CLANNAD~終わりなき坂道~   作:琥珀兎

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お待たせしました三話です。

クラナドオリ主物というマイナージャンル繁栄の礎に、私はなりたい。


第三回:一方通行な想い

 人生に不幸は付き物だ。

 それは往々にして当たり前に、思いがけない時にこそ現れて非情な現実を突き付けてくる。

 楽しみにしていた遠足を明日に控えた小学生が、誕生日を迎えた朝の少女が、人生を賭したファンのライブに向かう青年が、デートの待ち合わせをしている恋する乙女が。楽しみを待ち遠しく感じる人々に対して、残酷な程に平等な不幸はやってくる。

 きっと神様という奴は人間の苦しみ悲しむ哀咽の声が大好物なのだ。

 

 だから―――今も神様は天上世界で愉悦に浸っていることだろう。

 

 

 

 

「―――説明してもらうわよっ!?」

 

 時はおそらく夕方頃。

 学生の本分である勉学を投げ出し一日の予定を健やかに過ごした後に訪れた放課後。太陽が西に傾き、空が茜色に色づき始め、年頃の少年少女が二人っきりの教室へ差し込む夕日が美しく色めくこの空間で。惚れた女の為に勝手にコスプレをして校内に乱入してきた不良共を、バッタバッタとなぎ倒した最高にイカスナイスガイな高校生こと俺『榊原幸希』は、ただいまそのライダーな仮面を被っていた事が惚れた女である『藤林杏』にばれてしまい説教+質問攻めにあっていた。

 何故説教なのか。それは俺が演劇部の空き教室で着替えていた時に、さっき不良共から助けたうり坊が乱入、追いかけてきた杏が闖入、俺殴られるの三段階不幸に見舞われたからである。

 服をパージしている途中であった為に裸体を見た杏は俺の錯乱作戦に聞く耳など持たず、問答無用で殴ってきたのだ。

 

「説明? それは俺が俺である為の証明をせよ、という事でいいのか?」

「おちょくってんのアンタ? そんなに辞典の味が恋しいの?」

「すいませんでした調子に乗りました。せめて服を着させて下さい」

 

 平伏である。四つん這いになって両手は相手に差し出す。もちろん手のひらは上に向けて。

 怒れる杏の前に無条件降伏をした俺は、春原や岡崎が見たらさぞ大笑いすることだろう。

 いくら何でも杏の辞典投擲は威力が天元突破しているから俺でも怖い。

 

「うっ……さっさと着替えなさい! 四十秒以内で!」

「お前はどこぞの賊かよ。女より石が欲しいのか?」

「十、九、八…………」

 

 俺が裸なのを思い出した杏は恥ずかしそうに頬を赤く染めてそっぽを向いた。

 ふざけたら切れた。鬼のようだ。でもそこがまた可愛い。結婚したい。

 これ以上ふざけると本当に辞典が飛んでくるので、粛々と着替えを高速で始める。

 着替えている間、杏は目のやり場に困って俺に背を向けたまま教室内をキョロキョロとしていた。なんかもう、背後が無防備だから尻でも撫でてやりたい。黄金の手を持つ加藤鷲さん直伝の御業を繰り出したい。

 血迷うこときっかり四十秒以内に着替えを終えた。

 

「で? 説明って、いったい何を説明すればいいんだ?」

「んなの決まってるでしょ。何でアンタがその服を着てんのよ、って事を説明しなさいって言ってるの」

「いや今初めて聞いたんだけど、言ってるっておかしくね?」

「いちいち揚げ足を取ろうとするな!」

 

 なんかテンションのふり幅がどういう訳だか凄くて……。

 しかし、あんまり調子に乗ると本当に杏の俺に対する高感度が下がってしまう。幸希恐慌が訪れてしまう。核の冬が到来してしまう。

 

「いやなに、俺の通う神聖かつ素晴らしい学び舎が害虫共に侵略されてたんでな、速やかに撤退願ったのだ」

「まともに授業を受けてないアンタが神聖だの素晴らしいだの言うな。……はぁ」

 

 呆れた表情でため息を吐く杏。その吐息どこで売ってるの? 言い値で買いますよ。

 

「あのねぇ、学校で暴力なんか働いたらアンタの場合、教師にばれた瞬間に即効で停学よて・い・が・く! 幸いそのおかしなコスプレのお陰で誰がやったのかは分かってないけど、今や校内じゃアンタの話題で持ちきりよ」

「おお、俺の話題って、どんな?」

 

 やっぱりあれか。颯爽と現れた謎の正義のヒーローかっこいい! ってな話題か?

 参ったな。俺が好きなのは杏だけであって、他の女子にはあまり興味が行かないんだけど。

 

「……聞きたい?」

「何もったいぶってるんだよ、いいから教えてくれ」

「男子からは『目立ちたがり屋の卑怯者』女子からは『坂上智代の邪魔をした糞虫』って呼ばれてたわよ」

「……世界は不平等だ」

 

 じゃああれか、俺がやったことはただのお邪魔虫だったってことかよ。いくらなんでも言いすぎだろ、広めた男は惨殺だな。女子は仕方ない……ん?

 

「坂上智代って誰だ?」

「アンタが乱入するよりちょっと前に不良共に向かって行った女の子よ」

 

 両腕を組んでそう言った杏の言葉を聞いて、俺はあの時の記憶を振り返ってみた。

 三階からのスカイダイビングをして、そのまま杏と椋の横を走り去って……そういえば居たな銀髪の女が。

 一度思い出せば後は芋蔓式だ。忘れもしないあの美しくたなびいた銀髪の少女。

 俺の登場に予想外だという表情をしていて、敵をやっつけた後、俺に質問をしてきた少女。

 なんらかの決意を秘めた強い瞳が俺を映していて、不覚にも杏以外の女にドキッしてしまったのを思い出す。あれは忘れたい過去だ。俺は杏一筋。

 

「そういえば居たなそんな女が。でも女だぞ。むしろその坂上が奴らにいたぶられる前でよかったと思うのが普通じゃないのか?」

「あたしだって詳しくは知らないわよ。でも、後輩の子に聞いたら、なんでもめっぽう強いらしいわよ」

「……なんか、春原が聞いたらそいつに挑戦を叩き付けそうな女だな」

 

 立っているのも何なので、教室内にある椅子を適当に二つ引っ張り出して、その内一つを杏に差し出す。

 そんなに長く話が続くとは思わなかったけど、なんだか長くなりそうなので椅子に座ることを進める。気遣いが出来る俺って最高だな。惚れていいぞ杏。

 

「ほら、座りなよ。立ちっぱなしってのも何だろ」

「ここはアンタの家でも部屋でもないでしょうが。なんで我が物顔なのよ」

 

 裏目だった。

 おかしいな、些細な気遣いの積み重ねがやがて恋愛に発展するってゲームで学んだのに。現実では通用しないって事なのか。

 杏は冷めた目で俺を一瞥すると、ふぅと一息吐いて椅子に座った。

 その時、杏の足元でブヒブヒ鳴いていたうり坊を抱き上げて膝の上に乗せた。羨ましい、今だけでいいから俺と体を交換して欲しい。もしくは中国四千年の歴史を持つ泉に入りたい。うり坊になるなんて限定的な泉があるのならという話ならな。

 

「さっきから気になってたんだけど、そのうり坊お前のペットか何か?」

「この子? そうよ、可愛いでしょ名前は『ボタン』って言うの」

「まさか…………食うつもりなのか?」

「え? なーに?」

「…………何でもありません」

 

 にこやかに返答した杏だったが、残念ながら目が笑ってなかった。

 名前とそのうり坊を見れば誰だって食用だと思っちゃうだろうが。いったい何を思ってのネーミングなのか問い詰めたい。子一時間問い詰めたい。

 でも、やっぱり俺が思ったとおりこのうり坊は杏のペットだったんだな。よかった。あのまま俺が行かなかったら多分強情な杏の事だから勇ましくあの不良共の群れに突入していたかもしれない。

 どれだけこいつの投擲術が優れていようと、所詮はお遊びの延長線上。ギャグの範疇だ。最初の一人を倒せても、その後の二人には通用しなかっただろう。

 男女差別をするわけではないが、どこまで言っても最後には性別の壁というやつは現れるんだ。そりゃ素人の男と武道を学んだ女が戦ったら、当然のように女が勝つだろうが、杏は武道なんざこれっぽっちも習っていない。ちょっと運動神経が良いだけの女の子なんだ。勝てるわけがない。

 あれこれと考えながら呆けて杏を見ていると、視線に気がついたのか目が合った。

 紫水晶(アメジスト)のような瞳には俺の姿が映っている。でも、本当の意味で彼女は俺なんか見てないだろう。

 

「そういえば、まだお礼言ってなかったわね」

「お礼? なんの?」

「この子を助けてくれたお礼よ。ありがと。アンタが行ってくれなかったら、あたしが突入してた所だったし」

「あ……いや、別にいいよ礼なんか。俺はただ……」

 

 お前に好かれたくて……。

 下心ありきの行動だったし、きっと打算的なことも考えていた。

 杏の心を岡崎から俺の方へと向かせる為にやったことだ。こんなに真っ直ぐに感謝をされると俺がいたたまれない気持ちになってしまう。

 らしくもない俺の態度に理解できない杏は不思議そうな顔をして首を傾げるが、そんな可愛い仕草も今は俺の胸を締め付けるだけだった。

 一度気分が落ちると俺の場合急転直下していく傾向なのか、さっきまでの有頂天はどこへやら、すっかりネガティブな俺が出てきてしまった。

 

「でさ、あんたこの後暇? どうせ暇でしょ、あったとしてもどうせ春原の部屋でだらけるだけでしょ?」

「そりゃ確かにやる事なんか無いけど、それがどうかしたのか?」

 

 椅子に座った状態から体を前のめりにして質問する杏の胸が、うり坊事ボタンを覆いかぶさるようにしてのしかかっていた。……登頂してぇ。

 この後の予定って、何でそんな事を聞くんだ? もしかして……と微かに期待をするものの、ネガティブ状態の俺にはそんな都合の良い解釈はあまり意味が無い。どうせ雑用だの何だのと便利屋の如く使いっぱにされるに決まっている。

 騙されないぞ。俺は甘い罠にはかからない賢い男なんだ。ふらふらと着いて行って美人局なんて局面にはならないよう常にイメトレを繰り返しているんだ。

 自分に都合の良い展開なんてものはそう簡単に訪れないんだ。

 

「放課後……一緒に帰らない?」

「はい喜んで」

 

 男って……ホント単純。

 

 

 

 

 結論から言って、甘い誘いってのはやっぱり何らかの裏がある事を再び思い知らされた。

 

「さ、さか、榊原君っ……よろしくお願いしますっ」

「ああ、うん。はいよろしく……椋」

 

 杏のハニートラップにまんまとかかった愚かな男である俺は、ルンルン気分で待ち合わせの昇降口に行ったら、本命である杏と……どうしてだか妹の椋が一緒に居た。

 その光景を見た瞬間の俺の衝撃は計り知れないだろう。

 僅かな希望に全身全霊を賭した俺の気持ちは霧散し、変わりに特大の落雷が落ちてきたのだから。

 

「遅いわよ幸希。さっ、早く行きましょ」

 

 裏切りの味を噛み締めて硬直している俺なんかお構いなしの杏が、腰に手を当てて偉そうにそうに言うと隣でモジモジしている椋を連れ立って歩き出した。

 何がどうなってんのか、全然まったく理解が出来ない。

 確か俺は杏に頬を染めて照れくさそうな顔をして甘えるような声で俺を誘ってきたはず。……おっと、それは脳内での事だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。説明を要求する!」

「椋とあたしが一緒に帰る。アンタはオマケ。はい、説明終了!」

「お、お姉ちゃん……」

 

 …………ジーザス。

 

「これから色々と町を歩き回るけど、女二人でなんて物騒でしょ? だからアンタはボディーガード役として付き添いになってもらいたいのよ」

「ごめんなさい榊原君、お姉ちゃんったら一度言ったら聞かないから。迷惑……ですよね?」

 

 申し訳なさそうな表情で謝る椋の顔を見ると、俺もそこまで強く言えない。

 想い人である杏の妹だし、何より彼女にはなんの罪も無い。勝手に俺が舞い上がっていただけなんだから。

 

「椋が謝らなくてもいいよ、どうせ予定なんて何も無いんだから。それに、杏が横暴なのは今に始まった事じゃないし」

「よかった、でも本当にごめんなさい。私もさっきお姉ちゃんに聞いたから止められなくて」

 

 口癖なのか再度謝る椋がそう言って儚げに微笑んだ。

 思えば、この少女とこうしてちゃんと話をするのは始めてかもしれない。

 クラス委員長として模範を示す椋と、片や校内きっての不良生徒である俺。最近こそ授業には出るようになったものの、それまではたいした会話なんてものは無かった。たまにやる事が無くて教室でだらけている俺に椋の方から話しかけてくる程度だ。間違っても俺から何かしらのアプローチをするような事は無かった。

 普通あの学校の生徒なら俺や春原岡崎に話しかけるなんてのはして来ないのだが、どうしてだかこの少女は懲りずに声をかけてくるのだ。

 去年、姉である杏と同じクラスだった事から、その時の話でも椋にしていたのだろうか。そうだとしたら納得はいく。そうでもない限りこんなに大人しいいい子な優等生が俺に関わってくる事なんかあり得ない。

 

 仕方ないので杏に従って三人で町で遊びながら帰る事になった。

 

「あ、ねえねえあそこのゲームセンター行くわよ」

「おいもうなんかもうとにかくおい」

「なによ?」

 

 俺と椋が並びそれを先導するようにして先進む杏に、いい加減言いたい事があるので呼び止める事にした。

 約一名を除いて親しい友人には優しい俺も、これには少々物申したい。

 第一に、なんで放課後の寄り道なのに、こんなにも俺は買い物袋を持たなくちゃいけないんだ。これじゃあ本当にまるっきり荷物持ちの便利屋じゃないか。

 

「さっきから行くとこ行くとこが放課後にちょっと寄り道ってレベルじゃねえぞ。映画館だったり、クレープはまだしも地元に有名なデートスポットだったり挙句このゲーセン! 夕日もどっぷり夜になりそうじゃねえか!」

「あら、ゲーセンは放課後の寄り道にぴったりなスポットじゃない。良いでしょ別に」

 

 ああもう畜生可愛いなそのきょとんとした顔。

 両手に持った袋が杏のじゃなければ放り投げて抱きしめたいぐらいだぜ。でも、思ってるだけで小心者な俺にはそんなこと出来ないけどな。

 

「重いですよねそれ、私も半分持ちます」

 

 本日三度目の椋からの救いの手が差し伸べられた。

 杏の買い物……他にも同じぐらい椋の物もある……が始まり、映画を見てまたグッズやその他で荷物が増え、三人で行っても何が楽しいのかデートスポットに行って土産を買ったり(しかも杏は到着するなりはぐれた。かなり必死になって探したら怒られた)ゲーセンのUFOキャッチャーで取ったプライズだったりと、もうかなりの量だ。

 何事も腹八分目が丁度いいというのは至言だろう。あらゆるもの全てが過剰摂取をすれば良いというわけではない。薬だって、飲み過ぎれば毒にだってなるのだ。

 

「大丈夫だ。この程度もてないんじゃ情けないだろ?」

「そんな、私、それぐらいで榊原君の事を情けないなんて……思いません」

 

 両手を胸の前でギュッと握って力説された。

 始め椋との距離も若干開いていたんだが、いろんな所に振り回されていく内に会話も何とかするようになり、いつの間にか六十センチほどの距離まで縮まっていた。

 内気な彼女からしたらこれはかなりの勇気を必要としただろう。

 杏は終始あの調子だからあまりまともな会話が出来なかったが、代わりに椋がその相手を担ってくれた。

 ……もしかしたら、杏より先にこの子と会っていたら…………なんてありえない事を考えて、すぐにシャットアウトした。

 

「そっか、ありがとな椋」

「いえ……私は。あの、突然聞くのも失礼だと思われるかもしれませんけど、前から思っていたのですけど榊原君は―――なんでいつも傷だらけなんですか?」

「…………毎晩血の滲むような特訓をしてるんだよ」

「と、特訓ですか……?」

「椋ー! ちょっとこれ見てー!」

 

 ちょうど良い所で遠くにいた杏が椋を呼んだ。

 

「なにーお姉ちゃん!? ……ご、ごめんなさい榊原君、お姉ちゃんが読んでるからちょっと行ってきます」

 

 申し訳なさそうな顔をして椋はそそくさと杏の所へと向かって行った。

 一人残された俺はふぅと、ため息を吐いて近くにあったベンチに腰を下ろした。

 こうやって一人座って辺りを観察していると、さまざまな電子音を奏でる機械や人の笑い声など、色んな音がここには溢れ返っている。明滅を繰り返すモニターや照明、それに呼応するように踊らされる人や、恋人同士で仲睦まじく腕を組んでUFOキャッチャーをしているカップル。それと、何やら怪しい蒼い光を発している筐体を指さして話している杏と椋。

 みんなが俺にとってはどこか他人事のように見えて。包み込むようなネオンライトが、俺は駄目だと仲間外れにするようにチカチカと輝いているのが、また胸に深く突き刺さる。

 

 もうすぐ夜がやってくる。

 一日の中で、俺にとって一番嫌な時間が今日もまたやってきてしまう。

 椋がいるから正確には違うんだが、せっかく杏とのデート擬きをしているというのに夜が近づくにつれてそんな感情もなりを潜めてしまった。

 今頃あの二人は、またいつもの部屋でのんびり自堕落ながらも充実した時間を送っているのだろうか。

 

 

 

 

 藤林椋は双子の姉である杏に呼ばれた時、少なからず杏に対してタイミングが悪いと思ってしまった。

 普段から尊敬すべき、敬愛すべき双子の姉である杏が本日の放課後に急に現れて「今から幸希と一緒に帰るわよ」と言われた時は、もしかしたら今ここでこうしている自分は夢の住人なのでは、と信じられない衝撃の事実を受け止められないでいた。

 同じクラスの男の子で、世間的に見て校内の大半の生徒から見ていわゆる“不良”と蔑まれる幸希は、椋にとってはそう思えないでいた。

 彼の存在を知ったのは去年の事だった。

 当時、椋と杏は別々のクラスであったが、度々杏が心配して昼休みなどによく顔を出していた。椋としては姉が訪ねて来てくれるのは嬉しい限りだったのだが、それを傍目に見ていた男子生徒などからはよく杏の事を材料にからかわれていた。

 普段から引っ込み思案な彼女はそれを強く言い返せなく、いつも杏が見咎めて制裁を加えていた。

 この男子生徒というのは椋の事を想っていた為に、気を惹きたくてやっていたらしいが、それは彼女にとっては裏目であった。

 

 毎度訪れる杏であったが、それもいつしかたまに来ない日などか増えてきたのを、椋は今でもよく覚えている。

 今日は来るのだろうか、と恒例となっている杏の訪問を待っていた椋は、その昼休みは一人でいる椋を見かねたクラスメイトの友人が食事に誘い一緒に過ごした。

 その日の夜。一体杏に何があったのか心配になっていた椋は、風呂上りの杏に今日はどうしたのかを訪ねた。

 

「ごめんね椋、今日はちょっと生意気なクラスの男子が屋上に居たから注意してたのよ。本当にごめん!」

 

 後になってその生意気な男子が『榊原幸希』だと知った。

 それからも、杏は度々教室に現れなかった。

 制裁をくらった男子生徒がまたもそれを材料にからかってきたが、椋はそれ以上に気になる事が出来た。

 

「お姉ちゃん最近教室に来なくなったけど、どうかしたの?」

 

 杏が訪れなくなってから数日、何か用事でも出来たのか、とにかく日常になりつつあった杏の訪問がなくなってきたのが気になった椋は、ついにその疑問を投げかけてみた。

 もしかしたら自分と同じクラス委員長を務める彼女に、大事な作業でもあるのだろうかと思っていたのだが、それは杏の発言によって全くの勘違いだと気付かされた。

 二人が住む家のリビングで、ソファに身を委ねていた杏が起き上がり、とても楽しそうな表情を見せる。

 

「最近、面白い奴がいるのよ。それがもうホント馬鹿馬鹿しくて、あのね―――」

 

 語りだした内容は、杏が在籍するクラスで“不良”と呼ばれている校内でも有名な問題児の三人だった。

 髪が金色の馬鹿担当。一見クールな印象を覚えるツッコミ担当。そして、場をひっちゃかめっちゃかに掻き回す担当の人。

 その三人の話は椋の耳にも届いていた。

 元運動部の問題児三人。それは元々この町の進学校には普通の入試では入学できないが、スポーツ推薦という枠で入学した三人の事。

 元バスケ部の『岡崎朋也』

 元サッカー部の『春原陽平』と『榊原幸希』

 その三人と最近はよく話すと杏は言っていた。その時椋は、彼女の世話焼きな性格が出てきたんだろうと思った。

 

 ―――それから数日後、椋は幸希と思わぬ出会いをするのだった。

 

 

 

 

「お待たせお姉ちゃん。どうしたの急に」

「……椋。アンタさ、幸希の事……好きなんだよね?」

「う、うぇっ!? い、いきなりどうしたの……私が榊原君を、だなんて」

 

 椋にとって夢のような時間も終わりに差し掛かってきたゲームセンターで杏に呼ばれ何の用かと思えば、突然の質問に心臓は張り裂けそうなくらい鼓動を強くしていった。

 占いゲームの筐体が立つ場所で、真面目な表情を浮かべる杏はいつもの冗談で言っているわけではないと物語っている。

 でも、どうして急にそんなことを―――。

 

「お願い……ちゃんと答えて」

 

 言い逃れの出来そうな余地は無かった。気弱な性格の椋は、突き刺すような杏の真剣な眼差しから目を逸らすことさえ出来ないでいる。

 雑音鳴り響くゲームセンターの中でする会話とも思えないが、杏にはちゃんとした理由(わけ)と、少しばかりの寂しさがあった。

 幸希と知り合って約一年。杏なりに上手く付き合ってきた気の合う友人が、妹の思い人だというのは長年付き合ってきただけあってすぐにわかった。二年生の頃、いつからか自宅でもよく幸希の話を聞いてきたし、同じクラスになった今では嬉しそうな表情で惚けているのをよくリビングで目撃していた。

 その事については何も悪いことなどない。むしろ男性が苦手な部類の椋が恋をしたのだ、姉としては応援しなくてはいけないとさえ思っている。

 しかし、それについてなんの相談もしてきてくれないことに、杏は少なからず疎外感から寂しさを感じていた。

 だからこの放課後デートのようなものを無理やりセッティングして、椋の反応を見て限りなく確証に近い疑念を確定させたのだ。

 結論からして、藤林椋は榊原幸希に恋をしている。

 

 質問に対しての答えを催促した杏の瞳には、顔を真っ赤にして慌てふためく椋の姿が映っている。

 知られてない、とは思わなかった。が、このタイミングでそれを振りかざしてくるとは思ってもみなかった椋は、どういえばいいのかわからず思考は混乱するばかりだった。

 どうせなら家に帰ってから訊いて欲しかった。

 開放的なこの空間で、しかも離れているとはいえ意中の人がいるこの場でその答えを発する為の勇気が彼女にはたりない。

 

 時間にしてそれは三分ほど続いた―――。

 いつまで経っても答える様子のない椋に、痺れを切らした杏は嘆息した。

 “これだけは言いたくなかったけど、これを知らずして先には進めないから……。”

 

「まぁ良いわ……。でもね、これだけは聴いて……幸希、多分だけど好きな人いるわよ」

「…………えっ」

 

 後頭部を鈍器で殴られたような鈍痛が響いた気がした。

 黙っていればきっと姉は呆れて、その後諦めて優しく励ましてくれると思っていたのに。

 そうは、ならなかった。

 杏の放つ残酷な現実は尚も続く。

 

「確証はないわよ。でも、アイツの言動とかたまに読んでる似合わない恋愛雑誌とかを総合して考えると、それが一番ありそうなのよ」

「そんな……でもっ、榊原君が……そう言ってたわけじゃないんだよね?」

「あれっ、気になるの? さっきあたしが幸希が好きか聞いた時には答えなかったのに」

 

 意地悪そうな笑顔を浮かべて、反射的に食いついた椋の揚げ足を取りにかかる。

 自分はハメられたのだとその時になって椋はわかった。好きな人が居るなんていうのは単なる口実で、本当は意気地がない自分の本音を聞き出すための方便なんだと。そう思い込むことで自分の受けたショックを緩和させる。

 一瞬、地の底まで自由落下した感情は天より垂れてきた糸によって救われた。

 こうなった以上、杏に本当の事を言わなければ、何も始まらないのだと椋は己が持てる全てを賭して覚悟を決めた。

 

「……うん、わたし……榊原くんの事、好き……だよ…………」

 

 震える手足を抑え込み、極度の緊張から掠れそうになる声を振り絞って言った。

 冷や汗とか、動機とか、その他諸々異常を来しているけど、それ以上にこの言葉を伝えるのは難しく苦しかった。

 

「その言葉が聞きたかったのよ、ごめんね椋、無理に言わせちゃって」

「ううん、私こそ今まで相談しなくてごめんなさい。お姉ちゃんにも、好きな人がいるから……邪魔になるかと思ったらなんか相談しずらくて」

 

 ホッと一息ついて落ち着いた椋が発した何気ないその言葉に、今度は杏が狼狽える番だった。

 

「うぇ!? あたしに好きな人がいるって、そ、そんなわけないじゃない! 何をいきなり言ってんのよこの子はっ」

「隠さなくても良いよ。私、誰の事なのか大体わかってるよ」

 

 突然の不意打ちをくらい顔面が一気に加熱し沸騰した杏は、無防備だったこともあり先ほどの椋以上に顔が紅潮していた。

 対して椋の方は杏の混乱具合を見て落ち着きを取戻し、せっかくなので反撃を試みた。

 

「私と同じクラスの人だよね?」

「ち……違う……」

「よく学校を遅刻するよね?」

「遅刻ぐらい……誰だってするわよ……」

「名前の中に『お』と『と』が入るよね?」

「…………うん」

 

 絶え止まぬ機関銃のような質問攻めに流石の杏も滅多打ちにあい、最後には認めてしまった。

 これだけの事を正確に言い当てたとなると、本当に椋は自分の想い人を知っているのかも。と、えも言えぬやきもきとした感情が心を塗りつぶしてゆく。

 “妹の言うとおり、自分は今恋をしている。告白するつもりは、今のところないけれど、いつか……その時が訪れたら、後悔しないよう思いを伝えたい。そして、出来れば上手く行く事を……”

 想いを寄せる人の顔を想像の中で浮かび上げ、赤面する。

 妹の本心を聞き出す為の計画が、いつのまにか自分の本心すらも明かされてしまいミイラ取りがミイラになってしまった気分の杏だった。

 

「それじゃあ私、お姉ちゃんの応援するから、お姉ちゃんも……その、私のこと手伝ってくれると、嬉しい……な」

「その台詞。自分を除いて本当はあたしが言うつもりだったのに、まんまと椋にしてやられちゃったわね」

「えへへ、ちょっとは成長したかな?」

「そうね、この調子で行きましょ。あたしも出来る限り幸希との中が進展するように手伝うわ」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 

 かくして、協定を結び協力関係になった双子姉妹は仲良く手を結び、その思いが成就するのを夢見る。

 だが、それは一方的な感情が生んだ仮の協力関係。

 恋愛とは、双方の想いが一致してようやくスタートラインにつく事が出来るのだ。今の片思いのままでは、まだ本戦を控えた予選程度。本当に大変なのは、これからなのだから。

 

 『岡崎朋也』に恋する『藤林杏』

 『藤林杏』に恋する『榊原幸希』

 『榊原幸希』に恋する『藤林椋』

 

 想いは決して交わらず。感情の通った線は混線し、やがて過剰に膨らんだ感情は行き場を無くし苦悩するしかない。

 お互いいつまでも振り向かない、目の合うことの無い相手を見続ける悲しき連鎖。

 叶わないということが、どれだけ辛いのか―――彼女達はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 そう、いつまでも……俺の想いは身を結ばないんだ。

 話を聞いてしまったのは偶然だった。

 いつまで経っても戻ってくる様子の無い二人を待ちきれなくて、迎えに行ったその場所で目にして耳にしたのは、

 

「うぇ!? あたしに好きな人がいるって、そ、そんなわけないじゃない! 何をいきなり言ってんのよこの子はっ」

 

 思ってもみなかった杏の想い人の話―――。

 そこから、先の椋がした質問の答えを聞いた瞬間。俺はトイレに向かって走っていた。

 手に持っていた彼女らの荷物を手放して、一目散に逃げ込んだ。

 男子トイレには一人先客がいたが関係ない。俺の存在に気が付き顔を見た瞬間怯えていたが、無視して個室に飛び込んだ。

 

 わかってた。そんなことはもうとっくにわかってたんだ。杏の好きな人が『お』かざき『と』もやだって事はとうの昔にわかっていた事だ……けど。

 

「これは、思っていたのと……突きつけられたのじゃ、威力が違い過ぎるだろ……」

 

 悲嘆する事しか出来ず、行き場のない俺の感情は行き詰まり懊悩し続けるしかない。

 初恋は実らないなんて言葉は敗者の負け惜しみだと決めつけていたが、今ほどそれがよくわかる。

 でもだからって諦める事なんか出来ない。

 負けず嫌いなのはサッカーをやっていた時からの名残だろう。

 

 俺は―――どうしたって杏の事が好きなんだ。


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