「――霜月」
「? 何か用でしょうか、教官殿」
聞き覚えのある低い声に名を呼ばれて、振り返った渚の高い声が校舎にあたって残響した。
校庭での訓示が終わり、生徒たちは言われた通りに校舎裏の駐車場へぞろぞろと歩いていた所。
渚はある教官に呼び止められた。
そして呼び止めた張本人は、それっきり黙りこくる。
角刈りの三十台ほどの男性。なんだかこの人には随分と目をかけてもらっているような気がする。
名前は覚えてないが。
他の生徒たちがこちらにちらちらと視線を向けながらも、声が届かないだろうと判断できるまでに距離が離れた頃。
男は漸く口を開いた。
「今回の実習で、悪魔とは契約できるだけ契約してこい。雑魚にも意外と使い道があるからな」
「……?」
頭上に疑問符を浮かべ、小首を傾げる。
前世の知識から、渚は教官が言わんとしていることを直感していたが、今は知らないふりをしておいた。
悪魔合体の記述など、図書室にあるどの本にも載っていなかったからだ。
「悪魔同士を合体させて、より上のランクの悪魔を作成可能なのだ。お前もゲームをやったことがあれば、なんとなく想像はつくだろう?」
「あー、はい、なんとなく。……しかし合体に使われた悪魔はどうなるんですか?」
殆ど予想していた言葉を聞いて、渚は、今まさに合点がいったかのように手を叩き、納得したように頷いて見せる。
続けてふと思い浮かんだかのように、今まで気になっていた悪魔合体での疑問点を聞いてみた。
以前気になって、悪魔あるピクシーに似たような質問をしたことがあった。
当たり前というべきか、ピクシーは悪魔合体のことを知らない様で、現実の参考にはならなかったが。
しかし例え話として、強くなれる代償に自我が消失するという術法があれば使用するかという渚の問いに対し、ピクシーは躊躇いも無く否定して見せた。
なんでも自我が連続していないと死んだも同然で、強さを得ても意味がないらしい。
そして大多数の悪魔の見解も一緒だろうともピクシーは言った。
その辺の価値観は人間に近いんだと、不思議な感覚を覚えたものだ。
嫌がる悪魔達を無理やり合体素材にする。
悪魔合体の仕様次第で、渚のアライメントは決まりそうだった。
「……」
そんな渚の反応を受けて、教官は僅かに沈黙する。
ちょっとわざとらしかっただろうか? 渚の心中に微かな反省の心が去来したが、その心配は杞憂だったようだ。
特に深刻そうな様子もなくいつも通りに、教官は言葉を発する。
「素材となった悪魔の自我は消え去るが、悪魔合体は秘中の秘だ。素材にする奴には適当に強くなれるとでも誤魔化せばいい。――詳しい注意事項は帰ってきてからだ」
「了解です」
言いたいことを言い終えて、去っていく教官の背を眺める渚の心中は複雑だった。
ここ一か月ほどで更に親密になり、最早妹のように思えてきた彼女を悪魔合体の素材にする――
数秒の静寂の後、ふっと息を吐いた。
(――どっちが悪魔なんだか)
渚には、悪魔合体の利便性を捨て去るなんて考えられなかった。
誰に向けてか、渚の口元には嘲るような笑みが浮かんでいた。
▼
車内の窓の外を流れる山並みは、秋の寒空の元で薄茶色に侵食されている。
道路脇に設置された灰色の柵や網が高速で流れていくのを、渚は普通乗用車の助手席の窓からぼんやりと眺めていた。
長野から新潟へ。
上信越自動車道を使って、日本海側へ北上する。
目的地は、新潟県南部で二つの市にまたがって存在する、陸上自衛隊関山演習場だ。
なんでも演習場内のどこかに、ヤタガラスが維持している異界への入り口、通称“ゲート”があるらしい。
恐らく二十四時間体制で監視され、ICBMよろしく砲門やミサイルの照準がそこへ合わせられているのだろう。
最悪の事態が発生しても、人口希薄地帯の周辺に“運悪く”存在していた人間のみの犠牲で済むと。
……演習場内での大事故なんて聞いたことがないから、大丈夫だと思いたい。
報道規制をされていたのかもしれないが。
今回の実習の目的は、保護者(教官)同伴で生徒たちが仲魔を手に入れる事である。
無事に三体以上の悪魔と契約することができれば卒業、そして実戦配備。
訓練と知識の詰め込みもそこそこに、基準を満たせば即出荷。
それを出発前に聞かされて、本当に促成栽培なんだと、神妙な顔で聞いていた面々も内心では呆れていたことだろう。
参加者は前回の授業で、レベルが基準値を上回ったものから更に選別して。といっても定員割れを起こしているようなので、今複数の車内に乗っている人間はそこそこ才能がある方だ。
先行組に追いつく為、先日同様に使役悪魔と戦っている居残り組はご愁傷様である。
それに比べて今回の渚たちは、旅行気分でもよさそうだ。
授業で使っている悪魔は、これから行く異界から調達してきているのだろうし、教官たちにも気負った感じはあまりしない。
それから推察するに、かなり安全なのだろう。
むしろ疑問なのは、それだけ間引かれながらも、需要を満たすだけの悪魔が存在する事だ。
『なんか気が付いたら増えてる。多分魔界からやってきてるんじゃね?(適当)』
要約すればそんな感じの学説が主流であるが、本当の悪魔の生態というのはどうなっているのか。
興味は尽きない。
▼
異界。魔界。冥界。幽冥。ダンジョン。迷宮。神域。
地域によって呼び名は様々であるが、それの意味するところは共通している
すなわち、此の世ならざるモノ。
地獄のような悍ましい空間。迷路のような遺跡。神々しいさすら感じられる大自然。
異界内の構造は千差万別だ。
そしてそんな異世界への入り口は、今やどこにだろうと開く危険性がある。
その危険性を排除しようと、人間界と異界を繋ぐゲートを日夜破壊している者達が、世界各地の対悪魔機関に所属する人間である。
しかし以外にも、悪魔関係者の異界内に侵入する機会というものは非常に少ない。
なぜなら異界への入り口というものは、別に内部を制圧せずとも破壊可能だからだ。
魑魅魍魎が蠢き、大してお宝がある訳でもない空間を、膨大な犠牲の上に攻め落としていったい何になるというのか。
少なくとも人類の平均レベルが一〇以上底上げされねば利益が出ない事は確実である。
つまり異界内から出てくる悪魔を駆除しつつ、蜂の巣を探すようにしてゲートを見つけ、沸き潰しをするのが構成員のお仕事なのだ。
異界を閉じる道具は大昔に開発済みであり、素人だろうがヘンテコな骨董品に魔力を注げれば、それだけで孔は消える。
だが仮に、中に人がいる状態でゲートが破壊されると、その人間は出口を失い、永遠に異界で彷徨うことになるのである。
そしてゲートを発見すれば即時破壊が推奨されており、下手に異界内なんかに入っていれば、『出口を破壊されて異界内に閉じ込められる』という事故もあり得るのだ。
実際、情報伝達手段が少なく、入出報告が交錯しがちな昔において、そんな顛末で行方不明になった者はかなりの数に上る。
事故で失ったそれらの全てが異界内に突入できるだけの凄腕なのだから、それを知らされて育った者達が、異界に入るのを嫌忌するもの当然のことである。
▼
渚たちの班が侵入した異界内は、前情報通り真っ暗だった。
辺り一面は砂漠のような荒野が広がり、空はどんよりとした雷雲に包まれ、時折起こる放電以外はこの異界を照らす物はない。
周囲は岩や段差が多くて見晴らしが悪く、その上視界には闇が満ちている。
だが目視できずとも、あちこちに存在する悪魔の気配を渚は感じ取っていた。
「うわ、本気で“異界”なんだなぁ……」
一瞬で景色が変わったことに驚いたのか、少し遅れてやってきた誰かが思わずといった感じで呟いた。
その後からやってくる者たちも、似たような感じで大なり小なり驚いている。
クスリを決めて交渉なんて出来ないと上は常識的な判断を下したのか、変なものは支給されず生徒たちは全員素面だ。
渚を入れて四人。
それが全員揃ったのを見て取って、誰よりも先に異界入りしていた、助っ人で来たという教官役の女性がおもむろに動き出す。
支給される軍服のような戦闘服に身を包んだ彼女は、如何にもデキる女性士官といった風貌で勇ましい。
「揃いましたね。では行きましょう」
そう言って歩き始めた教官に置いて行かれまいと、雛鳥のように追いすがる者達の背を見て、その慌て振りに渚は失笑した。
そして事前の打ち合わせ通り、生徒たちを教官と渚で挟むようにして最後尾につく。
周囲には人間達を守護するように、教官の仲魔が長方形を描くようにして前後で二体ずつ配置されていた。
その力は渚よりも一段格下、レベル五か六といったところか。
「結局、ついていくことにしたの?」
渚の肩に腰掛けていたピクシーが、その耳元に囁くようにして聞いてくる。
渚は今回の実習について、出来れば団体行動から抜け出して勝手気ままに狩りをしたいとピクシーには言っていたからだろう。
願望を気紛れに口にしたと思えばそんなに疑問に思うようなことでもないが、ピクシー的には暴れまくるのを期待してしまっていた分、拍子抜けしてしまい、暇つぶしを兼ねての真意確認といった所か。
しかし団体行動を選択した理由に、ピクシーの気が晴れるほどの深謀遠慮なぞ存在しなかった。
「普通に許可が出なかったからね。流石に命令違反は出来ないよ」
「ナギサなら出来る」
「確かにやろうと思えば出来るけど……。僕はカオスじゃなくてニュートラルだからね? 決まり事には従順なのさ」
「えー」
何の面白味も無い回答に、ピクシーはいじけたように渚の髪をもてあそび始めた。
「変な事しないでよ?」
「大丈夫」
以前、人の髪で遊ぶピクシーを放置していたら、いつの間にか変な編み込みをされており、その状態を気付かずに過ごして恥をかいた経験から渚は一応釘を刺しておく。
しかしそんなことをせずとも、ここは異界。
ピクシーのうわの空な返事に若干不安を掻き立てられたが、流石に編み込みなんてしている時間はないだろう。
ほら、噂をすればなんとやら。
自身の前方、探知圏内に悪魔の徒党が入ったのを渚はその優れた感覚で知覚した。
異界に入ってから数分程度。早くも初遭遇である。
この班のレベル上位三人は、似たような距離でその事を察知していた。
先頭の教官と、最後尾の渚。
二人は計ったようなタイミングで同時に足を止めた。
生徒たちも、一歩踏み出し困惑しながらも停止する。
勘の良い者はこの時点で何が起きたのか察したのか、すぐに戦闘へ移れるように身構えつつも、額には冷や汗を流していた。
「前方から悪魔です。数は四体」
機械音声のように告げられる、教官からの注意喚起。
何が何だかよくわかっていなかった生徒たちも、その声によって気が引き締められる。
そして前方の視界を遮っていた岩陰から、不意に動くモノが現れた。
異界内で動くモノなど、悪魔以外にありえない。
闇の中でも、目を凝らせばもう見える距離まで近づいていた。
「まずは見本をお見せします。霜月さん、ついて来て。他の皆さんは流れ弾に注意してください」
生徒たちへの発砲許可は無かった。
新兵に後ろから援護射撃をさせるなど、背後に敵を出現させるようなものだからだろう。
仲魔を手に入れるまでの彼ら彼女らは、基本的には役立たずなのだ。
立ち止まった時点でスキルの発動準備をしていた教官は、術式に十分な魔力を籠められたのを確認し、ソレを放った。
――アギ。
闇に包まれた世界が、瞬間的に昼間のような明度を観測する。
教官から放たれた紅蓮の炎は、悪魔集団の戦闘にいたガキらしきものに照準されていた。
炎弾の弾速は、流石に雷速には到底かなわなかったが、拳銃弾に匹敵する程度には早かった。
そして着弾、更なる明滅。
周囲に溶鉱炉が現れたかのような強烈な熱が放たれる。
その被害の標的となっていたガキは何とか直撃は免れていた。
しかし弱点属性だった火炎に加え、格上からのスキルは余波だけでも十分に疲弊させていた。
「一匹残します。どれがいいですか?」
指示に従い前衛に向かう渚に向かって、すれ違いざまに横合いの教官から言葉を投げかけられる。
反撃に敵の徒党がスキルを発動させようとしているというのに、その声は冷静そのものだった。
流石の彼女も、集中砲火されたら生き残れるとは思えないのだが。
まあ何かしら成算はあったのだろう。
いずれにせよ、渚が存在する以上この場での敗北はありえない。
「地霊コダマで!」
敵の面子を確認し、渚は即答する。
とりあえずは属性攻撃が被らなければなんでもよかった。
今は熟考している場合などではないからだ。
ピクシーから習った念動力で飛行の真似事をして速度を上げる。
空を自由に飛び回るどころか、風船のように浮かぶのが精々であるが、それを移動の補助に使えば目に見えて身軽になった。
盾となるように、渚は教官の前に踊り出る。
そして悪魔達から反撃で放たれた稲妻と衝撃波を、手に持った刀を二回振るって打ち消した。
(年代物のくせにやるじゃん)
以前、木の枝で雷を殺した時とは比べ物にならない感覚に、渚は素直に感心した。
あの時の棒はたった一度で消し炭となり、電流を通してしまって渚にもダメージを与えていたというのに、今回はそれらの事象が発生しなかった。
遠雷に照らされる刀身は傷一つなく、先程の電撃と衝撃波の余波は透明な防楯でもあるかのように、渚にはまるで影響を及ぼさなかった。
その刀は支給品ではない。
それは戦地に赴く一人息子の役に立つものは無いかと、渚の両親が蔵から引っ張り出してくれた代物だった。
由来は高祖父の代にまで遡り、彼の遺品である刀は当時の最高級品だ。
魔道具の製作技術はとっくの昔に成熟しきっており、こういった一品物の性能は作り手のレベルに依存するらしく、約二世紀前の最高峰の刀鍛冶が製作したそれは現代でも十分通用する。
悪魔に敗れたとしても、異界で果てることは稀なので、遺品回収は本当の戦場と比べれば比較的楽。
その上、才能は遺伝するらしく、年代物を所持している生徒は意外と多かった。
まるでターン性のように教官が再砲撃の準備していると、それを阻止しようと赤い体色が特徴のオバリヨンが突撃してきた。
しかし渚たちの戦力を削ることができず、味方が魔法を放ち終わった後のタイミングで、援護射撃を望めず手負いのガキも置いてけぼりに突出するのは無謀である。
――轟音と共に、稲妻が閃いた。
渚の仲魔であるピクシーの電撃。
先程のジオに比べて倍ほどの威力がありそうな雷は精確に、回避する間もなくオバリヨンを飲み込んだ。
格が違う相手からの攻撃による弱点属性への攻撃。
哀れオバリヨンは、その一撃のもとに屠られた。
爆発するように肉体を構成していた魔力が撒き散らされる。
光り輝く粒子が宙を舞う光景は、いつ見ても綺麗なものだった。
それを横目に辺りに漂う膨大な魔力をかすめ取りながら、渚はガキに向かって一気に距離を詰める。
疾風染みた速度とはいえ、彼我の距離はそこそこあって、それを詰めるのに一息とはいかなかった。
余裕をもって渚の突貫に反応したガキは、必殺を企図した右腕を振るう。
骨と皮だけで構築されたようなガリガリの腕の先には、人間など容易く切り裂きそうな五本の刃が生え揃っていた。
腕と刀が触れ合うその瞬間――血飛沫が上がる。
胴体から切り離されて、くるくると空を舞う物はひょろ長い腕だった。
「ガァ――ッ!」
当たり負けた事など物ともせず、刀を振り下ろした状態の渚に向かって、ガキは残った左腕を振るおうとして。
背後に忍び寄る魔の手によって、隻腕のガキの首は落とされた。
「――ァ?」
渚の刀は振るわれていない。
視野狭窄を起こすほどの集中力を発揮していたガキには、それを確信できた。
――ナゼ、オレのシカイはマワッテイル?
死因や敗北した手段どころか、突然視界が逆さまになったことに疑問を抱くように。
呆けた様子のガキは、オバリヨンに続いて魔力となって世界に溶けた。
(念動力と魔眼のコンボ……予想通り凶悪だ)
念動力を手のようにして、直接触れずに死の線をなぞる。
ガキを死に至らしめた方法は、渚のここ一か月の集大成だった。
飛行は早々に切り捨てて、暇さえあれば精度向上の訓練をしていた甲斐があった。
身を焼く歓喜と達成感に、渚は顔が綻ぶのを抑えられない。
「ふふ……」
笑いをこらえるように身を震わしながら天を仰ぐと、ちょうど敵の妖精が教官のアギによって焼かれるところだった。
アギを見るのはこれで二度目である。
その後に齎される現象を一度目の経験から予想して、渚は身構えた。
発生した光には甘んじて照らされるが、不愉快な熱波は刀を振るって相殺する。
生暖かい風が渚の頬を掠めていった。
再度見上げた中空には、一人残された地霊コダマの姿が見て取れた。
最後の締めとばかりに充填完了済みのピクシーに照準されていて。
今にも解き放たれそうな魔法は、コダマを仕留めるには十分な威力を秘めている――
そういえばピクシーには、どいつと交渉するか聞かせていなかったか。
これはまずいと感じた渚は、言葉に強制力を乗せて口を開く。
『瀕死でとどめろ』
間近で鼓膜を揺さぶった雷鳴によって、声を出した自身にすら聞き取れなかった声量。
しかし命令の伝達は成功していた。
稲妻状の光が去った後、若干焦げたコダマが浮力を失うようにして落下を開始する。
数秒の自由落下の後。
荒野と抱擁して大きくバインドしたソイツは、身体が痺れているのか痙攣しているが魔力に還る様子はない。
それはつまり、渚の指示を察知したピクシーが、上手く手加減してくれたということ。
コダマ捕獲の功労者が中空を滑ってこちらにやってくるのを、刀を腰に戻した渚は小さく手を振り笑顔で出迎えた。
「ああいう事は早く言って。お蔭でいらない苦労をした」
その歓待を受けるピクシーの表情は冷ややかだった。
殺害対象が殺す直前で、いきなり殺害不可対象に変わったら誰だって面喰うだろう。
それが渚が早々と指示していれば回避できたとなれば、彼女が不機嫌になるのも致し方が無い。
完全に自分のミスなので渚は素直に謝った。
「ご、ごめん。次から気を付けるよ」
妖精の美貌から繰り出されるじと目に少し気圧され、たじたじになりながらも小さく頭を下げる。
はぁ、と小さい溜息の音。
頭を下げた状態で上目使いで様子を窺ってみれば、ピクシーはじと目をやめて呆れたような表情で渚を見ていた。
「戦闘はそつなくこなすのに、司令塔としてはギリギリ及第点。……これからが心配」
「経験を積めばなんとかなるよ。少なくとも今回の失敗は学習したから」
「そう……」
ピクシーの視線はどこか胡乱だった。
彼女は渚の戦闘能力には信頼を置いているようだったが、リーダーとしての指揮能力には疑問を呈していた。
というのも、渚には普段から冒険主義的な面があり、それを指揮に反映されたらと不安を感じているようなのだ。
ピクシーは舎弟を引き連れて戦闘を繰り返していた時期もあり、以外に経験豊富なこともあって尚の事そう感じるのだろう。
本人的には確信をもって実行しているのだが、馬鹿となんとかは紙一重。天才の発想というのは理解しがたいものなのである。
しかしとりあえずは、渚を信じて成長を見守ることにしたようだ。
「ところでアレは待たせていいの?」
「え?」
話を終わらせる為、ピクシーが地面に未だ転がったままのコダマの近くを指差した。
渚の視線も、小さな指先に釣られてそちらに向かう。
コダマの傍には教官が立っており、生徒たちは周りに集まろうとしていた。
渚から注意を向けられたことに気が付いたのか、生徒たちを見ていた顔がこちらに向けられて教官と目が合った。
その眼差しからは、相変わらず温度が感じられない。
無表情に手招きされる。
「……行こうか」
「ん」
なんとなく気まずい気持ちを感じながら、渚はピクシーを肩に乗せて教官の手招きに応じた。
▼
交渉も何もなく。
コダマは二つ返事で渚の仲魔になった。
彼は生に執着しており、生存の道はそれしかないのだから、使い潰される可能性を感じようとも誘いに応じるのは当然だった。
渚はまるで意気地が無かったコダマに拍子抜けしつつも、次の行動を確認するため教官の様子を窺う。
この集団の頭は渚ではなく彼女だからだ。
自分一人だったらもっとサクサク進めているのにと思うと、やはり集団行動は好きにはなれない。
「ここの悪魔たちは定期的に間引きされ、異界から飛び出したところですぐに処理されます。その現状を知悉している悪魔は媚びてくるでしょうが……その時にどんな対応をするのが正解か、知っていますね?」
渚の対応がお気に召さなかったのか、それとも既定路線なのか。
教官は、意図的に視界から渚を外しておもむろに語り始めた。
仮面のように変化しない表情からは、その内心を窺い知ることはできない。
「悪魔には絶対に隙を見せない……でしょうか」
「それと、弱みに付け込む?」
「後は……十分に警戒してしっかり管理する?」
最近蓄えた知識を、実感が伴わない様子で生徒たちが口にする。
悪魔交渉の仕方は授業で教えられていた。
基本は砲艦外交。
仲魔にするなら甘やかすのに意味は無い。
とにかく押して押して押しまくり、それでも折れることが無ければ速やかに処理をする。
仲魔候補には格下悪魔を見繕い、格上や同格相手には絶対に話を持ちかけない。
万が一にも命令の強制力が効いている振りをして契約を結ばれると、獅子身中の虫となってしまうからだ。
「そうです。飽く迄も猟犬や番犬として厳重に管理しなさい。甘やかして首輪を緩めれば奴らは必ず反逆します」
仲魔のレベルが自身を上回りそうな場合もさっさと処分しろと教えられていた。
現代の悪魔召喚師のセオリーから言えば、渚のピクシーへの接し方は間違いなくアウトなのだが、不思議と少し注意されるぐらいで特に何も言われていない。
「一部、例外もありますが……」
そこで教官は一旦区切り、横にちらりと意味ありげな視線を向けた。
教官のガラス玉のような瞳に、仲睦まじげな渚とピクシーの姿が投影される。
彼女はすぐに目線を元に戻したが、その場にいた生徒たちは全員その光景を目にしており、次の言葉をなんとなく察することができた。
「それは天才だからこそ許される所業です。私たちのような凡人が真似をして、悪魔と同じ土俵に立てばすぐにでも追い抜かれて殺されます。身近な者が当たり前のように禁忌を犯しているとはいえ、命が惜しければ決して真似をしないように」
固有名詞を使わず誰のことかは伏せていたが、その天才が何者を意味しているかなど一目瞭然である。
しかし今回も渚に具体的な警告をするわけでもなく、他の生徒に真似をしないようにと戒めて、それで教官の話は終わった。
無表情に抑揚がない声が合わさって、非常に意図が伝わりにくかったが、それでも上位者の言葉である。
生徒たちは分かったような分かっていないような顔を浮かべながらも、「はい」と頷いた。
この人は絶対に演説向きじゃない。
彼女の言葉を受けて、全員が共通して分かったことはそれだけだった。
「では、皆さんの仲魔探しを再開します。先程のように最後の一体を残してもらえると助かるのですが、よろしいですね、霜月さん?」
敵は大して強くなく、皆殺しよりは少ないとはいえ経験値が入るとなれば悪く無い。
横目で確認すればピクシーにも異存は無さそうだったので、渚は快く承諾した。
渚の頷きを目にした教官は、異界に入った直後の出来事を繰り返すかのように歩き出す。
流石の生徒たちも大分緊張が解れてきたのか、最初の時に比べれば教官に追従する姿は様になっている。
今度は特に笑いも起こらずに、渚は最後尾についた。
教官の仲魔は相変わらず、中央から離れた四方で早期警戒の役目を振られている。
彼女が自身と渚を主力に使い、仲魔には警戒だけをさせて戦闘に参加させないのは、恐らく先程口にしていた警戒や管理の一環だろう。
仲魔と常に一緒に戦っていれば、種族的な成長補正の違いで人間のレベルは簡単に追い抜かれてしまう。
そうなると起こるのは、生徒たちが教官から耳をタコにするように聞かされる、仲魔からの下剋上である。
それに対する予防法はただ一つ、サマナーと力が並びそうになった悪魔は処分することだ。
しかし空いた穴を埋めるには当然野良悪魔を勧誘しての補充が必要で、それは非常に面倒な事だ。
悪魔の勧誘を専門にする補給部隊でもあるのかもしれないが、その補給にしたって潤沢という訳でもないだろう。
大穴で悪魔全書が存在したとしてもコストはかかる。
考えなしに運用していれば、そのサイクルが早まってしまう。
そこで教官は手間を避ける為、必要のない場面では仲魔に経験値を吸わせないようにしているのだろう。
(実戦経験が豊富の教官って頼もしいものなんだなぁ。世に跋扈するなんちゃって教師たちとは大違いだ)
そこまで思考すると、渚は心中で呟いた。
常に張りつめている戦場帰りのような雰囲気に、放任的な姿勢も相まって、実は渚は教官たちのことを好ましく感じていた。
それを口にしても、無意識に発揮される傲慢さによって、とてもそうは思われないのであるが。
何も考えずに自分が歩んだ道を、後進へ辿るように強要してくる者達とは比べる事すらおこがましい。
尊敬できる先達というのはこういう人たちのことをいうのだと納得して、渚は最後尾から、先頭を歩く女性の背中を眺め続けた。
ゲーム熱が再燃したり、雪かきに殺されかけたりといろいろありましたが、僕は元気です。