ここから見始めた方はどうぞ10話へ。
強大な悪魔が街の中心部に突如出現したという異常事態に、大部分の人々は恐慌状態となり訳も分からず逃げ惑っていた。
サイレンが鳴り響き、避難勧告が発令される中、屋根伝いに現場へ向かっている渚とカティアの二人には、その混沌とした状況がよく見えていた。
「それで、あれだけ啖呵を切ったのです。勝算はあるのでしょうね?」
現場にたどり着くまでに作戦を決めておこうというのだろう、カティアが隣を並走する渚へと問いかけた。
「んー、正直なところ、あまり」
「……渚」
一見したところ、あの悪魔のレベルは渚と比べても一回りどころか倍以上違っていた。
そんな化け物相手に必ず勝てると自惚れるほど、渚は増長してはいなかった。
だがそれをどう受け取ったのか、カティアは呆れたような目を渚に向けた。
慌てて弁明する。
「でも! 僕には知っての通り反則技があるからね。か細いチャンスだろうが物にしてみせるよ」
「……そうですか、期待しています」
これまで一緒にこなしてきた仕事の数々により、渚の魔眼の異常性を認知していたカティアは、そういうと黙りこくった。
その沈黙を「その考えを説明しろ」と暗に促しているのだと感じた渚は、あの悪魔を目にした時から温めていた計画を口にする。
「で、作戦なんだけど――」
ピクシーにも聞かせるため、外套の襟を緩めながら作戦を話しはじめる。
人類にとって、長い長い一日が始まった。
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人間界は天国だ。
逃げ惑う人間共を目につく端から虐殺し、零れ出るマグに舌鼓を打ちながらゾウチョウテンはそう思った。
(これほど大量のマグを短期間に味わったのは久しぶりだ。私を抜擢してくれたアザゼル様には感謝しなくてはな)
やけに身綺麗で軟弱な者が多いと、ゾウチョウテンが記憶していた人間達とはいささかこの時代の人間は変わっていたが、それでもマグの味も質は変わっていない。
闘争を生き甲斐とするゾウチョウテンは、人間界にやってくれば街の総力を挙げて迎撃されると踏んで楽しみにしていただけに、ここまで人間側が無抵抗なのは拍子抜けだった。
それでも、これだけの人間を独り占めできるのは悪くないと、欲求不満はどこかへ飛んで行ったのだが。
「た、助け――」
「ふん」
腰を抜かして顔をぐしゃぐしゃに歪めながら命乞いをしてきた女を慈悲もなく葬り去る。
そしてマグを吸収すると、抜け殻となった死体になど目もくれず、ゾウチョウテンは手当たり次第に獲物を追って躯を量産していく。
(この独占状態も後発の者共がやってくれば終わりを告げる。それまでに食えるだけ食っておかねばな)
アザゼル率いる本隊がやってくれば、その時に地球は魔界の物となるだろう。
そうなれば誰のものでもないこの地も誰かの物となってしまい、資源を枯渇されてはたまらないと人間の虐殺に制限がかかるのは火を見るよりも明らかである。
そうなる前に、先遣隊の権利を駆使して役得に浸るのは当然のことだった。
事実、その思考に至った悪魔はゾウチョウテンだけではなく、地球上のあらゆる場所で似たような光景が現出していた。
人間からしてみれば、もはや神ともいえるレベルの中級悪魔に匹敵するだけの戦力をもった都市など、世界を見渡しても僅かにしか存在しないのだ。
だがゾウチョウテンにとっては不幸なことに、この札幌という都市にはそんな例外が存在していた。
次なる獲物をあの世へ送ろうと、槍を振るった瞬間――
悪魔の本能が危機感を発し、背後を見る事なくゾウチョウテンはその場から飛びのいた。
「……避けられたか」
舌打ちと共に発された言葉は、少年とも少女とも取れる声音だった。
ゾウチョウテンが槍を構えながらも振り返れば、そこには肉塊と化した人間を背にして美しい少女が立っていた。
肩口で切り揃えられた黒髪に、昼間でもなお煌々と輝く蒼い瞳。
黒い外套を羽織って刀を油断なく構えたその少女は、間違いようもなく実力者だった。
「中々良い奇襲であった。だが我を仕留めるにはいささか修練が足らぬぞ、女子よ」
「……そりゃ、僕は暗殺者じゃないからね」
渚のことを、ゾウチョウテンは女だと判断した。
夜魔や妖精が分かっても、鬼神では分からぬ事もあったのだ。
魅了や悪戯で性別の判断が重要な種族と違い、何事も武力で解決するゾウチョウテンにはそんな小手先の技術など必要なかったのである。
そんな事情までは知らずとも、またしても勘違いされたことを知った渚は、当然の如くスルーした。
一触即発のこの状態で、性別の勘違いを訂正するとかいう酔狂な真似は出来なかったのだ。
「ほう、ならばそなたは自分を何と心得る」
「悪魔がいたら殺す、ただの戦闘員だよ」
薄く笑みを浮かべて「今からお前を殺す」と遠回しに告げる渚に、ゾウチョウテンは子供が見れば泣き出しそうなほど凶悪に破顔した。
「その意気やよし! わが名はゾウチョウテン! アザゼル様よりこの都市の侵略を任された悪魔である!」
ゾウチョウテンの体から、烈風を伴って戦意が膨れ上がった。
間近で実感した格の違いに全身が粟立ちながらも、鬼神に呼応するように渚も静かに戦意を研ぎ澄ませた。
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乗り捨てられた車と、死体が散乱する街道で睨みあう二人。
一触即発の空気の中、先に仕掛けたのは渚の方だった。
風を割り、黒い外套をはためかせ、刀を手にして渚は疾駆する。
その様はさながら、黒い砲弾の如く。
二〇メートルに及ぶ距離を詰める時間など、瞬き一つもかかりはしない。
対するゾウチョウテンは魔槍を構え、刹那もせずに目前に来るだろう渚を迎え撃たんと力を漲らせた。
縮む両者の距離。
自身の間合いを侵した瞬間、ゾウチョウテンは真っ直ぐに突っ込んできた渚へと、光と化した槍を放つ。
奔る閃光。
「ほう――」
驚愕か感嘆か。
思わずといった様子で二つが入り混じった声を上げたのは、ゾウチョウテンだった。
鋼が擦れ、金属の軋む音。
両者の獲物から発せられたその音は、不吉なぐらいに周囲へと木霊した。
ゾウチョウテンの放った槍の一撃は、狙った場所から大きく逸れていた。
針の穴をも通す精度で機関銃の如く連射できる、そんな神業を持ったゾウチョウテンのミスでは断じてない。
自身が光となったと勘違いするほどの相対速度の中で、完全に見切って受け流されたのだ。
渚と、彼が握る一振りの刀によって。
伸びる刃は鋼色。
波紋の浮かぶ細身の刀身は危うげな美しさを醸し出し、だというのに軟弱さは一欠けらも感じさせない。
渚はそんな得物を用い、涼しげな顔で必殺の魔槍を受け流していた。
その様子にゾウチョウテンは薄く笑み、瞬時に槍を引き戻す。
そう簡単に間合いを征させんと、大きく後ろに下がりながら。
渚は躊躇いも無く、ノータイムで追いすがる。
剣戟が始まった――
比喩でもなく機関銃の如き速度で突き穿たれる魔槍は、まるで閃光。
突き、穿ち、払い、押して、流し、弾き、そして再び突き穿つ。
常人には視認すら許すことのない、必殺の乱舞。
達人クラスですら、一秒と持たずして挽肉になるであろう暴力の嵐。
そんな魔槍が雨霰と殴りかかってくる暴風圏で、渚は常の如き表情を崩さぬまま、掠り傷一つも負わずにそこに居た。
額に迫る突きを回避し、胴を切り裂く斬撃を反らし、脚を砕く一撃は受け流す。
攻撃の機会を窺いながらも紙一重で躱し、回避しきれない物は体勢を崩すことなく華麗に受け流す。
火花が散り、双方の獲物が敵手の命を欲するように、金属特有の不協和音を奏でていた。
肩まで届く黒髪を振り乱しながら、いまなお無傷の渚は距離を詰める。
刀と槍。
今は槍の間合いで、リーチに劣る刀は挑戦者である。
三歩間合いを詰めれば、三歩間合いを離される。
共に札を隠し持った状態の攻防に於いて、双方の力量はほぼ互角。
拮抗している戦場の中、それでも渚は亀の歩みのような速度で、ゾウチョウテンとの距離を縮めていた。
様子見だろうが、軽い手合わせだろうが、それを制してイニシアチブを握れれば、有利になるに決まっているからだ。
というより、ゾウチョウテンが様子見の内に主導権を握って畳み掛けない限り、基本スペックで劣る渚の勝機は薄い。
今更そんな劣勢に怖気づく玉でもないが、客観的に見て不利なのは自分の方だと、正しく渚は理解していた。
後、半歩も近づければ渚の、刀の間合い。
傍から素人が見れば、渚が押しているように見えたかもしれないが、そこまで進んだ彼の顔には喜色など欠片も浮かんでいない。
むしろ何かを察知したのか、苦々しげに顔を顰めていた。
対するゾウチョウテンの顔は、渚とは対照的に明るいもので、凶悪な笑みが浮かぶ表情には歓喜すら見て取れる。
「人間にしてはなかなかやるではないか。ほれ、少し速くするぞ」
楽しませて見せろ。
そう続けて、ゾウチョウテンが全身に力を籠めた。
渚の脳内で、けたたましく警鐘が鳴らされた。
一瞬に複数、閃光が舞う。
「――ッ!」
とてもじゃないが、無傷で距離を詰めながらいなせる様な攻撃ではない。
手傷を覚悟で仕掛けるか、足を止めて機会を待つか。
ゾウチョウテンは未だに余力を残しているようで、対応力も未知数だ。今この時、全ての札を切ったところで仕留めきれるかどうかは不明。
後者も、相手の底が見えない中、防戦一方になって反撃の余力が残るかは、これまた不明。
渚は分岐点であろう選択を迫られて――足を止めた。
一瞬にして、今仕掛けるのは拙速との判断を下した為だ。
そして何より、勝負の時は今ではないと、直感が叫んだのも大きかった。
ゾウチョウテンの魔槍が、際限なく加速する。
先程までの攻防を早送りするかのように、火花と金属音が速度を増した。
しかし先程までの攻防との差異は明白だ。
渚の黒髪がひとふさ舞い、衣服に擦れた跡や、切れ目が生じ始める。
放たれる槍は一秒を追うごとに鋭さを増し、刻一刻と渚を追いつめていく。
空間が歪んで距離が縮んでいるのではと錯覚するほどに、魔槍は鋭く速い。
神速の連撃。
機関銃など生温い。
槍を操る神業に、その技術を十全に生かす、驚異の身体。
それは正真正銘、人の域を超えていた。
対する渚もまた、その速度に対応する。
心技体。全てが非常識なレベルで合わさった、まさに鬼神と呼ぶに相応しい、理不尽な力。
それでも渚は、辛うじてながらも凌ぎ切る。
最初に比べて倍ほどにも鋭さが増した槍を、躱し弾いて受け流す。
死を齎す必殺の魔槍を、刀を持って否定する。
魔槍を見切り、ゾウチョウテンの動きを読み切って、最適な行動を選択していく。
ゾウチョウテンに比べれば緩慢ながらも、渚の速度も着実に増していた。
ゆっくりながら確実に、相手に傾きかけた天秤を自身の方へと傾け始めるその技量は、人類最高峰とすら呼べるだろう。
人の身にあってここまで抵抗できるのは、ゾンチョウテンですら感心するほどだ。
しかしそんな渚の力量ですら、ゾンチョウテンの力は手に余っていた。
耐えて耐えて、隙を見つけて畳み掛ける。
そんな亀のような作戦などを抜きにしても、渚には既に、一歩の距離を詰めることすら出来なくなっていた。
「そら、受けに回るばかりでは我は倒せんぞ」
安っぽい挑発に反応する暇もなく、渚は必死になって戦っていた。
(やばい――! 武術を修めている悪魔がこんなに手強いなんて……見誤った!)
まるでスキルを使わず、鼻歌交じりに自身を完封するゾウチョウテンに、渚は危機感を募らせていた。
今まで戦ってきた悪魔は力任せやスキル任せの奴が全てだったため、マグを集める以外で自身を研鑽している悪魔がいるなど思いもしなかったのだ。
(だけどこうしてみれば、僕が提案した作戦は正解だった。正攻法でやってたらと思うとゾッとしない。カティアとピクシーの二人どころか僕すら半信半疑だったけど、直感には従うもんだ……)
しかし、まだ勝利の目は潰えたわけではなかった。
事前に打っていた布石を有効に機能させることを決意し、渚は苛烈な攻撃にさらされながらも、ただその時を待った。
一ヶ月経って2000文字も書けておらず、
「一ヶ月も待たせたのなら二か月も三ヶ月も一緒だろう」と、ある程度書き溜めしてから、あわよくば完結させてから投稿しようと考えていたのですが……。
このペースだと何時までたっても投稿できなさそうだったので、一年が半分終わった区切りに生存報告がてら投稿です。
中途半端なところで終わってますが。