全くの別世界なら「私の基盤になった様々なもの」はほぼ全て存在しないのだと諦めもついたろうに、変に似ているから勘違いしてしまう。
数年前、保健体育の教科書に関する話し合いで訪れた出版社、そこでパラパラと見た中学国語の教科書に載っていた源氏物語の話は末摘花の巻だった。中学向けなら王道の若紫の巻じゃないのかと疑問に思いはしたけど、その時はスルーした。スルーしてしまったのだ。
「この光源氏計画ってなんですか?」
「えっ……嘘だろ……?」
同人誌・変態性欲の編集が大変すぎて○潮社に押し付けた結果の季刊紙「愛と欲」に載せる予定のコラムを添削してくれている担当編集・竹田くんの一言に雷撃が走った。
源氏物語は平安時代から続くロングセラー立身出世恋物語のはず――だというのに何故? いや、ただこれまで「光源氏計画」という表現がなかっただけかもしれない。源氏物語はちゃんと存在するんだしね。
「竹田くんは源氏物語ってもちろん知ってるよね?」
「源氏物語……源平合戦の平家物語みたいな話ですか?」
「何が起きておるのだ古典文学」
助けてグー○ル先生! 竹田くんは東都大の国文学卒のエリートなのよ! どうして知らないの!?
調べた結果、スマホが教えてくれたのは残念な現実――源氏物語がどマイナー古典文学扱いを受けているということだった。時折陽の目を見るのは末摘花くらいで、若紫その他の巻はほぼ研究すらされていない悲劇。当然の流れとして大和○紀のあさきゆめ○しなんてマンガも存在しない。
どういうことだ、瀬戸内○聴は何してるんだ! 人生をかけた愛が大好きな尼さんは何をしている!? 文句つけてやる! うわヤバい検索しても瀬戸内海しか出てこない……もしかして駆け落ちせず作家にもならなかったの? そんな恐ろしいことってある?
泣きながら京都○学に連絡して古典文学等の国文学の教授らと会いたいとアポを取り付け、十数年前に一冊だけ出ていた源氏物語に関する書籍を読みつつ京都に飛んだ。始めから終わりまで読んだけどセックスに関する話題が一つもない神は死んだ!
「源氏物語を不健全な解釈込みで全訳してくれる方はいませんか」
今なら即金で研究費用に五百万出す。私がそう言った瞬間にニマついた顔をした新古今和歌集の男教授と、枕草子の男女助教授に鎌倉文学の副学長を付けた四人チームに頼むことになった。現行の固く健全すぎる解釈を打ち破るなら京都○学が一番向いていると見込んでの選択は正しかったようだ。
一緒に食事でも……と学食でドネルケバブを食べつつ話したところによると、日本に限らず世界全体で、十六世紀半ばから十七世紀半ばまでのおよそ百年――室町末期から安土桃山を経て江戸時代初期までの期間に、性風俗が一度衰退したのだという。
・世界全体で火山活動やその他様々な天災が起きる。
↓
・地球全体が冷え込み、どこもかしこも冷夏が続いて世界の人の心からは余裕が、実生活からは食料が消える。
↓
・身体は闘争を求める。
↓
・フロ○がアーマード・コ○の新作を作る。――ではなく性行為から情緒その他様々な文明的要素が消える。
ということがあったのだとか。
一度衰退したものを取り戻すのは難しく、またいくつかの宗教が「肉欲という原罪が減るのは良いことだ!」とか「煩悩が減って良かったね!」という冗談がきつすぎる対応をとったため、性風俗の文化が蘇ることなく今に至るんだそうな。
「室町末期までの文学に多大な影響を与えた源氏物語は日本文学史で重要な地位を占めていて良いはずなんですが……。江戸時代から今に至るまで、健全な作品しか評価を受けられないものですから、臭いものに蓋とばかりに無いもの扱いされてるんですよね」
「ウワァ……」
「いやぁ今回の提案はほんと、流石は半月先生! 分かってる! って思っちゃいましたよ」
「先生はどうやってこういう性風俗に関する書籍や知識を掘り起こしているんですか?」
「マア色々と見て回りまして、ハイ」
予想以上に酷い。頭を抱えながらとぼとぼと東都に戻り、迎えの車で呻いていたら――車に衝撃が走った。
「ひっ人が! 人が飛び出してきて、それで!」
「とりあえず警察呼んで!」
気が動転してあわあわとしている秘書に声を張り上げ、車を転げ出て被害者の様子を確かめる。日没後の暗がりで分かりにくいが、被害者はニット帽被ったロン毛だ。お前、お前、もしかして諸星大!?
道路に座り込んだロン毛に駆け寄ると、ロン毛は足を押さえながら苦痛の声を漏らす。
「つぅ……骨が折れたようだ……」
「市街地の安全運転で!?」
「……ヒビかもしれんな」
ここらはもう我が家に近い。会社帰りとか塾帰りの歩行者や自転車がよく通る道だから時速二十キロも出してないのだ。だからと言ってそんな簡単に前言を撤回するんじゃない。
「お兄さん。どんだけ生活に困ってるのか知らないけど、当たり屋はいけないよ。うっかり死亡なんてことだってあり得るんだから」
「俺は当たり屋では」
「ドラレコ持って一緒に警察にいく?」
「……俺は当たり屋ではない」
頑なに認めようとしないロン毛。押し問答が続いて果てが見えないので、財布から五人の諭吉を取り出して首元からお腹に突っ込んでやる。
「それで一週間の宿見つけて、就活スーツとか買ってハロワに行ってきなよ。まだ若いんだから。ね、ロン毛くん」
「違うと言っているだろう! 俺は当たり屋じゃない! 金がほしい訳ではないんだ!」
服の中の諭吉を取り出そうと服に手をかけたロン毛は、近づいてくるパトカーのサイレンが聞こえたのか目を剥いて私を見た。
「警察を呼んだのか!?」
「そりゃあ事故だもんで」
後から交番に飛び込んで「米花ナンバーのト○タカロ○ラに轢き逃げされました! 車体はグレーでした!」とか言われてみろ、私が捕まってしまう。こういうのは一般でも良くある示談金目的の犯罪だから、特に私みたいに恨みを多方面で買っている立場なら当然その可能性を疑ってかかるべきだ。
私がそう答えるや否やロン毛は舌打ちをするや機敏に立ち上がり、足のヒビとは何だったのかと言いたくなる軽やかなランニングフォームで事故現場を去っていく。
「えっ、あの人逃げちゃったんですか……?」
「うん。示談金目的の当たり屋だったんだろうねぇ」
それからすぐ現れた警察に被害届を出して、九時を過ぎた頃やっと家に帰ることができた。鞄を廊下に落としソファーにバタンと倒れ込む。
「あれでナンパして成功するのか……古典的すぎない?」
いや、その「古典」が歴史の海に消えてるなら、真新しい手段と言える――言えるだろうか。そうとは思えないけど。
数年後、歴史学者たちを巻き込んで作った「エロスの日本史」と京都○学の皆さんで作った「新・全訳源氏物語」を同時刊行したことで古典ブームが起こり、古典文学の学者たちが変態扱いを受けるという悲劇も起きた。
変態扱いもみんな一緒なら寂しくなくて良いね。
そのうちこういう話がほしい
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外国を啼かせて……違う、泣かせてやるぜ
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ベルモットのどきどき体験授業
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思い付かない。その他