出勤したら、私宛に本社ビルの爆破予告が届いていた。なんだか昔懐かしい気持ちになる、新聞の見出し文字を切り貼りして作られた脅迫文だ。
こんなの届きました、とにこやかな笑顔で脅迫文を持ってきてくれた秘書室の子に警察へ連絡してくれるよう頼めば、もう電話しましたと言う返事。割りとよくある脅迫だからか慣れたものだ。
本体は警察に提出してしまうから、警察が来る前にコピーを取り脅迫状ファイルに綴る。ファイルの紙束はまあまあ厚い。
ちなみに脅迫状ファイルの他には暗殺未遂ファイルというのがある。液体を掛けられたとか路上で襲われたとか狙撃されたとか、その時の状況や犯人(ないし組織)の情報をまとめて綴っている。こっちもまあまあ厚く、なんとなく測ったら六センチ近い。乾いた笑い声が漏れた。事件一件につき書類一枚というわけではないから嵩が増えるのは仕方ないことだとはいえ、これだけの量があると心に来るものがある。
命狙われ過ぎだよぉ辛いよぉ、と秋山ちゃんたち三人とのグループトークにメッセージと画像を送れば「草生やして良いんですかこれ」「藁」「新聞の切り抜き方にこだわりを感じなくもない」という返信が来た。ドラマで見るような脅迫状にこれ以上の感想がでないんだろう。どの文字も綺麗な正方形に切られているから、テンプレートを使ったに違いない。
私はとっくに慣れてしまったことだとはいえ、まだうちに所属したばかりで付き合いの浅い三人とも私を心配してくれ、秋山ちゃんが代表してお昼前に本社ビルへ来てくれることになった。勤務中の椎野ちゃんが来ないのは当然として比較的近所に済んでいる玉城ちゃんがどうしてこっちに来ないのかと言えば、昼から病院の受診予約があるからだ。
けっして秋山ちゃんが暇人だから代表になったわけではない。
お昼ごはんは秋山ちゃんからの差し入れの野菜たっぷりサンドイッチと名前が長いコーヒー。来客用テーブルにお店を広げ、脅迫状ファイルをその横に置く。
「見てよこの厚み。何て言うか……その……悲しいことなんですが、フフッ……前にちょろっと見せたときより厚みが増しちゃいましてね……。この世界の人たちってマジで殺意が高杉君。前は殺害予告、その前も殺害予告、今回はビル爆破予告で『お前を殺す』。やばい」
「なんともかんとも……草も生えない厚みですね。押さえつけられた性欲の発散に殺人衝動が増幅されているとかはないでしょうか?」
「ああーありそう。
つまり
痩せの大食いなのでサンドイッチはペロリと消えた。ゆっくり上品に食べてる秋山ちゃんと私では育ちが違うのだよ、もちろん悪い意味で。
「半月先生って食べるのはやいんですね」
「あーそりゃ、口が大きいのと噛まずに飲み込むせいだわ。噛めって何度も言われたんだけどもう癖になっちゃってて。でも最近なんでか食欲ないんだよね」
「早食いは体に悪いですよ」
この二ヶ月後、年一の健康診断で引っ掛かった。胃がんになりかけだったそうで、有難いことに日帰りで済んだ……が、消化器内科の医者から「半月さんは消化器が少し弱いようですから、来週は大腸を診ましょうか」とにこやかな笑顔で予約票と処方箋を出された。
「いやいや身内には胃がんしかいないですから私! それにほら、今回の胃がんは日々のストレスが原因だと思うんですよ。私ってば色んな組織や個人から命狙われてますし? 大腸の検査とかする必要がないと思うんです」
「ストレスは体に良くありませんよ。それにがんは遺伝性のものだけじゃありませんから、ちゃんと調べましょうね」
嫌だ無理だと泣いても喚いても状況は変わらず、諸伏くんは医者の手先になり、あれよあれよという間に検査前日。
一人で受けるのは嫌だったからマーブリックの三人を巻き込んだら親の仇のごとく罵られることになった。秋山ちゃんが「まあ、良い機会だということで今回は矛を納めましょう。どうせそのうち検査は受けないといけなかったわけですし」と言ってくれたお陰で収まったけど、「このクソアマ! 下剤だけに!」と怒られるのは流石の私も堪えた。バカアホは良いけれど、否定できない罵倒をするのは止めてほしい。
翌日に検査を控えた今晩は、諸伏くんの運転する車で病院に行くため我が家で前泊。女四人で楽しいお泊まり会だ。椎野ちゃんにはわざわざ有給を取らせてしまい申し訳ない気持ちもあるけれど、隊の健康診断では大腸内視鏡検査をしないらしいから、この機会に検査してしまえば良いと思う。
「二十一時に飲むマグコ□ールっていう液剤はネット情報によるとスポドリっぽいそうです」
玉城ちゃんがスマホ画面をスクロールしながら言った。
「へー」
「つまりスポドリと偽って下剤を飲ませることができるんか」
「それは草。でもまあ美味しいに越したことありませんから、スポドリ味なのは良いことですね」
その日の晩までは良かった。寝る前に一度トイレに行って皆で雑魚寝だったから良かった。だが我々は間違えたのだ。
一般的に、マンションの各家庭のトイレは一つ。ファミリー向けでも単身者用でも一つだ。……つまり、我が家にトイレは一つしかない。
下剤を飲むことの意味を、我々四人は全く考えていなかったのだ。
「はよう、はよう出ろ……さっさとひり出せ……」
トイレの扉の向こうから椎野ちゃんの呻き声が聞こえる。九時から飲み始めた下剤――モビプレ○プはとても強力だった。
「あと十分」
便座に腰かけたまま応えれば、トイレのドアノブがガチャガチャ鳴る。
「ざけんな半月……ぶっ殺すぞ……」
「なるほど、新手の拷問です?」
「我々は客ですよ。ホストたる家主がトイレに引き込もってどうするんです」
秋山ちゃんからの当たりが強い。
「お泊まり会とか言い出したのって誰でした?」
「せめてホテルに泊まっていればこんなことには……」
「某薄型で軽快な紙パンツがほしい。家にはあるんです」
「漏れる……栓が決壊する……」
「何が悲しくて女ばかり四人でトイレの奪い合いしなきゃいけないんですか」
「うう……今だけアナルプラグがほしい……今だけで良い……」
「そんな! 尻開発否定派の姉さんがプラグだなんて――もう姉さんは限界だ! 半月先生早くトイレから出てください!」
ドアをドンドンと殴ったのは玉城ちゃんだろう。玉城ちゃんと椎野ちゃんの二人は血の繋がった姉妹じゃないけど本当の姉妹のように仲が良い。
だが、そんな姉妹愛に溢れたことを言われても、私は便座から立つことができない。私の尻にも現在進行形で愛が溢れているのだ。
「三人は知らないだろうけど、この便座と私のおしりは愛し合ってるんだよ。引き離すなんてそんな無情なことは……私にはできない……」
「うるさいわさっさとトイレ出ろや! 姉さんの尊厳のために!」
トイレの鍵は特にこだわらない限り小銭があれば外からでも開けられるタイプのものだ。外から鍵を開けられてしまい、よぼよぼで要介護2の椎野ちゃんは元介護職玉城ちゃんのサポートにより便座に座らされた。
私は放り出され失意体前屈の姿勢、音姫がトイレのドア越しに響く。放り出された衝撃で今の私は自分の括約筋に信用が置けない。普段から括約筋のトレーニングをしてるけど下剤には勝てなかったよ……。
「決めた。二度と大腸検査前のお泊まり会なんてしない」
床を見つめながら宣言する。お尻の確認をするのが怖い。
「異議なし」
「二度とごめんですね」
「お腹辛い……しんどい……」
秋山ちゃんからの当たりが強い……。
よちよちとトイレから出てきた椎野ちゃんが「もう……ゴールしても良いよね……?」と青ざめた唇を痙攣させたけど、「今回ギブアップしても、どうせそのうち検査しないといけないんだよ」と正論を振りかざして下剤の続行を促す。また絶食からやり直す苦労を考えれば、今日このまま四人全員で励まし合いつつやりきってしまった方が良い。
現状は励まし合うと言うよりトイレの使用を巡り罵り合ってるけれども。
浴室で下半身の尊厳の確認をしてから居間に戻れば三人とも既にテーブルに戻っていた。一人一人の前に鎮座ましますモ○プレップの袋にはまだ1リットルを超える量が残っている――我々の戦いはまだ続く。
「まだこんなに残ってますからね、先は長いです。頑張りましょう」
「うぇっ……もう無理……味が先ず無理……辛い……」
「姉さん、ただのお水と交代で飲むとお水が甘く感じて美味しいよ」
「……うんっぷ」
椎野ちゃんはモ○プレップの味が合わないらしく青い顔で、容器に差したストローからチューチューと吸っている。
時々えずく声が響く居間は静かだ。さっきまでの大騒ぎがなんだか懐かしく感じる。
「なあ、うぇうぇ言っといてなんやけど、何かハナシしてくれん?……こう、シモではなく……もっとこう……気が紛れるような……うち横で聞いてるから……おぇっ!」
だから椎野ちゃんの提案に皆頷いた。
「そうですね。黙ってひたすら下剤を飲んでいるとなんだか気が滅入ってきますし」
「そうしよう。静かで寂しいと思ってたんだよね」
「気が紛れるようなって、どんな話が良いですかねぇ」
数時間後に大腸カメラが待っているせいで、話題は『既往歴や持病』になった。
「特に既往歴なし、のはず。親不知抜いたってのが既往歴に入るなら親不知くらいだね、きっと。持病はなーし」
「胃がんになりかけって言ってませんでしたっけ」
「あー忘れてた。そうそう胃がんの初期だったんだわ」
内視鏡検査のついでで手術をしてもらったから、正直に言って、がんだったという実感は全くない。がん保険で三百万が下りるそうだが「そんなに貰っちゃって良いの? 初期も初期だから転移もなにもないのに?」の他に感想と言える感想がない。自覚症状なんて無かったし。
「我々を大腸カメラに巻き込んだ理由、そんな簡単に忘れます?」
「それはまあその通りなんだけど、スコーンと忘れてたね」
玉城ちゃんは納得していない顔だが、秋山ちゃんはこくりと頷いた。
「確かに実感が無いと忘れますよね。喉元過ぎればなんとやらと言いますし、半月さんは切り替えが速いですから忘れていたのも仕方ないのかも。
持病なら私はハウスダスト、ブタクサ、その他いくつかの果物や野菜が軽度重度は横に置いといてアレルギー持ちです。一番ひどいのがハウスダストで。あとアトピー性皮膚炎で肌が弱くてすぐかぶれるので、ステロイドとは竹馬の友の間柄ですね」
卵アレルギーや小麦アレルギーは聞いたことがあるから知っているけれど、野菜や果物のアレルギーはさっぱりだ。
「ひょえー、多い……」
「秋山ちゃんはたとえば何が食べられないの?」
訊けば、「そうですね」と秋山ちゃんは顎に手を当てる。
「バラ科の果物……って言ってもどれがバラ科の果物なのかとか知りませんよね。林檎や梨、梅、苺、さくらんぼ、キウイ、枇杷とか、そのあたりがバラ科の果物です。あれらを食べたら口の中が腫れ上がります。あと柑橘類、蕎麦、ゴマ、生の山芋とか……」
「多くない!?」
「食べられるものかなり制限されますね、それ。鶏軟骨にレモンかけられないやつ。
じゃあ次私ですね――私は鼻炎で花粉症、キノコがアレルギーで軽度の難聴。ストレス性の」
玉城ちゃんの前職は特養の介護士で、入所者からのパワハラとかが積もり積もって難聴になったと聞いている。こうしてマーブリックがピンクウェーブの所属になるまでは労災からの一時金や貯金を切り崩して生活していたとか。いっぱい食べて元気になってほしい。
「キノコ食べれないとなると……茶碗蒸しとか食べれなくなるのかな」
「そうですね。あとは鍋、豚汁、炊き込みご飯とかはキノコが入ってることが良くあるんで、外食するときなるべく避けてます」
「今度からコース料理とか懐石料理を食べるときにきのこ使った料理が出たら貰うよ私」
「私もきのこは食べられますので、ごま豆腐とかとろろ掛けのナントカとかが出たときには交換して貰えると助かります」
「二人とも……! ありがとうございます!」
きゃっきゃっとハイタッチしていたら、椎野ちゃんがか細い声で囁くようにして言った。
「うちは、甲殻類……あとイカ……おぅえっ! は、食ったら発疹出る……。花粉症でおぇっ、慢性鼻炎で、蓄膿症、慢性頭痛……そんでストレスに弱い……すぐ胃に来る……」
椎野ちゃんはテーブルに両肘を突き、碇指令のごとき姿勢だ。
「ちょっ、姉さんしゃべって大丈夫?」
「椎野ちゃん無理すんな、今は話さなくて良いから」
「そうですよ、吐き気がしているなら声を出すのも辛いのでは?」
「つらい、けど、話に混ざりたウプッ、混ざりたいんや……仲良く話してるの、横で見るだけは、思ったより寂しい……。あとな……三人ともさっきから、下剤減ってないで? うぇっ」
指摘に私は口をつぐんだ。飲めば出るということはつまり、またトイレの使用を巡って争うことになる。それが分かりきっているから飲む気が起きないのだ。
モビプレップの何が面倒くさいかと言えば「一気に全部飲む」ことが許されないところだ。一気に飲んでしまえたら楽なのだが、処方されたとき、コップ一杯を十分から十五分かけて飲むよう薬剤師から注意を受けている。とてもまだるっこしい。
「うっ、すまん、トイレ……」
「あ、うん」
「いってらっしゃい」
「御武運を」
「椎野ちゃんマジで胃腸弱いよね」
「腸液が胃に逆流してきたことがあるらしいですよ。前に下宿に遊びに行ったとき、薬棚を見たら色んなメーカーの胃薬が揃えられてましたし。確か鎮痛剤も五種類は置いてあったかと」
「薬箱ではなく薬棚というあたりにそこはかとなく闇を感じます……」
心身ともに鍛えて元気になりたいと思って入隊したのだと聞いている。訓練すれば体力はつくだろうけど、内臓を鍛えるのは難しいと思う。普通に考えてブートキャンプで身に付くのは筋肉だけだろう。
「覆面で顔出しなしとは言え、イベントの司会進行役なんて重圧のすごい業務させてて大丈夫なんだろうか。今更だけど心配になってきた」
「それは大丈夫です。姉さんのストレス源ってほぼ人間関係なんで。
初対面でもなんなく喋れるタイプだから分かりづらいだけで、姉さんもれっきとしたどこに出しても恥ずかしいコミュ障ですから」
「それを言ってしまうと……この場の全員がコミュ障ですよ」
秋山ちゃんの言う通り、始めにネットで本音をぶつけ合ったから対面してからも比較的円滑にコミュニケーションできているというだけで、私は趣味嗜好のためなら親含む親族と絶縁してもへっちゃらな破綻者だし、椎野ちゃんは思い込みが激しく頑な過ぎるところがあるし、玉城ちゃんは仕事以外で他人と関わるのが苦手で混乱のあまり「フヒヒ」とか言い出すし、秋山ちゃんは自分の専門が話題のときには人の話を聞かず喋り倒すところがある。まだ知り合ってから長くはないが、既に各々のコミュ力の低さは露呈している。
我々四人は自分がコミュ障だから他人がコミュ障でも許せるという、同病相憐れむな仲だ。傷の舐め合いチームともいう。
「さして有名なわけでもないのにピンクウェーブの公式動画主に起用されたじゃないですか、私たち。それに関して中傷やら当て擦りやらされてたんで、今回のヨボヨボ姉さんの原因は胃でしょうね。中傷の八割は嫉妬によるものですし、私たちがあえてそれを気にしてやる必要はないんですが……」
こいつらCoCで卓囲んでるとか前世持ちの仲間じゃん唾つけとこう、という勢いでピンクウェーブに誘ったから、根回しも何も足りていなかった。その皺寄せがマーブリックへの中傷として現れているのだろう。
実は会社の住所にマーブリックに対する殺害予告などの脅迫状も届いている――三人が私の同類だと思われたからだ。
「私のせいだ、ごめん……」
三人にも脅迫状が届いていることを伝えれば間違いなく椎野ちゃんの胃が死ぬ。いつか伝えるべきだろうが、その日は少なくとも今日ではない。
「どうして半月先生が謝るんですか。悪いのは中傷してくる人達ですよ? ピンクウェーブ公式になったおかげで玉城さんの収入の不安がなくなり、私も学費の借金の心配しなくて済むようになりました。椎野さんだって本当に喜んでるんですから。だから気にしないでください。
ただまあ、心ない中傷ツイ○トを見る度に椎野さんの繊細なガラスハートが傷付くことについてはどうにかしたいと思っていますが」
「そうですよ、明日のおまんまの心配しなくて良いっていうのはほんと有難いです。私たちが頑張って人気を集めれば中傷なんて埋もれると思うんで……頑張りますよ」
――後で分かったのだが、DM経由で直接マーブリックに殺害予告などが届いていたらしい。SNS担当をしている椎野ちゃんのメンタルが削られるのも当然だということで、私のツイ○ターの管理を頼んでる広報にマーブリックのアカウントの管理も頼むことになった。
「話を戻しましょうか。椎野さんは甲殻類とイカがアレルギーで、花粉症に慢性鼻炎で蓄膿症、慢性頭痛でしたっけ。……確か前に『年末は蟹を食べるのが至高』とか言ってませんでした?」
「そういえば言ってましたね。グループトークに写真も投下してたはずですよ」
「どういうことだ」
トイレから戻ってきた椎野ちゃんは「そんなん理由は一つだけやろ」と堂々とした態度で、言った。
「たとえ、全身痒くなろうとも……蟹は正義ぅぷっ」
「わかるマン」
アレルギーによる発疹や腫れなどで苦しむ未来が待っているとしても、美味しいものを食べたい。蟹美味しい果物美味しい、と椎野ちゃんと秋山ちゃんが頷き合う。
駄目だこいつら。好きなものを食べてアレルギーで死ぬなら本望だとでも言うつもりか。
殺人予告には怯えるくせにアレルギーを怖れないというのはどうかと思う。どちらに当たっても死ぬという結果は同じだろうに。
上に書きましたアレルギーや持病に関しては、全てモデルが実際に抱えている持病です。アレルギーと認識しているうえでアレルゲンを口にして全身をかきむしったり、口の中を腫れ上がらせたりしているのも、モデルが実際にしていることです。
決して真似しないでください。