汝平和を欲さば、悪魔に備えよ   作:せとり

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世界観と設定を拝借したほとんどオリジナルです。


1.兆候

 そこには全てが存在し、そこには全てが存在しない。

 矛盾という言葉すら存在せず、全てが有って、全てが無い。不思議な事にその場ではそれが正常なのだ。

 人類の叡智では永遠に再現できないだろうその空間。暗く黒い闇の中。僕は一糸纏わぬ裸となってその空間を漂っている。

 その何もない世界では、光や音はおろか、動くという概念だって存在しない。なので実は、一ミリだって動いてないのかもしれないが。

 ぼんやりと宙空を眺める僕の視界に入るのは、真っ黒の空間に、あらゆる色が浮かんでは消える。見る者の精神状態によって、神々しくも、禍々しくも見えるだろう独特の色彩。何度もここに来たことのある僕としては見慣れた景色。

 それを無感動に見つめる。

 この場で思考しようにも、ここは夢のようなもの。戻る頃には何を考えていたのか忘れてしまう。

 いずれ目を覚ますようにして、僕はこの場から消えてなくなる。その時が来るまで、壁の染みを見つめるようにして時間を潰すのが、ここでは正しいあり方なのだ。

 一部の人間にとっては垂涎ものであろうこの状況も、この空間を利用する術を知らず、その野心も無い自分にとっては、ただ徒に暇を齎すだけのはた迷惑な場所である。

 

 主観にして数年。毒々しい色彩に辟易してきた僕は眠るように目を瞑る。

 無味無臭無音の世界で、唯一残っていた視覚を閉じれば訪れるのは真の闇。

 痛いくらいの静寂に、自身の存在すら疑うほどの暗黒の世界。

 長く触れれば精神を病み、思わず目を見開きたくなるような世界でも、景色に酔っていた自分には心地良いぐらいだ。

 

 実際には数時間も経っていないのだが。主観的にはそれからさらに十数年。

 真っ黒の空間に、相も変わらず様々な色を撒き散らしている世界にて、眠るように瞳を閉ざしてゆらゆら揺れる裸の人間が一人。

 永遠に続くように思われたその状態は、ついに変化が訪れる。

 静寂の世界で幻聴を耳にし、ようやくその時が訪れた事を悟った人間が目を開ける――。

 

 

 

 

 『pipipi...pipipi...』

 主人の指令を忠実に実行し、安眠を妨げる無機質な電子音を鳴らす目覚まし時計に、渚は億劫に目を開けた。

 

(またあの夢……)

 

 前世の記憶を持って生まれ変わる。ネットの世界で言う所の、所謂転生を経験し。その時にあの世界を体験した経験を今でも夢に見る。

 頻度的には月に一度あるかないかといったところであるが、十数年経っても色あせない記憶はそれだけ衝撃的だったのだろうか。

 実際にあの空間にいたかのような、嫌に現実感を与えてくる夢であったが、捏造、妄想なんでもござれの夢なのだから仕方ない。

 『pipip...pipipi...』

 

「うっさい」

 

 『pipipi...pi!』

 未だに電子音を垂れ流し続ける時計の頂上に位置するボタンを叩き、不快な音を止めさせる。

 そして時計を手に取り、手慣れた動作で目覚まし機能をOFFにしておく。これをしておかないと職務に忠実なこの時計は午後にも作動してしまうからだ。

 時計の針は、七時三〇分を示していた。

 

「……起きようか」

 

 布団から這い出て起き上がり。

 母が作っているのだろう朝食の匂いに誘われ、階段を下りる頃には夢の内容などすっかり忘れていた。

 

「おはよ」

「おはよう」

 

 台所で朝食を作っている母と、ちゃぶ台で新聞を広げている父に挨拶し、洗面所へ直行する。そこで適当に身嗜みを整え制服に着替える。

 備え付けの鏡に映るのは、近所の高校の男子制服、ブレザーを着用した黒髪の少女だった。

 透けるような肌に、卵形の輪郭、ぱっちりした目鼻立ちの、可愛らしい容姿の少女……ではなく少年である。少なくとも戸籍上は。

 というのも、確かに男として生を受けたにも関わらず何故か幼い頃から性器に成長が見られないのだ。

 両親や医者が言うには僕は生れ落ちてからの数週間、原因不明の酷い高熱に襲われていたらしく、生殖機能への障害はその後遺症らしい。

 容姿への因果関係はよくわからないようだが、生き延びたのが奇跡のような重体だったらしいし、もちろん前例なんか無いから何が起こっても不思議ではないのだろう。

 まあ性別錯誤なこの容姿も、冴えない風貌よりは多少おかしくとも華があった方が良いだろうと、むしろ好ましく思っているのだが。

 不自然な個所が存在しないのを確認して鏡から視線を外す。

 

 

 居間に行けば、朝食は既に始まっていた。

 

「いただきます」

 

 一足先に食べ始めている父と母を横目に自身の定位置に座り、目の前に並べられている手つかずの朝食を前に手を合わせて、そう唱えてから食べ始める。

 現在の時刻は七時四五分といったところ。家にいる大抵の生徒が急ぎそうな時間帯であるが、現在通っている高校は家から徒歩数分の距離に位置する為、こんな時間でもゆっくりできるのだ。

 

『昨夜、東京都稲生市のアパートで、二六歳の男性が鋭利な刃物のような物で切断され、殺害されました。警察は、男性の妻が何らかの事情を知っているものとみて捜査しています』

 

 つけっぱなしにされていたテレビからニュースが流れてくる。

 その内容に興味を惹かれて視線がテレビに向かう。

 ニュースキャスターを映していたのが画面が現場に切り替わり、事件現場のアパートを背景に詳細が説明されていく。

 

『警察によりますと、昨日午後八時すぎ、稲生市のアパートで火事があり、この部屋に住む石田正則さんが倒れているのが見つかりました。正則さんには刃物のような物で切りつけられた痕があり、間もなく死亡が確認されました』

『同居していた二五歳の、男性の妻の行方が分からなくなっており、警察は女性が何らかの事情を知っている可能性があると見ています。続けて――』

 

 その報道は終わったが、それに負けず劣らず物騒なニュースが続けて放送されていく。最近殺人事件や怪死体が多い。前世の世界よりも物騒な世の中とはいえ、これが連日続くとはちょっと異常な光景である。

 

「最近、物騒ねえ」

「そうだな、戸締りはしっかりした方が良いだろう。……渚も気を付けるんだぞ」

「うん、気をつける」

 

 娘にするような心配もいつもの事。容姿が容姿なだけに、両親にすら息子のような娘として接されているのだ。

 

 この世界は、メガテンシリーズと非常に似通った世界だと思われる。

 変化は自分だけで、同じ世界に一〇年ほど遡って転生した。という訳ではないらしい。

 前世の世界では隆盛を誇っていたいくつかの宗教が消えてなくなり、代わりにメシア教団が台頭していたり。今のニュースのように、明らかに悪魔関係と思われる怪事件が、毎日のように報道されていたり。

 実際に悪魔や異能者を見たことは無いが、この世界に前世では信じていなかった超常的な法則が存在していることは確信している。

 渚本人が生まれつき超能力を宿しているからだ。……日常生活では全く意味のない能力であるが。

 

 メガテン世界であるという確証を得たいだけなら、曰くつきの場所へ突貫すれば容易であろうが。その場合、情報の対価に差し出すモノは高確率で己の命である為、絶対にやりたくない。

 或いは教会や神社に行って事情を知っていそうな者に悪魔の事を尋ねれば、もしかしたら懇切丁寧に教えてくれるかもしれないが。情報を秘匿しているような者達が一般人に寛容とはどうしても思えないので、その方法も却下である。

 それになんだかんだで、ここ一六年を何事もなく平穏に暮らしてきたのである。

 いきなり東京に核が撃ち込まれたり、東京受胎が起こったり、東京が封鎖されたり、世界の崩壊が発生するのかもしれないが、その兆候も感じられない。

 ここ最近は悪魔事件が多発しているようだけど、ヤタガラスあたりが何とかしてくれるだろう。日本の警察機関は優秀なのだ。

 

「じゃあ、いってくる」

「いってらっしゃい」

「――いってらっしゃい」

 

 テレビをぼうっと眺めて考え事をしていたら、いつの間にか朝食を腹に収め、歯を磨き終わった父が、ネクタイを結びながら出勤していった。

 渚も無意識の内に箸をすすめていたらしく、出されたものは綺麗に完食していた。父や母が食べ終わる頃にいれてくれたのだろう、温くなったお茶をすすって一服する。

 

「渚、食べ終わったなら食器をもってきなさい。それとも自分で洗う?」

「あ、ごめん。ちょっと待って!」

 

 お盆に食器を乗っけて台所に下げていた母に、暇そうに一服していることを見咎められる。渚は慌てて残された食器を重ねて母の後に続いた。

 運んだ食器を流しに置けば、逃げるように台所を後にして洗面所で歯を磨く。ちんたらしていたらまた何か言われてしまうのだ。

 素早く支度を整え、昨夜の内に準備済みであるナイロンの学生かばんをひっさげる。これで登校準備は完了である。

 

「いってきまーす」

「気を付けるのよ?」

「はーい」

 

 渚は母の優しげな声を背に、老朽化により若干立てつけが悪くなっている引き戸に手をかけた。

 

 

 

 

「あ、お守り忘れた……」

 

 家を出てから一分ほど。外出する時は常に首にかけているお守りが存在しないことに、渚は気が付いた。

 渚の高祖父が悪魔関係者だったらしく、家にある年代物には“ソレ”っぽいものが多いのだ。今は無きお祖母ちゃんから貰ったそのお守りは、何らかの“耐性”でもついてそうな代物である。

 御利益がありそうで常に身に付けることにしていたが、身に付け忘れたことは何度かあった。その度に戦々恐々としていたが、何か問題が起こったことは一度もない。ならば今回も特に何も起きないだろう。

 

 ……だけど、何か嫌な予感がする。生まれてから今までこういう予感に逆らって良い事なんか一度もなかった。ちょっと面倒くさいけど、どうせ往復で二分も掛からない。取りに行くべきか――。

 

 ――ゾクッ。

 

 背筋に感じる悪寒が極限まで高まると同時。何かが犯されるように体が熱くなり、頭がぼうっとする。

 なにも、かんがえられない。

 

『こっちへ来なさい……。そう、こっちよ……』

 

 どこからか頭の中に響いてきた言葉に従い、渚は意志が感じられない虚ろな色を瞳に宿し、“通学路を外れて”ふらふらと歩き出す。

 ――この先には死地だ。行ってはならない。

 死の気配に敏感な本能が、全力で警鐘を鳴らし続ける。しかし。――その警告に従える理性は、存在しなかった。




読み返して自己嫌悪。でも投稿しちゃう。
あらすじの心境となるまで続く気がしない。

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