ど健全なる世界   作:充椎十四

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エロスは激怒した

 頭を掻いたら、赤茶けた抜け毛が指の股に挟まっていた。ストレス性の脱毛だ、本当に嫌になる。

 私はストレス源とはなるべく距離を取りたいと思っているのだが、世の中はショッギョムッジョで世知辛い。望んでいないのに向こうからやってくる事件――防げるはずの物も、青山神の悪戯なのかそれとも京極神の嫌がらせなのか、運命的偶然の重なりにより実行に移される。まったく心折な世界だ。この世は地獄ですって江雪も言ってた。

 

 抜けた毛をゴミ箱にポイして机に突っ伏し、脱力してため息を吐く。歴史修正させろマジで……一度人理を滅却した方が良いよこの世界。なにせウン十年ウン百年、ウン千人ウン万人が泣いて苦労して積み上げていくはずの性愛の歴史がゴッソリ削られているんだ。私の短い人生でそれを組み立て直すなんてどだい無茶な話で、割と本気で心労がやばい。

 どうして私がこんな苦労をせねばならんのだ、ふざけるんじゃない。私は享受する側になりたかったのであって、こういう風に心を削りながら供給する側になりたかったわけじゃないというのに。

 

「諸伏君、今日一日は半裸で過ごさない? 上半身だけ脱いでくれればそれで良い」

「えっ!? 何で!?」

「何でって思うよな、私もそう言われたら不思議に思うだろうよ。でもこれにはちゃんと理由があるんだ――男の乳首を見ていると私の心が豊かになるんだ」

「そ、そうなのか……?」

「うん。そしてパフパフさせてくれるともっと心洗われて幸福になるんだ、私が」

 

 というわけで半裸の諸伏君を侍らせて仕事をしていたんだが、そこに風見君から電話があって「メンゴ! 久保逃がしちゃったし女子中学生二人死んだ!」という報告である。私は椅子に沈んだ。

 

「ハゲる……心労で禿げるぞこれは。この世界は私に不親切すぎる。急性の胃潰瘍で即入院レベルだ」

 

 ちなみに私は救急車に乗るのが好きだ。ストレッチャーと呼ぶのだったか、車輪の付いた担架に乗せられると案外背中と地面が遠くてドキドキするし、救急車に搬入される時の「冒険の始まりだ!」感はなかなか味わえるものではない。意識がはっきりしている状態で乗る救急車は凄く楽しい。

 え? もっと健全な楽しみを見つけるべき? 命狙われてるからなぁ、貸し切りじゃないと遊園地にも行けないんだ。

 

「先生、元気出してくれ。ほら男の乳首だぞ~」

「ばぶー」

 

 顔を埋めた推定Bカップは最高だった。柔らかくて包まれているようだ……ここがエデンだったのか。

 七味唐辛子から大麻だけ集めて加熱処理が上手くいっていない種を探して非合法大麻ガーデニングをするより、もちもちの男のおっぱいに顔を埋める方が危険で非合法じゃなかろうか。これは常習性があるぞ。バブチャンになってお仕事したくなくなっちゃう。

 ハグやキスはストレス解消に良いと前世の○イッターかネットニュースで読んだ覚えがあるけど、雄っぱいパフパフの威力には敵うまい。これから諸伏君は私の専属裸執事なんだ――そうだ裸執事だ。何故私は裸執事を忘れていたんだ……ゲイストリップを生で見ることなく前世を終えてしまった悲しさと寂しさを、今こそお金の力で埋めよう。男の娘だろ、ガチムチだろ、ノンケも良いな。ノンケのストリップをゲイストリップと言って良いのか知らないが。

 

 とりあえずストリップが見たい。間近で脱ぎ脱ぎしてくれるのを見たい――もしやこれが会いに行けるアイドル!? 凄いな秋○、私はA○Bに興味がなかったから実感がなかったが、今改めて考えてみると彼の発想は素晴らしいの一言に尽きる。

 

「ハコを用意しなければね、先ずは彼らを彩る最高のハコを……」

 

 匣や筥はハコ違いだから遠慮してどうぞ。

 言い忘れを思い出して風見君に電話をかける。

 

「言い忘れてた。久保は美馬坂近代医学研究所に現れるからそこを確保して」

『また勘ですか?』

「勘じゃないさ、今度はね。確定的未来だから」

 

 私の連絡から二時間後には、「誘拐犯からまた要求があるかもしれない」ということで研究所に詰めていた警官二人に追加して、三人の公安警察が研究所の警備として合流した。そしてその日の深夜近くに久保を確保。私は万歳三唱し風見君を褒めちぎった。

 あとは加菜子ちゃんに関する一連の事件と楠本頼子問題と柴田の遺産相続問題と御筥様問題だけだ! だけ、と言っておいてなんだがたくさんあるな。

 まあぶっちゃけ、御筥様は放置してても良いのではないかと思わなくもないのだ――どうせ久保の逮捕で父親にもなんらかの調査が入る。命の危険はないのだし、私が手を出す必要性を感じない。よし、見なかったことにしよう。御筥様なんてものはなかった。

 

 加菜子ちゃん関連はもちろんながら、頼子ちゃんと柴田の爺さんもどうにかせねばなるまい。頼子ちゃんの行為は衝動的なものだったとはいえ殺人未遂に違いはないし、子供だろうが心神耗弱状態だろうが罪の重さは変わらない。情的酌量や更生の余地によって量刑が軽いものになるだけだ。頼子ちゃんはきちんと自分の行為の責任を取らなければ。

 現代医学のお陰なのか柴田の爺さんはまだ会話ができる意識レベルを維持しているようだから、誤った遺言状を遺してしまう前に面倒は解決してしまった方が良い。爺さんは凹むかもしれないが、そんなもの私の知ったことではない。

 

 だがな――美馬坂教授父娘と雨宮さん、これどうしよう。生命維持のためとはいえ四肢切断はどうなんだ、それに内臓まで取ってしまっては快復などまず望めない。機械に繋いでいれば死にはしないだろうが、それは「死んでいない」というだけだ。これが何の罪に当たるのか私は分からないが、間違いなく犯罪だろう。

 そして雨宮さんが「死にかけ」の少女を誘拐したのは……保護責任者遺棄致死罪だろうか。あと須崎への殺人罪もある。

 なんにせよ三人とも必ず豚箱行きだ。雨宮さんは分からないが美馬坂父娘には責任能力がちゃんとあるのだし。

 

「なんか朝から疲れた。働きたくない」

 

 フローネルしたい。でも出社したし、諸伏君もいるし、ポアロ行こうかな。

 

「朝からポアロ、どう思う」

「ホワイト企業らしくて良いんじゃないか?」

「うむ。我が社は超絶ホワイトを推進しているから問題ないね」

 

 というわけで内線で髙野さんに「三十分後くらいにポアロ行きたいから準備よろしく」と頼み、ほぼ何も手を付けてない書類を見なかったことにして立ち上がる。

 

「何か持っていく物はあるか?」

「デッキ」

「りょーかい」

 

 デュエリストたるものマイデッキを持ち歩かないなど言語道断、だがまだOCG化されたカードの種類が少なすぎて中身はお察し。パックあくしろよ……待ってるぜ。

 上着をもう一人のボク又はユーヤっぽく袖を通さずに歩いたら肩から滑り落ちた。安全ピンを買わねばならないな、これは。

 

「ひょっ」

 

 ――そして入ったポアロで、私は白目を剥いた。京極堂と榎木津と関口がいる。関口だけは見覚えがある……この店の常連だったはずだ。中野のあたりに住んでいるとばかり思い込んでいたから、こんな身近に関口がいるなんて思いもよらなかった。

 

「先生? どうしたんだ?」

 

 私の顔を覗き込む諸伏君に答えるべき言葉を持たず、私はようよう一言絞りだした。

 

「メロス私を殴れ」

 

 きっとこれは夢に違いない。だって青森と大阪にいるはずだもん。なんでいるんだ。

 

***

 

 柚木加菜子さんが煙のように消えてから数日――まだあの人体消失の謎が解けず、考えながら歩いていた俺の視界に飛び込んできた三人組。京極堂、榎木津、関口を思わせる容姿と雰囲気の男たちだ。

 

「先生は毎日来るわけじゃない……それに、何時に来るかもまちまちだ。必ず会えるとは限らないから、それは了解していてくれよ」

「むろんだ。さっきから同じ言葉を繰り返さなくとも、それについては既に我々も承知している。そろそろいい加減にしないか」

「でも……」

「でもも鴨もない」

「面倒臭い男だなぁ。本屋、君も分かっているだろう。このウジウジしてみっともないことこの上ないウジ虫は、デモに参加しないくせにデモデモと口で言うことは得意なんだ!」

 

 榎木津――大岡が俺を見つけてパッと笑みを浮かべた。

 

「あの時の無駄に賢しげなガキじゃないか。君、どうして半月がポアロの常連だと言わなかったんだ。おかげで駅弁を三種類も食べたが、どれもこれも冷めているし味は濃いし美味しくないしで辟易としたぞ! 僕は冷え切ったトンカツなぞもう二度と食べないぞ」

「えっと……?」

 

 一度ポアロまで案内した程度の関係でしかない男にどうしてこう責められるんだ? それに駅弁がどうこうとかどうでも良いことだろう。返事に困り口ごもった俺と大岡を見比べて、京極堂っぽい男がため息を吐いた。

 

「榎さん、子供を困らせるものではないよ。どうやら親しい間柄というわけでもないんだろう」

 

 突然絡んですまなかったね、と淡々と話す京極堂もどきに、気にしてないよと答えてニッコリ笑ってやった。が。

 

「それが君の処世術かな。だとするともっと表情を磨いた方が良い、今のままではむしろ怪しいからね」

 

 男の言葉に愕然と立ち尽くす俺からふいと視線を切って、京極堂もどきは同行者二人と歩き出す。その背中が曲がり角に消える直前、慌てて追いかけて辿り着いたのはポアロだった。

 彼らに続いて店に入り、カウンター席でオレンジジュースを頼む。

 

「まさか朝から晩まで店の一角を占拠することはないだろうね」

「ああ、十時から十一時までと二時から四時までの二回のつもりだよ。彼女ほど命を狙われていればね、込み合う時間には絶対に来ないだろう」

 

 さっき、大岡は先生がポアロの常連であるかを確認してきた。関口もどきは見覚えがあるからここの常連だし、京極堂もどきの発言からも先生が目当てであることは確かだ。……こいつらは何が目的なんだ? 先生の命を狙っているにしては堂々とし過ぎているし、うち一人が常連だ。赤井さんと違って言葉の端々に先生への敵意がないし、加害を目的としていないことは間違いない。

 

「いらっしゃいませ、ご注文がお決まりになりましたらこのベルでお呼びください」

 

 安室さんがメニューを手に三人の席へ向かい――大岡が「おや」と声を上げた。

 

「君、半月と繋がりがあるんだったら、いつ会えるか都合を聞いてくれないかい」

「――何を仰りたいのか分かりませんが」

「いいや君、そんなに濃い縁がありながらシラを切るんじゃないよ。僕たちはただ半月に会いに来ただけなんだから」

 

 大岡を不審人物と認めたのだろう、睨む安室さんに対し大岡は飄々としている。

 

「やめてくれ! 榎さん、僕はここの常連なんだぞ! 問題を起こさないでくれ!」

 

 関口もどきが大岡にすがりついた、その時だ。

 

「お邪魔しますこんにちは梓ちゃぁんコーヒーとハムサンド」

 

 ドアのカウベルが鳴る。店内を見回した先生は一言、「ひょっ」と鳴いた。


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