借り物の力   作:ジベた

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04 「アンタで良かった」

 俺がクラス代表になってから数日が過ぎた。心地よかった風も収まり始め、日に日に日差しが強くなってくるのを感じる4月末。1週間のうち、ISの実習時間が占める割合が増え始めて気が楽になってきていた。

 

「連続墜落記録、更新おめでとう、一夏」

「めでたくねえよ! 誰が好き好んでグラウンドにクレーターを作るって言うんだ!」

 

 2人しかいないガランとした更衣室で制服に着替えながら一夏をからかっておく。

 5度目となる本日の実習でも一夏はグラウンドに激突した。1度目に全員の前でやらされて以来、1授業に1回は地面に大穴を空けている。武装を使わない訓練を、アリーナの外で行う理由が見えてきたかもしれない。

 

「そういや、弾は一度もやらかしてないよな。なんかコツでもあるのか?」

「悪い。感覚でやってるから言葉にはできねえ」

 

 今の俺にとって当たり前になっているから、どうすれば良くなるかという過程の話は一切できない。その辺に関してはセシリアにでも訊いて欲しい。

 そんなことより、

 

「一夏、あれからどうだ?」

「あれって? 急に何の話だ?」

「例の幼なじみのことだよ。6年だか7年ぶりに会った彼女。ちゃんと溝は埋まったか?」

「ああ、箒のことか。相も変わらず男勝りな武士って感じだけど、グッと綺麗になったな」

「特に?」

「胸の成長が著し――って何言わせてんだよ!」

 

 お前が勝手に言っただけだ。俺は悪くない。

 

「この間、一夏の試合を見ていた彼女を見る限りでは仲直りは上手くいったと思ったんだが、実際のところはどうなんだ?」

「特に何かをしたってわけじゃないんだけどな。昔と同じように剣道をしただけだし、最初から仲違いなんて無かったってことだ。たぶん、昔よりでかくなった俺に、人見知りが発動してただけだろ」

 

 それが7年の溝なんだが、無事に埋まったようで何よりだ。俺がいることによって同室にならなかったことが、あの子にとってどれだけマイナスになっているかと心配したが、むしろある程度の距離があることで一夏の関心があの子に向いているとも言える。結果オーライだな。もちろん俺にとって。

 

「それでさ、弾。ちょっと相談があるんだが」

「改まって、どうした? いつものお前なら遠慮なく話すだろうに」

「いや……箒のことなんだけど、このままじゃマズいと思ってるんだ」

 

 なるほど。自分のことじゃないから一夏らしくない相談の切り出し方になったわけだな。一夏のこの悩みは俺が介入しなくても発生していたものである。そういえば昼飯時にクラスの女子に食事に誘われたときに彼女の方へ行ったきり戻ってこないことがあった。あれも彼女が一夏以外の人間と関わることを拒んだためだったのだろう。

 

「箒はさ、俺となら話すんだけど、クラスの他の誰かと話してる姿って見かけないだろ?」

「そうだな。俺はクラスのほぼ全員と話したことがあるが、篠ノ之とだけは話したことがない」

「だろ? だからお前にも協力して欲しいんだが――」

「いや、俺は特別に怖がられてるんじゃねーか? 俺と一緒にいるときは、篠ノ之が一夏に近づいて来たことないだろ?」

 

 一夏がアゴに手を当てて「うーむ……」と首をひねる。とりあえず簡単に代案を言っておくことにしよう。

 

「俺が思うに、いきなり俺というのはハードルが高いんだよ。誰か他の女子からの方がいいんじゃないか?」

「他って誰がいいんだ? のほほんさんにすら素っ気ない返事しか返さなかったんだぞ?」

「マジか……」

 

 のほほんさんでもダメだったか。あのオーラに対しても心を閉ざす篠ノ之の鉄壁を舐めてはいけないようだ。

 やはりこちらからこじ開けるよりは向こうから出てきてもらう必要がある。篠ノ之が自分から関わらざるを得ない相手というと……

 

「ああ! いい方法があった!」

 

 思わずガッツポーズを取る俺。思いついたと言うよりは思い出したと言った方が近い。一夏は黙って俺の次の言葉を待っていた。

 

「今日の放課後から毎日、セシリアにISの機動について教えてもらえ」

「はっ? そこで何でセシリアが? 確かに時間があるときに見てもらう約束はしたけどさ」

「無理を言って毎日にしてもらえ。理由は『もう墜落したくない』とかでいい。たぶんお前がお願いすればセシリアはOKを出すはず。そしてしばらくの間、篠ノ之との剣道は禁止だ」

 

 もしかしたら荒療治かもしれない。だが、篠ノ之が本当に一夏と一緒にいたいなら、セシリアに関わらざるを得ないはずだ。感情は嫉妬でもいい。それでも、無関心よりはずっと前に進んでいるはずだから。

 一夏も俺の言いたいことを理解してくれたようだ。こいつが嫉妬あたりまで理解してくれているのかは知らんが、今はその件は放置しておこう。

 

「まずはセシリアと仲良くさせようってことだな。わかったよ」

 

 やっぱりわかってないのかもしれない。でも、まあいいだろう。

 

「悪いが俺はつき合えない。俺が居ると篠ノ之が諦めるかもしれないからな」

「わかった。また放課後は別行動だな」

「元々俺は訓練機を借りなきゃ放課後の練習はできないから気にするな。お前は墜落しなくなることでも考えてればいい」

 

 制服に着替え終わり、更衣室を出ていく。一夏の頭の中では早速今日の行動のシミュレートでもしているのだろう。

 俺はというと、実は篠ノ之が結果的にどうなろうとあまり関係はない。ただこの時期に一夏が忙しいことが重要だった。

 

 そろそろ鈴がやって来るはずだから、念を入れておきたかったのだ。

 

 

***

 

 

「あ、五反田くん! 今日の放課後は暇?」

「ごめんよ、相川さん。放課後は外せない用事があるんだ」

「そっかー。ISの練習を見てもらいたかったのに……」

 

 廊下でばったりと会ったクラスメイトの相川さんに対して顔の前で右手を立てて謝る。あからさまに肩を落とす姿に申し訳なく思うが、外せないものは外せない。

 

「ねぇ、五反田くんって最近放課後に何してるの? 織斑くんとも一緒にいないみたいだし」

「ミステリアスな男って、魅力的だろ?」

 

 前髪をファサッと上げてみる。

 ……ちくしょう! 腹を抱えて全力で笑うなっ!

 

「ごめんごめん。じゃあ、また今度頼むよ」

「ああ。こっちこそ悪いね、本当に」

 

 最後に手を振って相川さんと別れた。こうして声をかけられるのは何人目だっただろうか。

 

 あのセシリアとの試合の結果、俺は思惑通り1組の代表となった。ただし、ビギナーズラックと呼ぶにはほど遠く、俺の実力としてクラス全員に示す結果となってしまった。代表となることに反対が無かったことはいいのだが、あれ以来、織斑先生が俺を見る目が厳しくなった気がする。世界最強にして、天災の親友としては何か思うことがあったのかもしれない。

 それで、クラスの女子には今日の相川さんのようにISの練習を見てくれとやってくるようになった。正直なところ頼られるのはいい気分なんだが、教えることができないってところが問題だ。最初のうちははっきりと伝えていたのだが、彼女らはとりあえず俺と話がしたいだけだと悟り、時間が合えば適当に付き合うことにしている。

 しかし、今週は全て断っている。理由は単純で、そろそろ鈴が帰ってくる頃だからだ。誰か女子と2人で居るところに鈴とはち合わせるのは避けたい。ただその一心でクラスメイトの誘いを断り続けているのだ!

 

 ……さてと、後は適当に学園内をぶらつくとするか。そのうち鈴と会えると信じるしかない。

 

 

 IS学園の敷地は広い。同じところを回らずして、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。歩く度に視線を感じていたが、今は周りに人が見えない。それもそのはずで、夜の正面ゲートなんかに警備員以外が居るとは思えない。

 

「……そろそろ寮に戻るかな」

 

 いい加減、出歩くのも不自然な時間だ。今日でもなかったと諦めて俺は踵を返した。

 

 そのときである。

 

「だからまず本校舎はどこにあるのよ! 地図くらい付けときなさい!」

 

 明らかに苛立っているであろう少女の大きな独り言が、静かだった暗闇を一時ながらも支配していた。少なくとも今の俺の耳にはその声しか届いていなく、俺の目は目的の人物を見つけようと瞳孔を開く。辺りを見回すと身の丈と比べて大きなボストンバッグを持った小柄な少女がこちらに向かって歩いてきていた。

 

「あの、すみませーん!」

 

 黒のツインテールを揺らしながら駆けてくる少女。俺はにやけそうになるのを堪えて、あくまでも偶然ここに居たように装う。わざとらしく目を見開いて彼女の名を呼んだ。

 

「鈴? 鈴なのか!?」

「あ、弾じゃない! 最初に会ったのがアンタで良かった」

 

 最初に会ったのが俺で良かった。この一言だけでも、俺がこの世界に来た価値があると言っても過言ではない。と、心の中で感涙にむせぶ。

 とりあえず鈴に向けて右手を差し出しながら問いかける。

 

「どうして鈴がここに居るんだ? ってそれよりもお前、連絡先変わったろ? ちっとも連絡が取れなくて困ったぜ」

「その辺の話は長くなるから追々ね。あたしの方もビックリしたわよ。アンタと一夏が揃って世界初の男性IS操縦者だなんてニュースが流れたんだから」

 

 細かい話はまた後で、と言う鈴からボストンバッグを受け取る。さて、早速鈴を案内していくか。

 

「理由はさっぱりだけどな。ところで、鈴はこれからIS学園に転入するんだろ? 案内するけど、まずはどこに行くんだ?」

「えと……本校舎1階総合事務受付ってところ。こんな時間だけど開いてる?」

 

 上着のポケットから取り出したくしゃくしゃになった紙を広げて目的地を告げる。腕時計を見たところ、現時刻は19時半くらい……

 

「たぶん20時まで大丈夫だ。今から行けば間に合うだろ」

 

 俺が先に歩き出すと鈴は駆け足で隣に並んでくる。こうして鈴が隣にいるのは1年ぶりなのだが、俺はつい昨日のことのように思い出していた。やっぱりこうでないとこの世界に来た意味がないぜ。

 隣を歩く鈴が俺の顔を見上げて口を開く。

 

「ねぇ、アンタはちゃんとここでやっていけてる?」

「お? 心配してくれてんの? こいつは嬉しいや」

「3割くらいはね」

 

 残りの7割は何なんだろうね。とりあえず上げて落とされるとキツイよ、何事も……。

 

「実際さ、アンタと一夏が2人でいたら周りのことなんてそんなに関係ないでしょ? 昔から周りに合わせるなんてことしてなかったし」

「……そう、かもな」

 

 鈴の言うとおりなのかもしれない。俺も最初に“この世界”に来たときは不安もあった。一人で違う環境に行くというのは、怖い。だけど一夏という友人ができた。最初こそ“弾の友人”であった一夏だが、今では俺の友人だ。その一夏も一緒だったからIS学園に来ることに何も躊躇いは感じなかったんだな。

 ……まあ、鈴が来ることがわかってたってのもあるけど。

 

「でさ、今一夏、は……」

 

 ここで唐突に鈴の声から勢いが無くなる。足まで止めて俺の方でない明後日の方向を向いていた。俺もつられて同じ方向を見る。そこには第2アリーナの入り口があり、今まさに誰かが出てくるところだった。男女の2人組である。もちろんアリーナを出入りするような男なんて俺の他には1人しか居ないわけで……

 

「いち……か?」

 

 一夏と篠ノ之のツーショットを鈴に見せつける形となってしまった。セシリアも一緒だと思ったのだが今はいないようで、2人はこちらに気づくことなく笑い合って寮へと帰っていく。

 鈴は信じられないものを見るような目を一夏たちに向けていた。その胸中を計ると、俺自身も動揺を隠せない。

 

 既に、一夏だけに向いているのか? 鈴……。

 

「何なのよ……」

 

 鈴の小さな呟きには、袖を引かれたことでようやく気づくことができた。

 

「誰よ! あの子! なんであんな親しそうなの!?」

「あー、とな。鈴も聞いたことあるだろ? 一夏が俺たちと会う前に親しかった幼なじみなんだよ、彼女――ってうわぁ!」

 

 説明は半ばで遮られ、襟を掴まれる。結構な体格差があるのに、完全に俺の方が圧倒されていた。

 

「そんなことはどうでもいいの! なんで2人っきりなのかってことよ!」

「それはわからねえけど、一夏にとって彼女はある意味で特別なんだろうさ――説明するから、まずは落ち着いてくれぇ!」

 

 襟を掴まれたまま激しく揺さぶられて脳内がシェイクされる。体感時間で1分ほど経過してから俺の襟は解放された。

 

 ぐったりとしながらも改めて篠ノ之について説明する。時間がないので手短にしたから、篠ノ之がどういう人間なのかということと、一夏が俺に相談してきた内容の2つだけとなった。

 

「へぇ。つまりは一夏のお人好しが発動しただけなのね?」

「それは一夏にしかわからねえだろうよ。もしかしたら一夏にもわかってないのかもしれんが」

「どっちにしろ、あたしがすべきことは1つね。弾、アンタも協力しなさいよ」

「は? 鈴、今の俺の話は聞いて――」

「アンタが怖がられてるってのは、単なる憶測でしょ? そもそも手加減なんていらないわ。殻があるのなら、思い切りぶち破ってしまえばいいと思わない?」

 

 俺の話を聞いて鈴の機嫌は若干回復したようだ。一夏が篠ノ之を気にする理由は彼女のコミュ障にあると結論づけた鈴は、自分が仲良くなることで一夏の中の理由を消し去ろうとしている。しかし、そんな思惑であの篠ノ之が心を開くとは思えないけどな。

 

 それにしても、今の鈴を見ると、フラグは“俺たち”でなく“一夏個人”に立ってたのだと思い知らされる。一体、俺と一夏のどこに差があったのだろうか。

 

「弾! とりあえず手続きを先に済ませたいんだけど!」

「はいはい。今、案内するから……」

 

 俺の失意を知らずか、鈴はなかなか動こうとしなかった俺の背を押し始める。観念して歩き始めた俺の足取りは、若干堅いものとなっていた。

 

 

***

 

 

 鈴を本校舎の事務に案内すると『また明日ね』とウィンク付きで言われて、俺は素直に自室へと戻ることとした。食い下がるのは変だし、何よりノックアウトされた俺は気づいたときには一人で廊下に立ち尽くしていたのだった。嬉しさと悲しさが入り交じった今日の出来事は、筆舌に尽くし難い胸中を作り上げるのに十分だな。

 

「おかえり、弾」

「……ああ」

 

 先に部屋に戻っていた一夏に出迎えられるも、生返事だけして俺は自分のベッドにまでとぼとぼと歩いた。

 もう、今日は休もう。色々と疲れた俺の本日のゴールは目の前にあり、後は正面にダイブするだけだ。倒れ込んだ体を押し返すベッドマットの反発力が心地よい。

 

「おい、弾。何かあったのか?」

 

 あからさまな態度を見せていたため、流石の一夏でも俺に何かがあったことは気づけたようだ。と思ったがよく考えたら、割と一夏は恋愛以外には良く気がつく男だったな。

 俺は右頬をシーツに押しつけたまま、眼球だけを動かして一夏の姿を捉える。特に後ろめたいことでもないし、素直に話すことにしよう。

 

「今日、鈴に会ったんだ」

「え? どこでだ!?」

「落ち着けよ。IS学園以外にあり得ないだろ? どうも編入するらしいな。中国の代表候補生として……」

 

 話し始めたら少し気が楽になってきた。この際だからもっと突っ込んだ話もしようかなと、起きあがってからベッドに腰掛ける体勢になる。一夏はまだ混乱しているのか、頭を押さえてウンウンと唸っている。

 

「鈴が代表候補生? 代表候補生ってセシリアみたいに何年も訓練して、ようやくなれるものじゃないのか? というかどうしてISなんかに……? 中学時代には欠片も興味なかっただろ?」

「そこまではまだ聞けてない。とりあえず明日には学校の方で会えるだろうから、そのときに鈴の口からじっくりと聞こうぜ」

 

 明日になってから、という保留の提案に対し「あ、ああ」と言う一夏はとりあえず混乱から回復できたようだ。今ならまともに会話になると判断し、早速俺が聞きたいことをぶつけてみる。

 

「ところで一夏。お前ってさ……鈴が中国に行くときになんか約束とかしたか?」

 

 昔に通り過ぎていたと思っていた、俺にとっての障害。“酢豚”の2文字で表せるそれが、もし実現していたら既に俺の入る余地がないほどのイベントだ。鈴が転校のことを俺たちに告げた日から、俺は尾行までして一夏から目を離すことはしなかった。約束はしてなかったはず――

 

「そんな覚えはないけどな……『また会おうぜ』って言ったくらいのはず」

 

 それくらいなら俺も鈴と言葉を交わしていたから問題ではない。俺が例の約束を問題視しているのは鈴にとっての告白のはずだからである。そんな事実はないのだ、と胸を撫で下ろした。

 

 ……本当に、そうか? 一夏だぞ?

 

 『1年前の約束をコイツが覚えているか?』と聞かれれば、『50%くらいか?』としか返せない。念には念を入れて、聞き方を変えてみる。

 

「酢豚……で何か思い出さないか?」

「はぁ? 酢豚っていったら、鈴の作ったくそ甘いアレのことか? 青い顔してたら『いつか旨いって言わせてやるんだから!』って激昂してたのは覚えてるよ。でも、それってお前も一緒に居たよなぁ」

「そうだな。それは置いといて、だ。他には心当たりは無いか?」

「……結局、2回目は食ってねえし、何も無いな」

 

 ここまで言って何も出てこないってことは本当に無かったようだ。もし『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』なんて言われてたらピンと来てるはずだし。

 考えられる可能性は他の言葉ってことだが、これ以上一夏からは引き出せない。単刀直入に聞く方法も考えられるかもしれないが、一夏が鈴を意識してしまうリスクを踏まえると、今やるべきことではない。

 

「鈴に何か言われたのか?」

「いいや。大した話はできてないさ」

 

 既に一夏は不審そうに俺を見ている。話を逸らすには……今の一夏の関心事を使うべきか。何も言わなくても明日には鈴が来るだろうし、言っておこう。

 

「そうそう、篠ノ之の件なんだがな」

「ん? お前に言われたとおりセシリアと練習始めたら、こっちに顔を出すようになったぞ? でも何故かセシリアに食ってかかるんだよなぁ。本当にこれで大丈夫なのかよ」

「それは想定内だ。少なくとも無視しないだけ進歩してるだろ?」

「そうかもしれないけど……箒が嫌われたら元も子もないぞ」

「嫌いから好きになることもあるさ。まずは無関心から脱出しよう。で、実は鈴にもこの話をしていてだな」

「鈴に? そっか! アイツならなんとかしてくれるかも!」

 

 ガッツポーズを取る一夏。この様子だと俺のことから関心を逸らすのに十分だったようだ。

 しかし、この喜び様はやはり篠ノ之の存在が一夏の中で大きいことを示しているのかもしれない。俺にとっては良いことのはずなのだが……鈴の『誰よ、あの子!』という叫びが頭を離れない。浮かれる一夏とは対照的に、俺の心は沈み気味だった。

 

 ……はぁ。明日はどうなることやら。

 

 

***

 

 

 翌朝、俺と一夏の2人で並んで登校すると、既に来ていたクラスメイトたちがいつもよりザワザワしていた。早速一夏がその輪の中に入っていく。ナチュラルに女子の集団の中に割っていく姿を見ると、コイツはスゲー奴だなと改めて思う。

 

「何か面白いことでもあるの?」

「あ、織斑くんと五反田くん、おはよー。2人は転校生の噂はもう聞いた?」

「転入ってことは代表候補生かな? たぶん心当たりがある」

 

 一夏の推測通り、十中八九、鈴のことだ。流石は全寮制のIS学園。昨夜の情報が回るのが早すぎるぜ。

 

「確かに中国の代表候補生って聞いてるけど……織斑くんってそんなところにも人脈があるの!?」

「違うわよ! ツッコミどころはそこじゃない! 織斑くんが『転校生=代表候補生』の図式を知ってるのが異常なのよ!」

「えっ――!? 俺ってクラスでどんな扱いなの!?」

「諦めて受け入れろ、一夏。お前が入学初日に作り上げたイメージはそうそう崩れない」

 

 一夏の肩に手を置き、大げさにため息を吐いておく。クラスメイトが驚くのも無理はなくて、今の一夏の返答は転入に関する知識が無いとできないものだ。昨日、俺から鈴の話を聞いているだけとは思えない回答に俺も驚いてる。“代表候補生”自体を知らなかった一夏が、転入の条件に『国の推薦』があることを知っていると思う人間がどれほどいるのだろうか。

 

「皆さん、いつまでも一夏さんを残念な子扱いするのはやめておきませんか? 人は立ち止まることもありますが、基本的には前に進むものです。そうですわね、一夏さん?」

 

 おっと、ここでセシリアのお出ましだ。いつものカッコイイポーズに揺るぎがなく、その上で輪の中に自然に入ってきている。ちなみに“セシリア嬢”と声に出して呼んだら本気で嫌がられたので今では普通に“セシリア”と呼ぶことにしていたりする。

 

「そっか、セシリアが一夏に教えてたのか」

「偶然にそういう話題になったからですわ、弾さん。今IS学園にいる代表候補生についてと、新しく代表候補生がくる可能性について一夏さんが知りたがっていましたので」

 

 へぇ、そうなのか。どういう経緯で一夏がそんなものを知りたがったのかは知らないけど、真面目になったものだな。当の一夏はと言うと、触れて欲しくなかった話題だったのか、口元で人差し指を立ててしゃべらないでくれアピールをしていた。まだ何かありそうだ。別に無理に聞き出そうとは思わないけど、なんとなく予想はつく。俺に隠れて強くなろうと特訓でもしているのだろう。

 

 

 と、ここで俺たちの会話は、バンッと扉が急に開け放たれた音によって中断させられた。当然、何事かと全員の目がそちらに向く。そこには開け放たれた扉に手を置いて仁王立ちする凰鈴音がいた。

 

 鈴がじーっとこちらを見ている。正確には一夏を見ている。

 

 俺たちは気圧されて誰も声を発しない。もちろん一夏もそうだ。

 

 時間経過により、鈴の眉の角度が吊り上がった。そのまま一夏を見続けている。

 

 俺たちは鈴の目つきが変わった瞬間にビクッと震えた。一夏は今もなお震え続けている。

 

「なんとか言いなさいよっ!」

 

 さて、なぜか始まった根比べは鈴の負けだ。だけど、俺も一夏も負けたようなものだ。どうして久しぶりの再会でこんな不器用なんだろうな。

 鈴が仲間に入れて欲しそうにこちらを見ている。うん、やっぱり俺の負けだ。俺は一夏の襟を掴んで入り口にまで引きずっていき、一夏は抵抗しなかった。鈴の前まで来ると一夏は恐る恐る右手を挙げる。

 

「よ、よう、鈴。元気だったか?」

「え、ええ。一夏は無駄に元気そうね」

 

 ああ、鈴の奴、完全にガッチガチだ。緊張した鈴を俺は初めて見るかもしれん。昨日、俺の前だとあんなに自然体だったってのに……一夏の前だとこれかよ。しかし、鈴はともかく一夏のこの様子は何なんだ? 一夏の耳元で小声で訊いてみる。

 

「なあ、一夏。なんでキョドってるんだ?」

「へ? 鈴、怒ってるんじゃないの? 心当たりは何もないけど」

 

 ああ、怖がってるだけね。確かに初対面のときもいきなり顔面に拳を入れられてたからなぁ……。あれも一夏の中では『心当たりがない』ことなのだろうし。

 

「バカ。鈴は怒ってないから堂々としろって。戸惑ってるだろ?」

 

 またか、と思わざるを得ない。一夏なりに相手のことを考えているのはわかっているんだが、気にしすぎて空回りすることが良くある。決まってそういうときは相手には意図しない感情を与えてきているのがこの男だ。今回もその一つのようで、鈴は頬を紅潮させて一夏を上目遣いで見ている。彼女は一夏も自分を意識してると勘違いしてるんだろうなぁ。……勘違いでなきゃ俺が困るわけだけど。

 

「まさか鈴が代表候補生になってるなんてな。一体どんな裏技を使ったんだ?」

「何言ってんのよ。あたしの実力に決まってるでしょ?」

「賄賂……は無いな。権力も無さそうだ。すると、色仕掛け……いや、これはもっと無理――っ!?」

 

 鈴の胸元を見ての一夏の一言が発された直後、鈴の右手が一瞬で一夏の腹に埋め込まれていた。なんという早業。俺も密かに一夏の脛に蹴りを入れたのだが、周囲の皆にまるで気にされてない。

 

「あの、鈴、さん? 俺が……悪かったです……」

 

 うずくまる一夏に「わかればよろしい」と鈴が大きく頷く。今ばかりは自業自得だと思わせてもらおう。鈴に胸のことを言えばどうなるかなんて、中学時代に嫌ってほど知ったはずだしな。

 

 ……何だ? 何かが引っかかる。このまま中学時代と同じように一夏が謝って失言は水に流すことだろう。だが俺はそのことに何故か違和感を覚えていた。

 

「あの、そろそろわたくしたちにもわかるように説明をお願いできませんか?」

 

 一夏と鈴のやりとりに置いて行かれているセシリアらクラスメイトたちが事情を知ろうと俺を囲んでいた。明らかに初対面でない上に、ただの知り合いでは無さそうだということは一目瞭然だよな。先ほどの違和感は置いといて彼女たちに鈴について話しておくか。

 

「見てて察しはついてるだろうが、鈴は俺たちの中学時代の同級生だ。一夏の失言と鈴の制裁はこれからも良くある光景だろうから慣れて――」

「ちょっと、弾! その紹介じゃ、あたしは暴力キャラじゃないのっ!?」

 

 鈴。別にツッコミはいいけど、それで人を足蹴にしてたら肯定にしかなってないぞ?

 

「ま、いいわ。えーと、あなたたちは一夏たちと同じ1組よね? あたしは2組に転入してきた凰鈴音よ。よろしくね」

「わたくしはセシリア・オルコットですわ。……これからよろしくお願いいたします」

 

 俺から足をどけた鈴はクラスメイトの輪の中心に居たセシリアに手を差し出しながら自己紹介をする。セシリアはそれに応じて握手を交わした。その後、全員と握手をするのかと思って眺めていると、鈴は1歩後ろに下がり、他の女子の顔を見回して告げる。

 

「この中に篠ノ之箒って子、居る?」

 

 目つきがキツイぞ、鈴。どう見ても仲良くなろうとしてる人間には見えない。セシリアにだけ握手をした理由は、間違いなく篠ノ之(日本人)ではない外見だからってことなのだろうか。どうやら昨日は一夏が女子と居たということしか見えてなかったらしい。

 

「篠ノ之さんはまだ来てないですわ。いつも始業のギリギリまで教室には来ませんから」

「そうなんだよなぁ。授業以外でも教室に居る意味はあるって言っても聞かないんだよ、アイツ」

 

 篠ノ之の話題になったところで、一夏が回復して話に加わってきた。

 

「すまないな、鈴。早速朝から箒に会いに来てくれたみたいだけど、タイミング的に千冬姉と同じくらいにしか来ないんだ。また昼に会おうぜ」

「ちょっと一夏!? あたしはわざわざ顔も知らない子に会いに来た訳じゃ――」

「鈴は良い奴だからな。きっと箒と良い友達になってくれる」

 

 鈴を差し置いて勝手に「うんうん」と頷き始める一夏。一夏の誉め言葉で鈴は何も反論できなくなっていた。どう考えても鈴は一夏に会いに来たのに、一夏が勘違いしてる。マズった。このややこしい状況の原因は俺が一夏によけいなことを言ったからに他ならない。

 

「お昼……約束だからね?」

「おう。頼むよ、鈴」

 

 また後で、と鈴は1組の教室を去っていった。何とも言えない微妙な空気だけ残して……。突然やってきて、すぐに去っていった彼女に対してクラスメイトたちは唖然としていただけに終わったと思う。

 

 一夏と俺が鈴のことで質問責めに遭うのは必然だった。それは長時間ではなく、織斑先生がやってくるまでの時間である。先生2人が教室に入ると同時に雑談は一瞬で治まり、各々の席に着く。ただ一つの空白もなく、篠ノ之はいつの間にか教室に来ていたようだった。

 

「さて、本日の授業を始める……前に、来週のクラス代表戦の組み合わせが決まった」

 

 教壇に立つ織斑先生が空間表示ディスプレイにトーナメント表を映し出した。1組の欄にはちゃんと俺の名前、五反田弾と書いてある。だが――

 

 他に知っている名前は一つも無かった。

 

「……どういうこと、だ?」

 

 つい、動揺を口から漏らしてしまった。幸い誰にも聞かれていなかったから良かったものの……。

 

 俺はかなり見通しが甘かったらしい。俺がクラス代表になることの意味を深く考えていなかった。先ほどの違和感の正体もこれだ。鈴に胸のことを言っておいて、一夏があの程度で済んでいることがおかしかったんだ。

 酢豚の約束が無く、一夏がクラス代表でないから、鈴がクラス代表になる理由が無くなった。前段階が無かったために胸のことも本気で怒らなかったんだ。

 

 ああ、俺は……バカだ。なんのためにクラス代表になったんだか……。


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