ど健全なる世界   作:充椎十四

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頂いた三次創作「タコ壺の信念と、視線の話」のアンサーストーリーとして書きました。モデル連中に先に読ませたら「批判多そう」という感想でしたので、それをご理解の上お読みください。

追記:誤字報告ありがとうございます。ただ「亡くな『ら』はった」は誤字ではありません、すみません。椎野は中高から私立で、近畿圏全域から生徒が来る学校にいたため、近畿圏内のあちこちの言葉が混ざっております。本人にはこれが自然な言い回しとなります。


【アンサーストーリー】有情

 これまで何度も改装を重ね、防衛力を高め続けてきた本社ビルを引き払う――と言うと倒産みたいに聞こえるけど、明後日から始まるのはただの本社移転作業。

 新本社ビルならぬ新本社基地が完成したのだ。これからは建物の外をのびのび歩ける生活が待っている。

 

 明日の午後からは引っ越し業者が出入りできるよう、このビルのセキュリティのレベルを下げる。つまり私がこのビル内を歩き回れるのは今日が最後――ということで、ガランとした会議室を占拠して酒と食料を運び込んだ。壁には『水○橋本社ビルお別れ会』という貼り紙。

 

「私悪い子だからさぁ、カセットコンロと肉持ってきたんだよね。あ、お肉はちゃんと朝からタレにつけてあるからね! あの冷蔵庫にミッチリよ!」

「野菜は?」

「安心してくれたまえ、野菜ジュースがある」

「あんたってほんと馬鹿――食料係を任せたのが間違いやった」

 

 椎野ちゃんは額を押さえながらふらりと去って壁際で寝落ち用のエアーベッドに電動空気入れを繋ぐと、その横にうんこ座りでしゃがみ込む。世捨て人みたいな背中だ。

 私は一人焼肉で米も野菜も食べずに延々と肉だけ食ってビール飲む派だから、焼肉で米と野菜を食べたがる椎野ちゃんの気持ちは今なお理解できない。――今日はチートデーで良いじゃん、肉食え肉。焼肉は肉を焼くから焼肉っていうんだよ。

 

「そう言えば半月さん、焼肉するということは火災報知器を切ってるんですか?」

「切ってないけど切らなくても良いでしょ。持ってきたの無煙コンロだし。替えのプレートも持ってきてるの準備いいでしょ」

「はあ、まあ無煙なら火災報知器は反応しないはず――でも屋内で焼肉って部屋に匂いが染み付くやつじゃないですか。良いんですかそれ」

「良いの良いの、どうせ明後日で引き払うんだから。それに次この場所使う会社はこのビル使わないのよ。建て壊しだってさ」

 

 秋山ちゃんの心配にひらひら手を振る。どうせ壊すんだし、フロアマットに肉の匂いを染み付かせたって肉やタレを床に溢したって無問題なのだ。

 キャンプ用のアルミテーブルを展開させながら玉城ちゃんが肩を竦める。

 

「うへー、次ここに入るトコってお金あるんですね。建て壊しとかいくらかかるんだろ」

「あー、玉城ちゃん。はっきり言ってね……『ピンクウェーブの入ってたビル』に入りたいと思うような企業は少ないんだよ。次にこの場所を使おうと思うなら建て替えるしかない」

「ああ……」

「あと、ここらへんのビルはだいたい賃貸。地主から土地借りてビル建ててるとこばっかだよ」

「誰も手放しませんよねぇ、こんな好条件な土地。この立地なら……今以上の防犯設備付きのビルを新築したとしても決して損することはないでしょうし」

 

 アルミテーブルをウェットティッシュで拭いてる秋山ちゃんの言葉に「そうそう」と大きく首を振って頷く。『二十三区内で都営地下鉄の駅もJRの駅も近く、ある程度でかいビルが建てられる土地』なんてなかなか空きが出ない。ピンクウェーブ跡地でも欲しいって会社は多かったはず。

 

 テーブルが広げられればすぐカセットコンロやら缶ビールやらが並んでいく。私の持ってきた生肉はコンロの横にででーんと存在感を放ってるし、焼肉用トングも四つ。寝落ち用ベッドも壁際に二台設置された――つまり、ぱーちーの準備は整った。

 テーブルに固定された椅子に腰掛け、私は缶ビール、玉城ちゃんと秋山ちゃんはジュース、椎野ちゃんはガツンとレモン缶チューハイをそれぞれ手に持つ。

 

「では、代表としてわたくしから一言。愛し愛されてきた水○橋本社ビル……でも明日の午後から引っ越し業者が入るから私は出社できないし、三人はまず出社する必要がないし、私たちにとっては今日でお別れみたいなもんです――というわけで『さらば水道○本社、嗚呼桃色の波動よ永遠たれ』、朝まで楽しもうぜー! かんぱーい!」

「「「かんぱーい」」」

 

 お別れ会という名目だけど参加者は私とマーブリック三人娘の四人しかいない。秘書室の皆とか開発チームとかその他たくさんも誘おうか迷って、私が誘っちゃったら皆は断れないだろうから誘うのを辞めた。ここは魔都東都――『徹夜の呑み会に引きずり込まれても相手に殺意を抱かない人』を選ぶならこの三人以上の人はいないのだ。仕方ないね。

 

「来たときから思ってたんですけど、この会議室、テーブルと椅子がないと広いんだなって」

「たしかに。我々がここを利用する時ってほぼ必ず撮影機材がありましたし、あまり広さを感じませんでしたが……広いですね」

 

 玉城ちゃんが会議室をぐるりと見回し、秋山ちゃんの視線も右へ左へと走る。――けど、旧本社ビル時代からピンクウェーブとズブズブ付き合ってきた私には、この部屋の様子には少し懐かしさを感じるのだ。そうだよ……始めはこんな風にがらんどうで、物がなくて、寂しいくらいに広かった。

 

「新本社に持っていかない備品はオークションにかけるって言ってましたっけ」

「そうですよー。私が司会進行やって、広報の松井さんと姉さんが商品の紹介で。二週間くらい前ですね。使用済っぽさあふれるやつが妙に高い値段で売れていったのはちょっと……ちょっとっていうか割と本気で気色悪かった、はは……」

 

 移転のために出た中古備品を売ろうと言い出したのは広報部の松井さんだ。絶対に欲しがる人がいるので売れます、と真剣なプレゼンをされたから『マーブリック生放送特別編』と銘打って、松井さん主導のもと公式チャンネルでオークションをしてもらったのだ。

 出品したのは社員の汗と涙とその他様々な体液が染み付いたアレとかコレとか、うっかりリモコンを強にしちゃったせいで身悶え暴れた社員の剛腕で表面が凹んだ長机とか、倉庫に眠ってた来客者用お土産()とか――リサイクルショップでなら買い叩かれるはずのどれもこれもが、異常な額で売れていった。

 

 落札者たち、もっと生産的な活動にお金を使えないんだろうか?

 口に焼肉とビールを交互に流し込み、こっそりゲップした。

 

「まあでも――ありゃあ『オークションの収益は全て犯罪被害者遺族の支援活動に使われます』って言うたんが入札祭りに拍車をかけたんやと思うで? 出品した備品のいくつかは見てるこっちが頭おかしいなる値段になったしな」

「なるほど、自分の入札が誰かを救うという幸せな妄想が財布の紐を緩ませた、と……」

 

 犯罪被害者遺族支援への寄付は松井さんの案だ。「どうせ備品のほとんどは減価償却で1円の価値しかありませんから、いくらで売れてもうちに損はありません。最低落札額に梱包費と送料を含めておけばこちらの持ち出しもありませんし」と説明されて、この人すげー頭いいなーと思いました(こなみかん)。

 秋山ちゃんはうんうん頷きながら「いいことですね」と口を開いた。

 

「こちらは粗大ごみの処理費を削減できて、購入者は数量限定激レアグッズを手に入れられて、犯罪被害者遺族は支援が厚くなるんですから」

「粗大ごみってばっさり言い切って草」

 

 秋山ちゃんの言葉は今日も切れ味が鋭い。

 正面の椎野ちゃんが目を丸くした。

 

「粗大ごみの処理費ってタダちゃうん?――あ、いや、事業ゴミは別かスマン」

 

 その場のみんなの視線が椎野ちゃんに集中する。

 

「いやいや、家庭の粗大ごみも有料ですよ姉さん」

「粗大ごみは申し込みしてコンビニやスーパーでチケット買わないと出せませんよ。それしないと粗大ごみの不法投棄になっちゃうので気をつけてくださいね」

 

 えっ何それって顔されても。粗大ごみは全国どこでも有料だと思うよ。

 

「待ってぇな。粗大ごみでチケットって何なん、聞いたことあれへんのやけど」

「聞いたことないことないでしょ。椎野ちゃん粗大ごみ出したことあるでしょ?」

「そりゃ当たり前やがな、粗大ごみくらい出したことなんべんもあるわい。実家出て入隊するって時に学習机とかそこらへんまとめて出したし……。せやけどホラ、粗大ごみは月イチで回収車が来てくれはるやん? チケット制とか何それ知らんねんけどっていう。何を申し込みすんのよ」

「月イチで回収車!? 粗大ごみの!?」

「そんなの初めて聞きましたよ、私。椎野さんなにか別のものと誤解してませんか?」

「いや、待て――待て、もちつくんだ。ひらめいた。ググろう。椎野ちゃんがなにか別のと誤解してるかもしれないし、椎野ちゃんの地元はタダなのかもしれない、もしかしたら、可能性はないわけじゃない、メイビー」

 

 我々には文明の利器、スマートなフォーンがあるのだ。椎野ちゃんは大阪の――どこ出身だったっけ。たしか北部だよね。

 

「――えっウソ、マジだ椎野ちゃんの地元タダで粗大ごみ回収してる。月イチで回収車が来るし個数制限もない」

 

 にわかには信じがたい情報だけど、市の公式ホームページに「月イチで回収車が回っています。無料です」って書いてある。スマホを回し見したら玉城ちゃんが画面を二度見した。

 

「ほんとにそう書いてる……」

「なんです、この粗大ごみの楽園は。出し放題で大丈夫なんですか?」

「ええ……? みんなの地元では粗大ごみの回収が有料って方が違和感あんにゃけど。もしかして東都も有料やったりする? まだこっち住んでから一度も粗大ごみの出したことあれへんし、出し方確認してないんよね」

「少なくとも港区は有料ですね。個数制限はありませんけど」

「西東京市でも有料ですよ」

「渋谷は一個四百円からだよ? 椎野ちゃんのマンション台東だっけ――あらやだぁ、台東区も有料ですねぇざんねぇん」

 

 なんでお別れ会で粗大ごみについて検索してるんだろうか。

 

「引き取りがタダなら捨てちゃいたいゴミたくさんありますよ。父がブームに乗せられて買ったアコースティックギターとか、姉さんがさっき言ったように学習机とか」

「あーあるある、処分に困るやつ。うちは古い自転車と折りたたみ式のベッドフレームが長い間物置に転がってたね。もう捨てたのかな、アレ」

「絨毯。買うのは良くても捨てるのが不便なんですよね、買う前に知りたかった。……夏に入りかけの季節に捨てたので、汗だくになりながらカッターで切りましたよ。二度と絨毯なんて買うものかって思いましたね」

 

 肉の消費スピードは落ち始めてもビールの消費スピードとゴミ捨ての話は止まらない。ビール減らしてるの私だけだけど。

 

「うちの地元粗大ごみ無料回収ではあるけど、捨てたくても捨てられへんもんはあるで? お仏壇とか」

「外聞的に? それとも重量的に?」

「どっちも」

 

 どっちもかぁ。肉をひっくり返す――いい感じに焼けてきてるけどプレートの焦げの塊が貼り付いてきた。

 

「粗大ごみ置き場に仏壇なんて置かれてたら目立ちますね。どの家がそんなことをしたかなんて田舎じゃあすぐバレますし、村八分……いや、村十分待ったなし」

 

 玉城ちゃんの発言に私も頷く。そんなことした日にはもうその町では住めない。

 焼肉プレートはだいぶ焦げが付いてきたし、油でギトギトにもなってきたから交換しようかな。ビールの空き缶もテーブル占領してきてる。少し片付けないと狭いな、ひーふーみー……今四缶目か。椎野ちゃんは――全然減ってないじゃん。あーん? 俺の酒が飲めねぇのかァーン?

 

「ごみとして出すとか出さないとか以前に、仏壇って粗大ゴミなんですかね。うちの実家にも仏壇ありますけど、処分方法とか考えたことありませんでした」

「仏壇の処分方法――お焚き上げ?」

「半月さん、とんど祭りは神道ですよ」

「あらやだぁ事件事件、神道が仏教焼くことになっちゃうわーアハハ!」

 

 宗教戦争の新たな火種を呼び込んじゃうところだった。笑って誤魔化せば大丈夫だ問題ない。

 

「危険な話題はやめよっか。じゃあ……仏壇以外で、みんなは『捨てたいけど捨てられないもの』って何かある?」

「捨てたいけど捨てられないもの? うーむ」

「彼女の母親ですね。嫌いなら家と縁切ればって言ったら私が縁を切られかけましたが」

「お、おう……私はお祝いでもらった人形です」

 

 どうしよう、まともそうな発言主が今のところ椎野ちゃんしかない。まず秋山ちゃんの彼女――秋山ちゃんが縁切りを勧めるレベルの家庭崩壊のお嬢さんは色んな意味で怖いし、お祝いでもらった人形を捨てようとするのはちょっと引く。

 でも人間を捨てるよりは人形を捨てる方がマシだし、闇深そうな秋山ちゃんの話は聞きたくないから玉城ちゃんに水を向けた。

 

「玉城ちゃんのって、お祝いでもらった人形が実は呪いの市松人形だったとかそーゆー話?」

「いやいやまさか、違いますよ。普通の人形です。純粋なプレゼントで――私が生まれたお祝いにって母が貰った人形なんですけど、でも、お祝いの気持ちは嬉しいんですけど、デカすぎるんです。仕舞おうにも飾ろうにもかさばって邪魔で」

 

 玉城ちゃんは「置き場所がないんですよ、本当に邪魔なんですよ。でも捨てるのは憚られるんで、あっちに置いたりこっちに移動させたりとしてます」とため息をつく。

 なるほど、そういうものなら捨てたくても捨てられない。きっと床面積をかなり食ってるんだろう。

 

 玉城ちゃんの話が案外まともだったから、秋山ちゃんの話もまともかもしれない。

 

「秋山ちゃんは……」

「私の彼女――徐さんって言うんですけど、まあ母親との関係が崩壊してまして。同性愛者であることを母親からバチクソに否定されて罵られて『あんたなんて産まなきゃ良かった』とまで言われたそうなので、籍を抜いてしまったらどうかと提案したら家から叩き出されました」

 

 うわぁ。まとも……まともって何だっけ。ためらわないことだっけ?

 

「時々聞く話やな」

「ですです。受け入れてほしくてカミングアウトして、国や家族から受け入れてもらえず日本へ逃げてきたり東都へ逃げてきたり――って案件、多いですよねぇ」

「そうなんです。でも彼女はお姉さんと仲が良いそうなので……。お姉さんを含む家族と縁を切るくらいならお前を捨ててやる顔も見たくない出てけと言われまして、鉄鍋やらなんやらでボコボコに殴られました」

「そう言えば去年だったっけ、頭から血を流して青あざだらけでウチに転がり込んできたのって――」

「この件ですね。あ、頭の血は切りつけられたわけじゃなくて、インスタントカメラを投げつけられて当たりどころが悪かっただけですので。額の怪我って案外血が出るんですよ」

 

 その徐さんって子と秋山ちゃんは今も付き合っている――割れ鍋に綴じ蓋な仲なのか、それとも徐さんがよほど魅力的なのか。

 秋山ちゃんも癖が強いし、破れ鍋かなぁ……バイオレンスな愛情表現にドン引きだよ。

 

「話、変えましょっか」

 

 玉城ちゃんがわざとらしい笑顔で手をパンと叩き、私はそれに笑顔で飛びついた。秋山ちゃんの彼女こわいもん。

 

「半月さんの『捨てたくても捨てられないもの』ってなんなんですか?」

「私の『捨てたくても捨てられないもの』? 実家に帰省しないまんま縁切られたからね……幼い頃の思い出のアレコレは手元にないし、弟からのメールによれば実家に残ってた私のもの全部捨てられたっぽいのよねぇ」

「ありゃりゃ」

 

 『絶対に手放したくないもの』は一人暮らしする時に持って出てるし、捨てたくても捨てられないものなんて……あったわ。

 

「あったよ、捨てたくても捨てられないもの。あったあった。加害者の親族とか身内からの手紙。あれめっちゃ捨てたいんだけど、捨てたら色々問題があるから捨てられないの」

 

 何なのそれって顔してるけど、三人には入社時に見せたから読んだはず。

 

「あれだよあれ。もう十年近く前のでさ。娘と甥を殺して、もう一人の娘を殴って脅した父親が私を襲おうとした――って事件あったじゃん。あれの、父親に脅されて犯行に協力させられた娘さんからの手紙みんなにも読んでもらったでしょ? ああいうのが何十通もあるのよ」

「ああ、ありました! あれは酷い事件でしたよね。当時は私も中学生でしたし、学校でかなり話題になった記憶もあります」

「せや、読んだわ。あれなぁ……。亡くならはったんって甥やったっけ? 息子ちゃうかったかな」

「甥っ子甥っ子、確か甥っ子。そのはず」

 

 手紙に従兄って書かれてた覚えがあるもん。

 

「かなり淡々とした文面のお手紙でしたよね。細かいところはもう覚えてませんけど、読んでて胸が痛くなる手紙でした」

 

 玉城ちゃんに「ウンそうなんだよォ」と力いっぱい応えた。ジョッキに指二本分だけビールを残す。

 

「そういう『読むと胸が痛む』手紙がね、何十通もあるわけですよ! 百通いってるかもしれないけど数えてない。そんで、手紙をくれた人達には申し訳ないんだけど、私への謝罪の気持ちとか罪悪感とかがさあ……重いのよ。メンヘラの相手してる方がマシだろって思うくらい重い」

 

 一度愚痴りだすと口が止まらない。焼肉ぱーちーなのに申し訳ない。アルコールのせいかな? とりあえずもう一度口を潤して、ため息をついた。

 

「マジで謝罪とかそういうの要らんけん、私に手紙を送ってこないでほしい。ほんまに要らん。送ってくるな頼むから。ネガティブ方向に拗らせた激重感情を丹精込めて書き連ねた手紙とかさ、読んでて滅茶苦茶疲れるし心抉られるんよ。それに謝罪の手紙送ってくるような人ってだいたい心が折れてたり折れかけだったりしとるけんな、返事の手紙の文面はかなり気を使わないといけないんだわ。つらい。私の返事一つで自殺者が一人増えるかもとか思うと適当な返事なんて書けない。きつい。心療内科どこ? こころのクリニック今すぐ全国に開院して。

 正直言って脅迫状の方がマシなんよ、無視して問題ないし警察に証拠品としてスルーパスできるんだもん。あの手紙の束まとめたファイル見るたび憂鬱になるんだよ、ほんま気が滅入ってしんどい。本当の本当に捨てたい。でも捨てたらお前には人の心がないのかとか何とか言われるけん捨てられん」

 

 許してくださいと膝にすがりついてくる相手を蹴り飛ばして歩けるほどには、私はふてぶてしくない。ふてぶてしくなりたーい!

 五缶目を開けてジョッキに六割注ぎ、神泡サ○バーを持って残りで神泡を注ぐ。自宅で簡単に神泡が楽しめる最高のおもちゃだよ神泡サーバ○……有難うタカラ○ミー、きめ細かい泡マジで美味い。泡が美味い……。もうこれからの人生は神泡だけでいい。あわあわうまうま六缶目も開けちゃえガハハハハ。

 

「せや――あったわ、うちにも捨てられんものが。聞いてくれんか」

ほーほほーほ(どうぞどうぞ)

 

 ジョッキを口に咥えたままダチョウ○楽部的に手を差し出したら、椎野ちゃんはふっと暗く笑った。

 

「推し変した後の、前まで推してたキャラや芸人のグッズ。イベント会場限定ペンライト、入場者特典ノベルティ、味の薄いコラボカフェドリンクで胃を瀕死に追い込みながら集めたランダムコースター……ブームが去ったあとに手元に残るそれら。既にそいつから心は離れ、ただ邪魔で……さりとて捨てられず、むなしく家の中を転がるかつての推しの顔」

「ううん……譲らないんです?」

「メル○リで確認したら底値、送料のみやろうなって価格設定――なのに売れてない元推し。うちに置いておく余裕はない。捨てるか? でもこいつは一度推した相手、推し変したけど多少の情がある。捨てたら可哀想やねん、可哀想なんやけど、処分したい。切ないこの心の揺れよ……」

 

 何故か秋山ちゃんが涙ぐんだ。

 

「……愛ですねぇ」

「ですです。やっぱり姉さんって愛が溢れてますね」

「ええー? この話のどこに愛があるのか全然私分かんなかったんだけど? グッズ捨てられないのって愛なの? 教えてくれる?」

「わかんねーのかなぁ、これが愛だよ、愛。トゥルーラブってやつ」

「椎野ちゃんのドヤ顔はお呼びじゃーない」

 

 一体全体、何が愛なのよ。

 

 それからどう話が転がったか忘れたけど嫌いな親戚の話になり――玉城ちゃんは「伯父」と一言。秋山ちゃんは「密な親戚づきあいはしなかったので」ってことで嫌いな親戚なし。私はウザい絡み方してきた従姉、椎野ちゃんは「父方にも母方にも嫌いなやつばかりやで――アレな宗教団体の信者とかもおるし、交流は断っとる。名字しか知らん遠縁が愛媛におるっぽいけどそいつらも嫌い」と不思議な回答。名字しか知らないのに嫌いって何なんだろう。

 でも愛媛かあ……愛媛なら確か曾祖母ちゃんが愛媛の出だったはず。

 

 気がついたらエアーベッドに寝転がっていて、スマホのアラームが鳴っていた。同じベッドに椎野ちゃん、もう一つのベッドに秋山ちゃんと玉城ちゃんが転がって寝ている。

 飲み会のあとは片付けられ、会議室の中は寒々しくがらんとしている。窓の外から差し込む朝日は白い、頭は痛い。

 

 アラームで起きたんだろう、薄く目を開いた椎野ちゃんが寝転がったまま私を見上げた。

 

「はよ……もう朝か……」

「うん、おはよー」

「うむ。歯ぁ磨いてくるわ」

 

 ベッドから下りた椎野ちゃんは荷物を漁ると歯磨きセットを取り出し、私の前にウ○ンの力を置くと、元自だからなのか寝起きにしてはしっかりした足取りで会議室を出ていった。

 固い腕枕で凝った肩をぐるりと回す――息が酒臭い。私も歯を磨きに行こう……これ、頭痛薬と一緒に飲んで良かったっけ?


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