蒸し暑い夏の午後の遅い時間。木陰の岩場に腰を据えている僕は思った。人、とは何だろう……と。
人とは生きている人類であるし、言葉を介して分かり合う知能の高い生き物である。
同族も多ければ、知能もある、上等な生き物だ。
ここまでくると、この人間という生き物はまさしく敵無しなのではないだろうか。
なんて、考えたところで熱に浮かされた頭を軽く振る。
確かに、先ほど考えた内容は的を射ている。
だが、的は射た場所が枠縁なのである。皆中ではないのだ。
まさしく敵無しのような人間であるが敵はいるのだ。
この人間の住む、人里の外には人間の天敵が常日頃徘徊している。
そんな存在を忘れてしまうなんて、少しぼけてしまったのかなんて、頭をポコンと叩く。
いや、きっと暑さのせいだ、まだ僕はボケていない。頭のたたき損である。
と、話がずれてしまったので話をもどそう。
暑さのせいとはいえ、この存在を忘れてしまうなんて、相当頭が沸いてしまってるのだろう。
この幻想郷には妖怪がいる。読んで字のごとく妖怪だ。
昔々から存在している、妖怪というやつこそが、先程枠縁に当たってしまった原因なのである。
殺し殺され、畏れ畏れられる人妖関係。
いくら人間が強くとも食い殺され。いくら妖怪が強かろうと、人間に攻め殺される。
そんな昔から続く国盗り合戦である。
僕自身、怖いものは嫌だし、妖怪に喰われてどことも知れない所で南無三するのも嫌である。
なんて思ってはいるが、人里から出なければ妖怪に喰われることもない。
万一、人間や妖怪が騒ぎを起こしても、それなりの警備対策があるのだから凄いことである。
僕も遠目に何回か見たこともあるので、安心して人里で暮らすことができるのだ。こんな、取り留めもない考え。
そんな時、うなだれた僕の近くで地面を擦る音が聞こえた。
「やあ、こんにちは、こんなところで珍しいじゃないか」
はて、どちら様だろうか。と、亀の如くゆったりと首をそちらに向けてみる。
僕の目前には、銀髪の長髪に所々青が入っている美人さんが立っている。
彼女は独特なシルエットをした帽子に、濃い藍色の裾の長いワンピース。
スカートの端には所々半月の切り抜きがあり、なんというか独特な服装をしている。
いや、なんというかこの幻想郷で力のある人は、皆独特な服装をしているのだが……そこはご愛嬌である。
「こんにちは慧音さん。こんなところに何か御用があって」
「少々用事が、な」
なんて歯切れの悪い言葉と共に、少し難しい表情を作る彼女は何とも絵画になるような佇まいである。
きっと、絵画になったらどこか敷居の高いお家に飾られるんだろうか。
それにしても、こんな村外れの岩場なんて奇特なところに来ている慧音さんは何かあったのだろうか。と、邪推してしまう。
まあ、こんな所に座ってる僕も僕であるのだが、そこはご愛嬌である。
僕自身もたまたまいただけなので、そこまで深い理由があるわけでもない。
ここに座っているだけで、まったく持って意味はないのである。
「今日はとてもいい天気ですね。こんなに天気がいいと気持ちがいい」
「そうだな。こんなにいい天気だとこういった場所で涼みたくなるな」
「そうですね」
慧音さんはそういうと、僕の隣にゆったりと腰を下ろした。
女性が座る動作をじっくり見ているのも僕の心情に反するので、鎌首をもたげて空を見上げる。
やはり、先ほどの会話通り空は恐ろしいほど青く澄み渡っている。
ずっと直視していると、吸い込まれて忘れ去られてしまいそうなんて思う。
雲が一つも無いほどの快晴なのだ、そんなこと間違えがあってもおかしくはない。
僕は空を見上げるのを自重して、目の前の景色に目を移す。
無言が過ぎていく。
目の前の一面に広がる田畑の稲穂。この黄金色に輝く稲穂たちは圧巻の景色が広がっている。
人里の若人や翁達が汗水垂らして若草から育てたこの稲穂達だ。だから、こんなに綺麗に見えるのだろうか。
きっと、僕がこの景色を絵画にして、題名にするのならば、金色の大海原なんて名前にするだろう。
僕自身、海というものは見たことはない。第一、幻想郷に海なんて存在しない。
本で得た知識なので曖昧だが、きっと海というものはこういったものなのだろう。
僕は慧音さんを見て一言。
「慧音さん。慧音さんは海というものを知っていますか?」
「うん?ああ、稗田邸の書庫で見た文献程度だが……それがどうかしたのか?」
「いえ、この稲穂の群れが海に見えたもので」
「ほう」
安易に思った僕の言葉に何を思ったか、感慨深い目で風に首を振る稲穂を見つめる慧音さん。
こうも、好反応を返されると、別にそこまで意味があるわけではない言葉のせいで、僕の顔が羞恥心で無性に熱くなるのを感じる。
これはいけないと、自然に顔を稲穂に向けるよう努める。
風になびいて揺れる稲穂は、僕の気持ちを表しているかのように、右へ左へ右往左往。
きっと、いいお友達になれるんじゃないかな?なんてお思ってしまう。
「やはり、綺麗ですね。こういった風景は……心が洗われます」
「ですね」
「疲れがあるわけじゃないんですけどね。偶にはこういう時間もいい」
「慧音さん。僕もそう思います。見慣れた風景かもしれませんけど、心にとどめて忘れないことが大切だと思います。初心に戻る……というわけではありませんが、やはりこういった時に心が現われ、洗われて気持ちが休まります。」
「ああ、そうだな。こういった景色も、思い返してみればついついいつも忘れてしまう。こんなに綺麗で鮮烈な景色も、何回も見ていると特別ではなくなってしまう」
「記憶なんて、そんなものです」
壊れたオーディオというやつみたいに、紡いでいった音を慧音さんは心地よさそうな笑みを浮かべながら聞いてくれる。
僕のこんな拙い知識で紡いだ音で、少しでも心が満たせれてくれるのならありがたい限りである。
そんなことを思っていると、慧音さんは僕を見て言った。
「やはり、貴方との会話は、大切なことを思い出させてくれるから楽しいな」
その顔は、とても清々しく綺麗な微笑みだ。こんなことをそんな表情で言われたら僕の心持が非常にむず痒くなってしまう。
僕は佇まいを直そうと座っている岩から少し腰を上げる。
しかし、自然にしようと思えば思うほどぎくしゃくした動作になってしまう。
きっと、その全貌を慧音さんに見られてしまっただろう。恥ずかしい事この上ない。
羞恥に熱を上げている僕の体が、むず痒くなってきた。僕は火照った体を着物の袂を摘まんで冷ますことに努める。
慧音さんは、そんな僕の状態を知らないかのように振る舞って空を仰ぐ。
きっと、今の慧音さんは口元が緩んでるのだろうなぁ、なんて思う。
そんな思いを払拭するべく、僕もそれにつられてもう一度真っ青な空を見上げようと顔をあげる。
はて、先程まであんなに恐ろしい青色が、橙がかってきているのだ。
僕は、慧音さんとそれ程話していただろうか、なんて思うのだが。目の前に広がる橙色は正真正銘の夕暮れ時である。
他愛のない会話ばかりだったが、僕自身その会話が楽しかったのだろう。
そんな他人事の様なことを思いながら、重い腰をあげて埃をパンパン、と叩き落とす。
こんな時間まで、僕程度の存在が人里の重要なお人を縛っておくのは申し訳ない。
「慧音さん、そろそろ、帰りましょうか」
「確かに遅くなるのも皆に心配をかける。行こうか」
きっと慧音さんは、僕の心情をくみ取ってくれたのだろう。僕の後に続くように腰をあげた。
僕は着物の袖に両腕を入れて歩き始める。慧音さんを待ってから歩き始めるのも忘れない。
慧音さんが、何か名残惜しそうな表情をするも、それは一面に広がる稲穂畑に対してのものだろうと思う。
確かに、この綺麗な景色を保存する術は無い。いくら覚えていようとも、いつか忘れてしまうのだ。
いくら、覚えていようと努力しても。忘れてしまうものは忘れてしまうのだ。
路肩の石ころだったり、あの大きな烏だったり、鮮烈な景色だったり。
何日、何ヶ月、何年、何十年……きっと、ハッキリ思い出せなくなってしまう時が来る。
まあ、仕方のないことだと思う。忘れてしまうこと自体悪いことでは無いのだから、仕方ないんじゃないかなぁ。
この綺麗な花だってきっと、誰の目にも止まらなければ忘れられてしまう。
「慧音さん、あれは綺麗な花ですね」
「え?ああ、確かに綺麗だな。何という名前の花でしたっけ?」
「ああ、僕も忘れちゃいました。何て名前でしたっけ?」
「……フフッ」
「ククッ」
二人してカラカラと笑いながら歩いていく。烏はまだ泣いてないが、二人仲良く土で敷き詰められた道を踏みしめる。
この綺麗な夕焼けの空も、明日には同じものを見ることができなくなっているだろう。
しかし、仕方のないことだ、日々は毎日変わるものだ。そんな風景だからこそ、繰り返される一日が大切なのだ。
太陽が光り、稲穂が揺れる。明日もまた、このような天気だとうれしいものだ。
所で、あの水色の花の名前はいったいなんだったんだろうか。
初めまして、高野豆腐です。
小説事態は初投稿ですので、ご容赦のほどお願いします。
読みずらい、誤字など、何かありましたら、お願いします。