宮武外骨という人を知っているだろうか。政府に向かってベロベロバーと皮肉な新聞を書いて禁固刑を受けたり、一人目の奥さんを借金の形にして新聞発行の資金にしたくせに買い戻せる目処が立っても迎えにいくのを忘れて三行半を叩きつけられたり、牢屋でこっそり新聞を発行したり、政府を皮肉る新聞を書いたら捕まるため手法を変えて性行為等々に関する新聞を書いたり、二人目の奥さんが亡くなって数日後に三人目を迎えたり、「三人目四人目の妻は性衝動を発散する必要のために迎えた」と恥ずかしげもなく友人連中に公言したりしていたスケベなおじさんである。
スケベなおじさんだったはずなんだ。
「外骨からスケベを抜いたら何が残るの? 単なる反骨ジャーナリストの一人扱いになってるとか本当にこの世界マジ無理……リスカしよ……」
がいこつがゲラゲラ笑ってこう言った、と歌いながら宮武外骨の全集を閉じ、この資料のために図書館まで走ってくれた秘書室の子に「時間ある時に返しに行っといてくれる?」と頼んで渡した。
専属秘書の髙野さんがくすくすと笑いながら口を開いた。
「先生、さっきの歌面白いですねぇ。なんて歌ですか?」
「ん? これはがい○つの歌って言うんだけどちょっと待て検索するから」
ヒット数ゼロ……もうやだこの世界おかしいよ!
オイオイフ○ークルもいないとかオイオイ! 常温コーラコラみたいになっちゃったじゃないのよちょっと待ってよ。歌と言えば放送禁止歌だっていうのに! まあ仕方ないイ○ジン河がないことは諦めよう。網走番○地も仕方ないから諦めよう。だけど放送禁止歌にS.○.Sもないのはどういうことだ。
ちょっと待って喘ぎ声間違えた天○越えもない。こりゃひでぇや、ははっ。グループとして性的なアピールがあったピンク○ディーも、歌詞に性的な描写があった天○越えも無くなってる。もはや笑うしかないよあははっ。
「歌謡曲までもとはね」
「先生? せんせー?」
ははは……燃え尽きた……真っ白な灰に……。髙野さんが凄く慌てているけどフォローする気持ちの余裕はない。ふざけんなよ健全ワールド本当にふざけないで頂きたい。この衝撃はまさに、めぞん○刻の次に聞いたこともなければ見たこともないるーみっく作品が存在したことに気付いた時くらいの衝撃だ。私に語尾萌えを教えてくれたラムちゃんはどこ行ったの? 性転換沼に頭から飛び込ませてくれたらんまは?
手塚先生の作品は実は高校になってから読んだから、手塚先生の性癖ぶちこんだ作品がオタク開眼のきっかけじゃないんだよね。すまない。ちなみに先生の作品もいくつかない。リボンの○士とかふしぎの○ルモとか。
「先生、ほらワンちゃんですよ」
髙野さんの気遣いは嬉しいけど涙が止められない。だってこの世界ってば変[HE○]もないし、シティーハンタ○も銃夢―GU○MU―も聖○―RG VEDA―も天○の血族も変態○面もないんだ。こんな世界なんて生きている価値あるの? クレしん見ないなと思ったら存在してなかったとかもう膝から崩れたからね。確かにクレしんから下ネタを無くしたら名言しか残らないから面白味に欠けるけど、存在すらなくさなくても良いじゃない。こんなのってないよ。
もうこんなの死んで来世ガチャ回した方が良くない? 次の世界がもっと悲惨だったら来世に期待でワンちゃんダイブ(誤字ではない)かな。はぁークンカクンカ、ワンちゃん最高だよ特にうちの子は最&高、なにせお顔の凛々しい黒芝で性格がエンジェルな女の子なんだもん。役員の強権で社員ならぬ社犬に迎え入れてから私の心の平穏はこの子に保たれている。
「すー……はー……」
「先生正気に戻りました?」
「すぅぅぅぅぅはぁぁぁぁぁぁ」
髙野さんが私の顔に乗せてくれたワンちゃんは太陽の匂いがする。つまりワンちゃんは正義。きゅんきゅんきゅい!
ブルブルと唇を震わせながら息を吐いたらワンちゃんが暴れて逃げ、私の心は傷ついた。
勢い良く立ち上がり上着を羽織る。
「いよしっ! 良さげなのナンパしながら撮影所いこう。というわけで髙野さん連絡お願いね。私これから準備するから」
「ええーっ、またですか?」
「私の心の癒しなんだよ」
外出時用の聖飢○Ⅱメイクをがっつり決める。警察に出入りしている間は特に身バレに気を付けた方が良かろうということで、警察で仕事する時以外の外出時は聖飢魔○の顔面で通しているのだ。警察でのお仕事が終わったらもう面倒くさいから化粧しなくて良いや。
顔が世紀末伝説だとはいえ、鋲付きの首輪とか革ジャンとかは趣味じゃないし何より着替えるのが面倒くさい。本日のゆるふわコーデと首から上の解離に髙野さんが顔をひきつらせるのをさくっと無視して社用車の後部座席に乗り込んだ。
私専用の社用車はト○タ車の中で一番一円当たりの価値が高いことで知られるカロー○。この「一円当たりの価値が一番高い」というのはつまり、同じ価格で手に入る車の中で一番品質が良いということだ。よほどの車好きでもない限り、初めて買う車は安い価格帯のものになる。トヨ○は「うちの車、性能良いでしょ? だから次の車もうちで買わない?」とアピールするため、カロー○の一円当たりの価値を高いものにしたのだ。つまりお買い得ということだ。これはもう○ローラに走るしかないね! というわけで前世に乗ってた車は全部カロー○だった。慣れた車が一番なのでこの人生でも車はカロ○ラ。
「髙野さん車止めて歩道に寄せて!」
「嘘ぉ」
撮影現場に向かう途中、視界にチラリと映り込んだ歩行者に目をとられた。ちょうど進行方向が同じだったその男が近づいてきたところでウィンドウを開ける。
「そこな元ラガーマンっぽいお兄さん、ちょっとビデオに出てみません?」
「は?……おまっ、カラメル半月……?」
「はい、本人です。それで、ビデオに出てみません? 日給はこんくらい出しますよ」
いかにも裏の世界の人間ですといった強面は美男子と呼べるものじゃないけど、短く刈り込んだ黒髪や分厚い胸板、がっしりとした四肢が素晴らしい。もう本当に素晴らしい。許されるならば撫で回したいくらいに素晴らしい。
男は「あー」とか「うーむ」とかしばらく唸ったけど最終的に頷き、私の隣に乗り込もうとして目を剥いた。
「なんだその格好」
「私も女の子ですよ。おしゃれだって楽しみます」
「そういう話じゃねぇ……」
顔とのギャップがひでぇ、と愚痴りながら乗ってきた彼を連れて出発。
「ビデオに出るっつって、一体何のビデオだ?」
「エーブイってビデオですよ。大人向けのドラマです」
「へぇ……。俺はシロートだが良いのか?」
「素人だから味があるんですよ」
ウィークリーマンションの一室もとい撮影所に着いて、監督のネエさんに彼を紹介する。
「ネエさんの見立てではどっち?」
「受けよ」
「だよね!」
というわけでネエさんと愉快なマッチョたちで彼をベッドに拘束し、カメラを回す。
「おい何が始まるんだ、これ」
「撮影ですって」
「撮影ってもんは先に台本読ませるもんじゃねぇのか!?」
「台本要らないんで問題ありません」
「おい、さっきから嫌な気配しかしねぇぞ! 何をする気だ!?」
「はーい竿役さん入りまーす」
嫌だ、兄貴、兄貴ー! と助けを求める彼があんまり可哀想だったから、仕方ないねと解放して別の猫役を呼んだ。
渡した温かいココアを飲みながら撮影が進むのを見ていた彼がどんどん青ざめていくのを見ながら、これで黒の組織からちょっかいが掛かることはないな、とこっそり胸を撫で下ろす。こういう手合いからは、訳の分からない、理解できない別次元の存在と思われるくらいがちょうど良い。同じ世界を生きていると思うから敵視されるのだ。異世界の住人なら敵も味方もない。
実際に異世界出身だから敵視とかそういうの本当にやめてほしい。世界地図でスケヴェニンゲンやエロマンガ島を見つけて爆笑するのがこの世でたった一人、私だけというのは辛すぎる。
「そうだよ、今からでも遅くない……。こんな間違った歴史は修正しなきゃ……」
その呟きが聞こえていたのか、彼――ウォッカが宇宙人を見るような目で私を見ていた。