ど健全なる世界   作:充椎十四

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エロくない


Meの腰は軽いに限る

 不要不急の外出はするなと政府が言ったことを受けて、社長が「延ばせない事案以外は二週間後ろ倒しにして、人が集まる大規模イベントは中止か無観客にしてネット配信で生放送。全裸ランドについては半月さんが責任もって休園させなさいね、出勤は管理職以外自宅待機でなるべく会社に来るな。その他の人員は特別休暇ね」と決めた。政府とずるずるベッタリな我が社らしい判断……だとはいえ、私は一応これでも次期社長という偉い立場の人なので出勤している。

 

 いつものようにどこぞの部署へ遊びに行くことはできないし、回ってくる書類もほぼない。暇すぎる、とテレビをつければニュースバラエティーのチャンネルだった。

 感染症を専門にする大学教授やら研究所の所長やらがゲスト席で神妙な顔をしている。

 

 ――テレビに出ると大学教授だったり経済学者だったり評論家だったり、経歴が立派な方々と並んで座るのだが、他のゲストの身分の字面が格好良い。私の「ピンクウェーブ役員」の数倍格好良い。私もああいう席で「○○学者」や「○○評論家」と呼ばれてみたい。

 格好良さげに聞こえる資格があるなら私も欲しい。

 とはいえ「なんか格好良さそうなイメージがある資格」には法律系が多く、大学で軽く商法をかじった程度の私にはどれがどういう資格なのかさっぱり分からない。しかし我が相棒の諸伏くんは公務員試験を突破している頭が良い男、分からないことは諸伏くんに聞けば問題ない。

 

 私の机まで椅子を引っ張ってきた諸伏くんと通信教育の一覧を表示したパソコンを共有する。

 

「司法書士って、『司法』書士と言うからには司法試験受けるんだっけ?」

「司法試験を受けるのは弁護士だな。司法書士は司法書士試験ってのを受けるんだぜ」

「弁護士試験って言えば良いのに」

 

 教材代で三十万もするのか。高いだけに難しいに違いないのでパス。

 

「行政書士は?」

「ざっくり言えば、頼めば行政に書類を作って提出してくれる人」

「自分で作れば良いじゃん」

「お役所は書式や添付書類について厳しく定めているから素人には難しくてな、専門の人が要るんだぜ」

「ほーん」

 

 ちょっと分かった気がする――分かった気がしているだけかもしれないが。教材費は六万円で司法書士の五分の一、素人にも手を出しやすい資格に違いない。

 

「宅建士は土地や家屋の取引のとき、取引に関する重要事項について責任を持つ人。比較的取りやすい資格だが、まあ半月さんの業務には全く無縁だな」

「ほー」

 

 宅建士の教材も六万円ということだから、行政書士と似たような難易度に違いない。

 ユーキ○ンで受けられる法律系の通信教育はこれだけだ。――そういえば椎野ちゃんがナントカ士の資格を持っているとか言っていなかったろうか。玉城ちゃんは前職で介護士を取って、秋山ちゃんは大学で司書を取っている。椎野ちゃんはナニ士だったっけか。頭が良さそうな資格だったという覚えがあるのだが。

 

「諸伏くん、椎野ちゃんが持ってる資格は何だったか知ってる?」

「椎野さんの持ってる資格? いや、俺は聞いたことないな」

 

 法律系の資格だったと思うのだが、興味がなかったからよく覚えていない。「へー資格持ってるんだ、すごーい!」でスルーした記憶がある。

 

「諸伏くんは私が資格を取るなら宅建士か行政書士かどっちが良いと思う」

「宅建士だな」

「それはなんで?」

「宅建士は法律を深く理解して解くような問題はまずないんだ。条文をカッチリ覚える必要もないし、過去問を解きまくったら受かる」

「へー」

 

 ――どうせ時間はあるのだ、宅建の勉強でもしてみようか……そう思ったのだが。

 

「やめとき……半月ちゃんに法律の勉強はあかん。向かん」

「えっ、なんでさ」

 

 次の日、ガラガラの社内をマーブリックが案内するという動画のため出社した椎野ちゃんは私の決意表明に「あかんあかん」と手を振った。そんな痴漢アカンみたいに言わなくても良いと思う。

 

「分かりやすく言おか。半月ちゃんが法律を勉強するとやな……」

「勉強すると?」

「オークションで攻めに競り落とされて囚われの身になった受けやら、借金でやくざの愛人になってどうこうとかいった系統の話が読めなくなる」

「えっ、なんで!?」

 

 玉城ちゃんや秋山ちゃんも首を傾げる。法律を勉強したらこれらが読めなくなるとは一体どういうことだ。

 

「半月ちゃんは頭固いもん。民法を勉強したら、やくざ攻めが受けをオークションで競り落としたら『人身売買はそもそも違法だからこの売買契約は無効、攻めは受けの代金をオークション側に払わなくて良い』とか『受けが売られる元になった借金が死んだ親のものなら、借金取りに返済しちゃ駄目。すぐに相続放棄して逃げろ』とか考えてしまって気楽に話を読めんようになるし、金持ち攻めが貧乏受けに対して『お前にマンションを買ったんだぜ』と言ったら『愛人契約のための不法原因給付ですね分かります。まあ書面によらない譲渡だから引き渡しされた時点で既にマンションは受けの所有物だよね。でも一応登記を確認しておいた方が良いかも、いつでも売って金にできるから』とか考えるようになってしまうんや……。刑法を勉強しても『はい暴行罪成立しましたー、はよ警察に駆け込め』とか考えるようになってまう。間違いない」

「なるほど、そういう」

 

 秋山ちゃんが納得したと頷いたけど、私には椎野ちゃんの言葉が魔法の呪文にしか聞こえない。

 

「ごめん全部呪文に聞こえる。椎野ちゃんってなんの資格持ってるんだったっけ」

「行政書士。行政書士は国家公務員一般より難易度低いから公務員目指してた人にお勧めの資格なんやけど、法律に関する理解がある程度必要になるから法律初心者がテキストだけで合格水準の知識身に付けるのは難しい。もし受かりたいんなら塾に通うのとかメールで質問できるタイプの通信教育を推奨やね」

 

 どうして自衛隊に入ったのか聞いたとき、椎野ちゃんが「国家公務員も裁判所職員も一般企業も落ちたけど公務員の安定した地位と給料と満期金が欲しかったし、自衛隊は共済組合貯金の利率が最高」と言っていたのを思い出した。

 陸自ってどうなのと聞いたら「陸の女は筋肉のついた陽キャが多いから貧弱な人にはお勧めできん」と言われ、じゃあ海自は良いのかと聞いたら「海の女は船の中で嫌われるぞ。陸勤務ならまだしも、船に乗るのはお勧めできん」と言われ、なら椎野ちゃんがいる空自はマシなんだなと聞いたら「エル知っているか、空自は網走にも分屯基地がある。ヘケッ! 空自の基地は僻地祭りだよ!」と言われた。何故海の女が船の中で嫌われるかについては「女を船に入れたせいで居室からシャワー室までの全裸ダッシュができなくなり面倒が増えたから」だそうな。船上生活は大変だ。

 

「法学部ってそこらへんの私大じゃアホウ学部とか言われてるけど、行政書士って法学部出身ならすぐ取れるような資格だったりするの?」

「あー、そらー無理無理。近畿圏における高偏差値有名私立でも教授が自分の著作買わせるためだけに開講してるような授業もあるし、法学部で授業受けてたら法律が必ず身に付くってわけやない。

 法学部は卒論があれへんし、卒業生には法律の言い回しをちょっと齧った程度で満足して四年間ウェーイってやってた無能もおる。自分で積極的に情報集めてまともな教授捕まえた学生なら行政書士も楽々受かるやろけどね、法学部なら誰でも受かるって難易度とはちゃうよ」

 

 確かに。うちの学部でも学力や真剣さの差が激しかったのだ、法学部が真面目人間ばかりなはずがない。

 

「だから椎野さん凄いんですよ、行政書士の資格取ってるってこと」

 

 秋山ちゃんが言うのにウンと頷く。法学部なら誰でも取れるわけではない資格を、椎野ちゃんは真面目に勉強して取ったのだ。尊敬してまうやろー。

 

「いやそんな褒めんといてぇな。うちそんな偉うないねん。弁護士とか司法書士とか税理士のが勉強する範囲広いし、難易度高いし、公務員受からんかったし、お祈りメールばっかもろた……し……」

 

 椎野ちゃんの背中は丸くなり、肩は落ち、目は死んでいく。

 私には関係なかったが、私たちの就職活動は就職氷河期の最後っ屁の時期に被っていた。文学部で国文学を専攻していた私大卒の女などポコポコ落ちまくったに違いない――人生二度目なのに不器用な椎野ちゃんが可哀想で涙がでちゃう。

 

「でもほら! 資格取ったんだから凄いって! 行政書士の免許証とかそういうのあるんだよね。見てみたいなー、滅多に見ることないし是非見てみたいなー!」

「そうですよ! 椎野さんのちょっと良いとこ見てみたい!」

「免許証、私も見てみたいですから、ね!?」

 

 闇落ちしそうな椎野ちゃんを光の世界に連れ戻すべく褒めに褒めたが逆効果だったようで、遂に燃え尽きてしまった。二人掛けソファーに引きずっていき転がしておいたからそのうち復活するだろう。

 

「ところでさ、秋山ちゃんはいつ法律勉強してたの。そんな暇なかったと思うんだけど」

「大学で長期休暇に公務員試験講座がありましたから、そこでしましたよ」

「休みの時まで大学で勉強するとか正気じゃねぇな……」

「ですです。私だったら頭パンクしますね」

 

 秋山ちゃんの勉強に対する情熱が半端ない。夏休みというものは家でクーラーガンガンにかけてアイス食べながらテレビを見たり、図書室で秀才イケメンの隣の席に座って本を読んだり、プールや海で男をナンパしたりナンパされたり、友達とバーベキューしながらビール缶を何本も空にするための期間のはずではなかったのか。それが普通の夏休みじゃなかったのか。

 三月は追い出しコンパで酒を呑んで、四月は新歓コンパで酒を呑んで、五月はゴールデンウィークだから酒を呑んで、六月は雨が憂鬱だから酒を呑んで、七月は夏休みになるから酒を呑んで、八月は炭火の焼き肉が美味しいから酒を呑んで、九月は大学が始まるから酒を呑んで、十月はキノコが美味しいから酒を呑んで、十一月はなんだか寒いから酒を呑んで、十二月はターキーレッグが美味しいから酒を呑んで、一月はお餅が喉に詰まらないように酒を呑んで、二月はチョコレートを肴に酒を呑んで(そしてベッドにもつれ込んで)いた私と秋山ちゃんは根本的に違うようだ。

 

「椎野さんはああ言いましたけど、半月先生が勉強するなら応援しますよ。法律は知れば知るほど面白いですから」

「面白いと思えるか不安しかないわ。……資格取りたいとかそういうの抜きにして気になったんだけど、宅建士って行政書士と似たような資格って感じでOK? 諸伏くんには宅建士を勧められたんだよ」

「全然違いますね。先ず難易度が違います、宅建の方が優しいです」

「へー」

「へー」

 

 ユー○ャンでどちらも六万円だったから同じレベルの資格かと思ったのだが、秋山ちゃんの話によれば違うらしい。中学と高校の公民で憲法に触れた程度の玉城ちゃんと私は全く法律のほの字も分からないから「へー」と言うしかない。

 

「興味がなさそうですね……。そうだ、大多数の人がこれを聞くと法律を勉強したくなるっていう話がありますよ! 賃貸マンションを引き払う時に敷金を返されますが、『日常生活』による経年劣化を原因とした壁紙や畳の張り替えなどの費用は、貸主の負担です」

「嘘ぉ、私前のアパート出るときに畳の張り替え代請求されたんですけど!?」

 

 玉城ちゃんが悲鳴を上げたが、流石にそれは私も知っていた。

 

「他はそうですね、故意に親や兄弟を殺したら両親の遺産を継ぐことができない、とか。このコナンワールドには良くある事件ですが、親殺し兄弟殺しはすごく損です」

「えっ、なんで?」

「被相続人……これは遺産を残した人のことですが、その被相続人や、自分と同等に遺産を受ける権利を持っている人……兄弟とかですね。これらを故意に殺したり殺そうとしたりした人は相続人としての地位を失うんですよ。だから親を殺したり兄弟を殺したりすると、刑務所に放り込まれて職を失うわ、遺産も受けとれないわ、ということになります」

「へー」

「遺産なんてほとんどない身には縁遠い話ですねぇ」

「私は親子の縁切られてるぞ」

 

 沈黙がその場を支配した。

 

「……話を変えましょうか」

「それが良いね」

「そうしましょうそうしましょう」

 

 満場一致で話題を変えることにした。

 

「あっそうだ、親の縁と言えば民法に親族関係というものがありまして」

「ちょ、話変えようって言ったじゃん!」

「……くくく、馬鹿め。秋山ちゃんに語らせれば満足するまで話が変わらぬことなど知っていたろうに……」

 

 知らぬ間に椎野ちゃんが復活して隣の簡易キッチンでカフェオレを作っていたようで、お盆を手にテーブルに戻ってきた。コーヒーの美味しそうな香りが漂う。

 

「ま、コーヒー牛乳でも飲んで気分変えようや」

 

 椎野ちゃんのお盆には人数分のカフェオレが載っている。

 

「コーヒー牛乳ってなんですか? カフェ・オ・レでは」

「やめてや今度はジェネレーションギャップネタ持ってくんの。心の隙間に刺し込むような鋭いナイフでお姉さん瀕死の重傷ですわ」

「何気ないジェネレーションギャップが椎野ちゃんを傷つけた」

「えーっとカフェオレとコーヒー牛乳って同じものですよね! ね!」

 

 胸を抑えて苦しむ椎野ちゃんは元気そうだ。しかし、秋山ちゃんの世代にはもうコーヒー牛乳の表記はなかったのか……私は銭湯やスーパーの売場で見た覚えがあるけど、秋山ちゃんは名称変更後しか知らないのだろう。玉城ちゃんがギリギリ記憶にある境界かな。

 

「秋山ちゃんは銭湯でコーヒー牛乳を見たことがない世代なのか……」

「ひぇっ、時代を感じるぅ……」

 

 恐怖に震える我々三人に、いやいやと秋山ちゃんが手を振った。

 

「銭湯が元々なかったんですよ。山の奥だからどの家にもお風呂があったので近所になくて……あ、憲法判例の公衆浴場距離制限は知ってますよ!」

 

 その判例とやらには興味がないから別に知りたくないし説明してくれなくて良い。

 

「うちみたいな田舎でもどの家にもお風呂があるので、むしろ大阪に銭湯が残っているのが不思議です。東都に来たときも銭湯があちこちに残っていてビックリしましたし」

「へぇー。玉城ちゃんはどう? 近所に銭湯あった?」

「うちは……そうですね、車で五分のところにありますね」

 

 私は近所に大きい温泉があったから銭湯はなかった――もう潰れたけど。椎野ちゃんの実家は自転車で五分のところに銭湯があるという。

 

「うちの近所の銭湯はまあ寂れてますけど、細々と生き延びてますね……。なくなると困るって人がいるんだと思います」

「うちんところは文化住宅とか市営住宅とか、風呂がない家の多い地域が近かったから銭湯も繁盛しとったみたい」

 

 秋山ちゃんの「文化住宅……?」という言葉で、この話題も変えることに決まった。今日は地雷祭りなのだろうか。

 それと今日の話題は「私が先生と呼ばれるために取るべき資格について」であり、私に格好良い称号を付けられる楽で簡単な方法が何かないかについて話そうというものなのだ。アラウンド九十年生まれを二十一世紀少女が泣かせる会合ではない。

 

「んな都合のええ資格なんて存在せーへんて」

「地道に勉強しましょう」

「そんな資格があるなら私も欲しいです」

 

 知ってた。




・半月
 酔ったときの絡み方がうざいと評判。

・椎野
 あまり呑まない。

・秋山
 酔った半月のアルハラが酷いので酒が呑めない振りをしているがザル。

・玉城
 呑めない。

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