借り物の力   作:ジベた

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06 「機密事項だ」

 汗の滴る暑さ。そして中途半端に顔が知られたという二重の意味でお日様の下を歩きづらくなってきた6月の第1週、俺は特に理由もなく実家の食堂に来ていた。

 

「で? 私に何か言うことは?」

「いや、俺が悪かった……」

 

 昼食の忙しい時間を少し過ぎた頃、俺はまだ飯を食っていなかったので(タダ飯だが)客として席に着いている。対面に座るのは我が妹、五反田蘭。頬を膨らませつつ、もの言いたげな目で俺を見てくる原因は俺の軽はずみな約束によるものだった。

 

『今度の週末だけどさ、一夏を連れて帰省するよ』

『え? 本当!?』

『ああ、楽しみに待ってろ』

 

 などというやりとりを蘭としたのが3日前……そして今、俺の隣に一夏はいない。つまり、そういうことだ。

 

 ――今朝になってドタキャンされたのだ。

 

「あーあ。こうなるくらいだったら、最初から知らなきゃ良かった」

「俺もそう思う。期待させて悪かったな」

 

 元々は一夏の方から言い出したんだ。アイツは俺が帰省することを知ると『俺も行っていい?』とテンションを上げた。俺も悪い気がせず軽く了承したのだが、こんなオチが待っているとはな。

 

「……もう過ぎた話だからいい。それよりさ、お兄。IS学園に鈴さんが転入したそうだけど――」

「なぜお前がそれを知っている!?」

「一夏さんから聞いたの」

「なんだかんだで一夏と連絡取りあえてるじゃねえか!? 意外とちゃっかりしてんな」

 

 ならば一夏から連絡を入れてくれればいいじゃないかとも思ったのだが、一夏にとっては蘭に会いに来る予定ではなく俺についてくる予定だったのだから蘭に連絡を入れてなくても無理はない。蘭がどう思っているのかを一夏が理解してるはずもないからな。

 

「私のことはどうでもいいでしょ。誤魔化さないで、IS学園の話をしてよ」

「一夏から聞いてるんだろ……」

「お兄から聞かないとわからないこともあるのっ!」

 

 蘭にせがまれて仕方なくIS学園での生活について話し始めた。ここまでであった出来事を簡単に説明する。蘭に気を利かせて一夏が関わることを中心に話し、俺の専用機に関わる部分だけは伏せた。俺は代表として試合に出たが、ゴーレムに乱入されて何もできずに倒されたことになっている。

 ゴーレムの件における俺については学園でもそのように扱われている。エウスで内部の情報を遮断していたため、その間に何が起こったのかは俺以外誰も知らない。うまくゴーレムの仕業として偽装できたようで、エウスの存在も怪しまれてはいない。まずまずの成果だった。

 

「ふーん、お兄はお兄で鈴さんとの仲は中学時代から進展なしってことか」

「いや、むしろ悪化して……って、お前にもバレてたんだな」

「悪化って……お兄! もうちょっと頑張ってよ!」

「頑張ってるよ。だけどな、それは俺のためだ。お前はお前で頑張れよ。お前にとって最大のライバルは鈴じゃない。まだまだ他にもいる。そのことは知っておけ」

「ええっ!? ぐぬぬ……たった2ヶ月で何人落としてるの、あの人はっ! どうして私は中3なのよぅ……」

 

 握り拳を震わせ、一つ年下であることを嘆く我が妹。答える気はないが現状でハッキリしている人数は鈴の他には2人だ。そんでもってこれからさらに2人ほど増えることになることを俺は知っている。俺は自分の状況を棚に上げて、蘭の幸運を祈ることしかできないな、とほくそ笑んだ。

 

 ……しかしながら俺はどう対応するべきだろうか。

 これからやってくるであろう転入生はどちらも曲者である。片や背景が問題だらけ、片や本人が圧倒的な問題児。正直なところ、どちらも相手にしたくはない。あの濃すぎる連中と関われば鈴との距離が開いてしまう。それはここではない世界の一夏が証明していた。

 

 

***

 

 

 帰省から戻って最初の月曜。山田先生が教卓で転校生2人を紹介する、と言い放った。2組の鈴の前例があるからか、この時点ではクラスの驚きは少ない。情報通を自称しているクラスメイトが「バカな、この私が……」とショックを受けているくらいだ。驚きが形となるのは2人が入ってきてからになる。それも仕方がないことだ。一応は“男”ということになっているからな。

 

「皆さん、初めまして。フランスから来ましたシャルル・デュノアです」

 

 貴公子然とした金髪美少年(仮)が嫌みを感じさせない笑みを見せる。未だに誰も騒いでいないのはまだ理解が追いついていないからだろう。

 

「お、男……?」

 

 誰かが呟く。シャルルが着ている服は間違いなく俺と一夏も着ている男子の制服だった。

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方々がいると聞いて本国より転入を――」

「きゃーっ!!」

 

 シャルルが人なつっこそうな笑みをしてくることで教室が爆音のような騒ぎで支配され、織斑先生の出席簿が乱舞する事態にまで発展していた。お疲れさまです、としか言いようがない。

 シャルルは女だとわかっているとそうとしか見れない。隣の一夏を見てみると、シャルルの笑顔に見とれてから、いかんいかんと首を横に振っていた。……くっくっく。しばらくの間、お前にはその苦悩と戦ってもらうぞ? 報酬は彼女の裸体を見る権利だ。ありがたく受け取れ。

 

 続いて2人目、銀髪眼帯の転入生。こちらは特に何もしなくても勝手に一夏とフラグを立ててくれるはずだ。織斑先生に促されてようやくラウラ・ボーデヴィッヒと名乗った彼女は一夏の前に立つと、教室中に響くような音のビンタをした。

 

「私は認めない。貴様があの人の弟であることなど、決してな」

 

 口出しはしない。このラウラのセリフに被せて『あ、虫がいるぞぉ』とわざとらしい声をあげて俺も一夏にビンタしてみたかったが、どう考えてもラウラに目を付けられるので抑えておいた。ちなみに虫がいるという点については嘘は言ってないので悪しからず。

 

「いきなり何しやがる!」

「ふん……」

 

 ラウラが一夏の抗議を無視して教室後方の席へと向かうのを見送り、早速一夏に小声で話しかける。

 

「お前、ドイツでも女作ってたんだな」

「んなわけねーだろ! 人を女たらしみたいに扱うのは止せ」

「冗談だ。でもな、今のでそう思った奴がいるかもしれないとだけは忠告しとくぜ。ま、せいぜい頑張れよ」

 

 一夏をからかっておく。こうしておけば一夏の意識は転入生に向くだろう。一夏は苦労するだろうが俺にとってはチャンスだ。シャルルにしろラウラにしろ、一夏の周りの状況をごちゃごちゃにしてくれた方が、俺と鈴が近づきやすい。根拠は原作の鈴の出番。それだけ一夏の近くにいない時間が多いはずなんだ。

 

 

***

 

 

 放課後になって俺は織斑先生を訪ねていた。今頃は一夏たち専用機持ちたちはアリーナで訓練しているだろうが、練習機を借りていない俺はそれに混ざることはできない。篠ノ之と同じように見ているだけということもできるのかもしれないが、今日はこれからのためにするべきことがあったのだ。

 

「寮の部屋を移りたい、だと?」

「別に一夏と同じ部屋が嫌だってわけじゃなくてですね。今日、シャルルが転入してきたじゃないですか? それで早く馴染むためにも誰かが一緒の方がいいと思ったわけです」

「それで五反田が同室を買って出る、ということか?」

「いえいえ。俺よりも一夏が適任です。なので今の一夏の部屋にシャルルを入れて俺は別の部屋にしてください、という提案なのです。いかがですか?」

 

 織斑先生はしばし考え込んだが結論はあっさりと出た。

 

「そうするか。これが新しい部屋の鍵だ。さっさと私物を移動させて、今の部屋の鍵を私に返しに来い。いいな?」

「了解です。早速、行ってきます」

 

 職員室を出て寮で荷物をまとめる。これで一夏とシャルルを同室にできた。あとは苦労せずとも鈴と居る時間を増やせることだろう。

 両手に荷物を持って指定された部屋へとやってきた。荷物を一度床に置き、鍵を開ける。学年別タッグトーナメントが終わるまでの間はここで一人部屋を満喫できる。

 

 ――そう、思っていた。

 

「動くな」

 

 冷たい声が耳に突き刺さる。声だけでなく、首にもヒヤっとする何かが触れていた。背後にいる人物の存在感は圧倒的で、俺は動けない。

 

「だ、誰だ……!?」

 

 返事はない。要求もなくただ俺を観察しているかのような気がした。相手の思惑もわからないから俺は下手に動けない。

 非常にマズい事態だ。俺の命が、というわけではない。もし俺が殺されそうなことになれば“エウス”が起動する。俺が専用機を隠し持っているとバレることだけは避けたいのだ。

 

「……落ち着いているように見えて、その実は相手のことも見えていない。私が誰かなど、聞いてどうする? それで何かが変わるとでも思っているのか?」

 

 首に当てられていたひんやりとした感触が離れていく。敵意が無くなったと判断して振り返ると、先ほどまでの印象とは違う鈴よりも小柄な眼帯少女が立っていた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……か?」

「その通りだ、五反田弾。今のは警告だ。これから生活していく上で貴様が私に危害を加えようとすれば、私は容赦なくその首を掻き切る。覚えておけ」

 

 なぜここにラウラが現れたのかと考えているうちに、彼女はさっさと部屋に入っていく。……俺の部屋に。

 

「待て! そこは俺の部屋だ!」

「ああ、そうだな」

 

 否定されない。俺は間違ってない。

 

「ならなぜお前が平然と入っていく!?」

「おかしなことを言うものだな。自分の部屋に入るのに他人の許可が必要なのか?」

「他人の部屋に入るのには許可がいるだろ!」

「だから貴様は何を言っている? 私が私の部屋に入るのに何の問題がある?」

 

 ここまで言われてやっと俺は理解した。観念したと言った方が正確なのかもしれない。ここは俺の部屋であり……ラウラの部屋なのだ。

 

「あの先公! 正気か!? まさかここまで来て女子と相部屋なんてバカな真似を――」

「それは教官に対して言っているのか? 教官への侮辱は私への侮辱にも等しい」

「い、いえ。織斑先生は立派な方です」

 

 ラウラは突然ナイフを向けて来やがった。織斑先生に関して下手なことを言えば、真面目に俺の命が危うい。なんとか引っ込めてもらったものの、この状況は男女がどうのこうの以前にやばい。これはもう一度織斑先生に掛け合ってなんとかしないといけない。俺は黙って職員室へと向かおうとした。そこに丁度――

 

「引っ越しは終わったか?」

「お、織斑先生!?」

 

 入り口には件の織斑先生が立っていた。わざわざ寮に現れるのは珍しいことだった。早速抗議をする。

 

「丁度よかった! 織斑先生、俺は女子と同室になるなんて聞いてませんよ!」

「そういえば言い忘れていたと思ってな。こうして出向いてきたわけだ」

「やっぱり問題ですよね!? さっそく部屋の手配を――」

「問題があるのは承知している。だがこの部屋割りを変更するつもりはない」

「なんでですか!」

「……簡単に言ってしまえば部屋の数が足りないのだ」

「嘘だ! やろうと思えばいくらでも空けられるはずでしょ! 別に学生寮にこだわる必要もないじゃないですか!」

「決定事項だ。変更はしない。それにだな、お前がラウラ相手に問題を起こせると思えない。大丈夫だろう」

「確かにそれはそうですけど……」

 

 今、力関係をはっきりと示された後だ。ラウラの銃刀法違反とかその辺はきっと日本国内の法律が適用されないとかそんな感じでスルーされるんだろうなとも思う。

 それにしても強引な先生だ。言葉にはしないが、面倒だからって理由でこの部屋割りにしていても俺は驚かない。

 

「ラウラ、任せたぞ」

「はっ! 了解しました、教官」

「ここでは織斑先生と呼べ」

「失礼しました、織斑先生」

 

 織斑先生はラウラと少々の会話を交わしたら立ち去ってしまった。後には俺とラウラだけが取り残される。

 

「なあ、ボーデヴィッヒ。お前は文句はないのか?」

「何にだ?」

「俺と同室にされて文句はないのかって聞いてるんだ」

「文句などない。私はただ織斑先生の指令に従っている。それで何も問題はない。貴様こそ、私が気に入らないのなら外で野宿でもいいのだぞ?」

「考えとくよ。とりあえずは荷物だけ入れさせてくれ」

「私に許可を得る必要はない。ここは貴様の部屋でもあるのだからな」

 

 一応、ラウラは俺を部屋の住人として認めてくれているようだ。一夏のように拒絶する理由がないからだろうか。彼女は良くも悪くも俺に関心がない。そんな彼女に俺が間違いを起こすことはきっとない。俺にとってラウラ・ボーデヴィッヒはどうでもいい存在なのだから。だから俺の心配事は別にある。

 

 ……この状況、鈴はどう思うのかな。

 

 ただ同情されるだけだなんて楽観的に考えられない。少なからず悪感情を抱かれて当然とも言える。かと言って一夏の部屋に逃げるのも無理だ。あちらはあちらで問題が起きる。俺としてはそこに混ざろうとも思えない。前途多難だなと諦めるしかなかった。

 

 

***

 

 

 翌朝。

 

「おい、弾! 一体どうした!?」

「んあ……? 何が?」

 

 校舎へと向かう途中、憔悴しきっている俺に一夏が絡んできた。後ろにシャルルがついてきているところを見るに、早速打ち解けたようだ。……俺と違って楽しそうだねぇ。

 

「何がって、鏡を見てみろ。ひどい顔だぜ?」

「……わかってる。いつもどおりのひどい顔だ」

「ちげーよ! もう少し自信を持てよ!」

「いや、お前に言われても……ムカつくだけだ」

 

 一夏を恨みがましく睨む。今の状況は俺が招いたものであるが、無性に誰かのせいにしたい。

 

「ごめん、五反田くん。僕のせいだよね?」

 

 俺が一夏にやりどころのない怒りをぶつけたところで、シャルルが間に割って入ってきた。ここでシャルルに暴言を吐くほど余裕を失っているわけではないので、少し冷静さを取り戻すことができた。

 

「いや、お前は悪くない。俺の運が悪かっただけだ」

 

 ここで大きくため息。知識にはない未来(これから)を想像するだけで心が折れそうになる。

 

「それで弾。昨日、何かあったのか? お前、一人部屋になったんじゃないのかよ」

「それだったらもっと元気にしてるさ。あとは大体想像がつくだろ?」

 

 そう、俺は何故かラウラ・ボーデヴィッヒと同室になった。一夏とシャルルを同室にしようと行動した結果がこれだ。声を大にして『どうしてこうなった』と叫びたい。

 俺は部屋に荷物を運び終わった後、用事もないのに外を出歩いていた。部屋に居づらかったからだ。女子と同じ部屋だから緊張していた、とかなら俺にとってダメージにはならない。でもな、彼女は部屋にいる俺をずっと見てくるのだ。他に何をするでもなく、ただ黙って俺を観察する。いくらなんでもずっと見られていることに俺のメンタルは耐えられない。部屋を出る直前、俺は『俺を見るなあああ!』と叫んでいたらしい。記憶にはないのだが、後で部屋に戻ってからラウラに教えられた。

 流石に寝る頃にはラウラの観察は無かったのだが、今度は音が俺を邪魔してきた。興味はないと思っていた女の子でも、時折聞こえてくる寝息に俺の理性は揺さぶられる。悶々として寝付けないまま時は流れ、結局俺は眠れていない。俺って、ここまで弱かったっけ? ……弱かったな、そういえば。

 

「あー、と……災難だったな」

 

 一夏は察してくれたようで同情の眼差しを向けてくれる。過去に篠ノ之関係で色々と苦労していたらしいから、無責任に羨ましがることを一夏はしないのだ。もし逆の立場だったら、俺は徹底的にからかっただろうに……。くぅっ、一夏の優しさが身に染みるぜ。お前がシャルルの正体を知ったときは助け船を出してやる。そのときまで俺がまともで居られたら、だけどな。

 

「おっはよーっ」

「げっ!?」

 

 俺も一夏たちと合流する形で歩き出すと、後ろから走ってくる姿が見えた。鈴だ。普段なら『今日はいい日だなぁ』と気持ちが躍るところだが、そうはいかない。俺と一夏は彼女が現れることで声を揃えて明らかな動揺を見せる。俺の方はもちろんラウラと同室になった後ろめたさによるものだが、一夏は何故だろう?

 

「あたしの顔を見るなり『げっ!?』とは失礼ね」

「いや、だって昨日めちゃくちゃ怒ってただろ、お前」

「全部アンタが悪い。そうに決まってる。そろそろあのドイツ娘と何があったのか白状する気になった?」

「だから、俺も全く知らねえよ!」

 

 大体察した。昨日の朝のラウラの件だ。俺のいないところで鈴が一夏を問いつめていたらしい。おそらくは昨日の放課後の特訓のときだな。まさか俺のテキトーな忠告が的を得ていたとは思わなかったぜ。

 

「心当たりがなくとも、一夏さんが何かをしでかしている可能性は十分にありますわね」

 

 いつの間にかセシリアも混ざっている。それにしてもひどい言われようだ。ラウラが平手打ちをした理由を知っていると一夏を不憫にしか思えない。

 

「いやいや、いくら一夏でもな、アレと自分から関わろうってほどお人好しじゃないと思うぞ」

 

 色々と参っていた俺は一夏をフォローする。正確には、してしまった、だろうか。セシリアの目が光ったような気がした。

 

「あら、弾さん。その口振りだとボーデヴィッヒさんがどのような方か詳しいのではありませんか?」

「く、詳しくはない!」

「そういえば、今一夏さんの部屋にはデュノアさんが入られていますが、弾さんはどちらへ?」

 

 目を見ればわかる。セシリアは答えをわかっていて茶化すために訊いているんだ。そうに違いない。今はよりによって鈴もいる。俺と鈴がくっつくように手助けしてくれるものと思っていたが、それは俺の思いこみだったようだ。

 しかしながらこれはいい機会かもしれない。鈴にいつまでも隠し通せるものではないから、ここではっきりと言ってしまおう。

 

「……ボーデヴィッヒの部屋だよ」

 

 セシリアがわざとらしく「あらまあ」と口に手を当てて驚いていた。その目は笑っている。あのクラス代表を決める試合からずっと、彼女の思惑は一向にわからないままだった。

 全て知っているセシリアはともかくとして、肝心の鈴はと言うと――

 

「……本、当なの?」

 

 開いた口が塞がっていなかった。セシリアと違って鈴の表情にからかいの色は一切ない。これが俺にとってプラスなのかマイナスなのかは計りかねていた。

 

「何よ、それ……。いくらなんでも非常識じゃない。アンタ、まさか自分から――」

「んなわけねえ。俺は抗議したっての。でもな、織斑先生が問答無用で却下したんだよ」

「とか言いながら満更でもないとか思ってないでしょうね」

「だったら何も苦労はねえよ。今日は野宿にしようかと真面目に考えてるくらいだ」

「そ、そう? ……無駄かもしれないけどあたしからも抗議してみるね。一夏も一緒にさ」

「ああ。千冬姉が考えを変えるかはわからないけど、言うだけ言ってみるか」

 

 だから元気出して、と鈴に肩を叩かれる。なんだか救われた気がした。俺はまだ終わってないんだと、そう思える。もしかしたら鈴が一夏と一緒にいるための口実にされたのかもしれないが、それでも気が晴れた。一夏が前を歩いていく。その後を鈴が追いかけるのを見ていることしかできない俺だが、今は温かい気持ちで見ていられた。

 そんな俺は後ろから背中を叩かれる。シャルルも一夏の隣で歩いているから、残るはセシリアだけだった。彼女はこそこそと俺に耳打ちをしてくる。

 

「全く意識されていないわけではないようですわね」

「……鈴を試してたのか? 人が悪い」

「あら? ひどい言われようですわね。一応はあなたのためでもあったのですから、少しは感謝しても良くってよ?」

「ねえよ。少なくとも今の段階じゃあな」

 

 セシリアは「残念ですわ」と言いながらも、ちっとも残念そうには見えなかった。

 

 

***

 

 

「はぁ……これからどうしよ」

 

 アリーナの客席に座り、ため息を吐く。今は放課後であり一夏たちは特訓の最中だ。早速シャルルが混ざっており、一夏がライフルを借りて射撃の訓練を開始している。篠ノ之も訓練機を借りて参加している中、俺は借りられなかったためにこうして外から見ていることしかできない。しかしため息の原因はそんなところにはなかった。

 休み時間に鈴と一夏が織斑先生にかけあってくれたらしい。何でも鈴が言うには本人がいない方が効果的だとのことだ。ちなみに根拠はない。しかしながら当然のように主張は却下された。今日も何も変わらず、ラウラと同じ部屋に帰ることとなる。

 

「なんだアレは? 教官の弟が初心者より劣っているとはな」

 

 丁度シャルルが一夏に射撃の基本姿勢を手取り足取り教えているところだった。俺のすぐ側で舌打ち混じりの言葉を発しているのは、俺の悩みの種であるラウラ・ボーデヴィッヒその人である。ここで白式には射撃の補助が何もないことを言ったところで一夏の名誉回復にはつながらないだろうから、憤りを胸にしまい聞き流すことにする。

 

「こんな奴のせいで……教官の経歴に傷がついてしまったのか……」

 

 独り言が続く。こんな奴、ねぇ……会って間もない人間のことなんか理解できないだろうに。付き合いが長い俺ですらわからないことはあるというのに、一夏の何がわかるっていうつもりだろうか。

 

「何だ、五反田? 私に何か用か?」

 

 気づいたら俺はラウラに詰め寄っていた。俺は本当、何がしたいんだろうな。そう自問したくなったが、とりあえず行動を開始してしまったため、思ったことを言ってやる。

 

「一夏は強いよ。少なくとも、お前よりはな」

 

 俺の一言が癪に障ったらしい。ラウラは明確な敵意を持って俺を睨みつけてくる。

 

「私が、あの男よりも弱いだと?」

「ああ。たぶん勝てないだろう」

「ならば今すぐにでも私の力を見せてやろう。ここで見ているんだな」

 

 ラウラは即座に客席を出て行った。そのままピットからアリーナに入っていくことだろう。問題としては、今のアリーナには人が多いため、試合など出来るはずもないということだろうか。ここに居たところでラウラの力は見られるわけでもないし、そろそろ俺はお暇することとしよう。

 

 客席を出て、部屋に戻る。いつもなら鈴と会ってから帰るのだが、今日はなんとなく顔を合わせ辛かったので直帰だ。食事は軽くで済ませ、ラウラが帰ってくる前に寝てしまった方がいいと思い、すぐにベッドに横になった。ちょうどその時に携帯が着信を告げる。

 

「はい、もしもし?」

 

 誰からか確認することもなく通話ボタンを押して、耳に当てる。

 

『あ、弾。あたしだけど』

「鈴か!」

 

 俺は瞬間的に跳ね起きた。気が沈んでても体は正直なのかもしれない。

 

『その、ごめんね。結局何も変えられなかった』

「いや、謝ることじゃない。あの鬼教師が生徒に言われたからって変えるわけないだろ?」

『うーん……実はそこがひっかかってるのよ』

「どういうことだ?」

『確かに昔から厳しい人だったけど、道理に反することは許さない人だったと思うの。どうもアンタの扱いは厳しいんじゃなくて不条理な気がするのよね。だから一夏に諭されたら考えを改めると思ったんだけど――』

 

 鈴が語る内容は俺が考えてもみなかったことだった。俺から見れば、頑固だなとか、面倒くさいだけだろとしか思えなかったのだが、そうでない可能性がある?

 

「だったらきっと何か考えがあるんだろ? 俺たちがいくら邪推したところで変わらない。俺が少しの間我慢すればいいだけだから、もう鈴は俺のことで気に病むな」

『べ、別に気に病んでなんかないんだからねっ!』

「ツンデレいただきました」

『……アンタ、何言ってんの?』

「なんでもない」

 

 やっぱり鈴はすごいな。俺の気力が回復してきた。これで俺はまだ戦える。

 

「ありがとな。鈴のおかげで元気が出てきた」

『そ、そう? それなら良かったわ。アンタが枯れてるとあたしも一夏もいつもの調子が出ないんだから、しっかりしてなさい』

「はいはい。それじゃな」

 

 まだ話を続けていたかったが、これ以上話していると鈴からは一夏の話しか出てこないのが目に見えているので、止むを得ずこっちから通話を切った。俺の顔は今日一番の緩さであろう。このまま月末までの3週間を乗り切れる気しかしない。

 

「今の電話の相手は、2組の凰鈴音か?」

「そうなんだよ~。俺を心配してくれるとは嬉しい限りだ」

「凰とは恋仲なのか?」

「そうだったらいいんだけどな。残念ながら鈴は一夏が好きなようだ」

「つまりは五反田の片想いであると?」

「今はそれでもいいさ。俺は諦めるつもりはない……ん?」

 

 浮かれていた俺はいつの間にか聞こえてきていた声と会話をしていた。そして何も言わずにこの場に現れることができる人間は一人しかいない。

 

「ボ、ボーデヴィッヒ!? なんで!?」

「ここは私の部屋でもあると昨日から言っているだろう?」

 

 同室であるラウラ・ボーデヴィッヒだった。どうも今日の俺は色々と隙だらけらしい。セシリアじゃなくても俺がどう考えているか筒抜けになってそうだ。

 

「俺が聞きたいのはそんなことじゃなくてだな……お前、他人の色恋沙汰に興味があるのか?」

「無いな」

「即答かよ。尚更わかんねえな。どうして俺と鈴の関係について訊いたんだ?」

「機密事項だ」

 

 何が機密なのかさっぱりだ。まあ、このご時世では個人情報も立派な機密かもしれない。原作との違和感を感じるのは今に始まったことではないから、これ以上関わるだけ無駄だな。そう思い、俺は当初の予定通り、早めに床に就くことにする。

 

 ……しかし、同居人はそんな俺を見逃してはくれないようだ。

 

「五反田、もう一度訊かせろ。他の者に守られるだけのあの男が私より強いのか?」

 

 しまった、と思ってももう遅い。ついカッとなって一夏の方が強いと言ってしまったが、どう考えてもラウラの怒りを買うだけだった。あの後、一夏と戦えたはずもないから消化不良だろうし、ぶつける矛先は俺だけしかいない。

 

「俺がそう思ってるだけだから気にするな。まだ直接的な結果は出てないだろ?」

「ふん。邪魔さえ入らなければ勝っていたさ」

 

 当たり障りのない回答で流そうとしながらも、そういえば、と思い出す。この後、ラウラは鈴とセシリアを戦闘不能に追い込んでしまうのではなかっただろうか。あの2人が易々と負けるイメージが湧かないが、鈴が危険な目に遭うかもしれない芽はここで絶っておいた方がいいに決まってる。

 

「一夏にその気がないのに、一方的に攻撃して勝った気になるつもりか?」

「何?」

 

 俺は立場を変え、ラウラを挑発し始める。それは無駄な戦闘を避けるため。彼女には月末のタッグトーナメントまで大人しくしてもらおう。

 

「だってそうじゃん? 訓練の途中でヘトヘトかもしれない時に攻撃してるだろ? ボーデヴィッヒは万全の状態なのにな」

「あの男の心構えがなっていないだけだ」

「何の心構えだよ。ここはIS学園であって、戦場じゃない」

「お前はここの本当の姿を知らない」

「ああ、知らねえよ。わかりたくもない。銃を使っててもあくまでISは競技だ。そうだと定義されている。たとえ建前でもそこは譲っちゃダメだ」

「平和ボケらしい言い分だな。もっともここの生徒全般に言えることだが」

「戦争ボケよりは“生徒”らしくて俺は好きだけどね」

「お前の好き嫌いなどどうでもいい」

 

 そう。俺ではラウラには届かない。一夏を引き合いに出しても彼女の心は動かない。今の彼女を動かせる要素は“あの人”しかないだろう。

 

「織斑先生はどうなんだろうな」

「何……?」

 

 ラウラが初めて狼狽える。予想通り、織斑先生のことは気になって仕方がないようだ。あとはここから突き崩すのみ。

 

「お前は軍の感覚で教官と呼んでも、織斑先生と呼べと訂正されるだろ? この意味をお前は考えたことがあるか?」

 

 帰ってくるのは沈黙。反論ができなかった彼女の表情は険しい。まだまだ俺は続ける。

 

「お前もわかってるんだろ? 織斑先生はお前のことを軍人ではなく生徒であれと思っている。なのにお前は一夏を一方的に襲うのか? それでお前は何を得られるんだ? ただ失望されるだけだと俺は思うけどね」

「違うっ! 教官は私に失望することなど――」

「人の評価は変わるさ。評価される人自身が変わることもあるし、評価する人が変わったりする。いつまでも昔のままじゃない」

 

 前の世界。たった6畳の部屋を思い出す。俺の世界は初めからあんなに狭かったわけじゃない。昔はもっと広い世界を見ていたはずなんだ。でも、俺は閉じこもった。嫌なことから逃げ出したんだ。

 そんな俺もここでまた広い世界で過ごせている。何が良かったのかは実はよくわかっていない。きっとエウスを持っていることによる安心感……なのかな。

 とりあえず良くも悪くも人は変わる。

 

「ならば私はどうしろと言うのだ! 向かってもこない軟弱者相手に私はどう力を示せばいい?」

 

 力を示せばどうかなる問題ではないことを俺は知っている。しかしそれは俺から教えられることではない。俺にはそれを彼女に伝える術がないのだ。できることはやはり舞台を整えることだけ。

 

「……学校には行事ってものがあるんだよ」

「行事?」

「今月末に学年別タッグトーナメントがある。学年別だと2、3年生の強者とは当たらないから、専用機持ちの誰かと組むであろう一夏は高確率で勝ち残る」

「そうか。その場でなら邪魔も文句も入らないわけだな?」

「ああ。織斑先生もお前の実力を認めるだろうぜ」

「なるほどな。しかし、わざわざ観衆の前で倒させようとは……貴様はあの男の味方ではないのか?」

「別にいいんじゃね? これも一夏のためになるだろうと思ってるし」

 

 こうしてラウラVS鈴&セシリアは回避できそうな方向に修正できた。念のため明日以降は鈴の周りにいた方がいいだろうか。

 ……ってそういえば俺自身がタッグトーナメントをどうするか決めてなかった。早速鈴にアプローチをかけなければいけない。よし、明日は鈴にアタックだ!

 

 

***

 

 

「ごめん、もう決まってるのよ」

「え? いつ? ってか誰?」

 

 翌朝、食堂で会った鈴に早速タッグトーナメントの話を振ってみたが、思いの外事態の進行が早かった。

 

「昨日、あのドイツ娘が乱入してきた後にその話になってさぁ……一夏がデュノアと組むっていうから、つい一夏に約束をさせたのよ」

「約束?」

「約束というよりも賭けになるわね。負けた方が相手の言うことをひとつだけ聞くってさ。絶対に負けたくないから、より確実に勝つためにセシリアと組むことにしたの」

 

 勝利に貪欲な鈴……素敵だ。バランス調整のために専用機持ちは散らばろうとか一切考えないその姿勢は嫌いじゃない。

 それにしても、どこかで聞いたことがある話だった。そういえばラウラに気を取られていたから失念していたが、原作においてタッグトーナメントの前には『優勝したら一夏と付き合える』というデマが出回っていたんだっけ。発端である篠ノ之が一夏と同じ部屋でなかったから今までそんな話は出ていなかったが、きっとこれが同じように広まっていくのだろう。この学園だからあっても不思議じゃない。しかしそれを踏まえても俺はこれを利用したくなった。

 

「じゃあ俺も一枚噛んでいい?」

「別にいいわよ。あんたに中学時代のゲームの対戦成績を思い出させてあげるわ」

「過疎りすぎていつの間にか消えたゲームとISは全然違うものだってことを教えてやるよ」

「え? あれ無くなったの?」

「流行らないものをいつまでも置いておけるわけないからな。いつまでも同じじゃいられないさ」

「……そう、だよね。いつまでも同じじゃ、ないのよね」

 

 俺たちの思い出に関わるものが一つ消えた。その事実を知った鈴はあからさまに暗い表情を見せる。俺も寂しくは思う。だけど、俺は変わって欲しいものもある。この賭けをそのきっかけにしてみたい。俺と鈴の関係を変えたいんだ。

 

「どうした鈴? 過去の栄光が消えて怖じ気づいたか?」

「そんなんじゃないわよ。アンタにはわからないかもしれないけどね」

「くっくっく。いやー、楽しみだなぁ。勝ったら鈴に何を着させよう」

「ちょ!? 着せるってもう内容考えてんの!? 今更ながら身の危険を感じてきたわ!」

「なあ、鈴。一夏には何を着せようか。リクエストを聞こう」

「そうねぇ……っていかんいかん! これ以上アンタに乗せられてたまるもんか!」

 

 先に朝食を食べ終えていた鈴がトレーを持って席を立つ。彼女が不安に思ってることに大体の察しはついてるつもりだ。でも敢えて触れない。俺は明るい彼女が好きだから。俺がしっかりさえしていればいい。また一人にならないよう、もし次の別れがあっても俺が彼女を追いかけていけばいい。

 

「よくわかりませんわね。あなたは本当に鈴さんと付き合いたいのでしょうか?」

「遅いな、セシリア」

 

 鈴が見えなくなってから俺の対面の席にセシリアが座る。

 

「もうタッグトーナメントの件は鈴さんに聞きまして?」

「ああ、一足遅かった。ってかセシリアが鈴の話を断ってくれれば良かったんじゃ――」

「あの賭け……わたくしにもチャンスがあると思いません?」

 

 なんとなくわかった。セシリアは基本的に自分本位なんだ。俺のことよりは自分と一夏のことを優先する。俺を助けてくれるのは、あくまで自分のためになるときだけなんだろう。まあ、今回は結果的に俺の助けになってるんだけどな。

 

「チャンス……ねぇ。本当に勝てるのか?」

「わたくしが一番警戒してるのはあなたですわ。だからこそ鈴さんと組んだと言っても過言ではありません」

「いや、俺は相手が鈴だからって手を抜かねえぞ。むしろ鈴だからこそやりたい」

「無理矢理だけは感心しませんわ。こういうときは日本の警察――いえ、織斑先生に報告しておくべきでしょうか」

「変な受け止め方すんな!」

「冗談はさておき、あなたには大人しくしていて貰いたいのが正直なところです。タッグ戦ですのであなた一人ならば手の打ちようがあるのですが、あなたのパートナーによっては難しいと言わざるを得ません。そういう点では一夏さんがデュノアさんと組むというのは朗報と言えますわね」

 

 確かに訓練機には限界があるから、2人がかりで対策を立てられたら完封される。そこは技術だけで突破することは難しい上に……忘れかけていたが突破できても俺自身が目立ちすぎるという問題がある。流石に訓練機で専用機2機に勝つのは出来すぎだろう。……原作にあったシチュエーションのような気がするけどな。

 

「つまり、すでに俺には勝てる算段だってことか」

「十中八九、わたくしと鈴さんが勝てますわ」

「……なるほどね」

 

 茶碗の中の最後のご飯を口に放り込み、俺は席を立つ。セシリアが言うからには俺単独で彼女らに勝てる見込みは薄そうだ。忘れていけないのは、セシリアが弱くないこと。俺の知っていた彼女とは冷静さが段違いなのが最も厄介なところだ。どうしてこんな変化が起きてるのかは不明だが、実際にそうなのだから受け入れるしかない。

 彼女らに勝つにはパートナー選びは重要だ。テキトーに選ぶと間違いなく勝てない。鈴とセシリア、一夏とシャルルと組んでしまっていたら、残るは……篠ノ之? いや、それほど彼女と打ち解けれてないし、実力の点で見てもテキトーに選んだ人材と変わらない。

 

「選択肢……1人しか残ってないじゃねえか!」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。ある意味で頼みやすいのかもしれない。同じ部屋だし。だが、いけるのか? 個人技は間違いなく信頼できるが、チームとしてやっていけるのか? どうもリスクの方が気になって決めかねる。

 こういうときは脳内シミュレートだ。先に俺がラウラと組まなかった時を想定してみよう。俺が関わらないとすると、おそらくラウラは篠ノ之と組むことになる。原作通りだとすると、1回戦で一夏たちと当たって――あれ?

 

 ダメじゃん!

 タッグトーナメントが中止になるじゃねえか!

 

 VTシステムの存在をすっかり忘れていた。タッグトーナメント優勝の最大の障害はラウラのISの内部に隠されてる。発動を阻止できなければ賭けは無効になる。

 問題はどう止めるかだ。ラウラに直接言ったり、織斑先生に報告するのは却下だ。なぜ俺がそれを知っているのか説明ができない。ただでさえ織斑先生には変な目で見られているのだから、これ以上のボロを出すわけにはいかない。

 思いつく手段は1つしかなかった。それはラウラが一夏とシャルルの2人を同時に相手取らない状況にすること。できるのは当然……俺だけだ。

 

 なんてことはない。

 鈴との賭けを成立させるには、俺がラウラと組む他に道は残されていそうになかった。

 

 一度部屋に戻るとラウラはまだ部屋にいた。

 

「というわけでボーデヴィッヒ。タッグトーナメントだけど、俺と組んでくれないか?」

「順序立てて説明しろ……と言いたいところだが、断る理由はないな。結局は誰と組んでも同じだ。だが、貴様から提案したのだから条件をつけさせてもらう」

「一夏の相手は譲る。むしろ一夏と1対1になれるようお膳立てをしてやるさ」

「わかってるならいい。邪魔さえしなければ構わない」

 

 あっさりと承諾してくれた。ついでにラウラに対する苦手意識も薄れてきたし、順風満帆だな。あとは優勝をかっさらうだけ。俺は次のステージに進んでやる!

 

 

***

 

 

「毎度のことながら、この移動距離はなんとかならんのかね、弾よ」

「俺たちが抗議して受け入れてくれるとは思えんから諦めろ、一夏」

 

 休み時間、俺と一夏は2人並んで廊下を走っている。行き先は男子トイレだ。教職員にすら男性がほとんどいないIS学園において、男子トイレの数は建物の規模と比較して異様に少ない。結果、10分程度の休み時間ではトイレに行くにも移動時間で潰れてしまうのだ。

 

「そういえばシャルルは一緒じゃなくていいのか?」

「へ? 何で?」

「いや、何でって、一夏はこういうとき『連れションといこうぜ!』的な感じで強引に誘おうとするだろ?」

「お前は俺を何だと思ってるんだよ……」

 

 一夏は走りながら肩をすくめるという器用さで答える。俺の発言は流石に冗談だが、やはり一夏は肝心の所が見えてない。

 

「冗談はさておき、シャルルと何かあったのかと思ってな」

「んなっ!?」

 

 わかりやすいな。いつからなのかは不明だが既に一夏はシャルルの本当の性別を知っている。

 

「べ、別に何もねえよ! その……今、シャルルはトイレに行く必要がないだけだろ?」

「まあ、そうだろうな」

 

 これは俺が答えを知っているからこそわかるのか、一夏がボロを出しまくりなのか、判断がつかない。それでも俺は気づかないフリをするべきだろう。こんなどうでもいい話でこの有様なのだから、俺がいるときくらいはフォローもするべきかもな。

 

「教官、あなたがここでの教師で、私が生徒である必要はどこにあるのですか!」

「……またその話か」

 

 不意に、知った声の会話が聞こえてくる。ラウラと織斑先生の声だ。一夏も気づいたようで俺に目だけで合図を送ると壁に張り付く形で盗み聞きを始める。ここで声に出さない辺り、隠密行動が妙に手慣れているなと感心せざるを得ない。

 

「人を教える立場では同じでも、私には“教師”というよりはお前の言う“教官”の方が性に合っている。それはお前の言うとおりだよ、ラウラ」

「ではなぜ――」

「理由があるからだ。ここ、IS学園には私がすべきことがある」

「私には役不足にしか見えません! 今日までIS学園の生徒を観察してきましたが、ISを勘違いしている者ばかりです! どうしてそんな程度の低い者たちのために教官の貴重な時間が使われなければならないのでしょうか……」

「私の時間の使い方は私が決める。それと――お前の言う“程度の低い者”とはどこに居るのだろうな」

「わからないと仰るのでしたら、月末の試合でお答えしたいと思います」

「そうか。楽しみにしている」

 

 ラウラが織斑先生に『なぜIS学園で教師をしているのか?』と問うところだったようだ。ラウラには月末のトーナメントという目標があるために、ここで意見が通らなくても引き下がる。険悪な雰囲気は少ししか感じなかった。

 

「そういえば、ラウラ。色々と迷惑をかけてしまっているな」

「いえ、そんなことはありません」

「ならばいい。引き続き頼むぞ」

「はっ! 私の個人的な主観では教官の思い過ごしと思われますが、ご命令であれば喜んで」

 

 話はそこで終わったようだ。最後のやりとりの意味が良くわからなかったが、これも“変化”なのだろう。織斑先生が“ボーデヴィッヒ”ではなく“ラウラ”と呼んでいるのも、きっとそうなのだ。

 

「千冬姉が名前で呼んでる……?」

「一夏? 怖い顔してどうした」

「……なんでもねえよ。さっさと行こうぜ。授業に間に合わなくなっちまう」

 

 ちっともなんでもない顔はしていなかった。きっと嫉妬でもしてるのだろう、と流しておいた。やれやれだぜ。

 

 

***

 

 

 6月の最終週。やってきたのは勝負の日。この日、俺は告白する勇気を得るために優勝を狙う。振られることはわかっている。だから賭けを利用したい。ただ思いの丈をぶつけて、返事はしないでくれと頼むのだ。彼女への強制も、この程度なら許して欲しい。

 俺は一夏や他の専用機持ちたちとは離れたところで大型モニターを見上げていた。実は俺がラウラと組んだことは誰にも言っていない。訊かれても『当日に適当に合わせられるだろ』と決まっていないことにして受け流していたのだ。

 理由は複数ある。俺が自分からラウラと組んだと知られれば、一夏も鈴も良い顔はしないだろう。嫌がってた俺を本気で心配してくれてたあいつらを裏切った気がしたんだ。他にも、セシリアに少しでも対策を立てられないように、というのもある。わざわざ触れて回るのはリスクだけでメリットが無かったというわけだ。

 トーナメント表が提示された。1回戦最初の試合は“織斑一夏&シャルル・デュノア”VS“五反田弾&ラウラ・ボーデヴィッヒ”。ここまでは想定通り。この1回戦が鬼門だ。事実上の決勝と言っても過言ではない。

 

「さてと……ボーデヴィッヒは先にピットに向かってるだろうから、俺も行くとするか」

 

 一人でトーナメント表を確認したのは質問責め、もしくは同情されることを嫌ったためだ。一夏たちに気づかれる前に試合に臨むべきである。

 

「――やはり、ボーデヴィッヒさんを選びましたか」

 

 試合まで誰とも話すつもりはなかったのに、神出鬼没な英国淑女様はこんなときにも俺の前に姿を現した。

 

「いや、勝手に決められて――」

「ここでその嘘は見苦しいですわね。わたくしの中では既に確信していますので無駄な足掻きですわ」

「そうかい。じゃあ、そうなんだろ」

 

 今までの経験上、俺が何言っても曲がらないことだけは確かだ。彼女の言っていることは事実であるし、負けを認めて肯定する。一夏や鈴に知られるわけでもないしな。

 

「言っておきますが、ボーデヴィッヒさんと組んだからと言ってわたくしたちに勝てるとは思わないでください。わたくしと彼女で1対1となれば、間違いなくわたくしが勝ちますので」

 

 セシリアがラウラに勝つ……? その自信は本当にどこからくるのだろうか。俺の中にあった専用機持ちたちのパワーバランスが信用できなくなってくる。

 

「はいはい。とりあえず先を見すぎて1回戦で足下を掬われないようにな」

「忠告は受け取っておきますわ。1回戦と言えば、わたくしは一夏さんを応援させていただきます。それではご武運を」

 

 セシリアが笑顔で見送ってくれるが、その裏には棘が潜んでいそうだった。今回ばかりは完全に彼女を敵に回している。何も問題はないはずなのだが、無駄に不安な気がしてくる。困ったものだ。

 

 ピットに到着すると既にラウラが準備を終えていた。

 

「良かったな。早速お前の目的を果たせそうで。で、作戦なんだけど」

「いらん。私があの男の相手をする。貴様は優男の相手だ。それ以外にあるか?」

「正しくそう言おうと思ったところだ。あくまで俺たちは一騎打ちをしにいく」

 

 訓練機であるラファール・リヴァイヴを展開する。打鉄とどちらにするか悩んだが、防御よりは拡張領域を優先したかった。訓練機でフル装備にしても相手の手数の方が多いのだから、少しでもその差は埋めておきたい。

 

 

***

 

 

「叩きのめす」

 

 あたかもそれが試合開始の合図であるかのように一夏とラウラは同じ言葉を発した。スタートダッシュ。真っ先に飛び出したのは一夏。イグニッションブーストにより高速で接近してくる一夏に対し、ラウラは避けようともせずに右手をかざす。

 

「停止結界!」

「くっ! やっぱりダメか」

「一夏っ!」

 

 AIC。慣性停止の網に捕らわれた一夏は移動を封じられる。接近戦しかできない白式では致命的な状況となる。間髪を容れずにシャルルがライフルでラウラを牽制することで、一夏は再び自由を取り戻す。

 

「俺を忘れて貰っちゃ困るぜ」

 

 アサルトライフル“ヴェント”を両手にそれぞれ持って撃ちながらシャルルに接近する。シャルルの反応が早くて掠りもしなかったが、しつこく追いすがることで一夏らの戦闘を援護できない距離まで引き離すことには成功した。

 分断成功。おそらくコンビネーションを練習してきただろうから、シャルルは一夏と合流するために俺を落とそうと躍起になってくるはずだ。その起点はやはり……と俺はライフルをしまい、近接ブレードに取り替える。ちょうど同じタイミングでシャルルは反転し、ブレードで斬りかかってきた。互いの二刀が衝突し、鍔迫り合う。

 

「話には聞いていたけど、僕と同じくらいの高速切替(ラピッドスイッチ)みたいだね」

「褒め言葉として受け取っておく」

 

 とは言いながらも内心ではシャルルの自画自賛にしか聞こえていなかった。何故ならば俺のラピッドスイッチはウサ耳をつけた女神様に与えられたものだ。おまけと言っていたが最高のものを与えられたはずである。シャルルのラピッドスイッチはそれに並ぶということだ。それは俺を戦慄させるのには十分な事実である。

 シャルル側から鍔迫り合いを拒否し、離れてライフルを向けてくる。俺も同時にライフルを向けてトリガーを引いた。接近する弾丸を避けるには推進機に無茶をさせなければいけないタイミング。俺は即座に盾を召還して防ぐと、反対側でも同じ光景が広がっていた。まるでそれは鏡で映したかのよう……。

 厄介な相手だ。一つ一つのパワーは小さくても、勝てる状況に操縦者が持っていく。今の俺とやっていることが同じなのだ。一夏やセシリアのように特化している場合は、有利な状況を一度作り出せれば勝ちにまで持っていけるのだが、シャルルが相手では攻めきれない。

 

 ……待てよ? 攻めきれなくても、俺の役割は時間稼ぎだ。シャルルが一夏の援軍にさえ行かなければ、ラウラの勝利は堅い。むしろ真っ向勝負をしていた場合はもう決着がついてるくらい短期戦でもおかしくない。きっと一夏は今頃時間を稼ぐために逃げ回っていることだろう。

 

 シャルルと剣を合わせては距離を置き、銃に持ち替えて互いに撃ち合う。そのどれもが致命打どころかシールドエネルギーを削ることすらできていない。それでいい。時間が経てば経つほど、追いつめられるのはシャルルの方なのだから。

 

 そのはずなのに違和感があった。

 変幻自在に戦術を変えられるシャルルが同じことを繰り返しているだけのように思えてきたのだ。

 シャルルの顔には焦りが見えない。それが逆に、俺の焦りを生み出している。

 

「おいおい、シャルル。一夏を放っておいていいのか?」

「そのまま返すよ、五反田くん。ボーデヴィッヒさんを放っておいて良かったのかな?」

 

 ようやく違和感の正体に気がついた。時間を稼ごうとしていたのは俺だけじゃなく、シャルルもだったのだ。俺はシャルルの思惑通りに演舞をしていただけということになる。

 だが、なぜそうする? 一夏がラウラに勝てるわけがない。さっきもAICで止められ……

 

「しまった!? そういうことか!」

 

 試合開始直後の突撃から既にアイツらの作戦は始まっていたんだ。俺の思い描いた試合の流れは全て『一夏1人ではラウラに勝てない』ことが前提にある。でも、それがこの世界での事実なのか? 俺は一度も検討していないのだ。今の一夏の実力を。

 

「くそおおおお!」

 

 悔しさで溢れた雄叫びが響きわたる。声の主は一夏ではなく、ラウラだった。

 

「まさか……斬ったのか? 見えない網を……」

「向こうは決着がついたみたいだね。ここからは2対1になるけど、まだ続ける?」

 

 勝利を確信しているシャルルが俺に通告をしてくる。俺は一縷の望みをかけてラウラの様子を見ていた。一夏がひとりでラウラを倒すくらいの変化が起きているのだ。もしかしたらVTシステムは発動しないかもしれない。

 

 ――しかしそれは希望的観測に過ぎなく、

 

「ああああああ――!!!」

 

 黒のISがドロドロに溶け、ラウラの体を包み込んでいく。すっぽりと彼女を飲み込んだそれはやがて女性を象り、右手には一振りの刀が握られていた。

 

 VTシステムが、発動した。

 

「ふざけんなっ!」

 

 形状の意味を即座に把握した一夏はがむしゃらに突っ込む。しかし一刀の元に斬り捨てられるだけ。それまでのダメージもあったのだろうが、ただの一撃で白式は戦闘不能に追い込まれていた。

 

「一夏っ!」

 

 シャルルが俺に背を向けて一夏の元へと急ぐ。もう試合どころではないのは周知の事実だ。非常事態を宣言するアナウンスが流れ、客席は避難でごった返している。

 

 もう、この大会に勝者は出ない。ただ俺の敗北だけは確かに存在した。

 

 俺は一夏の元へと駆けつける。きっと一夏は自分で始末をつけたがるだろう。敗北した俺は、素直にそれに応じるとしよう。

 

「一夏。俺の手は必要か?」

「いや、シャルルにエネルギーを貰ったところだ。一人でやれる! いや、やらせてくれ!」

「わかった。シャルルは俺が守っててやるから、思う存分にやってこい」

 

 拳を合わせる。この戦いは一夏の我が儘だ。だが、それで大丈夫だと思っている。変化ばかりが起きているのに原作知識とやらを信頼できるのかと問われれば返事はノーだ。つまり、俺が大丈夫だと思える理由はきっと、原作知識なんかじゃない。

 

 黒いブリュンヒルデはアリーナの中央に佇んでいる。それに向かって一夏は再び駆けだした――。

 

 

***

 

 

「あーあ……折角優勝のために仕上げてきてたのになぁ」

「まあまあ、鈴さん。あのような事故があって、皆さんが無事だったのですから良しとしましょう」

「セシリア、アンタはあたしらの賭けが潰れたらそれで良かったとか思ってたでしょ?」

「あら? 何のことですの? 別に鈴さんが『あたしと付き合いなさい!』と一夏さんに言ったところでわたくしは何も困りませんわ」

「そ、そんなこと言わないもん!」

「そうですか。まあ、鈴さんですから言えなくて当然と言ったところでしょう」

「どういう意味よォ!」

 

 トーナメントは中止。俺たちの賭けはとりあえずお預けとなった。こういった行事でもないと賭けは盛り上がらない。きっと鈴ならばそう言うだろうから、リベンジは当分先の話になりそうだ。

 

「2人とも楽しそうなところに水を差すようで悪いけど、一夏の近くに行かなくていいの?」

 

 ペアの組み合わせが決まってからというもの、鈴とセシリアは必要以上に一夏の傍にいようとしなかった。てっきり終わったら反動が来るものだと思っていたのだが、違うらしい。

 

「いいのよ。あんな良くわからない相手にわざわざ一人で突っ込むようなバカだから、さっき1発ひっぱたいておいたわ」

「そういえば鈴さん。一緒に戦えたのに見てるだけだった人がそこにいますわよ?」

「セシリア!? 余計なことは言うな――ぎゃあああ!」

 

 後頭部に痛みを感じたと思ったら、俺は床にキスしていた。鮮やかすぎる回し蹴りだったぜ。中々のダメージだが、気力で起きあがる。

 

「なんでアンタも一緒に戦ってあげなかったのよ」

「いや、一夏が1人でやりたいって駄々こねるからさ。ほら、織斑先生関係っぽいし」

「やっぱりあれって千冬さんみたいだったわよね」

「ああ。下手に手を出したら、俺が一夏に斬られそうだったんだよ」

 

 本音を言えば、下手に関わりたくないのはラウラの方だ。俺はあくまで舞台を整えるだけにしなければややこしいことになる。だから、俺は一夏1人に任せた。もちろん、やばそうだったら援護するつもりだったけれど、その必要なく一夏は勝利してみせたのだ。きっとゴーレムも俺がいなければどうにかしていたんだろう。俺と違って女神様の恩恵はないのにだ。

 

「……一夏って何なんだろうな」

「何か仰いまして?」

「なんでもない」

 

 自然と呟いた言葉の真意は俺自身も良くわかっていない。嫉妬で片づく感情とも思えなかったんだ。

 

 

***

 

 

 翌日の放課後、俺は部屋の荷物をまとめた。つまりはラウラの部屋を出るということである。次の行き先はもちろん一夏の部屋だ。織斑先生に抗議しても変わらなかった事柄があっさりと決まった理由は当然、シャルルが本当の性別をカミングアウトしたからである。最初の頃はラウラの観察してくる目がきつかっただけだから、現在はそれほど苦になっていなかったりするのだが、やはり一夏と同じ部屋の方が落ち着く。

 約3週間ぶりに帰ってきた。一夏は今日も特訓に勤しんでいるはずなので実感を得るのはもう少し時間が経ってからになる。

 

「ここが嫁の部屋か」

 

 ついでにこんなのが居ては全然帰ってきた気がしない。

 

「ボーデヴィッヒ……どうしてお前がここに居るんだ?」

「相変わらず五反田はおかしなことを言う。ここは私の嫁の部屋だぞ? 私が居ても不自然ではない」

「うん、非常識だからね。今度ばかりはお前がおかしいからね」

「気を利かせて部屋を出ていってくれてもいいのだぞ?」

「何、その理不尽!? ここは俺の安息の地なんだ! これ以上お前にひっかき回されてたまるか! とっとと出てけ!」

 

 強引にラウラを外に追い出す。暴れずに素直に出て行ってくれたところを見るに一応は冗談だったのだろう。

 ……そうであってくれ、とただ祈るばかりだった。


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