時が移ること3年。フラグは折れてなんか無かった。
「さぁて! 今日も駅前に行くわよ!」
「へいへい。お供しますよ、姫」
「何言ってんだ、弾。鈴が姫って柄かよ――うごっ!」
放課後になり、いつものように鈴が俺と一夏を外に連れ出そうとする。俺が手提げ鞄を肩に担ぎながら後に続き、一夏がバカを言って殴られるところまでがワンセットだ。
中学2年になるまでの3年間で俺たちは良く3人でつるむようになっていた。ファーストコンタクトこそ最悪だったが、逆に強烈な印象を彼女に与えることに成功したらしい。
「で、鈴。今日はどこ行くんだ?」
「そうねぇ……お金があんまり無いしゲーセンにしよっか」
そっか、ゲーセンか。『お金が少ないからゲーセン』と鈴が言った理由がさっぱりわからないのが普通だろう。でも俺は彼女の言いたいことが手に取るようにわかる。単純に対戦成績の問題だ。
「甘く見るなよ、鈴。俺たちがいつまでも弱いまんまだと思ってたら痛い目に遭うからな!」
「そうだ。特訓の成果、見せてやる!」
「今日は強気みたいね。あたしのこの500円を使い切らせてみなさい!」
――1時間後、ゲーセンにて。
「バカな!? 俺の
「弾も打ち止めか。強すぎだろ、鈴!」
「何よ、2人とも情けないわね。結局あたしが一度も席を立てなかったじゃない」
俺の手持ちの2千円と一夏の千円は格闘ゲームの筐体の中に消えていった。画面に映る相手の連勝数は30。一度も鈴には勝てなかった。ちゃんと練習してたのにな。やはり具体的な対策が必要なのだろうか。頭を抱える俺たちを余所に、筐体の反対側で席を立つ音がする。
「さぁて、今日もしっかり遊んだし帰りましょ!」
「くぅ……一夏、また作戦の練り直しだ!」
「そうだな! 鈴、次は絶対に負けないからな!」
床に置いといた鞄を持って俺と一夏が鈴の元へと行く。鈴は俺たちの顔を見ることなく出口まで歩いていき自動ドアが開いた。俺たちがついてくることを確認するまでもないという信頼の表れだと思っておこう。
……しかし、一夏が挑戦する内容の話をしていたのに反応がなかったのは珍しい。そう思ったのは俺だけではないようで一夏の歩く速さも普段よりワンテンポ速い。
「なぁ、鈴……」
「どうしたの、一夏? そんなに凹んじゃった? たかがゲームじゃない。もっとシャキっとしなさいよ」
俺たち3人は早足で歩く。鈴もなぜか歩調を速めていた。返事はしてくれるが一度もこっちを見てくれない。
「鈴、何か急いでるのか?」
「別に急いでなんか……そ、そうよ! ちょっと見たいテレビがあったのを思い出したの。だから早く帰らないとね!」
理由を口にした直後、鈴の速さはさらに上がる。しかし下手な嘘だ。これは急いでるんじゃない。俺も似たような経験があるからわかるが、逃げてるんだ。でも、何からだ? 向き合いたくない現実がそこにあるということになるはず。
「待て、鈴」
「離しなさいよ!」
一夏が鈴の肩を掴んで止めていた。鈴は振り払おうともがくが一夏の手は離れない。俺は鈴の様子がおかしい心当たりを訊いてみることにする。
「次が……あるんだよな?」
じたばたする鈴の動きが止まった。それは俺の推測を肯定するものだった。彼女は立ち止まったまま俺たちの方へ振り向く。彼女の目はいつもよりも潤んでいる。
「ひどいわ、アンタたち。こんなの、あたしらしくないから見せたくなかったのに……ごめんね」
「どういうことだ?」
鈴が線の細い声で謝る。一夏は突然の鈴の変化に戸惑い、聞き返していた。俺はというと、鈴に何が起きたのかを大体把握できている。
きっと、両親の離婚が決まったんだ。だから次は無い。少なくとも鈴はそう思っている。
一夏の問いに鈴は答えない。彼女はただ足下のアスファルトを見つめ続けるだけ。問いつめたところで彼女の口から語られることはないと思う。だから、俺がすべきことは未来について話すことだけだ。
「次こそはお前に勝つからな。楽しみに待ってろ」
鈴と俺の言葉から真実に感づいたのか、一夏も口を挟む。
「男子3日会わざれば刮目して見よ、ってヤツだ。ギャフンと言わせてやるぜ」
「……そう、ね。まだ最後なんかじゃないよね。うん」
夕焼けから藍色に変わっていく空の下であったが、俺たちの周りは明るくなった気がしていた。
最後じゃない。次は勝つ、と男らしい約束を3人で交わした。
その日を最後にして、鈴は中国へと帰っていくこととなる……。
***
鈴がいなくなってからの中学生活は面白くなかった。一夏と適当に遊び歩いていても物足りなさだけを感じていた。それは俺だけでなく、一夏もそうだったようで、時折誰もいないのに周りを見回したりしていた。俺は鈴が戻ってくることを知っているから、今だけだと自分に言い聞かせられるが一夏はそうではない。こんな俺から一夏にかけられる言葉なんて何もなかった。
そして、あっという間に中学を卒業する。今のところ俺たちの生活ではISという単語に触れることすら稀であった。当然IS学園とは縁もなく、俺は適当に教師の勧める高校を、一夏は本人の希望で藍越学園を受験した。
――そう。一夏の受験の日が終わったのだ。
高校の受験を終えた次の日、実家の食堂を手伝っているとテレビによく知っている顔が映っていた。一夏だ。予想はついているが、一応画面端のテロップを読んでみる。
『世界初の男性IS操縦者を発見!?』
今の俺の顔は鈴に「きもい」と言われそうなくらいニヤついてるだろう。でも、仕方ないだろう? 一夏のニュースは、俺がちゃんと物語に入れているということの証明に思えたんだから。
食器を片づけようとしていた俺は、あまりの嬉しさに手を滑らして食器を落としてしまった。食堂内に陶器の割れる音が響き、当然その音はあの人物にも届く。
「おい、弾。お前、何をやってるんだ?」
「じ、じいちゃん。ごめん、すぐに片づける」
割ってしまった食器を箒とちりとりでさっさと回収する。これは後で正式にお説教が待っていそうだった。はぁ、鬱だ。
「……てめえ、なんで嬉しそうなんだ?」
「そ、そんなことはないって!」
一通り片づけを終え、手伝いを切り上げた俺はすぐに情報を集めてみた。織斑一夏で検索すると思いの外、簡単にヒットする。俺の知識通り、昨日の受験で一夏がやらかしたことが原因らしい。確かに一夏の向かった受験会場である多目的ホールは初見では迷って当然の造りになってるのを俺も身を以て知ってる。しかし、IS学園の受験会場に入ってくのは流石にバカとしか言いようがない。ってか試験官にも問題があったんだろうな。
「それで、一夏はIS学園に入学することが決定……ねぇ」
俺はすぐに携帯を取り出す。5回ほどのコールの後、相手側が出た。
『何だよ、弾。今、俺忙しいんだけど』
「とりあえず『おめでとう』と言っておく」
本当は自分におめでとうと言いたいところだが、一夏で代用しておく。
『あのな、弾。俺は俺で色々と不条理な目に遭ってるんだが――』
「そんなことは知らん。お前はIS学園に入学なんていう、男なら誰もが羨む立場になった。権利に義務は付き物だろ?」
『だからって世の男性から罵声を浴びる義務なんて俺はごめんだぜ?』
「ハハ、そうだな。ま、遠慮なく権利の方を楽しむこった」
『てめっ! 親友を見捨てる気か!』
いつものやりとりはこの辺りでいいか。ここまで言ったことは本音だが、俺が言いたいことは他にもある。少しは一夏の精神的なフォローもしないとな。
「それで、一夏。向こうで上手くやっていけそうか?」
『正直なところ、自信がない。俺はISなんて名前しか知らないド素人だからな。何より、俺しか男がいないってのがきつい』
互いにらしくないなと感じているだろう。一夏がここまでハッキリと弱音を吐くのは珍しいことだった。やはり一夏は望んでいない状況になって戸惑っている。まあ、待ってろ。すぐに俺もそっち側に行ってやる。
「じゃあ、ダメ元で俺もIS適性試験でも受けに行くか」
『無茶言うなよ。ま、気持ちだけでも受け取っとく。おっと、またお客さんだ。じゃ、切るな』
一夏の方から電話が切られる。鈍感で真っ直ぐな心持ちの普通の15歳の少年にとっては、今の急激な状況変化はついて行くのにも必死だろう。一夏の不安はわからないでもない。知識も技量もないのに、兵器紛いのモノを扱わされるのだ。場違いであるのに、注目はされる。一夏はマイナス面にしか目がいっていないのだろう。俺みたいに自ら望んでこの世界に来た人間から見れば女の園というプラス面しか見えないわけだが。
「早速、行動に移るとしようか」
携帯をポケットにしまい、外出用のジャケットを羽織って外に出た。あの自称女神様が俺の要望を叶えてくれたのなら俺はISを動かせるはずだ。
***
「織斑一夏です。よろしくお願いします」
すぐ隣の席で一夏が自己紹介を始める。クラス中の視線は一夏に集まっているが、一夏は次の言葉を発さないまま、俺の方をちらりと見てくる。これは救いを求める目だ。だが今は“自己”紹介であって、俺が助け船を出すのは間違ってる。ここは心を鬼にして無視してやろう。一夏が目だけで「後で覚えてろ」と訴えていたが、そんなことは知らん。
観念した一夏は息を吸い、自分で言葉を絞り出した。
「以上です」
教室中でコント並のズッコケが披露されていた。俺もその一人に加わっている。そうして目を逸らしている間に、スパンっと清々しさを感じさせる音が聞こえてきた。
「ち、千冬姉!?」
「織斑先生、だ。馬鹿者」
もう一度同じ音が教室に響き、一夏が頭を押さえて呻いている。俺はとりあえず合掌して一夏に一礼しておく。
一夏はIS学園では初めて会ったようだが、先ほどから一夏の頭を叩いているスーツ姿の女性が一夏の姉、織斑千冬である。2発目は公私混同はしないという思いの表れだろう。
「お前はまともに挨拶もできんのか」
「や、やるよ。やればいいんだろ?」
その際に、こそっとメモ書きを一夏の左手に握らせてやる。メモといっても、項目を適当に羅列しただけのものだ。それだけでも話しやすくはなるだろう。一夏はちらちらとそれを見ながらも自己紹介を終えていた。
さて、一夏がやらかしてくれた後だし、俺の方は少し気楽になったな。やれやれ。
と、まあ俺も無事ISを起動させてIS学園に入学することとなったわけだ。
――初日の二時間目の休み時間。
俺と一夏がだべっているところに金髪の女子生徒が近寄ってきた。
「ちょっとよろしくて?」
「へ?」
イギリスの代表候補生、セシリア・オルコットだ。具体的にどこの代表候補なのかは知らないが、とりあえずイギリスのはずだ。原作以外ではモデルとしての彼女しか知らない俺にとって、細かい知識はあまりない。
おそらく、一夏は彼女のことを知らない。俺から見て本当に男なのか疑わしいくらい興味なさそうだったからな。
とりあえず、この状況は一夏に任せていて良さそうな雰囲気じゃない。
「なんでしょうか、オルコット嬢。わたくしめに何かご用でも?」
「あなた、わたくしをバカにしてません?」
あれ? 今のでもダメなの!? 対応の仕方がわからん。
それにしても、綺麗な顔で眉をひそめられると精神的に来るものがあるな。
「弾、この子が誰か知ってるのか?」
この野郎。それは彼女のプライドを刺激するだけだぞ。今ほど一夏に黙ってろと思ったことはないが、もう手遅れだ。
「わたくしを知らない? このセシリア・オルコットを? 無知にも程がありますわよ」
俺は小声で一夏に「イギリスの代表候補生だ」と耳打ちをする。だが一夏は俺の意図に反し、
「代表候補生って何だ?」
と辺りに響く音量で訊いて来やがった。なるほど、よくわかった。一般人も知ってる事柄を、一夏も知っていると思ったのが間違いだってな。この有り様では入学前に不安になって当たり前だ。
「信じられない……信じられませんわ! きっとこの人は未開の地からやってきたのですわ。そうに違いありません。でなければここまで知らないこともあり得ないでしょうし、ある意味で一般とは違った進化を遂げた男性なのでしょう。ええ、そうに決まっています」
セシリア嬢がぶつぶつと独り言をし始めてしまった。それだけショックが大きかったんだろう。言いたいことがわかるだけに、彼女がヒドく可哀想に見えてきた。
「あのなぁ! 日本は未開の地なんかじゃねえ!」
一夏。彼女が言いたいのはそういうことじゃないんだ。話が進まないので俺から一夏に説明してやることにする。
「代表候補生ってのは文字通り国家代表の候補生だ。IS版のオリンピックであるモンドグロッソの代表は、その候補生の中から選ばれる。つまり、国家代表の一歩手前に来ている彼女はIS乗りの中でもエリートだってことだ」
「はー。そりゃ凄いな」
一夏にもわかるように説明したつもりだったが、逆に遠い世界に感じてしまったか。本当にわかってくれたのか良くわからない返事しかしてくれない。
「そう、エリートなのですわ!」
おっと、こちらが息を吹き返した。彼女はぴしっと一夏に指を差す。意外と不作法なようだ。
「そのわたくしに声をかけられる幸運をあなたは理解しておいでですか!」
「あ、うん。ラッキーだね」
「……馬鹿にしてますの?」
ああ、セシリア嬢がご立腹だ。しかし何故彼女はわざわざ一夏に突っかかるんだ? なんだかんだで“男性に”いちゃもんを付けに来ただけなのかもしれない。もう一夏に任せるか。もし彼女とくっつけば、鈴と俺がくっつく確率が跳ね上がるし。
一夏とセシリア嬢が口論を始めたところで、俺はそそくさと教室を出ていこうとする。
「お待ちなさい! 通訳が居なくてはお話になりませんわ」
ガシッと力強く肩を掴まれる。脱走は無理だった。というか日本語同士で通訳が要るってどういう状況なんだよ。セシリア嬢側がわからないってのならわからないでもないんだが、一夏に通じていないんだよなぁ。はぁ……。
ため息混じりに一夏の席周辺に戻ろうとしたところで、次の授業開始を告げるチャイムが鳴る。
「おっと。オルコット、生憎だが時間のようだ。織斑先生がくる前に席に着くことが懸命だろうぜ」
「言われなくともわかってますわ」
セシリア嬢は大人しく自分の席へと戻っていった。まだ噛みついてくるかと思っていたが拍子抜けだ。といってもすぐに衝突することになるんだろうけどさ。
全員が席に着くや否や教室の入り口が開けられ、織斑先生が顔を出した。山田先生は後方の入り口から入ってきて教室の最後尾の席に座っている。
「さて、この時間ではISの装備の特性について話す予定だが、その前にだ。このクラスの代表者を決定しようと思う」
そういえばそんなイベントがあったな。今も織斑先生が説明をしているが、クラス代表者は文字通りクラスの代表として生徒間の会議や学内のイベントに参加することになる立場だ。基本的に雑用だから、好き好んでやる人間なんて珍しい部類だろう。かく言う俺もそんな一人だったから良くわかる。誰かがやってくれねえかな、と黙して待つものだ。
だが、ここで引っ込んでいていいわけがない。俺は知ってるんだ。クラス代表にならないと、後からやってくるはずの鈴に近づけない。再び鈴の近くに行くためならどんな障害でも全部突き破ってみせる!
「自薦他薦は問わない。誰か――」
「立候補します!」
織斑先生が言い終えないうちに俺は挙手と起立によって意思を示した。隣の席の一夏が怪訝そうな顔をして俺を横目で見てくる。俺のキャラに反する行動だったが、別に構わねえさ。これも目的のためだ。
「五反田か。他にいないか? ここからは自薦のみ受け付ける。いないなら無投票で当選だ」
皆が辺りの顔を窺っている。手を挙げようとしていた子がいたようだが、織斑先生の一言で下げたのを見る限り他薦だったのだろう。もしかしたらこの流れで一夏が参戦しないかもしれないな。
……まあ、こっちは無理だろうけど。
ただ一人だけ手を垂直に挙げる金髪のイギリス淑女さんだけは、俺が代表になることを良しとするはずがない。
「では、わたくしも立候補します。候補生の立場上、クラス対抗戦に出場するのは気が引けていたのですが男が代表となるのなら話は別ですわ。無様な結果がでるとわかっていて送り出すことなど到底出来そうもありませんし、わたくしが男より下に見られては我が国の威信に関わることです」
うん、この展開はわかってたさ。これは避けられない事態だから甘んじて受け入れる。彼女の発言は俺の知っているものと大きく違っているが、結局は男の実力を認めないということに変わりはない。
「それは聞き捨てならないな」
そして、セシリア嬢の発言に反応する男の声が傍から聞こえてきた。俺以外の男なんて一人しかいない。おいおい、自分から入ってくるのかよ?
「一歩譲って弾が侮辱されるのは構わないが、男全体をバカにすることはこの俺が許さない。大体、お前が俺たちよりも上だという証拠すらないのに、なんでそんなに偉そうなんだ?」
いや、そこは俺も含めてくれよ!? ってか一歩だけかよ! せめて百歩くらいにしてくれ。大体、主人公なら『他の男のことなんてどうでもいいが、ダチを侮辱することだけは許さねえ』くらいのこと言ってのけろよ。
一夏とセシリア嬢が睨みあう。この辺は一夏のフラグ職人たるものだ。スルーできたのにわざわざ人に突っかかっていくんだからな。
「証拠、ですか……。あなたはISよりも先に記憶力を養う努力をした方が良いのではないでしょうか。わたくしの肩書きは決して飾りではありませんわよ?」
「はん! 肩書きだけで全て決まるのなら競技なんて存在する価値が無いだろ?」
俺が口を挟む余地もない。ここまで言い合ったのなら決める手段は一つだけだ。そろそろ織斑先生が締める。
「よし、では実際に試合で優劣を決めることとしよう。代表者選出は今月中でいいから、そうだな……1週間後の月曜の放課後に試合を行うこととする。参加者は織斑、五反田、オルコットの3名。ルールと場所は後で通知する。この話は以上だ。授業を開始する」
さて、試合をすることが決まったわけだし、真面目に勉強するとしますか。女神様とやらは『頭を良くすることは出来ない』って言ってたし、それなりに努力は必要だろう。
***
「お、終わった……頭が破裂するかと思った」
放課後。全力で授業が詰められていた初日が終わりを告げる。明日以降もこれが続くことを思うとさらに頭が痛くなるのだが、きっと一夏は考えてない。触れてやると発狂しかねないので、そっとしておくべきかな。
「一夏。ダウンしてるところ悪いが俺たちは職員室に呼ばれてるだろ? さっさと用件を済ませて来ようぜ」
「そう、だな」
一夏が幽霊みたいにゆらりゆらりと立ち上がる。コイツは意外と知識はある方だとは思うが、考えることだけは苦手なんだよなぁ。ま、難しく考えないことは美点でもあるんだけど。
俺が先導して廊下に出て、職員室の方へと歩く。だが、そこで一夏は逆方向へと歩き出した。
「おい、どうした?」
「悪い、弾。ちょっと急用ができた。先に行っててくれ!」
一夏が廊下を駆けだしていく。向かう先を見やれば、女子にしては背が高めの子がポニーテールを揺らしながら歩く後ろ姿があった。
ああ、なるほど。俺がいたからまだ一夏と彼女はまともに顔を合わせていなかったのか。多分、彼女は一夏の傍に俺がいたら近づくことを遠慮するだろうし、一夏もその辺がわかってるから俺を置いていくことにしたんだろう。俺が一夏を追うのは明らかに無粋だ。
「……早いところ落ち着いてくれると俺は嬉しい限りなんだがな」
独り言を残して俺は職員室へと向かった。
――放課後の職員室。
俺一人が「失礼します」と入っていくと山田先生が出迎えてくれた。俺の姿を確認した後で、俺の後ろを見てから首を捻る。
「えと、一夏は少し遅れます。とりあえず先に話を聞いていいですか?」
「そうなんですか。実は用と言っても部屋の鍵を渡すだけなんですけどね」
一夏がいないことは大して問題でなかったらしく、山田先生は鍵を2つ取り出した。
「鍵って寮の部屋ですよね? 確か2人部屋だった気がするんですが――」
「ええ、そうですよ。織斑くんと五反田くんの部屋を何とか用意できたので今日から使ってくださいね。あと、荷物は既に運び入れてあります」
「そうですか。ありがとうございます。じゃあ、一夏にも伝えておきますので」
山田先生から鍵を受け取り、退室する。運び入れてある荷物ってのは前もって部屋に用意しておいた荷物のことだ。すぐに寮の部屋が用意されることを知っていたからな。
しかし、どう考えても俺と一夏が同室になるな。すると自動的に一夏とあの子が起こすトラブルを回避することになる。まあ、何もかも俺の知ってる物語と一緒になっては面白くないし、これでいいだろう。一応、どのような影響を与えるのかは考えてみないといけないかな。
……どう考えても俺には関係ねえや。
先に部屋に入って荷物を整理しているところで一夏が帰ってきた。
「よっ、遅かったじゃねえか」
「ああ。なんか専用機どうのこうのって話をされてさ。正直ほとんど聞き流してたんだが、とりあえず1週間後の試合には間に合わせるとか言ってた」
間に合わせる……ねぇ。確か本当にギリギリだったはずだぞ。一次移行が済んでいない白式でセシリア嬢と戦うわけだしな。まあ、そんな1週間後の話はどうでもいい。
「そんなことより、さっきは誰を追いかけてったんだ?」
答えのわかっている質問をしてやる。
……さあて、一夏の反応をじっくりと拝んでやりますか。
と思ってニヤつきたいのを堪えていたのだが、どうも一夏の様子がおかしかった。入り口側のベッドに腰掛ける俺の前を素通りしていく横顔には陰りが見える。
「お前に言ってなかったっけ? 俺とお前が会う前に良く一緒にいた幼なじみの話」
「ああ! 剣道の道場の娘って言ってた子か!?」
わざとらしくても今思いついたように装う。俺はその子を一夏の話でしか知らないはずだからな。一夏は「正解だ」とボヤきながら窓側のベッドへとダイブした。
「おいおい。ずっと行方がわからなかった子と再会できて、どうしてそんな暗い顔してんだ? 喜ぶところだろ?」
「会えたのは嬉しいさ。でもな、この場所で再会したことが気がかりなんだ。お前も知ってるとおり、俺はここに来たくて来たわけじゃない。その境遇が俺だけとは限らないだろ? 箒もそうなんじゃないかって思うと、手放しには喜べない」
誰だお前は!? と言いたいところだがここは真面目に聞くところだろう。俺という男によって生じた一夏の変化なのかもしれない。
確かに俺の知識から出てくる答えは“篠ノ之箒は意思とは関係なくIS学園に入学させられている”というものだ。表向きは警護のためだったとは思うが、その実態は人質なんだろうと俺は思ってる。確かに喜べないな。
しかし、それで話が終わってちゃいけないぜ、一夏。
「箒っていうのか。良くは知らんけど、会えて嬉しかったんなら素直にそういう顔してろよ。お前がそんなだから彼女も暗い顔にならざるを得ないんだぜ」
「見てたのか!?」
「いんや、ただの推測だ。どうやら図星みたいだけどな」
俺のテキトーな予想を一夏はベッドから跳ね起きることで肯定した。
変なところで気を回すところが面倒くさい奴だ。お前はもっと単純な奴のはずだろ? きっと相手も素直じゃないから簡単に擦れ違えるだろうな。
――そうなったら俺が困る!
これからのお互いのために、ここは俺が後押しせねば。
「お前はどうしたいんだ? また仲良くやっていきたいとか思っていないのか?」
「どう……なんだろうな。俺、嫌われてそうだし」
一夏が今度はベッドに後ろから倒れ込み、陰鬱な息を吐く。
どんなやりとりがあったのかは知らんが、おそらくは逆だと思うぞ。しかし直接言うわけにもいかない。ならば、これか。
「仮に嫌われてしまっているとして、何か関係あるのか? 最初の印象が悪くても、その後にどうなるかわからないのは身を以て知ってるだろ」
鈴のことだ、と明言するまでもなく一夏には伝わるだろう。考え込んだ一夏に対して俺は別方向から話を続ける。
「お前がどうしたいのかだけじゃない。お前があの子の立場だったらどうしてほしいと思う? 望まぬ場所に一人でやってきた彼女は似た境遇のお前と違って“俺”がいないんだぜ?」
俺はIS学園……IS世界に望んでやってきたわけだが、前の世界での経験から望まぬ場所に行くことの辛さは知ってるつもりだ。同じ人間の皮を被っていても、中身の温度が違う。それは自然と周囲との差となり、壁が出来上がるのだ。孤独に耐えて得られるものがあるとは限らない。そう思ってしまうと何もかもを投げ出したくなる。そうなってしまう前に、お前が手を差し伸べるべきだろうが。
……いつの間にか利己的な考え以外のことを喋っていたが、結果オーライか。一夏がゆっくりながらもベッドから立ち上がる。その目には確かな力が宿っていた。
「そうだな。箒が『殺す』と言って木刀を向けてきても俺が受け止めるしかないんだ。白刃取りの練習でもしとくか。ありがとな、弾」
焚きつけておいてなんだが……それは逃げてもいいんじゃねえか?
一夏が納得してるのなら俺は構わないけど、前途多難だねぇ。