汝平和を欲さば、悪魔に備えよ   作:せとり

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10.友達

 

 

 邪教の館と呼ぶには大いに雰囲気が欠けていた研究所から宿へと帰り、夕食が終わった後の自由時間にて。

 冬の近さを感じさせる夜の公園で、ベンチに座った小柄な人影が外灯に照らし出されていた。

 ペットボトルのお茶を片手にベンチに腰掛ける少女のようなシルエットは渚であった。

 寒さも手伝ってか人気の少ない屋外で、彼はTシャツに短パンという信じられない程の薄着であったが、特に寒さは感じていないようである。

 

 わざわざ夜の公園に来た渚は、とくに何するでもなくぼうっと公園の景色を眺めていた。

 実際意味はないからだ。

 渚の唯一の友達にして親友の太一が他の友人と出かけてしまったため、暇を持て余してこんな所で時間を潰している訳である。

 殆ど出払っているとはいえ宿にはまだ幾人かが残っている。ぼうっとするには適さなかった。

 太一がいないのならば、渚としては一人の方が好ましいからだ。

 なんとはなしにお茶を口に含む。

 飲み口が唇から離れ、微妙に中身が減った合成樹脂の容器に視線が落ちた。

 

(……そういえば、久しぶりに金を使った気がする)

 

 寮では食堂どころか自販機まで無料だった為、ここのところ渚は貨幣を目にしていなかった。

 しかし今回は町にも繰り出せるようなので、金は入用になった。

 そこでお金を下ろすためにヤタガラスに入る前に作らされた口座を確認したところ、どこのエリート職員の給料だというような金額が振り込まれていたので驚いた。

 給料が出ることは知っていたが、まさかこれ程とはと。

 

 辛く厳しい訓練を課されても、訓練生たちが逃げない理由の一つでもある。

 給料も良く、遠回しに特別な人間だと告げられて、人類の為という大義名分まである。

 命の危険にさえ目を瞑れば、金銭的にも自尊心も満たされる素晴らしい職業だろう。

 リスクにリターンが見合うかどうかは正直微妙な所だが。

 

「……あー」

 

 だらしなく背もたれに身を預けて伸びをする。

 渚はだれた様子で、全身を使って暇であると表現していた。

 一ヶ月前まではこういった時間は偶にできていたが、ピクシーが仲魔になったここ最近は無くなっていた。

 だがCOMPを預けている今はピクシーがいない。つまり話が出来ない。

 一か月前に戻ったといえばそれまでだが、最近はこういった間が無いことに慣れきってしまっていたようで、渚はどうにも憂鬱な気持ちになっていた。

 

 夜空を見上げる。

 寒気団が本格的に到来していない上、外灯に邪魔されて見える星々はあまり鮮明ではないが、公園の風景に飽きていた渚にとっては気晴らしにはなる。

 普通なら首が痛くなりそうな角度で、渚はぼうっと星空を見上げていた。

 しばらくそうしていたが、偶に飛行機が見つかる程度の代わり映えしない風景に飽きたのか、渚は適当に星座を探しはじめた。

 

 秋の星座を見つける目印である秋の四辺形。そしてペルセウス座を発見。

 そこから学校で習った程度の知識を駆使して、次々と星々を結ぶ。

 あまりシーイングがいいとはいえない環境の中、無駄にやる気を出した渚は超人染みた視力を発揮して、見えずらかった星も見て取って行く。

 

 主要な星座を全て発見したころには大分時間が潰せていた。

 その間ずっと空を見上げていた渚の首は、流石に違和感を発していた。

 労わるうように肩を竦め、首を回す。

 公園の時計を確認すれば、まだまだ渚は暇を持て余す必要があるようだったが。

 

 暗く静かな場所で孤独に居ると、人間誰しも無駄な思考をしてしまうもの。渚もご多分に漏れずに一月前のことを回顧していた。

 もう既に検討を重ねに重ねた出来事を思い出すなんてどうかしていると渚は感じたが、今日は異界に潜った事も影響しているのかもしれないとも考える。

 人類史に残るような天才が、異界に閉じ込められて行方不明になっていたと知ったことも関係しているのかもしれない。

 

 ――埒もない思考に意識を割いていた渚の耳へ、地面を擦る靴の音が聞こえてきた。

 近づいて来るが見知った人の気配だったため、背後をとられようとも渚はこれといった対応を取らなかった。

 

「やっぱり渚か。こんな所でどうしたんだ?」

 

 ベンチ脇で立ち止まった人間から掛けられた声は、やはり太一のものだった。

 小中とずっと体操服でよかった環境に慣れてしまったのか、彼は私服というものを着ることに抵抗があるらしい。

 中学時代の紺色ジャージというずぼらな恰好のそいつに、渚は答える。

 

「んー、暇を持て余して」

「……そうか」

 

 微妙な沈黙。

 中央に座ってベンチを占拠していた渚は、なんとなく端に詰めてみた。

 空いたスペースに、太一が腰掛ける。

 

「で、何考えてたんだ?」

 

 再びぼんやりし始めた渚に対し、太一が掛けたのは疑問の言葉だった。

 とはいえそれ自体に大した意味は無い。太一が自分から話す際の癖の様なものだ。

 「どうしたの」「今何してる?」それらの言葉にならんで使用頻度が高い第一声が「今何考えてた?」である。

 

「……一か月前の事を思い出してて」

「お前が異界に迷い込んだ日のことか?」

 

 うん。渚は空を眺めながら呟いた。

 

「一歩間違えれば、僕って今も異界で彷徨ってたんだろうなーって思って」

「は? 何言ってんだ」

 

 話の内容が見えなかったのか、いきなり変なことを言いだしたと太一は怪訝そうな顔をした。

 

 悪魔関係者の常識として、悪魔関係者でもない一般人の為に、異界内の捜索なんて行わない。

 ほぼ確実に悪魔の餌となっているからだ。

 徒労に終わる可能性が限りなく高い目的の為に、貴重な戦力を失う可能性もあるとくれば見捨てるのも当然である。

 異界の外側から異界内を探知する術は無い。

 下手をすれば、実力者が異界内にいることを知らずにゲートを閉じてしまう事件だってある。

 それによって半世紀前の偉人、サリエラ・ザストーアすら行方不明になっているのだ。

 

「もしも太一が異界閉じを行えたら。もしも巴さんたちが駆けつけるのがもっと早ければ。もしも僕が脱出するのが遅れていたら。……少しでもボタンを掛け違えていればあり得た展開だよ」

 

 それらの事情を思い出せなかったと見える太一に、渚の補足説明。

 太一の表情に理解の色が浮かぶ。同時に微かな怒りも浮上していた。

 

「……もしそうなっていたら、俺達はお前を見捨てたと?」

 

 人生で一番気を揉んだ時間と断言できる当時の心境を、太一は今でも鮮明に思い出せる。

 電話越しにも伝わった狼狽した母の様子。親友の危機に対して何もできない自分への圧倒的な無力感。それでも何もせずにはいられないという無謀な考え。

 あと数分、渚の帰還が遅れていれば、太一は居ても立っても居られずに異界に飛び込んでいた所だった。

 九九パーセント以上の確率で自分が死ぬとしても、渚を助けられる可能性が僅かでもあるのならそれに賭けたい。そう決意して。

 

 あの時、実はそんな覚悟を決めていた太一にとって、自分達を信用していないような渚の物言いは我慢ならなかった。

 思わずといった様子で立ち上がった太一が、静かな怒りを湛えて渚に問う。

 怒気を纏った太一を見上げる形となった渚は、何を怒っているのかと不思議そうな顔をしながらも、あっけからんと答えた。

 

「さあ? そこまでは分からない。けど、僕が異界に閉じ込められる可能性はあったってこと」

「――ふざけんなっ! 俺達がお前を見捨てるわけないだろ!」

 

 まるで人の気持ちが分かっていない渚の態度に、太一は思わず激昂した。

 お前の中では俺達の評価はそんなに低いのかと、悲痛な色すら乗せて。

 

 感情を真っ直ぐぶつけられて初めて、自分が地雷を踏んでしまった事に気付いた渚は、大きく見開いた眼で呆然と太一の顔を見上げていた。

 やがて太一の目力に負けるように視線を逸らす。

 何で怒ったのかよく分からない。

 その答えを求めるかのように視線が彷徨い挙動不審な態度になりながらも、原因を探そうと支離滅裂な思考を巡らせる。

 そして太一の言葉を十数回ほど繰り返しリピートして、ようやく気が付いた。自分が彼を信頼していないとも取れる発言をしていたことに。

 血の気が引いた。

 思い出されるのは小学校に入ったばかりの頃。

 あの時は今と同じぐらい怒らせて絶交を言い渡され、三日ほど口もきいてもらえなかった。

 その時は子供だったから禍根も残らず許された。だがこの年で関係を拗らせれば、元通りになるのは難しく思えた。

 

「――え、あ。……な、なんか誤解させちゃったね? 誓ってそういう意図は無かったんだ。……本当だよ?」

 

 嫌な予想に渚は狼狽しながらも頭を下げ、謝罪する。

 籠った熱を吐き出すように、大きな溜息がつかれた。

 そしてバツが悪そうに呟かれる「いきなり怒鳴って悪かった」という言葉。

 最悪は免れたようだと、渚はほっと胸を撫で下ろした。

 

「……で、いったい何が言いたかったんだよ?」

 

 近くの自販機でコーラを買って、再びベンチに戻ってきた太一が言った。

 渚は何か懸念があるのか、若干口を籠らせながら返答する。

 

「えーっと、僕が言いたかったのはその……。あれだ、異界を閉じるのはちょっと怖いなって」

「?」

「だってもしかしたら、中に人が居るかもしれないんだよ? むしろ知らない方が幸せだよね。完全善意で閉じちゃって、後から仲間がその異界にいた、とか知らされたら……」

「……やめろよ。異界が閉じれなくなるだろ」

 

 その場面を想像したのか、太一は苦い顔をしていた。

 素直なその反応に、どうやら峠を越したようだと安堵して、渚は小さく笑みをこぼす。

 

「ごめんごめん、そんなに深刻に考えなくっても大丈夫だよ。今では異界への入出報告は義務付けられてるんだから」

「そ、そうだな……ってそれ悪魔関係者だけの話だよな? お前みたいのが居たらどうすんだよ」

「んー、その時は運が悪かったとしか……」

「結局それか……」

「大丈夫だって。真実僕のような存在なら、どんな状況からだって生還できるから」

 

 宇宙で遭難しても大丈夫さ、と自信に満ちた渚の言葉。

 絶対に不可能と思われる大言壮語も、妙なカリスマのある渚が言えば本当に実現できそうな凄みがあった。

 加えてそんな状況を今考えても仕方ないとも思ったのだろう、太一は渚の冗談めかした会話に乗って来た。

 

「ホントかよ?」

「本当だよ」

 

 ベンチの上で顔を見合わせて、そして二人は示し合わせたように笑いを溢した。

 ほんの数分前、喧嘩しそうになったとは思えない程の仲の良い光景がそこにはあった。

 

(んん……はぐらかして正解だったかな?)

 

 そんな思考をしたのは、太一と楽しそうに会話を交わしながらも終始冷静な渚の心の一部分だった。

 当初渚が話そうとしていたのは別のこと、もっと黒い話。

 しかし太一のリアクションが予想外に大きかった為、急遽それっぽい話題に切り替えた。

 渚が本当は口にしたかったこと。

 それは――

 聖女サリエラは実は謀殺されたのではないか、という疑念だった。

 中に人が居ると勘違いしていたサリエラが、救出に異界に突入したところ、偶然にもその異界を発見した者が、『善意』からゲートを閉じてしまう。

 異界を閉じることは事態は悪い事ではない。むしろ賞賛されるべき行いだ。

 中に人がいるかなど知るすべは無い。万が一後から確認が取れたとしても、それで罪に問われることはありえない。

 蓋然性の犯罪である。

 怖いのは、少し修練を積んだ程度で異界閉じの道具は使えるようになるという事だ。

 そして異界の入出報告は義務付けられており、その内容は、構成員ならば何時でも何処でも聞ける物。

 つまり少しでも仲間内での心証が悪く、もしその人に魔が差しでもしたら……。

 

(異界に入るのは控えた方がいいかもしれない)

 

 そして例に挙げた聖女様は、半端な異界程度ではくたばらないと思われる。

 それでも帰還してこなかったということは――

 

(帰還方法は見つからず、異界内でのたれ死んだか……。南無南無)

 

 異界とゲートの関係は、ボートと係船索のような関係だ。

 岸(人間界)に係留されたボート(異界)は、船を繋ぐロープ(ゲート)を切られれば沖合に流されてしまう。

 なんの用意もしていないでそんな場所に行ってしまったら、帰ってくるのは難しい。

 そんな状況に陥れば、生き足掻いて苦しんで死ぬか、早々に生を諦めて自殺するか。この程度の選択肢しか生まれないだろう。

 

 渚は自分が妬みや疎みで謀殺されやすいことを自覚していた。

 そんな惨めな最期を迎えないよう、渚は警戒を新たにしたのだった。

 

 


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