椎野ちゃんがアメリカ旅行の土産だといって天狗のビーフジャーキーと電子レンジで作れるポップコーンを持ってきた。日本でも手に入るのに何故このチョイスなのか。
「土産はさて置いてだ。国の金でアメリカ旅行、そんなのが許されていいのか……!」
「訓練ですよね? 隊長が糞だしおっさん連中がうざいとかも話してましたし」
「知ってる! 聞いた! けどなんかズルい! 私もニューメキシコでホワイトサンズに砲弾ぶちこんでハードロックな感じのレストランで金髪お姉さんがサーブしてくれる分厚いステーキを食べたいんだよ!」
「ハードロックって何ですか?」
「オッフ……いや、良いんだ気にしないでくれ」
髙野さんの返答に絶望し、泣きたいときのグループトーク『ぼくたちコナン』を開いて文字を打つ。秋山ちゃんと玉城ちゃんは仕事だろうが、椎野ちゃんは新幹線で移動中のはずだ。
フルムーンを探して
『この世界にロックがないって誰か知ってた?』
十数秒後に既読がついた。
しいの
『悲しいけどこれ、現実なのよねェ』
フルムーンを探して
『なんでだよぉ!ふざけんなロックがないとか本当に信じられないおかしいよ!』
しいの
『仕方ないのだ。だってこの世界には黒人の地位向上の一翼を担ったビート・ジェネレーションすら存在しないのだ』
フルムーンを探して
『ビート・ジェネレーションって何ですか、アライさん!』
なんぞそれ、と首を傾げていれば椎野ちゃんもといアライさんが詳しい説明をしてくれた。
ビート・ジェネレーションとはビートに熱狂した世代のことを言う。そのビートが何かと言えば、1940年代から1950年代のアメリカで若者たちの間に流行した、豊かさ・国・文化・大人たちへの反抗だ。白人が築いた文化への否定が黒人礼賛に繋がり、「白人による」黒人の文化発掘――現代では文化の盗用と言われてしまうだろうが――がなされた。その一つがロックンロールだ。
ロックンロールは元々がゴスペルやリズム・アンド・ブルースから生まれた黒人音楽の一つで、じわじわと人気が広がりつつあったそれにセックスアピールという味付けをして人気を博したのがエルビス・プレスリー。つまりセックスアピールが否定されるこの世界においてロックンロールはメジャーになる機会を失した音楽であり、当然ハードロックなどというものはない。
このあたりで既読が増えた。誰だろうか。
フルムーンを探して
『詳しいな』
しいの
『そしてビートがいないからビートルズが現れないのだ』
『音楽系なら私は詳しいんだ』
フルムーンを探して
『ビートルズも!? ちょっと待って、ビートルズって昆虫じゃないのか』
しいの
『ビートルズはBeatlesだけど昆虫はBeetles、スペルが違うのだ』
『ビートルズにはビートが強く影響している、という説があるのだ』
フルムーンを探して
『嘘だろ』
『ずっと昆虫なんだと思ってたのに』
『知らなかった』
しいの
『で、ビートの流れを継ぐヒッピーもいない。というより下火でサークル活動レベルだったのだ。そのせいで音楽で言えばフォークソングが流行することはなかったし、マクロビやヌーディストも現れないのだ。前世における日本の第一次ヨガ・ブームはサンフランシスコ経由のアメリカン・ヨガだったんだけど、これはヒッピーにヨガが流行った影響なのだ』
フルムーンを探して
『マ?』
『フォーク・クルセダーズが存在してない理由ってそれ? ヒッピーって名前だけしか分からないんだけどビートとどう違うの』
しいの
『そして今アメリカでヒッピーが爆発的に増えてて、日本は聖地になってるのだ!』
『それ』
フルムーンを探して
『マ?』
しいの
『マ』
『ヒッピーはざっくり言えばマリファナやって世界がカラフルだねウフフ、世界はラブ&ピース、戦争反対でマクロビ食のブラウンライス食ってニコチャンマークの缶バッジでフリーラブにフリーセックスそして同性愛でオーガニックなのだ』
フルムーンを探して
『何故に日本が聖地に』
『すまん、意味が分からない』
しいの
『ヒッピーはフリーセックス賛成で日本には半月さんがいるからホラ……ね?』
「『ね?』じゃないよ! そのヒッピーって連中、日本に来るんじゃないだろうな……これ以上日本が混沌の国になるなんて御免だぞ私は」
頭を抱えた私を髙野さんが心配そうな目で見ている。そして――おずおずと口を開いた。
「まだお知らせしていなかったんですが、アメリカの慈善団体のフリーラブというところから連絡が来ておりまして」
「まじか」
フルムーンを探して
『話変わるけど、椎野ちゃん歌上手いよね?』
しいの
『下手じゃないって程度でしかないけど』
『もしかしておいやめろ私は嫌だぞ』
タママ
『藁』
フルムーンを探して
『君ならできる! できるったら出来る! 大丈夫だサポートなら任せろ。ボイストレーナーから何から最高のものを揃える! 今日から君はビートルズ!』
『玉城ちゃんやっはろー!』
タママ
『圧が強い』
『やっはろー』
しいの
『嫌だ!! 私はカラオケで平和に歌っているだけで良いんだ!! 私は出来てもずうとるび程度なんだぞ!? 私にYesterdayの真似をさせるんじゃない!』
タママ
『ずうとるびwwww』
フルムーンを探して
『ずうとるびが何かは知らんが任せた! 君に決めた! 玉城ちゃん説得任せた!』
スマホを机に置いて伸びをする。通知でスマホがバイブレートしているが無視だ。
頑張れ椎野、応援してるぞ。私の代わりにヒッピーの神となれ。
――椎野ちゃんのボイトレが終わりアルバムの収録が始まった頃、これから音楽業界に進出するよと発表したら、ガチガチのオーケストラや音楽関係者から非難声明が発表されたうえ「音楽を穢すな」といった内容の脅迫も大量に会社に届いた。
無視してリリースしたら新聞に犯行声明が載り、椎野ちゃんから「ショップや他の隊でも声が似てるって噂されてる。どうしてくれる」「最近いろんな人からカラオケに誘われてる。怖い」「身バレが怖くてスーパーで声出せなくなった」「おい返事をしろ」とメッセージが届くようになった。
任期満了を待たずに退職すればいいのに。
そして移民にヒッピー系が増えたことで風見くんに怒られた。
「全く、こんな新興宗教の信者ばかり増やして」
「仕方ないのだ。私にはどうしようもなかったんだ。ほら笑ってくれよ風見くん、ラブ&ピース、ピースピース」
「それはVサインでしょうが」
この世界に絶望した……。なによりアヘ顔ダブピーの単語が生まれる可能性がないということに絶望した。
「ええいうるさい、私がピースだと言えばこれはピースなんだ! 私が白と言えば黒も白に変わるから烏は全身真っ白なんだ。だからこれはピース、分かったか!」
「諸伏、この天狗の鼻を折れ」
「はっ! 了解しました!」
会社で風見くんと諸伏くんに泣かされたから家では私が諸伏くんを泣かせてやった。
言い訳。マーブリックの使い勝手が良すぎたんだ!
1月12日のコミックシティ大阪と2月23日のハルコミ東京に、これ(一部)を本にしたやつを持って参加する予定です。