実を耳にして愕然とした俺は逃げるようにトイレに入って。こんな状態で杏と椋の前に顔を出すのが嫌になり、俺はゲームセンタを後にした。

 おぼつかない足取りで帰途に着き、そのあとはまたあの地獄が待っていた。

 

 棘どころか断頭台の如き力と殺傷力を持った辛辣な言葉。耳朶を震わせる“それ”は俺を縛り付ける鎖のようで決して逃避する事を許さないようにきつく、命諸共に締め付ける呪縛のようだ。

 水飲み鳥のように繰り返し断続的に振り下ろされる鉄槌に、思わず俺は体が硬直する。ガツンと鼓膜の奥で鈍い音がしたように聞こえた。多分、そこらへんにあった■■■■■■を使ったんだろう。

 衝撃を受けたであろう頭部が異様な熱を持って、それが緩やかに下降し俺の顔を塗りたくった。

 ああ、多分今のでまた頭が割れたのかな。もう何度目になるか分からないけど、いい加減頭は駄目だって理解してくれないと困る。

 ■■はそんなことお構いなしなんだろうが、俺が後で治療しないと痕になって残ってしまう。そしたら、今日の椋みたいに指摘されてしまう。それだけは勘弁して欲しい。

 と言った所で聞く耳なんか持ってないけど…………。

 

 ―――地獄は空が白むまで続いた。

 

 

 

 

 世界は夜に終わって、朝に始まる。

 一日で完結した完全な仕組みが出来上がったら、人間という種族はきっと淘汰され絶滅するだろう。

 感情という無用の長物を抱えているせいで種の繁栄に支障をきたしてしまうからだ。きっと、人間は人類の存続が危ぶまれていると気が付いた時にはもう、後戻り出来ないところまで来てしまっているかもしれない。

 いっそのことみんな滅んでしまえばいいとさえ今は思える。

 失恋の痛みに傷ついている俺は自暴自棄になっているのかもしれない。

 なんかもう、全てがどうでもよくなってきた。目の前に全人類が消滅するボタンがあったら迷わず押すかもしれない。あ、でも杏がいなくなるのは嫌だから、杏以外全員がいなくなれば俺の勝ちなんじゃ……。

 

「はぁ…………阿呆か」

 

 逆に考えると、杏以外の全人類がいなくならない限り俺と杏は結ばれないということだ。そりゃ望みが薄すぎる。自己嫌悪も程々にしなくては。

 ふと、気まぐれに空を見上げると、この世の何よりも高い位置に君臨する青く澄んだ大空が変わらずにあって、穢れを知らない無垢な色の雲が優雅に、気持ちよさそうに漂っていて、思わず羨ましい気持ちが芽生えた。

 悠然と咲き誇る桜の木が風に揺られ、花びらを散し青空に装飾を施していく。

 空は、世界はこんなにも広大なのに、俺は小さな事でいつまでも悩んでいる。

 通学路に立つ俺の脚はさっきから一歩も動いていないのだ。

 率直に申して、学校に行きたくない。

 

「昨日の今日で、杏と椋の顔は見れないよなぁ…………」

 

 よし、今日はサボろう。サボタージュだ。

 そうと決まったらいつものたまり場兼休憩所の、春原の部屋にでも行くか。

 善は急げと言う。このサボりは俺にとってのジャスティス。よって、急ぎ足で学生寮へと向かって桜舞う道程を進みながら、現状を振り返ってみる。

 杏が椋に対して岡崎が好きだと言ったも同然な事を言ったので、きっとあの仲の良い双子姉妹は協力して岡崎にアプローチをしていくかもしれない。そうなった場合、岡崎の気持ちが血迷って杏に向いてしまう可能性だってある。というか、杏が岡崎に告白したらその事実だけで俺は死ねる。

 命を大事にする為にも、岡崎には早く恋人を作ってもらわなくてはならない。

 現在、候補として俺が認知しているのは古河渚という小動物しか居ない。でも、この少女は岡崎にはピッタリだと思っている。明確な理由を列挙出来るわけじゃないが、予感のような、それが一番しっくりくるという感じがしたのだ。

 だから、俺は杏が岡崎に告白するよりも先に、あの二人をカップルにしてしまえば良いんだ。

 なんだ、当初とあんまり計画に変更はないじゃんか。しいて言うなら、杏がいつ行動を起こすか分からないという一点のみだ。

 

 

 

 

「春原、お茶」

「僕はいつからアンタのお茶汲みになったのさ!?」

 

 学生寮に到着し春原の部屋に来て早々の第一声にがお気に召さなかったらしい。

 ベッドの上で寝転んで漫画を読んでいた春原が飛び起きて、いつもの面白い顔をしながらツッコんできた。

 

「そんな風に思うわけないだろ、春原は俺の奴隷じゃん」

「友達を奴隷扱いする奴の言う事を聞くわけないだろ!」

「朝っぱらから五月蠅いぞ。ここは学生寮なんだからもう少し静かにしようぜ」

「原因はアンタッスけどねぇ!」

 

 お決まりのやり取りも終わった所で、喚いている春原を無視していつもの炬燵に潜り込む。

 こいつと知り合って二年が経つが、あの時はこれほど顔を合わせるとは思ってもみなかった。

 電源の入っていない炬燵に身を任せ、乱雑に散らばっている周辺の漫画を手に取って読み始める。あっ、この漫画この前も読んだ奴だ。

 

「はぁ……そういえば二年生の坂上智代って女子、榊原は知ってるか?」

 

 俺を糾弾することを諦めた春原はそう言ってきた。

 その名前は最近耳にした事もあって覚えていた。一度忘れてたけど、杏のおかげで思い出したのもよく覚えている。

 

「あれだろ、銀髪の美人な女子だったら知ってるぞ」

「そうそう、その坂上智代なんだけどさ……ああ、今思い出してもムカムカする」

 

 話題を振ってきた張本人が虫の居所が悪そうに顔を顰め肩を震わせていた。

 何かあったのだろうか。あったとしたら、多分昨日なんだろうけど、生憎その時俺は違う事をしていたからこいつが何をしていたかは分からない。

 普段からいつも一緒に居るわけじゃない俺達は、それぞれ好きなように行動しているから、大体の事が事後報告のような形になってしまう。

 基本的に一人での行動が好きな俺としては、この岡崎や春原との付き合い方は好ましく思っているから気にしないが、そのせいで面白い場面を見逃してしまうのはちょっと悔しい。

 

「なんだよ、因縁でもつけて返り討ちにあったのか?」

「……もしかして岡崎から聞いてた?」

 

 マジかよ。

 くそっ、そんなの絶対に面白いに決まってるじゃんか。なんであの時の俺はこいつの後を着けなかったんだ。……あ、杏と一緒に居たんだった。

 しかめっ面が一転、ばつの悪そうな表情になる春原を見て思う。

 この男は俺からしたら雑魚だけど、元運動部だったこともあって身体能力は良いはず。にも拘らず女子に敗退したというのはどういう事だろう。そんなに強かったのだろうか、坂上智代という女子は。

 

「岡崎からは名前程度しか聞いてなかったな。それにしても、お前本当に負けたの?」

「うっ……ま、負けてないって! あの時は相手の力量を確かめる為に手加減してたからね、まぁサーベルってやつさ」

「すぐにわかる嘘を吐くなよみっともない。それと、サーベルじゃなくてサークルだからな、物騒だろサーベルじゃ」

 

 正確にはサービスだと思うが、面白いからどんどん間違った英語知識を植え付けてやろう。去年からの教育の賜物があってか、春原はたまにおかしな横文字を引用する。それを岡崎が正して、また俺が間違った教育をするのが一環になっている。

 春原は俺と目を合わせず明後日の方向を向きながら、苦し紛れの言い訳をしているが、絶対にそれは嘘だ。きっと本当にコテンパンにされたんだろう。

 詳しい話が良く知りたいので、読んでいた漫画を床に置いて、うぐぐと唸っている春原に体を向け問うてみる。

 

「何者なんだ? その坂上智代って女は」

「……岡崎から訊いた話じゃ、昔この町では結構腕を鳴らしてた奴らしいよ。僕はそんなの認めないけどね、きっと女の色香を武器にしてたに違いないよ」

「お前って、清々しいぐらいにゲスい考えをしてるな」

「ゲスいってゆーなっ!」

 

 俺の評価に不満の声を上げる春原を無視して、坂上智代の話を振り返って考えてみる。

 記憶が確かに作動しているのなら、俺はこの少女と会った事が……もしかしたらあったかもしれないし、無いかもしれない。あるとすれば、春原が言っていた昔この町で暴れてたってことぐらい。

 出会うとしたら、この時期。俺が一年生か二年生の頃だ。

 最も自暴自棄になっていた刻。

 何もかもが嫌になって、でも完全に逃げることが出来ない世界の狭量さに嘆いていた時期だ……。

 

「ま、僕もこのまま終わる人間じゃないけどね。今日もアイツにリゾンベだ!」

(リベンジ……な)

 

 都合の悪いことは引きずらない性格の春原は、拳を高く突き上げて間違った英語でそう宣言した。

 この点は彼の美点とも言えるだろうが、同時に悪い点でもあるから諸刃の剣なのだ。

 春原陽平という人間は、良い所を覆すほどの弱点を多く持つ、何とも愉快な友人である。

 

「聞き手に回ってたから分からなかったが、そもそもなんでお前、その女子に因縁吹っかけてるわけ? ナンパしてフラれたのか?」

「確かに顔と体は良い感じだったけど、中身が僕の好みじゃないね。幸希はあの場に居なかったから知らないだろうけど、話ぐらいは聞いただろ? ほら、昨日の他校の連中が乗り込んできた話」

「……あぁ、そういえばあったなそんな事も。それが?」

 

 嫌なことを思い出してしまった。

 そういえば、春原もあの場に居たのだった。

 

「あの時僕も観戦してたんだけど、いきなりあの荒っぽい女が他校の奴らに向かって行ったんだよ」

「…………へー」

「で、一緒に見てた岡崎が加勢しようとしたんだけど……その時、来たんだよ“奴”が」

 

 神妙な面持ちで話を続ける春原。

 だが俺はそれどころじゃなかった。

 コスプレをして乱入し場を乱した俺は、杏から訊く限りじゃ最低な評価を下されたらしいからな。

 岡崎にはもう知られてしまったけど、ここで馬鹿面をしている春原はまだその事実を知らない。知られたら記憶が無くなるまでコイツの頭を殴打しなくてはならない。他にも口封じをする方法はあるんだけど、それ以上に春原に笑われる方が俺には悔しい。

 黙ったまま思案している俺を見て、どうやら春原は真剣に聴いていると勘違いしているのだろう。表情がいつしか得意気なものに変わっていった。

 

「なんと! 仮面ラ○ダー○ウガのコスプレをした奴が乱入してきたんだよっ!」

「うんうん……」

「僕も驚いたよ。まさかそんな馬鹿みたいな奴が居るなんて、とんだ勘違い野郎だよね。しかも、喧嘩の仕方が卑怯でえげつない! なんか面白いから『目立ちたがり屋の卑怯者』って噂を広めといたよ」

「………………」

 

 まさかこんな所に犯人がいたとは。

 飛んで火に入る夏の虫とはこういう事を言うのだろうか。噂の出所を探すまでも無かった。

 何も知らない哀れな春原は調子に乗ってきたのか、挙句の果てには声量を上げて笑い声混じりにまくし立てる。

 

「あはははっ、今頃そいつ、学校で肩ロースが狭い思いをしてるはずだよっ! あはははははっ!」

「…………オーケイ分かった。言い残す遺言はそれで構わないな?」

「ははははっ……えっ?」

「―――喰らえ! 震天裂空斬光旋風滅砕神罰割殺撃!!」

「ぎゃばぁぁああーーーー!!」

 

 

 

 

 無事諸悪の根源である春原陽平を駆除することに成功した俺は公園に来ていた。

 怒りの感情が赴くまま陽平を攻撃し意識を手放してから数分、漫画を読んで時間を潰していたら徐に目を覚ました春原は前後の記憶を失っていた。目が覚めた瞬間に俺がなぜこの部屋にいるのか驚いていたが、持ち前の頭の軽さでそんな細かいことはすぐにどうでもよくなり、いそいそと学校へ登校していった。なんでも、借りを返さなくてはいけない荒っぽい女がいるかららしい。

 当然、そうなると俺は部屋に一人になるのだが、寮生でもないのに一人で入り浸っているところを寮母である相楽美佐枝に見つかると厄介な事になるのを十分知っていた為、仕方なく公園に来た次第である。

 今頃学校では授業が始まっていて、春原は坂上に返り討ちにされてどこかで寝ているのだろう。

 

 園内の一角にあるベンチに腰掛け一息吐くと、位置的に公園内の殆どが見渡せるようになった。

 朝の散歩をしている老夫婦や、小さな子供とその母親が楽しそうに遊具で遊んでいる一方で……どういうわけだか、平日の筈なのに小学生が野球をしていた……のは別にいい。きっと創立記念日か振替休日とかなんだ。だが……どうしてそんな小学生の集まりに―――大人がいるんだ?

 

「よーし小僧共、かかってこい!」

 

 俺ぐらいの年の不良が更生に失敗してそのまま大きくなったような風貌の大人は、咥え煙草をしながら金属バットを相手ピッチャーに掲げていた。というか、小学生相手に何偉そうな事言ってるんだあのおっさんは。

 あれじゃあ餓鬼共もムカッとくるだろう、と思ったがそんなことは無かった。子供達は慣れている様子で、むしろそれが心地良いのか楽しそうに破顔して笑っているのもチラホラいたりした。

 せっかくだからこの集団を観察することにする。

 まず大人げなさそうなおっさんが見るからにバッター。そしてキャッチャーが一人、審判は無し。ピッチャーが一人と、その他外野……実質ボール拾い要因が数人。

 結構広さのあるこの公園で野球をするなら丁度良いぐらいの人数だった。きっといつもこの公園で遊んでいる経験から来ているのだろう。

 

「やれー! 今日こそアッキーを打ち取るんだ!」

「はっ、やれるもんならやってみな! てめぇらに負ける俺じゃあねぇんだよ」

 

 外野に居る少年達の内一人がピッチャーの少年に向かって激励し、おっさんがそれを受け取って挑発で返答した。不敵な笑顔を浮かべてバットを構えるおっさんの姿は堂に入っていて、それだけで経験者なのではと思った。

 ふと視線を外して他の人を見てみると、皆一様に微笑ましいものを見るように見守っていた。

 まるで、この町に受け入れられているような印象を抱いた。

 ピッチャーが綺麗なフォームで構え投げる態勢に入った。リトルリーグにでも入っているのか、本格的な投球フォームを崩さずバッターに対して横向きに大きく体を開き、豪快に腕を振るった。

 小学生にしてはなかなかの速球は、キャッチャーに向かって一直線に走った。正々堂々完璧に勝つ。そんな念が込められているような小細工無しの真っ直ぐな球は、バッターのストライクゾーンに吸い込まれる。

 

「へっ……もらったぁぁぁあああ!!」

 

 勝利を確信した雄叫びを上げながら、おっさんは勢いよく金属バットを振るった。

 瞬間、カキーンと突き抜けるような快音が鳴り響き、少年が投げた球は天高くまで跳ね上がった。野球少年達は反射的に打ちあがった球を見上げ、残念そうな顔を浮かべるが、それはすぐに嬉しそうな表情に塗り替わっていった。

 

「よっしゃ、後ろに行った! ファールだっ!」

「ちっ、少し躊躇っちまったか。あんまり飛ばすとまた窓割っちまうから、思わず手加減しちまったぜ」

 

 おいおい“また”ってなんだよ“また”って。あのおっさんは過去にも何回か窓を割った経験があるのか?

 おっさんの言動に呆れながらも、打った球の行方が気になって目で追っていると、気がつけば俺の頭上から真っ逆さまに落下してきた。嘘だろおい、マジで俺の所に落ちて来てんじゃねえか。こりゃ避けるしか……。

 

「あっ! にいちゃーん! そのボールキャッチしてぇー!」

「おいずりぃぞてめぇ! それじゃあアウトになって俺の負けになっちまうじゃねえかっ。おいそこのおめぇ! いいか!? 絶対に、とるんじゃ、あ、ねぇーぞぉ!」

 

 思いがけない所で思いがけない選択を迫られてしまった。少年には頼られ、おっさんにはお笑い芸人の振りみたいな感じに、しかも最後の方は歌舞伎役者のような動き付きで止められた。

 どうしよう。別にこのまま避けても良いんだが、そしたら少年達にはがっかりされてしまう……って、あれ? 別に良いかそれぐらい。でもあのおかしなおっさんの言うとおりにっていうのも、なんだか癪だ。

 逡巡した後、結論として俺はボールを取ることにした。

 ベンチに座ったまま顔を上げ球を見ると、空は今ちょうど無風らしく風に流されることなく真っ直ぐな軌道を維持していた。これなら野球経験の浅い俺でも簡単に取れる。

 おっさんが向こうで何か言っているのを無視して落ちてきた球を素手でキャッチする。バチッと手の平を打ち付ける音と共に皮膚が痺れたけど、それだけで済んだ。

 

「おーい小僧、ボール持ってこっち来てくんねーか?」

 

 バッターのおっさんが金属バットを持った右手を振って俺を呼んでいた。

 キャッチしてしまった以上、この呼びかけを無視するのは気が引ける。あのまま避けて、投げ返していれば丸く収まったのだろうがもうやり直しは効かない。

 固まりつつあった腰を上げ、無邪気なやんちゃ坊主のような笑顔を振りまくおっさんの前まで行き手渡しをした。

 そして一言。

 

「ほい、バッターアウト。おっさんの負けだな」

 

 ニタリと出来るだけ意地の悪そうに口を歪めてそう言ってやった。人を小僧呼ばわりするからだ。

 その瞬間。おっさんの笑顔は凍りつき、眉が怒りでしなっていった。

 

「んなっ!? てめぇ……良い度胸してんじゃねえか、名前はなんて言うんだ?」

「榊原幸希」

「けっ! みみっちぃ名前だな」

 

 ぺっ、と加えていた煙草と一緒に言葉を吐き捨てた。……と思ったら、ちゃんと吸い殻を回収した。どうやらルールはちゃんと守る人らしい。

 俺の名前をみみっちいと申すか。それじゃあ、さぞかし貴様の名前は素晴らしいのだろうな。

 

「じゃあ、おっさんの名前はなんて言うんだよ?」

「俺か? 俺の名前は『古河秋生』ってんだ! どうだ、イカす男の名だろ?」

「子供相手にムキになってる時点でイカすもクソもないだろ」

「ちっ、生意気な小僧だな」

 

 惜し気もなくそこまで自分を称賛できるってのも、ある種の才能のようなものなんだろうか。

 自信家というのは、それだけで人生を得した気分で生きているのだろうかと、目の前で息巻いてる古河とか言うおっさんを見ていると若干の羨望と嫉妬の念を覚える。

 ……ん? 今このおっさん、自分の名前を『古河秋生』って言ってたよな? それってもしかして……。

 

「なあおっさん……」

「おっさんじゃねえ、俺の事は『秋生様』と呼べ。ったく、一人娘が居るっつっても、まだまだ俺は現役だぜ」

「それじゃあ『おっさん』……古河って言ってたけど、もしかして、その娘ってのは『渚』って名前じゃないよな?」

 

 たまに頭を過ぎる俺の予感ってやつはなかなかの高確率で当たるんだが、今回は……。

 

「だからおっさんって呼ぶ……おめぇ、渚の知り合いか?」

 

 文句を言おうとしていたおっさんがビデオの一時停止を押したみたいに静止し、そして疑心混じりの声が聞こえてきた。無理も無いだろう。会って早々、得体も知れない男に娘の事を言われたんだ、将来俺が娘を持ったら同じ反応をするだろう。

 やはり、反応と台詞で判断する限り、どうやら俺は正解を引き当てたらしい。まさかこんな所で古河の親父と遭遇するとは、思ってもみなかった。

 とりあえず、あらぬ疑いを晴らしてもらう為に出来るだけ自然な口ぶりで説明しよう。

 

「知り合いつっても、俺の友達の友達って感じだよ。岡崎朋也っていう奴経由で顔合わせをして自己紹介したぐらいだ」

 

 出来るだけわかりやすく伝えた瞬間、おっさんは破顔した。

 

「なぁんだよあの小僧の友達か、早く言えよっ! それなら渚の友達も同然じゃねえか!」

「岡崎の事しってんのか?」

 

 まさか、あの二人は既に親とも面識があるほど公認の中に発展していたのか?

 だとしたらコッチとしては嬉しい誤算だ。余計な手出しをする前からここまで進んでいるなら、俺の計画を先に進めるのも容易いかもしれない。

 先の見えない急な坂道かと思ったら、案外緩やかだったのかも。

 

「知ってるもなにも、昨日家で晩飯食ってったぞ。……そうか渚の友達か」

「マジかよ……!」

 

 岡崎ってそんなに図々しい男だったっけ。友達とはいえ、精々一年と半年ぐらいの付き合いではそこまでは俺も理解できなかったって事だろうか。

 硬派を気取っているけど、結構軟派な性格してたんだな。

 

「おい、そういえばお前学校はどうしたんだ?」

「行く気がしないからサボりだ」

「それじゃあ暇なんだな? よしっ、お前も野球するか!」

 

 なんでそうなるのさ。脈絡無さすぎだろ……。

 

 

 

 

「ばっちこーいっ!!」

 

 金属バットを掲げ相手ピッチャーをけん制する。多分俺のポジションが言うセリフではない気が、言った後にしてきた。

 バッターは俺。ピッチャーは古河のおっさん。

 突然出されたおっさんの提案に、特にする事も無く暇だった俺は表向き渋々といった具合にそれを受け入れた。

 野球を始める前に、まずどんなチーム分けをしているのかを訊いたら「そんなの、俺VSその他に決まってんだろ」と、法律で決まっているような当たり前の口ぶりで言われた。

 子供達は、俺が高校生って事もあっておっさんに勝てるんじゃないかと期待して俺をバッターに勧めてきた。

 結果、この通りである。

 

「俺の剛速球を、てめぇなんかが打てると思うなよっ?」

「御託はいいから、さっさと投げて来いよ」

 

 丁度、溜まりに溜まった鬱憤とかその他負の感情諸々を発散したかった所だ。この機会に全部消化させてもらおう。

 両手で握ったバットのグリップを、更なる力を込めるために雑巾を絞るようにギリギリと音を立てて握りこむ。

 おっさんが投球と同時に、体に喝を入れるような声を短く発し、手元を離れた球は一直線に、さっきの少年の球速なんかとはまるで違う速さで迫ってきた。

 

「……うおっ……っ!?」

 

 遅れまいと咄嗟にバットを振ったが、球を捕らえた感触は感じられず無様にも空振りをしてしまった。

 ……なんだこのおっさん、もしかしてプロか何かか? 明らかにバッティングセンターで最高の設定をした機械並みに速いぞ。しかも、この場所が公園という開けた空間のせいもあるのか、視界が広くなる代わりに正面からの速球に集中出来ない。球が投げられた瞬間、それ以外の物が目に映って気を取られてしまう。

 クソッ、情けねえ。

 

「どうだ? 俺の魔球の威力は。速過ぎてバットが遅れてたぞ?」

「……今のはちょっとしたハンデってやつだ。相手の力量を推し量るためのサービスだよ」

 

 ヤバい。今の俺、さっきの春原みたいな事言ってるよ……ショックで死にたくなってくる。

 けど、情けない強がりを言いたくもなる。

 俺は、負けず嫌いなんだ。サッカーの試合の時だって、死に物狂いで食いついて喰いついて、悔いのない試合結果を残してきた。諦めの悪さじゃ……一級品だ。

 

「次ィ! あと二球あれば十分だ。その球、見事に場外までかっ飛ばしてやるよ!」

「威勢が良いじゃねえか。嫌いじゃないぜ、そういう奴は……よっ!」

 

 ピッチャー第二球。

 俺の啖呵に触発されたんだろうか、おっさんの投げた球筋はさっきとほぼ同じ。球速だって変わらず、目が覚めるような剛速球だ。小細工など一切無用のど真ん中ストレート。

 一回目はあっけに取られた。だけど、二回目はもうそんな事はない。よって前回よりも気持ちの面では準備万端で、あとはそれに体の反応速度を乗せるだけ。

 タイミングさえ合えば、十分に打ち返せる。

 

「…………らぁ!?」

 

 何だ今の!?

 バットは完全に球を捕らえていたのに、爽快感のある快音はせずにヂギィっとバットから聞こえの悪い不協和音が奏でられただけだった。当然、球を打った感触もあまり無かった。

 外野側を見ても球が飛んで行った様子はない。もしかしてと思って後ろを振り向けば、キャッチャーをやっていた少年が後ろに転がっていった球を拾いに走っていた。

 要するに、

 

「ファーーール!」

 

 そうキャッチャーの少年が言った通りだ。

 惜しくもバットを掠らせるだけで、前には飛ばすことが出来なかったんだ。

 

「どうしたぁ? さっきの威勢はどこ行ったんだ小僧? もう後がないぞ」

「ぬかせっ、あと一球あるだろ。勝負ってのは最後の最後まで諦めなかった奴にこそ相応しいんだよ」

「違いねえ……それじゃあ、征くぞ小僧!」

 

 第三球を投げる為におっさんが構える。

 俺はその手にある球だけを見ながら、どうしてさっきは掠っただけに終わったのかを考えていた。

 真っ直ぐな球筋に確かに俺のバットの位置は合致していた筈。なのに、結果はファールという予想外のものだった。……考えられるのはただ一つだ。あのストレートが、ただのストレートじゃないって事だろう。

 一つだけ、その答えに近いだろう物を俺は思い出した。野球では、凄い投手の投げるストレートはホップアップしているように見える事があるらしい。実際には多分していないんだろうけど、打席に立って実際に味わったことのある打者はそう錯覚を起こしてしまうのだろう。上から下に下がる変化球はポピュラーだから目が慣れているけれど、浮上するような球筋には目が慣れていない。人間の目は『嘘吐き』だから、それに対応することが出来ないんだ。

 恐らく、おっさんの投げる球も“それ”なんだろう。

 おっさんが体の向きを横にして、大きく開き、さっきとまたも同じ剛速球を投げてきた。

 三球連続同じ球種というのは、俺の事を甘く見ているのか……それとも、試されているのか。きっとそれは後者なんじゃないかと俺は思う。

 だから―――それに応える為、俺は二度の辛酸を糧に三度目の正直を―――。

 

 

 体内の不純物が全て吹き飛ぶような快音は空に向かい、雲を突き抜け、天高く駆け上った。

 

 

 

 

「ほらやるよ、飲みな」

 

 勝負の後、俺は再びベンチに座っておっさんから手渡されたジュース缶を受け取っていた。

 冷たくなっている缶のプルを開けて炭酸が弾ける音を聞きながら、隣に座って煙草を吸っているおっさんの方を見やる。

 

「惜しかったな、さっきの…………すげー高いピッチャーフライ」

「……次は絶対に大気圏外までかっ飛ばす」

「そりゃ、次が楽しみだな」

 

 かかか、とやんちゃ坊主な大人は笑い、俺はそれを悔しそうに睨めつけながらジュースで喉を潤した。

 結果からいって、悔しいけど、ホントもうかなり悔しいけれど……俺の負けだった。

 おっさんの投げた球にジャストミートした打球は、思った通りのコースと違って天高く打ちあがってしまった。多分、最後に力み過ぎて若干バットの位置が下になってしまったのに敗因があったんだと思う。

 ただでさえ大きくない野球の球がみるみる小さくなって、戻ってきたのはおっさんの頭上。始めのおっさんが俺の頭上に打ったファールの逆を、そのままお返しするようになってしまった。

 

「死ぬほど悔しい……けど、たまにはこんな風にすっきり負けるのも、悪くないな」

 

 昨日から抱えていたいろんな負の感情を綯交ぜにした鬱憤は、さっき打った球と一緒に多分天まで吹き飛んでいったんだろう。

 心の闇に一筋の光明が差したような気分だった。心が洗われるっていうのは、きっとこういう事を指すんだろうと思う。

 

「だろ? こうやって、遊びにマジになって、笑い飛ばせるような『負け』ってのも悪くないだろ」

「ああ、今まで情けない悩み事とかで落ち込んでる自分が、馬鹿らしく思えてきたよ」

「バッカおめぇ、悩み事ってのは大体が情けなくて恥ずかしいもんだ。でもな、それが人を成長させるんだ。情けないってのも、それはそれで大事なもんなんだぜ」

 

 胸を打たれたような気がした。

 同じ男性としてだからだろうか。それとも、このおっさんの精神年齢が近いと思っていたからだろうか。ふと見せたその顔は、年相応の大人な表情をしていて、よくわからない言葉にも含蓄があるように思えた。

 悩みが人を成長させる……だから情けないのも恥ずかしいのも全部、人には必要な、大事な感情。

 おっさんは煙草を大きく吸い、それを吐き出し続きを話し始める。

 

「お前が一体何を悩んでんだかは知らねえし、知りたくもないけどな……そもそも俺は悩みが無い人間なんて信用ならねぇ。人は壁にぶつかってそれを越える為に悩み続けるもんだ。

 言ってみれば、お前の“それ”だって、壁を越える為に必要な手段なんだ。胸張っていこうぜ、男らしくよ!」

「……まさかこんなおっさんに説教されるとは思わなかったよ。らしくもなく落ちこんで、女々しいったらありゃしねぇ」

 

 そうだ。いちいち細かい事気にしてもしょうがねぇ。

 杏に対する後ろめたさも、岡崎に対する嫉妬と友情も、俺にとってはただの壁だ。今を後悔する前にやりたい事を成し遂げるのが先決だ。

 後悔なんざ、後からいくらでも出来るんだ。

 

「ジュースありがとなおっさん。そろそろ……面倒だけど学校に行くわ」

「おう、行ってこい。でもって特大のホームランでも打ってこい。俺はここの向かいにあるパン屋をやってんだ、気が向いたら今度遊びにでも来な。再戦なら受けて立つぜ」

 

 そう言って指さす方を見てみると、確かに『古河パン』という看板がかかっている家があった。今度近くを通ったらパンでも買いに行くか。

 おっさんに向かって俺は尊大な笑みでもって返答をし、その場を後にした。

 背中から聞こえるのは、少年達のはしゃぐ声と……おっさんの打ったバットの快音だった。

 それを聞き届けながら、俺は学校に向かって足を進めた。相変わらず杏の事は好きで好きで愛してるけど、岡崎だって親友みたいなもんだ。嫉妬はあれど、恨み嫌いはしない。だから、俺は俺のやり方で杏を振り向かせてみせる。立ちはだかる壁を全部蹴破って、見事ゴールに辿り着いて見せよう。諦めの悪い俺には、こんな単純な事しか出来ないんだから。

 

 

 

 

 ―――最後に、背後でガラスが割れるような音と共に、おっさんの絶叫が聞こえて来て。面白い場面を見逃したと後悔したのが、立ち直ってから最初の後悔だった。




今回、女子が一人も出ない何とも男臭い話となってしまいました。
次回からは出てきますのでそれまでお待ちを。

幸希はいつになったら杏に振り向いてくれるんだろうか。

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