借り物の力   作:ジベた

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07 「どうして」

 梅雨明け後らしく晴れ渡った夏の青い空が広がっている。太陽はまだ東の低高度であるから、夏の暑さはまだその恐ろしさを発揮していない。芝生を通して背中に伝わってくる地面はやや冷たく、時折頬を撫でる風もまた心地よい。俺は自然の優しさを感じ取っていた。

 

 ……そんな朝の目覚めである。

 

「なんで俺、外で寝てるんだよっ!!」

 

 微睡みの時間なんて無かった。目を開けるといつもの天井などなく、ISで飛んでいったとしても限りのない空が広がっているのだ。なんて開放感だ。匠が腕を振るったビフォーアフター……などということはなく、俺が寝ている場所を見回せば寮の傍の芝生の上である。

 

 思い出してみる。昨日はいつも通り、何の変哲もない一日だったはずだ。当然、『そうだ、今日は野宿にしよう! ヒャッホーっ!』などと言い出すような意味不明なテンションになどなっていない。おまけにちゃんとベッドで横になった記憶まで存在していた。

 

「チェストォォォォ!!」

「どわああ!」

 

 朝だというのに、大声を上げながら暴れている人らがいるようだ。もしかしなくても心当たりはひとつしかない。篠ノ之と一夏だ。このタイミングでこのような騒ぎが発生しているということは、原因はラウラにあるのだろうと推測できる。

 もう答えは出ていた。俺、ラウラに追い出されたんだな……。

 

「あれ? 五反田くん、こんなところで何やってるの?」

「俺が聞きたいよ……」

 

 通りがかったクラスメイトに変な目で見られた。ここで寝ていたのは俺のせいじゃないのにな。とりあえず学校へ向かう準備をせねばと部屋へと戻ることとしよう。

 

 部屋に戻る道中、食堂へと行こうとする一夏とバッタリ会う。傍らには篠ノ之と、ラウラ。

 

「お、弾。お前にしちゃ珍しく俺よりも早起きだったんだな」

「…………だったら良かったな」

「そうだろ、そうだろ。早起きは三文の得というが、まず気分がいいもんな」

 

 一夏の中では、俺は先に起きて部屋を出ていったことになってるのか。夏とはいえ早朝に外に放り出されて気分がいいわけがないのだが、知らぬが仏ということにしておくか。代わりにラウラを睨むことでこの場は憤りを抑えよう。

 ――くそ! 意味ありげに笑顔を返しやがった!

 一夏は俺とラウラのやりとりに気づくことなく食堂へと歩を進め、篠ノ之とラウラもそれに続く。別に一夏が羨ましいとは思わないが、この俺の扱いはどうにかならないものかと、真面目に考えたくなってきた。

 

 

***

 

 

「というわけでお知恵を拝借できませんかねえ?」

「朝一番にそれですか。わたくしに相談に来る時点で何かが間違っておりますわ」

 

 近頃の俺の扱いの酷さがどうにかならないのかと思案した結果、自分だけではどうにもならないと結論づけてセシリアに相談することにした。当然のことながらセシリアはいい顔をしていないが、なんだかんだで無視することはない。だからこそ、こうして弱みを見せられるってものだ。

 

「まず思うのですが、あなたはどうしたいのですか?」

「そりゃあ寝てる間に外に追い出されるような仕打ちを受けなければいいに決まってる」

「それをわたくしがどうにかできるとお思いですか?」

「セシリアならなんとかしてくれる!」

「無理ですわ!」

 

 普段は見せない余裕のなさで断言された。彼女に無理だと言われると、俺の現状は打開できないのだと思い知らされた気がして俺は肩を落とさざるを得ない。

 

「そこをなんとか!」

「ラウラさん本人に言ってください! 正直言って彼女はわたくしの手に余りますわ!」

 

 頑なにセシリアはラウラに関わることを拒んでいる。別にラウラにこてんぱんにやられたというわけじゃないというのに、何かしら苦手意識があるようだった。……確かにラウラには理屈は通じないだろうし、納得と言えば納得か。今朝のような行動もセシリアにとっては邪魔以外の何者でもないが、説得することは困難だろう。

 

「ラウラのあの行動は俺だけじゃなくてセシリアも迷惑してると思ったんだけどなぁ」

「確かにその通りですけど、わたくしの関心は別にあります」

 

 セシリアは頭を抱える。最近のセシリアには明らかに余裕がない。きっとその理由は一夏にある。正確には一夏周りの人間関係の変化というべきだろうか。

 

 と、セシリアと雑談をしていたら急に教室が静まりかえった。何事かと教室内を見回してみると珍しい人物がいた。部屋にいることは特に不思議なことではないのだが、まだ本鈴がなっていない時間に顔を出すのは初めてのことではないだろうか。すかさず俺は問いかけてみる。

 

「今日はどうしたんですか、織斑先生?」

「何かおかしいか、五反田?」

「い、いえ」

 

 聞いて当たり前だと思っていたが、今思うと別に織斑先生におかしな点はない。担任教師が普段より多少早いことに何かしらの思惑があると考える方が不自然だった。

 そういえば、まだ一夏が教室に来ていない。篠ノ之、ラウラ、シャルロットもだ。このままじゃ遅刻だな、と思っていると唐突に教室の窓が開かれた。3階の教室だというのにだ。

 

「到着っ!」

 

 開けられた窓から入ってきたのは一夏とシャルロット。どうやらシャルロットがISを使用したらしい。得意げな顔をしていた彼女だったが、普段はいないはずの人物の姿を見た途端、顔を青ざめさせる。

 

「ご苦労なことだ」

 

 スパーンっと出席簿が甲高い音を奏でていた。初めて食らったであろうシャルロットは涙目になってうずくまる。続くお説教が耳に入っているのかはわからない。とりあえず言えることはご愁傷様ということくらいだ。

 

「……やはり、こちらの方が大きな問題ですわね」

「専用機持ちとしての自覚が足りませんってか?」

「そんなことはどうでもいいですわ」

 

 どうでも良くはないと思う。まあ、セシリアの言う問題からは的が外れたことだということはわかった。

 

 

***

 

 

 日曜日。雲ひとつない青空が広がっている。典型的なお出かけ日和に俺は一人で駅前にまで来ていた。特に誰かと約束をしたわけではないが、用事だけは確かに存在している。

 

「あのバカはどうして俺まで誘うかな……」

 

 先日、一夏が唐突に『水着買いに行こうぜ』と言ってきたのだ。それも、シャルロットと約束を取り付けた後にである。別に一緒に行っても構わなかったし、鈴を誘うという手もあったのだが……他数名を敵に回しそうで下手に動けなかった。そして俺の出した結論は、尾行組に混ざるという鈴と一緒ならいいや的な考えだった。この方が一夏と一緒にならずにすむしな。

 

「……ねぇ、弾」

「どうした、鈴?」

 

 というわけで俺は駅前に歩いていく一夏とシャルロットを尾行している。鈴は俺から連絡を入れるまでもなく一夏を追っていた。

 

「……あれ、手ぇ握ってない?」

「握ってるな」

 

 鈴が指さす先には一夏とシャルロットが手をつないで歩いている姿が見える。単刀直入に事実だけを返しておいたその瞬間、背筋がヒヤッとしたが気のせいということにしておいた。

 

「……一夏さんの顔、赤くなってませんこと?」

「そりゃあアイツも男だからな。鈍感でも女子と手を握ってりゃドキドキもするってことさ」

 

 パンッと破裂音がした。音源はセシリアの右手に握られていた“ペットボトルだったもの”。彼女が握りつぶしたのだ。蓋が閉じられていた炭酸飲料入りのものだというのに、原型はほとんどない。飛び散ったはずの中身はなぜかセシリアを汚してはいなかった。

 

「あの、セシリアさん? キャラが違ってましてよ?」

「くぅ! やはりくせ者はシャルロットさんでしたわ! それもこれも弾さんが部屋を譲ったりしたからです!」

「今更その話を蒸し返すの!? ってか俺も失敗したなって感じてることだから責めないでくれ!」

「ねぇ、弾。あたしは一夏を殺ればいいの? それとも弾を殺ればいいのかなぁ?」

「落ち着け、鈴! その殺生はどう考えても無益だから!」

 

 俺の考えは甘かったらしい。この一夏の行動は彼女たちにこれまでにない危機感を煽るものだったようだ。2人とも今までと違って余裕の欠片も存在していない。

 

「ほう、楽しそうだな。私も混ぜるがいい」

 

 俺と鈴とセシリアの3人で一夏たちを尾行していたのだが、いつのまにか一人増えていた。声がしたと同時に全員で振り返るとそこにはドイツ軍人の姿があった。

 

「どう見たら楽しそうに見えるんだ?」

「どう見ても楽しそうだ。さて、早いところ嫁にも合流せねばならんな」

 

 鈴とセシリアが固まっている内にラウラは一夏とシャルロットの元へと行こうとする。そこでようやくラウラのしようとしていることに思い至ったのか、鈴が動き出す。

 

「待ちなさい! 今はあの2人の状況を把握することが先決よ!」

「ふむ……嫁に限って間違いはないとは思うが、過信は己を滅ぼす。一理あるな」

 

 そうして追跡組が完成したのだった。

 

「はぁ……わたくし、何をしてるのでしょうか」

 

 セシリアのため息がやたらと耳に残った。

 

 

***

 

 

「さてと……しばらく何をしてようかな」

 

 鈴、セシリア、ラウラの3人が合流した後、黙々と一夏を追跡するだけだった。それだけじゃ俺としては面白くなかったために何か話題を振ろうと口を開いたのが運の尽き。ピリピリとした彼女ら(主に鈴とセシリア)の『黙れ』という鋭い視線を集中的に浴びて、俺の精神はボロボロだ。そのままついていくと織斑先生と鉢合わせることになるのもあったから、こっそりと鈴たちから離れることにしたのだった。

 

「あ、五反田くんじゃないですか?」

 

 そんな俺を呼ぶ声がする。ショッピングモール“レゾナンス”は利用者の数から考えて知り合いの1人や2人に遭遇しても特に不自然ではない。しかし、ここでこの2人に出くわしてしまうとは思っていなかった。

 

「山田先生と……織斑先生。こんにちは。まさかこんなところで会うとは思っていませんでした」

「割と珍しくないですよ。教員でも生徒でも、この時期に慌てて水着を買いにくる学園関係者は多いですからね」

 

 アハハと楽しげな山田先生。対照的に一歩下がったところに立つ織斑先生の顔は仕事の時と何ら変わりない。俺を見る目つきが生徒を見るものに見えないのも相変わらずだった。せっかく鈴から離れてまで避けたのにこうして出会ってしまっては本末転倒だ。早いところ話を切るために切り札を切ることにする。

 

「そういえばさっき一夏も見かけましたね。シャルロットと一緒に女子の水着売場に入っていきましたよ」

「あ、そうなんですか。じゃあ織斑くんとも会えそうですね、織斑先生?」

「……そう、だな」

 

 山田先生は「それでは、また」と言い残してから、口数の少ない織斑先生を引っ張っていく。織斑先生は終始難しい顔を崩さなかった。……一夏のことをネタにされても反応しないくらいに。

 

 

 俺は自販機のある休憩所のベンチに腰掛けて時間をつぶす。先生2人が水着売場に向かったのなら、鈴たちが尾行に失敗するのは時間の問題だった。案の定、がっくしと肩を落として歩く鈴とセシリアが俺の傍を通り過ぎていくのが見えた。

 

「2人とも、お疲れさん」

 

 缶ジュースを2本持って声をかける。沈んだままだった2人だったが、無言で俺からジュースを奪い取ると一気に飲み始めた。

 

「本当……今日は厄日なのかしら」

「そうですわね。先生方がたまたま居合わせたり、一夏さんがわたくしたちの尾行に気づいていたり、散々でしたわ」

 

 確かに先生らについては運の要素だろう。しかし、一夏に関してはセシリアの過小評価だと思える。アイツはなぜか恋愛以外に関しては勘がいいからな。と、内心では思っているが口に出さずに愛想笑いをしておく。

 

「それで、今日はもう帰るのか?」

「わたくしはそうしますわ。一夏さんは織斑先生と居るみたいですし、今日はボロしか出さない気がしますので大人しくしておきます」

「あたしはまだ買うものがあるから、それだけ済ませておくわ」

「そうですか。では、わたくしは先に帰りますわね。ごきげんよう」

 

 重い足取りのセシリアが1人で帰路に就く。俺と鈴は並んでその後ろ姿を見送った。

 

「アンタは帰らないの?」

「帰っても暇だから鈴の買い物に付き合うよ。ま、荷物持ちって奴だ」

「ふーん、じゃあ遠慮はしないわよ」

 

 鈴はセシリアと反対方向へと歩き始める。当然、俺は彼女の後ろに続いた。その方角には水着売場はない。

 

「あれ? 水着じゃないのか?」

「ああ、実はもう買ってあるのよ。じゃなかったら一夏の買い物に混ざったっての」

「いや、別に尾行せずに最初から混ざっても問題なかったと思うんだが――」

「ううん、そんなことない。あたしはあの2人の買い物が、どっちから誘ったものかを知りたかったんだ。結局、わからずじまいだったけどね」

「そういうもんかねぇ。じゃあ、一夏の方からシャルロットを誘ってたとしたらどうする?」

「……ちょっとショック、かな。アイツのことだから特に深い意味なんてないんだろうけど、あたしを誘わなかったのはどうしてなんだろう、って考え込んじゃう」

 

 そういえばそうだ。どうして一夏は鈴を誘わなかったんだろ? 鈴の言うとおり一夏がシャルロットを誘ったのに深い意味があるとは思えない。にもかかわらず、なぜ鈴やセシリアを誘わないんだ? 俺にも声をかけているってのにな……。俺なりの答えすら用意できなかった。

 

「ダメだ! 弱気になるな、あたし!」

 

 鈴は両頬をパンと叩き、己に喝を入れる。

 

「まだ何も決まってない! だから今は考えない! いくわよ、弾!」

「あ、ああ……」

 

 俺が何かフォローするまでもなく、彼女は自分で立ち直る。もしダメだと決まってしまったとき、彼女はどうなってしまうのだろうか。“今の鈴”が居るのかどうか、などということしか考えられない俺では想像したくもないことだ。俺は一体、彼女にどうなって欲しいのだろう……?

 

 

***

 

 

「ただいまー」

「おかえり。遅かったな」

 

 夜、部屋でくつろいでいると一夏が帰ってくる。なんだかんだで俺の方も遅くなったのだが一夏はそれよりも遅くなっていたようだ。

 

「いやー、いろいろあったんだよ。千冬姉が来たりとかさ」

「へぇ……シャルロットとのデートを邪魔されたってわけか」

「デ、デートォ!? い、いやそんなもんじゃないって」

「ん? そうなのか? てっきり織斑先生と別れてから改めてシャルロットと買い物でもしていたのかと思ったんだが……」

「た、確かにその通りだが……断じてデートじゃない!」

 

 この男、きっぱりと言いきりやがった。まあ、本人にその気がないのは間違いないだろう。じゃなきゃ俺まで誘うようなことはしなかっただろうしな。ただ、だからこそ気になるこの疑問を直接ぶつけてみたかった。

 

「でも、シャルロットと2人きりだったのはどうしてだ? 俺が一緒に行けなくても誰かを誘うことはできたんじゃないのか?」

「へ……? あ、言われてみれば鈴もセシリアも来てたから皆暇だったのか。代表候補生だと忙しそうだから、誘いにくいんだよな。シャルを誘うのも悪い気しかしてなかったんだぜ?」

 

 ……ある意味で納得できた。シャルロットだったのはたまたま彼女であっただけで、基本的に代表候補生のプライベートには干渉したくないってことなんだろう。この一夏の配慮はもしかしたら、セシリアの指導の産物なのかもしれない。彼女にとってはマイナスでしかなかったわけだが。

 

「って、それだったら篠ノ之はどうなんだ?」

 

 すっかりその存在を忘れていた。別に篠ノ之は代表候補生ではないから遠慮する対象にはならないはず。そういえば、彼女だけレゾナンスには居なかった気がする。

 

「ああ、弾を誘う前に行ったんだけど、断られたんだ」

「ハァ!?」

 

 つい大声を出してしまった。

 

「ど、どうしたんだ、弾?」

「いや、なんでもない」

 

 ハハハと言葉を濁しておく。

 しかしながら、あの篠ノ之が一夏からの誘いを無下にするとは……思ってもみなかった事実が出てきたものだ。一夏よりも優先するべきことが何かあったのだろうか? 考えてもわからないが、何か理由があるのならあの場に姿を見せなかったことの理由でもあるのだろう。

 ……まあ、篠ノ之のことはどうでもいいか。とりあえず今は鈴にメールでも打っておこう。やっぱりいつもの一夏だったぜ、と。

 

 

***

 

 

 太陽光がむき出しの上半身をジリジリと照らすが、程良い潮風が体を撫でるため不快な暑さは感じない。サラサラとした足下は不安定だが、俺のテンションは安定して高まっていた。

 海。実はこの世界に来てから初めての海だ。一夏含めて夏休みに海にまで行こうとする友人はいなかったし、俺自身が元々はインドア派だったのもあって縁は無かった。本心ではこの臨海学校もそこまで楽しみにしてはいなかったのだが……

 

「一夏ーっ! 弾ーっ! ビーチバレーしよっ!」

 

 彼女らの姿を見た後では、以前の冷めた俺をぶん殴ってでもここに連れてきたいくらいの心境の変化が訪れた。

 いつのまに用意したのか、砂浜の一角にバレー用のネットがかかっている。その脇にはへそを出しているスポーティな水着の鈴がボールを脇に抱えて手を振ってきていた。ついつい際立ってしまっている彼女の曲線を目で追ってしまう。

 

「おう、いいぜ! 弾もやるだろ?」

「あ、ああ」

 

 俺が少し固まってしまっている間に一夏は鈴の元へと駆け寄っていく。俺も一夏も鈴の水着姿を見るのは実は初めてなのだが反応は全く異なるものであった。一夏は俺と違うのだと思い知らされる。一夏は鈴を特別な目で見ていないことになるのだから……。

 これは俺にとって良いことのはずなのにどこか釈然としない。鈴はどうなのだろうと様子を窺うが、眩しいくらいの満面の笑みしか見せていなかった。

 

 特に口出しをしないまま、俺は一夏と組んで鈴とセシリアのペアとバレーをする事になっていた。

 

「えーと、セシリアもやるの?」

「あら、一夏さん? 言っておきますがわたくしはIS以外も優等生だと自負していますわ。油断していますと痛い目を見ますわよ?」

 

 セシリアの弾丸サーブ、とはほど遠い山なりのサーブを一夏が軽く拾う。下手ではないが上手でもないといった印象を受けた。対して、一夏の上げたボールはというと俺から少し離れた位置へと飛んでいく。

 

「おい! イージーボールぐらいちゃんと返せ!」

「大丈夫だ。弾ならうまく俺まで繋いでくれる!」

 

 その信頼はどこから来るのか知らないが、俺に厄介事を押しつけてるだけな気がする。一夏の場合は他力本願なわけじゃなくて自分がやってやるという思いが根底に存在しているから問題ではないが、気分的になんとなく意地悪してやりたくなった。

 

「クイックいくぞ!」

「はぁ!?」

 

 手で形作る三角で落下してくるボールを捉える。ネット傍まで砂上を全力疾走する一夏に合わせて、高速のトスをお見舞いする。一夏の手は追いついていた。しかし、位置が噛み合わずにカス当たり。かろうじてネットを越えたボールはネット向こう側の鈴に簡単に拾われてしまう。

 

「弾! やっぱ無理じゃねえか!」

「気にすんな。次に集中しようぜ!」

「チャンスよ、セシリア!」

「はい、いきますわよ、鈴さん!」

 

 セシリアのトスが上がる。攻撃のタイミングがわかりやすいことを除けば非の打ち所のないトスだ。俺も一夏も鈴のアタックを警戒して身構える。そこしかないというタイミングで鈴は飛び上がる。これは余裕で拾えると、俺だけでなく一夏も感じていたと思うんだ……。

 

 ズドン!

 

 気づいたらボールがその半身を砂に埋めていた。砂浜に突如出現した大目玉などでなく、俺たちが触れていたボールなのだ。

 

「よーしっ! まずはあたしたちの得点ね」

「そういえば鈴さん。このままわたくしたちが勝ったところで何も無いのは寂しいと思いませんか?」

 

 ネットのこっち側と向こう側で時間の流れが違って感じる。俺と一夏が目の前で起きたことを理解する前に、鈴とセシリアで話は勝手に進んでいく。

 

「そうね……じゃあ、先月のタッグトーナメントの約束をここで果たそっか」

 

 約束。勝った方が負けた方の言うことを聞くという割とオーソドックスなものだ。これがISならばチャンスが巡ってきたと喜ぶところ。しかし、ギャグみたいな高速スパイクを見せられた後では、この勝負にはとても勝てる気がしない。

 

「……燃えてきた」

 

 だが俺とは対照的に隣の男は闘志に火がついたらしい。

 

「やってやろうぜ、弾! 今日こそ鈴へのリベンジを果たすときだ!」

「本気で言ってるのか? どう見ても規格から違ってる気がするぞ?」

「本気だ。俺は負けられないと思った勝負は徹底的に受ける主義だからな」

 

 こうなった一夏は俺が何を言ってもやめない。ついでに言えば、俺も巻き込まれることは確定だ。やれやれとため息を吐きつつも砂に埋もれているボールを拾い上げてセシリアに投げ渡す。

 

「しょうがねえからやってやる。その代わり、罰ゲームはお前一人で受けろよ」

「大丈夫だ。俺たちは負けない」

 

 そうして俺たちの試合は続いていく。熱くなりすぎたためにギャラリーが増え、賭けの内容まで皆に知れ渡った。鈴側にラウラが、俺たち側にシャルロットが乱入したりして、結局バカ騒ぎで終わったため、また賭けがうやむやになってしまったりする。でも、問題は何もない。俺は楽しかったから。きっと皆も楽しめたと思う。

 唯一この場にいなかった彼女を除いては……。

 

 

***

 

 

「ふぁ……意外と平和な夜だったな」

 

 あくびを隠さずに布団から這い出て、緩んでしまっている帯を直すことなく解き始める。一夏と2人部屋であったことから女子の襲撃が予想されていたのだが、静かなものだった。

 ……目覚めたら砂浜に横たわっているとかじゃなくて良かったと心の底から思う。

 

「千冬姉が釘を刺して回ったらしいからな。それで冒険に出る奴の顔を見てやりたい」

 

 なるほど。いくらなんでも元ブリュンヒルデに真っ向から逆らう真似はうちの生徒では無理だ。俺の安眠を守ってくれたことだし、今日だけは千冬様と呼んでもいいかもしれない。もし言ったらどんな目に遭うか大体予想がつくからやめておくけど。

 

「ところで、弾。今日の予定ってどんな感じだっけ?」

「朝から日が暮れるまでISの装備の試験運用尽くしだ。特にお前ら専用機持ちは忙しいだろうぜ」

「めんどくせぇ……」

「権利に義務は付き物だっていつも言ってるだろ? 諦めて義務を受け入れろって」

 

 着替え終えた俺たちは朝食をとるために部屋を出た。

 

 

 何故か全体的に沈んだ雰囲気が醸し出されていた朝食が終わり、全員がISスーツを装着した状態で海岸に集合した。ここにいる生徒は1年生のほぼ全て。整列させられた前面には各組の担任と副担任とその他が勢ぞろいしていた。その代表である織斑先生が一歩前に進み出る。

 

「全員揃っているな? では早速、本日の装備試験を開始する。事前に通達のあった通りの班に分かれて担当教員の指示に従え」

 

 簡潔に指示を下す。言われたとおりに全員が動き出し、人の流れが形成されそうなときだった。その動きは突如停止し、全員がある1点を見つめる。それも仕方がないだろう。砂埃を巻き上げて急斜面を駆け下りてくる謎の人物なんてものを見つけてしまったのだから。

 

「ちーちゃ~~~ん! 会いたかったよ! さあハグハグしよう!」

「仕事中だ。静かにしていろ、束」

 

 高速で接近してきた女性を織斑先生は右手だけで冷ややかに食い止めた。頭を鷲掴みにされた女性は少々涙目になっている。水色のワンピースにウサ耳という格好や織斑先生とのやりとりで俺だけでなく他の人も、この女性の正体が篠ノ之束であるという答えに行き着いていた。

 存在自体は有名であるが、現在は行方不明とされている人物の登場にこの場は混乱し始める。散ろうとしていた生徒たちも遠巻きながら騒動の中心を見ずにはいられないといった様子だった。

 

 ……やっぱりあの女神様ってこの人、だよな?

 

 俺は俺で自分に関わることを考えざるを得なかった。

 俺をこの世界に送り込んだ女神様と篠ノ之束の見た目は全く同じ。少し古い記憶との比較であるが、違いを挙げることはできなかった。何より、あの時に見せつけられた不可思議な現象も『篠ノ之束だから』の一言で全て説明できる気がした。同一人物と考える方が自然だろう。俺はなんとなく『お世話になってます』という意志を伝えるために軽く会釈した。

 

 背筋が冷えた。

 

 俺が会釈をしたとき、篠ノ之束はたまたま俺の方を見た。目が合ったその瞬間の彼女の表情の変化を俺は見逃していない。織斑先生の隣でバカかと思えるくらいに明るく振る舞っている彼女とは別人であるような目つきで俺を睨んだのだ。

 

「どうしたの、弾?」

「……どうもしない、たぶん」

 

 目を伏せていたら、俺の顔を下からのぞき込んできた鈴に尋ねられ、俺はなんでもないと答えることしかできなかった。俺という存在の成り立ちに関わることだから話せない。それもあるが、俺自身、状況がよくわかってないというのもある。今まで深く考えてこなかったが、女神と束は別人なのだろうか。だが別人だとしたらなぜ俺だけが睨まれる?

 

 それから装備の試験運用が始まるまで同じように睨まれることはなかった。たまたま目が合っただけ、だよな? 深く気にしても心臓に悪いだけな気がする。

 俺が考え込んでいる間にも周りの状況は変わっていく。篠ノ之束は箒を連れていき、一夏と織斑先生もそれに同行していた。今から紅椿を渡すのだろう。篠ノ之束の姿が見えなくなったところでようやく俺は一息つけた。

 

 俺は一夏たちとは別の班に入っていた。割り当てられた装備の仕様を確認し、実際にISで使用する。それらを3回ほど行なったところで――

 

「全員、注目!」

 

 織斑先生の手を叩いて全員の注目を集める。近くで山田先生が慌てているところを見るに何かがあったの確実だ。

 予定調和。十中八九、アメリカ軍所有のIS“銀の福音”の暴走だ。この後の指示も容易に想像がつく。

 

「今日のテスト稼動は中止だ! 各班、使用していたISを片づけ次第、旅館にて待機せよ!」

 

 突然の中止。生徒全体に困惑が広がっていく中、織斑先生の「これは命令だ!」の一声でテキパキと全体が動き始める。俺もその中に紛れて素直に従うことにしよう。専用機持ちのみ織斑先生が引き連れていったのも俺の知識通りだしな。

 

 

***

 

 

 撤収後、自分の部屋に戻ってきた俺は誰も近くにいないことを確認する。旅館に戻るまでは俺の知ってるとおりの展開だが、その後にどう動くかはわからない。こういうときにもやはり頼れるのは専用機だった。

 

 ――エウス・イラム起動。部分展開。ワンオフアビリティ“空想行路”を使用し、鈴周辺の音声を拾う。歴とした盗聴だが今は緊急事態なので許して欲しい。

 

『織斑、これは訓練ではなく実戦だ。私から強制することはない』

『やれます。いえ、やらせてください!』

 

 ちょうど、一夏が福音に向かう意志を見せているところだった。

 一夏だって危険性を理解してないわけじゃない。危険だからこそ引き受けるのであり、この状況で女子に全て任せて後ろに下がるわけがないだけだ。俺が元いた世界でもこの世界でも男が守ってやるべきという一夏の考えは古いと思われることだろう。だが周りがどう思うかなど関係ない。

 

 一夏が引き下がらないことはその場にいる全員に伝わったのか、シンと静まりかえる。

 

『……よし。では次の確認だ。織斑以外の専用機の最高速度のスペックを申告しろ』

 

 織斑先生は厳しい口調を変えずに話を進める。セシリアから順にパッケージ交換も視野に入れたデータが集められ、作戦にはセシリアが適任だと判断された。

 

『待ったーっ! ちーちゃん、紅椿ならもっと適任なんだよ!』

 

 そしてやはりこの人が乱入してきた。明らかに鬱陶しそうに対応する織斑先生であったが、篠ノ之束は折れない。紅椿のスペックの高さをこれでもかと解説した後、

 

『それにしてもあれだね~。海で暴走ってまるで10年前の白騎士事件みたいだよね?』

 

 唐突に白騎士事件を話題に出した。

 白騎士事件とはISが世界に知られたきっかけとなった事件のことである。俺自身の記憶は5年ほど前からなので体験したことではない。

 事件の発端は日本を攻撃可能なミサイル2341発が制御不能に陥り日本に向けて発射されたことだ。迎撃困難なそのミサイル群を白騎士と呼ばれるISが全て撃墜した。その後、ミサイルを撃墜した白騎士を捕獲せんと世界中から軍隊が押し寄せたがその大半を人命を奪うことなく無力化した。どこまでが真実なのかは確証は何もないが、世界がISを求めた理由にするにはいくらかは真実でなければならないだろう。

 

『……束。紅椿の準備を始めろ』

『りょーかい、ちーちゃん!』

 

 篠ノ之束の話を途中で切るように織斑先生は提案通りに動くことを決めた。当然、セシリアは抗議するが紅椿の方が早いという理由で一蹴されてしまう。

 

「なんだかんだで俺の知ってるとおりだな」

 

 もしかしたら違う展開かもしれないと心配していたが、一夏と篠ノ之の2人で出撃する流れになった。

 ……さて、そろそろどの辺りで俺が入るか考えないといけないな。そもそも関わるべきかという段階で考える必要がある。

 今回の事件では鈴の気を引くポイントが全く思い浮かばない。加えて、俺が介入する時点で事態がどう転ぶか読めないのだ。

 ゴーレム戦を思い出す。エウスを使ってからは問題なく倒すことが出来たが、俺が入ったことで危険な目に遭わなくていい子を死ぬかもしれない状況にしてしまっている。軽々しく戦闘に関わるべきじゃないのかもしれない。俺が知らないだけで、ISの戦闘は絶妙な綱渡りをしていただけなのかもしれないのだから。

 

 時計を見ると11時半を過ぎていた。既に一夏と篠ノ之の2人は出発した後らしい。さすがに高速で移動している2人の状況をエウスの力で聞くことは難しかったため、継続して鈴周りの音を拾うことにする。

 

『どうしたの、セシリア? 一夏に高速戦闘の基礎を教えてる間もずっと浮かない顔してたでしょ』

『鈴さん……。気になりませんでしたか? 先ほどの作戦会議の流れが』

『うーん、確かに時間的にはセシリアでも間に合ったんだから箒を行かせる理由はなかった気がするわね。でも、千冬さんのことだからあたしたちが考えもしないことを考慮しての判断だと思う、かな?』

『その通りだぞ。教官に深い考えがあってのことだ。私たちはそれに従っていればいい』

『ラウラさんはそう言うと思ってましたわ。シャルロットさんはどう思われますか?』

『僕も鈴と似た考えかな。ちょっと違和感の方が強いけど』

 

 留守番組の4人で先ほどの作戦会議を振り返っていた。聞いている限りだと織斑先生の決定に不服を示しているのがセシリア。そこからシャルロット、鈴、ラウラの順で徐々に織斑先生の決定を肯定している傾向にある。

 俺としては知っている流れになっているかだけが肝だったから全然気にしていなかった点だ。しかし本人に意図を聞けなければ答えなどでない。そんなことを考えたところで時間の無駄というのが俺のスタンスである。……推測くらいはできるだろうけど。

 

『わたくしの思い過ごし……なのでしょうか。織斑先生にとって箒さんとわたくしの経験の差は微々たるものと判断されたのでなければ良いのですが……』

『その点は心配ない。教官は確かに“教え子”に差はないとして同列に扱うが、“部下”の能力を見誤るような指揮官ではない』

『じゃあ、セシリアより箒と判断したのはどうして? アンタの見解でいいから言ってみなさいよ』

『ではハッキリと言わせてもらおう。おそらく教官が欲しかったのは箒でも紅椿でもなく、篠ノ之束の力だったのではないか?』

『ご機嫌取りってこと? ラウラ、千冬さんとあの人の関係知ってて言ってる? そんな回りくどいことしなくても千冬さんの一言で協力が得られそうじゃない』

『待って、鈴! それって本当にそうなの?』

『どういう意味よ。あの2人は昔からの知り合いで仲が良いんじゃないの?』

『いや、僕には親友というよりは“宿敵”に見えたんだ。だからかラウラの仮説も力が欲しかったというよりも、敵対を避けたという方がしっくり来るんだけど』

 

 ……うーん、いろいろな意見が飛んでるなぁ。いずれにせよ、全員が篠ノ之を行かせる選択を普通ならしないと判断してるってことになってる。

 俺としては割とどうでもいい内容だった。篠ノ之束が裏で糸を引いているのは知っているし、織斑先生が篠ノ之束を怪しんでいるのも知っている。先ほどのは織斑先生なりの駆け引きの結果であって、鈴やシャルロットの言うとおり俺たちが普通は考えないことを考慮しての判断なのだと思う。唐突に出てきた白騎士事件の話題も篠ノ之束の交渉カードだったのだろう。俺から見ると織斑先生は篠ノ之束に屈したようにも見えた。まあ、一夏と箒が2人で福音に向かったという事実さえわかっていれば俺にとっては大して重要なことではない。

 

 彼女らの議論に耳を傾けつつ作戦の結果を待つ。すると、これまた俺の知っているとおりの展開が待っていた。

 

『一夏が……撃墜された……!?』

 

 作戦の失敗。福音を落とせなかったばかりか、逆に一夏がやられるという筋書き通りの展開だ。音声でしか鈴たちの状態がわからないが、沈んだ雰囲気が伝わってくる。

 この後、福音は太平洋上で待機し続ける。その間に鈴たちは一夏を置いて5人で再戦をすることになるはずだ。やはり、俺が入る余地はない。この戦闘で一夏と鈴が急接近することがあるとも思えないから、力ない一般生徒として大人しくしているのが最良の選択だろう。

 

 ――本当に同じだったならば。

 

『箒さんは!?』

『……篠ノ之もやられた。今、近くの教員に救助に向かわせている。それよりも全員――』

 

 ここでドタドタと近くの廊下で足音がしていた。俺は慌ててエウスを隠し、入り口を見る。その瞬間にドアが開かれた。

 

「五反田くん! すぐにこの旅館から離れます! 手早く準備をして外に出て!」

「え? いったい、何が起こってるんですか?」

 

 名前も知らない先生に旅館から避難するように促され混乱する。何が起こってるのか。聞いたところで返答があるとは思えないことには声に出してから気づいた。

 

 これは俺の知らない裏側の話なのだろうか。しかし、直前まで拾っていた情報はそうでない可能性を示唆している。一夏だけでなく箒も福音に落とされた。俺の知る福音よりも攻撃的な気がする。そして織斑先生が鈴たちにどんな指示を出したんだ? 待機を命じたのか、それとも……。

 

「えと、詳しくは話せないけど、とにかく――」

「危険、なんですね? “ここ”が」

 

 先生から返答はない。無言だが肯定と見ていい。俺はとりあえず「わかりました」と了解の意を伝えて先生の後ろについていく。

 

 状況は大体把握した。

 福音が“ここ”に向かってきている。俺が知らない状況なのだ。

 なぜそうなったのか。原因はさっぱりわからないが、きっとエウスを使わなければいけない。そんな気がする。

 

 先を早足で移動する先生が廊下の角を曲がる。俺を確認できないその瞬間に俺はエウスを起動。空想行路を発動して人のいない場所に移動する。

 

 エウスを完全展開した状態で旅館の上空に漂う。海岸の方で既に戦闘が繰り広げられているのを確認できた。戦場の中心で光の弾をばらまいている銀色の天使こそが福音である。

 戦況は……劣勢。たった1機のIS相手に一方的に蹂躙されている。戦闘不能な機体がいくつもあり、その中にはセシリアとシャルロットの姿も確認できた。

 

「山田先生もリヴァイヴで出ているけど、織斑先生の姿はない。はは……ここまで来ると不気味だな」

 

 元ブリュンヒルデがなぜか前線に出ていない。俺が見ている間にも福音の攻撃は激しくなるばかり。翼から放たれる無数の光弾が鈴めがけて発射された。

 

 5秒は経過した。今ならば俺の足はどこにだって行ける。

 

 飛ぶ意志を示すと、俺の目の前に無数の光弾が迫ってくるのが見える。移動完了。あとは敵の攻撃をどうにかする。両手を前に突き出して福音への道を開いた。光弾は手に触れたものから次々と消えていき、同時に上空の福音が爆発する。

 

「え……?」

 

 俺の乱入に全ISの攻撃が止んだ。背中越しに鈴の様子を見れば、目を見開いて俺の後ろ姿を呆然と見てきていた。

 ……流石に喜びは見られないよな。

 正体不明のISに守られても戸惑うしかない。正体が俺だと知っていればまた違う反応だろうけど、ここで顔を見せるのも変だ。

 

『何者だ?』

 

 通信が入ってくる。声の主は織斑先生。しかしながら今の俺が答える意味はない。ただ、行動によって敵でないことを示すのみ。

 福音は未だに頭上に滞空している。奴の攻撃をそっくりそのまま返してやったつもりだったが、最初の1、2発が当たっただけで他は避けられた。人間味のない回避行動。簡単に倒せるとは思わない方がいい。

 

 まずは牽制。鎌を右手に呼び出して横に薙ぎ払う。空想行路を発動し、柄の半ばから先を福音の後方に移動させた。

 ――ちっ! 避けるのかよ。

 福音は俺の攻撃に合わせて後方に宙返りをすることで回避する。鎌は空を切り、再び俺の手元に戻した。同時に敵の攻撃ターン。福音は回避行動で縦に回転しながらも光弾を展開し、俺に向けて放ってくる。送り返すこともできるが、俺の方もノーダメージではないためイグニッションブーストで急上昇をすることで弾道から退避する。

 

 福音はゴーレムと違い、回避能力が高い。ならば攻撃は命中率重視で行なうべきか。鎌を収納し両手にマシンガンを召喚する。当然このまま銃撃しようというわけではなく、空想行路を組み合わせる。両腕を広げて、福音とは無関係な方向を向いたマシンガンのトリガーを一斉に引いた。

 ……逃げられやしねえぜ?

 銃口から飛び出した弾丸は即座に消滅する。完全に消え去ったわけでなく、移動したのだ。その先は福音の傍。本来ならば密着するぐらいの距離に出口を作りたいのだが、互いに高速で動き回る状態では座標がうまく合わないために、ある程度の妥協が入っている。俺一人によるマシンガンの十字砲火。出口を切り替えればいくらでも角度の変更ができるため避けきることは容易ではない。

 

『“銀の鐘”最大稼動開始』

 

 高速で空を翔ける福音を無数の銃口が追いすがっていくと福音に変化が現れる。ようやく捉えたと思ったその時に、福音の体の周囲に光弾が展開され静止していた。俺の放った銃弾は吸い込まれるようにかき消されて無効化される。

 

『解放』

 

 光弾は銃撃を防ぐに止まらずそのまま俺へと飛ばされてきた。ひとつひとつが意志を持つかのように軌道を変えながら俺へと向かってくる。俺の飛ぶルートを変更しても追従してくることから誘導弾であることは確実だった。

 

 ……中距離でやり合ったところで時間を使うだけだな。

 

 時間をかけることは俺の正体がバレやすくなるというデメリットしかない。敵の誘導を切る意味も兼ねて、空想行路で俺本体を飛ばす。場所は福音の隣。マシンガンを鎌に持ち替えて福音の翼めがけて振り下ろした。

 全IS中最速の接近に加えて不意をついたつもりの一撃だったが福音は反応して見せた。錐揉み回転をしながら右へと大きく動く。俺の振った鎌の軌跡は掠りもしていない。……しかし、俺が振った鎌は半ばから先が存在していない。

 ようやく捉えた。最初から二段構えの攻撃。空想行路に反応できる福音に一撃目を当てられるなどとは思っていない。だから最初の一振りは囮であり、本命は回避行動後の福音に対して飛ばした鎌を当てることだった。

 

 鎌は福音の翼を刈り取った。これで福音の攻撃手段の半分を奪ったようなものだ。さらに追撃を加えてもう片方の翼も斬り落とす。仕上げに両翼を失った福音に接近して蹴りを入れ、地面に叩き落とした。

 

 戦闘終了。厄介であったがやはりエウスの敵ではなかった。後は織斑先生に任せて俺は適当な場所で生徒の中に混ざらないといけない。あの白騎士事件の時のように、俺に対して戦力が向けられる前にって意味でも急がないといけないのだ。

 

 

 だが俺は詰めが甘かったらしい。

 

 

 エウスがエネルギー反応の増大を警告してくる。場所は俺が福音を蹴り落としたときにできたクレーターの中心部。当然そこにいるのは、福音。それも失った機械の翼の代わりに光の翼を得ていた。

 福音は翼を広げて近くにいたISに飛びかかる。ピンクと黒のISの操縦者は……鈴だ。

 考える時間なんて無かった。ただ、鈴を守らなきゃって思って空想行路を使い、鈴と福音の間に割り込むことしかできなかった。正面から俺と福音はぶつかり合う。そして福音の翼が俺をすっぽりと覆った。眩しすぎる発光。そして熱。俺は空想行路を福音に繋ぐことに集中した。

 

 初めてのダメージ報告。シールドエネルギーの消耗を伝えるものでなく、装甲の損傷を伝えるもの。全方位からのゼロ距離射撃を全て送り返せるなどできなかった。だが勝敗は決したようで、福音の体がずるりと地面に倒れ伏せる。俺は勝った。

 

「どういう……ことなの……?」

 

 後ろから鈴の声が聞こえる。全くの無傷で何よりだ。ミスはしたが最悪ではないと俺の口元に笑みがこぼれる。彼女の口から、名前を聞くまでは……。

 

「どういうことなの、弾?」

 

 装甲の損傷報告。一番の被害は頭部のバイザーであり、既に顔を隠せないくらいにまで破壊されてしまっていた。

 ……バレたものは仕方がないか。

 ここでバレるのは想定外だったが正直に話すことにする。

 

「どういうことも何も、俺も専用機を持ってたってことさ」

 

 さて、他に何を話せばいいのだろうか。ゴーレムのときのことでも話そうか。実際のところ話すことってそんなに無いんだよな。

 

「まあ、鈴が無事で良かったよ。体を張った甲斐があるってもんだ」

 

 実際のところはエウスがダメージを負っていても戦闘に支障がない程度の圧勝であったことは伏せておく。

 

「どうして……」

「そりゃ当たり前じゃねえか。だって俺は鈴のこと……」

 

 鈴の『どうして』の意図を『どうして体を張ってまで守ってくれるの』と思った俺は、あわよくば勢いで告白しようともしていた。

 そんな俺はどうしようもなく現状をわかってなくて……バカだった。

 

 

 

「どうして、一夏を助けてくれなかったの?」

 

 

 

 言葉に、詰まった。

 

「アンタたち、親友のはずでしょ……? どうしてアンタにそんな力があるのに、一夏がこんな化け物と戦いに出て行かなきゃいけなかったの?」

「そ、それは……」

 

 またも、返せない。本来なら俺の存在はなく、一夏と箒の2人で福音に向かっていくことは正当な流れなのだと言ったところで理解されるわけがない。

 

「一夏、そいつにやられちゃったんだよ……? まだ見つかってないんだよ……?」

 

 鈴には一夏が無事だという確証は何もない。そんな精神状態で攻め込んできた福音の迎撃に当たっていた。すぐにでも探しに行きたかった気持ちを押し殺して役割を果たそうと思いとどまった。

 

「なんでアンタが代わりに戦ってくれなかったのよォ!!」

 

 俺の判断や行動は全く鈴のためなんかになっていないどころか、鈴の思いを踏みにじるものになっていたんだ。

 

「俺は……俺はっ!」

 

 先に続く言葉は思いつかない。俺の中にある原作知識なんてものはこの世界にとってはパラレルワールドのifでしかなく、そうなることが正しいことなど証明できない。できたとしても、俺の存在自体が悪ということになる。

 そして俺は、一夏が負けるとわかっていて放置した。どうとでも助けられる力を持ちながら、静観を決め込んだ。そんな俺が一体何を守ったって言うんだ? どう言ったところで人でなしなのは変わらないじゃないか。

 

「うわあああああ!」

 

 俺のことだけを見ていて欲しかったはずなのに。

 今は鈴の視線に心が耐えられない。

 

 俺は当てもなく空へと飛び立った。誰にも見られない場所を探して……。


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