ど健全なる世界   作:充椎十四

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京極の会話が難しすぎて無理。


二部
愛欲、おぼえていますか


 ここでは話が出来ないから、と連れてこられたのは彼女が代表の一人として勤める会社――ジョークグッズの製作・販売や風俗店の運営等を手掛ける株式会社ピンクウェーブ。ビルに入るにはICカードの社員証か、写真付き身分証明書の提示を必須とする一時通行証で改札を通らなければならない。すれ違った清掃業者も首から通行証を下げていたが、私が渡された通行証とは色が違うから、きっと有効期限付きとかそういったものだろう。

 正面玄関の掲示板に『弊社の窓は全面防弾ガラスとなっております』等々と掲示されているのは犯罪抑止効果を狙っての表示と思われる。

 

 実際に自分の目で見て、ようやっと彼女が常に命の危険に晒されているという実感が湧いた。

 

 カラメル半月という女性についての情報は多い。宝塚と東都で女ばかりの歌劇団を運営しているとか、性行為を楽しむムーブメントの火付け役だとか、文化の再発見事業には金を惜しまないとか……テレビを単なるBGMとしている私でさえこれだけ知っているのだ。彼女の手は私が思っているよりも長く大きいに違いない。

 

「改めまして。ご存じでしょうが、カラメル半月です。こちらは護衛の諸伏」

 

 応接室に通され、黒い革張りのソファに座れば切れ長の目をした女性が紅茶と茶請けのクッキーを並べてくれた。そして十分も待ったろうか、デーモンメイクをすっかり落とした半月先生と護衛の人が戻ってきた。

 薄いメイクしかしていない彼女はとても平凡で、赤茶けた髪を顎先で切りそろえているくらいの特徴しかない。護衛の諸伏さんは人の良さそうな笑みを浮かべているが、服の上からでも首から下がゴリゴリの筋肉に包まれていることが分かる。彼に本気で殴られたら私など簡単に死ぬだろう。

 

「興禅寺です。右は――」

「大岡礼二郎さ」

「そして左は関口達也です」

 

 京極堂、いや、作者の前で興禅寺を京極堂と呼ぶのはおかしいか。興禅寺が私を紹介してくれたのに合わせて軽く頭を下げた。諸伏さんは何故か面白いものを見るような目をしている。

 

「そうだろうそうだろうと思っていたが、まあ貴方が夏比古だというのは予想の範囲内だ。先生の書いてはる話から見えるものはどれも世間の認識とズレがある。姑獲鳥はその最たるものだね」

 

 途中京都弁だろうか、耳慣れない口調が混ざったが、大岡が快活に笑った。本人が一番ズレている大岡――むろん私は彼のことを榎木津とか榎さんと呼んでいるのだが――に世間とのズレを指摘されては堪ったものではないが、初対面の先生にはそういう理不尽さは分からないだろう。

 

「導入も何もなくズバッと仰るね。貴方たちがこうして私に会いに来て、ノコノコと会社にまでついてきたのは、その姑獲鳥に関して何かあるからでしょう。……もしやどこぞの産院で嬰児連続死亡事件なんてものが起こり、皆さんが巻き込まれている、とか?」

「い、いえ! そういう事実はありません!」

「それは良かった」

 

 私が慌てて否定すれば、先生は心底安心したと言わんばかりに笑んだ。

 

「我々はただ、謎解きをしにこちらへ参ったのです」

「本屋にもネットにも謎解き本やサイトがあるでしょう。それで謎解きをしていたらよろしいのでは」

「いいえ、我々が解きたい謎は本屋にも謎解きのサイトにもありません。姑獲鳥の憑き物を落として頂かねば――まるで樹木に果が実るように心の中で膨らみ続けます。枝からもぎ取られることなく、落ちることも許されない果は樹上で腐り、やがて毒を発し枝を遡り……本体を枯らします。毒となる前に収穫していただきたい」

「京極――興禅寺! あれが毒だなんて、何を言うんだ! 先生に失礼にもほどがあるだろう!」

 

 ソファから腰を浮かしそう責めた私を宥めたのは、予想外にも先生本人だった。

 

「関口さん、良いんですよ。本当のことです。あれは元々腐りやすいものですから」

 

 驚いて先生を見たが、驚いているのは私だけだった。

 

「関口君、この場で君に説明するのは先生に対して全く申し訳ない時間の浪費だが、説明せねば君が納得できず、より一層の時間の浪費が生じるようだ。――少々こちらで話してもよろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ」

 

 中禅寺は私に膝先を向けて、いいかねと口を開いた。

 そして散々貶されながら言われたのは、あのエタって久しい作品は『異常』とされる様々な性癖の持ち主を刺激し煮詰める力を持っているということだ。

 

「いくらテレビを見ない君でも、ミロス島のヴィーナスは知っているだろう」

 

 突然美術の話に飛んだな。ミロス島のヴィーナスとは、確か――そうだ。

 

「両腕がない像だろう」

 

 トルコの何美術館だったか忘れたが、博物館だったかもしれない。トルコのどこかに展示されている両腕のないヴィーナス像のことだな。だがどんな像かと言われても写真だって見たことがないから、両腕がない像であるというくらいしか知らない。

 だがこの男は詳しく知らないと私が正直に言うと、鼻を鳴らして馬鹿にしてくるのだ。

 

「あのヴィーナス像は現存する裸婦像としての価値はもちろんとして、両腕の欠けによる魅力があれの価値を何倍にも高めている」

 

 何故か先生が天を仰ぎ、顔を覆った。

 

「ほかにはサモトラケのニケ、国内では『古伊賀水指 銘 破袋』が有名どころだ。金継ぎもある種の欠けや破壊を経た美を有するが、本来の機能や形を損ねていない点で傾向が異なる――普通ならあるはずのものがない。存在しない、欠けている。それはつまり『想像する余地がある』ということだ。ミロス島のヴィーナスは腕がないことで、どのようなポーズであったのか、何を手に持っていたのかと研究者の想像を刺激する。人というものは、自らの想像力や探求心に触れるものに対して魅力を感じ、その対象物について詳しく知りたくなる。君も無駄に事件に首を突っ込んではその度に火傷していると聞いている。実感があるだろう」

 

 大岡が興禅寺の向こうで、紅茶のお代わりを持ってきた女性に「確かに僕は美しいが、ヒトの恋人を盗るような真似はしないよ。安心したまえ」と言って、渋い顔でヨックモックを口に放り込んでいた。

 

「人の話をちゃんと聞いているのか、君は。聞いているならもっとそれらしくしたらどうだ」

「……はあ」

 

 我ながら気の抜けた返事だったが、興禅寺は納得したらしかった。

 

「エタった小説も、つまりまあ『欠け』ている。姑獲鳥の夏に関してはそうだね、事件がすでに発生して証言や証拠が全て出揃っているのに放置されている『謎解き』という『欠け』。これが人を惹きつけている。結末は決まっている――けれど、作者の頭の中にしかないのだ。表出していない情報は、それを知ることができない立場の者からすれば始めから存在しないことと同義だ。作者が発表するまで、解は存在しない。

 そして、その存在しない解……魅力的な『欠け』に取りつかれた、我々のような無駄な努力に人生を賭けるような暇人らが、ああだこうだと騒ぐのだ。

 今この場に三人いるが、この謎解きに関しては特に、三人寄れば文殊の知恵などというのは全く当て嵌まらない。船頭多くして船山を登るというのだ。あれだこれだと騒ぐうちに迷走を繰り返し、思いがけない道を進んで山に登ってしまうことはままある。

 この山登りが闇の男爵などなら弁天山やら八重山で済むのだが、君も理解っているだろうが、姑獲鳥の場合は富士登山だ。それも船頭が登山道を行くわけもないから樹海入りだ。西も東も分からず気付けば樹海の奥へ入り込み、抜け出る手段はもちろん目印など何もない。――現実に樹海で迷えば待っているのは死だが、小説相手ではそうはいかない。ただひたすらに、本人にはその自覚なく、深入りしていくのだ」

「樹海に入らなければ良い」

「本人は大海を渡っているつもりなのにか?」

 

 私は黙るしかなかった。常に迷い続けてこれまで生きてきた私の胸に、興禅寺の言葉は深く刺さった。

 

「深入りし、抜け出せない迷宮で人がどうなるかは、君も経験があるはずだ。心を病む、それがうつ病ならまだましかもしれない。新しい扉を開いてしまうよりはね」

 

 気が付けば興禅寺は正面を向いていた。

 

「扉の材料だけ準備しておいて、正しい出口を用意していない。だからここへ来た、と」

「――ええ、そうです。ただ読みたいという個人的な望みのためだけなら、私はここへは来なかった」

 

 半月先生は「次から次に面倒な」と吐き捨てるように一人毒づくと、顔を覆ってため息を吐いた。

 

「出口を用意していないから沼に沈んでいく、というのはそちらの考えでは正しいのでしょうが、私にとっては違います」

 

 先生は悲しいのか寂しいのか、まるでもう無い故郷を思い出すような顔で言った。

 

「あれの結末は、この世界の人間には早すぎる」

 

 笑い声が上がる。爆笑だ。笑っていたのは興禅寺の向こう――大岡。




尻を叩くため宣言する――と言ってもまだ先だが。
2020年1月のインテックスに参加してこれを頒布する。頑張る。主に辞表を上手く投げる方法と再就職先の発見を頑張る

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